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白馬会関係新聞記事 第1回白馬会展

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白馬会展覧会批評(はくばくわいてんらんくわいひゝやう)(一)
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| 報知新聞 | 1896/10/23 | 1頁 | 展評 |
◎茂林初秋図(藤島武(ふぢしまたけ)二氏(し)) 蝉声漸(せんせいやうや)く稀(まれ)にして涼気肌(れいきはだへ)に迫(せ)まる林樹日(りんじゆひ)を遮(さへぎ)りて梢(こずゑ)を渡(わた)る秋(あき)の初風(はつかぜ)そよと音信(おとづ)れて行(ゆ)くに青葉(あをば)の日(ひ)に透徹(すきとほ)りていと鮮(あざや)かなるに人(ひと)の気息(けはひ)もあらぬ静(しづ)けさ憐(あは)れ半日(はんにち)を此林中(このりんちう)に送(おく)らばいかに、氏(し)の出品数(しゆつぴんかず)ある中(なか)に殊(こと)に出色(しゆつしよく)の者(もの)なりとす況(ま)して旧来(きうらい)の水彩画中(すゐさいぐわちう)かゝるめでたき者(もの)を見待(みはべ)らざりしに氏(し)に依(よ)りて其清心(そのせいしん)なる着色(ちやくしよく)を発揮(はつき)せられしはいと嬉(うれ)し、此他(このた)郊外図もいとをかしうなん@◎東寺郊外夕景(安藤仲太郎氏(あんどうなかたらうし)) 一日西(じつにし)の京(きやう)なる四條(でう)に近(ちか)き宿(やど)りを出(い)てゝ何処(いづく)ともなく漫(そぞ)ろ歩(ある)きし侍(はべ)るに東山扨(とうさんさて)は桂川(かつらがは)も今(いま)は見飽(みあき)て侍(はべ)れは西南(せいなん)の方(かた)へと志(こゝろ)ざし九條(でう)の町(まち)を出(い)でゝ畑中(はたなか)を行(ゆ)けば心地(こゝち)よきまでに鋤(すか)れたる畆々青菜(うねうねあおな)の色(いろ)よきが見所(みどころ)あるに歌(うた)など読(よ)み考(かう)がへつゝある程(ほど)に日(ひ)はいつか西山(せいざん)に入(い)りて向(むか)ひの東寺(とうじ)の森(もり)に暮色蒼然(ほしよくさうぜん)として晩鴉(ばあ)の声(こゑ)も急(いそ)がしきに五重塔(ぢうのたふ)と其の本堂(ほんだう)の屋棟(やのむね)の高(たか)う見渡(みわた)さるゝもをかし、民(し)の出品(しゆつぴん)二葉中(えふちう)一図(づ)は少(すこ)しく申分(もをしぶん)あれど東寺(とうじ)の方(かた)は夕暮(ゆふぐれ)の感情(かんじやう)十分(ぶん)に露(あら)はれていとめでたし@◎室内児童図(小代為重氏(こしろてぬしげし)) 何所(いづこ)なるらん片田舎(かたゐなか)なる旅店(りよてん)の勝手(かつて)に近(ちか)き廊下(ろうか)なるべし少(すこ)し煤(すゝ)けし障子(しやうじ)に箒(はふき)のつるしたる上(した)に十二三斗(ばかり)なる洋人(やうじん)の子供脚半草鞋掛(こどもきやはんはらじかけ)して足投出(あしなげいだ)したるに勝手(かつて)の方(かた)まで見渡(みわた)さるゝがいとをかし、蝦夷菊園図今(いま)を盛りと咲揃(さきそろ)ひたる蝦夷菊(えぞぎく)の紅紫互(こうしたがひ)に入(い)れ乱(みだ)れて色(いろ)いとうるはしきに遠(とお)く室(むろ)の見渡(みわた)されたる農婦(のうふ)の立てるなどいと面白(おもしろ)し、氏(し)の出品多(しゆつぴんおほ)き中(なか)に此(これ)二図(づ)いと穏(おだや)かなり氏(し)は余(あま)りに腕(うで)に任(まか)せて画過ぐるの弊(へい)ある者(もの)の如(ごと)く覚(おぼ)ゆるは惜(おし)むべし@◎中村勝次郎氏のは別(べつ)に評(ひやう)を下(くだ)すこと能(あた)はず尚向後(なほかうご)の勉励(べんれい)を祈(いの)る、小林萬五氏のは写生画(しやせいぐわ)いと巧(たくみ)なり行末(ゆくすゑ)の進歩(しんぽ)を刮目(くわつもく)して竢(ま)たんのみ(つゞく)

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