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白馬会関係新聞記事 第4回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)(一)
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| 国民新聞 | 1899/10/30 | 6頁 | 展評 |
出品数(しゆつぴんすふ)は昨年(さくねん)に比(ひ)して余程多(よほどおほ)く、殆(ほとん)ど四百近(ちか)くもありて場内(じやうない)も何(なん)となく賑(にぎ)はしく、陳列(ちんれつ)の仕方(しかた)も善(よ)く整(とゝの)ふて居(ゐ)る、けれども、其数(そのすふ)の割(わり)に大(おほ)きい組織(コンポゼシヨン)のものは少(すくな)い、勿論組織(もちろんコンポゼシヨン)の大小(だいせう)に依(よ)りて画(ぐわ)の品定(しなさだ)めは出来(でき)ないが、展覧会(てんらんくわい)として公衆(こうしゆう)に示(しめ)すのには、可成的人(なるべくひと)の注意(ちうい)を惹(ひ)く様(やう)にして貰(も)らひたい、小品(せうひん)のごたごたして居(ゐ)るのは、なんだか見(み)るのも嫌(い)やになりて仕舞(しま)ふ、斯道(このみち)の専門家(せんもんか)でなければ一々踏(ふ)み止(と)まつて見(み)るものはなからう、夫(そ)れも此(こ)の夏(なつ)、巴里大博覧会(ぱりーだいはくらんくわい)の鑑査官(かんさくわん)に撰定(せんてい)せられたる人(ひと)が沢山(たくさん)あつて、其方(そのほう)に時間(じかん)が取(と)られたからと云(い)へば仕方(しかた)が無(な)い、併(しか)し一般(ぱん)に評(ひやう)せば概(がい)して進歩発達(しんぽはつたつ)して居(ゐ)る、此(こ)の有様(ありさま)では何(いづ)れも前途頼(ぜんとたの)もしい、特(とく)に注意(ちうゐ)すべきは後進者即(こうしんしやすなはち)ち客員(かくゐん)として出品(しゆつぴん)し居(ゐ)る人々(ひとびと)の画(ぐわ)である、聞(き)く所(ところ)に拠(よ)れば斯道(しだう)に指(ゆび)を染(そ)めてから未(いま)だ余(あま)り年(とし)も経(た)たないそうだ、が、皆出来(みなでき)が善(よ)い、此勢(このいきほひ)なら後世恐(こうせいおそ)るべしである、更(さら)に一層(そう)の奮発(ふんぱつ)をして貰(も)らいたい、偖(さ)て、是(これ)から重(おも)なるものに就(つい)て批評(ひゝやう)をして見(み)れば、@◎ナチユールモルト 黒田清輝氏(くろだきよてるし)の筆(ふで)であるが、ナチユールモルトは画題(ぐわだい)でない、或(あ)る新聞記者(しんぶんきしや)は之(これ)を画題(ぐわだい)となし大往生(だいわうじやう)と訳(やく)した話(はなし)がある、実(じつ)に噴飯(ふんぱん)の至(いたり)でないか、是(こ)れは西洋(せいよう)で応接間(おうせつま)、食堂抔(しよくだうなど)の粧飾(せうしよく)とする為(た)めに、器物(きぶつ)や果物等(くだものたう)を奇麗(きれい)に画(ゑが)く一種(しゆ)の画名(ぐわめい)である、師(し)の画(ゑが)いたものも器物(きぶつ)に蜜柑(みかん)、林檎(りんご)の沢山入(たくさんはい)つている所(ところ)の傍(そば)に、鳥及(とりおよ)び様々(さまざま)の物(もの)を美麗(びれい)に綾(あや)なしたのである、随分力(ずいぶんちから)を込(こ)めたかも知(し)らんが、唯(た)だ奇麗(きれい)といふ一点(てん)に止(とゞ)まつて居(ゐ)る、又氏(またし)の長所(ちやうしよ)でもあるまい、@◎肖像 外山博士(そとやまはかせ)の肖像(しやうざう)で矢張黒田氏(やはりくろだし)の筆(ふで)である、其本人(そのほんにん)は知(し)らないが、実(じつ)に善(よ)く似(に)て居(お)つて寸分(すんぶん)も違(ちが)はないとは是(こ)のこッてあると、人(ひと)は褒(ほ)めはやして居(ゐ)るそうだ、成(な)る程氏(ほどし)は人物(じんぶつ)は得意(とくゐ)で、此肖像(このせうざう)の如(ごと)きは今(いま)まで肖像画(せうざうぐわ)は沢山画(たくさんゑが)かれてゐるが、未(いま)だ曾(かつ)て見(み)ない処(ところ)である、如何(いか)に口(くち)さがなき人(ひと)もとかう云(い)ふことは出来(でき)ないだらうと思(おも)はれる、@◎賎民 