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所蔵目録5画像所蔵目録5画像 『東京文化財研究所蔵書目録5 (上)和雑誌 目録編』
『東京文化財研究所蔵書目録5 (下)和雑誌 索引編』

   2004年12月末日現在(2005年3月31日発行)
1. 刊行にあたって   鈴木 規夫
2. 序  青木 茂
3. 口絵
1. 刊行にあたって

 東京文化財研究所では、所蔵図書資料や展覧会情報などのデータベースを外部公開するとともに、独立行政法人における研究プロジェクトの一環として、毎年、蔵書目録を作成いたしております。このたび刊行いたします『東京文化財研究所蔵書目録5(上) 和雑誌 目録編』、『東京文化財研究所蔵書目録5(下) 和雑誌 索引編』は、同第一編『西洋美術関係 欧文編・和文編』(2002年3月)、同第二編『日本東洋近現代美術関係』(2003年3月)、同第三編『日本東洋古美術関係 和文編』(2004年3月) 、同第四編『日本東洋古美術関係 欧文編』(2004年6月)につづく第五編にあたります。
 昭和5年(1930)、当所の前身である帝国美術院附属美術研究所が設立され、その後昭和27年(1952)には東京国立文化財研究所となり、さらに平成13年(2001) には独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所となり、本年まで75年の歴史を有しております。この間、努めてまいりました文化財に関する調査研究と関係する資料の収集成果は現在、文化財に関する資料群として国内でも有数な質量となりました。これを広く活用していただくため、当所では、平成14年(2002)より一般公開施設となった情報調整室資料閲覧室で、利用者に提供いたしております。
 所蔵雑誌は、昭和5年の設立当初にまとめて購入した明治、大正期刊行の美術雑誌を核とし、現在約3,000種9万冊となっておりますが、そのほとんどを寄贈が占めており、蔵書の形成にご尽力いただいた多くの機関や関係者の方々に、深甚の謝意を表します。
 本編は、所蔵雑誌のうち、情報調整室が管理する和雑誌を収録いたしました。来年度には、所蔵展覧会カタログ目録を刊行する予定です。広く文化財に関する資料検索の補助となり、あわせて当研究所の所蔵する資料の有効利用に役立つことを願っております。これからも文化財に関する資料の収集に努め、蔵書の充実を図り、広汎な利用に供してまいる所存です。皆様のご理解、ご支援をいただけましたら幸いです。

 東京文化財研究所所長
鈴木 規夫
2. 序

 東京文化財研究所(以下、研究所とする)の蔵書目録第五編として和雑誌編が刊行されるのはうれしい限りである。あまりにも厚冊になるため目録と索引の二冊になるが、約2,500種のタイトルを見るだけで私などはさまざまな思いが湧く。そのうち約100種の重要な、または珍しい雑誌(定期刊行物)の創刊号は発行順にカラーの口絵になっている。なつかしいものもあり、手を触れた記憶もないのも多い。これを眺めていると表紙だけでも時代相が刻印されているではないか。手に執れば内容はなおさらである。毎月読まれ、多くは結局捨てられる雑誌は、表紙から目次のカット、グラヴィアからコロタイプあるいは三色版や多色石版の図版ページ、本文とその挿図、紙質を落とした広告まで、どのページからも編集者と作家たちを包む時代のにおいが立ちのぼるものである。雑誌に発表された論文や随筆はのちに単行本化されることがあり、それはそれで便利でもあるが、初出誌を見ればそのエッセイが発表された日の学界美術界の興味の中心課題や平均的水準を計ることができ、広告からは時として美術界一般の人たちの日常生活まで想像されてくることがある。
 文献目録で見た古い美術雑誌を研究所の情報調整室資料閲覧室(以下、私は研究所の図書室とする)で書庫から出してもらって読んでいて、目的の文章のすぐ近くに多年にわたって気に掛けていた作家に関する言動の一端が書かれたりしているのを発見することがある。展覧会評や消息欄に思いがけずひと昔前の作家名が出ていることがある。活字のポイントを落とした彙報欄のわずかな情報でそれまでに集めた資料が生き生きと組み立てられることがある。そしてはじめて過去のある年の時代相やその日の作家の思いのたけが、我が身に近々と感じられるようになる。ここに古い雑誌を繰るうれしさがある。

