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日本美術年表(15・16世紀)

この年表は文献資料に現れる美術関連事項を年代順に並べたものです。年号、年月日(Uは閏月、Aはそれ以外)、文献、要約、原文です。


文献 要約 原文 年代順
文献 要約 原文 年代順
応永7  140002A  古画備考(土佐広周の項) 「道場寺縁起異本」、上巻立生庄藤井村、下巻紀州名草郡日方村で写される。 一本同[道成寺]縁起二巻、図ハ右之通リナリ、古物ナルモノ、上巻奥書、応永七年〈庚辰〉二月日、於立生庄藤井村書写、下巻奥書、応永七年〈庚辰〉二月日、紀州名草郡於日方村書写畢、 0001
応永7  140003A  考古画譜 「道場寺縁起異本」、上巻立生庄藤井村、下巻紀州名草郡日方村で写される。 日高川双紙(補)上巻巻尾云、応永七年庚辰二月日、於土生庄藤井村書写、/(補)下巻巻尾云、応永七年庚辰二月日、於紀州名草郡日方村書写畢、 0002
応永7  140006A27  二所太神官例文 伊勢内宮、外宮遷宮。 応永七年〈庚辰〉六月廿七日。内宮一宿仮殿遷宮。〈東宝殿盗人推参。依奉汚御装束等也。〉  同年外宮遷宮。〈称光院御宇。〉 0003
応永8  1401  善隣国宝記 足利義満、明国に使者肥富、祖阿を派遣。金、馬、薄様、扇、屏風、鎧、剣、刀、硯筥、文台を贈る。 応永八年/日本准三后某/上書/大明皇帝陛下。日本国開闢以来。無不通聘問於上邦。某幸秉国釣。海内無虞。特遵往古之規法。而使肥富相副祖阿通好献方物。金千両馬十匹。薄様千帖。扇百本。屏風三双。鎧一領。剣十腰。刀一柄。硯筥一合。同文台一箇捜尋海嶋漂寄者幾許人還之焉。某惶誠恐。頓首頓首。謹言。 0004
応永8  140102A29  大乗院日記目録 内裏が焼失、室町殿へ行幸。 内裏焼失、行幸室町殿 0005
応永8  140102A30  黄梅院文書 二月に黄梅院華厳塔内の二尊釈迦、多宝焼失の記事。 瑞鹿山円覚禅寺黄梅院華厳塔重造釈迦・多宝二尊勧縁小偈〈并叙〉/円覚華厳宝塔、在於瑞鹿峰頂黄梅之院、乃天龍開山夢窓国師塔頭也、今応永八年歳次辛巳春二月晦日、罹欝之厄、則塔中二尊釈迦、多宝亦燼、烏乎悲哉、越后数月、…国師門派老少僧衆、随分助縁、重新造塔、蓋一時盛事也、…/応永十一年甲申冬  [心翁]中樹菫[謹]識/幹縁比丘中伝 0006
応永8  140105A13  鹿苑略記 二月に鹿苑院で火事の記事。 応永八年辛巳二月晦日。諸伽藍、悉罹欝之厄、雖然、当時諸老、或勧府君、或募衆縁、諸伽藍復旧制之事、儼然干古記、 0007
応永8  140105A13  康富記 足利義満、明国に使者肥富、祖阿を派遣。金、馬、薄様、扇、屏風、鎧、剣、刀、硯筥、文台を贈る。 日本准三后道義書上/大明皇帝陛下、日本国開闢以来、無不通聘問於上邦、道義幸秉国釣、海内無虞、特遵往古之規法、而使肥富、相副祖阿通好献方物…/応永八年五月十三日 0008
応永8  140107A04  椿葉記 伏見御所、焼失。累代の御記、文書、楽器など失われる。 ふしみ殿をば准后の山庄になさるべしとて。人もなくいたづらにをかる。さるほどに同六年十一月大内左京大夫入道義弘謀反おこして。天下みだれたるおりふし。ふしみの御所をばかへし申さる。そのしはすにくはんぎよなりぬ。かくて二三年はふしみに御ざあるほどに。同八年七月四日の夜御所回禄しぬ。累代の御記文書楽器ども大略なかば過は焼ぬ。 0009
応永9  1402  善隣国宝記 足利義満、僧圭密、梵雲、明空、通事徐本元を明国に派遣。生馬、硫、馬腦、屏風、槍、太刀、鎧、匣硯、匣扇を贈る。 同九年/日本国王〈臣〉源/表。〈臣〉聞。太陽升天。無幽不燭。時雨霑地。無物不滋。矧大聖人。明並曜英。恩均天沢。万方嚮化。四海帰仁。欽惟大明皇帝陛下。詔尭聖神。邁湯智勇。定弊乱。甚[コホスヨリモ]於建整頓乾坤。易於返掌。啓/中興之洪業。当太平之昌期。雖垂旒深居/北闕之尊。而/皇威遠暢東浜之外。是以謹使僧圭密梵雲明空通事徐本元。仰観/清光。伏献方物。生馬貳拾匹。硫壹万斤。馬腦?脳大小参拾貳塊。計貳百斤。金屏風三副。槍壹千柄。太刀壹佰杷。鎧壹領。匣硯一面。并匣扇壹佰杷。為此謹具。/表/聞〈臣〉源/ 年号 日 日本国王〈臣〉源 0010
応永9  140208A01  如是院年代記 明国派遣の僧天倫一菴が兵庫に到着。 大明国使僧天倫一菴至兵庫 0011
応永9  140211A14  兼宣公記 北山小御所を移し、女院御所として立柱、上棟。 御所小後生被立、女院御所立柱[上棟カ]也、 0012
応永9  140211A19  兼宣公記 土御門新御所に還幸。 抑今日土御門新皇居 0013
応永9  140211A19  大乗院日記目録 土御門新御所に還幸。 遷[還]幸土御門殿 0014
応永10  1403  如是院年代記 相国寺大塔、炎上。 〈癸未〉十 相国寺大塔炎上。 0015
応永10  140303A04  在先録 存先希譲没。六十九歳。 六十二、存先、諱希譲、…〈応永十三月四日寂、/塔干霊源菴〉 0016
応永10  1403A0603  兼宣公記 相国寺大塔、勝定院、炎上。 入夜甚雨、雷鳴、雨脚聊休止世時分、相国寺大鐘頻有声之間、乍驚立出寝所、欲相尋子細之処、相国寺大塔炎上〈云々〉、…則参御共、入御相国寺、此時分御塔已倒了、依余勝場[定、下同ジ]院已焼亡、 0017
応永10  140306A03  大乗院日記目録 相国寺大塔、炎上。 相国寺炎上 0018
応永11  140404A  翰林葫蘆集 北山に相国寺七重塔を立柱。 鹿苑院殿百年忌陞座/…同十一年四月、復於北山建七層大塔 0019
応永11  140404A03  大乗院日記目録 北山に相国寺七重塔を立柱。 北山大塔立柱 0020
応永12  1405  三教図・罕叟題 如拙の号の由来。 …能画者其名曰拙広照師所命取大巧如拙之義也… 0021
応永12  1405  法隆寺大講堂東北飛隅木墨書 応永十二年六月か、修造終わる。 修造応永十二年〈乙酉〉六 0022
応永12  1405  翊聖国師年譜 絶海中津没。七十歳。 十二年乙酉。辞世頌曰。虚空落地。火星乱飛。倒打筋斗。抹過鉄囲。平日所常課者也。円覚。首楞厳。師自謂。我嘗閲首楞厳有失咲之分也。 0023
応永12  140504A05  扶桑五山記 絶海中津没。七十歳。 第六、特賜仏智広照浄印翊聖国師、諱中津、号絶海、…応永十二年乙酉四月五日入滅、寿七十、 0024
応永12  140507A16  教言卿記 泉涌寺の塔頭炎上。 今夜泉涌寺御塔頭回禄〈云々〉、 0025
応永12  140508A30  教言卿記 絵所土佐光益、禁裏御八講屏風を描く。 絵所[土佐]光益入道来、先日禁裏御八講ヲ屏風之絵可書之旨、御賀殿〈ヨリ〉奉之間、其様事尋来、 0026
応永12  140511A13  教言卿記 法定寺為盛朝臣は哥道家で似絵もかく。広橋兼宣の知人。 為盛朝臣以絵書、哥道家、号法性寺来、広橋[兼宣]連々参会之人〈云々〉、薑酒勧之、 0027
応永13  140601A15  教言卿記 日吉二宮、十禅師社で火事。 日吉〈大宮二宮・十禅師、/々々〉回禄〈云々〉 0028
応永13  140604A03  扶桑五山記 観中中諦没。六十三歳。 第九、観中上、諱中諦、…同十三年丙戌四月三日入滅、寿六十三、 0029
応永13  140604A21  教言卿記 墨絵の遁世者金阿弥、一条烏丸に住む。 墨絵ノ遁世者金阿弥在所一条烏丸〈云々〉 0030
応永13  140608A02  教言卿記 日野重光より、仙人女絵二幅贈られる。 裏松[日野重光]返し、仙人女絵二番[幅]送賜、自愛々々、秘蔵々々 0031
応永13  140608A05  教言卿記 金阿、仙女絵を近年の日本製と鑑定。 仙女絵金阿ニ尋意見之処、日本近日書タル絵〈云々〉、 0032
応永13  140609A12  大乗院日記目録 清水寺西門、炎上。 清水寺西門炎上 0033
応永13  140609A12  教言卿記 清水寺塔、将軍堂、西門、炎上。 焼亡、清水塔以下[田村]将軍堂・西門、〈丑刻〉 0034
応永13  140610A12  教言卿記 扇地紙を金阿ミに渡す。 扇地紙二枚金阿ミ許へ遣之、〈一ハ墨絵、/一ハ色ツリ、〉百文下行也、 0035
応永13  140610A29  教言卿記 教言室の肖像を土佐将監行広に描かせる。 女中影内々土左[佐]将監[行広]ヲ召寄書之、目出、但面ニ不似〈云々〉、次文車絵様書之、 0036
応永13  140611A13  教言卿記 泰阿ミの子に、教豊少将の直垂姿の肖像を注文。 泰阿ミ子来、少将直垂絵誂之、 0037
応永13  140612A18  教言卿記 教豊の肖像完成。絵師は泰阿の息子。 教豊直垂[出来]、絵師泰阿子男、七百文領状、乃先日ハ五百文下行了、今日不足分二百文下行了、 0038
応永14  1407  妙法寺記 円覚寺で火事。 同極月円覚寺炎上。 0039
応永14  140701A05  常光国師行実 地震。十六日、空谷明応没。 丁亥正月五日地大震。…十六日薄暮師索浴。浄髪更衣跏跌。侍僧以遺偈為請。師揶揄曰。作何用請勤。乃執筆書曰。…緇白駿奔哀動。朝野門人遵治命。奉全躯。于仏慈率堵西偏。俗寿八十。坐夏六十二。 0040
応永14  140701A16  扶桑五山記 空谷明応没。 第三、特賜仏日常光国師、諱明応、号空谷、…応永十四年丁亥正月十六日入滅、世寿八十 0041
応永14  140701A16  教言卿記 常光国師没。 国師御入滅、戌刻、辞世頌、/倒騎木馬、踏破虚空、欲蹤跡、結網繋風、/応永丁亥正月十六日/珍重    明応 0042
応永14  140702A05  教言卿記 後光厳院御笙譜見返に正親町忠季筆の陵王図があったという記事。 自禁裏後光厳院御笙譜事被尋仰下之間、如此申入也、…表帋ハ紅薄様、内ニハ権大納言忠季卿[正親町]陵王ヲ唐絵具ニテ画図之、 0043
応永14  140702A10  教言卿記 宗阿筆、扇面墨絵唐松梅。 宗阿〈右兵衛督許〉[山科教冬]、遁世者、扇墨絵唐松梅画之、神妙也、 0044
応永14  140704A22  教言卿記 金阿弥筆、扇三本完成。十疋。 扇三本金阿ミ絵誂了、十疋下行、 0045
応永14  140705A03  教言卿記 土佐行広筆、両面扇完成。ニ本百疋。骨十七本。 扇絵事、〈両面土左将監[佐][行広]〉ニ誂之、二本百疋也、骨ハ此方用意、可為十七骨者也、 0046
応永14  140705A11  教言卿記 扇屋六角烏丸善阿弥の記事。 扇屋六角烏丸[西頬]、善阿弥可尋云々、 0047
応永14  140705A16  教言卿記 六角善阿弥筆、五本扇五つ買う。 五本扇五買、六角善阿ミ也、 0048
応永14  140705A27  教言卿記 扇屋三条東洞院の記事。 [扇屋]三条東洞院[通玄寺]、西頬云々、 0049
応永14  140706A02  教言卿記 西園寺家妙音堂秘蔵の本尊妙音天図を土佐行広に写させよとの命。 一、孝継朝臣妙音天、土左[佐]将監行広可沙汰之由、以資興仰遣之処、先領状、此間違例、絹美乃フシモ無可給<云々>、是ハ西園寺妙音堂本尊<云々> 0050
応永14  140706A06  教言卿記 西園寺家の妙音天図を土佐将監行広に命じる。 妙音天本尊事、土佐将監行広ニ申付、 0051
応永14  140706A14  教言卿記 明日より安鎮法。 明日ヨリ御修法被行、…安鎮法云々 0052
応永14  140706A17  教言卿記 土佐行広筆の扇ニ本、昌盛都聞に与える。 両面扇二本盛[昌盛]都聞許ヘ下之、[承]副寺寮ヘ付也、筆土佐将監行広、 0053
応永14  140706A18  教言卿記 金阿弥筆、墨絵瀟湘八景両面扇一本完成。銭百文。 墨絵扇Ⅰ本金阿誂之、瀟湘八景両面也、銭百文、 0054
応永14  140706A18  教言卿記 土佐行広筆、扇一本制作。 両面扇一本行広将監ニ五連ニテ誂之、石墻為遣也、 0055
応永14  140706A19  教言卿記 妙音天図、行広によって完成。 妙音天絵所行広書整進之、殊勝ゝゝ、 0056
応永14  140706A21  教言卿記 相国寺山門落慶、十六羅漢の法要に義満御成。 相国寺山門十六羅漢初而有懺法云々、北山殿御成云々、 0057
応永14  140708A18  教言卿記 土佐行広、松・竹・鶴の直垂絵様を制作。 賀安[山科嗣教]直垂絵、単物等染出、珍重ゝゝ、地ハ張絹、絵師ハ土佐将監行広、松竹鶴等也、単物同風情也、 0058
応永14  140708A30  教言卿記 妙音天図、表装完成。 妙音天〈ヘウホヘ出来〉、珍重ゝゝ、 0059
応永14  140709A02  教言卿記 西園寺家妙音堂の妙音天図をみる。 孝継朝臣来、妙音天拝見、殊勝之由、此本尊絵ハ西園寺妙音堂秘本也、而今出川入道写置之、其ヲ故孝重三位写之本ヲ、孝継朝臣書之間、絵所土佐将監行広写書之、可秘蔵者也 0060
応永14  140711A06  喜連川判鑑 円覚寺で火事。 十一月六日。円覚寺炎上。 0061
応永14  140712A02  一庵禅師行状 一庵一麟没。 応永十四年十二月二日午之[マゝ]字。閣筆曰。開一穴於祖塔之後。我将伴祖師於那伽定中。如遵命。世寿七十九。僧臘六十七。 0062
応永14  140712A02  扶桑五山記 一庵一麟没。 六十七、一菴禾上、諱一麟、…応永十四年丁亥十二月二日寂、寿七十九、 0063
応永15  140801A29  教言卿記 絵所尭光法師筆、扇帋二枚。 予扇帋〈二枚〉、絵所尭光法師ニ誂之、 0064
応永15  140803A08  翰林葫蘆集 鹿苑院殿の百年陞座。北山殿に行幸。十日後、還幸。 鹿苑院殿百年陞座/…同十五年戊子三月八日、天皇幸北山之第、経十日而還幸 0065
応永15  140803A08  大乗院日記目録 北山殿行幸。 北山殿行幸 0066
応永15  140803A08  教言卿記 北山殿行幸。 行幸北山殿、公卿、… 0067
応永15  140803A08  椿葉記 足利義満、北山に山荘を建てる。三月行幸。 さてもじゆこうはきた山にさんさうをたてらる。このところは西園寺[実永]の居所にてあるを申うけられて。むかし常盤井の相国[実氏]の造営せられしにも猶たちこえて。玉をみがきこがねをちりばめてつくりたてられて。応永十五年三月行幸を申さる。 0068
応永15  140803A08  北山殿行幸記 北山御所行幸。 このとゝせばかりより。北山の御所にうつりすませ給ひて。将軍右大将殿をば。おほやけの御かため。ちかきまもりにと。都にをき申されたるも。いとどかしこき御をきてとぞおぼえ侍る。さても行幸は応永十五年やよひのはじめの八日なり。 0069
