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白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

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上野谷中の展覧会(一)
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| 仏 | 読売新聞 | 1902(明治35)/10/09 | 2頁 | 展評 |
節(せつ)ハ秋(あき)に入(い)りて上野(うへの)の山(やま)ハ例(れい)によりて美術(びじゆつ)の世界(せかい)となりぬ、先(ま)づ劈頭第(へきとうだい)一に開会(かいくわい)したる白馬会展覧会を初(はじ)めとして日本漆工会競技会、日本美術協会創立二十五年紀念大展覧会あり、山(やま)を越(こ)へて谷中に下(くだ)れバ初音町に日本美術院展覧会あり、東台山上山麓早(とうだいさんじやうさんろくはや)くも蜀紅(しよくこう)の錦(にしき)を織成(おりな)して黄(くわう)、紅(こう)、紫(し)、白(はく)、天高(てんたか)く翻(ひるが)へる日章旗(につしやうき)と共(とも)に目醒(めざま)しなんど言(い)ふばかりなし、されバ此頃(このごろ)の上野(うへの)ハ道路修繕(どうろしうぜん)の砂利(じやり)二寸余(すんあま)りも敷詰(しきつ)めて歩行困難(ほかうこんなん)なるに係(かゝ)はらず三々五々筒袖(つゝそで)、振袖(ふりそで)の絡繹雑踏祭日(らくえきざつたうさいじつ)も斯(か)くやと思(おも)ふばかり其(そ)の多(おほ)くハ展覧会見物と思(おも)へば美術嗜好者(びじゆつしかうしや)の年々盛(ねんねんさか)り行(ゆ)くこと瞑々(めいめい)の中斯道発達(うちしだうはつたつ)の上(うへ)に偉大(ゐだい)の感化(くわんか)を与(あた)ふるなるべし、中就(なかんづく)白馬会の観覧者(くわんらんしや)ハ青年男女学生(せいねんだんぢよがくせい)を中堅(ちうけん)として、老幼賢不肖(ろうえうけんふせう)一日の観客(くわんかく)百を以(もつ)て数(かぞ)ふべし、尤(もつと)も其多(そのおほ)くの中(なか)にハ裸体画(らたいぐわ)を見(み)たしといふ単純(たんじゆん)なる観念(くわんねん)を以(もつ)て入場(にうぢやう)するものもあるべく西洋画(せいやうぐわ)といふ好奇心(かうきしん)に駆(か)らるゝものもあるべけれど、兎(と)に角(かく)に画らしき画の多くハ茲処にのみ展覧さるゝが故にかくも非常の景気を見るなるべし、余輩(われ)も人々(ひとびと)の群(むれ)に交(まじ)りて、同会(どうくわい)の特色(とくしよく)とも見(み)るべき新(あら)たに建設(けんせつ)されたる淡泊(たんぱく)なる白堊(はくあ)の門を潜(くゞ)れバ、場内(ぢやうない)ハ如何(いか)にも立錐(りつすゐ)の余地(よち)なく、漸(やうや)く人(ひと)の背後(はいご)に尾(び)して其(そ)の画(ぐわ)を見得(みう)る姿(すがた)、どの画(ゑ)が誰(だれ)のやら、勿論画を見するが主眼にて、作家の姓名を記臆するが目的ならざれバ画にハ只番号を附するのみ、他の諸展覧会(しよてんらんくわい)の如(ごと)く事々(ことごと)しく作家(さくか)の姓名(せいめい)を記(しる)さざれバ、はじめハ只人(たゞひと)にモマレモマレて誰(たれ)がどの画(ゑ)を描(えが)きしやら、只我(たゞわ)が眼(め)に止(とゞ)まりたる画(ゑ)を凝視(ぎようし)したるまゝ夢中(むちう)に場内(ぢやうない)を一週(しう)したるのみ、此度(こんど)ハ更(さら)に目録(もくろく)によりて其画題(そのぐわだい)と作家(さくか)とを知(し)り、併(あは)せて其画(そのぐわ)に対(たい)する雑感(ざつかん)ハ一々に脳裡(のうり)に迸(ほとばし)りたり(仏)

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