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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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白馬会展覧会(六)
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| 日本 | 1904(明治37)/11/15 | 3頁 | 展評 |
一、暮れ行く島(山本森之助) 最も苦心の作であるといふことであるが、図模様に奇抜な処はないけれ共、島の背後に立てる入日の雲の峰は写し得て妙を極めて居る。海中の一孤島ではあるが其形も何となく趣きがあつて、渺々たる海洋中の感が現はれて居る。たゞ一面の緑波は暮色を帯びた処であらうけれ共、調子が重いといふ難のあるのを遺憾とする。併しかほど真面目な筆致は場中珍らしいので、矢張佳作として上げる価値を認める。和田の「伊豆の三原山」に比して雲の趣きなどは一段の妙を極めて居つて、眺むるに飽かぬ心地する。其他六幅許の画があるけれ共、殆ど見るに足らぬのは如何なる訳であるか。殊に其取材の方面からいうて皆平凡陳腐に失する観がある。例之へば妙義山の如きも、必ずしも日本画家の常手段とする奇峰出没天工を奪ふが如き理想画を書くの必要はないけれども一農家の側らに同山を遠望したやうな図は、寧ろ写真を取る者などの好んで写す処であつて画としては何の趣きをなさぬ。定めて妙義へも登つたとすれば、今少し新らしい着眼点がありさうなものと思はれる。@一、水彩画(三宅克己) 総て十四五面も陳列してあるけれ共、これぞと思ふ物も見當らぬ。或はかゝる小幅物は斯る展覧会場に在つて見栄のせぬものかも計り難いが、景色なども「水彩画指南」とでもいふやうな書物にありさうな物許りで、何となく安ツぽい。つまり作者の苦心といふものが画に盡していないやうな心持がするのである。静物などになれば、却つて慶応義塾辺の素人の作に見るべきものが比較的多いかと思はれる。@一、肖像(黒田清輝) パステルではあるが、生々とした婦人の像は一異色を放つてをる。却つて油絵の花卉などよりも一段の成功を認むべきであるまいかと思ふ。@一、夏(山本鼎) 蚊帳を釣つた夜明方の室内を写したもので、蚊帳の前には自堕落に足を投出した婦人一人、蚊帳の中には寝かしてある子供を画き、右方の障子に朝日がさして居つて、蚊帳越しに室内の器具などが透いて見えるやうな画である。一見何等の感興を惹かぬやうであるけれ共、能く注意すると、光線の明暗、物の遠近如何にも明かで、蚊帳の釣つてある塩梅なども柔かな処がある。是と相対する大幅@一、梨畑(丹羽林平) の遠近もなく明暗もなき拙作に比しては数等の差がある。(完)

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