応永15  140805A06  教言卿記 北山殿没。五十一才。 北山殿御円寂、〈五十一才、歳霜也、〉 0070
応永15  140805A06  鹿苑院殿薨葬記 北山殿没。五十一才。 一薨逝等事/応永十五年〈戊子〉五月六日、〈酉刻〉、薨、〈御歳五十一〉、 0071
応永15  140805A06  東院毎日雑々記 足利義満没。五十一歳。 今夕、〈戌刻〉、北山殿薨御、 0072
応永15  140805A06  足利家官位記 足利義満没。五十一歳。 鹿苑院殿 義満…同五月六日御円寂、〈五十一歳〉、号鹿苑院殿 0073
応永15  140805A06  公卿補任 足利義満没。五十一歳。 応永二年〈乙亥〉/源義満〈三十八〉…〈法名道有。後改道義。/応永十五年五月六日薨(五十一才)。〉 0074
応永15  140807A02  教言卿記 鹿苑院で焼香。土佐行広筆の義満御影。 予為焼香参詣鹿苑院、此御影ハ土左〈佐〉将監行広奉書、 0075
応永15  140807A02  武家年代記裏書 熊野本宮炎上。 七二、熊野本宮火、 0076
応永15  140807A02  和漢合符 熊野本宮炎上。 七月二日、熊野本宮炎上、 0077
応永15  140807A04  教言卿記 土佐行広筆、還城楽扇、採桑老扇を制作。 還城楽扇、〈土左[佐]将監/行広筆也、〉神妙々々、又採桑老扇誂之、 0078
応永15  140807A13  教言卿記 土佐行広筆、採桑老扇に書す。 採桑老扇ニ書之、〈行広/絵師、〉 0079
応永15  140810A15  東寺百合文書 大師の御絵借出に関する記事。  廿一口方評定引付応永十五年戊子十月十七日 一大師御絵可借出由申間事/御絵実相寺法印、難去一見申度之由、有所望仁、被借渡者可為本望之由、被申之間、披露之処、可然門跡様有所望者、以別儀可借出之、只尋常様之仁於所望者、不可出之、為向後傍例難儀之間、不借進之由可申云々、 0080
応永15  140810A16  教言卿記 栂尾宮、舞絵三巻を借りる。 栂尾宮[義仁親王]舞絵〈三巻、上/中下〉借給也、々可写也、 0081
応永15  140811A08  応永古楽図巻模本奧書 教言、書写の奥書。 応永十五〈戊子〉年十一月八日以秘本写之(花押)[教言] 0082
応永15  140811A08  教言卿記 安部季英筆、舞絵、完成。 舞絵写了、季英、神妙々々、 0083
応永16  1409  大乗院日記目録 浄花院四条道場、炎上。  月 日、浄花院四条道場炎上 0084
応永16  140902A10  教言卿記 北山殿京御所小御所、台屋、取り壊し。 京御所小御所并台屋、北山殿被壊渡云々、 0085
応永16  140903A19  教言卿記 正親町ゝ、清浄花院で火事。 又今夜焼亡正親町ゝ、次浄花院等云々、 0086
応永16  140903A22  東寺王代記 浄花院・四条道場で火事。 三月廿二日、夜丑剋浄化[花]院回禄、三月廿二日、四条道場廻[回]禄、白中[昼]、 0087
応永16  140906A05  東大寺大湯屋風呂屋形掲額裏面墨書 浴室修理終了。 応永十五年二月十四日加浴室/修理畢 同十六年六月五日/書比宝号焉 沙門惣深(花押) 0088
応永16  140910A26  大乗院日記目録 足利義持、三条御所に遷住。 将軍三条御所遷住 0089
応永16  140910A26  武家年代記 三条坊門御所に移る。 十廿六、移徙三条坊門御所、 0090
応永16  140911A06  教言卿記 三条坊門殿、造営。 新御所下御所[三条坊門第]ニ被新造、京上棟云々、 0091
応永16  140912A08  教言卿記 新御所に移る。 新御所移徙[金吾御太刀進上也]、 0092
応永17  141001A26  東寺執行日記 上醍醐寺青龍宮で火事。 同廿六日、辰刻、上酉酉[醍醐]寺青龍[清瀧]宮回禄、 0093
応永17  141001A26  東寺王代記 上醍醐寺青龍宮で火事。 正月廿六日、巳初刻、上酉酉清龍[瀧]巳や炎上、 0094
応永17  141003A27  毎日雑々記 蔵王堂供養を行う。 蔵王堂供養儀無為無事、 0095
応永17  141008A21  法隆寺西院廻廊東北角鬼瓦銘 瓦を葺く。 【ヲ】ウエイ十七[カノエ]子八月廿一日/【ヒ】コ次郎トシ[トライノトシ]三十三/八月一日ノヲウカセノトキ/フキヲトシタルカワラナリ 0096
応永18  141110U11  東寺執行日記 興福寺三基塔并びに東金堂・大湯屋など炎上。 閏十月十一[五]日、興福寺三基塔并東金堂・大湯屋已下炎上、依雷火也、 0097
応永18  141110U15  大乗院日記目録 興福寺東金堂、三基塔、大湯屋など、炎上。 春日二基塔・東金堂・五重塔・大湯屋・四足等焼失了 0098
応永18  141110U15  東院毎日雑々記 興福寺東金堂、三基塔、大湯屋など、炎上。 東金堂・塔婆・惣宮・大湯屋・馬場東西御塔為雷火大炎上、 0099
応永18  141110U15  東寺王代記 興福寺東金堂、三基塔、大湯屋など、炎上。 閏十月十五日、白中[昼]南都興福寺東金堂并塔三基・湯屋、依雷火炎上、 0100
応永18  141110U15  興福寺仏頭台座嵌板墨書 興福寺東金堂で火事。本尊のみ焼失。 応永十八年〈辛卯〉閏十月十五日未刻。依院御塔之類火東金堂廻禄。一寺一宗周章別者満堂悲歎也。爰諸尊秘仏并文書等悉雖奉取出之。無大阿綱而御本仏不得奉出之事。… 0101
応永18  141112A  二所太神宮例文 内宮遷宮。 応永十八年〈辛卯〉十二月、内宮遷宮、自明徳二年及二十一年、 0102
応永18  141112A  皇太神宮遷宮次第記 内宮遷宮。 応永十八年〈辛卯〉十二月日、内宮正遷宮、自明徳二年至今年二十一年、 0103
応永20  141308A15  扶桑五山記 仲方円伊没。 八十一、仲方禾上、諱円伊、…応永廿年癸巳八月十五日示寂、寿六十、 0104
応永20  141310A10  扶桑五山記 履仲元礼没。 五十、履仲禾上、諱元礼、…〈応永二十癸巳十月十日寂〉、 0105
応永20  141311A24  満済准后日記 金剛輪院護摩堂立柱上棟。 金剛輪院護摩堂立柱上棟 0106
応永21  141403A08  満済准后日記 山上清滝宮立柱上棟。 山上清滝宮立柱上棟。〈午時〉。 0107
応永21  141409A11  興福寺東金堂肘木銘 興福寺金堂肘木に銘あり。 応永廿一年九月十一日 0108
応永21  141412A28  喜連川判鑑 建長寺炎上。 十二月二十八日。建長寺炎上。 0109
応永22  141501A16  寺門事条々聞書 東金堂の造営開始本尊制作。 正月十六日東金堂造営始之。/下田鋳師召上。本尊事談合。…/下田鋳師僅鍋釜等学也。不審相残上者。河内丹南鋳師相交有其沙汰者。尤可然之由評定了。丹南鋳師八郎兵衛上洛畢。/三月五日。彼鋳形自今日可作之由申。 0110
応永22  141501A18  満済准后日記 昨冬、建長寺炎上の記事。 建長寺旧冬廿八日炎上云々 0111
応永22  141504A07  光暁記 東金堂の諸尊が食堂より渡される。本尊は制作中。 今日東金堂諸尊。自食堂奉渡之云々。於本仏者未令出来給云々。 0112
応永22  141504A13  光暁記 東金堂本尊の御頭を鋳す。 東金堂本尊御頭奉鋳之。無為無事。珍重 0113
応永22  141504A25  光暁記 東金堂本尊の御身を鋳す。 今日東金堂本尊御身奉鋳之。大都無為。 0114
応永22  141505A  大乗院日記目録 東金堂本尊を鋳す。 五月 日、東金堂本尊奉鋳之 0115
応永22  141505A13  光暁記 東金堂本尊の金銅像の御頭を御身に載せる。食堂細徒に奉入。 東金堂本尊金銅像。奉居御頭於御身。今日祝着儀在之。…事訖奉引本尊於食堂細殿。 0116
応永22  141505A13  寺門事条々聞書 東金堂の本尊仕上げのため、食堂細徒に奉入。   東金堂本尊御身為奉瑩。食堂細徒西隔奉入。 0117
応永22  141504A25  光暁記 東金堂本尊、御堂に奉入。 東金堂本尊今日奉渡御堂。 0118
応永22  141506A26  寺門事条々聞書 東金堂本尊、御堂に奉入。 廿六日。東金堂本尊奉入了。 0119
応永22  141508A22  扶桑五山記 太白真玄没。 九十世、太白禾上、諱真玄、…応永廿二年乙未八月廿二日寂、 0120
応永23  1416  臥雲日件録 足利義持が如拙に命じて碑石を求めた記事。 文安五年三月十五日条 今日問古邦、開山碑銘、今在何処、古邦曰、在勝定院云々、応永十二年、此銘自大明来、将刻以建之崇寿院祖塔云、々主観中和尚、先命中頴侍者写之、頴因循不果、後鄂隠居鹿苑時、咨于勝定院殿[足利義持]、欲刻之於石、因命如拙[大巧]、行四判[州]求碑石、々難致、勝定相公、問其費、則拙曰、不役万人、則不可得、勝定相公、恐煩国民而止矣、 0121
応永23  141601A09  如是院年代記 北山大塔、炎上。 戌刻北山大塔雷火。 0122
応永23  141601A09  看聞御記 北山大塔、炎上。 戌刻雷電防風以外也。此時分赤気耀蒼天。若焼亡歟之由不審之処。北山大塔〈七重〉。為雷火炎上云々。雷三度落懸。僧俗番匠等捨身命雖打消。遂以焼失。併天魔所為勿論也。去応永七年相国寺大塔〈七重〉。為雷火炎上。其後北山ニ被遷之。造営未終功之処又焼失。 0123
応永23  141601A09  満済准后日記 北山大塔、炎上。 戌刻雷鳴頗消肝畢。亥初刻北山大塔為雷火焼失。一両度落懸云々。初ハ奉行僧打消云々。 <>BR> 0124
応永23  141601A09  大乗院日記目録 北山大塔、炎上。 夜北山大塔炎上雷火、未述供養 0125
応永23  141603A01  看聞御記 茶会会所の餝りに、屏風絵、三幅(本尊観音、脇猿)を懸ける。 先日順事有茶会。…会所聊被餝之。立屏風絵三幅〈本尊観音。/脇猿。〉懸之。茶瓶一対〈立花〉。卓二居。伏見院宸筆一巻懸之。 0126
応永23  141603A06  看聞御記 五条万里小路より出火して京都で大火事。 京都有大焼亡。自五条万里小路火出来。数十町焼云々。 0127
応永23  141606A01  如是院年代記 仙洞火事。 仙洞火。 0128
応永23  141606A13  看聞御記 絵巻二巻を借りる。大覚寺殿筆の物語。 自椎野絵二巻借賜。一口物語也。以外古物殊勝絵也。後聞。大覚寺殿御絵云々。宝蔵絵部類也。 0129
応永23  141607A01  看聞御記 仙洞御所炎上。 抑晩景人々告申云。昼程仙洞〈東洞院日野一位禅門私宅也。/御脱履以後被成皇居了。〉焼失云々。 0130
応永23  141607A01  満済准后日記 仙洞御所炎上。 申初刻焼亡。仙洞焼失畢。院御所御幸此坊。室町殿様御参。内裏無為。珍重々々。 0131
応永23  141608A19  満済准后日記 東大寺大仏、箔押しの為、祈祷。 東大寺大仏薄可被押申云々。仍御祈事被仰出了。 0132
応永23  141609A04  看聞御記 東大寺大仏の彩色修理。相国寺にて金薄を打つ。 将亦東大寺大仏彩色旧損野間可被修理云々。金数百両薄師ニ賜野。於相国寺金薄ニ打之。僧令奉行云々。 0133
応永23  141611A01  看聞御記 伝本頼寿法橋筆の小野道風像、脇絵山水一対を写させる。 絵書僧在此辺之間。小野道風影〈本頼寿法橋筆云々。〉令写之。脇絵〈山水〉一対同令書。馳筆書之。無相違筆者也。 0134
応永23  141612A30  看聞御記 寺の長老が栄書記筆梅花図、鸚鵡盃、杉原紙十帖を持参する。 寺長老参。唐絵一幅。〈栄書記筆梅花。〉鸚鵡盃。椙原十帖持参。御代始御礼進之云々。 0135
応永24  141701A14  看聞御記 雪窓筆蘭図、杉原紙十帖を賜る。 近衛局被祇候。御引物唐絵一対。〈雪窓蘭。〉杉原十帖賜之。 0136
応永24  141706A19  看聞御記 新仙洞御所に御移徒、御幸。 今日新仙洞〈東洞院。〉御移徙[徙歟]御幸也。 0137
応永24  141708A  大乗院日記目録 東大寺大仏を黄金で研ぐ。願主は足利義持と細川道観。 八月大仏御身以黄金奉研之、願主将軍、細川京兆禅門道観御共 0138
応永24  141708A24  大乗院日記目録 足利義持、奈良御参詣。 九[八]月廿四日、将軍南都下[板輿]向、廿九春日社[山御成]参、 0139
応永24  141708A24  康富記 足利義持、奈良御参詣。 今朝卯終剋、室町殿奈良御参詣云々。 0140
応永24  141708A28  康富記 足利義持、春日社参詣。 今日室町殿春日御参社云々 0141
応永24  141708A29  満済准后日記 東大寺八幡、参詣。帰路、大仏に関する記事。 東大寺八幡同御参詣。御帰路大仏御*薄押反初今小川殿東大寺執金[剛カ]戸被開之。 0142
応永25  141806A27  看聞御記 常御所萩原殿の障子。絵は花園院宸筆、裏辻忠季卿筆等、色紙形の詩は青蓮院尊円法親王筆。 常御所与廂相合中柱撒之。立三枚障子。此障子者萩原殿御障子也。絵花園院宸筆。又裏辻忠季卿筆等相交。色紙形詩青蓮院尊円法親王御筆。彼是重宝秘蔵之障子也。〈絵鶴鶏鵝鴻等有之。〉但破損了可修理者也。 0143
応永25  141808A18  康富記 清水寺塔、柱立は二十四日。法勝寺五大堂、造営。去年冬より新仏依頼。 清水寺塔下クミ造立記、柱立来廿四日云々、法勝寺五大堂被造営…自去年冬新仏皆被仰付仏師云々 0144
応永25  141809A01  康富記 五条西洞院大夫入道絵師没。 今日五条西洞院大夫入道〈絵師〉、卒、五十歳云々、中風也 0145
応永25  141809A17  満済准后日記 畠山兄弟の奉行で大塔心柱木引。 大塔心柱木引。今度畠山兄弟美業。今日二本被引之。 0146
応永26  141902A01  看聞御記 玉阿筆、唐絵山水図障子絵の記事。 玄超新造菴一覧。…此間障子画図書之。当世絵師玉阿書之。唐絵山水也。殊勝也。客殿以下奇麗荘厳驚目了。 0147
応永26  141905A26  看聞御記 六条導場、火事。仏殿、鎮守社は残る。他は皆焼失。 今夜有焼亡。後聞。六条導場也。仏殿并鎮守社相残。自余皆焼失云々。 0148
応永26  141907A24  扶桑五山記 大周周没。 十七、大周禾上、…応永廿六年己亥七月廿四日入滅、寿七十二、 0149
