黒田記念館 > 研究資料 > 黒田清輝関係文献目録 > IV 定期刊行物

◎文展の傾向に就いて

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 初めの頃には只何とはなしに世間に行はれた西洋画といふものが出品されてゐた。何となく行はれたといふことは歴史について考へて見れば自ら判る事である、即ち旧式ながら組織立つて稽古したすぢ合は工部大学時代の洋画の研究者。その外高橋由一のやうな器用が本で素人外人について多少研究したものゝ門弟。それから私共のやうにその時代としては比較的新らしく洋行して来たもの等いづれにしても至つて未熟な者等の作品であつた。その後十年間の奨励によつて、捏ね交ぜられ優勢劣敗とか、時勢に伴ふとか、自ら画の姿も変ると同時に近来技術にも余程の進歩を来して、中中面白い作が追々に出て来るやうになつた。併し概して云へばまだスケツチ程度から免れ得ない。さて此のスケツチと真の製作との境界はそのものについて見れば言へぬ事はないが一ト口に標準的に判然した決定を与へる事は六ケ敷いが、是れからは此の程度を越さなければならない。
 人の精神の篭つた所には恐ろしい勢力が潜んで居つて自然と一種の感動の起るものである、例へば神社とか寺院とか又はつまらない辻堂のやうなものでさへもこれ等のものに対しては自ら尊敬の念に打たるゝものである。かの仏国のサロンと我が文展とを比較して見るに、各々の建築物の及ぼす影響も勿論尠なくないには相違ないが、サロンに這入ると一種名状し難い立派さの観念が直に頭を支配する、是れはサロン全体が如何にも忠実な精力の充実されたる集合であつて、個々の作品の美的とか拙作とかいふ事は更に念頭に浮ばず、説明し能はぬ魔力のやうなものに恐ろしき迄に圧伏されるのである。然るに吾が文展にあつてはかゝる崇高なる観念を与へらるゝ事は至つて乏しい。個々の作品を見れば決して外人の作にも劣らぬもののあるに係らず、その全体から吾々は首根つ子を押へ付けられて一礼を促さるゝ気分を感ずる事は困難である。前述の如くその原因の一つは建物にありとは雖も、精神に関するのではあるまいか。稍迷信的ではあるが一寸こんな風に思はれる。苟くも展覧会を開くからにはサロン以上と迄はゆかずとも匹敵し得る迄に進めたいと思ふ、けれども形式即ち建物では到底及び難い事である併し所謂辻堂でも神聖である以上は、バラツクの中に於ても吾々の理想を追及する事が出来ない訳はない、各国誰をも怨まず、只美術に対する製作上の念力を強め、芸術から発散する御光の力を増大せしむれば足るのである。
 精神に重きを措きスケツチ程度の浮薄未成のいゝ加減なものを以つてお茶を濁さず、飽く迄各自の主張の完成を期したなら進歩は勿論の事、我が文展なるものも日ならずしてサロンに匹敵す可き所の壮観を呈し得る時が来るであらうと思ふ。
 本年は不思議にか又不幸にかこれ迄文展御定連ともいふ人達の作品がだいぶ多く落選してゐたのを、後から気付いた、鑑査の折には一々作者の名前を調べる余地もないのである。知名の作家の落選があり又一方に未知の作家の入選を多く見る事もあらう、この結果は如何にも変な事のやうにもあるが、作家に対して何か訓戒を意味してゐるやうに思はれる。実際吾々が行つた鑑査の上から考へるに微塵も不真面目の分子を含んでゐるとは思はない、して見ると如上の原因は何に帰着するかといふのに私は斯う思ふのである。
 毎回無事入選し来りしものが俄然落選するといふ事は一人二人位は兎も角、先づ有り得可からざる事である。然るに一通り描ける人或は今日の洋画家としては上手に描けるといふ人達等が多人数落選したのは技術に馴染がある為に場馴れて来て、出品製作の頃合も呑み込んでゐてその程度の製作を出品した。処が一方、ごくまづい人は論外なれど、一通の技術を持つてはゐるが安心して及第はなし得ない人達は一生懸命な努力をして出品する。これ等二種類の作品について鑑別して--大体の出品は昨年より余程進歩してゐる。又真面目な研究も見えて来た従つて鑑査上の標準も自ら高められた--いゝ出来のものから抜いて来て或る処で打ち切つた、その結果が知名の作家が落選して却つて無名の努力した、或は感覚の鋭敏な作品が及第したのである。例へば三尺の高さに張られた繩を容易に飛び越え得る人達が、今年もそれ丈の覚悟をもつて飛んだのであつたが、不幸にして今年の高さは三尺二三寸であつた、僅か二三寸丈の高さの相違の為に遅れをとつた、勿論飛び越える力のない人達ではないのであるが用意が充分でなかつたのだ。
 知名作家の落選の原因は是等の点にあるのではなからうか、若し勢一杯に飛べば五六尺も飛び得やう。
 予め何尺の高さを飛ばんと極めてかゝるなどは作者としては間違つた考である、油断である、つまり本気でない、熱心が足らない。(談校閲了)
(「みづゑ」153  大正6年11月)
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