2. 序
すでに刊行された美術雑誌等の蔵書目録に続いて今回刊行されたのは、東京文化財研究所が所蔵する展覧会カタログの蔵書目録である。目録編、索引編の上下二巻に収録されたそれらのカタログは、1888年から2004年までの110数年におよぶ約二万件。開催地は国内外にわたり、古美術・近現代美術・西洋美術のほか、歴史や若干の自然科学等の展覧会カタログも含む。このほかにも同研究所には、公刊は難しいかもしれないが、近代の作家の印譜資料、新聞切抜、近現代の作家・美術関係者のアンケート、作品調査の写真資料など、じつに各種の貴重な資料がある。こうした資料の多くは、それ自体が展覧会出品物になるといった一次資料ではないため、一般の美術愛好者にとって身近な存在ではないが、そうした展覧会の企画者や研究者の調査には必要不可欠の資料となっている。つまり華やかな展覧会から地道な調査、きわめて専門的かつアカデミックな研究調査にいたるまで、そのすべてをベースでしっかり支えている研究資料なのであり、同時にそうした成果の集積なのである。本目録に収録されている展覧会カタログの多くが寄贈によるのも、それを利用した人が成果を寄贈し、今度はそれが利用されるという“公共財”としての役割と、またその蓄積が歴史の記録になっていくのだという認識が共有されているからだろう。ではなぜこれほど各種の膨大な資料が、この研究所に所蔵されているのか。それは、美術の図書館・研究所ともいうべきそのあり方そのものが、じつは前身の美術研究所以来の目的であり、その後の事業活動の柱でもあり続けたからである。つまりこのコレクション自体が、研究所の歴史そのものでもあるのだ。
1924年(大正13)に没した帝国美術院長黒田清輝の遺産をもとに1928年(昭和3)に設立され、1930年(昭和5)に帝国美術院付属の機関として開所した美術研究所は、次の七つの項目を基本活動とした。
① 「東洋美術総目録」の編集と、伝記・落款印譜・美術関係史料の集成
② 文献目録の集成
③ 『日本美術年鑑』の編集
④ 西洋美術の文献、雑誌、写真等の収集
⑤ 美術行政・美術教育に関する調査と資料収集
⑥ 技法材料に関する調査研究
⑦ ①~⑥の成果報告としての定期刊行物「美術研究」の刊行
冒頭の各種資料は、こうした基本活動によって収集されたのである。よく目の行き届いたこの活動方針は、初代所長となった美術史家の矢代幸雄が、欧米の美術図書館をモデルに設定したものだったが、そこには一方で当時の日本の時代状況も色濃く反映されていた。
その一つが、1928年(昭和3)に開催された初の大規模な近代日本美術展「明治大正名作展」(朝日新聞社)の成功をうけて、その剰余金で企画された「明治大正美術史編纂事業」が、設立されたばかりの美術研究所に依託されたことである。初期の収集図書は、かなりの部分がこの資金で購入されている。この「明治大正美術史編纂事業」は、近代の“回顧”から「近代日本美術史」という“体系”構築への意志が事業レベルで明示された最初のものであり、同研究所のシステマティックな各種資料の収集整理も、体系構築への強い意志を感じさせる。ここから、過去の近代美術資料と、リアルタイムの同時代資料の収集と整理が、同時並行で行なわれていくことになった。
そしてもう一つが、設立から開所の間の1929年(昭和4)に「国宝保存法」が公布されていることである。基本活動に東洋日本美術史研究が設定されているのも、それへの支援的な活動を期待されていたことが背景にあると思われる。もともと西洋美術史家だった所長の矢代幸雄が、一方で東洋美術史家としての活動を本格化させていくのもこの頃からである。こうして美術研究所は、東洋日本美術、近代日本美術、同時代美術の資料を並行して収集することになったのだった。それ以後のすべての蓄積が、既刊および本目録の蔵書をはじめとする各種の資料なのだといえる。とくに初期の活動は、ただでも逸失・消失の激しい昭和戦前・戦中期の活動にあたるため、この時期に収集された同時代美術の資料は、きわめて稀少かつ重要度の高いものになっている。
ただ本目録の展覧会カタログについては、大部分が戦後のものである。これは収集活動の問題というより、戦前まではそもそも美術館や博物館という展覧会の会場施設や、展覧会自体の絶対数が少なかったことと、カタログも大規模な展覧会の豪華図録のほかは、ごく簡単な小冊子や刷物といった消耗品的な形のものが多かったことによる。それが戦後、民主化による国民の主役化や、高度経済成長による文化消費意欲の高まりによって、1950年代から各地につくられ始めた公立の美術館・博物館が、1970年代から建設ブームを迎えて急増し、また税制上の対策から財団法人化された私立美術館も続々と開館した。同時にデパート展や画廊での展覧会も急増し、まさに経済成長に歩調を合わせるように展覧会数と入場者数は急カーブを描いて上昇してきた。そうした動向が、年次順に並べられた本目録のカタログの増加傾向にもはっきりと表われている。その内容も、当初の出品目録的な簡単なものから、図版が入り、それがモノクロからカラーへと変わり、美術館・博物館の建設ブーム以降は学芸員による研究調査に裏づけられた、質・内容・ヴィジュアル性の高いカタログへと移行してきている。
こうした戦前・戦後の展覧会形式を比べてみたとき端的に違うのは、官立制度が柱となった上意下達的な戦前のあり方から、戦後は国民の文化消費が先導する存立形態へと移行したことである。まさにそれは、国家から国民へという主役交替を象徴するものだった。そして美術におけるこの文化消費の高まりには、こうした展覧会活動が観客の大量動員をめざす目的から、マスメディアやジャーナリズムによる積極的な広報活動を展開したことも大きく作用した。それによって「美術」とその巨匠・名作が広く周知され、同時に展覧会企画や美術全集といった出版企画、また美術市場も相乗的に盛り上がっていったからである。つまり戦後の美術界は、国民の文化消費を中心に、展覧会、美術館・博物館、マスメディア、ジャーナリズム、マーケットなどが連環した、壮大な美術の社会連環構造をつくり上げてきたのだといえる。とくに美術団体展は、いわゆる現代美術以上にこの社会構造に密着することで、多くの観客を集めてきたのだった。そしてこの連環構造の循環液となってきたのが、経済成長がもたらした豊富な資金だったが、バブル崩壊後はその循環が悪化したことで、現在の独立行政法人化、依託管理者制度、市場化テストへといたる様々な改革が試みられてきたのだと言える。その展覧会への影響としては、より高い企画性の重視、その上での観客動員の向上が目ざされてきたが、そうした動向もまた本目録からよみとることができる。使い方によって、たんなる目録として以上の様々な読解が可能だろう。
展覧会の企画と内容は、その時代が美術に何を求め、どのような美術を実際に求めてきたのかを、私たちに教えてくれる。そして時代が転換期にさしかかり、戦後「現代」が“回顧”から“歴史”研究の対象になろうとしているいま、本目録は、戦後「現代」の動向と実態を検証する研究資料としての意義も持っていると言えるだろう。
東京芸術大学 芸術学科日本東洋美術史助教授 佐藤 道信
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