黒田記念館 > 研究資料 > 白馬会関係新聞記事 > 第3回白馬会展

白馬会関係新聞記事 第3回白馬会展

戻る
白馬会合評(承前)
目次 |  戻る     進む 
| 銀杏先生、△△坊 | 日本 | 1898/11/15 | 3頁 | 展評 |
◎池畔(藤島武二筆) 先生曰くこれは昨年出品した下絵を訂正して人物二人を減じたのだ。位置も組立てもそれから濃淡の調子もうまい。遠近もよくついて居て空気もあり含蓄もある。主眼の人物が清新で俗気がない。前景の柳の葉に風にそよいで居る所などは妙だ。然し褒めるばかりでは承知のならぬ所もある。第一に直線が沢山使ひ過ごされて居るのはまづい。柳が変だ。枝振りなども愛嬌がない。人物の手がコハばつてモデル臭い。人物双互の関係も疎だ。それから今少し涼しい感じが欲しい。妙に暑くるしい感じがする。△坊曰くなかなか骨が折つてある。兎に角力見がある。ホメル方は先生が云ひ過したから僕は悪口をいふヨ。第一に此画はホコリ臭い。按ずるにこれは夕涼みらしいが其感じが無い。日盛りのホコリ臭い暑くるしい感じがする。柳に風などの吹いて居るのは見えるが其風が涼しい風でない。柳の葉のホコリで白くなつて居るやうにも感ぜられる。前景の水面と地面との境界は混合して居るやうでこれも変な感が起る。左側の方の柳樹は少しく扁平に失して居る。人物の堅いのはこの作ばかりでない一般であるが誠に感じの悪いものだ。衣服の皺などもカタ過ぎる。それから此二人の女が純粋の日本人とは思はれぬ。どう見てもアイの児だ。骨格を初め頭の髪の茶色な所はひどく毛唐臭い。然しこふはいふものゝ今度の出品中ではまづこれ等は力のある作だ。@◎林間草花(山本森之助筆) 先生曰く極めて単純な境で緑の叢の中に白色の草花が点綴されてあるばかりだ然し色彩が清鮮で爽快の感が起る。最前景の一本の草花が無理らしいがこれのない方がいゝ。△坊曰く 一種淡泊な色で面白い。今少し空気があつたらと思ふ。静かな林の中に日光のしんしんとさして居るなどは目立たないが趣味のあるものだ。@◎松葉かき(同人筆) 先生曰く草のまばらに立てる所など真に逼つとる。松の木の交錯から濃淡抑揚得心じや。日光のがらりとあつた所がこの画の生命であらうが。然し疵もこゝであまり光があたり過ぎた為め臼ツちやけて水気に欠て居る。△坊曰く 僕はあまり之れには感心せぬ草などもなんだか堅くてコヨリを立て列ねたやうだ。@◎杉の森(同人筆) 先生曰く日あたりは誠にいゝ調子だ。これで杉の葉に火のついた様でなければ傑作だらう。△坊曰く 御同感。但し右の方の芝籬のつくりもの見たやうなのはまづい。@◎茶園(同人筆) 先生曰く日陰の地に印したる所なかなかうまい。殊に其後の家の角の陰と日向との工合は妙だ。一体此人の作は一が斬新だ。富士の画なども最も斬新だ。亦此人の筆は変化に富むで居る。△坊曰く 僕も位置などの意匠に富むで居ることを認める。頭がいいのだろう。これで腕の方を研きあげたら面白い画家が出来やう。増長せずに勉強してほしい。@◎山村と肖像(長原幸太郎筆) 先生曰く後景を丸つきり濃緑色で塗つた所は面白い。家屋の置方も無難だ。肖像の方は凸凹などはヨク出来たが。白ツ茶けて水ぐさりに腐つやうなのは閉口する。@◎残▲(久米桂一郎筆) 先生曰く此人近来の大作でなかなか苦心の作と見える。場所は片瀬あたりであろうか畑を向ふに森があつて。其森のきれめから遠山の見えて居る夕暮の景色だ。全体の位置濃淡うまいうまい。前景の草花を一本々々描き上げて少しも胡魔化す所がないのは流石に感心する。中景以後の森が同一色のやうに見えて。しかも層々区別あり遠近あるなども妙だ。空の雲の塩梅は一寸真似の出来ぬ所で。兎角に俗に流れ易い夕暮の雲を高雅にやつてのけたのは欣ぶべきことである。唯遠景の山が平たくて且つ明る過ぎる嫌があるのと。点景人物が石仏じみて立往生なのが難だ。色も少し黒すぎる。△坊曰く ドツシリと落付いて大家らしい画だ。夕ぐれの重たい空気と打ち沈んだ風景はよく感情を発揮して居る。たゞ雲が堅すぎて空に押してつけてあるやうに思はるのと。人物が丸で西洋人なのは感心出来ぬ。@◎川口の秋(小代為重筆) 一寸見のいゝ画だがイヤに西洋臭い。船が水より一二寸も離れて見えて空中に中のりをやつて居る、此の他此の人の作数点あるが、いづれも根底の浮いて居るやうに見えて色なども黒く汚れて居る。快くない画だ。△坊曰く 目にもはいらなんだヨ。@◎母子の図(アリガセツト筆) どうも毛唐はうまいこれなんかも一寸したものだが色がしめツぽくて出しにくい赤や緑を自由に出して居る。側で見るといゝ加減な筆づかひをやつて居るやうに思はれるのに。一寸離れて見ると一筆々々むだが無いには恐れ入るヨ。泰然として迫らない筆でそして力量があつてドツシりして居る。小供の顔がいかにも柔かくて生きて居る。こんなことをいふてこんな小さな画を褒めなくちやならんやうでは。日本の画界もなさけ無いが仕方がない。△坊曰く 草木でも人物でも皆な柔かくて生気のあるのは妙だ。日本人でなぜあアいふ工合に描けないのか少少疳癪が起る。あの小児なんかはまるで生きて居るやうだ。

目次 |  戻る     進む 
©独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所