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腰巻一筋の報酬 ちよつとこの画の由来（ゆらい）を述べて置（を）かう。黒田氏は巴里滞在中（ぱりたいざいちう）、如何（いか）なる興感（きようかん）に駆（か）られて、この製作を思立（おもひた）つたのであらうか。いや、是れを言（い）つてはならぬ。自分は、曩（さき）に斯（か）ういふ疑問（ぎもん）の観画上（くわんぐわじやう）、少なからざる累（わづらひ）となることを認（みと）めて、かまへて観者の念頭（ねんとう）に置（を）くべきことではないと、懇（ねんごろ）に忠告して置きながら、今忽（たちま）ち由来（ゆらい）の二字に着（ちやく）して、世俗並（せぞくな）みに徒労（とらう）の詮議をするのは、自家撞着（じかどうちやく）の甚だしいものである。如上（によじやう）の愚問（ぐもん）は、全く廃（や）めとして、さて黒田氏が自分に語（かた）つた言葉（ことば）に拠（よ）れば、この画は総（すべ）て三人のモデルを遣（つか）つてをる。その三人の善（よ）い所を選抜（えりぬ）いて、組合（くみあは）せて、この画は出来上（できあが）つたのである。体躯（からだ）と、顔と、それから髪（かみ）の毛（け）。モデルを雇（やと）つた日数は、十一週間余（しうかんよ）に渉（わた）つてをるといふのであるから、この点（てん）からみても、ちよつと経営苦心（けいえいくしん）の作であることが解（わか）らう。勿論この画を古今著名（ここんちよめい）の芸術家が、自家畢生（じかひつせい）の精力を傾注（けいちう）すべき境涯（きやうがい）に立（た）つて、五七年、乃至（ないし）は十数年間、某（それ）の製作にひたもの力（つと）めたとある、さる稀世（きせい）の大作に比較（ひかく）の出来ないことは、素（もと）より知（し）れ切（き）つてをる。併（しか）し是れは大方国情（こくじやう）にも関係（くわんけい）するのであつて、日本の今の社会（しやくわい）では、如何なる非凡（ひぼん）の天才（てんさい）といへども、まづ斯る境涯（きやうがい）に出遇（であ）ふことさへが、殆ど望（のぞ）まれない。現にこの画面（ぐわめん）でも、普通（ふつう）の家の装飾品（さうしよくひん）としては、既に大に過ぎて、用途（ようと）がないのである。されば作者（さくしや）も、初め木炭の一画（ぐわ）を下（くだ）す前に當つて、既に自家（じか）の労力（らうりよく）に相當なる報酬（ほうしう）の望（のぞ）まれないことを覚（さと）つて居つたに違（ちが）ひない。然かも尚ほ且（か）つ十一週間余の労力（らうりよく）と、多少の費用（ひよう）を抛（なげう）つて、この製作に取掛（とりかゝ）つたのは、一意芸術（いげいじゆつ）に忠なるものとして嘉（よみ）すべきことではあるまいか。自分の記憶（きおく）する所では、わが国の洋画家全体（やうぐわかぜんたい）を引括（ひつくる）めて、これと同じき労力（らうりよく）を一画面（ぐわめん）に注いだるものは、誠に指（ゆび）を屈（くつ）するに足（た）らないのである。この労力、この日本画家（にほんぐわか）に稀（ま）れなるべき経営苦心（けいえいくしん）。それが公衆の面前に掛けられて、案外にも腰巻（こしまき）一筋（すぢ）の報酬（ほうしう）とは、情（なさ）けない次第（しだい）である。縦令（よし）この裸体画（らたいぐわ）一面は、洋画界（やうぐわかい）の人身御供（ひとみごくう）として忍びもしやうか。自分は唯わが芸術（げいじゆつ）の前途（ぜんと）を思ふ毎に、心中私（ひそ）かに杞憂（きいう）を抱（いだ）くことを免（まぬ）がれないのである。＠二面のパステル画 それからモデルに付いて彼是（かれこ）れいふのは、是れも無類野暮（むるゐやぼ）の骨頂（こつちやう）。ヴエーナスの女神（ぢよしん）でも、マリヤの像（ざう）でも、画家がその貴（たうと）げなる、又麗（うる）はしげなる形似（けいじ）を得て来る源（みなもと）は、何（いづ）れも画家其人の頤使（いし）に任せて、竪（たて）にもなり、横（よこ）にもなる商売人（しやうばいにん）。見世物小屋の下足番（げそくばん）と同じく、その日の月給（げつきふ）を貰つてお辞儀（じぎ）をする人間（にんげん）であるのだから、大方（おほかた）その生活（せいくわつ）の工合も察（さつ）しられないではない。芸術（げいじゆつ）に於けるモデルは、恰（あたか）も足場（あしば）と同じやうなもの、家屋新（かおくあらた）に成れば、足場は取払（とりはら）つて痕（あと）を留めないのである。況（いは）むやその用材（ようざい）の如何を問（と）ふべきものではない。画面（ぐわめん）に対するものは、夢（ゆめ）にもカンバスの裏（うら）を見越（みこ）して、モデルの如何を懸念（けねん）すべきものではないのである。併（しか）し自分の思付（おもひつ）いた所をいへば、白馬会場中（はくばくわいぢやうちう）、この裸体画の左右（さいう）に、二面のパステル画（ぐわ）が懸（か）けてある。共に西洋婦人（せいやうふじん）の半身画（はんしんぐわ）であるが、その左の婦人の肌（はだ）は、裸体画（らたいぐわ）の肌に酷似（こくじ）し、右の婦人の顔（かほ）は、同じく裸体画の顔（かほ）に髣髴（はうふつ）としてをる。そこで自分の考（かんが）へでは、是等（これら）の婦人は、この画（ぐわ）のモデルではないか。作者（さくしや）は自家の製作（せいさく）の紀念（きねん）にもと、写生（しやせい）して置いたのではなからうかと思（おも）はれる。尤（もつと）もこれは黒田氏に聞（き）いた訳（わけ）でもないから、精（くは）しいことは解（わか）らない。 |
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