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白馬会関係新聞記事 第13回白馬会展

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白馬会を評す
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| 木下杢太郎 | 読売新聞 | 1910(明治43)/05/29 | 7頁 | 展評 |
◎例(れい)に拠(よ)つて、色彩観相(しきさいくわんさう)、筆技(ひつぎ)、時代(じだい)の要求(えうきう)、及(およ)びそれを解(かい)する力(ちから)、感興(かんきやう)を絵画(くわいぐわ)に換算(かんさん)し発表(はつぺう)する能力等(のうりよくとう)を以(もつ)て、今仮(いまかり)に絵画批評(くわいぐわひゝやう)の標準(へうじゆん)とする。上述(じやうじゆつ)の諸点(しよてん)に於(おい)て白馬会(はくばくわい)の絵画(くわいぐわ)は実(じつ)は驚(おどろ)く可(べ)き統(とう)一を保(たも)つてゐる。恰(あたか)も古(ふる)き曼荼羅(まんだら)の恒河沙(かうがしや)の諸仏(しよぶつ)が中心仏像(ちうしんぶつぞう)を囲(かこ)むやうに、若(わか)き同会(どうくわい)の諸氏(しよし)は幹部(かんぶ)の趣味技巧(しゆみぎこう)を学(まな)んで居(ゐ)る。小(ちひ)さい板片(いたつぺら)は落款(らくゝわん)が無(な)いと同(おな)じ人(ひと)のかと思(おも)ふ事(こと)がある。@◎第一室より始(はじ)める。此(こゝ)では正宗氏の「落椿(おちつばき)」が其大膽(そのだいたん)なる点彩画派(ぽえんちりすと)の技巧(ぎこう)で以(もつ)て人(ひと)の注意(ちうい)を促(うなが)す。其点(そのてん)は堅(かた)い金属的(きんぞくてき)の季指大(こゆびだい)の筆触(つうしゆ)(Touche、Pinseltupfen)である。之(こ)れはセエラア、シニヤツク等(とう)の新印象派(ねおあんぷれつしよにすと)が好(この)んで用(もち)ゐた相(さう)であるが、予(よ)は見(み)た事(こと)が無(な)いからわからぬ。若(も)しもセエラアが遵奉(じゆんぽう)したシエヴレエルの説(せつ)が真(しん)であつて、強(つよ)い光(ひかり)の効果(えふえくと)は原色(げんしよく)の補色的並列(ほしよくてきへいれつ)に拠(よ)らねば出(で)ないと云(い)うた所(ところ)で、此場合(このばあひ)、かの色点(しきてん)はその原始的(げんしてき)の権利(けんり)を抛棄(はうき)して居(を)ると云(い)はねばならぬ。何者(なんとなれば)かの点(てん)は、その個々(こゝ)に於(おい)て顔料固有(がんれうこいう)の美(び)を當然主張(たうぜんしゆちやう)して居(を)るに拘(かゝは)らず、相集(あひあつま)つて彼(か)の琅▲洞主人(ろうかんどうしゆじん)の所謂(いはゆる)「色彩(しきさい)と光線(くわうせん)との研究(けんきう)に最(もつと)も特色(とくしよく)を有(いう)する」と云(い)ふその光線(くわうせん)の効果(かうくわ)を作(つく)るには役立(やくた)つて居(い)ないからである。氏(し)の諸画(しよぐわ)は(昨今琅▲洞(さくこんろうかんどう)に陳列(ちんれつ)せられてあるが)何(いづ)れも冷(つめた)い印象(いんしやう)を呈(てい)して居(を)る。(日傘(ひがさ)を翳(かざ)せる女(をんな)の絵(ゑ)でさへも。)即(すなは)ち元来冷(ぐわんらいつめた)い筈(はず)の金属性(きんぞくせい)の西洋顔料(せいやうがんれう)が、余(あま)りに自己(じこ)の固有(こいう)の権利(けんり)を主張(しゆちやう)し過(す)ぎたといふ証拠(しようこ)であると思(おも)ふ。@◎第二室。