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白馬会関係新聞記事 第2回白馬会展

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白馬会展覧会所見(三)
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| 芳陵生 | 毎日新聞 | 1897(明治30)/11/25 | 1頁 | 展評 |
◎久米桂一郎氏の景色画(けいしよくぐわ)廿余点(よてん)、氏(し)が独詣(どくけい)の筆(ふで)、自(おのづ)から人(ひと)をして暫(しばら)くは去(さ)る能(あた)はで其情致(そのじやうち)を味(あじは)はしむるものあり、特(とく)に面白(おもしろ)く覚(おぼ)へたるは『夏の海浜』なるべし、@◎浜辺(はまべ)の砂爛(すなただ)るゝ計(ばか)りの処(とこと)に旗(はた)の高(たか)く掲(かゝ)げたる小屋(こや)の掛(か)かれるなど海水浴(かいすゐよく)の景色(けいしよく)にも数(かぞ)ふべき歟(か)、仏国(ふつこく)の一画法(ぐわはふ)と聞(きこ)ゆる『ポイント』派(は)の様(さま)を此(こゝ)に写(うつ)し全面畳点(ぜんめんじふてん)の筆(ふで)もて充(み)たされたる画(か)き方(かた)、斯界研究(しだうけんきう)の士(し)には此上(こよ)なき面白味(おもしろみ)を与(あた)ふるなるべし、色彩(いろどり)も夏(なつ)の熱(あつ)き所充分(ところじうぶん)に見(み)へたり、唯(た)だ前景(ぜんけい)の筆足(ふでた)らずして稍(や)や控(ひか)へ過(す)ぎたる気味(きみ)なきにあらず@◎『夏の雲』も亦(また)一異色(いしよく)として評(ひやう)するを得(う)べし、空気(くうき)の乾燥(けんさう)せるさま自(おのづ)から見(み)らるゝのみかは、木(き)の葉(は)など思(おも)ひ切(き)つて画(ゑが)かれ、汲々筆(きうきうふで)を抹(まつ)し形(かたち)を求(もと)むるの徒(と)には到底夢想(たうていむさう)し得(う)べからざる趣味(しゆみ)あるを覚(おぼ)ゆ、但(ただ)し家(いへ)の棟(むね)の所黒過(ところくろす)ぎて少(すこ)しく眼(め)に障(さは)るやうなり、日影(ひかげ)なりとすれば強(つよ)きに過(す)ぎずや、是(こ)れ或(あるひ)は棟(むね)と其下(そのした)の屋根全面(やねぜんめん)との色(いろ)に置(おい)て調和(てうわ)と欠(か)きたるにも依(よ)るべきにや、『秋の暮』筆致自(ひつちおのづ)から裕(ゆた)かなる所(ところ)あり『冬枯(ふゆがれ)』は前景(ぜんけい)の草確(くさたし)かならざる節見(ふしみ)へ、『小浜の晩涛』は比較的(ひかくてき)に大物(おほもの)なるが別段得意(べつだんとくい)の作(さく)とも見(み)へず、@◎小代為重氏の『墓場の暮』凄寥(せいれう)たる暮色巧(ぼしよくたく)みに描(えが)き出(い)だされて申分(まをしぶん)なし、申分(まをしぶん)あるは道(みち)を急(いそ)ぐ人物(じんぶつ)なるべし、墓場(はかば)の幽霊(ゆうれい)など、観客(けんぶつ)の中(うち)にはあたら口(くち)に風(かぜ)を引(ひ)かするもありし様(やう)なるが、此幽霊説強(このゆうれいせつあな)がち無理(むり)にもあらず、其足(そのあし)の説明甚(せつめいはなは)だ不充分(ふじうぶん)なるを如何(いかん)せん、蓋(おも)ふに此画(このぐわ)、其位置(そのゐち)よりするも人物(じんぶつ)が主(しゆ)なるべきに、研究(けんきう)の却(かへつ)て之(これ)に疎(そ)なりし者(もの)あるは憾(うら)むべきことなり、而(し)かして此人物(このじんぶつ)には業(げふ)を終(おは)りて帰家(きか)を急(いそ)ぐの様(さま)こそ見(み)ゆれ、特(とく)に墓場(はかば)の景(けい)を添(そ)へたる主画(しゆぐわ)として期(き)すべき感情(かんじやう)を与(あた)へざるは、割合(わりあい)に損多(そんおほ)き作(さく)と謂(い)ふべし、@◎『芝浦のハゼ釣』は、前景(ぜんけい)に置(お)ける海岸道直立(かいがんみちゝよくりつ)して崖(がけ)などの如(ごと)くにも見(み)ゆべし、ハゼ釣(つり)の前(まへ)なる男(をとこ)は洋服(やうふく)の外套(ぐわいとう)を着(つ)けたる様見(やうみ)ゆるにや異人(いじん)のハゼ釣(つり)など又(また)しても口(くち)に風引(かぜひ)かするがありし様(やう)なり、@◎氏(し)の作中最(さくちうもつ)とも賞(せう)に入(い)るは国府津の海岸なるべし、水(みづ)の桃色(もゝいろ)の如(ごと)き辺(あた)り夕陽(せきやう)の映(えい)ぜるさま柔(やはら)かく写(うつ)され、頗(すこぶ)る巧妙(こうめう)を見(み)る、打上(うちあ)げたる浪(なみ)の白(しろ)き処(ところ)は筆重(ふでおも)くしてタツゝケ物(もの)の様(やう)なり、女(をんな)の丈割合(せいわりあい)に高(た)か過(す)ぎたればにや、水中(すゐちう)に立(た)てるとも見(み)ゆべし@◎小林萬吾氏『畑の小径』一寸見(ちよつとみ)るべきものあり、遠景(えんけい)の樹(き)の穏(をだや)かなる色(いろ)にて情饒(じやうおほ)く、空(そら)もよく写(うつ)されたり、『郊外の小春』遠景(ゑんけい)など中々(なかなか)に面白(おもしろ)き所(ところ)あれど大部分(だいぶぶん)を占(し)めたる前景要(ぜんけいえう)もなく見(み)へて幾分(いくぶん)の損(そん)ある方(かた)なり、氏(し)の作中(さくちう)にては蝉取りの一画(ぐわ)こそ際立(きわだ)ちて見(み)らるれ、遠景樹木(ゑんけいじゆもく)の手際亦見(てぎわまたみ)るべく、木(き)の葉(は)に日向(ひなた)と影(かげ)の色(いろ)の区別附(くべつゝ)き居(を)るなど可成力(かなりちから)を篭(こ)めたるものらしゝ、蝉(せみ)を趁(お)ふ児童(こども)の形甚(かたちはなは)だ不充分(ふじうぶん)なるは憾(うら)むべし、

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