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白馬会関係新聞記事 第3回白馬会展

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白馬会合評
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| 銀杏先生、△△坊 | 日本 | 1898/11/13 | 3頁 | 展評 |
先生曰く出品点数三百六十以上に越えて黒田の昔語りを初め、久米の残▲、藤島の池畔など随分苦辛の作も多い。然し此に不思議なのは無暗と夕陽の画が多い。だから夕陽画展覧会だなどゝ云ふものもある。又富士山の画も馬鹿に多い。依つて一に富士山油絵展覧会とも称するなどゝ云ふ。とにかく和田英作一人でも富士の画を八枚も出して居る。驚くじやないか。@坊曰く出品数は左様に多いが。然し其代りに一般に画題が単調で変化に乏しい。夕陽や富士が無暗に多いのも此単調を証明するのだ。和田が一人で八枚も富士を描いて居るといふが。湯浅が海岸又は漁夫などを無暗に描き立てゝ居るのと同じことだ。察する所先生方は或る所へ写生に出かけると。其時同時に同場所で同じ写生をいくつもやる。それが即ちこゝに現れるからこの単調を来すのであらう。然しこれは同会が少人数で洗ひざらひ出さねば会が開けぬから是非なくかくの次第であらう。こゝは察してやつてこの少人数が車輪になつて働く所を買ふてやらねばなるまい。だがあんまり小品物ばかりごてごてあるのは気色のイゝものじやない。@◎磯(広瀬勝平筆) 先生曰く遠慮会釈もなく筍のおツ立つたやうにヌツと前景に現はれた岩石が一番目障りだ。どこかヨイ所があるかと此岩をぐるぐる廻つて見たが褒めるスキがなかツた。然し全体から評すると此画は色に光沢があつて俗気がないのが取り所だ。又着想も面白い。其岩角をかすつて斜に岩上に射た光線などは考へが面白い。が惜しいことには無理が出て居る。浪の色も一寸善しいが海の左の方が円くつて右の方がソリくり返つて居るのは不都合だ。雲なども騒々敷いよ△坊曰く感じは悪くない。色合がいゝのだろう。然しかの突然たる岩の間に光線のさした所があるがあれはどこから落射した光線か説明が願ひたい。水面と空とは感心できぬ。イヤに水が堅い左の方の青い所は地面のやうだ。雲も混雑して居る。@◎月色(同人筆) 先生曰く小細工物で堂々と評するほどの者では無いが。波と空との調和がよくて月光なども真に近い。この調子で大作が出来れるよからう。爾他同人の作十数点あるが一体に光線に無理が多い。青色を過用するくせがある△坊曰く場所はいゝが月が真に逼るなどゝは承知が出来ぬ。茫として水と空との感じは賛成するが月夜の感じは無い。昼の月のやうだ。@◎物思ひ(和田英作筆) 先生曰く一見人物の卑陋なのには閉口の外ない。感情の無理おしつけも癪にさはる眼玉がギロしてガラス製のやうで其他の物体も皆透明なのは不都合千萬だ。強いて善い所を求めたら衣物の皺や帯の二合などであろうか。△坊曰く一体此連中は問題の選択といふことを知らぬ。前に稽古屋をかいたり肴の料理する所を書たりしたのも全くこれを知らぬからだ。写真と絵画の目的とは自から違つて居る。何でもかでも描けばイゝなどゝいふ奴は脳味噌の足りない奴だなんだこの画のザマは。見るからに虫唾が走るよ何を苦しんでこんな下等な俗なイヤなものを描かねばならぬのか情ない位ゐだ。おまけにこの下等な芸妓は肺病患者としか見えない。筋肉なども堅い。とにかくこんなものが成効しても風俗壊乱だ。@◎機織(同人筆) 先生曰くベツキの明るい障子と主眼人物の黒いのとが相照応して面白く感ぜられる。其黒い部分の構へ方が柳揚起伏を調へて小幅ながら他の十数点を壓して居る。昨年の作品と比べると一般に大家になつて妙に黄や赤を塗り付けて。位置なども変に気のキイた風のを描くやうだ。富士の画は沢山あるが皆ゼロだ。△坊曰く機織は一番上出来だ。気のキイた画だ。今少し大くして樹木などを配合して欲しいよ。@△漁家(湯浅一郎筆) 先生曰く漁家の内部。老夫婦喫飯後の景況らしい。妙に人物が臂や足を突張つた所に味がある。壁にかけた軸物や机上に取り散らした物品なども面白い。然し細君が遠近法の理屈から生れ出たので小さく見えるのは変だ。どうか以後は遠近法なにかゝら生れた人間でない。ほんとうの人間を描いてもらいたいものだ。全体から云ふと位置調ひ変化宜しきを得色彩沈着と褒めてヨイ。△坊曰く無暗にゴタゴタして居るやうで五月蝿い心地がする。人物がカタクて干からびて居るやうだ。見て心持ちのイゝ所が少しも無い。遠近法もをかしい。女の小さなセイかこの漁家の内部が大広間のやうな感じがする。@◎漁夫晩帰(同人筆) 先生曰く此画に対して素人の某がこういふことを云つた。あはれなるかなこは印度海岸飢饉の図ならん。老漁父の骨と皮になりたるさへあるに。其抱きたる麻殻の如き小児の背中の水膨れに色も変りていたいたしきこと限りなし。其後に歩める児童も亦骨と皮にて腰のあたりの著るく聳えたる目もあてられじ。熱帯地方の習ひにや砂も橙黄色に焼けて一見惨憺の情あり。其の流れたる水なども譬へばトロロをぶちあけたるに似たるも恐ろし。さるにても不思議なるはその老漁夫の頭にチヨン髷結ひ居ることなり。印度にても亦かゝる人あるにや云々。で僕がこれは印度飢饉の図じやない。全く日本の海岸だといふとこの男はビイク驚いたヨ。然し位置の奇抜と人物の活動と滑稽趣味の特色とは面白い。この他に夕日の森など見るべき作があるが。総評すると一種の滑稽趣味と活気があつて。それに色彩の配合などもうまい。然し人物の色が赤黄色で癩病のやうで骨格などにも不審な所が多い。△坊曰く無暗に赤い画だ。焼跡か禿山のやうな色だ。それに人が痩せギスの勢揃だ。飢饉の図と評したのは甚だ奇抜敬服するヨ。なんだか此男の画は皆殺伐の気がある。人物の活動は僕も承知するがモウ少し心地のいゝ色を出して貰いたい。海岸は全赤土のやうで日本の風景とは思はれぬ。遠近なども少しあやしい。向ふの方に立つて居る婦人が小さいにも似合はず近いやうに思はれる。とにかく餓鬼やウデ立ての人間のやうなものは御免だヨ。(未完)

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