此(こ)の七十八枚(まい)を六七行(ぎやう)に批評(ひゝやう)し盡(つく)すと云(い)ふことは阿刺比亜夜話(あらびやんないつ)の奇跡(きせき)を俟(ま)たねばならぬ。就中(なかんづく)深谷氏の「高原(かうげん)」と題(だい)する者(もの)は特(とく)に予(よ)が注意(ちうい)を惹(ひ)いた。色彩(しきさい)、運筆(うんぴつ)の技巧(ぎこう)は遺憾(ゐかん)ながら未熟(みじゆく)だと云(い)はねばならぬ。それにも拘(かゝ)はらず、予(よ)にはやや親しい感(あんちいなむかん)じを与(あた)へた。予(よ)は目(め)の前(まへ)に、日當(ひあた)りよき相模辺(さがみへん)の原(はら)をまざまざと見(み)るやうな気(き)になつたのである。多(おほ)くの人(ひと)が自己(じこ)の「主観(しゆくわん)」を提(ひつさ)げて、殊更(ことさら)に変(かはつ)た色(いろ)のスカラ、スカラと求(もと)めて徹底(てつてい)してゐない時(とき)に、氏(し)の手練(てれん)なき素朴(そぼく)な技術(ぎじゆつ)が却(かへ)つて、正直(しやうぢき)に自然(しぜん)を模倣(もほう)した所(ところ)に或(ある)一種(しゆ)のイリウジヨンを捕(とら)へ得(え)たのであらう。予(よ)はもとより此絵(このゑ)は拙画(せつぐわ)であると思(おも)ふ。同時(どうじ)に日本(にほん)のかくの如(ごと)き自然(しぜん)も當然絵画(たうぜんくわいぐわ)の侵略(しんりやく)を受(うけ)ねばならぬ者(もの)と信(しん)ずるのである中野氏の「砂浜(さひん)」は気(き)が利(き)いて居(ゐ)るけれど、之(こ)れも亦近頃(またちかごろ)の流行語(りうかうご)の所謂(いはゆる)「徹底(てつてい)」しない作品(さくひん)である。斎藤知雄氏の「寂(さび)しき秋(あき)」は調子(てうし)は良(い)いが不安(ふあん)な感(かんじ)を与(あた)へる。熊谷氏の「轢死(れきし)」は、名(な)だけ聞(き)いて目録(もくろく)を見(み)なかつた内(うち)は「歴史(れきし)」といふ観念(くわんねん)を表象(へうしやう)したものかと思(おも)つた。それで今目録(いまもくろく)を見(み)て轢死(れきし)だと知(し)るに至(いた)つて、予(よ)の意識統(いしきとう)一は傷(いた)ましい動揺(どうえう)を感(かん)じた。轢死(れきし)!如何(いか)に近世的(きんせいてき)の世相(せさう)なるかよ。而(しか)して如何(いか)に此(こゝ)に抽象的(ちうしやうてき)に、時代超絶的(じだいてうぜつてき)に、而(しか)して文学的象徴的(ぶんがくてきちようしやうてき)に扱(あつか)はれて居(を)るかよ。斎藤五百枝氏の「うぶけの児(こ)」。フレツシユな色彩(しきさい)、荒彦(あらひこ)の鉋(かんな)の音(おと)のやうなさわさわした気持(きもち)の良(よ)い筆(ふで)の滑(すべ)り。@◎第三室。九十八枚(まい)。余(あま)りに多(おほ)く、余(あま)りに小(ちひ)さい。何(いづ)れも其大家然(そのたいかぜん)と気取(きど)つた、気(き)が利(き)いた色彩(しきさい)やコンポジシヨンに依(よつ)て大(おほい)に禮(れい)に閑(ならは)ざる予(よ)の反感(はんかん)を促(うなが)した。気(き)が利(き)いたのも可(よ)いけれども気(き)が利(き)かないのも可(い)い。かう云(い)ふと予(よ)の情調(じやうてう)が道徳的(だうとくてき)だと云(い)ふかもしれないが、予(よ)は実際(じつさい)「一生懸命(しやうけんめい)」(殊(こと)に若(わか)い人(ひと)の)の崇拜者(そうはいしや)だと云(い)ふ事(こと)を白状(はくじやう)せねばならぬ。若(わか)き人達(ひとたち)が片々(へんへん)たるスケツチを世(よ)に示(しめ)すと云(い)ふ余裕綽々(よゆうしやくしやく)たる態度(たいど)は予(よ)の崇(たつと)ばぬ所(ところ)である。@◎第四室。南氏(し)の諸水彩画(しよすゐさいぐわ)、評(ひやう)なし。