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白馬会関係新聞記事 第3回白馬会展

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白馬会画評(三)
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| 谷津澪太、長野脱天 | 時事新報 | 1898/10/19 | 7頁 | 展評 |
△安藤仲太郎氏の筆。前会(ぜんくわい)に出品(しゆつぴん)された港の曙は朝(あさ)だの夕(ゆふべ)だのと世間の取沙汰(とりざた)を空耳(そらみゝ)にして洋行(やうかう)するといふ噂だが、今回(こんくわい)も何とか京童(きやうわらんべ)の口の端(は)を賑(にぎ)はすやうな作品(さくひん)を見ることかと思ひの外、こはそも今回(こんくわい)は思切(おもひき)つた皺(しわ)びこけたもの許(ばか)りを出(だ)された、この人の画は評者(ひやうしや)も見ぬ前から書入(かきいれ)にして実は待つて居たのだ、案(あん)に相違(そうゐ)した評者の口をみて笑(わら)ふ気(き)か知らぬが、その人悪(ひとわる)は前に盲評(まうひやう)を試(こころ)みた和田氏と好一対(かういつゝゐ)で、再び空頼(そらだの)みの愚痴(ぐち)を溢(こぼ)さねばならぬ、兎に角この人にして何(なん)だらう、描法(べうはふ)に遠近(ゑんきん)もなく樹木(じゆもく)に色の変化(へんくわ)もない山麓の小家如きものを出して鼻(はな)を蠢動(うごめか)して居るとは、夫れから景色画(けしきぐわ)の一面のうち橋(はし)の下に水の塊(かたまり)か雪(ゆき)の塊(かたまり)か、依体(えたひ)の分(わか)らぬものをこびり附かしてあるのは一応承(えうゝけたま)はつて置きたい、余(よ)の画面(ぐわめん)に付ては別に品評(ひんぴやう)を試みる辛棒(しんぼう)が仕(し)切れない@差出口、多分暇(たぶんひま)が無かつたのでせうよ、又曰く、額縁(がくぶち)は綺麗(きれい)でござい@△中村勝次郎氏の筆。写生画(しやせいぐわ)が八九枚見えたが、何(いづ)れも筆路(ひつろ)が遒勁(しうけい)で画面がキチンと締(しま)つて居て好(い)い、只の写生(しやせい)とは受取(うけと)れぬ、五分は理想(りさう)から成立(なりた)つたものらしい、前(まへ)の広瀬氏の小画と併立(ならびた)つて他の凡作(ぼんさく)を圧倒(あつたう)して居る、@△小西、森川、大内、龍田、矢崎諸氏(しよし)の作品(さくひん)は日蔭(ひゆはひ)に懸(か)けられて継子(まゝこ)あしらひを受けて居る為め色調(しきてう)が朧気(おぼろげ)に認められ、かれこれ盲評(まうひよう)を試むるのも不本意(ふほんい)だ、尤も是れぞと云ふ作も無いやうだ、只馬鹿々々(ばかばか)しいのは前田氏の筧のそんぢよそこらの稲荷(いなり)の額堂(がくだう)に見える奉納額(はうなうがく)よろしくといふ見えだ、お世辞(せじ)にも、褒(ほ)められない、評者がいかに放気(のんき)でもこの種の画に就ては一々品評(ひんぴやう)を試むる我慢(がまん)が仕切(しき)れない@△ウヰツトマン氏の筆。牡丹の図、或(あ)る評者(ひやうしや)は一葉々々(ひとはひとは)に光線(くわうせん)を画分(かきわ)けてあると云つてアツト許りに感服(かんぷく)し、随喜(ずゐき)の涙に咽入(むせびい)つた様子だが、評者両人の眼(め)には左程感涙(さほどかんるゐ)も催さなかつた、可愛(かあい)き心はちと持(も)ちたいものだ、見るところを陽露(むきだし)に言へば葉の光線(くわうせん)が滅茶々々(めちやめちや)で変化(へんくわ)の妙が少しもない、筆路(ひつろ)は成程活気(くわつき)の幾分(いくぶん)を認めるが、随気(ずゐき)の感涙(かんるゐ)は到底こぼれない、今少し何(ど)うにか描(か)かれて欲(ほ)しかつた、サアサア次の送葬でも評(ひやう)しやう@秋野曰く、女の作品(さくひん)としては此辺(このへん)が極点(きよくてん)でせう、夫(おつと)のロドルフよりは確(たしか)に善い@△北蓮蔵氏の筆。