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白馬会関係新聞記事 第3回白馬会展

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白馬会展覧会瞥見
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| 国民新聞 | 1898/10/21 | 5頁 | 展評 |
日本なればこそ斯(か)ゝるものを公衆(こうしう)の前に展覧(てんらん)するを得(う)るなれ我等は其の白馬会展覧会とのみ標して未だ絵画展覧会(くわいぐわてんらんくわい)と称せざりしを尤(もつと)もなりとすとは余りに酷なる批評(ひへう)なれども酷評(こくへう)の中にも多少の道理なきにあらず@第一に目に留(と)まるは幅(はば)の大小が画(ゑ)の巧拙(こうせつ)と反比例(はんぴれい)をなすことなり近頃(ちかごろ)大作を試むるの風起(ふうおこ)りて僅かにアウトラインを描(えが)き得は直ちに五尺六尺の大作(たいさく)を試(こゝろ)みんとすこれは独り絵画(くわいぐわ)のみにてはなく大学の二年生は天下第一の大学者(たいがくしや)なりと諺にも云ふが如し北蓮藏氏の野辺送りは云ふに足らず評判(へうばん)ありし黒田清輝氏の小督の如(ごと)きも比例(れい)に漏(も)れず前年の白馬会場に揚(かか)げられたる下図は稍々(やゝ)見るに足るものなりしに其完成(くわんせい)するに及んで大瑕小疵数(たいかせうひかぞ)ふるに堪へず看(み)る人をして其の大を恐(おそ)れて却走せしめんとす画幅(ぐわふく)大にして其の拙(せつ)も大に画幅小なればなる程見るべきもの多きは諸君の手腕鍛錬(しゆわんたんれん)未だ大作をなす程に上達(じやうたつ)せざるものなるべし漫(みだり)に大作の野心を起さず適當の小作にて充分修業(ぢうぶんしゆげふ)を積(つ)まれんこと願はし西洋(せいよう)に於ては有名(いうめい)なる画家も遂に大作なくして一生を終(をは)りたるものもあるにあらずや@次に観覧者(くわらんしや)をして広(ひろ)くもあらぬ陳列場(ちんれつぢやう)を一たび行き過(す)ぎて日の倦憊(けんはい)を覚(おぼ)えしむるは何故なる乎殊に青年諸氏の画は一度描(ゑが)きし絵の上(うへ)へ何か又薄く塗(ぬ)りたる如く靄(もや)の中に物を見る如き心地(ここち)す光線の研究(けんきふ)が足らぬと或る人の評(へう)せしは蓋し是(こ)れを謂(い)いしもの歟(か)起用に描かんとせし絵(ゑ)は一寸人好(ひとず)きのする所はあれど全体(ぜんたい)に於ては失敗(しつぱい)に帰せしものゝ如し啻正直に自己の我流(がりう)を出す事なく教(をし)へられたるままに描きしものゝ中には望(のぞみ)を嘱(ぞく)すべきもの少なからず未だ西洋画の堂(どう)に上らず如何にして日本画(にほんぐわ)と西洋画の調和(ちやうわ)を試み自ら一機軸(いつきじゆく)を出すの大膽事業(だいたんじげう)をなし得んや我等は此の点(てん)よりして作に於ては数等寧(むし)ろ数十等の下にあれど寧ろ山本森之助氏其(そ)の他(た)を取らんと欲(ほつ)す@黒田清輝氏の『小督』が成効(せいかう)せざりし事は既(すで)に世人の認(みと)むる所小林萬吾氏の『晩帰(ばんき)』白瀧幾之助氏の『樵夫』も亦然(またしか)り和田英作氏の『少女』も若し或る人の云ふが如く画題『物思(ものおも)ひ』ならばそは題(だい)に適(かな)はざる作のみ三尺の全幅(ぜんぷく)吾人は不幸にして物思ひらしき情(じやう)を見出す能はざるなり@是れぞと思はることは黒田清輝氏の『干(ほ)し物(もの)』(二0六)久米桂一郎氏の『残▲』(一0四)か前者は日中の状写(うつ)し出(いだ)して滞りなく後者(こうしや)は夕暮の意を見る人の心に印(ゐん)して忘れしめず遠山(ゑんざん)の暮靄(ぼたい)、樹間(じゆかん)の夕陽(せきやう)黒める森(もり)と淋(さび)しげなる農夫とは確かに作者の胸中にありし或者(サムシング)を見る我々に伝ふるものゝ如し@其他黒田氏の樹下(じゆか)に婦人の横(よこたは)り居るもの(二0五)和田英作氏の『夕陽(せきやう)』(三二)小林萬吾氏の『冬の田畑』(二二四)等も取るべし藤島武二氏の『納涼(のふりやう)』は大なる割合(わりあひ)には能く出来たりとの事なれど我等は寧ろ側(そば)にある『海辺(かいへん)』を取らんとす@コランの三幅中『夏(なつ)の終(をは)り』は威る大作の一部分をスケツチせしものとの事(こと)なるが樹の塩梅草(あんばいくさ)の具合(ぐあひ)色の出し方萬端人をして首肯(しゆかう)せしむるものありカセットの『母子(ぼし)』も情味掬(じやうみきく)す可くウ井ツツマンの『月夜』『落葉』既(すで)に定論(ていろん)あり

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