 ここに収録された和雑誌のタイトルは2,445種、71,893冊であるという。この膨大な雑誌類の根幹は美術研究所の設立時にまとめて購入されたものと、昭和7年以来の明治大正美術史編纂事業費によるものである。この事業とは朝日新聞社による『明治大正名作展覧会』(昭和2年、東京府美術館)の利益金25,000円を基金としたものであった。近・現代美術史の研究を射程内におくという先進的画期的な目的で始められたわけで、質・量ともに他に類を見ない基礎資料が数年間にわたって収集されたのである。
 5年間の経済的援助が終了したのちの収集はほとんど寄贈図書によっていることは驚くべきことである。これは官民一体になって帝国美術院の附属美術研究所が設立され、基金の申し出があり、昭和7年からは機関研究誌『美術研究』が、11年からは『日本美術年鑑』が刊行されて、収集された資料が研究発表に反映されていることが呼び水になり、研究所員の収集の努力が重なった結果である。研究所への期待も大きかったのである。

 研究所の図書室では雑誌類のうち、復刻版のあるものやマイクロ化されているものは、それを見てもらうことになっている。簡便でもあり原資料を損なうおそれがないためである。現在では相当に多数の雑誌が復刻されマイクロ化されていて、近代美術史研究に大きな利便を与えているが、この撮影にも研究所の蔵書が多く使用されているのは衆知のところである。復刻されていない古い資料も閲覧することができる。もちろんコピーについては或る程度の制限も致し方ないだろう。資料を長く後の世に残すことも研究所の使命なのである。
 論文集などに収録されていない多種多量の論文は、当時の姿のままで古い雑誌の中に生き続けており、ある時代の美術を調査する者、ある地域の美術を研究する者、いうならばまだ見ぬ友を求め続けている。この目録によってそのような友に出会ってほしい。

  昭和40年代であろうか、私は勤め先が近いところから隈元謙次郎先生のお近付きを得ていた、といっても私は研究者の端くれになろうともなりたいとも思ってはいなかったので、近いようで遠い気楽な付合いであった。ご自宅へ伺って学者と清貧は裏表(うらおもて)なんだと思って質素な酒宴を楽しんだものだった。すでに精緻で実証的な『近代日本美術の研究』を読んでいて、質問したい二、三はあったが分に過ぎたこととして遠慮したものである。隈元先生がその論を立てられた資料は研究所の閲覧室のどこかにある筈だから、いつの日にか私自身もそれを手に取ってみればよいのだと思ったからである。隈元先生は高橋由一がワーグマンに入門したのは慶応2年8月3日だとしておられる、不勉強な私はまだその資料に到達していない。近頃流行の情報センターとやらでコンピューターをたたいて8月3日という日付けを見たとしても私は信用しない、誰かが手書したもの、活字にしたものの原本を手で触れて真偽を確かめたい。それには古い雑誌を時間の許すかぎり手にとって、書いた人の思いをわが思いとする他に手段はない。

  私は長い間、といっても途切れ途切れに研究所の図書室を利用してきただけの人間であるが、この度、この蔵書目録に一文を書けといわれた。その職でも任でもないが、恐縮しながら一面うれしくも思って、公的な出版物に私観ばかりを綴った。古い美術雑誌が好きだというだけの人間だと思って寛恕されたい。

(文星芸術大学教授 町田市立国際版画美術館館長  青木 茂)

(編者注:青木茂氏はゆまに書房より刊行された美術雑誌の復刻「近代美術雑誌叢書」シリーズを監修された。)
 

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