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白馬会関係新聞記事 第2回白馬会展

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白馬会展覧会所見(一)
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| 芳陵生 | 毎日新聞 | 1897(明治30)/11/17 | 1頁 | 展評 |
◎忍(しのぶ)ケ岡(をか)の紅葉(こうやう)に吟(ぎん)じつゝ小春(こはる)の空(そら)の朗(のど)けきを弄(もてあそ)ぶは、唯(た)だでさへ愉快(ゆくわい)なるを、美術協会(びじゆつけふくわい)あり、白馬会(はくばくわい)あり、絵画協会(くわいぐわけふくわい)あり、丹青界(たんせひかい)の彩霞淡(さかあわ)く又濃(またこまや)かに我(わ)れを罩(こ)めて神魂縹緲■(しんこんへうべう■)く所(ところ)を知(しら)ざらしむ@◎殊(こと)に此情(このじやう)の深(ふか)く感(かん)ぜらるゝは白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)なるべきにや、新旗幟(しんきしよく)の下(もと)に一致同盟(ちどうめい)の陣構整然(ぢんかまへせいぜん)として乱(みだ)れず、見(み)るべきの大作多(たいさくおほ)くして、各幀(かくてい)の前客(まへかく)の去(さ)り難(がた)き風情(ふぜい)なり@◎博覧会出品の候補如何@◎巴里(ぱりー)萬国博覧会(こくはくらんくわい)の開会(かいくわい)は僅(わづ)か三年(ねん)の後(のち)に在(あ)れば政府(せいふ)は是(こ)れより年々(ねんねん)の展覧会(てんらんくわい)に於(おい)て其出品(そのしゆつぴん)の候補(こうほ)を漁(あさ)らんことを期(き)す併(し)かも未(いま)だ同会出品(どうくわいしゆつぴん)の適否(てきひ)に就(つい)て論評(ろんぺう)せしものあるを聞(き)かず、是(こ)れ今年以後(こんねんいご)に於(お)ける展覧会(てんらんくわい)の注意物(ちういもの)なるを、憾(うら)むべき事(こと)なり、@◎出品撰択の方針如何(いかん)、要(えう)は其出品(そのしゆつぴん)の西欧美術家(せいおうびじゆつか)の意(い)を惹(ひ)き列邦観客(れつぽうくわんかく)の眼(め)を注(そゝ)かしむるに在(あ)り、則(すなは)ち大作(たいさく)―面積(めんせき)の大(だい)なると共(とも)に、其作品(そのさくひん)の雋逸(しゆんいつ)せる大作(たいさく)を択(えら)ぶを以(もつ)て其方針(そのほうしん)と為(な)すこと肝要(かんえう)なるべし大作(たいさく)は単(たん)に面積(めんせき)の大小(だいせう)に拘(かゝ)はらざれど、萬邦美術家(ばんぽうびじゆつか)の膽玉(きもたま)を挫(ひし)かんほどの精妙(せいめう)あれば兎(と)も角(かく)、否(しか)らざれば広々(ひろびろ)とせし白壁(しらかべ)に蝿(はひ)一とつ留(とま)りたらんが如(ごと)くなるべし、折角(せつかく)の出品(しゆつぴん)なりとて誰(た)れか眼(め)を留(とど)むるものぞ、@◎遖(あつ)ぱれ美術館(びじゆつくわん)に容(いり)て、仰視(げふし)せられ日本の名誉(めいよ)を謳(うた)はれんには、少(すくな)くも横竪何(よこたていづ)れに於(おい)てなりとも三尺以上(じやくいじやう)のものたるべし、然(しか)らんには白馬会展覧会出品中(はくばくわいてんらんくわいしゆつぴんちう)の一尺位(しやくぐらゐ)には見らるゝこともあらんか、充分(じうぶん)の面積(めんせき)を有(いう)して技巧亦之(ぎこうまたこれ)に伴(ともな)ふの大作(たいさく)は、我(わ)れ白瀧幾之助氏の稽古、和田英作氏の