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白馬会関係新聞記事 第3回白馬会展

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白馬会画評(五)
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| 谷津澪太、長野脱天 | 時事新報 | 1898/10/23 | 7頁 | 展評 |
小督物語(こがうものがたり)を除(のぞ)いてその他の黒田氏の作品(さくひん)の中には海辺に憩へる婦女の図、厨より垣根越しに遠景を見せたる図、農女の草上に臥して現なき画面、老翁の肖像画など四五枚あるが、是等(これら)はその大さに於て中位(ちうゐ)を占(し)むるものだ、この内に海辺(うみべ)に憩(いこ)へる婦女(ふぢよ)の図は第一の佳作(かさく)と認められる、空気(くうき)の工合(ぐあひ)といひ落附(おちつき)といひ全面がひとやかで朧気(おぼろげ)のうちにも散漫(さんまん)しない緊(しき)りが附て居て評者(ひやうしや)もこれには感心(かんしん)してしまつた、おそらく場内の白眉(はくび)と云ひつべきはこの画だらう、小督物語(こがうものがたり)の不合点に顰(ひそ)めた眉根(まゆね)もこれが為めに開(ひら)けて心地(こゝち)すがすがしくなつた、草上(さうじやう)に横はれる農女(のうぢよ)は洋読本(やうどくほん)の中などに似寄(により)の図が見える別に珍(ちん)とするには足りないが前に略評(りやくひやう)を試(こころ)みた久米氏の残▲と同じく描(か)き工合(ぐあひ)が人目を寄附けるだけの力(ちから)はある、悪(わる)くいへばあり触(ふ)れた裸体画(らたいぐわ)が着物(きもの)を被(き)て居る形恰好(なりかつかう)だといふべしだ@差出口、この画が人の眼(め)を牽(ひ)くといふのは実際(じつさい)だが、その他の評言(ひやうげん)は感服(かんぷく)しませむ、久米氏の残▲と比較(ひかく)するに至つては双方(さうはう)ともチト困(こま)るだらうぜ@気にする人、世間(せけん)ではこの少女(をとめ)を農家育(のうかそだち)と申しますが、私は都育(みやこそだち)の令嬢(れいぢやう)が海辺(うみべ)に遊びで樹蔭(こかげ)に息(やす)むで居る所としか見(み)えませぬ、いかゞでせう@老翁(らうをう)の肖像(せうざう)は釣合が少し妙(めう)だ@差出口、慎(つゝ)しむで描(か)いた画だ@廚(くりや)から垣根越(かきねご)しに遠景(ゑんけい)を見せたる図は思付(おもひつき)がなかなか面白い、竃廻(かまどまは)りが少し賑(にぎや)か過ぎはせぬかと世話女房(せはにようばう)のやきもきがる所だらうが、台所(だいどころ)の賑かなのは喰(く)ひ意地(いぢ)の張つて居る評者(ひやうじや)などには至極賛成(しごくさんせい)だ、見越(みこ)しの遠景(ゑんけい)も想像(さうざう)を離れて左もありさうな所と思(おも)はれて善(い)い@世話焼、廚(くりや)を主(しゆ)にして描(か)いてあるのだから家(いへ)の内から廚(くりや)を見るの図(づ)といふのが當(あた)れりだ、第一字数(じかず)が減(へ)つて倹約(けんやく)だからね@少女干物の小画 なかなか落附(おちつい)て居て佳品(かひん)@差出口、只佳品(かひん)だけでは承知(しようち)がならぬ、筆の運(はこ)びは前の海辺休息(かいへきうそく)の図に匹敵する出来だ、モツト奮発(ふんぱつ)は出来ませむか@数(かず)ある写生画のうちでは右方の海上(かいじやう)の日は善(よ)く見えたが、光線(くわうせん)の末広(すゑひろ)は考へものだ、左方にも二枚ほど好画(かうぐわ)を認めた@△グリフ井ンの筆。肖像画は顔面(がんめん)をばインプレツシヨニストに色彩(しきさい)を打込(うちこ)むであるが、衣服(いふく)に至つてはさうでもなくバツクグラウンドと像(ぞう)との境(さかひ)があまり明瞭(めいれう)に過ぎて居る、今少しルースに描(か)かなければ成程(なるほど)とはいへぬ、あまり進境(しんきやう)の人の作(さく)とは思へない、景色画は雅(が)なれども参考(さんかう)として見る位(くらゐ)のもの@秋野曰く、肖像画の骨格(こつかく)の不自然(ふしぜん)が御両人には見(み)えませぬか、わが見るところにてはこの画は誤魔化(ごまくわ)し画(ゑ)と云ふの外はない@△小林萬吾氏の筆。馬子の図、白瀧氏の樵夫と伯仲(はくちう)の間でいづれを際立(きわだ)つて優(まさ)れりとも云ひ難い、馬(うま)の足に近き畦の工合(ぐあひ)は至つて不感服(ふかんぷく)だ、細評(さいひやう)なし、小写生画(せうしやせいぐわ)の方が善い@会員の一人、小林氏が今秋(こんしう)になつて斯(かゝ)る大画を造(つく)つたのは感心(かんしん)です@△原田竹二郎氏の筆。大小数面あるが写生画(しやせいぐわ)の方が善(い)い、大なるものでは漁夫がよし@△赤松、窪田、北諸氏の作品(さくひん)の中には何(いづ)れも写生画(しやせいぐわ)の佳(か)と見るべきものが少(すく)なからずだ@△中沢弘光氏の筆。樹下婦女の図は人物が洋(やう)七和(わ)三で筆力(ひつりよく)が乏(とぼ)しい、二面の水彩画は用筆淋漓(ようひつりんり)として軽(かる)く且つ味(あぢはひ)もある、油画(あぶらゑ)に比すれば遥(はるか)におもしろい(完)

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