中沢弘光氏(なかざわひろみつし)の出品(しゆつぴん)である、此頃巴里大博覧会(このごろぱりーだいはくらんくわい)の出品(しゆつぴん)に採定(さいてい)せられた様(やう)であるが、何(だ)うだらう其趣向(そのしゆかう)に於(おい)ては、賎民(せんみん)は五六人肌褐(にんはだ■■)たり寝(ね)たりして居(ゐ)る所(ところ)は善(よ)いが、外囲(ぐわいゐ)の光景(こうけい)は随分立派(ずゐぶんりつぱ)である、賎民(せんみん)どもは渡世(よわたり)の苦(くる)しみを忘(わす)れて楽(たのし)んで居(ゐ)るのかしらん、左(さ)もなくば、希臘(ぎりしや)のダィオヂ子ス流(りう)の人物等(じんぶつら)の寄合(よりあい)でゞもあらうか、何(なに)しろ賎民等(せんみんら)とは見(み)えない、少(すこ)し過言(くわごん)ではあるが詩人画客(しじんぐわかく)が遠山(とほやま)の景色(けしき)を賞(しやう)して風流(ふうりう)な話(はなし)をして居(ゐ)る様(やう)に見(み)ゆる、@◎海辺の逍遥 是(こ)れは湯浅(ゆあさ)一郎氏(らうし)の画(ぐわ)で、人(ひと)は人物(じんぶつ)の左(ひだり)の手(て)の骨格(こつかく)は何(ど)うであるとかいひて批難(ひなん)するそうだが、夫(そ)れは兎(と)もあれ、余(よ)は第(だい)一画題(ぐわだい)が可笑(おか)しいと思(おも)ふ、何(な)ぜとなれば、海辺(かいへん)の風景(ふうけい)は実(じつ)に乏(とぼ)しい、跣(はだし)で砂原(すなはら)を歩(ある)いて居(ゐ)る所(ところ)は如何(いか)にもと頷(うな)づかるゝが、寧(むし)ろ単(たん)に肖像画(せうざうぐわ)として見(み)たい気持(きもち)がする、併(しか)し、唯(た)だ画題(ぐわだい)に恰當(かうたう)して居(お)らんと云(い)ふ丈(た)けで、人物画(じんぶつぐわ)の上(うへ)から見(み)たならば嘆賞(たんしやう)せざるを得(え)ないのである、氏(し)は人物(じんぶつ)に就(つい)ては確(たし)かに腕(うで)を持(もつ)て居(ゐ)るらしい、此外(このほか)に京都(きやうと)の花売女もある、海辺(かいへん)に逍遥(せうえう)して居(ゐ)る女(をんな)の、頭(あたま)に載(かぶ)つた麦藁(むぎわら)の常磐笠(ときわがさ)を、軽(かる)く両手(れうて)に抑(おさ)へて歩(ある)いて居(ゐ)る所(ところ)などは、さながら活動(くわつだう)しつゝある様(やう)だ、氏(し)は此辺(このへん)に向(むか)つて心力(しんりよく)を盡(つく)したことは明(あきら)かに知(し)れて居(ゐ)る、@◎上加茂の磧(かはら) 同(おな)じく湯浅氏(ゆあさし)の出品(しゆつぴん)で、概(がい)して云(い)へば色彩(しきさい)は善(よ)く出来(でき)た画(ぐわ)である、距離遠近(きよりゑんきん)の模様抔(もやうなど)も間然(かんぜん)する所(ところ)は無(な)い、加茂川(かもがは)の頭(ほとり)、樹木鬱蒼(じゆもくうつさう)として山丘(さんきう)に連(つらな)りたるの風景得(ふうけいゑ)も云(い)はれぬ程善(ほどよ)い、尚(な)ほ又(また)斜陽といふのもあるが、是(こ)れは夕方漁夫(ゆふかたぎよふ)が舟(ふね)を岸(きし)に繋(つな)いで居(ゐ)る川面(かわもせ)の晩景(ばんけい)である、日(ひ)は既(すで)に山(やま)に没(ぼつ)したけれど、未(いま)だ微光(びくわう)の西方(さいほう)に残(のこ)つて物影(ものかげ)の小暗(こぐら)き様(さま)、真(しん)に逼(せま)つて居(ゐ)る、殊(こと)に感服(かんぷく)したのは溶々(よふよふ)たる水(みづ)の色(いろ)である、

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