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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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白馬会展覧会(五)
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| 日本 | 1904(明治37)/11/11 | 3頁 | 展評 |
一、海のさち(青木繁) 特別室即ち裸体画陳列室は、入場者を取締まること余りに厳重で、如何にも乙構な幕などが廻はしてあるから、どのやうなものがあるのかと思ふと、僅に岡田三郎助外一人の裸体画と、伊太利の古画とこの「海の幸」の数幅が掛つて居る許りで、甚しく寂寥を感ぜざるを得なかつた。併しこの一幅があつたので稍満足するを得たのである。図は未成品であるが、鱶漁(?)の猟士七八名、今捕獲した鱶を陸上する処を画いた横長い可なりの大幅である先頭の一人は鱶を背負ひ、これにつゞく数人柄の長いモリのやうなもので、鱶を舁ぎ、今や陸岸に達した処で、激浪其足下に打ちよせてをる漁士は皆褌もせぬ真裸で、七八人行列をして居るのである。この画に対して先づ起る感は、其取材が奇抜である、といふことゝ、其画面の如何にも勇壮だといふ点である。風浪に五体を鍛へた荒くれ男が、今や其漁を誇らんとし、身長に余る大魚を力に任せて舁ぎ行く光景、下手な戦争画よりも遥に勇壮で、又た人を動かす力がある。かゝる場合は所謂因循な画家は写生すべからざるものとして通常放擲せられたる例であるけれ共、其勇大な点から言へば、実に得難き好材料というてよい。白馬会中かゝる点に着目する人のあるのは羊群の虎とでも言はうか。先づ其取材の方向のみからいうても作者に多とすべき点がある。併したゞ取材の方面が奇抜な許りで、絵画の目的が達せられなければ何の功をもなさぬが、其荒くれ男の力のはいつた筋肉の様など或点迄よく現はれてをつて、活溌々地の壮烈さが躍如としてをる。人物の配合も七八人の多人数であるにも関らず相応に配置されてをる。手の上下などが無意味に重複して居るやうなこともない。或は大腿骨の筋肉が締り過ぎてをるとか、後の方の鱶は今海から上げたといふ勢がないとかいふやうな欠点がないでもないがそれらは深く咎むべきことでもあるまいと思ふ兎に放縦の筆つきで何の容赦もなくなぐりつけた上未成品といふのであるから、画面は寧ろ乱雑など思ふ程汚なくるしい。或は何所かの殿堂にでもあつた壁画をはがして来たのであるまいかと怪まれもする。其乱雑なやうな点が却つて此画の品位を高うして居るやうな意味もあるがかゝることは故意に作らうとした処で出来得るものでない。全く作者の天籟的筆端の迸出に外ならぬ。尚他に同人作の小幅二三を見たけれ共それが画であるや否やも判然せぬやうな奇なものであつた。恐らくこの海の幸の如き壮大な材料を待つて始めて其技両倆を振ふ余地を存するものかも知れぬ。かゝる画を見るは近来珍らしい心持がするので、覚えず贅言を費したのである。

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