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白馬会関係新聞記事 第4回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)(四)
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| 雪丸、夏雄 | 読売新聞 | 1899/11/16 | 3頁 | 展評 |
△中沢氏の『賎民(せんみん)』は、乞食(こじき)が四辺(あたり)の美(うつく)しい風景(ふうけい)を眺(なが)めながら、日(ひ)なたぼつこして居(ゐ)る画(ゑ)だ。至極呑気(しごくのんき)らしい画(か)き方(かた)、これでハ、三日したら其味(そのあぢ)が忘(わす)れられまいよ。これも巴里出品(ぱりーしゆつぴん)の一つだ。『川口(かはぐち)』も一寸面白(ちよつとおもしろ)く感(かん)じた。@△ロドルフ、ヰツマン氏(し)の三枚(まい)の中(なか)でハ『残暉(ざんき)』が最(もつと)も良(よ)い様子(やうす)だ。しんめりした、静(しづ)かな野辺(のべ)の景色(けしき)も、よけれバ、夕陽(ゆふひ)が洗(あら)ひだされる処(ところ)なども、何(なん)となく引(ひ)き込(こ)まれる様(やう)で、場中(じやうちう)の白眉(はくび)ハ恐(おそ)らくこれだらう。此人(このひと)の昨年(さくねん)の『ブラバンドの夕景(ゆふけい)』なる水汲婦(みづくみをんな)が、端(はし)なく思(おも)ひ出(だ)された。@△ジユリエツト、ヰツマンの『菊花(きくゝわ)』ハ、これも頗(すこぶ)る大作(たいさく)だ。昨年(さくねん)『芍薬(しやくやく)』を画(か)いたのも、此人(このひと)だと覚(おぼ)えて居(ゐ)る。が、花鳥画(くわちやうぐわ)では、厭(あ)きる程見馴(ほどみな)れた、僕等(ぼくら)の眼(まなこ)には、前者程(ぜんしやほど)さしたる感服(かんぷく)も与(あた)へなかつた。@△湯浅氏の『海辺(うみべ)の逍遥(せうえう)』は流石(さすが)に良(よ)く出来(でき)てる。が、少女(せうぢよ)ハ何(なん)となく病人(びやうにん)らしく見(み)える。後景(バツク、グラウンド)は片瀬(かたせ)の浜(はま)の様(やう)だ。『売花女(ばいくわぢよ)』ハ、今少(いますこ)し雅(が)と云(い)ふ分子(ぶんし)を含(ふく)ませて貰(もら)ひたかつた。これハ日本画(にほんぐわ)の方(はう)が面白(おもしろ)い様(やう)だ。@去年(きよねん)ハ僅(わづ)かに二枚程(まいほど)の出品(しゆつぴん)で、何(な)んとも覚(おぼ)えなかつた、矢崎氏(やざきし)のが、今年(ことし)ハ二十ばかりもある。どれも皆(みな)いい。三宅氏(みやけし)の水彩画(すゐさいぐわ)と伯仲(はくちう)する様(やう)だ。別(べつ)して『仮眠(かみん)』の少女(せうぢよ)が真(しん)に逼(せま)つて、その人形(にんぎやう)のあどけない面影(おもかげ)と、『駅路(えきろ)』の穏(おだや)かな作(さく)とが、何(なん)ともいはれない。駅路(えきろ)の光景(さま)ハ僕等(ぼくら)をして、不覚瓢遊(おぼえずへういう)の情(じやう)を動(うご)かさせるのである。@△柴崎氏の『海浜晩景(かいひんばんけい)』も、静(しづ)かに紫(むらさき)に烟(けぶ)つて暮(く)れ行(ゆ)く様(さま)が、見(み)らるゝ様(やう)だ、佳作(かさく)。これも巴里出品(ぱりーしゆつぴん)の一つだ。@其他書(そのたか)き漏(も)れにも、佳作(かさく)が夥多(くわた)あるのであらう。が、久米氏(くめし)の作(さく)が、一枚(まい)も見(み)えないので、昨年(さくねん)の『残▲(ざんくん)』の如(ごと)き、ラフアエル、コランの『夏(なつ)の野(の)』『雅曲(がきよく)』の如(ごと)き、はた黒田氏(くろだし)の『物淋(ものさびし)』などのやうな逸品(いつぴん)が、見受(みう)けられなかつたので、失望(しつぼう)の気味(きみ)で二人(にん)ハ会場(かいぢやう)を去(さ)つた。(完)

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