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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)(中)
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| O生記 | 東京朝日新聞 | 1904(明治37)/10/23 | 7頁 | 展評 |
第四室には本会(ほんくわい)の中堅(ちうけん)とも云(い)ふべき諸氏(しよし)の作品(さくひん)が多(おほ)く陳列(ちんれつ)されてある。中村勝治郎氏(なかむらかつぢろうし)の「残菊(ざんぎく)」は秋草(あきくさ)を写生(しやせい)に描(ゑが)かれた具合(ぐあひ)が面白(おもしろ)い。岡田(をかだ)三郎助氏(ろすけし)の「元禄(げんろく)のおもかげ」は頗(すこぶ)る艶麗(えんれい)なもので全体(ぜんたい)に色(いろ)の配合(はいがふ)がなかなか甘(うま)く出来(でき)て居(ゐ)る。同氏(どうし)の「冬(ふゆ)」は氏(し)が近業中(きんげふちう)の傑作(けつさく)である、氏(し)は此地(このち)の景色(けいしよく)をたびたび描(か)かれて居(ゐ)るが、此図(このづ)は最(もっと)も得意(とくい)の作(さく)であらうと考(かんが)へる。富井博士(とみゐはかせ)の肖像(せうざう)も佳(い)い。和田英作氏(わだえいさくし)の作品中(さくひんちう)、肖像画(せうざうぐわ)としては箕作博士(みづくりはかせ)の肖像(せうざう)が最上(さいじやう)のものと思(おも)はれる、「有(あ)るかなきかのとげ」(お七吉(きち)三)は今回(こんくわい)の展覧会(てんらんくわい)にて見逃(みのが)すことの出来(でき)ない図(づ)である、我等(われら)は氏(し)が大奮発(だいふんぱつ)のお蔭(かげ)にて此種(このしゆ)の絵画(くわいぐわ)を洋画展覧会(やうぐわてんらんくわい)にて見(み)ることを得(う)るに至(いた)つたのを非常(ひじやう)に嬉(うれ)しく思(おも)ふのである、それで此図(このづ)は西鶴(さいかく)の五人女(ごにんをんな)の本文(ほんもん)に拠(よ)つて描(か)かれたといふ事(こと)であるから観者(くわんしや)は先(ま)づ同書(どうしよ)を繙(ひもと)いて後此画(のちこのぐわ)に対(たい)したならば作者苦心(さくしやくしん)の在(あ)る所(ところ)を知(し)ると同時(どうじ)に其趣味(そのしゆみ)をも感(かん)ずるであらう。黒田清輝氏(くろだきよてるし)の静物写生数葉(せいぶつしやせいすえふ)の中(うち)百十一百十四及(およ)び百十六の三図(づ)が大変佳(たいへんい)い出来(でき)である、大隈伯(おほくまはく)の肖像(せうざう)は能(よ)く其風格(そのふうかく)が現(あら)はれて伯(はく)を識(し)らぬ者(もの)でも此画(このぐわ)を観(み)れば面(ま)のあたり伯(はく)に見(まみ)ゆるの心地(こゝち)がするであらう、兎(と)に角氏(かくし)が従来描(じうらいか)かれたる肖像画(せうざうぐわ)の中(うち)では確(たし)かに傑作(けつさく)の一つである。小林萬吾(こばやしまんご)の「樹蔭(じゆいん)」は婦人(ふじん)の腰部以下(えうぶいか)から小児(せうに)、保姆車(うばぐるま)など余程佳(よほどい)いと思(おも)はれる。藤島武(ふぢしまたけ)二氏(し)の出品(しゆつぴん)は孰(いづ)れも表情(へうじやう)を主(しゆ)として描(か)いたものと察(さつ)せらるゝが、此点(このてん)から云(い)ふと蝶(てふ)、婦人肖像(ふじんせうざう)、エチユード、朝(あさ)の四図(づ)が最(もつと)も成功(せいこう)して居(ゐ)ると思(おも)ふ。