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所蔵目録2画像 『東京文化財研究所蔵書目録2 日本東洋近現代美術関係』
   2002年3月31日現在(2003年3月31日発行)
1. 刊行にあたって  渡邊明義
2. 序  塩谷純
3. 蔵書形成に寄与した方々
4. 口絵
1. 刊行にあたって

東京文化財研究所では、独立行政法人化にともなう研究プロジェクトの一環として、平成13年度より、所蔵図書資料のデータベースを外部公開するとともに、逐次、図書資料の所蔵目録を作成いたしております。今回の「東京文化財研究所蔵書目録 2 日本東洋近現代美術関係」は、 昨年度の「西洋美術関係 欧文編・和文編」につづく第二編として編集されたものです。
東京文化財研究所は、美術奨励事業を遂行する目的で黒田清輝画伯が託された遺産をもとに、昭和5年(1930)、帝国美術院附属美術研究所として発足し、「美術ニ関する基礎的調査機関」として、 美術・文化財の調査研究とともに関連する資料の収集を重要な業務としてまいりました。とりわけ、開設当初から朝日新聞社の支援をうけて明治大正美術史編纂事業を遂行し、昭和11年(1936)からは美術年鑑の出版を継続するなど、古美術にとどまらず近現代美術をも研究対象としてきたことが大きな特色となっています。
これらの事業は、現在、美術部黒田記念近代現代美術研究室に継承されていますが、今回、目録化された図書資料は、長年にわたる美術部の近現代美術研究と密接に連携するものです。近年では、笹木繁男氏の御寄贈によって、戦後の現代美術に関する図書資料も充実し、明治期から今日までの様々な美術活動を網羅できるようにもなりました。
次年度からは、日本東洋古美術関係図書目録や展覧会カタログ目録、和雑誌目録等を順次刊行していく予定です。ひろく文化財に関する資料検索の補助となり、あわせて当研究所の資料の有効利用に役立つことを願っております。今後とも文化財に関する資料の充実に努め、蔵書の充実を図り、広汎な利用に供したいと存じております。皆様のご支援をいただけましたら幸いです。