黒田氏(し)のパステル諸作(しよさく)。さてかう云(い)ふ者(もの)は如何(いか)に評(ひやう)して良(よ)いか分(わか)らぬ、氏(し)としては余(あま)りに當然(あたりまへ)の事(こと)である。その「婦人(ふじん)の肖像(せうざう)」には、技術(ぎじゆつ)とは別(べつ)の事(こと)であるが、昔(むかし)の「小督(こがう)」に用(もち)ゐられたモデルの素描(でつさん)の首(くび)や、湖畔(こはん)の女(をんな)の顔等(かほとう)にあらはれたる氏(し)の気稟(きひん)、趣味等(しゆみとう)を再(ふたゝ)び見(み)る愉快(ゆくわい)を味(あじ)はう事(こと)が出来(でき)る。殊(こと)に前者(ぜんしや)の素描(でつさん)の方(はう)は世(よ)に未(ま)だ公(おほやけ)にせられないのであるが、煙草(たばこ)を持(も)つて跼(とば)んでゐる女(をんな)の顔(かほ)は未(ま)だ予(よ)の瞳底(どうてい)に残(のこ)つて居(を)る。多分(たぶん)かの素描(でつさん)は氏(し)が永(なが)い西洋留学(せいやうりうがく)から帰(かへ)つて、其新鮮(そのしんせん)な感情(かんじやう)を以(もつ)て日本(にほん)の人(ひと)と自然(しぜん)を見(み)た時(とき)の好紀念(かうきねん)であらう。予(よ)はこの春京都(はるきようと)へ行(い)つて子細(しさい)にそこの自然(しぜん)と人(ひと)とを観察(くわんさつ)したが、「小督物語(こがうものがたり)」に現(あら)はれたやうな人(ひと)と自然(しぜん)とのやうにあの土地(とち)が再(ふたゝ)び後人(こうじん)によつて解釈(かいしやく)されると云(い)ふ事(こと)はあるまいと思(おも)つた。或(あるひ)はあれらを西洋臭味(せいやうしうみ)が強過(つよす)ぎると云(い)ふかも知(し)れない。然(しか)しそこが氏(し)に所謂(いはゆる)「整復(せいふく)の音(おん)の感味(かんみ)」を与(あた)へた所(ところ)だつたに相違(さうゐ)ない。上述(じやうじゆつ)のパステルの女(をんな)の顔(かほ)が一寸西洋人的(ちよつとせいやうじんてき)に見(み)えたからこんな聯想(れんさう)が起(おこ)つた。岡田氏の画稿(ぐわかう)「女(をんな)のあたま」は実(じつ)にデリケエトな色(いろ)の諧調(かいてう)である。その少(すこ)し脂(あぶら)つこい、柔(やはらか)い筆触(つうしゆ)の味(あぢはひ)も亦(また)よく氏(し)の気稟(きひん)に適応(てきおう)して居(を)る。@◎第五室。湯浅氏の水彩画(すゐさいぐわ)の諸作(しよさく)は、その画(ゑが)かれたる地方(ちほう)には少(すこ)しも智識(ちしき)を持(も)つて居(ゐ)ないが、一見日差(けんひさ)しの如何(いか)に黄(きい)ろい所(ところ)であるかが気付(きづ)かれる。ロカリテイの興味(きようみ)より外(ほか)には予(よ)の心(こゝろ)を動(うご)かさなかつた。若(も)し夫(そ)れ氏(し)の油絵(あぶらゑ)に至(いた)つては、予(よ)は、氏(し)が自家(じか)の語(かた)らむと欲(ほつ)する所(ところ)を発表(はつぺう)するに十分(ぶん)の達弁(たつべん)を有(いう)して居(を)ると云(い)ふ事(こと)を識認(しきにん)する一人(にん)である。而(しか)して、観客(くわんかく)も亦氏(またし)の技術(ぎじゆつ)を通(とほ)して、善(よ)く氏(し)の語(かた)る所(ところ)を解(かい)する事(こと)が出来(でき)るのである。故(ゆゑ)に亦氏(またし)の絵(ゑ)を解(かい)する事(こと)は比較的容易(ひかくてきようい)であるとも云(い)へる予(よ)には二九一号(がう)の「公園(こうゑん)」と云(い)ふのが殊(こと)に気(き)に入(い)つた。