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白馬会関係新聞記事 第3回白馬会展

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白馬会画評の殿り(一)
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| 渦外山人 | 毎日新聞 | 1898/11/29 | 1頁 | 展評 |
此秋(このあき)の白馬会(はくばくわい)も大分論評(たいぶんろんぺう)に上(のぼ)ツて世間(せけん)を賑(にぎ)はしたが何(ど)うも未(ま)だ討論終結(たうろんしふけつ)とするには物足(ものた)りない心持(こゝろもち)がする褒(ほ)めるにも貶(くさ)すにも肝心(かんじん)の肯綮(こうきん)を得(え)ないで横(よこ)ツちやうの骨折損(ほねをりぞん)を為(し)て居(を)るのもある是(これ)こそといふのを見落(みおと)して居(を)るのもある又穿(または)き違(ちが)への滅多攻撃(めつたこうげき)もあるやうで兎角急所々々(とかくきうしよきうしよ)を往(い)くのが少(すく)ないやうだところで来月(らいげつ)十日(か)まで日延開場(ひのべかいぜう)といふを幸(さいは)ひ茲(ここ)に殿(しんがり)の大役自分(たいやくじぶん)から引受(ひきう)け扨(さ)てどんじりに据(ひけ)へしはト一番遣(ばんや)ツて見(み)るのも何(いづ)れ盲評(もうへう)の向(むか)ふ不見先(みずま)づ其積(そのつも)りで読(よ)んで貰(もら)ふとしよう@広瀬勝平君(くん)の海岸に岩のある画此人(このひと)は全体(ぜんたい)に筆(ふで)つかひが大(おほ)きくて小刀細工(こがたなさいく)をやらないのは至極賛成(しごくさんせい)だ、此画(このゑ)なんか昨年(さくねん)の田舎道に女の通る画に比(くら)ぶれば色(いろ)の調子(てうし)も落附(おちつ)いて筆(ふで)つかひもしつかりして居(を)る夕日(いふひ)の影(かげ)は岩(いは)の上(うへ)にあらはれて居(ゐ)るが海(うみ)の面(をも)にもたしかに日(ひ)の當(あた)つた調子(てうし)が見(み)へる此辺(このへん)が最(もつと)も見所(みどころ)だと思(おも)ふ削(けづ)つた様(やう)な岩(いは)のこなしは中々(なかなか)いゝが水(みづ)も空(そら)も同(をな)じ筆法(ひつはふ)でやつてのけたから波(なみ)や雲(くも)が木片(こつぱ)を散(ちら)したといふ気味(きみ)がある。@和田英作君(くん)は富士山(ふじさん)を色々(いろいろ)な天気(てんき)にかき別(は)けて出(だ)されたのは面白(をもしろ)い、併(しか)し画(ゑ)は富士(ふじ)の画(ゑ)より外(ほか)に面白(をもしろ)いのがある。老人の肖像の如(ごと)きは筆(ふで)が軽(かる)くいつて八十近(ちか)き老翁(らうおう)の様子(やうす)がよく写(うつ)された。海浜に人物の立てる図の眩(まぶ)しき夕陽(せきやう)が水面(すゐめん)を射(ゐ)たるさまは手際(てぎは)なところである。此他(このた)機織も障子(せうじ)に日(ひ)の當(あた)れるを透(とほ)して見(み)たる趣向(しゆかう)は面白(おもしろ)く思(おも)ふ。文をひろけたる婦人の図は着物(きもの)の具合(ぐあひ)はいゝがちと小説(せうせつ)の挿画(さしえ)じみたところは感服(かんぷく)しない子。昨年(さくねん)の新聞を見て居る少女と似(に)た趣向(しゆかう)であるが気取(きど)つた丈今年(だけことし)の方(はう)が面白(おもしろ)くない。@湯浅一郎君(くん)ので一番気(ばんき)に入(い)つたのは海辺に三日月の出て居る図である将(まさ)に暮(くれ)んとする空(そら)と海(うみ)の色合(いろあひ)が穏(おだ)やかで趣味(しゆみ)の深(ふか)い画(ゑ)だ。漁家内部の図は光線(くわうせん)の當(あた)るところ曖昧(あいまい)なやうだ且(か)つくすぶつた室内(しつない)としては青色(あをいろ)が勝(か)ち過(す)ぎる。人物(じんぶつ)に趣(おもむき)はあるが前(まへ)の漁師(れふし)らしき男(をとこ)のやゝしやちこ張(ば)つて見(み)ゑるは穏(おだやか)でない、それよりは背後(うしろ)の女(をんな)の顔(かほ)に裏口(うらぐち)からの反射(はんしや)を見(み)せたところなどいゝ方(はう)だ。@君(きみ)の海浜帰漁の大作布置構結(たいさくふちけつこつ)の力量(りきれう)は近来(きんらい)に珍(めづ)らしい出来(でき)である、漁家(ぎよか)の家族(かぞく)を一団(だん)としてよく相互(さうご)の関係(くわんけい)をつけ帰漁(きぎよ)の情趣(ぜうしゆ)を捉(とら)へ得(え)た技能先(はたらきま)づ以(もつ)て感服(かんぷく)する。色(いろ)の調(てう)は夕日(ゆふひ)の漸(やうや)く沈(しづ)まんとするに當(あた)りて陽光(やうくわう)は斜(なゝめ)に地(ち)を射(ゐ)て紅色(こうしよく)の光(ひかり)を放(はな)つの瞬間(しゆんかん)、物影(ものかげ)の朦朧(もうろう)としてすべて一種(しゆ)の光彩(くわうさい)を帯(お)ぶるの現象(てんき)など常(つね)にある処(ところ)なれど一寸不思議(ふしぎ)に覚(おぼ)へるものだ此色(このいろ)の調子(てうし)は此光(このひか)りのさまを写(うつ)すが為(た)めに苦心(くしん)ししかもよく成功(せいこう)して居(ゐ)る。猶細(なほこま)かに評(へう)すれば抱(いだ)かれたる小児(せうに)の背中(せなか)の色(いろ)のきわ立(た)つて白(しろ)きは丸(まる)で別物(べつもの)をつけたるが如(ごと)しだこれは他(た)と同(おな)じ調子(てうし)にやつてもらいたかつた。また沙中(しやちう)の水溜(みづたま)りのやうなものは河(かは)なるか海(うみ)の入(い)り込(こ)みたるなるか或(あるひ)は潮(しほ)の残(のこ)りか疑(うたが)はし、岩(いは)の間(あひだ)ならばこんな深(ふか)い水溜(みづたま)りも出来(でき)るだらうが沙地(すなち)にてはあるべからずだ兎(と)に角説明(かくせつめい)が足(た)らないものでむだなものとなツて仕舞(しま)ツた。また最(もつと)も難(なん)すべきは人体(じんたい)の釣(つ)り合悪(あひわる)くすべて手足(てあし)が如何(いか)にも細(ほそ)く頭(あたま)が自然大(しぜんおほ)き過(す)ぎて見(み)ゑることなので折角(せつかく)よく出来(でき)た此作(このさく)も之(こ)れが為(た)めに醜(みにく)くなツたは残念(ざんねん)の次第(しだい)さ

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