黒田記念館 > 研究資料 > 白馬会関係新聞記事 > 第4回白馬会展

白馬会関係新聞記事 第4回白馬会展

戻る
白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)(三)
目次 |  戻る     進む 
| 国民新聞 | 1899/11/02 | 5頁 | 展評 |
◎遺児 筆者(ひつしや)は北蓮蔵氏(きたれんざうし)である、此画(このぐわ)は同会中(だうくわいちう)で一番組織(ばんそしき)の大(おほ)きいものだが、夫(そ)れ丈(だ)け批難(ひなん)も亦多(またおほ)い、其最(そのもつと)も批難(ひなん)すべき点(てん)は画中(ぐわちう)の人間(にんげん)の歩行(ある)いて居(ゐ)る様(やう)に見(み)へないことである、棺(くわん)を舁(かつ)いた者(もの)は勿論(もちろん)、先導(せんだう)して居(を)る僧侶(そうりよ)、花(はな)を持(も)つて居(を)る遺児(ゐじ)、孰(いづ)れも一方(ぽう)の踵(きびす)は上(あが)がて居(を)るけれども一方(ぽう)は土(つち)に着(つ)いて居(ゐ)る、だから葬儀(さうぎ)の一列(れつ)は突然進行(とつぜんしんかう)を止(とゞ)めた様(やう)に見(み)ゆるのだ、尤(もつと)も愁然(しうぜん)たる様子(やうす)もかやうに見(み)ゆる一つの原因(げんいん)であらう、併(しか)し葬儀(さうぎ)であれば愁然(しうぜん)たる様子(やうす)を咎(とが)むることが出来(でき)ない、寧(むし)ろそうならなければならない主要(しゆえう)な点(てん)であつて、唯(た)だ足(あし)の工合(ぐあひ)に難(なん)があるのである、@◎自画肖像 岡田(おかだ)三郎助氏(らうすけし)の肖像(せうぞう)である、氏(し)は美術界(びじゆつかい)でも鏘々(しやうしやう)たるものだが、之(こ)れには賛評(さんひやう)することが出来(でき)ない、色(いろ)は余(あま)り黒(く)ろ過(す)ぎて居(を)る、尤(もつと)も此種(このしゆ)の画(ゑが)き様(やう)は、今(いま)では陳腐(ちんぷ)になつて誰(だれ)もしない、彼(か)の黒田氏(くろだし)の肖像(せうぞう)とは同日(どうじつ)の論(ろん)でないと思(おも)ふ、@◎残暉(月(つき)の出(で)) 白耳義(べるぎー)のロドルフ、ヰツマン氏(し)の寄送(きそう)したもので、古樋、河畔の舟といふのもあるが、其中最(そのうちもつと)も善(よ)いのは此残暉(このざんうん)で、即(すなは)ち麦圃(ばくほ)の晩景(ばんけい)で、刈(か)つて束(つか)ねて置(お)いた麦(むぎ)の上(うへ)に、光(ひかり)が残(のこ)つて居(を)る光線(くわうせん)の工合(ぐあひ)は実(じつ)に善(よ)い、夫(そ)れに満々(まんまん)たる夕月(ゆふづき)の東方(とうほう)に昇(のぼ)つて来(き)た景色抔(けいしよくなど)は、何(なん)とも云(い)へない程立派(ほどりつぱ)に出来(でき)た、併(しか)し西洋(せいよう)に居(をつ)ては、此等(これら)の画(ゑ)がどんな批評(ひゝやう)を受(う)くるのであらう、余(よ)は我国(わがくに)の画家(ぐわけ)に向(むか)つて、非常(ひじやう)の奮発(ふんぱつ)をして貰(もら)はなければならぬ、@◎札幌の森 之(こ)れは水彩画(すゐさいぐわ)であつて、油画(あぶらゑ)の間(あひだ)に異彩(ゐさい)を放(はな)ちて居(を)る、出品者三宅克巳氏(しゆつぴんしやみやけかつみし)は曩(さ)きに欧洲(おうしう)へ往(い)つて、一通(とほ)り斯道(しだう)の視察(しさつ)を遂(と)げて来(き)たそうだ、出品(しゆつぴん)は甚(はなは)だ多(おほ)く四十余(よ)もある其中(そのうち)ハムプステツドの夕陽、水に映ずる森、信州小諸附近の景、ハムプステツドに於て吾宿の花園抔(など)は目立(めだ)つて居(を)る、札幌(さつぽろ)の森(もり)には余(あま)り感心(かんしん)することは出来(でき)ない、木(こ)の葉(は)の緑色(りよくしよく)は濃過(こす)ぎて自然(しぜん)に違(た)がつてある、如何(いか)にも仮造物(かざうぶつ)らしく、其実物(そのじつぶつ)を聯想(れんさう)せしむることはない、@◎仮眠 筆者(ひつしや)は矢崎千代治(やざきちよぢ)、画(ぐわ)は題(だい)の如(ごと)く小娘(こむすめ)の居眠(ゐねむり)をして居(を)る所(ところ)である、其眠(そのねむ)つた顔(かほ)は無邪気(むじやき)で可愛(かあい)らしい、しかし胴体(だうたい)は首(くび)を支(さゝ)ふることが出来(でき)ない様(やう)に見(み)ゆる、初(はじ)め何(なん)に凭(も)たれて眠(ねむ)つて居(ゐ)るのだらうと思(おも)ふた、誰(たれ)でもそう思(おも)ふだらう、けれども何(なに)も無(な)い、之(こ)れは大欠点(だいけつてん)である、又(ま)た氏(し)の出品中(しゆつぴんちう)、駅路は善(よ)く出来(でき)て批難(ひなん)といふべき程(ほど)のものもない、其田舎(そのいなか)めいた休憩所(きうけいしよ)、旅客(りよかく)の軽装(けいそう)した有様(ありさま)を見(み)れば、頻(しきり)に旅行(りよかう)したい心(こころ)が起(おこ)つて来(く)る、@諸氏(しよし)の出品中(しゆつぴんちう)、善(よ)く出来(でき)て取分(とりわ)けて批評(ひゝやう)しなければならんものも沢山(たくさん)あるが、今(いま)は是丈(これだ)けにして止(や)めやう、其善(そのよ)いといふのはたそがれの萩、農婦、あけの月、針仕事、夏の夕、池畔の雪景、暮靄、日の入、森の夕日、品川の台場、夕の森、稲むら、芋畠、甲板、斜陽、夏の海辺抔(など)であつて、中(なか)には大博覧会(だいはくらんくわい)に出品(しゆつぴん)さるゝものもある、(完)

  目次 |  戻る     進む 
©独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所