応永26  141907A26  看聞御記 二十日、仙洞にて箏弾の妙音天を写す。土佐行広筆。 抑去廿日仙洞有御楽。妙音天被奉新写。〈箏弾絵像。土/佐将監書之。〉 0150
応永26  141912A12  看聞御記 北山殿北之御所宸殿を解体し、南禅寺、建仁寺等に寄進。南之御所も同様に解体。 抑聞。北山北之御所宸殿破壊了。南禅寺。建仁寺等御寄進云々。南之御所同破壊。 0151
応永27  142002A09  看聞御記 宝幢寺供養。 今日宝幢寺供養也。 0152
応永27  142002A09  大乗院日記目録 宝幢寺供養。 法幢寺供養 0153
応永27  142002A09  満済准后日記 宝幢寺供養。 今月九日嵯峨宝幢寺供養。 0154
応永27  142010A22  扶桑五山記 明寂玄晴没。 九十一、明寂、諱玄晴、…〈応永廿七十月廿二日滅、/塔龍雲菴、龍吟派、〉 0155
応永28  142108A11  看聞御記 客殿に屏風、玉阿筆唐絵を懸ける。 又客殿立廻屏風。懸唐絵。〈玉阿筆。〉 0156
応永28  142109A21  扶桑五山記 謙岩原冲没。 五十一、謙岩禾上、諱原冲、…〈応永二十八辛丑/九月二十一日寂、〉 0157
応永28  142110A28  看聞御記 内野御経結願。清水寺にて塔造営供養。 抑内野御経結願畢。衆僧三百三人於清水寺三箇日御経奉読。是御塔造営供養云々。 0158
応永28  142110A29  看聞御記 清水寺塔供養。 今日清水寺塔供養有舞童云々。 0159
応永28  142111A  如是院年代記 円覚寺、炎上。 十一月円覚寺炎上。 0160
応永28  142111A12  喜連川判鑑 円覚寺、炎上。 円覚寺炎上。 0161
応永29  142204A25  看聞御記 二十九日に清水寺上棟の記事。 此間清水毎日以三百五十口僧法華経真読。是来廿九日御堂可有上棟云々。去貞和年中廻禄以後造営周備。雖然干今無上棟。仍興行。来秋ハ可有供養之儀云々。 0162
応永29  142206A17  兼宣公記 明日、仙洞泉殿、御造作事始の記事。 抑仙洞泉殿御造作事始、可為明日也、 0163
応永29  142206A18  兼宣公記 泉殿御事始。 早旦参室町殿、就今日御事始事、三个度為室町殿御使参院、 0164
応永29  142206A25  看聞御記 妙法院宮筆天神名号、玉阿筆脇絵松梅二幅を新調して懸ける。 月次連歌。・・・天神名号脇絵二幅。<玉阿筆。松梅。>新調懸之。名号妙法院宮御筆也。 0165
応永29  142208A19  看聞御記 仙洞御会所泉殿立柱上棟。 抑仙洞御会所泉殿今日立柱云々。自室町殿被造進。 0166
応永29  142208A19  満済准后日記 仙洞御会所泉殿立柱棟上。 今日院御所御会所立柱棟上。 0167
応永29  142210A08  南禅寺記 帰雲院、火事。 此御製等。皆収蔵帰雲院。毎新住持入寺。視篆証明。応永二十九年壬寅十月八日。院倶火。 0168
応永29  142211A05  扶桑五山記 西胤俊承没。 廿三、西胤禾上、諱俊承、・・・応永廿九年壬寅十一月五日入滅、寿六十五、 0169
応永29  142211A20  看聞御記 仙洞新造御会所泉殿に移徙。 抑聞。今日仙洞新造御会所泉殿御移云々。 0170
応永30  142302A05  看聞御記 行俊卿の銘ある賢聖障子図、唐書等が書かれる手本数巻を行豊朝臣持参。還礼として所持する伏見院宸筆、三賢等を見せる。 行豊朝臣相伝手本数巻持参入見参。賢聖障子絵図<中書>。銘行俊卿書之。今在内裏殊勝也。又巨文字<唐書>。等披見養眼。此還礼所持本<伏見院宸筆。三賢等。> 取出令見之。 0171
応永30  142305A  東大寺華嚴海会善知識曼荼羅図裏書 東大寺華厳海会善知識曼陀羅図、修復。 去応永四七暦仲夏上旬之候不慮之外令感得此一鋪、此内第廿八之知識観音菩薩者是年来信仰之如意輪観音尊也、広尋自他之図絵普弁路余之霊像未見此尊在此内、実是機感之純熟宿縁之開発在干此時者或、仍凝謁仰之思増添歸依之味、因茲重令修複訖/応永卅年五月 日  大法師澄賢/東大寺如意輪院 0172
応永30  142307A05  看聞御記 蔵光菴にて大光明寺住長老弟子という僧が屏風を描く。 其後蔵光菴ニ行。有絵書僧<大光明寺住長老弟子云々。>書屏風。暫見之殊勝也。 0173
応永30  142307A19  看聞御記 頓書記筆、大道院御所間四間障子に梅花を描く。 昼大道院ニ参。御所間障子絵頓[長老弟子]書記書之。為一見参。梅花<大木>。四問[間歟]障子ニ書渡。其勢殊勝也。 0174
応永30  142309A14  扶桑五山記 太岳周崇没。 第十、太岳禾上、諱周崇、・・・応永三十年癸卯九月[十]四か日入滅、寿七十九、 0175
応永30  142311A23  李朝実録 二十日に回礼使船、日本国王使臣船十八隻、到着。 奎尚道監司報、回礼使船、同日本国王使臣船十八隻、今月二十日到泊乃而浦 0176
応永30  142311A28  看聞御記 大光明寺住僧頓書記筆、阿茶丸絵二幅を賜う。 行豊朝臣帰参。阿茶丸絵二幅<大光明寺住僧頓書記筆>。賜之。 0177
応永30  142312A25  李朝実録 日本国王使臣圭籌梵齢都船主久俊等一百三十五人、闕献土宜に詣でる。 世宗五年癸卯十二月壬申 日本国王使臣圭籌梵齢都船主久俊等一百三十五人詣闕献土宜 0178
応永31  142401A20  喜連川判鑑 浄妙寺、火事。 正月二十日。浄妙寺炎上。 0179
応永31  142401A22  李朝実録 圭籌梵齢等、加賀を訊問。周文に関する記事。 圭籌梵齢等、拘加賀、訊問、・・・・・・曰者画僧周文者、妄発言曰、・・・ 0180
応永31  142401A26  李朝実録 日本国王使副官に緜紬各三匹、周、周文、都船主に緜紬二匹を賜う。 世宗六年甲辰正月癸卯 賜日本国王使送上副官人緜紬各三匹・・・僧鞋禅和子周周文都船主客緜紬二匹・・・ 0181
応永31  142402A03  扶桑五山記 岐陽方秀没。 六十四、岐陽禾上、諱方秀、・・・<応永三十一甲辰二月三日寂、> 0182
応永31  142402A03  満済准后日記 絵所寂済入道没。 絵所寂済入道死去云々。<七十七歳歟。> 0183
応永31  142402A04  李朝実録 日本国王使臣圭籌等出発。 日本国王使臣圭籌等発行・・・干漢江 0184
応永31  142407A17  看聞御記 絵所預秀行筆、牛図を明盛が持参。 明盛参。世事語之。牛一枚<板切両方ニ二頭書。>持参。当絵所預秀行筆云々。雨降之時牛ヲ逆ニ釣。然者雨晴云々。其為絵所ニ可令書之由兼仰付了。仍持参神妙也。 0185
応永31  142408A10  看聞御記 四条導場、火事。 抑今夜<丑時。>四条導場炎上云々。 0186
応永31  142408A10  満済准后日記 四条道塲、全焼。時衆の放火。 今夜々半四条道塲悉焼失。一宇不残。頗[二]時衆共自放火云々。 0187
応永31  142411A21  看聞御記 内裏庭園造営。植木の献上を命ずる。 内裏此間御前水御興行云々。仍当所寺庵植木可被召進之由。以持経被仰下。河原者三人為検知被召下。則寺菴ヘ仰之旨申遣。 0188
応永32  142502A18  扶桑五山記 鄂隠恵没。 十九、鄂隠禾上、諱恵、・・・応永卅二年乙巳二月十八日入滅、寿六十五、 0189
応永32  142502A24  喜連川判鑑 極楽寺、火事。 二月二十四日夜。極楽寺炎上。 0190
応永32  142502A28  看聞御記 十八日、鄂隠慧没。 又聞、鹿苑院前住鄂隠和尚今月十八日円寂云々。 0191
応永32  142508A14  看聞御記 相国寺の鹿苑院など、関東武将亭、信濃善光寺、火事。 抑未剋京有焼亡。一時許焼了。在所不審之処及晩風聞。相国寺鹿苑院以下塔頭々々悉炎上云々。法界門衣服[ヱミ]寺同焼失。・・・後聞。関東武将亭此日焼失云々。信濃善光寺も焼失云々。但巷説不審也。 0192
応永32  142508A14  満済准后日記 相国寺で火事。 未初刻相国寺ノ塔頭乾徳院焼失。其余炎ニ常徳院雲頂院鹿苑院並寺内七堂以下方丈文庫鐘楼一宇モ不残悉焼失。纔塔頭六ヶ所相残計也。崇寿院勝定院大徳院大智院恵林院大幢院等也。 0193
応永32  142508A14  如是院年代記 相国寺で火事 相国寺炎上。 0194
応永32  142508A28  扶桑五山記 慶仲周賀没。 廿五、慶仲禾上、諱周賀、・・・応永三十二乙巳八月二十八日寂、寿六十三、 0195
応永32  142509A14  看聞御記 大道院から瀧湫周沢筆の不動明王図、胡銅の花瓶が盗まれる。 早旦大道院盗人入。不動一補[ママ]。<瀧湫筆。>花瓶一。<胡銅。> 取之。 0196
応永32  142509A15  看聞御記 崇光院の本尊の瀧湫周沢筆不動明王図三幅を大道院に寄進。 用健来臨盗人事不尋出之間。不動紛失無念之由被語。仍崇光院御本尊不動三幅。<瀧湫筆。>大道院ニ可寄進之由進愚状。但預置他所可進之由令申。 0197
応永32  142510A07  満済准后日記 足利義持、相国寺に渡御。仏殿等事始。 御所様今日渡御相国寺ニ。今暁仏殿等事始云々。 0198
応永32  142510A14  看聞御記 仙洞御持仏堂立柱。 仙洞御持仏堂今日立柱。 0199
応永32  142510A14  満済准后日記 仙洞御会所御立柱。 仙洞御会所御立柱。 0200
応永32  142511A03  満済准后日記 相国寺仏殿立柱。 相国寺仏殿立柱。 0201
応永32  142511A04  看聞御記 真乗寺殿所蔵の常磐絵二篇を賜る。詞は白河三位経朝卿筆。 玄忠参。一樽持参。抑真乗寺殿常磐絵二篇賜之。殊勝絵也。詞筆跡白河三位経朝卿云々。行豊見之彼卿筆跡之由申。此絵真乗寺所持云々。 0202
応永33  142601A11  満済准后日記 御所の引物。福禄寿松竹鶴等の屏風一双、練貫五重。 仍自昼程院御所ニ御室祗候云々。御引物等毎事如年々佳例。御屏風一双。絵福禄寿松竹鶴等也。御練貫五重。以上。 0203
応永33  142601A15  満済准后日記 京都で大火事。 今日巳半許ヨリ中京焼亡。上ハ自姉小路下至高辻。其間八町歟。西ハ室町ノ東頬。東ハ富小路西頬ニ至テ悉焼失。其中ニ六角堂ノ本堂因幡堂六角家等相残云々。 0204
応永33  142604A26  法隆寺上御堂正面上欄間格子墨書 重祐大法師、法隆寺上御堂を施入。 奉施入法隆寺上御堂大施主重祐大法師夏一応永三十三年<丙午>卯月廿六日之間皆新造也。 0205
応永33  142611A22  満済准后日記 相国寺方丈開堂。 今日相国寺方丈開云々。 0206
応永34  142707A26  満済准后日記 相国寺の山門、鹿苑院、佛殿立柱。 今日相国山門並鹿苑院佛殿立柱云々。 0207
正長1  142801A18  満済准后日記 今日巳半計(歟)。御事切了。御年四十三也。 今日巳半計(歟)。御事切了。御年四十三也。 0208
正長1  142801A23  建内記 足利義持の葬儀。御影は土佐行広筆。 勝定院贈太相国御葬礼也、・・・懸御影於龕前、件御影土左守行広俄奉図云々、 0209
正長1  142801A24  満済准后日記 等持院に安置する御影(木像)。奈良仏師に申付ける。 次御影<木像。>事。於被安置等持院御影ハ御俗体可宜歟。又可為御法体歟云々。・・・予申云。是ハ又御法体可宜歟由申了。管領同心。仍此分治定。於即座奈良仏師ニ当院院主申付了。 0210
正長1  142804A05  東福寺誌 東福禅寺法堂上棟。 (梁銘)上棟、大日本国山城州恵日山東福禅寺法堂 応永三十五戊申年四月初五日  住持(高明)法揚修造 奉行一承、大工肥前守源弘友等敬白、 0211
正長1  142806A26  扶桑五山記 厳中周没。 廿二、厳中禾上、諱周、・・・正長元年戊申六月廿六日入滅、寿七十、 0212
正長1  142810A07  扶桑五山記 在中中淹没。 十三、在中禾上、諱中淹、・・・正長元年戊申十月七日入滅、寿八十七、 0213
永享1  142901A11  満済准后日記 大館入道方へ。御引物御屏風一双。御練貫十重。堆朱盆一枚。香合。小高檀紙一束。 今朝以使者〈経祐法眼〉。申遣大館入道方。早々可有渡御之由可申沙汰云々。…申初歟渡御。…御引物御屏風一双。〈絵万歳楽地久。〉御練貫十重。盆〈二重。堆紅。〉一枚。香合。〈削紅。文竹観音。〉小高檀紙一束。 0214
永享1  142901A30  喜連川判鑑 浄妙寺炎上。 正月三十日。浄妙寺炎上。 0215
永享1  142904A17  満済准后日記 清滝御遷宮。 今日清滝御遷宮。 0216
永享1  142906A21  建内記 故厳中周和尚に禅師号。 禅師号事有御執 奏、是前住南禅厳中周和尚去年六月廿六日円寂、而門中出所望之間 0217
永享1  142907A10  建内記 浄華院仏殿棟上。 浄華院仏殿棟上也。 0218
永享1  142908A16  満済准后日記 室町殿御会所棟上。 今日室町殿御会所御棟上云々。 0219
永享1  142908A16  建内記 室町殿立柱上棟。 室町殿御造作、立柱上棟也、 0220
永享1  142908A29  椿葉記 正長二年八月廿九日本内裏に遷幸。 さて正長二年八月廿九日本内裏に遷幸なる。 0221
永享1  142908A29  大乗院日記目録 黒戸御所新造。 遷[還]幸土御門殿、黒戸御所新造、自余如本 0222
永享1  142908A29  看聞御記 日本内裏遷幸。 今日本内裏遷幸也。 0223
永享1  142908A29  満済准后日記 高倉仮内裡から上御門旧内裡へ遷幸。 自高倉仮内裡。上御門旧内裡へ遷幸。 0224
永享1  142909A24  満済准后日記 東大寺巡礼。西室の宝蔵の霊宝。霊宝内の碁石三を召す。沈二切も同様に召す。 次東大寺御巡礼。…次西室へ渡御。於彼所宝蔵。霊宝等拝見。…霊宝内御碁石〈黒二。/赤一。〉以上三被召之。沈二切〈二寸許歟。〉同被召之了。 0225
永享1  142909A25  扶桑五山記 惟忠通恕没。 惟忠和尚、諱通恕、・・・永享元年巳酉九月廿五日示寂、寿八十二[一]、 0226
永享1  142911A13  満済准后日記 公方様新造御会所に移徒。 公方様新造御会所御移徙也。 0227
永享1  142911A21  満済准后日記 金剛輪院常御所、立柱上棟。 今日金剛輪院常御所〈会所相兼〉。立柱上棟。 0228
永享2  1430  古画備考(藤原行秀の項) 大嘗会悠紀方御屏風を調進。 系図云、…永享二年、大嘗会悠紀方御屏風、及標、調進之 0229
