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白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

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上野谷中の展覧会(三)
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| 仏 | 読売新聞 | 1902(明治35)/10/11 | 六頁 | 展評 |
◎白馬会(はくばくわい)(つゞき)@△李鴻章と佐藤総監 画材(ぐわざい)としてハ洵(まこと)に好個(かうこ)の題目(だいもく)なり。歴史画(れきしぐわ)としてハ寧(むし)ろ大(だい)なる題目(だいもく)なり。作家(さくか)が手腕(しゆわん)の如何(いかん)によりてハ、永(なが)く萬世(ばんせい)に伝(つた)へて依(よ)つて以(もつ)て當時(たうじ)の国際的関係(こくさいてきくわんけい)を知(し)るの頼(たより)となるべく馬関條約訂結(ばくわんでうやくていけつ)の徃時(わうじ)を回想(くわいさう)するの好史料(かうしれう)たるべく、併(あは)せて国威顕揚(こくゐげんやう)、国光煥発(こくゝわうくわんぱつ)の好絵画(かうくわいぐわ)となるべし。今(いま)ハ未(ま)だデツサンのみなれバ余輩(われ)ハ其技巧(そのぎこう)に就(つき)て多(おほ)くをいふを好(この)まざれど、李鴻章(りこうしやう)の態度(たいど)、佐藤総監(さとうそうかん)の相貌(さうぼう)に於(おい)て共(とも)に未(いま)だ完(まつた)からざる所(ところ)あり、且(か)つ全幅活動(ぜんぷくゝわつどう)の勢(いきほひ)に乏(とぼ)しけれバ、何(なん)となく死物(しぶつ)に対(たい)するの感(かん)ハ起(おこ)れど、そハ成画(せいぐわ)の上(うへ)、見返(みか)へすばかりの名作(めいさく)と生(うま)れかはらむことを切望(せつばう)するの婆心(ばしん)に出(い)でたるのみ。兎(と)に角今(かくいま)ハ只(たゞ)この大題目(だいだいもく)に其手腕(そのしゆわん)を揮(ふる)はんとする作家(さくか)が着眼(ちやくがん)を多(た)とし、あはせて此(こ)のデツサンに対(たい)する余輩(よはい)の苦言(くげん)をして成画(せいぐわ)の後(のち)に繰返(くりかへ)さゞらしめむことを希(こひねが)はんとす。されバ此(こ)の作家(さくか)を誰(たれ)とかなす。佐藤総監夫人(さとうそうかんふじん)が主宰(しゆさい)に係(かゝ)る女子美術学校洋画科教員磯野吉雄氏(ぢよしびじゆつがくかうやうぐわくわけうゐんいそのきちをし)。@△収穫 作家(さくか)ハ昨秋夜汽車(さくしうよぎしや)を描(ゑが)きて好評(かうひやう)を博(はく)したる赤松麟作氏(あかまつりんさくし)、昨年(さくねん)より不作(ふさく)なりとハ、収獲(しうくわく)といふ題目丈(だいもくだけ)に今年(こんねん)の低気壓(ていきあつ)も思出(おもひだ)されて可笑(をか)しく、遠近(ゑんきん)の距離余(きよりあま)りに甚(はなはだ)しく、夕陽(せきやう)の光線(くわうせん)の人物(じんぶつ)にのみ明(あきら)かに現(あら)はれて、積(つ)み重(かさ)ぬたる稲(いね)ハいふに及(およ)ばず、四辺(へん)一切(さい)の景致(けいち)に其反照(そのはんせう)の見(み)えざるハ如何(いか)に、況(いは)んや其人物(そのじんぶつ)ハ何(いづ)れが主(しゆ)としたるべきか、其焼点(そのせうてん)として描(ゑが)きたる人物(じんぶつ)のハキとせざる、更(さら)に一考(かう)を要(えう)すべし。@△通学 作家(さくか)ハ白瀧幾之助氏(しらたきいくのすけし)。素人好(しろうとずき)のする画(ぐわ)なり。女学生(ぢよがくせい)二人互(にんたがひ)に手(て)を握(にぎ)り合(あ)ひて睦(むつま)じく池(いけ)の端(はた)を通学(つうがく)の途(と)に在(あ)るなり。通学(つうがく)といへバ朝(あさ)なるべきが、全幅朝気色(ぜんぷくあさげしき)の更(さら)に見認(みと)むべきなく、遠景(ゑんけい)の朦朧(もうろう)としたる夕(ゆふべ)の景色(けしき)にも似(に)たり。主(しゆ)たる女学生(ぢよがくせい)を見(み)て、見物(けんぶつ)の某女学生(ばうぢよがくせい)『歩行(ある)いているのですか、立止(たちどま)つてるのでせうか、何(なん)だかハツキリ解(わか)りませんネー。それにお学友(ともだち)か御姉妹(ごきやうだい)か、お顔(かほ)の割(わり)に御手(おて)の太(ふと)いこと、此(こ)の方(かた)ハ屹度御宅(きつとおたく)で御(お)さんどんを為(な)さるんですよ』味(あじ)あるの言(げん)、採(と)つて以(もつ)て評(ひやう)となす。白瀧氏(しらたきし)の作(さく)、此(こ)の外(ほか)に尚(な)ほ二点(てん)あり。山王台の夕陽亦妙(まためう)なり。(仏)

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