予(よ)は不幸(ふこう)にして欧洲名家(おうしうめいか)の絵(ゑ)を目睹(もくと)した事(こと)が無(な)いから「一般的(はんてき)」として云(い)ふ事(こと)は出来(でき)ないが、予(よ)の考(かんが)ふる如(ごと)くんば氏(し)の色彩(しきさい)はあまり綺麗(きれい)では無(な)い。筆触(つうしゆ)にもあまり込(こ)み入(い)つた手管(てくだ)が無(な)い、むしろ淡白(たんぱく)な単純(たんじゆん)な技巧(ぎこう)である。予等(よら)は唯比較的氏(たゞひかくてきし)の興味(きようみ)を惹(ひ)いてゐるらしい市街生活(しがいせいくわつ)の画題(ぐわだい)を更(さら)に予等(よら)の本国(ほんごく)に於(おい)て見出(みいだ)して貰(もら)ひたいといふ事(こと)を望(のぞ)ましく思(おも)ふのである。中沢氏の諸作(しよさく)は予(よ)に多(おほ)くの考究(かうきう)を促(うなが)す。氏(し)の絵(ゑ)はその感情(かんじやう)に於(おい)て一つの主調(しゆてう)を中心(ちうしん)として居(を)るのは明白(めいはく)であるが、その現(あら)はれ方(かた)や、技巧(ぎこう)や、取材(しゆざい)の方面(はうめん)に極(きは)めて変化(へんくわ)の多(おほ)い事(こと)が、どうも氏(し)の内心(ないしん)の動揺(どうえう)を語(かた)つて居(を)るのでは無(な)いかと推量(すいりやう)せられて不安心(ふあんしん)である。加之予(しかのみならずよ)は氏(し)の筆触其他(つうしゆそのた)の技巧(ぎこう)すらも時々変轉(ときどきへんてん)するやうに思(おも)ふ。彼(か)の殆(ほと)んど原色(げんしよく)に近(ちか)い色彩(しきさい)の細(こま)やかな配整(はいせい)から光学的効果(くわうがくてきかうくわ)を得(え)ようと力(つと)めた「おもひで」と、譬(たとへ)ば今度(こんど)の「築墻(ちくせう)」「湯(ゆ)ケ島(しま)」等(とう)とが同(おな)じ作者(さくしや)から出(で)たと云(い)ふ事(こと)は疑(うたがは)れる程(ほど)である。氏(し)も亦(また)「情調(じやうてう)の人(ひと)」と云(い)はねばならぬ。第(だい)四室(しつ)の批評(ひゝやう)の時(とき)に言(い)ひ忘(わす)れたが、かの「温泉(をんせん)スケツチ」「婦人(ふじん)」「舞子(まひこ)」等(とう)に於(おい)て純色彩派的(じゆんしきさいはてき)に快活(くわいくわつ)にあらはれた氏(し)の気稟(きひん)は、その用(もち)ゐられたる顔料(がんれう)の相違(そうゐ)に適応(てきおう)して、たとへば此(この)「築墻(ちくしやう)」に於(おい)て著(いちゞる)しく暗(くら)く、重(おも)く、憂鬱(いうゝつ)に現(あら)はれて居(ゐ)る。然(しか)し其矛盾(そのむじゆん)を除(のぞ)けば「築墻(ちくしやう)」は十分明瞭(ぶんめいりやう)に情調(じやうてう)の現(あら)はれた好画(かうぐわ)である。予(よ)はそれよりも灰緑(くわいりよく)の柔(やわら)かい調子(てうし)の「奈良(なら)」の絵(ゑ)を高(たか)く評価(ひやうか)せむと欲(ほつ)する者(もの)である。次(つぎ)に予(よ)は跡見氏が、凡(すべ)ての自然(しぜん)と皆(みな)一様(やう)に、氏(し)一流(りう)の情調(じやうてう)に化(くわ)し去(さ)る態度(たいど)に対(たい)して余(あま)り快感(くわいかん)を抱(いだ)いて居(ゐ)ないと云(い)ふ事(こと)を告白(こくはく)しよう。また岡野氏(し)の富士(ふじ)の諸作(しよさく)は唯一寸綺麗(たゞちよつときれい)だといふ以上(いじやう)には感(かん)じなかつた。山本氏(し)の「朝凪(あさなぎ)」「漁火(ぎよくわ)」の二枚(まい)の大幅(だいふく)に就(つい)ては去年(きよねん)の春(はる)二六新聞(しんぶん)で評(ひやう)した事(こと)があるから今(いま)は云(い)はぬ。唯(たゞ)、スケツチ板位(ばんぐらゐ)に適(てき)する叙情詩的(ぢよじやうしてき)の景色(けいしよく)を、それに釣(つ)り合(あ)はぬ大幅(だいふく)にした無効(むかう)の努力(どりよく)を惜(お)しむと云(い)ふ事丈(ことだけ)を繰(く)り返(かへ)して置(お)かう。