永享2  1430  古画備考(土左光弘の項) 大嘗会悠紀方御屏風を調進。 系図云、…永享二年、画大嘗会主基方御屏風、及標山調進 0230
永享2  143001A11  満済准后日記 御引物屏風一双。 御引物恒例儀也。御屏風一双〈絵馬牧体也〉 0231
永享2  143010A  達磨像銘 達磨像完成。征夷大将軍源相公鈞命。仏工椿井法眼集慶。彩色は周文。 永享二季庚戌四月奉/征夷大将軍源相公鈞命雕造至/十月終功/左辺眉眼鼻口并両手旧像不壊者也/仏工椿井法眼集慶/綵粧僧 周文/勧縁遠孫比丘祖能謹志 0232
永享3  1431  古画備考(仲安和尚の項) 不動尊像、絹本竪軸、八十六歳仲安筆、梵師焼香拝賛。 不動尊像、絹本竪軸、落款云、八十六歳仲安叟図焉、《松屋》画上之賛云、如々不動、処々随縁、一奉持者、出六種纏、永享辛亥夏五、梵師焼香拝賛、〈真蹟〉 0233
永享3  143103A09  満済准后日記 六日、天王寺で火事。 去六日自天王寺発向新開庄。堂塔在家一宇不残之悉放火了。 0234
永享3  143103A23  看聞御記 抑自禁裏絵可尋進之由被仰下。仍勧修寺門跡絵以善首座申出。十二年合戦絵五巻。後三年合戦絵六巻。弥益大領絵三巻〈勧修寺縁起〉。已上四巻借給為悦也。則禁裏備叡覧了。 抑自禁裏絵可尋進之由被仰下。仍勧修寺門跡絵以善首座申出。十二年合戦絵五巻。後三年合戦絵六巻。弥益大領絵三巻〈勧修寺縁起〉。已上四巻借給為悦也。則禁裏備叡覧了。 0235
永享3  143104A07  看聞御記 霊峯和尚が仲安筆不動像三幅を献ず。 霊峯和尚参来。用達遺物不動像三幅〈金加羅。勢多/加。仲安筆。〉献之。 0236
永享3  143104A17  看聞御記 内裏から天狗絵七巻を下さる。 自内裏七天狗絵七巻被下云々。 0237
永享3  143105A02  看聞御記 禁裏から長谷寺縁起絵三巻借りる。 自禁裏長谷寺縁起絵三巻被借下。 0238
永享3  143106A03  看聞御記 摂州勝尾寺縁起絵四巻を法安寺持参。内裏の為。 摂州勝尾寺縁起絵四巻法安寺持参。彼寺西坊絵云々。内裏為入見参伝借之。 0239
永享3  143106A06  看聞御記 障子絵鷺一番絵所に書かせる。 抑障子絵鷺一番絵所ニ令書。定直知人也。安芸守定久〈今入/道也〉。崇光院被召仕被下院宣云々。旧好之間可致奉公之由申。無子細筆也。向後可仰付之由仰之。 0240
永享3  143106A29  看聞御記 禁裏より勝尾寺縁起、返却。 禁裏有勅書。絵一合被返下[勝尾寺縁起]。 0241
永享3  143107A01  看聞御記 内裏へ絵四巻(八幡縁起絵二巻。宝篋印陀羅尼絵二局)を献上。 内裏へ絵四巻〈八幡縁起絵二巻。宝/篋印陀羅尼絵二局。〉進之。 0242
永享3  143108A20  兆殿司傳 吉山明兆没。 永享三年八月二十日寂、世壽八十歳、 0243
永享3  143108A20  画工譜略 明兆没。 兆殿主[後小松院御時] 文和元年壬辰誕生、…永享三年辛亥八月廿日行年八十歳シテ卒、時ニ贈兆公禅師 0244
永享3  143108A20  扶桑画人伝 吉山明兆没。 兆殿司…永享三年八月廿日没ス八十歳 0245
永享3  143108A22  看聞御記 上御所、事始。 上御所〈室町/旧跡〉。今日事始也。 0246
永享3  143108A22  満済准后日記 上御所、事始。 早旦辰終上御所辺ヘ先参儲(了)。…予今日御事始儀見物事依時宣也。 0247
永享3  143108A22  大乗院日記目録 将軍御所室町亭新造事始まる。 将軍御所室町亭新造事始。 0248
永享3  143109A09  聖衆来迎寺蔵十界図 軸木墨書銘 叡山横川霊山院の六道絵十五幅、三条富小路にて修覆終了。願主欣求浄土沙門忍阿弥。能阿弥修復に加わる。 六道之絵像拾五幅叡山横川霊山院之霊宝也/永享三年九月九日於三条富小路修覆之丐/願主欣求浄土沙門忍阿弥敬白/世の中をうき身におくることはりの/さてもむくはぬはてぞかなしき/能阿弥生年三十五才 0249
永享3  143110A13  看聞御記 室町殿立柱上棟。 室町殿立柱上棟也。 0250
永享3  143110A13  満済准后日記 今日巳時上御所立柱上棟同時。 今日巳時上御所立柱上棟同時。 0251
永享3  143110A13  大乗院日記目録 室町殿立柱上棟 室町殿立柱上棟 0252
永享3  143110A23  看聞御記 石山参詣。弘法大師御影、石山内供淳祐御影等拝見。障子に石山縁起あり。 辰一点石山参。…一堂ニ弘法大師御影。石山内供淳祐御影等拝見。障子ニ石山縁起図之。殊勝也。 0253
永享3  143111A03  看聞御記 相国寺仏殿上棟。法界門立柱。 今日相国寺仏殿上棟。法界門立柱云々。 0254
永享3  143111A15  看聞御記 禁裏より正安朝覲行幸絵一巻を下さる。 自禁裏正安朝覲行幸絵一巻被下。殊勝画図也。拝見畏悦。 0255
永享3  143112A03  満済准后日記 将軍新造御所にて鎮宅修法始まる。 自今日於将軍新造御所。〈号室町殿。/一条以北。〉鎮宅修法始行之。 0256
永享3  143112A05  看聞御記 内裏より小絵一巻下さる。洞院前内府入道筆。禁中公事等十二月之事を書いたもの。 抑自内裏小絵一巻被下。洞院前内府入道筆也。禁中公事等十二月之事書之。依勅定書進云々。彼卿筆跡未見之間申出了。 0257
永享3  143112A11  看聞御記 室町殿御移徒。 今夜室町殿御移徙也。 0258
永享3  143112A11  満済准后日記 将軍新造上御所に移る。 今日亥刻将軍御移新造上御所。 0259
永享3  143112A11  大乗院日記目録 室町殿御移住。 室町殿御移住 0260
永享3  143112A18  看聞御記 内裏より摂政所持の五節絵三巻下さる。高倉院承安元年五節絵形。 自内裏五節絵三巻被下。高倉院承安元年五節絵形。摂政所持絵也。 0261
永享4  143201A11  満済准后日記 上御所御造作事始。 今日上御所御造作事始。於寝殿前有其沙汰云々。 0262
永享4  143201A28  看聞御記 椎野より玉阿筆唐絵二幅を給う。 自椎野唐絵二幅給之為悦。玉阿筆云々。 0263
永享4  143201A29  看聞御記 禁裏に五節絵を返す。 禁裏有勅書五節絵返進。 0264
永享4  143202A24  看聞御記 室町殿御会所上棟。 今日室町殿御会所上棟云々。…御会所之外棟共あまた上棟云々。 0265
永享4  143202A24  満済准后日記 上御所御会所、御車宿、随身所、月次壇所等、立柱上棟。 上御所御会所并御車宿。随身所。月次壇所等。立柱上棟云々。 0266
永享4  143204A02  看聞御記 ある田舎人、妙音天絵造一幅を寄進。 六僧坊事執申。或田舎人妙音天絵造一幅進之。 0267
永享4  143204A19  満済准后日記 因幡堂縁起絵三巻、一遍上人絵十二巻に関する記事。 因幡堂縁起絵三巻。一遍上人絵十二巻。時御前可令一見由被仰出了。銘今度被染御筆云々。 0268
永享4  143204A22  満済准后日記 因幡堂絵、一遍上人絵を返上。 因幡堂絵并一遍上人絵返上了。 0269
永享4  143204A26  看聞御記 室町殿奥御会所に御移徒。 室町殿奥御会所に今日御移徙也。 0270
永享4  143204A26  満済准后日記 新造御会所御移徒。 新造御会所今夜可有御移徙之儀。先可拝見申旨被仰。御引導間。御座敷一見申了。美麗難尽短筆。驚目外無他。千秋万歳珍重由申了。 0271
永享4  143206A01  看聞御記 御乳人内裏に参る。先日御絵返上。唐使図御賀絵両巻を見せる。 御乳人内裏参。先日御絵返献之。唐使図御賀絵両巻入見参。 0272
永享4  143207A06  看聞御記 七夕餝具足に四季松図金屏風一双、絵三幅(中幅観音)を借用。座席室礼の為、屏風一双借用の請求あり。 七夕餝具足住心院僧正屏風一双。〈金瑩付/松四季。〉絵三幅〈本尊観/音。〉借用。法輪院律師〈行資舎/弟。〉屏風一双〈海船/松。〉借請。座席室礼。 0273
永享4  143208A11  看聞御記 持経祇候、囲碁双六をする。持経持参の茶呉器、南御方へ進上。 持経祇候囲碁双六張行申。懸物等持参。…懸物胡銅香炉一予出之。持経勝取之。…持経持参。茶呉器一雖非勝負南御方へ進之。 0274
永享4  143209A  古画備考(中橋系図) 将軍義教、駿河国今川範政亭にて、富士を見て景信に命じて写す事を命じる。 伝云、永享四年九月、将軍義教公、於駿河国今川範政亭、望観富士之時、有命景信於御前、使写于士峯、景信日来嗜画、故有此命云、 0275
永享4  143209A  狩野五家譜 将軍義教、駿河国今川範政亭にて、富士を見て景信に命じて写す事を命じる。 伝曰、永享四壬子年九月、将軍義教公東遊之砌、駿河国今川範政亭において、富士山を観玉ふ時、義教公御前において景信に被仰付、富士山の正図を写させ玉ふ、景信日頃画を嗜候故、蒙命と申伝。 0276
永享4  143209A06  看聞御記 年中行事絵。書写の記事。 抑年中行事絵。自去年内裏申出令書写。于今不終功。今日書出了。承仕清賢有絵骨之間令写了。 0277
永享4  143209A08  看聞御記 年中行事絵を内裏に返進。 年中行事絵内裏返進申。 0278
永享4  143210A15  満済准后日記 室町殿御持仏堂棟上。 室町殿御持仏堂棟上也。 0279
永享4  143210A29  看聞御記 仙洞対屋を男女別に建てるとの記事。 仙洞男女混合不可然之由被申。対屋各別。室山殿可造進之由被申云々。 0280
永享4  143211A10  満済准后日記 真言院立柱上棟。 真言院立柱上棟。 0281
永享4  143211A10  大乗院日記目録 内野真言院立柱上棟 内野真言院立柱上棟 0282
永享4  143211A10  看聞御記 仙洞対屋上棟。 仙洞対屋〈男祇候/所。〉今日上棟云々。 0283
永享5  1433  観音善財詢礼図識語 周文筆大悲尊像并善財詢礼之変相についての記事。 仲方和尚嘗有一童子自十齢至十八載周旋于左右不労役厥進退挙措殆乎仙陀婆也靖退閑居之時殊克服勤竟無憚也奄息之頃自書小簡附以周文公之画紙而奉于座下盖旌長別之悃恋い者也仍愍彼意致之無一便与薙染俾僧儀遂重命文公図大悲尊像并善財詢礼之変相於其上而装為幀軸由以前所奉之小簡而乎其背仗此賭之則慈救之切悲愍之深不可測其涯焉余禀 厳命不得去辞猥以蕪穢誌其始卒云/永享五年癸丑冬節後鷲峰愚極礼才焚香拝書 0284
永享5  1433  善隣国宝記 同年  大明書/皇帝勅諭日本国王源義教。(普光院)/…茲遣正使内官雷春。…齎勅往諭。并賜王綵幣等物。以示嘉悦之意。/宣徳八年六月十一日 同年  大明書/皇帝勅諭日本国王源義教。(普光院)/…茲遣正使内官雷春。…齎勅往諭。并賜王綵幣等物。以示嘉悦之意。/宣徳八年六月十一日 0285
永享5  143301A20  満済准后日記 南禅寺塔頭炎上。 今暁南禅寺塔頭炎上[両所]云々。 0286
永享5  143302A15  満済准后日記 御前の御山水向観音殿以下を見る。 予先参御前。御山水向観音殿以下被見了。新造綵色未出来。 0287
永享5  143302A16  看聞御記 室町殿泉殿上棟。 聞。室町殿今日泉殿上棟云々。 0288
永享5  143306A02  看聞御記 祇薗社塔供養の勧進。 抑聞。此間祇薗社為塔供養有勧人。 0289
永享5  143306A12  看聞御記 内裏より絵一合下さる。弘法大師絵十巻。智証大師絵五巻を拝見。 自内裏絵一合被下。弘法大師絵[金剛手院絵也]十巻。智証大師絵[聖護院絵也]五巻拝見。殊勝也。 0290
永享5  143306A14  看聞御記 内裏より御絵返上。又一合下さる。太神宮法楽寺絵五巻。泊瀬寺縁起三巻。 内裏御絵返上。又一合被下。太神宮法楽寺絵五巻。泊瀬寺縁起三巻。皆殊勝也。 0291
永享5  143306A16  看聞御記 内裏御絵返上。又一合下さる。八坂法観寺塔縁起絵三。聖廟御絵六巻。義湘大師絵四。青丘大師絵二巻下さる。 内裏御絵返上。又一合被下。八坂法観寺塔縁起絵三。聖廟御絵六巻。義湘大師絵四。青丘大師絵二巻被下為悦。八坂絵殊勝画図也。 0292
永享5  143306A20  看聞御記 内裏より新善光寺絵三巻を下さる。 自内裏新善光寺絵三巻又被下。 0293
永享5  143307A03  看聞御記 内裏より玄荘三蔵絵三巻を下さる。 自内裏玄荘三蔵絵且三巻被下。殊勝画図也。 0294
永享5  143307A04  看聞御記 玄荘絵残り十二巻を下さる。大乗院の絵。 玄荘絵残被下。有十二巻。[南部] 大乗院絵也。殊勝々々絵也。 0295
永享5  143307A14  大乗院日記目録 高野炎上、大塔以東滅亡。 高野炎上、大塔以東滅亡云々。 0296
永享5  143307A20  満済准后日記 高野火事の記事。 高野事先無為。…高野諸坊過半ハ焼失也。二千坊許ハ焼歟云々。大塔。金堂以下簡要在所無為事。 0297
永享5  143309A03  看聞御記 絵解の記事。 絵解参。未聞之間召令解。更無感気。甚比興事也。 0298
永享5  143309A16  看聞御記 大地震あり。 今夜大地震両度。 0299
永享5  143309A16  満済准后日記 子刻に地震。 今夜子刻地動。〈小動。〉 0300
永享5  143310A26  看聞御記 大地震で堂舍が倒れ多くの人が死ぬ。去年夏秋の間の事。 抑関東有不思議之恠異。先大地震堂舍顛倒人多死。…去夏秋之間事也。 0301
永享5  143310A30  看聞御記 室町殿前水作事、廿七日より始まる。 室町殿前水作事。自廿七日被始云々。 0302
永享5  143311A01  看聞御記 明日室町殿に進上する松を大光明寺、石を円鑑和尚が寄進。 明日室町殿可進之間。大光明寺松召寄五本被進。…海石三〈円鑑和尚被進。/秘蔵之石也。〉被進。地下侍共皆参令普請。 0303
永享5  143311A02  看聞御記 室町殿へ小松五本、海石三を進上。 室町殿へ小松五本。海石三被進。 0304
永享5  143311A05  看聞御記 三番歌合、御香宮稲田奉納。 抑聞。三番歌合〈絵哥一枚ニ/六人書。〉御香宮[赤松]稲田奉納云々。 0305
永享5  143311A24  満済准后日記 足利義教、廿一日に室町殿へ移徙。 早旦出京。室町殿音会所泉殿云々。廿一日御移徙御礼。 0306
永享6  1434  画工譜略 狩野祐盛伯信永享六年に生る。 狩野祐盛伯信…後花園御時永享六年に生る、生国は伊豆なり 0307
