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白馬会関係新聞記事 第13回白馬会展

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白馬会(はくばくわい)を看(み)る(五)
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| 三角子 | 都新聞 | 1910(明治43)/06/20 | 1頁 | 展評 |
四三七の「温室(をんしつ)」は面白(おもしろ)い画(ゑ)だ、緑(みどり)の反射(はんしや)の試(こゝろみ)が巧(たくみ)に出来(でき)てゐるが未(いま)だ四辺(あたり)の色(いろ)に藍色(あゐいろ)が多(おほ)く厭(いや)な所(ところ)がある、四四六後藤博氏(ごとうはくし)の「渓(たに)」は面白(おもしろ)い光(ひかり)を捉(とら)へたものだ、全体(ぜんたい)の気持(きもち)が何(なん)と無(な)く人(ひと)を動(うご)かすのだ、四六七香田勝太氏(かうだかつたし)の「盤台(ばんだい)の魚(うを)」は静物画中出色(せいぶつぐわちうしゆつしよく)の作(さく)だ、第(だい)八室(しつ)五0四「芙蓉(ふよう)」と「野薔薇(のばら)」とは厭(いや)に堅(かた)い画(ゑ)で人間(にんげん)の身体(しんたい)が石(いし)の様(やう)だ、花(はな)も紙(かみ)の様(やう)に堅(かた)い、何(なに)か考(かんが)へ違(ちが)ひをして描(か)いたものらしいが、今少(いますこ)しこしらへずに描(か)いたら面白(おもしろ)いものが出来(でき)るだらう。@五二二相馬其(さうまき)一氏(し)の「高原(かうげん)の秋(あき)」は如何(いか)にも高原(かうげん)らしい所(ところ)があるが色(いろ)を余(あま)り多(おほ)く見過(みすぎ)てゐるので、所々(ところどころ)こはされてゐる、平岡権(ひらをかごん)八郎氏(らうし)の作(さく)は「花物師(はなものし)」よりは僕(ぼく)の弟(おとおと)の方(はう)が好(よ)い、田口真作氏(たぐちしんさくし)の「山(やま)の村(むら)」など手(て)に合(あ)わぬものを無理(むり)に描(ゑが)いてゐる所(ところ)が見(み)えて厭(いな)なものだ。@五五四「赤城街道(あかぎかいだふ)の夕照(せきせう)」、小林眞二氏(こばやしゝんじし)の作(さく)、山(やま)の描法(べうはふ)がこせこせしてゐて其(そ)の割(わり)に物(もの)が露(あら)はれてゐず近景(きんけい)の岩(いは)や草(くさ)に未(ま)だ大分欠点(だいぶけつてん)があるが全体(ぜんたい)は気持好(きもちよ)く出来(でき)てゐる、五五九の「河原(かはら)の朝(あさ)」は相馬真(さうましん)一氏(し)の作(さく)、大(おほ)きい割(わり)に人(ひと)の眼(め)を惹(ひ)かぬ様(やう)な図(づ)だ、殊(こと)に飴色(あめいろ)が水(みづ)と石(いし)とにあるのが大分邪魔(だいぶじやま)になる、五六三の岡吉枝氏(をかよしえし)「少女(せうぢよ)」、形(かたち)に少(すこ)し怪(あや)しい所(ところ)があるが色(いろ)は面白(おもしろ)い顔(かほ)などは特(とく)に善(よ)くして手(て)に入(い)つたものだ。第(だい)九室(しつ)五七六斯波義辰氏(しばよしたつし)の「晩春(ばんしゆん)の御茶(おちや)の水(みづ)」は粗(あら)い大(おほ)まかの見方(みかた)の中(うち)にしつとりした情(じやう)があつて面白(おもしろ)い画(ゑ)だ、五八八の清原重(きよはらちやう)一氏(し)の自画像(じぐわざう)は片多氏(かたたし)の夜(よ)の画(ぐわ)に似(に)てゐるが筆(ふで)づかひに一種(しゆ)の妙味(めうみ)がある山脇信徳氏(やまわきしんとくし)の画(ゑ)では六二八の「午前(ごぜん)」が最(もつと)も好(い)い、他(た)に午後(ごご)を描(ゑが)いたものと雨(あめ)を描(えが)いたものとがあるが余(あま)り面白(おもしろ)いとは思(おも)はれなかつた、六三六山口亮(やまぐちりやう)一氏(し)の「神戸(かうべ)オリエンタルホテル」はさらりとした軽(かる)い柔(やはら)かい画(ゑ)で、大家(たいか)のサインでもあれば成程左様(なるほどさう)かと思(おも)ひ相(さう)なものだ。@余(あま)り多(おほ)いので眼(め)も疲(つか)れて了(しま)つた。之(これ)で擱筆(かくひつ)する事(こと)にする。

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