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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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今年(こんねん)の白馬会(はくばくわい)(七)
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| 毎日新聞 | 1904(明治37)/10/30 | 1頁 | 展評 |
第(だい)四室(しつ) 此室(このしつ)も亦殆(またほと)んど油絵(あぶらゑ)のみで、岡田(をかだ)、和田(わだ)、黒田(くろだ)、中丸等(なかまるとう)の諸氏(しよし)の製作相並(せいさくあひなら)んで光彩陸離(くわうさいりくり)たりである、殊(こと)に世評噴々(せへうふんぷん)たる和田氏(わだし)の「あるかなきかのとげ」正面(せうめん)に當(あた)つて場(ぜう)を見下(みお)ろして居(ゐ)る@岡田三郎氏の 元禄の面影(エチユード)元禄(げんろく)の装(よそおひ)なる二八計(ばか)りの少女(せうぢよ)の半身(はんしん)で、絵(ゑ)の大(おほ)きさは先(ま)づ中位(ちうくらゐ)である、玉(たま)の如(ごと)く沢(つや)やかなる膚(はだ)、星(ほし)の如(ごと)く涼(すゞ)やかなる瞳(ひとみ)、撫肩(なでがた)も此(これ)と相俟(あひま)つて顔(かほ)との調子(てうし)が誠(まこと)に工合(ぐあひ)よく描(か)かれて居(ゐ)る、此(これ)を去年第(きよねんだい)八回(くわい)の出品(しゆつぴん)、京(けう)の舞妓(まひこ)の絵(ゑ)二点(てん)と比(ひ)して彼(か)の鮮麗艶妍(せんれいえんけん)なりしに異(ことな)り総体(そうたい)に清雅優麗(せいがゆうれい)で穏(おだ)やかな奥床(おくゆ)かしい色(いろ)に包(つゝ)まれて居(ゐ)る、此(こ)れ即(すなは)ち絵(ゑ)に古色(こしよく)が見(あら)はれて居(ゐ)る所(ところ)で、二百余年(よねん)の昔(むか)しの美(うるは)しさが忍(しの)ばれ又此(またこれ)と共(とも)に此迄和服(これまでわふく)を着(き)た美人(びじん)を油絵(あぶらゑ)で描(か)いて卑俗(ひぞく)に流(なが)れなかつたのは誠(まこと)に少(すく)なかつたが、此絵(このゑ)に対(たい)しては真(まこと)に人(ひと)の子(こ)の清(きよ)き按排(あんばい)から骨相凡(こつそうす)べて純日本式美人(じゆんにほんしきびじん)である、半身(はんしん)を斜(なゝめ)に差出(さしだ)したる姿勢(しせい)は最(もつと)も形(かたち)の面白(おもしろ)い処(ところ)で、画家自身(ぐわかじゝん)は強(し)いて苦心(くしん)の考案(かうあん)と云(い)ふ程(ほど)でもなく且(か)つ看(み)るものも格別注意(かくべつちうい)する所(ところ)ではないが此(こ)う云(い)ふ事(こと)が絵(ゑ)の命(いのち)である、顔(かほ)の色(いろ)、髪(かみ)の色此処(いろこゝ)と指(さ)して批難(ひなん)すべき処(ところ)を見出(みいだ)し得(え)ない、着物(きもの)も又人間(またにんげん)の「モデル」と共(とも)に撰択(せんたく)せられたのであろう後景(バツク)にある衣(きぬ)の模様美(もやううつく)しさか感(かん)せらるゝのである、由来岡田氏(ゆらいをかだし)の絵凡(ゑす)べて清楚(せいそ)、此絵(このゑ)は最(もつと)も同氏(どうし)の作(さく)を代表(だいへう)して居(ゐ)ると云(い)つて宜(よ)い、ソシテ吾人(ごじん)は今回列品中屈指(こんくわいれつぴんちうくつし)の傑作(けつさく)であろうと思(おも)ふ。

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