永享6  143401A11  満済准后日記 御評定始。御引物三献度進之。御屏風一双を立置。 御評定始如例式云々。…御引物三献度進之。御屏風一双。〈絵唐/船。〉兼立置御座敷。 0308
永享6  143402A11  如是院年代記 因幡堂万寿寺炎上。 因幡堂万寿寺炎上。 0309
永享6  143402A14  看聞御記 京都で大火。 京方有焼亡。未知在所。不審也。自午之末至酉初焼。以外大焼亡也。…其中因幡堂〈本尊ハ不焼。/取出云々。〉万寿寺。〈寺内悉焼失。草創/以来不焼云々。〉六条道場。聖天[河原院]。大内屋形。正七土蔵等也。 0310
永享6  143402A14  満済准后日記 京都で大火。 自午末京中炎上。…因幡堂焼失。於本尊者取出云々。十二神少々取出云々。万寿寺焼失。大内宿所等凡其数数千云々。希代事也。 0311
永享6  143402A14  大乗院日記目録 因幡堂万寿寺等焼亡。 因幡堂万寿寺等焼亡 0312
永享6  143403A11  満済准后日記 土佐将監入道に影像を写させる。 土佐将監入道召寄。影像写之了。 0313
永享6  143403A19  満済准后日記 六角堂炎上。南北七町。東西四町焼失。 戌半歟六角堂炎上。六角亭焼失。南北七町。東西四町焼失云々。 0314
永享6  143403A19  如是院年代記 六角堂炎上。 六角堂炎上。 0315
永享6  143403A24  看聞御記 宝蔵絵三巻を見参に入る。此絵は軒外不出の品。 又宝蔵絵三巻〈粉河観音絵。書写上/人絵。犬頭糸絵。〉入見参。此絵有子細不出軒外。雖然依召進之。 0316
永享6  143404A20  満済准后日記 土佐将監入道、祖師影の内、龍智。惠果を持参。 土佐将監入道祖師影内。龍智。惠果。尊師図画持参。 0317
永享6  143405A25  看聞御記 内裏より粉河観音縁起絵三下さる。室町殿より進上されたもの。 自内裏粉河観音縁起絵三且被下。畏悦殊勝之絵也。自室町殿被進云々。 0318
永享6  143405A26  看聞御記 内裏より御絵之残四給う。粉河縁起七巻有三段。 自内裏御絵之残四給。粉河縁起七巻有三段。利生掲焉殊勝也。 0319
永享6  143407A06  看聞御記 七夕餝座敷室礼。内裏御屏風一双(扇流源氏絵)。 七夕餝如例座敷室礼。明盛参。内裏御屏風一双〈旧院御屏風/扇流源氏絵〉申出了。 0320
永享6  143407A18  満済准后日記 福岡箱崎社炎上。 九州筥崎社頭炎上。神体同前。…炎上事。去月十六日歟云々。 0321
永享6  143408A21  看聞御記 京都火事。 夜前京焼亡。〈南禅寺塔/頭云々。〉抑去比宇佐宮炎上云々。天下恠異歟。驚入者也。 0322
永享6  143409A12  看聞御記 来る十五日、伊勢外宮遷宮。 来十五日伊勢外宮遷宮云々。上卿勧修寺中納言也。 0323
永享6  143410A25  看聞御記 内裏より絵六巻下さる。行幸賀茂祭、検非違使検断等絵。 自内裏絵六巻被下[御室被進云々]行幸賀茂祭。検非違使検断等絵也。 0324
永享6  143411A06  看聞御記? 内裏物語御用之由、仰下さる。史漢物語六巻、武蔵坊弁慶物語二巻を献上。 内裏物語御用之由被仰下之間。史漢物語六巻。武蔵坊弁慶物語二巻献之。 0325
永享6  143411A08  看聞御記 内裏御絵五巻下さる。悪源太絵上下。鎮西追討絵三巻。是御室宝蔵絵也。 内裏御絵五巻被下。先日絵之類也。悪源太絵上下。鎮西追討絵三巻。是御室宝蔵絵也。 0326
永享6  143411A27  満済准后日記 山上清滝拝殿立柱。 山上清滝拝殿立柱。 0327
永享7  1435  一休和尚年譜 一休朱太刀像の記事。 七年乙卯…瑞子絵師像。曲録?牀角靠長剣。以代烏藤。賛有吹毛三尺発動煙塵之句。 0328
永享7  143501A11  太子伝玉林抄 南大門焼ける。同十一年新造。 次当時南大門三間也。无二王也。承暦年中堀川院之時。/私云。永享七年正月十一日暁。禅学諍。南大門焼畢。同十一年新造。 0329
永享7  143502A03  大乗院日記目録 延暦寺根本中堂炎上、本尊薬師三体焼ける。 延暦寺根本中堂悉皆炎上、本尊薬師三体焼了、希代珍事 0330
永享7  143502A04  満済准后日記 山門惣持院炎上。 今夜山門惣持院炎上云々。 0331
永享7  143502A05  看聞御記 山門中堂炎上。 (頭書)今日山門中堂炎上。 0332
永享7  143502A05  如是院年代記 根本中堂及び心持院放火。衆徒等自殺。 根本中堂及心持院放火。衆徒等自殺。 0333
永享7  143502A06  満済准后日記 山門根本中堂昨日炎上。 山門根本中堂昨日〈午刻〉。炎上。 0334
永享7  143502A06  看聞御記 昨日山門社頭中堂、大講堂以下炎上。 抑聞。昨日山門「社頭中堂「大講堂以下為灰燼。…相残「座禅院等」悪党共放火。忽一時山上滅亡云々。 0335
永享7  143505A06  看聞御記 関白の進上した御所は小御所。 関白被進御所ハ小御所〈大方殿御方。〉也。非寝殿云々。来月可被引渡之由有沙汰。寝殿ニ可被作之由被申云々。毎事未定之由親豊語。 0336
永享7  143505A09  看聞御記 源氏絵上下巻進上。写す為。 殿大納言被申出之間。源氏絵上下巻供進。為被写云々。 0337
永享7  143506A29  看聞御記 内裏御絵七巻。大嘗会御禊行幸絵下さる。 内裏御絵七巻。大嘗会御禊行幸絵被下。以外破損。然而殊勝絵也。甘露寺相伝之絵云々。而禁裏へ沽却申間被召置云々。 0338
永享7  143507A07  看聞御記 座敷錺屏風二双。唐絵廿三幅。人々の進上した具足等目録。禁裏唐絵龍眠筆三幅。御屏風二双。 早旦座敷錺屏風二双。唐絵廿三幅。…並花所進人々具足等目録。/禁裏唐絵三幅〈文殊人形。/龍眠筆。〉御屏風二双〈扇〉。 0339
永享7  143507A08  看聞御記 内裏旧院筆八幡縁起御絵、申出持参。 内裏八幡縁起御絵〈二。納筥。詞/旧院御筆。〉申出持参。後小松院在位之時被書云々。殊勝御絵也。 0340
永享7  143507A28  看聞御記 違棚の後ろの障子絵。法性寺之絵所に書かせる。 チカヰ棚後障子絵。法性寺之絵所ニ令書出来。唐人京入之体也。 0341
永享7  143508A03  看聞御記 山門中堂建立事始まる。 抑今日山門中堂建立事始云々。 0342
永享7  143508A03  如是院年代記 根本中堂の事の始めは申刻。 根本中堂事始申刻也。 0343
永享7  143508A07  看聞御記 仙洞御会所ハ鷹司殿、進ずる。御持仏堂。 仙洞御会所ハ鷹司殿[内府]ヘ被進。御持仏堂。 今御所ハ泉涌寺被寄。寝殿。対屋。台所等ハ此御所ヘ可被進之由有沙汰云々。 0344
永享7  143508A15  蔭凉軒日録 当寺僧堂立柱。 当寺僧堂立柱。 0345
永享7  143508A27  蔭凉軒日録 出羽国崇禅寺。十刹となる。新命周悟西堂、出発。 出羽国崇禅寺。以有先例始為十刹列。新命周悟西堂。御判即出矣。 0346
永享7  143508A29  看聞御記 関白新造亭室町殿入る。 聞。今日関白新造亭室町殿被入申。 0347
永享7  143509A20  蔭凉軒日録 仏殿左右両尊彫造の為、周文、建仁寺仏像を見る。仏工を選ぶため。 当寺仏殿左右両尊可彫造之故。使院主与周文見建仁寺仏像。蓋択仏工故。 0348
永享7  143510A02  看聞御記 大通院御筆天神名号并に啓釈筆唐絵等新調出来。 大通院御筆天神名号并啓釈筆唐絵等表ほう?新調出来了。 0349
永享7  143510A26  蔭凉軒日録 当寺山門立柱。 当寺山門立柱。 0350
永享7  143511A07  蔭凉軒日録 画師景阿弥、唐扇を命ぜられる 画師景阿弥。為明年所作之扇。可唐扇。以院主命伺之。可作唐扇之旨被仰出。 0351
永享7  143511A09  蔭凉軒日録 諸老宿諸貴俗。写真冊子四巻。臆阿に召さしむ。 諸老宿諸貴俗。写真冊子四巻。以臆阿被召之。写真一枚以臆阿被預置。 0352
永享7  143511A13  如是院年代記 因幡堂立柱。 因幡堂立柱。 0353
永享7  143511A29  看聞御記 建仁寺炎上。 牛未之時建仁寺炎上。自風呂出火云々。驚入者也。追聞。塔頭共炎上。寺中仏殿以下無為也。 0354
永享7  143511A29  蔭凉軒日録 建仁寺炎上。 建仁寺諸塔頭有火。 0355
永享7  143512A08  看聞御記 御禊行幸絵六巻内裏進上。 御禊行幸絵六巻内裏進之。表補新調畢。 0356
永享7  143512A19  看聞御記 新亭に渡らせられる。 酉刻新亭渡御。 0357
永享8  143601A13  看聞御記 法性寺絵所参る。御剣持参。御扇を下さる。この絵所父は崇光院御代に奉公。 法性寺絵所〈法師〉。参。御剣持参。被下御扇。比絵所父ハ崇光院御代奉公云々。旧好之由申参。 0358
永享8  143603A12  蔭凉軒日録 当寺脇士安置。仏殿に御成。 当寺脇士安置之。…先御成於仏殿。乃安置脇士之故也。 0359
永享8  143605A19  看聞御記 其便路参る。絵一合持参(善光寺利生絵二修験道絵一巻)。 其便路参。絵一合持参[善光寺利生絵二修験道絵一巻]。聖護院之絵也。先年予詞染筆。其後未一覧之間所望申。仍借給。 0360
永享8  143605A30  看聞御記 保元絵一合、重仲持参。たくまか筆。 保元絵一合〈上五/巻〉重仲持参。件絵銘事申。再三雖令故障。中山宰相執申。就貴所望申之由懇切申之間。心弱領状了。仍絵入見参。殊勝絵也。西塔北谷ニ有之。たくまか筆云々。山上秘蔵絵云々。 0361
永享8  143605U04  看聞御記 保元絵銘染筆遣之。上先返遣。 保元絵銘染筆遣之。上先返遣。中山中納言以重仲難去申之間。乍比興書遣。山門秘蔵之絵云々。 0362
永享8  143605U09  看聞御記 会所障子八景詩。諸長老達に所望する。色紙ハ書記。 仰会所障子八景詩。諸長老達ニ所望申。光侍者為使。不可有子細云々。色紙ハ書記致奉行了。 0363
永享8  143605U14  看聞御記 住心院二尊利生絵返す。発心集を遣わす。 住心院二尊利生絵返遣。発心集遣之。 0364
永享8  143606A05  看聞御記 八景詩障子に唐紙師参りて押す。 八景詩障子ニ唐紙師参押之。 0365
永享8  143606A14  看聞御記 東寺塔に落雷。 昼夕立降。雷鳴東寺塔ニ落。水雷之間無殊事。二三重蹴破云々。 0366
永享8  143606A22  看聞御記 内裏より人麿影像一幅下さる。旧院御絵。信実卿筆か。 自内裏人麿影像一幅被下。御乳人持参。不所持之由被聞食及被下。殊畏悦也。是旧院御絵也。若信実卿筆歟。古本殊勝也。 0367
永享8  143606A25  看聞御記 山門足引絵一合、定直持参。粟田口民部筆の新写。 仰山門足引絵一合〈五巻。納/手筥。〉定直持参。自山門以事書申。第四巻一之詞可被染御筆之由載事書所望申。定直有所縁執申。件絵新写〈粟田口民/部筆也。〉甚殊勝也。 0368
永享8  143606A26  蔭凉軒日録 当寺開堂。。 当寺開堂。度僧〈并〉梵種喝食。度僧之事伺之。 0369
永享8  143606A27  蔭凉軒日録 開堂の為御成。 為開堂御成。…次開同諷経。 0370
永享8  143606A27  看聞御記 相国寺僧堂開く。因幡堂ゝゝ六角堂立柱。 相国寺僧堂開因幡堂ゝゝ六角堂立柱云々。 0371
永享8  143606A27  看聞御記 内裏御絵牧谿筆観音、蘆、雁三幅。永基朝臣持参。咸陽宮御絵返上。 仰内裏御絵三幅。〈観音。蘆。雁。/牧谿和尚筆。〉永基朝臣持参申出了。咸陽宮御絵返進了。 0372
永享8  143607A04  看聞御記 行豊朝臣狭衣絵五巻見参のため入る。清朝臣上。 行豊朝臣狭衣絵五巻入見参。殊勝絵也。為清朝臣進之。是之絵申出之間。高大夫絵等両三巻遣之。 0373
永享8  143607A07  看聞御記 会所室礼。内裏より御絵牧谿和尚筆観音、蘆雁三幅。紫檀の卓一、屏風一双。瓶盆等南御方より申出さる。 早旦会所室礼。…自内裏御絵三幅。〈牧谿和尚観音。芦雁大/絵。金鑽ヘウホウ。〉卓一〈紫檀。〉屏風一双。比外瓶盆等自南御方被申出。 0374
永享8  143608A27  如是院年代記 中堂立柱。同十月十一日上棟。 中堂立柱。同十月十一日上棟。 0375
永享8  143609A05  看聞御記 足引絵詞書初む。 足引絵詞書初。 0376
永享8  143609A28  蔭凉軒日録 御会所、御障子画賛諸老宿に命ず。十二人。 御会所。御障子画賛可命諸老宿之旨奉之。乃十二員也。 0377
永享8  143610A11  看聞御記 中堂立柱之儀厳重。 中堂立柱之儀厳重云々。 0378
永享8  143610A11  大乗院日記目録 延暦寺根本中堂立柱。 延暦寺根本中堂立柱 0379
永享8  143610A15  看聞御記 伏見殿障子色紙絵を召寄す。常御所障子五間に押す。絵は花薗院宸筆。忠季卿筆等。色紙は青蓮院ニ品親王御筆。萩原殿御障子色紙は秘蔵。 仰伏見殿障子色紙絵召寄。常御所障子五間ニ押之。絵ハ花薗院宸筆。忠季卿[裏辻大納言]筆等也。色紙ハ青蓮院ニ品親王[尊円]御筆。萩原殿御障子色紙秘蔵々々者也。 0380
永享8  143611A02  蔭凉軒日録 御障子諸老賛を御目に懸ける。能阿父散忌之後に能阿に糊付けさせる。 御障子諸老賛懸之 御目。能阿父散忌之後。可令能阿糊也。 0381
永享8  143611A19  経覚私要看聞鈔 不動一鋪新写。絵師吐田筑前房重、代百五十疋。 不動一鋪新写了、絵師吐田筑前房重有書之、代百五十疋云々、随分沙汰出了 0382
永享8  143611A29  如是院年代記 八坂塔雲居寺両所炎上。 八坂塔雲居寺両所炎上。 0383
永享8  143611A29  看聞御記 雲狐寺八坂塔双林寺炎上。 夜〈丑時。〉雲狐寺八坂塔双林寺炎上。 0384
永享8  143611A30  蔭凉軒日録 法観寺災あり。 法観寺有災。被尋。…以伊勢上総殿披露其旨矣。 0385
永享8  143611A30  蔭凉軒日録 法観寺災あり。 法観寺有災。被尋。 0386
永享8  143611A30  大乗院日記目録 雲居寺八丈阿弥陀并びに八坂塔焼失。 雲居寺八丈阿弥陀并八坂塔焼失了 0387
永享9  1437  京城万寿禅寺記 大殿山門丈室新成。 同九年丁巳捨播之安田東九条田園。罪譴籍没之財。而大殿山門丈室新成矣。法堂僧堂庫司浴室溷厠琴台諸寮等。次第備矣。 0388
