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白馬会関係新聞記事 第3回白馬会展

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白馬会画評の殿り(四)
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| 毎日新聞 | 1898/12/03 | 1頁 | 展評 |
ジユリ、エツト、ヰツマン氏(し)の花の図は唯綺麗(たゞきれひ)といふばかりで光線(くわうせん)の纏(まとま)りがついて居(を)らぬ、前(まへ)の草(くさ)の葉(は)や地面(ぢめん)や、また向(むかふ)の木立(こだち)のあたりいかにもいゝ天気(てんき)で日(ひ)が當(あた)つて居(ゐ)るのに花(はな)の部分(ぶゞん)は唯明(たゞあか)るいのみで陽光(やうくわう)のさまは見(み)ゑて居(ゐ)ないかき方(かた)でいへば花瓣(はなびら)などは軽(かる)くていゝやうだが前(まへ)の光(ひか)つた草(くさ)の葉(は)は刷毛(はけ)かヘラかで黄色(きいろ)な色(いろ)の具(ぐ)が塗(ぬ)りつけてあるといふのみの事(こと)だから光線(くわうせん)が見(み)えぬ上(うへ)に何(なん)の意味(いみ)もなさない。@北連蔵君(くん)の墨画(すみゑ)葬式の図は趣向(しゆかう)が露骨(ろこつ)で悲(かな)しみの深(ふか)い感(かん)じがそれ程(ほど)に出(で)ない、それといふのはついて行(ゆ)く小供(こども)におもな意味(いみ)がありそふだが、其小供(そのこども)にばかり悲(かはし)んだ様子(やうす)が見(み)えるからだ、全体小供(ぜんたいこども)は無邪気(むじやき)なもので人(ひと)が悲(かなし)んで居(ゐ)るなかにも平気(へいき)なやうな所(ところ)が一層哀(そふあは)れに見(み)えるものだのに此画(このゑ)は小供(こども)に大人(おとな)の様(やう)な考(かんがへ)をやらしてそれを主眼(しゆがん)に据(すゑ)たのだから折角(せつかく)の哀(かな)しいといふ気色(けしき)がうすくなる。しかし人物(じんぶつ)の配置(はいち)は至極穏(しごくおだ)やかで淋(さび)しき道(みち)に葬式(さうしき)の通(とほ)るすがたはある。@白瀧幾之助君(くん)の画(ゑ)は皆穏(みなおだや)かなる作(さく)だが中(なか)にも佳(か)と思(おも)ふは百八十四、百八十八、百九十一、百九十六の番号(ばんがう)のついた画(ゑ)だ。其(その)百八十八号(がう)は海辺の図で空(そら)と水(みづ)とがぼんやり消(き)えて小雨(こさめ)でも降(ふ)つて居(ゐ)るやうな中(なか)に稲(いな)むらのしめつた色(いろ)をして前景(ぜんけい)にあらはれたところは充分(じうぶん)の趣(おもむき)がある。百九十六号(がう)の夕方の景は会場(くわいぜう)に夕陽(せきやう)を写(うつ)したる画(ゑ)は色々(いろいろ)あれどこれのみはこと変(かは)りて今(いま)しも雨(あめ)が上(あが)つて空(そら)の晴(は)れわたつたさまを苦(く)もなく写(うつ)された、何(なん)となくさつぱりしとした気合(きあひ)の画(ゑ)だ。@此人(このひと)ので大(おほ)きいのは薪を負ふた男が道端に憩へる図である人物(じんぶつ)の姿勢(しせい)も顔(かほ)や手足(てあし)のかきこなしも整(とゝの)つて居(ゐ)るが此図柄(このづがら)にとつては画幅(ゑはゞ)が大(おほ)き過(す)ぎるために手際(てぎは)はよくても種々(しゆじゆ)の欠点(けつてん)が出(で)て来(く)るのだ。先(ま)づ地面(ぢめん)と土手(どて)との境(さかひ)が判然(はんぜん)し過(す)ぎて青(あを)い壁(かべ)でも立(た)つたやうに見(み)ゑる、それから土手(どて)にはへた緑草(ろくさう)の色(いろ)にも形(かたち)にも変化(へんくわ)が乏(とぼ)しい夕暮(ゆふぐれ)とはいへ前景(ぜんけい)の草(くさ)などは今少(いますこ)しはつきりすべきものだ、土手(どて)の上(うへ)の麦畑(むぎばたけ)から空(そら)へかけても色(いろ)の調子(てうし)はいゝが余(あま)り平(たい)らかに塗(ぬ)りすぎたるはまづかつた。@ロドルフ、ヰツマン氏(し)の並樹のある図は新派(しんぱ)の色(いろ)どりは一と通(とほ)りあるが筆(ふで)つかひに未熟(みじゆく)なところが見(み)える、前(まへ)の並木(なみき)のあたりは普通(ふつう)のかきかたで遠景斗(ゑんけいばか)りにインプレシヨン法(はふ)の筆法(ひつはふ)を用(もち)ゐたるは見悪(みにく)い、日(ひ)の光(ひか)りが前(まへ)の落葉(おちば)と木(き)の幹(みき)にあたつた加減(かげん)に比(くら)べると遠景(ゑんけい)の日(ひ)は弱(よわ)い、樹(き)の下(した)にあれ程(ほど)の落葉(おちば)が積(つも)つて梢(こづえ)には一ぱい緑(みどり)の葉(は)がついて居(ゐ)るのは理窟(りくつ)にかなわない、前景(ぜんけい)と遠景(ゑんけい)とのかき方(かた)の異(ことな)るところと、木末(こずゑ)に葉(は)があつて満地(まんち)に落葉(おちば)の散(ち)り敷(しき)たると、光線(くわうせん)の度合(どあひ)が処(ところ)により違(ちが)つたのとを以(もつ)て見(み)れば此画(このゑ)は葉(は)のある季節(きせつ)にかきかけて置(お)いて後(あと)から前景(ぜんけい)を仕上(しあ)げたものと察(さつ)しられる、それでこんな変(へん)な調子(てうし)の画(ゑ)になつたのだろふ。@月夜の画は前(まへ)に較(くら)べると色(いろ)もかき方(かた)も整(とゝの)つて居(ゐ)るし趣(おもむき)も取(と)れて居(ゐ)る方(はう)だ、これは本式(ほんしき)に下(し)たがきをこしらへて充分(じうぶん)に練(ね)り上(あ)げた作(さく)と見(み)へる。

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