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白馬会関係新聞記事 第5回白馬会展

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白馬会瞥見(はくばくわいべつけん)
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| 香夢生 | 二六新報 | 1900/10/28 | ?頁 | 展評 |
△オールリツク氏の「オートリングラフ」 これは欧洲(おうしう)でも最近(さいきん)のはやりで、ソシテ日本(にほん)ではマダ見(み)ることの少(すく)ないものである、一見坊間(けんぼうかん)にありふれたる石版絵(せきばんゑ)の出来損(できそこな)ひのやうにツマラヌものと見(み)る人(ひと)もあるだらうが、畢竟(ひつきやう)エツチングの妙味(めうみ)を解(かい)せぬ人(ひと)には解(わか)らぬものなさうだ、東京市街(とうきやうしがい)のが都合(つがふ)十枚(まい)あるが、僅(わづか)に二三種(しゆ)の色(いろ)にて斯(か)く極(きはま)りない、色彩(いろどり)の変化(へんくわ)を現(あらは)せる手際(てぎは)は感心(かんしん)なものだ、△同氏の「エツチング」及び「ウードカツト」 これも亦(また)一見木版絵(けんもくはんゑ)や銅版絵(どうはんゑ)の出来損(できそこな)ひのやうに見(み)えるが、日本(にほん)の木版(もくばん)や銅版(どうばん)とはお月(つき)さまと鼈(すつぽん)ほどの相違(そうゐ)で、油絵(あぶらゑ)などの面白(おもしろ)サと同(おな)じものだ、他人(たにん)の画(か)いたものを版下(はんした)としてコツコツとやツて居(ゐ)るものとは大(だい)なる相違(さうゐ)で、自己(じこ)の意匠(いしやう)を直(たゞち)に斯(か)く現(あらは)すことの出来(でき)るものゆゑ、絵画(くわいぐわ)の上手(じやうず)な人(ひと)がエツチングを心得居(こゝろえを)れば油絵(あぶらゑ)などの妙味(めうみ)と同(おな)じものがこれに現(あらは)れるのだ、邦人(はうじん)にこの術のある人の一人もないのは大なる遺憾(いかん)である、聞所(きくところ)によれば氏(し)は茲(こゝ)に出品(しゆつぴん)の「ウードカツト」に類(るゐ)せるものを、仏国大博覧会(ふつこくだいはくらんくわい)に出品(しゆつぴん)して金牌(きんぱい)を得(え)たさうだ、英国(えいこく)に「ニコルソン」と言(い)ふ「ウードカツト」をやる人(ひと)があツて、近世(きんせい)の政治家(せいぢか)などの肖像(せうざう)をこの版(はん)にして大(おほい)に名声(めいせい)を博(はく)したが、オールリツク氏(し)よりは遥(はるか)に劣(おと)ツて居(ゐ)るとの評(ひやう)である、吾邦(わがくに)の国華(こくくわ)などは、一枚(まい)の画(ぐわ)を模(も)するに百余枚(よまい)の木版(もくはん)を重(かさ)ねて得意(とくい)がツて居(ゐ)るが、出来上(できあが)ツたものを見(みる)と、タゞ精巧(せいこう)の感(かん)ある許(はかり)で機械的(きかいてき)の版(はん)たるを免(まぬが)れないが、日本(にほん)の古代錦絵(こだいにしきゑ)から脱化(だつくわ)したウードカツトは機械的(きかいてき)の精妙以外(せいめういぐわい)に現(あらは)れたる現象(げんしやう)であらう

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