永享9  1437  扶桑五山記 惟肖得岩没。 六十九、惟肖禾上、諱得岩、…〈応永[マゝ]四月/月[衍?]廿日寂、〉 0389
永享9  143701A27  看聞御記 内裏にて源氏絵二入見参。 自内裏被召之間。源氏絵二入見参。 0390
永享9  143701A28  蔭凉軒日録 蓮華王院仏像并びに天蓋に関する記事。 蓮華王院仏像并天蓋。尽成功之旨被言之。 0391
永享9  143702A25  看聞御記 足引絵詞、禁裏に召置いていたが、今日返却。五巻皆写す。 仰足引絵詞難去申之間染禿筆了。而禁裏被召置。絵有御写。〈勅筆。〉自去年于今被召置之間。自山門切々申。今日指而有所用事云々。仍被出之間今日返遣了。五巻皆被写了。 0392
永享9  143703A25  扶桑五山記 古標大秀没。 百廿一、古標、諱大秀、〈永享九三月廿五日寂、〉 0393
永享9  143704A19  看聞御記 室町殿新造小御所御移住并びに御厩新造御祝。 室町殿新造小御所御移住并御厩新造御祝云々。 0394
永享9  143704A19  看聞御記 相国寺法堂立柱云々。 相国寺法堂立柱云々。 0395
永享9  143704A20  蔭凉軒日録 当寺法堂立柱。諷経。 当寺法堂立柱。諷経。 0396
永享9  143705A09  看聞御記 禁裏へ内裏より御扇十本進ずる。絵面にはしゃれ事とも種々書く。裏ハ普通の絵。 仰禁裏へ内裏より御扇十本被進。其絵面ニハ。しゃれ事とも種々書。裏ハ普通之絵結構也。 0397
永享9  143705A15  看聞御記 内裏より融通念仏絵両三給う。 内裏より融通念仏絵両三給。〈鞍馬沙門/勧進融通念/仏絵/也。〉 0398
永享9  143706A08  看聞御記 内裏愚童記御絵。宮御方申出さる。詞旧院宸筆。 内裏愚童記御絵。宮御方被申出。詞旧院宸筆也。 0399
永享9  143706A26  看聞御記 持経絵二巻入見参。定智真筆。 持経絵二巻入見参。其形勢殊勝也。定智真筆云々。則欲写。 0400
永享9  143706A27  扶桑五山記 与可心交没。 百廿ニ、与可、諱心交、〈永享九六月/廿七日寂〉 0401
永享9  143708A13  看聞御記 法輪にて雑談。吉祥天女絵彩色の事、絵所民部法眼隆光に相談。 法輪てら参雑談。吉祥天女絵綵色事。絵所民部法眼隆光知人之由申間。可被尋試之由申談。 0402
永享9  143708A14  看聞御記 内裏より因果絵五巻下さる。詞行俊卿筆。 内裏より因果絵五巻被下。殊勝也。詞故行俊卿筆也。 0403
永享9  143708A18  看聞御記 法輪院慈恵大師御絵三巻持参。青蓮院御絵也。 法輪院慈恵大師御絵三巻持参。青蓮院御絵也。自第四詞紛失不被出云々。 0404
永享9  143708A29  看聞御記 禁裏より地藏絵六給う。 自禁裏地藏絵六給。拝見殊勝也。 0405
永享9  143710A08  看聞御記 絵一持経朝臣持参。 絵一持経朝臣持参。先度入見参定智筆之類也〈関白出/仕絵。〉 0406
永享9  143710A10  蔭凉軒日録 万寿寺仏殿立柱。 万寿寺仏殿立柱。 0407
永享9  143710A12  看聞御記 典主殿御盃台進ず。龍頭鷁首二艘。台ハ池之風情也。南都より造進。彩色民部。 典主殿御盃台進之。龍頭鷁首二艘。台ハ池之風情也。南都より造進云々。綵色事民部ニ仰。 0408
永享9  143712A25  蔭凉軒日録 水亭之名。鹿苑院主と考えるよう、誉阿に命ず。 水亭之名。可与鹿苑院主相謀之由。以誉阿被命。 0409
永享9  143712A26  蔭凉軒日録 新亭名御目に懸ける。 新亭名奉懸 御目。可重書献之旨有命。 0410
永享9  143712A29  蔭凉軒日録 南殿前新亭扁釣書文字を献ず。 南殿前新亭扁釣書文字献之。 0411
永享10  143802A13  看聞御記 持経朝臣所望。民部筆十六羅漢像一鋪。銘天神講式銘等。 仰上長講堂坊主以持経朝臣所望申。十六羅漢像一鋪。〈民部/筆。〉銘天神講式銘等申。雖比興書進。 0412
永享10  143802A27  看聞御記 鳴滝殿御絵春日御縁起一合二十巻借り給う。萩原殿御物。正本は春日社に奉納。 仰鳴滝殿御絵春日御縁起中諸一合〈廿巻。〉借給。拝見殊勝也。件御絵萩原殿御物也。…此絵正本春日社被奉納。…其中書也〈隆兼同筆。〉萩原殿相伝歟。仍鳴滝被預申也。 0413
永享10  143802A27  看聞御記 内裏より御屏風一双(絵松/鶴)預かる。 自内裏御屏風一双〈絵松/鶴〉被預下。 0414
永享10  143803A02  看聞御記 唐絵屏風一双。玉阿筆。召留める。 唐絵屏風一双。或人沽却。玉阿筆云々。不分明。然而神妙之筆也。仍召留了。 0415
永享10  143804A02  看聞御記 相国寺法堂開。 相国寺法堂開云々。 0416
永享10  143804A02  蔭凉軒日録 方丈御成。新法堂を開いた為。 方丈御成。〈煎点。〉蓋為開新法堂也。 0417
永享10  143804A09  看聞御記 周文参る。周文筆障子絵を見る。 周文参。障子絵見之〈比僧筆/也。〉瑛蔵主真同道参。雖自筆猶無覚束歟。 0418
永享10  143804A12  看聞御記 光侍者参る。唐絵屏風筆者不審。多智筆か。多智は粟田口民部弟子。 光侍者参。感得唐絵屏風筆者不審之間令見。是ハ多智筆云々。…多智ハ粟田口民部弟子云々。民部ニ可被見之由申。可相尋也。 0419
永享10  143804A16  看聞御記 唐絵屏風粟田口民部に見せる。多智筆。 仰唐絵屏風粟田口民部ニ令見。多智筆也云々。 0420
永享10  143804A29  看聞御記 内裏御屏風栂尾殿御筆源氏并びに舞絵二双拝見。又絵所筆舞絵一双申出す。 内裏御屏風栂尾殿御筆源氏并舞絵[二双]申出拝見。殊勝無極。又舞絵一双〈絵所筆。〉申出。是も殊勝也。則返進。 0421
永享10  143805A13  看聞御記 盛賢書写絵採色は土佐将監。 仰盛賢書写絵採色事。[絵所]土佐将監申試了。 0422
永享10  143805A16  看聞御記 禁裏源氏絵民部に書かせるとの事。 禁裏源氏絵〈オソクツ絵〉民部ニ令書之由被仰下。可相尋之由先申入。 0423
永享10  143805A24  看聞御記 時代不同歌合絵中巻、上下欠。盛賢に書写させる。 時代不同歌合絵。或人沽却。披見中巻也。上下欠。然而召留了。絵乱次散々也。為校合証本相尋。源中納言。法性寺侍臣為季ニ借用。一巻進之。好本也。校合乱次直之。感得本無上下之間。以此本盛賢ニ令書写。 0424
永享10  143805A26  看聞御記 山門足引絵。先度宸筆にて写したが、彩色の為、今一度借用。 仰山門足引絵事。先度以宸筆被写置了。為採色今一度可被借召条如何。 0425
永享10  143806A07  看聞御記 内裏より地藏験記絵一合給う。室町殿御絵。奧書藤原朝臣行光、但大進法眼善祐書、貞治孟秋。 仰内裏より地藏験記 0426
永享10  143806A08  看聞御記 地藏御絵返上。十二神絵下さる。又九郎判官義経奥州泰衡等被討代絵十巻給う。詞参議拾遺行忠卿。絵所従四位藤原朝臣行光筆。 地藏御絵返献。又十二神絵[畜類歌合]被下。電覧則返進。又九郎判官義経奥州泰衡等被討代絵十巻給。室町殿被進絵也。殊更殊勝握翫無極。詞参議拾遺行忠卿。絵所従四位藤原朝臣行光筆也。 0427
永享10  143806A10  看聞御記 内裏より長官前大蔵筆目連尊者絵三を給う。和田左衛門尉平義盛絵七を給う。 内裏より又目連尊者絵三。〈奧書云/筆者長官前大蔵/権小輔従五位下/藤原光益。嘉慶/二年六月日。〉給之。…又和田左衛門尉平義盛絵七〈浅井三郎義秀幕/府住所門破事。〉同給。是等自室町殿被進云々。 0428
永享10  143806A13  看聞御記 内裏より平家絵十巻給う。 内裏より平家絵十巻給。是も自公方被進云々。 0429
永享10  143806A17  看聞御記 重賢参る。法輪院絵四巻進上。内裏献上。 重賢参。法輪院絵四巻進之。〈東大寺絵。二月/堂絵。児方芸絵ニ。〉則内裏献之。 0430
永享10  143806A18  蔭凉軒日録 重都寺家財石山絵を召置く。 重都寺家財石山絵被召置。 0431
永享10  143806A20  看聞御記 時代不同歌合絵書写終わる。詞行豊朝臣可令書。写本法性寺侍従為季返す。 時代不同歌合絵書写了。詞行豊朝臣可令書也。写本法性寺侍従為季返遣。 0432
永享10  143806A24  看聞御記 入江殿より花山院筆法然上人絵四巻給う。禁裏入見の為。 自入江殿法然上人絵〈四巻。〉給。花山院之絵也。禁裏為入見参伝借申。 0433
永享10  143807A22  看聞御記 足引絵第二巻採色出来る。禁裏より下さる。民部小輔採色。 仰足引絵第二巻採色出来。禁裏より被下。如本殊勝也。民部小輔[蔵人次益父也]以盛採色之。頗不恥絵所能筆。珍重也。 0434
永享10  143808A09  看聞御記 民部源氏絵書出進上。内裏へ献上。詞勅筆。 民部源氏絵[上下]書出進之。殊勝也。則内裏へ献之。詞勅筆可被遊云々。 0435
永享10  143808A26  看聞御記 山臥綱絵。絵所土佐将監彩色出来る。絵は清賢写す。 (頭書)山臥綱絵。絵所土佐将監綵色出来。今日進之。殊勝也。絵ハ清賢写了。 0436
永享10  143808A29  看聞御記 多武峯火事。 多武峯昨日責落云々。…堂舍仏閣為灰燼。本堂。大織冠御影堂無為ニ残云々。 0437
永享10  143808A29  大乗院日記目録 多武峯炎上。 多武峯発向、堂社、坊舍払地炎上、大職[織]冠御影奉入橘寺 0438
永享10  143810A20  看聞御記 足引絵第一彩色出来る。 足引絵第一綵色出来。 0439
永享10  143811A11  看聞御記 秋夜長物語絵二巻。内裏より下さる。 秋夜長物語絵二巻。自内裏被下。一覧。 0440
永享10  143811A13  看聞御記 鳴滝殿御絵、巻物六七巻給う。ういのせう絵上下巻。絵所預隆兼筆香助絵二巻、萩原殿御絵先度給う。 鳴滝殿御絵〈強力女絵一。〉巻物六七巻給。ういのせう絵上下巻。香助絵二巻先度給了。〈絵所預/隆兼筆/写之。〉萩原殿御絵共也。名筆之間申預了。 0441
永享10  143811A13  蔭凉軒日録 北堂華経王堂本尊、大仏師に命ずる。 北堂華経王堂本尊。命大仏師作之。 0442
永享10  143811A14  蔭凉軒日録 経王堂本尊可十九日に始める。 経王堂本尊可始彫刻之吉。以来十九日被命。 0443
永享10  143812A03  看聞御記 室町殿より詞伏見院宸筆御絵二巻給う。清少納言枕双子絵。 仰自室町殿御絵二巻給。此詞伏見院宸筆云々。実否御不審定可存知歟。見て可申之由。女中より内々承。清少納言枕双子絵也。[墨絵也]殊勝也。宸筆雖相似不分明。慥御筆とハ不存。源中納言同前申。若萩原殿進子内親王御筆歟。絵も同前歟。其も不分明之間。宸筆とハ慥不拝見之由御返事申。御絵軈返進了。禁裏より御絵一巻給。むくさい房絵也。新写也。是も室町殿被入見参云々。 0444
永享10  143812A11  蔭凉軒日録 牛剋八坂塔立柱諷経。 牛剋八坂塔立柱諷経。 0445
永享11  1439  本朝画史 藤原広周、絵所となる。 藤原広周…永享十一年為絵所 0446
永享11  143904A23  扶桑五山記 竹菴大縁没。 七十三、竹菴禾上、諱大縁、…〈永享十一己未四月廿三日寂、〉 0447
永享11  143904A23  扶桑五山記 竹菴大縁没。 百十四、竹菴、諱大縁、…〈永享十一四月廿三日寂、〉 0448
永享11  143906A06  蔭凉軒日録 雲狐寺大像面貌、本房客殿にて彫刻始まる。 雲狐寺大像面貌於本房客殿始彫刻。仍眼口所在各被着一刀。 0449
永享11  143906A12  建内記 雲居寺本尊、去六日鹿苑院にて刻み始まる。仏師去九日造り始める。 伝聞 雲居寺[先年炎上之後]本尊〈阿弥陀、〉事御衣木、去六日[室町殿]於鹿苑院令刻始給、只被下御小刀許也、其後仏師去九日歟造始之、 0450
永享11  143906A30  扶桑五山記 大愚性智没。 八十九、大愚、諱性智、…〈永享十一六/月日寂、〉 0451
永享11  143907A05  蔭凉軒日録 大愚和尚行脚事を披露。 大愚和尚行脚事披露之。 0452
永享11  143908A28  蔭凉軒日録 当院本房にて雲狐寺大像彫刻始まる。 午刻於当院本房。雲狐寺大像始彫刻也。 0453
永享11  143909A08  蔭凉軒日録 七月十六日。大風起きて清見寺殿堂倒れる。 七月十六日。大風起而倒清見寺殿堂之事披露之。 0454
永享11  143910A25  土佐家文書 土佐広周に丹波国三ヶ北庄から給分として五百疋を出す。 二品親王庁下 丹波国三ヶ北庄御庄司等/応早以当庄内伍百疋土佐弾正忠広周給分事右以彼人可為給人之状如件、庄家宜承知、敢勿違失、故以下/永享十一年十月廿五日 公文大法師(花押)/別当法橋(花押) 0455
永享11  143912A20  蔭凉軒日録 蔭涼南庭小山水を御覧。 蔭涼南庭小山水始具御覧。 0456
永享12  1440  善隣国宝記 同十二年二月十九日、足利義教、彩画扇壹佰把、金銅装飾大刀者拾把、大紅漆木車椀大小計拾事、大紅漆浅方盆大小計貳拾事を朝鮮国王殿下へ。 同十二年 答朝鮮書/日本国源 義教。〈(普広院殿)〉奉復/朝鮮国王殿下。/…菲薄方物。見于別録。聊表謝悃耳。伏希采納。…/龍集庚申春二月十九日/日本国源 義教/彩画扇壹佰把。/金銅装飾大刀者拾把。/大紅漆木車椀大小計拾事。/大紅漆浅方盆大小計貳拾事。/紅漆黒漆雑色木桶貳箇。/整 0457
永享12  144001A18  蔭凉軒日録 山門造営十一日に始まる。 当寺山門造営始于十一日。 0458
永享12  144002A19  蔭凉軒日録 朝鮮官人、帰国の為、参上。御会所にて対面。御返章として、書并びに箱を贈る。扇子百本。太刀十振。朱椀一具。奈良桶二箇。 朝鮮官人。為帰国参于殿中而請暇去。於御会所御対面。御返章被遣。書并箱如彼報而被贈戴者。扇子百本。太刀十振。朱椀一具。奈良桶二箇。以僧遣之。 0459
永享12  144004A16  如是院年代記 八坂塔供養。 八坂塔供養 0460
永享12  144004A16  蔭凉軒日録 法観寺塔供養。 法観寺塔供養。 0461
永享12  144004A16  基恒日記 八坂塔供養 八坂塔供養 0462
永享12  144004A16  大乗院日記目録 八坂塔供養 八坂塔供養 0463
永享12  144004A19  蔭凉軒日録 雲狐寺本尊彫刻。奈良新仏師と周文と相共に彫刻。 雲狐寺本尊彫刻。奈良新仏師与周文相共可彫刻之由被仰出。 0464