其他(そのた)小林氏(し)、矢崎氏(し)、長原氏(し)の諸作(しよさく)は、予(よ)は余(あま)り感心(かんしん)しなかつた。@◎同(おな)じ室(しつ)の内(うち)に黒田氏(し)の油絵(あぶらゑ)の小品(せうひん)がある。その内(うち)から予(よ)の尤(もつと)も好(この)む「雪庭(せつてい)の夕映(ゆふばえ)」と「庭前(ていぜん)の雪(ゆき)」を取(と)つて仔細(しさい)に観察(くわんさつ)して見(み)る。是等(これら)に氏(し)の常用(じやうよう)する筆触(つうしゆ)の一部(ぶ)は尤(もつと)も代表的(だいへうてき)に現(あら)はれて居(ゐ)る。軽(かる)い、柔(やはらか)い、一見無頓着(けんむとんぢやく)のやうな筆触(つうしゆ)である。或(あるひ)は筆(ふで)を立(た)てゝ軽(かる)くぽんぽんぽんぽんと打(う)つたやうなのがある。それは「春(はる)の草原(くさはら)」などに著(いちゞる)しく見(み)られる。木(き)の枝(えだ)などは実(じつ)に無雑作(むざうさ)に引(ひ)いた線(せん)である。杉(すぎ)の葉(は)の緑(みどり)は筆(ふで)に余(あま)つた絵(ゑ)の具(ぐ)をそつとなすり乍(なが)ら置(お)いて行(い)つた痕(あと)である。かういふ近頃(ちかごろ)のは昔(むかしの)の粗(あら)い運筆(うんぴつ)とは大分違(だいぶちが)ふやうである。兎(と)に角線(かくせん)や点(てん)、一般(ぱん)に筆触(つうしゆ)といふものが、色彩(しきさい)にも増(ま)して絵画(くわいぐわ)の効果(かうくわ)に関係(くわんけい)して居(ゐ)ると云(い)ふ事(こと)は争(あらそ)はれない。仏蘭西(ふらんす)の印象派(いんしやうは)は主(おも)にあらいコンマ( Virgule)を用(もち)ひたと云(い)ふ事(こと)だが、それが画題(ぐわだい)、顔料(がんれう)の外(ほか)に彼(かれ)の如(ごと)き効果(かうくわ)を出(いだ)すに与(あづか)つて力(ちから)ありしことは少(すくな)くないだらう。氏(し)の悠々(いういう)たる筆触(つうしゆ)のあとを見(み)ると氏(し)が如何(いか)に芸術(げいじゆつ)の遊戯(いうぎ)三昧(まい)の境(さかひ)に彷徨(はうくわう)してゐるかが伺(うかゞ)はれる。も一つ気付(きづ)くことは氏(し)の画題(ぐわだい)の選(えら)び方(かた)である。如何(いか)にも画家的(ぐわかてき)の無頓着(むとんぢやく)がそれから見(み)られる。蓋(けだ)し「秋(あき)の色草(いろぐさ)」の長唄(ながうた)の曲名(きよくめい)を取(と)つたのも予(よ)の同伴者(どうはんしや)の云(い)ふほど深(ふか)い意味(いみ)のあるのでも無(な)いのだらう。@◎次(つぎ)に同室(どうしつ)の藤島氏(し)の作品(さくひん)に就(つい)て感(かん)じた事(こと)を述(の)べよう。滞欧紀念(たいおうきねん)の諸作(しよさく)は何(いづ)れも皆(みな)よく氏(し)の装飾画家的気稟(さうしよくゞわかてきゝひん)を発揮(はつき)してゐる。故(ゆゑ)に予等(よら)は氏(し)の小画幅(せうぐわふく)の前(まへ)に自然(しぜん)の幻影(いりうじよん)を感得(かんとく)する前(まへ)に画面(ぐわめん)の美(うつく)しさに動(うご)かされる。故(ゆゑ)に観賞者(くわんしやうしや)の感興(かんきよう)は心理的(しんりてき)よりも寧(むし)ろより多(おほ)く生理的(せいりてき)である。