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白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

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上野谷中の展覧会(二)
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| 仏 | 読売新聞 | 1902(明治35)/10/10 | 2頁 | 展評 |
◎白馬会(はくばくわい)(つゞき)@素(もと)より目慣(めなれ)れざる余輩(われ)にハ、どの画(ゑ)もどの画(ゑ)も一様(やう)に見(み)えて明(あきらか)に善悪高下(ぜんあくかうげ)の解(わか)ろう筈(はず)ハなく、よし又少(またすこ)しく其差別(そのさべつ)の判(はん)ぜらるれバとて、何(いづ)れハ斯(かゝ)る会場(くわいぢやう)に出陳(しゆつちん)して雄々(をゝ)しくも公衆(こうしう)の観覧(くわんらん)に供(きよう)するものなれバ、一夜作りの駄作悪作を展列して衆目を汚すが如き作家ハ、啻に此会のみならず、各種の展覧会共進会などにもあるべきの理にあらず。されバ其画(そのぐわ)を紹介(せうかい)するものも亦作家(またさくか)に対(たい)するの禮(れい)を守(まも)りて執実(しじつ)に其責務(そのせきむ)を盡(つく)すべく、猥(みだ)りに其画(そのぐわ)に就(つい)て毀誉褒貶(きよほうへん)を逞(たくまし)ふすべからずと思(おも)ひてハ、容易(ようい)に筆(ふで)の起(た)つべくもあらず。場内列品(ぢやうないれつぴん)三百九十余点(よてん)のうち、最(もつと)も人立(ひとだち)の多(おほ)く是非(ぜひ)の声喧(こゑかまびす)しき作品(さくひん)に就(つい)て聊(いさゝ)か裁断(さいだん)を試(こゝろ)むるに止(とゞめ)むとす。@形(かたち)の大(だい)なるものハ其小(そのせう)なるものよりハ、比較的衆目(ひかくてきしうもく)を惹(ひ)き易(やす)く且其長所短所(かつそのちやうしよたんしよ)も判然(はんぜん)すれバ素人(しろうと)にも直(たゞち)に是非(ぜひ)ハ判(はん)ぜらるべし。今場内最大(いまぢやうないさいだい)のものといへバ△難破船救助の画(ぐわ)なり、作家(さくか)ハ小林萬吾氏(こばやしまんごし)にて、水難救済会(すゐなんきうさいくわい)の依頼(いらい)に応(おう)じ其壁画(そのへきぐわ)にとて稿(かう)を起(おこ)せしもの、未成画(みせいぐわ)なれバ作家(さくか)が今後(こんご)の参考(さんかう)にもと感(かん)ずる所(ところ)をいへバ、多数裸体人物(たすうらたいじんぶつ)の動作(どうさ)ハ如何(いか)にも詳細(しやうさい)に描写(べうしや)せられたれども、其動作(そのどうさ)や機械的動作(きかいてきどうさ)にして未(いま)だ同情(どうじやう)を以(もつ)て難破船(なんぱせん)を救助(きうじよ)するといふ表情(へうじやう)の見(み)るべきなく、且(かつ)や其(その)四辺(へん)の景致(けいち)も未成画(みせいぐわ)の故(ゆえ)なれバにや、惨澹蕭索(さんたんせうさく)の光景全幅(くわうけいぜんぷく)に充実(じうじつ)せざれバ、未(いま)だ以(もつ)て観者(くわんしや)の同情(どうじやう)を惹(ひ)くに至(いた)らず、況んや日本画に見る平板の病処ハ此画に於ても認識せらるゝ憾あるハ返へす返へすも残念の限りなり。聞(き)く所(ところ)によれバ成画(せいぐわ)の暁(あかつき)ハ五回博覧会(くわいはくらんくわい)へ出品(しゆつぴん)さるゝとのことなれバ、今(いま)より詳細(しやうさい)を下(くだ)さむハ烏滸(をこ)の至(いた)りなるべし。「縮図参看」(仏)

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