橋本邦助氏(はしもとくにすけし)の出品(しゆつぴん)六点(てん)は忠実(ちうじつ)な研究(けんきう)の結果(けつくわ)に成(な)つたもので、中(なか)に見(み)るべきは朝顔(あさがほ)(百三十七)、薔薇及(ばらおよ)び「眠(ねむ)れる小児(せうに)」の三図(づ)である。安斎豊吉(あんざいとよきちし)の自画像(じぐわざう)は安斎氏其人(あんざいしそのひと)に接(せつ)するが如(ごと)し。中丸精(なかまるせい)十郎氏(らうし)の「草原(くさはら)」と「河畔(かはん)」は灰色式(グレーしき)の風景(ふうけい)として大変面白(たいへんおもしろ)いと思(おも)はれる。@第五、六室にある白耳義人(ベルジユームじん)ウ井ツマン氏(し)(会員(くわいゐん))の「牧場(ぼくぢやう)の朝霜(あさしも)」は北欧地方(ほくおうちほう)の風景(ふうけい)を描(か)いた調子(てうし)の穏(おだや)かな画(ゑ)である、一たび欧洲(おうしう)を漫遊(まんいう)した人(ひと)は誰(た)れでも此図(このづ)に対(たい)して、此(かく)の如(ごと)き快爽(くわいさう)なる風光(ふうくわう)を汽車(きしや)の窓(まど)から望見(ぼうけん)したことを想(をも)ひ起(おこ)さるゝであらうと考(かんが)へる。ウ井ツマン夫人(ふじん)の「花園(はなぞの)」は百花綾乱(くわれうらん)として絢爛人目(けんらんじんもく)を眩(げん)せしむる図(づ)である。次(つぎ)に同国人(どうこくじん)グノッフ氏(し)の出品(しゆつぴん)がある、此人(このひと)は白耳義(ベルジユーム)では随分有名(ずゐぶんいうめい)な人(ひと)で本会(ほんくわい)には初(はじ)めて出品(しゆつぴん)されたと云(い)ふ事(こと)であるが其出品(そのしゆつぴん)のみを観(み)ては未(いま)だ充分(じうぶん)に同氏(どうし)の本領(ほんりやう)を窺(うかゞ)ふことは出来(でき)ねど「朝(あさ)」と題(だい)する図(づ)などは兎(と)に角(かく)一種(しゆ)の画風(ぐわふう)で、神韵掬(しんいんきく)すべき所(ところ)がある、尚此外(なほこのほか)にエツチングと色鉛筆画(いろゑんぴつぐわ)もあるが何(いづ)れも其手腕(そのしゆわん)の軽妙(けいめう)なるに感服(かんぷく)した。山本森之助氏(やまもともりのすけし)の「暮(く)れ行(ゆ)く島(しま)」は夕方(ゆふがた)の空色(そらいろ)の具合(ぐあひ)をよく研究(けんきう)したもので、描方(かきかた)がなかなか面白(おもしろ)い「妙義山(めうぎさん)」は夕方(ゆふがた)の穏(おだや)かな暮色(ぼしよく)の調子(てうし)がよく現(あらは)されて居(ゐ)る、又(また)「田舎家(ゐなかや)」は忠実(ちうじつ)な写景図(しやけいづ)である。跡見泰氏(あとみたいし)の「夏(なつ)の雲(くも)」は山本氏(やまもとし)の「暮(く)れ行(ゆ)く島(しま)」と同(おな)じ時刻(じこく)を描(か)いたものであるが、前者(ぜんしや)は至極穏(しごくおだ)やかな夕暮(ゆふぐれ)の空(そら)で、此画(このぐわ)はそれと反対(はんたい)に天候不穏(てんこうふをん)な夕暮(ゆふぐれ)の光景(くわうけい)をよく現(あらは)して居(を)る、そして図面(づめん)の上方(じやうはう)三分(ぶん)の二が佳(よ)い出来(でき)である。(O生記)

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