永享12  144004A23  蔭凉軒日録 鹿苑院殿伺う。赤段子三端。青段子二端。ヒワ色段子一段出される。能阿弥これを弁ずる。 鹿苑院殿真前帳伺之。 赤段子三端。青段子二端。ヒワ色段子一段被出。令能阿弥弁之。 0465
永享12  144005A10  蔭凉軒日録 山門彩色、洛中絵師が註進。 就山門彩色洛中絵師悉可註進也。 0466
永享12  144005A14  蔭凉軒日録 千手観音厨子。脇士馬祖仙人功徳天。写すよう土蔵に命ず。 千手観音厨子。脇士馬祖仙人功徳天。可写之由於土蔵命之。 0467
永享12  144005A25  蔭凉軒日録 土蔵。加賀。将監。安芸。この絵師各御扇子一柄献上。土蔵一人山門彩色をつとめる。 土蔵。加賀。将監。安芸。此絵師各御扇子一柄献之。土蔵一人可勤山門彩色之由。以伊勢備後守仰出。扇絵為被試其妙不妙。 0468
永享12  144005A30  蔭凉軒日録 山門彩色、土蔵ほか絵師相共に描く。 山門彩色土蔵其外絵師相共可画之由被仰出。 0469
永享12  144006A11  蔭凉軒日録 雲狐寺本尊御刀始。 雲狐寺本尊御刀始。 0470
永享12  144006A17  如是院年代記 因幡堂成る。本尊御堂に移る。 因幡堂成。本尊遷御堂。 0471
永享12  144007A28  蔭凉軒日録 雲狐寺本尊光仏。洛中諸仏師配分して作る。 雲狐寺本尊光仏。洛中諸仏師配分而可被作之由伺之。 0472
永享12  144008A28  蔭凉軒日録 仏師弁法橋并びに絵師土蔵二人。千疋下行。千手観音厨子。 仏師弁法橋并絵師土蔵二人。千疋下行之事。於正実坊被仰出。即命之。蓋千手観音厨子也。 0473
永享12  144011A06  蔭凉軒日録 雲狐寺二王周文が造る。 雲狐寺二王周文可造之由被仰出。 0474
永享12  144011A27  蔭凉軒日録 雲狐寺二王御刀始まる。等持寺方丈にて。 雲狐寺二王御刀始。於等持寺方丈在之。 0475
永享12  144012A05  蔭凉軒日録 山門開方丈御成。 山門開方丈御成。 0476
嘉吉1  144104A04  看聞御記 内裏より十二神絵給う。 自内裏十二神絵給。室町殿被進云々。 0477
嘉吉1  144104A05  看聞御記 智証大師御絵一合[五]禁裏下さる。 智証大師御絵一合[五]禁裏被下。 0478
嘉吉1  144104A06  看聞御記 三寺談話絵五巻内裏下さる。室町殿新調絵。窪田筆。 三寺談話絵五巻内裏被下。室町殿被新調絵云々。太殊勝也[くぼ田筆也]。 0479
嘉吉1  144104A14  看聞御記 狂言絵一巻菊弟持参。 狂言絵一巻菊弟持参。逸興絵也。欲書写。 0480
嘉吉1  144104A14  蔭凉軒日録 清見寺造営披露。 清見寺造営披露之。 0481
嘉吉1  144104A15  看聞御記 絵五巻下さる。 絵五巻被下。〈大仏絵上下慈恩院。平家/八嶋絵三喜多院。〉南都絵也。〈以資任朝臣/被召云々。〉詞持経朝臣読之。狂言絵盛賢写之。 0482
嘉吉1  144104A17  看聞御記 禁裏より玄弉三藏絵一合下さる。 自禁裏玄弉三藏絵一合〈十二/〉被下。是も南都絵也。殊勝々々。…三蔵絵詞。面々馳筆写之。 0483
嘉吉1  144104A21  看聞御記 玄弉三藏絵返上。詞、写し終わる。 玄弉三藏絵返進。詞悉写了。 0484
嘉吉1  144104A26  看聞御記 仰若州松永庄新八幡宮の絵、到来。四巻。彦火々出見尊絵二巻。吉備大臣絵一巻。金岡筆伴大納言絵一 仰若州松永庄新八幡宮ニ有絵云々。浄喜申之間。社家へ被仰て被借召。今日到来。有四巻。彦火々出見尊絵二巻。吉備大臣絵一巻。伴大納言絵一金岡筆云々。詞之端破損不見。古弊絵也。然而殊勝也。禁裏為入見参有召上了。 0485
嘉吉1  144104A28  建内記 中山西照中将送使「云」[補入]、何にても絵可進覧、雖狂絵可進之由被仰所々之由也、仍是害房絵、不顧比興左道之物付使送之、 中山西照中将送使「云」[補入]、何にても絵可進覧、雖狂絵可進之由被仰所々之由也、仍是害房絵、不顧比興左道之物付使送之、 0486
嘉吉1  144105A06  基恒日記 相国寺修造事終わる。 相国寺修造事終也。 0487
嘉吉1  144105A09  看聞御記 持経朝臣六道絵二合十一巻を見る。 持経朝臣六道絵二合〈十一巻〉入見参。片時電覧。則返遣。是西園寺絵也。 0488
嘉吉1  144105A22  建内記 善恵上人絵を見る。 善恵上人絵申出、面々一見了、 0489
嘉吉1  144105A26  看聞御記 内裏粉河縁起絵一合下さる。 内裏粉河縁起絵一合[七]〈沈金/筥〉被下。殊勝也。公方被進彼御絵歟。 0490
嘉吉1  144105A27  看聞御記 御絵返上。又太神宮法楽寺絵下さる。内裏より貞任宗任討伐絵三巻下さる。 御絵返進。又太神宮法楽寺絵〈五〉。被下。自室町殿被進云々。…又自内裏貞任宗任討伐絵三巻被下。 0491
嘉吉1  144106A05  看聞御記 狂言絵盛賢写し終わる。 狂言絵盛賢今日書写了。 0492
嘉吉1  144106A14  蔭凉軒日録 雲狐寺本尊造終わり、披露。 雲狐寺本尊造畢之由披露之。 0493
嘉吉2  1442  古画備考(霊彩の項) 霊彩筆渡唐天神像、著色清潤淡、嘉吉壬戌孟夏元承の賛詞あり。 按嘗閲其所画渡唐天神像、著色清潤淡有古色、画上有嘉吉壬戌孟夏元承之賛詞 0494
嘉吉2  144202A04  東福寺誌 二月四日 東福寺の塔婆材木を美濃より運上す 二月四日 東福寺之塔婆材木を美濃より運上す/(東福寺塔婆材木自美濃運送注文)/一、下筏 二百乗 四十綱/一、駄別 六千駄〈陸路/分〉/一、船  百五十艘/一、車三百輌〈已上〉/嘉吉二年二月四日  都聞啓福(華押) 0495
嘉吉2  144206A11  康富記 伊勢兵庫助方にて諏訪将監持参諏訪明神縁起(絵十二巻)を読む。 次向伊勢兵庫助方、折節諏訪将監持参諏訪明神縁起〈絵十二巻、〉読時分也、自六至十二聴聞拝見了。 0496
嘉吉2  144212A03  康富記 諏訪縁起絵を借りる。去夏伊勢兵庫助にて拝見したもの。 諏訪縁起絵〈十二/巻〉可借進之由、自伏見殿被仰諏訪将監之間、其由予令伝仰了、今日持来之間、則同道参伏見殿、件縁起納幸櫃借進上之、…予去夏比、於伊勢兵庫助拝見了 0497
嘉吉2  144212A03  康富記 伏見殿に参上。文治頼朝幕下被責奥州泰衡御絵十巻を召出し、一より五まで拝見。 参伏見殿御読、…文治頼朝幕下被責奥州泰衡御絵十巻有之、被召出、自一至五拝見之、読申詞了、 0498
嘉吉3  144301A12  大乗院日記目録 天王寺炎上。 天王寺炎上、禅額相論事云々 0499
嘉吉3  144301A23  看聞御記 去る正月十二日天王寺炎上。 仰去正月十二日天王寺炎上云々。…中方諸堂ニ楯篭自焼。太子堂。御影堂。[鎮守]十五社。廻廊。三昧堂等灰燼。自余堂々無為也。 0500
嘉吉3  144302A16  看聞御記 新三位。和漢婚姻絵詞清書終わる。 新三位。和漢婚姻絵詞清書了進之。 0501
嘉吉3  144302A18  看聞御記 和漢婚姻絵見参に入る。 和漢婚姻絵入見参。 0502
嘉吉3  144302A18  看聞御記 因果絵九巻。寂静院進上。 因果絵〈九巻。/第五欠。〉寂静院進之。聞及之間伝借了。 0503
嘉吉3  144304A01  看聞御記 中山法師絵の彩色の事。窪田に命ずる。 中山法師絵採色事。窪田ニ仰。照善知人之間申付。絵本返遣。 0504
嘉吉3  144304A08  看聞御記 新善光寺絵五進上。 自或方善光寺。新善光寺絵五進之。殊勝絵也。 0505
嘉吉3  144304A09  看聞御記 室町殿御絵三合(稲荷縁起絵八巻。鹿苑院殿東大寺受戒/絵五。赤松円心合戦絵十一巻)出さる。内裏に見参。山寺法師絵、採色の事、土佐将監に命ずる。 室町殿御絵三合。〈稲荷縁起絵八巻。鹿苑院殿東大寺受戒/絵五。赤松円心合戦絵十一巻。〉被出。宮御方内々依被申借給。〈上臈申/次。〉為悦。則内裏入見参。山寺法師絵〈二〉。 採色事。以清賢土佐将監ニ仰。夏中出来之様ニ申付。領状了。 0506
嘉吉3  144304A11  看聞御記 室町殿へ絵一合(香助絵上下。鐘撞法師一。楚波丞絵上下巻。)を見る。 室町殿へ絵一合〈香助絵上下。鐘撞法師/一。楚波丞絵上下巻。〉入見参。 0507
嘉吉3  144304A19  看聞御記 太子堂造営(周文の記事) 太子堂造営。太子ハ未奉作。〈僧周文与仏師相/論。於本尊前取/鬮。仏師鬮ニ下。内裏奏聞。鬮被/開。如然云々。仏師方へ被付。〉 0508
嘉吉3  144304A20  看聞御記 室町殿御絵三合返上。今春新写、二巻給う。土佐将監筆。 室町殿御絵三合返進。高大夫絵申出。今春被新写之由。奉及之間内々申。二巻給。土佐将監筆。殊勝也。 0509
嘉吉3  144304A23  看聞御記 室町殿絵一合を見る。(天狗鬼類絵。是容房絵。蝦蟆蟇上下。狂言絵等五巻。) 室町殿絵一合入見参。〈天狗鬼類絵。是容房絵。蝦/蟆蟇上下。狂言絵等五巻。〉 0510
嘉吉3  144305A25  看聞御記 諸家以絵一巻。有俊朝臣持参。 諸家以絵一巻。有俊朝臣持参。中院大納言感得云々。此絵持明院殿宝蔵絵。伏見殿御絵と奧書ニあり。 0511
嘉吉3  144306A09  土佐家文書 絵所預領丹波国大芋社に関する記事。 絵所預領丹波国大芋社事/早任下知状之旨、可被沙汰付中務丞光弘之由、所被仰下也、仍執達如件、/畠山殿御施行御判/嘉吉三年六月九日   沙弥/細川九郎殿 0512
嘉吉3  144306A17  古画備考(土佐光弘の項) 嘉吉三年六月十七日、土佐光弘、画所預。 系図云、…嘉吉三年六月十七日、画所預 0513
嘉吉3  144308A03  看聞御記 鷹絵(住心院)、能阿によれば唐絵。筆者不詳。 鷹絵住心院申出之間遣之。而軈返進。欲書写之処。更不写得。能阿ニ令見。唐絵勿論。筆者不知云々。 0514
嘉吉3  144309A02  看聞御記 窪田筆強力女絵彩色完成。 仰強力女絵。窪田採色出来。照善執進。神妙ニ採色了自愛。自去年誂之。 0515
嘉吉3  144309A19  看聞御記 照善中山法師絵、窪田彩色出来て持参。 照善中山法師絵窪田採色出来持参。不思様之間又返。能々可採色之由仰。 0516
嘉吉3  144309A19  看聞御記 中山法師絵彩色完成。 仰中山法師絵採色出来。照善執進。窪田採殊勝之間令自愛。依数奇絵数巻出来。可秘蔵者也。 0517
嘉吉3  144309A22  看聞御記 屏風召寄す。源氏絵扇。栂尾殿御筆。 屏風召寄一覧。源氏絵扇流也。栂尾殿御筆勿論。 0518
嘉吉3  144309A23  看聞御記 内裏炎上。 夜半許猥雑焼亡云々。…内裏殿々悉炎上。 0519
嘉吉3  144309A23  康富記 内裏炎上。 今夜子剋内裏焼亡、…紫宸殿、清涼殿、常御所、小御所、泉殿、内侍所已下、至四方門々払地焼畢 0520
嘉吉3  144309A23  基恒日記 内裏炎上。 内裏炎上、管領并侍所同前 0521
嘉吉3  144309A23  如是院年代記 内裡炎上。 内裡炎上。 0522
嘉吉3  144309A23  公卿補任 九月廿三日内裏焼亡。十二月十三日造内裏事始。 九月廿三日内裏焼亡。十二月十三日造内裏事始。 0523
嘉吉3  144309A24  大乗院日記目録 内裏炎上。 夜内裏炎上、悪党所為也 0524
嘉吉3  144310A23  看聞御記 内裏へ烏丸殿より御屏風一双(松竹/鶴)などを進上。 内裏へ烏丸殿より御重宝殿被進。目六。…御屏風一双〈松竹/鶴〉 0525
嘉吉3  144311A18  李朝実録 日本国使僧光巖等二十九日来。別幅大刀十把長刀十柄槍十条塗金彩花屏風一双諸色密絹二十段彩花扇一百把塗禁銚子并提子各十箇。 世宗二十五年癸亥十一月己巳 日本国使僧光巖等二十九日来…別幅大刀十把長刀十柄槍十条塗金彩花屏風一双諸色密絹二十段彩花扇一百把塗禁銚子并提子各十箇 0526
嘉吉3  144312A13  看聞御記 造内裏記録一合を献上。今日事始。 仰造内裏記録一合〈閑院富小路内裏/被造部類記。〉内裏献之。…只今造内裏時節之間進之。…今日事始。 0527
嘉吉3  144312A13  康富記 土御門殿事始。 是日造土御門殿事始也。 0528
嘉吉3  144312A13  如是院年代記 内裡立柱。 内裡立柱。 0529
嘉吉3  144312A22  康富記 天王寺聖徳太子御尊像一尊、周文都管完成。 或語云、天王寺聖徳太子御尊像一尊〈四十九/御影、〉周文都管終造立之功、如元被安置之間、周文上洛也云々、為彼御影造立、自公方被下遣之僧也、太子十六之御影ハ明春又可造立安置也云々 0530
文安1  144404A13  康富記 北野天満宮社頭炎上。 是日辰剋許、北野天満宮社頭払地炎上。 0531
文安1  144404A13  大乗院日記目録 北野社悉以回禄、神人篭居故云々 北野社悉以回禄、神人篭居故云々 0532
文安1  144404A13  基恒日記 北野宮寺炎上。六月廿五日御事始。 北野宮寺炎上、〈六月廿五日御事始、/肥加布参上〉 0533
文安1  144404A13  如是院年代記 北野神廟に放火。同九月八日立柱上棟。 北野神廟四郷住人放火。同九月八日立柱上棟。 0534
文安1  144406U10  康富記 法然上人絵四十八巻(知恩院)を見る。 次向伊勢兵庫助亭、法然上人絵四十八巻、知恩院在之、二十巻許在之、予披見了、建武元年九月廿一日八幡行幸、同月十七日賀茂行幸度、等持院贈左大臣殿、于時為参議左兵衛督、令供奉給候、件行幸之絵御屏風被書之、有所望者可令見之由語之、 0535
文安1  144406U11  康富記 建武両社行幸之御屏風(絵師民部丞)、鹿苑院殿春日御社参の絵五巻、石山之本地之絵四巻などを見る。 昨依約束向伊勢兵庫亭、建武両社行幸之御屏風、自御倉取寄、予具見之、言語道断也美麗之御物也、絵師民部丞書之云々、又鹿苑院殿[大相国]御出家之後、於南都有受戒、有春日御社参、其絵五巻在之、同自御倉被取寄、拝見了、昨日之残法然上人之縁起、今日具又見了、西山上人之分四十七ノ巻ニアタル、彼等之分今日并拝見了、昨日又石山之本地之絵四巻在之、同拝見了、 0536
文安1  144406U23  康富記 仁和寺宝蔵の後三年絵を御覧。 但自御室〈仁和/寺宮〉、御宝蔵被召寄後三年絵被御覧云々、被取出、可拝見之由、各被仰之間、其詞処々令転読了、此絵四巻在之、承安元年月日、依院宣、静賢法印其時ハ上座にて、承仰、令絵師明実図也云々、 0537
