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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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白馬会瞥見(其五)
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| 瞥見生 | 国民新聞 | 1901/10/30 | 3頁 | 展評 |
湯浅(ゆあさ)一郎氏(らうし)の出品(しゆつぴん)はなかなか数(かず)も沢山(たくさん)だし作(さく)も通(つう)じて上出来(じやうでき)だ其中(そのなか)で『画室』『肥後水俣城山』『逗子桜山』などは美事(みごと)の作(さく)だ其(そ)の他(ほか)『龍の画』や『海岸』の画(え)も有(あ)るが何(いづ)れも可(か)なりの作(さく)だ然(しか)も『画室』は赤松麟作氏(あかまつりんさくし)の夜行列車(やかうれつしや)に次(つ)ぐ大作(たいさく)でも有(あ)るし又作者(またさくしや)は大(おほい)に心(こゝろ)を用(もち)いて画(ゑが)きし者(もの)で有(あ)るし出来(でき)の上(うへ)から云(い)ふと場中(ぢやうちう)の佳作(かさく)たるを免(まぬ)かれない而(しか)して同氏(どうし)の『裸体婦人』の腰部(えうぶ)は彼(か)の警察(けいさつ)の注意(ちうい)で紫(むらさき)の幕(まく)を巻(ま)き付(つ)けて有(あ)る為(た)めに主(おも)なる処(ところ)を見(み)る事(こと)が出来(でき)ないのは実(じつ)に遺憾(いかん)だが其(そ)の他現(たあら)はれて居(ゐ)る処(ところ)の人体(じんたい)だけで批評(ひゝよう)して見(み)よう他(た)の批評家(ひゝようか)の説(せつ)では中間(ちうかん)の裸体婦人(らたいふじん)の色(いろ)が如何(いか)にも一様(やう)に赤(あか)すぎるのは湯上(ゆあが)りの気持(きも)ちが有(あ)るので正宗(まさむね)の名刀(めいたう)に焼(や)きが過(す)ぎたると一般作者(いつぱんさくしや)の為(た)め実(じつ)に遺憾(いかん)だと云(い)つた人(ひと)も有(あ)る然(しか)し人物以外(じんぶついぐわい)に後(うしろ)の方(はう)の棚(たな)に並(なら)んで在(あ)る石膏(せきかう)の彫刻物(てうこくぶつ)や又柱(またはしら)に掛(かゝ)つて居(を)る彫刻物(てうこくぶつ)の明(あか)き方(はう)に習薄赤色(しふはくせきしよく)の反射(はんしや)がある処(ところ)から見(み)ると此(こ)の画以外(ゑいぐわい)に何(なに)か赤(あか)き反射(はんしや)を持(も)ちて居(を)る物体(ぶつたい)が有(あ)るとしかをもへん其(そ)れから周囲(しうい)の造作(ざうさく)の画(ゑが)きこなし方(かた)や色(いろ)などは実(じつ)に感服(かんぷく)するのだ此(こ)れ等(ら)は北氏(きたし)と一般場中(ぱんぢやうちう)の呼物(よびもの)だ其(そ)れから『肥後水俣城山』は小高(こだか)き処(ところ)より田圃(でんぽ)、畑(はた)、森(もり)、人家(じんか)を見(み)て其(そ)れから山又山(やままたやま)と段々(だんだん)に重(かさ)なつて居(ゐ)て実(じつ)に面白(おもしろ)い景色(けしき)で場所(ばしよ)の撰(えら)び方(かた)も実(じつ)に上手其(じやうずそ)れから作(さく)も無(む)二の作で第(だい)一に使(つか)い悪(にく)き緑色(りよくしよく)が非常(ひじやう)に宜(よ)く使(つか)いこなして在(あ)る処(ところ)などは尤(もつと)も感服(かんぷく)する其(そ)れから『逗子桜山』も此(こ)れと同(おな)じ事(こと)である同氏出品(どうししゆつぴん)の全体(ぜんたい)を通(つう)じて実(じつ)に剛壮(がうさう)な実(じつ)に侵(をか)す可(べ)からざる処(ところ)が有(あ)り又或(またあ)る場所(ばしよ)には又非常(またひじやう)に柔(やさし)い処(ところ)が有(あ)るは感服(かんぷく)の至(いた)りである(瞥見生)

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