たとへば第(だい)三四四号(がう)の如(ごと)きは予等(よら)に橋梁(けうりやう)の穹窿(きうりう)から覗(のぞか)れる彼岸(ひがん)の人家(じんか)の窓(まど)、流(なが)るゝ河(かは)の水(みづ)といふ様(やう)なものはどうでも可(い)いのであつて、粘(ねば)つこいやうで而(しか)もさくさくした、仏蘭西人的(ふらんすじんてき)に軽快(けいくわい)な筆触(つうしゆ)、気持(きもち)のよい色彩(しきさい)、わてけも水(みづ)の―是迄(これまで)の日本人(にほんじん)の絵(ゑ)になかつた―青色(せいしよく)、それらの配調等(あらんじめんとゝう)が此絵(このゑ)の萬事(おーる)であるのである。予(よ)は殊(こと)に第(だい)三五三号(がう)の筆触(つうしゆ)の気持(きもち)のよいといふ事(こと)を紹介(せうかい)せむと欲(ほつ)するものである。@◎もう大分書(だいぶか)き過(す)ぎたから遺憾(ゐかん)ながら第(だい)六室以下(しついか)の作品(さくひん)にはあまり触(ふ)れまいと思(おも)ふ。唯(た)だ此機会(このきくわい)を利用(りよう)して、昨年来世評(さくねんらいせひやう)の高(たか)かつた山脇氏(し)の作品(さくひん)に就(つい)て思(おも)ふ事(こと)を述(の)べよう。其際予(そのさいよ)は氏(し)の崇拝者(すうはいしや)にあまり左袒(さたん)することの出来(でき)ないのを悲(かな)しむのである。殊(こと)に氏(し)の単純(たんじゆん)なる色彩観照(しきさいくわんせう)、顔料(がんれう)の死用(しよう)は予(よ)に反感(はんかん)を起(おこ)させる。唯予(たゞよ)にX(えつきす)として残(のこ)つて居(ゐ)るものは氏(し)の気稟(てんぺらめんと)である。@◎最後(さいご)に予(よ)は唯空名(たゞくうめい)として予等(よら)に伝(つた)はつて居(ゐ)る大才(たいさい)エラスケスを紹介(せうかい)して呉(く)れた湯浅氏(ゆあさし)の努力(どりよく)を感謝(かんしや)してこのつまらない批評(ひゝやう)の筆(ふで)を擱(お)かうと思(おも)ふ。何(いづ)れも氏(し)が滞欧中(たいおうちう)ムゼオ・デル・プラドで模写(もしや)されたものであると見(み)える。メニツプス及(およ)びエゾプスの二人(にん)の哲学者(てつがくしや)は、一人(にん)は内心(ないしん)の微笑(びせう)を包(つゝ)んだ赤(あか)い顔(かほ)で、一人(にん)は無言(むごん)の感傷(かんしやう)の相(さう)を以(もつ)て、一人(にん)は快活(くわいくわつ)なる気象(きしやう)の底(そこ)に無慈悲(むじひ)なる譏誚(きせう)を藏(かく)し、一人(にん)は大(だい)なる智慧(ちゑ)の書籍(しよせき)を手(て)にして憂鬱(いううつ)な倦怠(けんたい)に労(つか)れ乍(なが)ら共(とも)に観者(くわんじや)を見守(みまも)つて居(ゐ)る。予等(よら)は所謂(いはゆる)「エラスケスの黒(くろ)」「エラスケスの灰色(はひいろ)」等(とう)を此模写(このもしや)で紹介(せうかい)せられたのを喜(よろこ)ぶのである。其後(そのご)三八六号(がう)の「織女(しよくぢよ)」の図(づ)では既(すで)に十七世紀(せいき)に扱(あつか)はれた外光的効果(ぐわいくわうてきかうくわ)を驚嘆(きやうたん)し、鮮(あざやか)なる深緑(しんりよく)、明碧(めいへき)、真珠灰色等(しんじゆはひいろとう)の色彩(しきさい)を味(あぢは)ふ事(こと)が出来(でき)る。三九二号(がう)の「官女図(かんぢよづ)」では奔放(ほんはう)な運筆(うんひつ)と巧(たく)みな物質(ぶつしつ)の描写(べうしや)に感心(かんしん)する。尤(もつと)も上述(じやうじゆつ)の評価(ひやうか)は予(よ)の今(いま)の実際(じつさい)の感(かん)じからでなくて、美術史(びじゆつし)の指金(さしがね)であると云(い)ふ事(こと)はかくされない。実際(じつさい)を云(い)ふと、本場(ほんば)へわたらないでエラスケスの崇拝者(すうはいしや)になるなどいふ事(こと)は大(だい)それた話(はなし)である。

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