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白馬会関係新聞記事 第13回白馬会展

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白馬会(はくばくわい)を看(み)る(一)
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| 三角子 | 都新聞 | 1910(明治43)/06/15 | 1頁 | 展評 |
白馬会(はくばくわい)の出品点数(しゆつひんてんすう)六百余(よ)、場所(ばしよ)の都合(つがふ)と出品者(しゆつぴんしや)の多数(たすう)との爲(ため)に、三四尺(しやく)の物(もの)までも板(いた)と同様(どうやう)に二段(だん)に陳列(ちんれつ)したのは、看覧者(かんらんしや)の位置(ゐち)から謂(い)つても作者(さくしや)の希望(きばう)から云(い)つても、如何(どう)しても見憎(みにく)いと云(い)ふ評(ひやう)は免(まぬが)れぬが、然(しか)も其(そ)の中(うち)から幾分(いくぶん)でも眼(め)に立(た)つ様(やう)な作品(さくひん)は、適當(てきたう)の陳列(ちんれつ)をしたなら猶(なほ)一層善(そうよ)く見(み)えるであらうと思(おも)ふ。@太平洋画会(たいへいやうぐわくわい)の入口(いりくち)の華(はな)やかな割(わり)に中(なか)の作品(さくひん)の陰鬱(いんうつ)なのに比(ひ)すると、白馬会(はくばくわい)の入口(いりくち)の何(なん)の飾(かざ)りも無(な)くて中(なか)の作品(さくひん)の色彩(しきさい)が華麗(くわれい)なのとは面白(おもしろ)い対照(たいせう)を露(あら)はしてゐる。@第(だい)一室(しつ)二四「春(はる)の野(の)」と題(だい)した住谷宗(すみやそう)一氏(し)の画(ゑ)は着衣(ちやくい)が厭(いや)に重過(おもすぎ)る嫌(きら)ひはあるが面白(おもしろ)い明暗(めいあん)の研究(けんきう)である、惜(をし)むらくは色(いろ)が少(すこ)し汚(きた)ない。@二六「落椿(おちつばき)」、正宗得(まさむねとく)三郎氏(らうし)の画(ゑ)は或批評家(あるひひやうか)は大分褒(だいぶほ)め過(す)ぎてゐるが、何(なに)も文学者(ぶんがくしや)の正宗白鳥君(まさむねはくてうくん)の作品(さくひん)が面白(おもしろ)いからとて弟(をとをと)たる得(とく)三郎氏(らうし)の何(なん)とも解(わか)らぬ作品(さくひん)をも褒(ほ)めるにも及(およ)ぶまい、好(い)いものは好(い)い悪(わる)いものは悪(わる)いと明(あきら)かな批判(ひはん)をするのが好(い)いのである、落椿(おちつばき)の画(ゑ)の如(ごと)きは色(いろ)と色(いろ)との関係(くわんけい)は単(たん)に色(いろ)の愧(くわい)として丈(だ)けで好(よ)いので物体(ぶつたい)の何物(なにもの)かと云(い)ふ表示(へうじ)は何物(なにもの)も露(あら)はれてはゐないのだ、見(み)た所(ところ)では蓮華草位(れんげさうくらゐ)の小(ちひ)さな草花位(くさはなくらゐ)にしか見(み)えない、此様云(こうい)ふ間違(まちが)ひとは云(い)へぬ不忠実(ふちうじつ)の画(ゑ)を推賞(すゐせう)するのはどうであらうか。@第(だい)二室(しつ)三七、近藤芳男氏(こんどうよしをし)の「稲村(いなむら」は瀟洒(せうしや)たる画(ゑ)だ、遠景(ゑんけい)の混雑(こんざつ)したのと近過(ちかす)ぎたのが欠点(けつてん)で、稲村(いなむら)の光(ひかり)と陰影(いんえい)の色(いろ)から近景(きんけい)は心持(こゝろもち)の好(よ)い所(ところ)がある、四七李岸氏(りがんし)の「朝(あさ)」、大膽(だいたん)な色(いろ)の見方(みかた)と筆技(ひつぎ)とは清国人独特(しんこくじんどくとく)のものでは無(な)く、附焼刃(つけやきば)の観察法(くわんさつほふ)らしいが新時代(しんじだい)の清国人(しんこくじん)としては此(こ)の位(くらゐ)の突飛(とつぴ)な遣(や)り方(かた)の方(はう)が面白(おもしろ)いと思(おも)ふ、五二、中野営(なかのえい)三氏(し)の「山路(やまぢ)の夕(ゆふべ)」は遠景(ゑんけい)の山(やま)が一番溶(ばんと)けてゐて怪(あや)しいが、中景(ちうけい)から下(した)は面白(おもしろ)い、五八の「砂浜(すなはま)」は構図(こうづ)に於(おい)て奇抜(きばつ)な所(ところ)がある。

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