黒田記念館 > 研究資料 > 黒田清輝関係文献目録 > IV 定期刊行物

◎私は斯う思ふ

戻る
 私は斯ふ思ふ水彩画家なるものゝ多くはあまりに水絵を小さな一の鋳形に入れ過ぎて考へて居るのではあるまいかと。油絵は充分に自然を観察して深く鋭く突込んで画くもの、水絵は材料などの点から云つても単にものゝ見取図位に止まるものと、少くとも大多数の水彩画家並びに世間の鑑賞家は今までかやうに思ひ来つたのではあるまいか。見取図的のものにも無論長所はある、技巧に走らず感覚を存分に現はせると云ふ処がそれであらう。油絵で云つても大きくて二十号乃至二十五号位、普通六号八号乃至は十二号位のものなれば殆どスケツチ的に即座に物を写し得やう。仮令又即座に出来上らずとも比較的最初の感覚を失はないで完製されやう。然るにこれが百号二百号の大作となつて充分なる調子色彩を見究め其上或る特殊の感情を出さうと云ふには、光線の具合にも多少の変更を行つたり描写の手段の上にも種々なる工夫を要する。随つて大作はスケツチよりも鋭き感覚に乏しくなり、其代り又前者には見られぬ深遠の情趣を現はす事が出来やう。私は水絵にも又深遠なる大作のあつてもよき事を思ふのである。実は大作とは強に面積の尨大のみを意味しない、深刻にして重味のある作それの云ひである。会々水絵で深遠がつた大作に手を染めた人がないのでもなかつた。然るに其人は小なる画面に無闇に丁嚀に細かに物を画き込み過ぎた。これでは又あまり面白からぬ結果になるであらう。さりとて今迄の様に水絵はこの位の処で止めて置くものと定めて、吹けば飛ぶ様なものばかり作つて居たのでは何時までたつても進歩は覚束ない。手段を異にしても油絵でも水絵でも或る目的を現はすには些の相違もないのである。光線の工合と云ひ調子の塩梅と云ひものゝ配置と云ひ、油絵より得るが如き特殊の感じを呼起すだけの作品を水絵でも見せて欲しいのである。油絵は年々多少なり共進歩しつゝある、それと並行して行かうと云ふには水彩画家はこの際大奮発をして今迄の小範疇を破つて大に勉めねばならぬ。今年文展の水絵が極端にも三点より入選を見なかつたのは、実際油絵を見て水絵に眼を転じた時に其貧弱さ加減が著しく眼に映じたからであらう。油絵と同等位の出来栄えの作品を取ると云ふ事になればこは止むを得ぬことである。元よりこれは私一個の考へである。十人寄れば十色で各々其思想も好みも異るのであるから、絵画は斯の如きものと断定しがたきは勿論である。されば文展の如きは一の主義を標榜する会ではないから広く個人の意思を尊重して、色彩本位の画ローマンチツク的作品クラシカルなもの或は後期印象派的作品、何んでも好きなものは選ぶと云ふ方針なのである。
 こゝに私に一の懸念がある。それは曩に私が油絵と比肩す可き立派な作品を見たいと云つたのを、若い人達の中には水絵で油絵の通りの仕事をするのだと穿違へはせまいか、と云ふ事である。若し斯の如く思惟する人があつたらそれこそ誤謬の甚だしきものである。例へば七宝へ日本画の筆力を現はさうと企てれば、却つて日本画の面白味もなくなり、装飾的の趣味も失はれる様なもので、材料の用途を謬れば必らず骨折損に終るであらう。私が仏蘭西に居た時に或るスエーデン人の画家と懇意になつた。此人は水絵が非常に巧みで、御承知でもあらうが彼地の麦の黄熟する頃は、一面に其間に虞美人草矢車草が咲乱れてえも云はれぬ美しさである。かゝる美麗なる色彩は兎もすればあくどく下品に成りがちで油絵でもなかなか困難な題材である。然るに彼は如何にも鮮やかにしかも上品に画き上げた。私はその水絵を見て非常に感心したのである。