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白馬会関係新聞記事 第10回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)(つゞき)
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| 剣菱 | 読売新聞 | 1905(明治38)/10/07 | 1頁 | 展評 |
和田英作氏(わだえいさくし)の「衣通姫(そとほりひめ)」ハ「静(しづか)」の如(ごと)く歴史画(れきしぐわ)なり。而(しかう)して単(たん)に画題(ぐわだい)についていへば、後者(こうしや)の方複雑(かたふくざつ)の意(い)を寓(ぐう)すべく、前者(ぜんしや)ハ「わが背子(せこ)が来(く)べく宵(よひ)なり」云々(うんぬん)の和歌(わか)の外(ほか)、材料(ざいれう)とすべき者(もの)なし、或夕暮或美人(あるゆふぐれあるびじん)が蜘蛛(くも)のふるまひを見(み)て、夫(をつと)の来(く)るを察(さつ)して喜(よろこ)べる様待設(さままちもふ)くる様(さま)を描(えが)くことを題意(だいい)とす、洋画(やうぐわ)なる故(ゆゑ)、何(なん)となく日本古代(にほんこだい)の連想(れんさう)を妨(さまた)げ、顔面(がんめん)も静(しづか)などと同(おな)じく當世的(たうせいてき)に思(おも)はるれど、こは吾人(ごじん)の習慣性(しうくわんせい)の止(や)むを得(え)ぬ所(ところ)。暮色蒼然(ぼしよくさうぜん)たる背景(はいけい)の詩味(しみ)あり、人物(じんぶつ)も静(しづか)よりも情(じやう)があらはれたり。態度(たいど)の落付(おちつ)かず中心(ちうしん)を失(うしな)へる如(ごと)く、色合(いろあひ)のなまなましき、未(いま)だ不充分(ふじうぶん)なる点多(てんおほ)きも、年々(ねんねん)かかる大作(たいさく)を出品(しゆつぴん)するハ感服(かんぷく)すべし、岡田氏(をかだし)の作(さく)ハ柔(やはら)かき筆(ふで)にて、吾人(ごじん)ハこれと中沢氏(なかざはし)の冬景(たうけい)とを再(さい)三熟視(じゆくし)してますます味(あぢはひ)あるやうに感(かん)じたり。肩付(かたつき)のふつくらして姿勢(しせい)の整然(せいぜん)たる、幽遂(いふすゐ)の趣妙(おもむきめう)なり。三宅氏(みやけし)の水彩画(すゐさいぐわ)ますます微細(びさい)に入(い)り、夕日(ゆふひ)の映(えい)ぜる小額(こがく)なども勝(まさ)れり。南薫造氏(みなみくんざうし)の「半裸体(はんらたい)の老人(らうじん)」ハ骨(ほね)があらはに見(み)ゆれど、筋肉逞(きんにくたく)ましき様(さま)ハ描(えが)かれず、描(えが)かんとしたる力(ちから)ハ少(すこ)しもあらはれず、薄拙太郎氏(すゝきせつたらうし)の台所(だいどころ)の図(づ)の如(ごと)き牛肉(ぎうにく)や破(やぶ)れ団扇(うちは)をゴタゴタと並(なら)べたるのみにて何(なん)の面白味(おもしろみ)もなし、自然(しぜん)の景(けい)や美(うつく)しい人物(じんぶつ)ならバ模倣(もほう)のみにても多少(たせう)の興味(きやうみ)あれど、この種(しゆ)の者(もの)ハ其(そ)れ以上(いじやう)に美化(びくわ)したる所(ところ)、何等(なんら)か観覧者(くわんらんしや)に連想(れんさう)を惹起(ひきおこ)さすやうに描(えが)かざるべからず。丹羽林平氏(にはりんぺいし)の機(はた)を織(お)るの図(づ)ハ、婦人(ふじん)が半裸体(はんらたい)なるハ嫌(い)やに感(かん)ぜらる。色彩(しきさい)の俗気(ぞくけ)あるも甚(はなはだ)し。裸体美(らたいび)を見(み)せるにしても、場面(ばめん)との調和(てうわ)を考(かんが)へねバ馬鹿(ばか)らしく思(おも)はるべし。青木繁氏(あをきしげるし)の「神話(しんわ)」(?)は例(れい)の奇筆特色(きひつとくしよく)を発揮(はつき)せり。小林鍾吉氏(こばやししやうきちし)の海辺(かいへん)の図(づ)ハ好画題(かうぐわだい)にて描写(べうしや)も穏(おだや)かなり。小林千古氏(こばやしせんこし)についてハ野口米次郎氏(のぐちよねじらうし)の推奨(すゐしやう)する所(ところ)にて、何(いづ)れも調(とゝの)へる作(さく)なれど、極(きわ)めて平凡(へいぼん)なり。(完)

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