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白馬会関係新聞記事 第11回白馬会展

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白馬会展覧会評(四)
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| 破裂刀 | 日本 | 1907(明治40)/10/26 | 1頁 | 展評 |
△黒田清輝氏 裸体(らたい)の女(をんな)の半身像(はんしんざう)が一枚(まい)と静物(せいぶつ)、庭園(ていゑん)、海岸等(かいがんとう)のスケツチが数枚出(すまいで)て居(を)る。最近(さいきん)に於(お)ける氏(し)が円熟(えんじゆく)せる技倆(ぎりやう)は之(これ)によりて遺憾(ゐかん)なく窺(うかが)ふことが出来(でき)る。先(ま)づ裸体(らたい)の方(はう)を見(み)て快(こゝろよ)く感(かん)ずるのは胸(むね)で、斜(はす)に仰臥(ぎやうぐわ)せる感(かん)じは充分(じうぶん)に顕(あらは)れて居(ゐ)る、遉(さすが)に老手(らうしう)である。然(しか)し手(て)が聊(いさゝ)か木彫(きぼり)に類(るゐ)せずやと思(おも)はれるが奈可(いかん)。それから顔(かほ)に丸味(まるみ)が少(すくな)いといふ非難(ひなん)もありさうだ。斯(か)くは云(い)ふものゝ是(こ)れほどの薄(うす)き絵(ゑ)でありながら、額縁(がくぶち)の強(つよ)き金色(こんじき)に少(すこし)も負(ま)けて居(ゐ)ない所(ところ)は、確(たしか)に他(た)より一頭地抜出(とうちぬけで)て居(ゐ)る所(ところ)である。其他(そのた)のスケツチは何(ど)れもこれも気(き)のきいたもので、一寸真似(ちよつとまね)の出来(でき)ないものがある。然(しか)し海岸(かいがん)のスケツチは首肯(しゆこう)しかねる。@△長原止水氏 是(これ)も裸体(らたい)で女(をんな)の半身(はんしん)である色(いろ)のオチツキはいゝやうだ。手(て)の指(ゆび)などに丸味(まるみ)はついてゐるが、それが奈何(いか)にも不自然(ふしぜん)である、尚研究(なおけんきう)の余地(よち)があるやうに思(おも)はれる。@△無名氏 村娘(むらむすめ)が草篭(くさかご)を背負(しよ)つたまゝ休憩(きうけい)して居(ゐ)る所(ところ)である。描(か)き方(かた)は未(ま)だ幼稚(えうち)なものだが、一寸野趣(ちよつとやしゆ)があつて面白(おもしろ)い。疲労(ひらう)の趣(おもむき)はよく出(で)て居(ゐ)る、尤(もつと)も色(いろ)はキタナイが。@△後藤某氏 老人(らうじん)が鏡(かゞみ)を見(み)て驚(おどろ)いて居(ゐ)る所(ところ)らしい。手付(てつ)きがオカシイぢや無(な)いか。@△渡邊亮輔氏 肖像(せうぞう)、老人(らうじん)だ、一寸気(ちよつとき)どつて居(ゐ)るが力(ちから)がない。此人(このひと)は新聞(しんぶん)や雑誌(ざつし)のスケツチを得意(とくい)として居(ゐ)るが、其中(そのなか)で人物(じんぶつ)はいゝやうだ、然(しか)しヤツパリ線(せん)が弱(よは)い。@△橋本邦助氏 いゝ所(ところ)がある、渡邊氏(わたなべし)よりも此人(このひと)の方(はう)が何(ど)うやら上(うえ)らしい。

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