私は又或る一人の英国の水彩画家と懇意になつた。此人は日常油絵を水絵で模写する事に拠つて生活を立てゝ居るのだと聞いたが、其結果か彼の水絵は一見油絵の様で私は好まなかつたのである。何にも水絵で油絵の様に画くのならわざわざ水絵の材料を選ぶのには当らぬ。いゝ加減な御手軽なものでなく、どつしりと重味も深味もあり軽快に--何だか六ケしい云ひまはし方であるが--油絵とは違つた面白い作、それでなければ水絵は到底油絵には及ばぬであらう。適材は適所に用ひたいものである。
 一体日本にはいゝ水絵の参考品のないのは遺憾である。教師もない、教師の方はまあ何うにか都合がつく、自然がいゝ先生である。自然の大先生から学んで自分の信用する先輩に時々は作品を見て貰ふのはいい。唯先輩なり批評家なりから褒められた時は危険である。根柢の定らぬ若い人などは少し褒められるとお調子に乗るから困る。批評家などが称讃するのは何処か其画に其批評家が所謂共鳴する所があるからである。人に自ら共鳴を感じさせるのはよいが、一度褒められると此度は作家が批評家に共鳴した様に見せかけたものを画く。これ正に一大危険に逢着しつゝあるのだ。他人の頭脳など当てにして居た日には、若し其批評家の頭脳が変つた場合には如何する。今更周章狼狽して見ても何んの効も奏せぬ。さうかと云つて一人天狗も困りものである。理義を解する先輩なり批評家なりの言には矢張り耳を傾けたがよからう。ふゝん彼処のところを云つてゐるなと云ふ調子で、好いと思つた処は取入れ悪いと思つた処は黙つた聴いて居ればよいのである。それが最も怜悧なる勉強法であらう。
 終りに臨んで日本の洋画界に就いて愚見を述べやう。こんな大きな問題は兎角駄法螺に陥り易い。私の駄法螺だと思つて聴いて貰へば間違ひなからう。芸術は前にも云つた通り各々人に拠つて好みや主張を異にして居て、何れにも一長一短はある。我が国では過去五十年間に欧洲からいろいろの画風を矢継早に仕入れた。例へて見ればクラシツク派ローマンチツク派写実派印象派後期印象派、又近頃になつては立体派未来派曰く何々派と一々数へ挙げたら限りがないであらう。処が面白い事には、何々派にもせよ日本へ這入つて来たものは、彼地で称へる純然たる何々派にも殆ど当篏らないのである。これは欧州でもさうである。古い処で建築で云へば、同じゴチツクでも欧洲の北の方とイタリアとでは処変はれば品変はるで違つてゐる。この又違ふ処に自ら面白味があると思ふ。
 何んと云つても日本の洋画界は未だ混沌たる渦中にある。もう二三十年もしたら漸くこれは日本の洋画ですと云つて外国へ誇るとまではいかなくとも見せられる様にはならう。今の処はまだ小供である、其頃になつたら一人前の大人になるであらう。私などにしてもまだやつとスケツチが出来る位に成つた位のもんである。私は当年とつて正に五十歳になるが芸術にかけては一個の学生に過ぎぬ。年の割には画がうまくない。勉強する時間もいろいろのものに裂かれて比較的少なかつた。これからまあ大に勉強する所存である。仮に八十歳位になつたら自分は斯う云ふ思想を持つて居ますと人に示すやうな事が出来やうかと思つて居る。或はそれまで生きないかも知れない、これは私一人の例に過ぎない。日本の洋画もあと三十年位経つたら確実になるであらう。
 何にしろこれからだ。日本の洋画はこれからだ。私もこれからだ。水彩画家も大に奮励し給へ。(在文責記者)
  (「みづゑ」141  大正5年11月)
©独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所