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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)
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| 桜木坊 | 東京日日新聞 | 1904(明治37)/10/24 | 4頁 | 展評 |
素人(しろうと)の盲目評美(もうもくひやうび)の神(かみ)の化身(けしん)たるお歴々(れきれき)に対(たい)して恐(おそ)れ入(い)つた次第(しだい)として遠慮申上(ゑんりよまをしあ)げ扨(さ)て素通(すどほ)り一遍(いつぺん)のまゝを紹介(せうかい)せんに第(だい)一室(しつ)は郡司卯之助氏(ぐんじうのすけし)の「渡船場」伊藤直利氏(いとうなおとしゝ)の「霜月の半」近藤浩氏(こんどうかうし)の「新緑の夕」など一寸見(ちよつとみ)られるも要(えう)するに御祝儀寶(ごしうぎたから)の入船(いりふね)めきたるが多(おほ)し第(だい)二室榎本彦氏(しつえのもとげんし)の「洩れ日」即(すなは)ち森(もり)の景可(けいよ)し和田(わだ)三造(ざうし)の「静物」徳(とく)な題目(だいもく)、同(おな)じ人(ひと)の「暮の務め」大骨折(おほゝねを)られた跡見(あとみ)ゆるも農夫(のうふ)の面貌生人形(めんぼういきにんぎやう)めけりとの悪口(わるくち)もあり大久保梅子(おほくぼうめこ)の「静物」「竹林」共(とも)に宜(よ)し予(わ)れは寧(むし)ろ竹林(ちくりん)を取(と)らん第(だい)三室中沢弘光氏(しつなかざはひろみつし)の「雛妓」一寸宜(ちよつとよ)い思(おも)ひ付(つ)き同氏(どうし)の「海辺」も裸体(らたい)を男(をとこ)で見(み)せた所妙(ところめう)、長原孝太郎氏(ながはらかうたろうし)の「少女」佳(よ)し「菊」「蝦夷菊」之(こ)れに次(つ)ぐ湯浅(ゆあさ)一郎氏(らうし)の「つれづれ」是(こ)れも佳作(かさく)といふて可(か)ならん「水仙」も結構(けつこう)なり安藤仲太郎氏(あんどうなかたろうし)の「風景」いづれも佳評(かひやう)、取(と)り分(わ)け九十二号(がう)のもの衆目(しうもく)を引(ひ)けり第(だい)四室(しつ)岡田(おかだ)三郎助氏(らうすけし)の「巴里の記念」セーヌ河(か)よりエイフエル塔を望(のぞ)む所(ところ)、長髪美髯(ちやうはつびぜん)の作者其人(さくしやそのひと)が其所(そこ)らにブラ付(つ)いて居(ゐ)るやうに思(おも)はれる「元禄の面影」よりも「冬」の方宜(はうよ)い出来(でき)、和田英作氏(わだえいさくし)の「有るか無きかのとげ」画題(ぐわだい)に手数(てすう)の懸(か)かるだけに配合(はいがふ)も面倒(めんどう)で又画(またゑ)も手数(てすう)の懸(かゝ)つたものまだチース臭(くさ)い同氏(どうし)が此(こ)んなものに手(て)を着(つ)けたるは兎(と)に角称(かくしよう)すべし但(ただ)し吉(きち)三の方(はう)は黒人間(くろうとかん)に非難(ひなん)ある代物黒田清輝氏(しろものくろだきよてるし)の「大隈伯の肖像」絵離(ゑばな)れがして伯(はく)に接(せつ)するの思(おも)ひあらしむるは流石(さすが)に手腕(しゆわん)なり「花」と題(だい)する四五面小作(めんせうさく)ながら水際(みづぎは)の立(た)ちたるは争(あらそ)はれぬもの小林萬吾氏(こばやしまんごし)の「樹蔭」佳(よ)い出来(でき)なり殊(こと)に乳母車内(うばぐるまうち)に睡(ねむ)れる小児(せうに)に見(み)とれる観客少(くわんかくすくな)からず藤島武(ふぢしまたけ)二氏(し)の「装飾用」と断(ことは)り付(つ)けられた「礫」「朝」共(とも)に成効(せいかう)、同(おな)じ人(ひと)の「婦人肖像」も佳作(かさく)なり此(こ)の人(ひと)の技芸進歩(ぎげいしんぽ)は確(たし)かに此(こ)の出品(しゆつぴん)に拠(よ)りて知(し)らる、橋本邦助氏(はしもとくにすけし)の花(はな)の種々(もろもろ)は奇麗(きれい)、戸田謙(とだけん)二氏(し)の夏秋冬(かしうとう)の「シカゴ郊外」は可(よ)し番外(ばんぐわい)の遼陽戦死者故河野歩兵大尉(れうやうせんしゝやこかうのほへいたいゐ)(通義(みちよし))の筆(ふで)に成(な)る「戦地写真」の数面(すうめん)は宛(さ)ながら実地(じつち)を賭(み)るの感(かん)あり特(とく)に花冠(くわくわん)を飾(かざ)り黒紗(こくしや)を結(むす)び下(さ)げたる会(くわい)の注意(ちうい)は到(いた)れりで看(み)るもの一層崇敬(そうすうけい)の念(ねん)を深(ふか)うす中丸工場製(なかまるこうぢやうせい)のモザイク愈々見事(いよいよみごと)なり之(こ)れが銀座辺(ぎんざへん)の店舗(てんぽ)の敷石(しきいし)になるは何日(いつ)のことか扨(さ)て此室(このしつ)に於(おい)て見逃(みのが)すべからざるものは岡田(をかだ)三郎助氏(らうすけし)のコレオプラスチーとす一寸方幾円(ひとつはういくゑん)の金革(きんかく)も漸(やうや)く種切(たねぎ)れとならんとする際(さい)、この絵革(ゑがは)は是非繁昌(ぜひはんぜう)させたきもの但(たゞ)し美術家(びじゆつか)に対(たい)して失禮(しつれい)との小言(こゞと)は御容捨(ごようしや)、第(だい)五室(しつ)はウヰツマン氏夫婦(しふうふ)、クノップ氏(し)の独壇(どくだん)、色彩(しきさい)の麗(うる)はしき目(め)の覚(さ)めんばかりなり但(たゞ)し前年(ぜんねん)ほどに引立(ひきた)たぬは他(た)の一般(ぱん)が進歩(しんぽ)したる微(せい)か第(だい)六室(しつ)は参考画(さんかうぐわ)にして古画若(こぐわもし)くは古画(こぐわ)を模写(もしや)したるもの人(ひと)をして欧羅巴(ヨーロッパ)の小(せう)ミユーゼに遊(あそ)ぶ思(おもひ)あらむ第(だい)七室(しつ)は山本森之助氏其他(やまもともりのすけしそのた)にて持(も)ち切(き)りイヤ立派々々(りつぱりつぱ)第(だい)八室(しつ)は水彩画及(すゐさいぐわおよ)びパステルにて三宅克己氏独(みやけこくきしひと)り其技(そのぎ)を誇(ほこ)るの処作品(ところさくひん)は例(れい)のごとく何(いづ)れも結構(けつかう)といふの外(ほか)なし此室(このしつ)に出(だ)されたる黒田清輝氏(くろだきよてるし)の「肖像」は又言(またい)ふべからざる味(あじはひ)あり其(そ)の目付(めつ)きの涼(すず)やかなる所際立(ところきはだ)ちて佳(よ)し山本春雄氏(やまもとはるをし)の「静物」も一寸宜(ちよつとよ)し第(だい)九室(しつ)は油絵水彩画(あぶらゑすゐさいぐわ)パステルの合宿一々案内(がつしゆくいついつあんない)するの根気(こんき)なければ略(りやく)して御免蒙(ごめんかふむ)ることゝし唯々小物(ただこもの)に却(かへつ)て面白(おもしろ)きものありと注意(ちうい)しおく第(だい)十室(しつ)の柴崎恒信氏(しばざきつねのぶし)の「菊」丹羽林平氏(にはりんぺいし)の「山路」稍々他(やゝた)の目(め)を惹(ひ)くに足(た)る橋本邦助氏(はしもとくにすけし)の絵(ゑ)はがきは「鳥獣」の方成効(かたせいかう)したり特別室(とくべつしつ)は即(すなは)ち女人禁制(によにんきんせい)の場所(ばしよ)、岡田(をかだ)三郎助氏(らうすけし)の「泉水」橋本邦助氏(はしもとくにすけし)の「やすらひ」あり共(とも)に見(み)るべしと雖(いへど)も大作(たいさく)といふほどのものにあらず要(えう)するに今秋季(こんしうき)の展覧会(てんらんくわい)は此(これ)はと驚(おどろ)くものなきも出品(しゆつぴん)は粒揃(つぶぞろ)ひといふて可(か)なり其(そ)の黒田氏(くろだし)の大作(たいさく)を出(いだ)さざりしは北堂看護(ほくだうかんご)の忙(いそがは)しかりしが為(た)め久米桂(くめけい)一郎氏(らうし)の出品皆無(しゆつぴんかいむ)はお高(たか)く止(とゞ)まり坐(ましま)す為(た)めと聞(き)く概(がい)して今回(こんくわい)の成跡(せいせき)は藤島氏黒田氏岡田氏小林氏和田氏(ふぢしましくろだしをかだしこばやしゝわだし)といはん如(ごと)き順序(じゆんじよ)になりはせぬか終(をはり)に臨(のぞ)んで特筆(とくひつ)すべきは所謂際物(いはゆるきはもの)なる戦争画(せんさうぐわ)の一枚(まい)も見(み)えざること是(こ)れなり時節柄一寸異(じせつがらちよつとあやし)むべきに似(に)たるも同会(どうくわい)の領袖株(りやうしうかぶ)の説(と)く所(ところ)に依(よ)れば杜撰(づさん)千萬なる戦争画(せんさうぐわ)は世間(せけん)に幾等(いくら)もあり本会員(ほんくわいゐん)は十分(ぶん)の研鑽(けんさん)を盡(つく)さゞれば筆(ふで)を下(くだ)さゞるの覚悟故(かくごゆゑ)に今回(こんくわい)は一切出品(さいしゆつぴん)を見合(みあは)せたりといへり同会員慎重(どうくわいゐんしんちよう)のほど床(ゆか)し予(わ)れは油絵(あぶらゑ)に付(つい)ては聖路易府(セントルイス)の評判(ひやうばん)が何(な)んとあらうが欧羅巴(ヨーロッパ)で幼稚扱(えうちあつか)ひされやうが近年此妓(きんねんこのぎ)の進歩著(しんぽいちゞ)るしきを認(みと)め多大(たゞい)の希望(きばう)を将来(しやうらい)に有(いう)するもの今敢(いまあへ)て管々(くだくだ)しき平凡理屈(へぼりくつ)はいはず穴賢(あなかしこ)(桜木坊)

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