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白馬会関係新聞記事 第13回白馬会展

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白馬会(上)
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| 萬朝報| 1910(明治43)/06/13 | 1頁 | 展評 |
△二三の例外を除いて■は行く程に見る程にあれもこれも刺戟が弱くなつて、どれがかうとも言へなくなつた@△第一室で正宗得三郎氏の「落椿」は強烈人目を眩惑するものである、書くのでなくて色の塊を置くのである。どこが落椿なのか、画なのかパレツトなのか判らない、作者と雖もこれで理想的な効果を得たものとは思つてゐないのだらうが、何処までもこんな試を遣つて行くといふなら、それも面白い@△第二室の青山熊治氏の「アイヌ」は場中第一の大作である、人が和田三造氏の「▲燻」と比較するのは當然のことで、人物の排列も色調もまづ同様、その手法も頗るこの画に類してゐる、■の色の研究は成功に近いといへる、たゞ所々種々の点に於て不純分子を認める、構図に於て左方に一■の■■を見居る子供は、子供自身としては矢張よく画けてゐるけれども、■かつた方がよかつたと思ふ、画から離れての感想だけれど、実際かういふ子供には生れて見たかつた、少くともこんな位置に立つてかういふ光景に対して見たい、■■は拍ちつゝ何を謡うか、連■は■■なる神話である。思ひなしか正面の紅く照輝き出された老夫の■■は■力を有する、「チョロチョロと蛇の舌のやうに燃ゆる火は全幅を活発する@△熊谷守一氏の「轢死」はこれに反して何等の意想を伝へぬ、思ふにこの種の画の伝ふべき本来の意想は■き美もしくは■■しき美でなければならぬ技巧のはしばしは兎も角も、この画はこの点に於て失敗である、暗い色を以て得意とする熊谷氏の作物の常に暗黒に依存する■■■■の感を欠くとして、遺憾とするは愚見であらうか@△中野営三氏の作の中では「春日社頭」が見られる、「山路の夕」は少し■く■きに通ずる、しかし甞て氏の作にうれしと見た軽い感じは一体に見られなくなつたやうである、山形駒太郎氏の「初冬の朝」、潅木のこぐろがつた田園の一角がかなり手際よく写せてゐる、石原長光氏の「雪の道」、一幅の価値はゼロだが、強い白と紫との調和を得んと企てたのが面白い@△清水勘一氏の「杉の森」は忠実な写生を喜ぶけれど、例の■かなそし■■単調な色と調子とは、未だ大いなる■を与へぬ、余は作者自身は不得意とする「小雨の海」の方に捨て難い情趣を酌まんとするものである、「寂しき秋」外一点を出した斎藤知雄氏はこの会の一異分子と見た。そしてその怙燥せる色彩は余りに極端だと思ふ@△第三室入口の両側にかけられた小さい板は思ひ切つた陳列である、後進誘掖の一法とはいひながら恐入つたる次第である、といつても加藤、近藤氏等の作は流石に見られ、有田四郎氏の「嵐の後」などヤゝ変つたものもある@△第四室は黒田氏のパステル、岡田氏の画稿を始め、湯浅一郎氏、南薫造氏の水彩画の懸かつた室である、南氏の沈んだ調子と、湯浅氏の■澄した色彩とは一種の対照をなして、共に他の容易に企及し難い技術を示して居る、余の好みの二者の優劣に係らず南氏にあらんとするのは、従来三宅氏の版画的水画にあてられた余波でかあらう、斯波義辰氏のはこゝのハンドスケツチがいゝ中沢弘光氏の水彩画スケツチの中で二点の「京都」は最も地方的色彩の表現に富む

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