 東京文化財研究所所長
渡邊明義
2. 序

明治大正美術史編纂事業について

その数10万件にもおよぶ東京文化財研究所の蔵書は、開設より70年以上を経た研究所の、さまざまな営みの中で漸次蓄積されたものである。とりわけ本目録が収録する日本東洋近現代美術関係の単行図書については、昭和戦前期に進められた明治大正美術史編纂事業によって、その核となる部分が形成されたといってよいだろう。
この事業の契機となったのは、昭和2(1927)年6月に東京府美術館で開催された「明治大正名作展覧会」である。東京朝日新聞社の主催による同展は明治大正期の日本画・洋画・彫刻の代表作計460点を集めた展観で、今日のような近代美術館も無く、展覧会といえば帝展や各美術団体展といった新作の発表が主流だった当時としては、画期的な催しであった。新聞社というマスメディアの先導もあり、会場は連日盛況で総入場者数は17万8千余人を記録、多くの人々に日本の近代美術というものをあらためて認知させることになったのである。
明治大正美術史編纂事業は、この「明治大正名作展覧会」の利益金二万五千円を資金として成り立ったものである。昭和7年4月、朝日新聞社は展覧会の成功を恒久化して日本の美術界に貢献すべく、帝国美術院に利益金の寄附を申し出る。これを受けて帝国美術院は明治大正美術史編纂委員会を設置、委員長に正木直彦氏、委員に帝国美術院会員結城素明、和田英作、高村光雲、香取秀真の諸氏、帝国美術院幹事矢代幸雄、朝日新聞副社長下村宏(海南)の両氏を定め、実行に着手するに至った。
事業の実務は、当時帝国美術院の附属機関であった美術研究所(東京文化財研究所の前身)に委ねられることになる。具体的には明治大正美術史に関する基礎資料を蒐集整理し、その研究に資することを目的とした。昭和5年に開所した美術研究所は、すでに中川忠順氏の東洋古美術に関する蔵書を購入し、また研究発表の場として定期刊行物『美術研究』を創刊するなど研究機関としての確かな歩みを始めていた。しかし日本の近代美術については、先に研究所設立の経緯から黒田清輝記念室を設けていたものの、この明治大正美術史編纂事業をもって本格的な研究に乗り出すことになったといえるだろう。そしてそれは「明治大正名作展覧会」以降の一連の動きの中で、未だ身近な存在であった日本の近代美術を歴史的に研究対象として切り拓くという、美術史学史上、画期的な役割を担うことでもあったのである。
資金は五年継続で毎年五千円ずつ受け入れられ、それをもとに展覧会の図録、作家の評伝や作品集、美術雑誌の類が蒐集された。その多くは口絵に掲げた太平洋画会展覧会カタログや岸田劉生による『劉生図案画集』等、各団体・作家にとってリアルタイムの資料であり、今日では入手はおろか、他では閲覧もままならないものも相当数含まれている。さらに明記すべきは、それらの蒐集された資料が所員の研究に着実に還元されたことであろう。事業の開始とともに正式に研究所へ勤務することとなった隈元謙次郎氏は、蒐集された資料をもとに日本近代洋画に関する論考を『美術研究』に次々と発表する。一例をあげるなら、同誌79号(昭和13年7月刊)に掲載した「川上冬崖と洋風画」では、数々の作品にくわえて、安政4年にデフォーの『ロビンソン・クルーソー』を邦訳、冬崖が口絵を担当した『魯敏遜漂行紀略』や、明治4年(後編は8年)に刊行され西洋画指導書の嚆矢となる『西画指南』といった、事業で蒐集された冬崖にまつわる資料(本目録口絵参照)が紹介されており、事業が資料集めに止まることなく個々の研究に発展していった一端がうかがえる。隈元氏はのちにそれらの諸論考を集成した『近代日本美術の研究』を上梓する(昭和39年)が、その序文のなかで同事業についてふれ「私も最初からその恩恵を蒙った一人」であり「本書を世に送ることの出来たのもその為」であると記している。
本目録には隈元氏をはじめとして、明治大正美術史編纂事業に関わった人々の寄贈による図書も含まれている。編纂委員長の正木直彦氏、編纂委員で研究所の所長も務めた和田英作、矢代幸雄の両氏といった面々によるもので、その中には、奈良・京都を戦災より救ったことで知られるアメリカの東洋美術史家ラングドン・ウォーナー氏より矢代氏へ送られた蜷川式胤編『観古図説』(明治9~10年刊)や、黒田清輝もしくはその周辺で制作されたスクラップブック(本目録口絵参照)など稀少な経緯をもつ資料が含まれている。事業の意義をよく知る人々の厚志によって、研究所の有する日本近代美術資料は一層豊かさを増していったのである。
朝日新聞社からの経済的支援が終了した後も、研究所における日本近代美術の研究は主体的に進められ、今日にまで至っている。資料蒐集も継続して行われ、平成5(1993)年には戦後の研究所で主に明治以降の彫塑史の研究にあたった中村傳三郎氏の蔵書も寄せられている。記憶に新しいところでは、平成14年に笹木繁男氏主宰の現代美術資料センターから寄贈された膨大な資料が挙げられよう。"明治大正"という時代名称を冠する事業に端を発した日本近代美術の研究活動ではあるが、昭和10年より併行して行われた『日本美術年鑑』の編纂とあいまって、自ずと同時代の美術もその対象として逐次取り込んでいくことになる。しかしながら戦前戦後とスパンが拡大し、なおかつ美術のあり方も多岐にわたっていくにつれ、蒐集に目の行き届かない点がみられたことは否めない。戦争画や現代美術の資料蒐集に長年努めてこられた笹木氏からの寄贈はその欠を十全に補ってくれるものであり、それはまた自らの身近な過去と切り結びながら歴史を編もうとする明治大正美術史編纂事業発足当初のスタンスを再認識させてくれるものであったといえよう。日本における近現代美術史研究と歩みをともにしてきたといっても過言ではない東京文化財研究所の資料蒐集が、今後も美術の現場や研究者とのフィードバックを繰り返しつつ血の通ったものであり続けるべく、本目録がその一助となれば幸いである。

(情報調整室 塩谷 純)

【明治大正美術史編纂事業についての参考文献】
* 「内外彙報 明治大正美術史編纂事業の成立」 『美術研究』8号 昭和7年8月
* 河北倫明「隈元さんを偲ぶ」 『現代の眼』280号 昭和53年3月
* 田中淳「「近代日本美術」史の成立を考えるためのノート 「名作」という評価と「移植」という言葉」 『日本における美術史学の成立と展開』(平成9~12年度科学研究費補助金基盤研究(A)(2)研究成果報告書) 平成13年3月

 

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