葬式の図、兎に角思切つたものを描かれた、御幣担(ごへいかつぎ)は好(い)い顔はすまいが見渡すところ一律(りつ)の天景画(てんけいぐわ)をのみ排列(はいれつ)したこの会場では着眼(ちやくがん)に於て優(いう)に他の凡作(ぼんさく)を陵(しの)いで居る、この人はわが洋画界(やうぐわかい)で鬼門退治(きもんたいぢ)の第(だい)一鞭(べん)をつけられたのだ、しかし之を完全(くわんぜん)に仕上(しあ)げるには猶(な)ほ幾多苦心(いくたくしん)の程(ほど)も想(おも)ひやられる、霜枯(しもがれ)の野径(のみち)を棺(くわん)に添ふて行く遺族(ゐぞく)、友の死(し)を悼(いた)む親近(しんきん)の失意(しつい)、総(すべ)て囲繞(ゐぜう)する四辺(あたり)の光景は実(げ)に人の運命(うんめい)の果敢(はかな)きことを囁(さゝや)き、悲哀愁歎(ひあいしうたん)の詩趣縷々流出(ししゆるゝながれい)でしこの間の消息(せうそく)を観者に伝へて居る、茲(ここ)に至りて牡丹に感涙(かんるゐ)を惜(お)しんだ評者も少しく考込(かんがへこ)まざるを得ずだ、だかその描出(べうしゆつ)せる人物を個々別々(こゝべつべつ)にして見ると欠点(けつてん)も亦多い、例(たと)へば導僧(だうそう)の肩(かた)の巾の広(ひろ)きに失(しつ)せるが如き、老人の二の足(あし)の長きに過(す)ぐるが如き、光線の陰処等細筆(いんしよとうさいひつ)の過度なるが如き、尚ほ幾多(いくた)の欠点(けつてん)を見出すことが出来る@斯く評言(ひやうげん)はなすものゝ全体(ぜんたい)の配置(はいち)がかゝる悲哀(ひあい)の図柄(づがら)を好く調和(てうわ)せしめて居る、評者は寧(むし)ろ是非(ぜひ)の弁(べん)を喋々(てふてふ)するよりは先(ま)づ指(ゆび)を如是題目(によぜだいもく)に染(そ)めたこの人の勇気(ゆうき)を賛(さん)し、併せて着色成画(ちやくしよくせいぐわ)の暁を希望(きぼう)して止まないのだ@秋野曰く、全然同説(ぜんぜんどうせつ)です、私の考(かんがへ)を能く盡(つく)してあるからモウ何(なに)も言ひませぬが、併し前会(ぜんくわい)の魚売の手際(てぎは)では仕上(しあ)げの後が案(あん)じられる、寧(むし)ろこの侭で観(み)て居る方(はう)が善(よ)いかも知れぬ@△中丸精十郎氏の筆。景色画、この人は無理(むり)に豪放(がうはう)を気取(きど)つた気見合が歴々画面(ありありぐわめん)に見えるが腕(うで)が意(こゝろ)に応じて居ない、樹立(こだち)より見越(みこ)す遠景夕栄(ゑんけいゆふばへ)の工合、色に変化(へんくわ)をあらはし得ない、趣致(しゆち)に至つては更に皆無(かいむ)、まだまだ次第順序(しだいじゆんじよ)を追ふて研究(けんきう)の首途(かどで)にある筆者(ひつしや)だ@△菊池鋳太郎氏の筆。いづれも粗末(そまつ)千萬の没趣味画(ぼつしゆみぐわ)で硝子絵(ぴいどろゑ)に近い、画としては価値(かち)も見えぬ、誠に御器用(ごきよう)の人だと申しておかう@△白瀧幾之助氏の筆。浅洲負児の図、沼田の夕照、曳舟等三四面見られる、大物の樵夫道傍に憩ふの図に至つては甚だ不妙(ふめう)だ、評者はこの画を見て何の感覚(かんかく)も起(おこ)さぬのみか厭気(いやき)を生(しやう)ずる、却つて昨冬出品(さくとうしゆつぴん)された化粧、稽古の方が遥(はるか)に好(い)い、言へば種々言草(しゆじゆいひぐさ)も出てくるが夫れ程評言(ひやうげん)を費(つひ)やすものではない、あの脛(すね)の蚊細(かほそ)くつてのつぺりした工合、負薪(ふしん)は慣(な)れぬ荒業(あらわざ)で休息(きうそく)して居るのは筆者と画と前(まへ)から約束(やくそく)づくに成立(なりた)つたのかと思(おも)はれる、次(つぎ)は黒田清輝氏の昔語だ

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