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白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

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白馬会(はくばくわい)を観(み)る(上)
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| 報知新聞 | 1902(明治35)/10/05 | 5頁 | 展評 |
△金沢悌次郎氏(し)の土橋及(どばしおよ)び楼門(ろうもん)を望(のぞみ)たる、時任▲熊氏(し)の町家裏通(ちやうかうらどほり)、橋本邦助氏(し)の松原(まつばら)、山本新太郎氏(し)の処女看蓮(しよぢよかんれん)など何(いづれ)も難(なん)を言(いへ)ば際限(さいげん)なきが先々拝見致(まづまづはいけんいた)されたり△郡司卯之助氏(し)の金魚屋(きんぎよや)、渡辺亮輔氏(し)の水汲皆大幅(みづくみみなたいふく)に揮(ふる)はれし其勇(そのいう)や嘉(よみ)すべくも技(ぎ)の伴(ともな)はざるを如何(いかん)△安藤仲太郎氏(し)の花(はな)と菓物(くだもの)、墨一色(すみひといろ)もて画(ゑが)かれたれば殆(ほと)んど写真板(しやしんばん)を見(み)るが如(ごと)し而(し)かも運筆濃淡(うんぴつのうたん)の軽快(けいくわい)なるは流石流石(さすがさすが)、而(しか)して特(とく)に桜実(さくらのみ)を同距離(どうきより)に配列(はいれつ)したるなど御自身(ごじしん)の頗(すこぶ)る得意然(とくいぜん)たるも可笑(おかし)、尤(もつと)も板下(はんした)なら上出来(じやうでき)と云(い)ふの外(ほか)なし△森岡柳蔵氏(し)、海浜(かいひん)の松原(まつばら)に船(ふね)を曳(ひ)き上(あ)げし図(づ)は墨痕甚(ぼくこんはなは)だ幼穉(えうち)なれど色彩極(しきさいきは)めて真情(しんじやう)を穿(う)がてり△中丸精十郎氏(し)の森(もり)、色(いろ)の沈痛(ちんつう)なる可(か)なり、唯人物(たゞじんぶつ)の配置甚(はいちはな)はだ面白(おもしろ)からず、他(た)に野辺(のべ)と菊花(きくくわ)あり共(とも)に無難(ぶなん)と覚(おぼ)ゆ△中沢弘光氏(し)、暮色暗澹(ぼしよくあんたん)たる所(ところ)一点(てん)の星光(せいくわう)を認(みと)む、身(み)は宛然海浜(えんぜんかいひん)に逍遥(せうえう)する思(おも)ひあり、此(こ)の図若(づも)し夜(よ)の海浜(かいひん)たらば評當(ひやうあた)らず作亦(さくま)た採(と)るに足(た)らず△三宅克己氏(し)、水彩画(すゐさいぐわ)の巨擘(きよはく)として聞(きこ)え毎会傑作(まいくわいけつさく)を出(いだ)し看客(かんかく)を嬉(うれ)しがらせる當世(たうせい)の人気取(にんきと)り、今回亦多数(こんくわいまたゝすう)の出品(しゆつぴん)あり就中竪位地(なかんづくたてゐち)の眼橋(がんけう)二図(づ)は着彩筆致共(ちやくさいひつちとも)に頗(すこぶ)る精巧(せいこう)を極(きは)む殊(こと)に光力(くわうりよく)を以(もつ)て要点(えうてん)を引(ひ)き掻(か)きたる工合他(ぐあひた)の学(まな)ぶべからざる妙所(めうしよ)にして是氏(これし)が水彩画(すゐさいぐわ)に一生面(せいめん)を開(ひら)きし所以(ゆゑん)なり△長原孝太郎氏(し)の船乗婦(ふなのりをんな)の木炭輪廓(もくたんりんかく)、小児(せうに)を乳母(うば)の足許(あしもと)に配置(はいち)せしなど妙(めう)なるも、遠景(ゑんけい)の水平線高(すゐへいせんたか)きに失(しつ)し婦人(ふじん)の輪廓(りんかく)と合(あ)はざるは如何(いか)に△磯野吉雄氏(し)、佐藤博士李鴻章(さとうはかせりかうしやう)の病床(びやうしやう)に診(しん)する場中第(ぢやうちうだい)一の大物(おほもの)、画題(ぐわだい)は一寸新(ちよつとあたら)しけれど人物(じんぶつ)の配置甚(はいちはなは)だ妙(めう)ならず、サー是(これ)から撮(とり)ますとレンズの蓋(ふた)を払(はら)ひたき心地(こゝち)すとの評(ひやう)あり解(かい)せりや否(いな)△亀山克巳氏(し)の墨堤(ぼくてい)、塩貝競氏(し)の子守何(こもりいづ)れも軽(かろ)くて可(よし)△和田英作氏(し)、身(み)は鵬雲萬里(ほうゝんばんり)の異郷(いきやう)に在(あ)るも、其画尚慥(そのぐわなほたし)かに白馬会(はくばくわい)の重鎮(ぢうちん)たるを失(うしな)はず、今回(こんくわい)は巴里(ぱりー)より態々苦学(わざわざくがく)の間(あひだ)を偸(ぬす)みての出品(しゆつぴん)とてこと更(さら)に珍重(ちんちやう)すべし、就中橋畔(なかんづくけうはん)の樹木河中(じゆもくかちう)の枯荻(こてき)に映(えい)じて日没(にちぼつ)の近(ちか)きを示(し)めすと、他(た)の茂樹林立(もじゆりんりつ)の景与(けいとも)に共(とも)に妙作(めうさく)なり、元来氏(ぐわんらいし)の着彩法(ちやくさいはふ)たる温厚(おんかう)なれば景致自(けいちおのづ)から躍如(やくによ)たり、又裸体人物(またらたいじんぶつ)も可(か)なり、而(しか)して其欠点(そのけつてん)を言(い)はゞ氏(し)の作(さく)たる総(す)べてに於(おい)て奥行(おくゆき)に乏(とぼ)しき一事(じ)とす△小林萬吾氏(し)、難破救助(なんぱきうぢよ)の図(づ)か、其巾(そのはゞ)の大(おほ)いさに至(いた)つては磯野氏(いそのし)の大物(おほもの)と負(ま)けず劣(おと)らずなり、並(なら)べる裸人物(らじんぶつ)どれどれも同身同形(どうしんどうけい)、而(し)かも同(どう)一色(しよく)にて変化(へんくわ)なき殆(ほと)んど一人(にん)のモデルを引(ひ)き延(のば)したる飴細工(あめざいく)なるかの観(くわん)あり、外(ほか)に波浪(はらう)の岸(きし)を洗(あら)ふ一図中々軽妙(づなかなかけいめう)にして趣(おもむ)きあり、或(あるひ)は前拙(ぜんせつ)を償(つぐな)はんか△赤松林作氏(し)、収穫図是亦大作(しうくわくづこれまたたいさく)、田舎(ゐなか)の人物形状並(じんぶつけいじやうなら)びに真(しん)に迫(せま)り布置亦整然(ふちまたせいぜん)として遺憾(ゐかん)なし而(しか)して荒(あら)をホジくれば母親(はゝおや)の足頚何(あしくびなん)となく気遣(きづか)はれ、後景(こうけい)の遠山亦濃厚(ゑんざんまたのうかう)に失(しつ)し人物(じんぶつ)との距離相遠(きよりあひとほ)からざるは如何(いかに)、由来白馬流(ゆらいはくばりう)の傅彩(ふさい)は遠近共温柔(ゑんきんともおんじう)なるが故遠近(ゆゑえんきん)を描出(べうしゆつ)する甚(はなは)だ困難(こんなん)の跡(あと)を見(み)る、殊(こと)に人物(じんぶつ)の添景(てんけい)に於(おい)て然(しか)り、黒田領袖(くろだりやうしう)の小督物語(こゞうものがた)りを嚆矢(かうし)とし毎会此歎(まいくわいこのたん)を聞(き)くぞうたてし

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