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白馬会関係新聞記事 第3回白馬会展

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白馬会合評(承前)
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| 銀杏先生、△△坊 | 日本 | 1898/11/17 | 3頁 | 展評 |
◎昔話(黒田清輝筆) 先生曰くこれは前々から評判の高かつた小督局の昔語りだ。とにかく我日本の洋画界ではまだこれ程の大作はないのだから。此評家もウンと力を入れねばならぬといふやうなものゝ。これは又た意外に失敗の作であるからそう力も入らなくなつた大体の上の組立乃至は人物箇々の姿勢などは流石に甘くやつてのけて居るやうだ。老僧が笛吹く手まねをして居るで全幅の意味に通ぜられるのであるが。或るものらはそれは事実に違ふの何のといふ。然しこの手まねが無くてはこの画は殆んど全たく無意味になるのだこゝはさすがに素人とは違つた黒田の考へとほめてやりたい。秋の日のぼんやり曇つて居る所。落葉焚く烟これらも皆題意を助けて居る。だがだが欠点も多い。第一番に最もまづいのは遠近を誤つて居ることだ、或ものは評して遠近がなくて近遠があるといつたが。何のこととはなしに甘くひやかしたやうに思ふ。人物肉色の青黄色で黄膽やみのやうに感ぜられたり。遠景の寺門が芝居の道具立て見たやうにあつたり人物箇々の感情の発揮されて居ないなどは。到底失敗の作といはなくてはならぬ。中央の二女が殊にモデル臭いのもイヤだ。△坊曰くこんな大作になると黒田もまだ駄目だと見える遠近の失敗は十目の見る所今更論は無い。人物のコハばつて木像か石像かと思はれるのはヒドクまづい。それに一体昔語りの題意に於て全く失敗して居る。これでは一向小督の昔しも追想されないじやないか。高雅な所なんかは一寸ともなく、無やみにお白粉くさいにも閉口する、殺風景なことだ、先生はあの曇つた所を秋の空の曇たので題意に適して居るといふが。ソンナ馬鹿なことがあるものか。この不快な色は決して秋の空といふ感じはないじや。一体白馬会の描く空気はどんよりした霞のかゝつた空気ばかりで、春の空気らしいのはあるが。其の他の空気は描き得ないのでは無いかと疑はれる位だ。この画の空気も亦秋とは思はれない。それに一体くすぼつた色合でまことに不快な感じがする。今一度描き直して貰いたい。@◎膳拭ひ(同人筆) 先生曰く濃淡の調子明暗の照応これは甘いものだ。光彩もあつて遠景が殊に斬新だ△坊曰く趣向が面白い。意匠斬新とでも評しようか。遠景に人物二人を置いたなどは気がきいて居る。@◎物干し(同人筆) 先生曰く第一に人物の肉色がうるはしくて血も骨もある。全体の配布も能く調和して居る。此作家自身からは苦心の作でもないだろうが。我輩はこれを推して場中屈指の作といふ。△坊曰く人物もこふいふ調子に出来るといゝ。柔かな心地のいゝ色で血の通つて居る人間らしい。昔語りの人物もこんな塩梅にやらなくちやいけない。@◎木蔭(同人筆) 先生曰く一少女の木陰に仰臥して居る所だ。これも色彩が麗はしくて位置なども面白い。唯木の間漏る日光に無理があるやうなのは惜しいことだ。△坊曰く兎に角見て心地のいゝ色だ。こんな鮮明な爽快な色彩なら承知するヨ。然し木の間から落射した光線はウヰツマンの光線には及ばんやうだ。その人物も柔かくて色つやもいゝ心もちだ。たゞ此女の木の葉を摘まうとして居る左の手はイヤに長がすぎる。懐中物御用心の貼紙が入りさうだ。@◎ヲルタアグリフヰンの作 先生曰くこれは亜米利加の画だそうだが妙な画を描いたものだ。下手なのやら上手なのやらトントわからない。△坊曰く絵画共進会にもこんな画が出て居たが。なんだかキタナイ画だ。殊に肖像画のは日本人の像らしいがイヤな風だ。@◎農夫晩帰(小林萬吾筆) 先生曰くこれも卒業成績で白瀧のと同じ位な大きさだ。全体の配置も無難で。遠景や空の雲の工合もあまりコセ付かずに。夕暮の感じが能く現はれて居る。主眼の人物の骨格などもまづまづ無事だ。然し色があまり黒過る。大体の感じから云へば。農夫がつかれて荷を馬につけて帰る所が欲しいのだが。これは泥棒が馬を盗んで帰るやうだ抔といふものがある。なるほど馬の荷をつけて居らないのも此題には少し面白くないやうだ。農夫の顔つきも一くせありそうで物騒だ。△坊曰く馬が荷をつけて居ないといふが。から馬をひきつれて帰つて来るけしきも多いことだ。一層から馬にのつて居る方がいゝかもしれぬ。然しこの馬は何の為めに出ていたのか之れを研究せぬと荷物の議論は出来ぬ。兎に角夕ぐれの淋しい田圃でつかれた馬と人とかなつかしむで居る感じはこの画に尤も必要だが。これは欠けて居るやうだ。@原田竹次郎といふ人の画はアンマさんばかり描くやうで。一人もあたりまへの人物がない。@大牟禮時艾といふ人のは押絵のやうだ。@◎堆塚修房といふ人の雨後の海岸の図は砂原のハダカ山の間の一寸入江の水が光つて居るが。これは面白いそれから富士の画もあるが。これも単調な所に面白味がある。@◎久保田喜作といふ人の作品は白ツ茶けて洗ひ晒しのやうだ。然し一種の奇気がある。海岸の篭のゴロゴロ然たる所はとんだ玉コロガシだ。田の中の建築物は御神輿の御通りのやうだ。@◎最後の中沢弘光といふ人の十数点は。皆根抵がかでなくて色彩の生々しいといふきらいがある。然し昨年あたりよりは大分進歩してきた。(完)

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