渡頭暮色、安藤仲太郎氏の曙及(およ)び黒田清輝氏の裸体画、秋草の五個(こ)を推(お)さゞるを得(え)ず、@◎美術家(びじゆつか)が脳裏一点(のうりいつてん)の趣味(しゆみ)を感(かん)じて其(そ)れより湧出(ゆうしゆつ)する所(ところ)の画題(ぐわだい)、之(これ)に向(むかひ)ては他(た)の牽制(けんせい)を加(くわ)ふべきにあらず、然(しか)らずして他より牽制(けんせい)せんには、是(こ)れ美術(びじゆつ)の独立(どくりつ)を害(そこな)ふもの、作家(さくか)の霊想(れいそう)を左右(さゆう)せんとするものなり、其画題(そのぐわだい)が如何(いか)にあれ、美術家(びじゆつか)の脳裏に感(かん)じ芸術(げいじゅつ)に化(くわ)せらるゝ時(とき)は、人(ひと)の或(あるひ)は以(もつ)て野卑(やひ)と為(な)すべきものも、優に高尚(かうしよう)の感(かん)を与(あた)へ来(きた)るものなり、而(しか)して美術家(びじゆつか)の霊想(れいそう)は読書(どくしよ)に依(よ)りて其礎(そのいしづえ)を作(つく)らず、既(すで)に其人(そのひと)の脳裏(のうり)に備(そな)はれる一の霊想(れいそう)ありて、心(こゝろ)に感(かん)じ眼(め)に映(えい)じ来(きた)らんものは之(これ)に触(ふ)れて將(まさ)に描出(べうしゆつ)せらるべき或(あ)る形(かたち)を孕(はら)み、更(さら)に或(あ)る手段(しゆだん)に藉(よ)りて之(これ)を表(あら)はすのみ、世(よ)に白瀧幾之助氏の稽古を評(へう)して野卑(やひ)なりと叫(さけ)び、読書(どくしよ)を以(もつ)て美術家頭脳(びじゆつくわづのう)の製造法(せいぞうほう)なるが如(ごと)く呼(よ)ぶものあるは我(わ)れ其理(そのり)を解(かい)せず、@◎三味線(さみせん)を弾(ひ)くもの、歌(うた)ふもの、窓(まど)に倚(よ)りて朋輩(はうはい)の歌(うた)ふを護(も)り居(を)るもの、此(この)三少女(せうじよ)のエキスプレツションのいみじくも描出(えがきいだ)されたる何人(なんびと)も感賞(かんしよう)する所(ところ)なるべし其色(そのいろ)の美(うつくし)くして、種々(しゆじゆ)の絵(え)の具(ぐ)を使(つか)ひたるに拘(かゝ)はらず能(よ)く調和(てうわ)せる所(ところ)、正(まさ)に是現代(これげんだい)の仏国絵画界(ふつこくくわいぐわかい)が研究(けんきう)しつゝある所(ところ)なるべし、唯(た)だ師匠(ししよう)の坐(すわ)り居(を)る足(あし)の裏(うら)の色何(いろいづ)れより光線(くわうせん)を受(う)け居(を)るとも覚(おぼ)へず、生人形(いきにんげう)の気色(けしき)ありて、此所丈(こゝだ)けは別人(べつじん)のクツゝけ物(もの)の如(ごと)し、傍(かたは)らの葦戸(よしど)を開(ひら)きつ立留(たちど)まれる娘(むすめ)、入(い)り来(きた)るのやら、唯(た)だ佇(たゝず)みて聴(き)き居(を)るのやら分(わか)らず、恰(あた)かも三味線(さみせん)を弾(ひ)ける娘(むすめ)の後(うしろ)を見(み)て其帯(そのおび)の美(うつく)しきなど羨(うらや)み居(を)るとしか見(み)へざるは如何(いかん)、此葦戸及(このよしどおよ)び後方(うしろ)の簾筆(すだれふで)に骨(ほね)なくして是亦説明(これまたせつめい)され居(お)らず、透(す)きて見(み)ゆる盆栽(ぼんさい)の形(かたち)も余(あま)り無造作(むぞうさ)に過(す)ぎずやと兎(と)に角和田氏(かくわだし)の景色(けしき)に巧(たく)みなると共(とも)に、氏(し)の人物画(じんぶつぐわ)に長(ちやう)ぜるは観客(くわんかく)の許(ゆる)せる所(ところ)なるべし、

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