黒田記念館 > 研究資料 > 黒田清輝関係文献目録 > IV 定期刊行物

◎災後雑話

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 大震災の破壊と同時にいろいろ改革の端緒が開けた。美術界に取つても思想上改革すべきものが多い。
 美術品でも貴重なものが多く焼失したことであらう。中にもそれを助け出したものゝ如きはその働きを推賞せねばならぬ。大倉集古館の普賢菩薩を取り出したのや、井伊家の彦根屏風を取出したのは顕しい功績である。
 建築物では、ニコライ会堂や、虎ノ門旧工部大学などは立派ではあつたが、明治時代の洋風建築として勝ぐれたものであつたとしても、之を世界の名建築に比すれば、さほど痛惜する程ではない。惜しいのは聖堂であつた。
 将来復活の気運に向つたら、聖堂は是非復活させたいものである。絵図も残つて居るのであるから、復活は不可能ではない。稍保守的ではあるが、一時は国家を支へた儒教思想の淵源で、崇高な地域であつた。丁度欧洲の或国でローマ賞を取つた美術家がローマのアカデミーに学ぶやうに、各国の代表的の学者が集まつて、此処に学んだのであるから、此処に学ぶものには自ら崇高な感が起つたであらうし、又各藩では此処に学ばせるのは高尚な誇りでもあつたのであらう。建築と制度と思想との関連するところの深い、一つの見本として復活させたいものである。
 美術の教育に取つても之に鑑みて改革すべき点がある。即ち普通教育以上に、専門的な高い教育が必要である。英国のアカデミーの生徒の様にむつかしい試験を経たる少数の人が贅沢な教育を受けることの出来る様な所が必要である。
 私は此度の大災でユーゴーの詩を思ひ出した。それはルーヴル王宮の死に就て謡つたもので、ルーヴルを護衛する兵士が王の生命を守護することは出来ないといふので、つまり自然の力はとても限りある人の力では拒げないといふのであるが、私はそれを反対に考へた、自然力に対して人力が、も少し勝ち得べきであつたと思ふ。精神的に美術品の貴重なるものを守護したならば守護し得たであらうと思ふ。御宸影を守護するが如きは、極端な例ではあるが、今度の火災も若し拒ぐといふ観念が強くあつたらば、もつと拒ぎ得たと思ふ。必しも堅牢なものゝ中に置かねばならぬと云ふことはない。
 美術品を守るにも国家の貴重な宝を預つて居るのであつて、個人の私有物でないとの観念で之を守護する精神的の力が強かつたならば、人力に依つて、もつと保護することが出来たと思ふ。
 勿論、物質的に保護することも必要ではあるが、物質的の保護法では、種々の変化ある災害に応ずることは出来ない。どうしても精神的に保護しなければならぬ。それには人間の気分を健実にしなければならぬ。社会の組織が健全でなくてはならぬ。
 英仏の如く、名作を外国に出さないやうに、若し売物の名品が出た場合には、私立の会などの力で買ひ戻す、世利などに出る名品は買ひ取つて博物館に納める様なことをして居る。そんな美術品を重んずる思想があれば、必しも蔵でなくても、バラツク式なものゝ中に保管せられてあつても安全であるかも知れない。
 美術品の焼失に就ては世界から深く惜まれることであらう。
 美術館の必要なことは、単に美術品を集めて置く為ではない。美術に対する国民の尊重の観念を高める為に必要なのである。社会を教育する為に必要なのである。
 若し美術を尊重し之を保護する観念が強くないならば、美術館は必しも安全でないから、却つて美術品を集めて之を一炬の火に付する患がないとは限らぬ。
 往々世間では日本の文化が進んで居たから天譴が来たといふ様な説もあるが、併し欧羅巴の大戦争が文化の極度に達して起つたのとは大に趣を異にして居ると思ふ。勿論日本では浮薄な無駄な虚栄を追ふ様な風はあつたが、文化が進み過ぎるといふまでに達しては居なかつた。寧ろ小成に安んじて居たのを警められた様な感がある。居眠りをして居るのを打ちなぐられた様なものである。それ故に決して消極的になるべきでない。唯だ浮薄を戒めて慎重にならねばならぬと思ふのである。(談)
(「美術月報」4-11  大正12年11月)
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