黒田記念館 > 研究資料 > 黒田清輝関係文献目録 > IV 定期刊行物

◎太田喜二郎君の芸術-美術家には求め難い性格

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 太田は美術学校在学時代には、深くは知らぬが、温順しい生徒であつた。卒業の後、外国に行くに就て、訪ねて来て、外遊の心得を質問された時、私は太田に向つて、仏蘭西あたりへ行く人は多いが、白耳義に行つた人は余り聞かぬ。生活の方から云つても、巴里あたりでは、下宿住居をしたり、或は画室を借りて朝晩にめしやに行く、半ば放浪生活を、多く遣つてゐるが、余り感心せぬ、それよりは白耳義あたりで、家庭生活をやるのも面白い、私は白耳義に友人があつて、訪ねたことがあるが、皆家庭に居た、それで能く白耳義の家庭の生活を知つて居る。巴里の家庭生活は、外国の書生には殆んど味ふ機会がない、巴里の下宿の乾燥した生活から、白耳義へ訪ねて往つて、家庭を見ると非常に温か味を覚へて、愉快に感じた。それから、白耳義では美術家の人達と友人の様に懇意になつて研究することは巴里よりもやり易い、巴里では弟子になることは出来るが、一家も成した人と友人となつてやるのは困難だ。是等の事柄を話して、白耳義へ行くことを勧めた。太田もそれに同意したから、ウヰッツマンへ紹介した、ウヰッツマンから又外の良い教師に紹介して貰つて、永い間留学して帰つて来た。私の予期したよりも善い成績をもつて還つて来たことを、私は満足に思つた。
 太田は学校時代から、画才は優秀であつたが、その外に、太田の良いところは性質が温厚篤実で、先輩として信ずる人の言ふことを能く聴く、随て先輩から愛せられる。白耳義に留学して居た時に当時の公使であつた秋月左都夫君などは非常に太田を愛して居る。それは無理はない、世話になる方の太田も非常に秋月君を尊重して、言ふことを能く守つて居る。之は得難い性格である。さう云ふ信ぜられた先輩は決して悪いことを言ふ筈はない、必ず為になることを言つて呉れる、それを守ることは善いことだが、遣り悪くいことである。特に近世にはそう云ふ人は少い、それを太田は能く守つて居る。私共の見た最善いところは、そう云ふ点だ、先輩を尊敬して其忠告を受け容れて行くと云ふことである。それから、美術家として最も貴いことは、名利の念が少しもなく、技術に対して非常に熱心である。斯う云ふ性格は、美術家には求め悪い、名利に走らぬ人は、兎角風采、挙動が、何か世間に超絶でもして居る積りで、僻し易いものであるのに、太田はそういふことなしに名利に淡泊なのは善い、それで太田は将来に於て必ず一家を成す人と私は信じて居る。(談、校閲了)
  (「美術」1-7  大正6年5月)
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