黒田記念館 > 研究資料 > 黒田清輝関係文献目録 > IV 定期刊行物

◎日本現今の油画に就て

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抑も美術といふものは、形以外に多少のインプレシヨンの含まれたもので無くツては駄目だ、輒ち絵画だとか、彫刻だとかは、全く是等の注文に応ずるに最も適当したもので毎に純正美術品として崇められつゝあるのも、畢竟之れあるが故である、それから建築図案や其模型の一見工業所属の如くに見ゆるものが、絵画、彫刻などの純正美術品と倶に美術館に収容されるのも、大いに曰のある事で、彼の唯精巧と云ふ化粧の美の為めに、漸くお仲間入りをして居るものゝ類とは蓋し雲泥の相違がある、それはどうかと云ふに、縦令ば爰に茶室なり其他何なりの或る建築物を出品しやうと思つても、到底実際の形体を其侭持出さるべき筈が無い、そこで之れは什麼したツて夫れに対する意匠考案--語を換えて言へば其意見の存する所を、何物かに拠つて明示しなければならぬ、ここにおいて始めてその図案及模型の必要が起つて来やうと思ふ、然り無論起つて来る、寧ろ是等の手段を仮らなくツては、遂に其意見を発表する事が出来ないと言つて宜い、而して此の如く或る一の形に仮托して初めて自己の意見を発表するもの、即ち形体仮設の巧拙は第二とし、先づ其意見と云ふ事に重きを置かれたものであるから、自然思想上の問題になつて来る、かつ爾も無味なる形体以外に、亦多少の意匠考案などと云ふ所謂一種の美術的趣味を保つてをらんければなら無いのだから、随つて絵画、彫刻などなど--尤も其理想の発展上に殆むど相迩き精神のものであるから絵画、彫刻などの純正美術品と肩を並べて、堂々として美術館に現はれる事が出来得るのである、けれども若し之れが反対に、唯その形体ばかりを以て目的とするのであつたならば、無論美術館より放逐せねばならない、啻に是等の建築図案及模型のみに止まらず、彫刻然り、絵画また然りと云はざるを得ないのである、然るに今は他の方はさて措いて、わが洋画家が近来の作品を実見し、かつ其挙動を窺がうのにイヤ紫がどうだとか、或は黒ツぽいの白ツぽいのとわけも無く騒ぎ廻つて、その色の如何によつては彼は新派なり、渠は旧派なりなどなどの名称を下してゐるが、僕などは斯んな解らない馬鹿げた話は無いと思つてゐる、否な思つてゐる所ではない、斯う云ふ頭脳の連中が沢山なのだから、いくら日本に於ける洋画の進歩発達を図るの促すのと云つたツて、却々大抵のことでは無い、余程しつかり遣ら無くツては駄目だ、然し東京の方では近来だいぶ斯んな連中は減つたやうだが、未だどうして! 地方には随分多くあるやうに見受けられる、現に今回の博覧会出品に就て徴するも、立派に其事実を証明する事が出来るのである、唯色のみに就て無暗に八ケ間敷く云つてゐる連中が、今日我洋画家の多数を占めてゐるのは、随分情け無い話ではないか、想ふに斯う云ふ人達は、単にその色の遣ひ方の如何は直ちに油絵の巧拙を分つものと心得てゐるらしい、尤、色の遣ひ方の巧拙乃至使用する色の如何は、無論形式の美に大関係を及ぼすものには相違ないが爾も之れが油絵の目的では無い、然り、決して其精神とすべきものでは無いのである、畢竟新派と号づけられ、旧派と称せられるも或る物を捉へて或る物を現はさんとする其手段方法の用具に基いて命名されたもの、即ち形式上の甲乙に過ぎないのである、新旧両派の名称もかかる墓ない点から付けられる筈のもので無く考の着け所の上からこそ何派々々と云ふことも出来るのだ、甲者は明い色を好み且これが用途に巧みなる故に自ら常に之れを用ゐ、乙者は暗き色を最も得意とするが故に毎に好んで之れを用ゐてゐる、が是等は詮する所恰も人間に於ける衣服の如きもので、渋味なるを以て佳とするもあれば又華美なるを好とするものもあらう、是れ其人の嗜好の然らしむる所で両者ともに美の存在を認める事が出来るであらうと思ふ、然し外見を装飾せんが為めの色の遣ひ方のみに気を揉んで、其画の根帯たる精神と云ふ事に就て余り深く顧る者の多からぬのは、僕等の大いに憂ひとする所である、如何に油絵だからと云つて絵具の使ひ方丈に骨を折つたものとすればつまり油絵具で塗りたてた布や板といふまでのことで美術品といふよりは工芸品といふ方になると思ふ、縦令ば〓に火鉢と夫れに添うるに茶盆などを以てしたる画があるとする、そして其火鉢や茶盆などの描写の手段として用ゐられたる色の如何を問ふよりも、先づ其の火鉢や茶盆が何の目的に因つて其処に置かれてあるかの問題に着目しなければならぬ、而してドウ見ても其目的が発揮されてゐないやうな画ならば、たとへ什麼なる色が用ゐてあらうと如何に巧に遣つてあらうとも、その画は既に画としての価値無きものと云つて宜い、こう云ふたからとて何も絵具の使ひ方などはどうでもいい意匠の高尚な者でさへあれば充分だと云ふのではない、僕が云つて置きたいのは画工としては只物の形や色を塗り立てる計りが芸ぢやない、どう云ふつもりでこんなものを描いたと云ふ其意味が画面の上に現はれなければならない、又現はれるやうに其点に骨を折るのが肝腎だ、只物に影をつけて塗る丈が、油絵の本領では有るまい、凡て名画と云はれる程のものは、其筆者の意見や目的が充分に現はれてゐるが上に、その形体に於ても亦云ふ迄も無く立派なもので、即ち内容外形相応じて美を成立せしめてゐる、要するに其の如く意見や目的を発揮せしめんとするには、どうしたつて其れ相応な技術の修養が必要な事は知れたことだ此点に付いても未だ吾々は余程勉強しなければならないのに未だ深く技術の修養をも積まずして矢鱈に六ケ敷い画題を選んだり又大層美くしく塗り立てたりして立派な油絵に為つたと思ふのは実に甚だしき誤解と云はねばなら無い、斯んな事は分り切つたやうな話だが、今回の出品に見てチヨツと云つて置く。
  (本篇は黒田氏が京都新聞記者に談話せられし筆記を更に同氏に請ふて訂正を加へたるもの也 記者附言)
(「美術新報」1-23  明治36年2月20日)
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