文安1  144409A03  康富記 尚歯会御絵一巻(四条中納言隆盛卿本)の詩を読む。 参伏見殿候御読書、次安和二年粟田左大臣〈在/衡〉、申沙汰之尚歯会御絵一巻〈四条中納言隆盛卿本/也、被借召歟云々、〉被取出、彼詩可読申之由被仰下、即於御前読之、序者菅三品御作也、 0538
文安2  144501A02  東大寺堂方々年中行事記 東大寺で火事。 正月二日卯刻。戒壇院焼失ス。一堂ヨリ火出テ長老坊ヲ始。三方僧坊講堂・戒壇堂・鐘篭・経蔵・南中門・僧堂・浄頭マテ悉焼畢。此内ニ始テ兼照院・坤徳院上坊刹以下残畢。 0539
文安2  144501A02  東大寺雑集録 東大寺で火事。 文安三年〈丙寅〉正月二日。戒壇院炎上。受戒・講堂・長老坊・僧堂・談議所・廻廊悉焼ク。同暁ヨリ大雪フル。仍火消畢。 0540
文安2  144501A02  大乗院日記目録 東大寺で火事。 東大寺戴内戒壇院悉以回禄、但所残分南門?、同千手堂也 0541
文安2  144505A28  基恒日記 花御所御寝殿以下を高倉御所に移す。 花御所御寝殿以下、被曳移高倉御所[元烏丸家亭也] 0542
文安2  144506A02  大乗院日記目録 大風で薬師寺金堂以下倒れる。 大風、薬師寺金堂以下[顛]倒、在々所々破損 0543
文安3  144604A15  扶桑五山記 一華心林没。 一華禾上、諱心林、…文安三年四月十五日寂 0544
文安3  144607A25  如是院年代記 内裏事始。十二月十一日、清涼殿上棟。 内裏事始。十二月十一日内裡 先清涼殿上棟。 0545
文安3  144608A05  京都五山 江西龍派没。 百五十四 江西龍派…文安三年八月五日遷寂 0546
文安4  144704A02  康富記 南禅寺炎上。 是日申剋南禅寺焼亡、自龍興庵失火出、仏殿并法堂僧堂山門庫裏酒城方丈等同時炎上 0547
文安4  144704A02  大乗院日記目録 南禅寺炎上。 南禅寺悉以炎上 0548
文安4  144704A02  如是院年代記 南禅寺炎上 南禅寺炎上 0549
文安4  144704A13  康富記 等持寺僧堂立柱上棟。 等持寺僧堂立柱上棟也 0550
文安4  144705A03  経覚私要鈔 三蔵絵を見る。 三蔵絵召寄、貞兼僧正[松林院]正預置者也、仍面々一見了 0551
文安4  144705A09  康富記 六角堂の聖徳太子之絵六幅を見る。 今日予参花山院、自六角堂進入之聖徳太子之絵六幅在之、予披見了 0552
文安4  144706A05  如是院年代記 天龍寺炎上。 夜天龍寺炎上 0553
文安4  144706A18  康富記 六角堂本尊遷座。 是日暁〈寅/剋〉、六角堂〈号頂法寺〉、本尊遷座也 0554
文安4  144706A18  如是院年代記 六角堂本尊遷座。。 卯刻六角堂本尊遷御堂。 0555
文安4  144707A  西大寺大智律師画像軸裏墨書銘 西大寺大智律師画像の修理おわる。 文安四年〈丁/卯〉七月日。奉修覆之。綱維秀[如]。 0556
文安4  144707A05  康富記 天龍寺焼亡。 今夜嵯峨天龍寺焼亡、〈亥剋〉、都聞寮付火也云々、七道皆焼了 0557
文安4  144707A05  大乗院日記目録 天龍寺焼亡。 天龍寺悉以回禄 0558
文安4  144707A05  建内記 天龍寺炎上。 今夜天龍寺回禄云々、…雲居庵之外、不残一宇云々、 0559
文安4  144707A10  臥雲日件録抜尤 天龍寺火災の記事。 天龍季照[中明]来、盖以既前日再住也、因曰、徃時天龍炎上、普明国師[春屋妙葩]、力致再興、…応安五年癸丑九月廿八日夜、又炎上、/尓来七十五年、又逢此厄、…今文庫不全、文書皆焼、而雲居无恙、大抵与庚申厄相同、唯所恨七堂西廊尽燼、可太息哉 0560
文安4  144708A  西大寺礼盤天板裏面墨書 西大寺礼盤の修理おわる。 奉修理白毫寺/文安四年〈壬寅〉[マゝ]八月日〈奉行/定尊〉/白毫寺常任(別筆)本堂公用也/【ヒ】ヤクカウシ 0561
文安4  144710A21  経覚私要鈔 春日上棟。 今日春日上棟也 0562
文安4  144710A21  建内記 春日社立柱上棟。 春日社立柱上棟日也 0563
文安4  144711A05  建内記 東南院珍覚に詞華囿九巻、東大寺絵上下巻を返す。 又東南院[珍覚]先日所進詞華囿[九巻]・并東大寺絵「上下」巻被返下之 0564
文安4  144711A16  経覚私要鈔 春日社遷宮。 春日社上遷宮也、 0565
文安4  144711A16  康富記 春日社遷宮。 春日社正遷宮也 0566
文安5  144802A25  康富記 相模国藤沢道場焼亡。 後聞、相模国藤沢道場今日焼亡、依自寺中失火出来、寺内悉炎上云々 0567
文安5  144804A05  如是院年代記 六道塔で火事。 夜六道塔火。 0568
文安5  144807A10  康富記 山門の保元絵十五巻を座主から借りる。 山門之保元絵〈十五/巻〉自座主〈沙/門堂〉、被申成綸旨被借寄、近日可被返遣山門也、…予読絵詞了、 0569
宝徳1  144903A11  康富記 室町殿寝殿移徙。 是日室町殿有御移徙寝殿、〈寝殿御門等、自/花御所被引之〉 0570
宝徳1  144903A14  康富記 室町殿常御所事始。 今日室町殿常御所御事始也 0571
宝徳1  144904A10  如是院年代記 四月十日から六月二十五日まで大地震。 自四月十日至六月二十五日大地震。処々築地破。 0572
宝徳1  144904A12  公卿補任 大地震。 四月十二日大地震。 0573
宝徳1  144904A12  年代記残篇 地震続き、八幡山裂ける。 卯月不断夏中大地震動。洛中大家堂塔築地多倒傾落。是依八幡山裂。 0574
宝徳1  144904A12  康富記 大地震。 辰剋大地震 0575
宝徳1  144904A12  大乗院日記目録 大地震。 大地振、北悉以崩、東寺大門柱破損 0576
宝徳1  144906A22  康富記 東山浄土寺殿焼亡。 今夜及暁東山浄土寺殿焼亡、自護摩堂出火、出慈恵大師御影、々々堂免炎云々、御本坊又無為云々 0577
宝徳1  144907A11  臥雲日件録 中正蔵主、将軍邸の障子絵の詩について語り、観瀑図の画本を見せる。 中正蔵主来。因曰。公府構一室。命諸老作尽障詩。便出示画本。盖観瀑図也。 0578
宝徳1  144908A09  康富記 多武峯、大織冠御廟の造営おわり、御影像遷座。 多武峯、先年依大和国兵乱焼亡大職[織]冠御廟被造営、此間造了、仍聖廟御影像如元奉遷座 0579
宝徳1  144908A10  大乗院日記目録 多武峯御影遷宮。 多武峯御影遷宮、自橘寺也 0580
宝徳1  144910A26  康富記 室町殿御会所立柱上棟。 [卯剋]室町殿御会所之立柱上棟也 0581
宝徳1  144911A22  康富記 室町殿御会所移徒。 是夜室町殿御会所御移徙也 0582
宝徳2  145012A29  薬師寺吉祥天画像裏書 薬師寺吉祥天画像の修復おわる。 宝徳二年〈庚午〉十二月二十九日修覆之。奉行少学/頭澄英[年四十二/常光院]代物五百文為之 0583
宝徳3  145107A06  画記 能阿弥筆、中幅観音、左呂洞賓、右李皐の三幅対。観音は月壷の筆意、呂洞賓李皐は牧谿の筆意にて描く。 東山建仁寺什物画記…/同三幅対〈中観音左黄龍呂洞/賓右薬山李皐〉  能阿弥/右箱之蓋有記曰此三幅円通大士像月壺筆意/薬山李黄龍呂洞賓牧溪筆意依澄頴都聞所/望奉図画者也願令為未来永々常住而已真能/阿弥/御衣絹之北絹一端同又半金紗正等宝徳三年/辛未七夕前一日仍備上覧之 0584
宝徳3  145108A  本朝画史 益継筆「十二支獣作人間之事業図」を制作。 益継…有十二支獣作人間之事業図、誠為戯画也、画後曰、宝徳三年八月日益継筆 0585
宝徳3  145110A13  康富記 仁和寺、本願寺蔵の法然上人自筆の往生絵、仙洞御所、内裏にて叡覧。 今日仁和寺、本願寺〈律院〉、相伝之法然上人自筆之往生之絵被持参仙洞、有叡覧、又持参内裏 0586
宝徳3  145110A14  尋尊大僧正記 元興寺で火事。 自小塔院火元興寺金堂悉以炎上了、…依余炎当坊禅定院炎上了、弥勒御堂并西門三者相残者也、就中極楽坊之智光法師之西方万羅於禅定院焼亡了、…火事号徳政土民蜂起故也 0587
宝徳3  145110A14  康富記 元興寺で火事。 後聞、是日南都元興寺金堂〈弥勒〉、炎上〈寺中残所/在之云々、〉余煙及大乗院御門跡、院家内炎上云々。 0588
宝徳3  145110A14  大乗院日記目録 土民蜂起にて元興寺、火事。 依土民蜂起小塔院坊・堂塔悉以炎上、其火元興寺金堂焼之、依余炎禅定院廻禄所残弥勒御堂・西門三也、大乗院得業遷住成就院畢、智光法師西方万ラ於禅定院焼失了 0589
宝徳3  145112A08  経覚私要鈔 三蔵絵を松林院より取り寄せる。 三蔵絵自松林院召寄了、依預置也 0590
宝徳3  145112A17  経覚私要鈔 三蔵絵十二巻、貞兼僧正に預かり遣わす。 三蔵絵一合〈十二巻〉、貞兼僧正所へ預遣了 0591
宝徳3  145112A30  康富記 四条道場にて火事。 今夜四条道場焼亡〈本堂并寮等悉以焼失〉 0592
享徳1  145206A06  臥雲日件録 愚極霊彩没。 愚極今月六日入滅 0593
享徳1  145206A06  古画備考 愚極霊彩没。九十歳。 愚極礼才和尚、…宝徳四年六月六日化、寿垂九十、 0594
享徳1  145206A06  蔗軒日録 文明十六年六月六日は愚極霊彩の三年忌。 文明十六・六・六 赴一乗寺斎請、蓋愚極[礼才]和尚三年忌也 0595
享徳2  145308A02  如是院年代記 大徳寺にて火事。 紫野大徳寺火。 0596
享徳2  145308A04  康富記 大徳寺にて火事。 今夜紫野大徳寺炎上矣、寺中皆焼亡、塔頭残云々 0597
享徳3  1454  古画備考(周文の項) 周文筆「秋江落雁図」、江月宗玩賛文。「秋江暮景図」(藤田美術館)と同文。 周文画秋江落雁図〈紙本真跡、在黒田侯〉/霜葉欲零南雁飛、不堪斯道日陵遅、一身帰去渡頭笠、預被新図写我姿(「秋江暮景図」藤田美術館と同文)/甲戌歳夏之仲、江山寓意一篇、 漁菴〈宗玩〉 0598
享徳3  145401A09  善隣国宝記 大明皇帝よりの書簡。 享徳三年 大明書/皇帝勅諭日本国王源義成惟王聡明賢達敬/天事大以福一国之人良用爾嘉朕恭承/天命嗣登大宝主宰華夷王又差正副使允澎等/齎捧表文并以方物来貢 見王之勤誠茲因/使回特令齎勅諭王并賜王及妃銀両綵幣/王共体朕至懐故諭/景恭五年正月初九日 0599
享徳3  145406A14  尋尊大僧正記 禅定院に移住。 予禅定院ニ移住了 0600
享徳3  145406A14  大乗院日記目録 成就院より禅定院に移住。 禅定院遷住、自成就院也 0601
康正1  145504A07  康富記 長谷寺縁起絵三巻を招引。 招引之間、向浄南院、大和国長谷寺縁起絵三巻、自或方、可点進之由被仰之間、為談合所招引也云々 0602
康正2  145604A11  基恒日記 内裏立柱上棟。高倉御所常御所も立柱上棟。 造 内裏〈土御門/殿〉、立柱上棟、…同日、高倉御所、常御所、立柱上棟 0603
康正2  145604A11  大乗院日記目録 土御門殿、紫宸殿、立柱上棟。 土御門殿・紫震[宸]殿立柱上棟 0604
康正2  145607A20  興福寺略年代記 土御門内裏に遷幸。 七月(廿)日土御門内裏ニ遷幸。 0605
康正2  145607A20  皇年代略記 康正一年四月十一日に紫宸殿立柱上棟。同七月二十日に土御門殿遷幸。 康正一四十一内裏紫宸殿立柱上棟。同七廿日遷幸土御門殿。 0606
康正2  145607A20  尋尊大僧正記 土御門新内裏に遷幸。 遷幸土御門新内裏 0607
康正2  145607A20  大乗院日記目録 土御門殿遷幸。 土御門殿遷幸 0608
康正2  145607A20  如是院年代記 内裏落成。 落成内裡。 0609
康正2  145608A29  尋尊大僧正記 後崇光院没。 廿九日後崇光院崩御云々 0610
康正2  145608A29  大乗院日記目録 伏見法皇没。崇光院と号す。 伏見法皇崩、号後崇光院殿 0611
長禄1  145702A  唐招提寺行基菩薩画像紙背墨書銘 唐招提寺行基菩薩画像、修復おわる。 康正三年〈丁丑〉二月 日重奉修補之年預晃渕 0612
長禄1  145703A12  尋尊大僧正記 玄奘三藏絵を見る。住吉法眼、または詫間法眼の筆との伝承。大内家蔵。 玄奘三藏絵披見了、…此絵書手事或住吉法眼或大タクマノ法眼云々、両説ナリ、去享徳年中依勅定此絵大内ニ進上了、主上橘以量ヲ被召被仰云、此絵十二巻之内上六巻・下六巻筆師相替了、可拝見之由被仰出、誠令相違云々、是希代ノ仰也、以量ハ絵書也、然者彼絵所両人シテ書之歟 0613
長禄1  145705A02  扶桑五山記 子鞏全固没。六十五歳。 五十九、子鞏禾上、諱全固、…〈康正三丁丑五月二/日寂、寿六十五〉 0614
長禄1  145706A04  尋尊大僧正記 曼陀羅の絹本代三貫文。絵所重有法眼に与える。 勝万羅御衣絹代三貫文、絵所重有法眼ニ下行 0615
長禄1  145706A08  尋尊大僧正記 曼陀羅を金堂前にて供養。 勝万羅図絵於金堂前供養之 0616
長禄1  145706A12  尋尊大僧正記 当院大御堂、修復おわる。 当院大御堂修理加之、当方沙汰也 0617
長禄2  145801A14  尋尊大僧正記 七仏薬師図絵を吐田重有法眼に命じる。 七仏薬師図絵事、吐田重有法眼ニ仰付了、 0618
長禄2  145801U26  蔭涼軒日録 八景障子賛詩。竺雲和尚。雲章和尚。春林和尚。瑞岩和尚。東岳和尚。存耕和尚。瑞溪和尚。東沼和尚に命ずる。 八景御障子賛詩之人数。以書立可申之由被仰出。即書立竺雲和尚。雲章和尚。春林和尚。瑞岩和尚。東岳和尚。存耕和尚。瑞溪和尚。東沼和尚伺之。賛詩可申之由被仰出也。 0619
長禄2  145802A03  興福寺略年代記 鞍馬寺にて火事。 二月三日鞍馬寺炎上 0620
長禄2  145802A11  蔭涼軒日録 八景障子詩献上。 八景御障子詩献之。 0621
長禄2  145802A13  大乗院日記目録 鞍馬寺にて火事。 鞍馬寺炎上 0622
長禄2  145802A13  尋尊大僧正記 鞍馬寺にて火事。 鞍馬寺炎上云々 0623
長禄2  145802A24  蔭涼軒日録 善阿、庭に葉樹を栽培すると聞いて来る?? 蔭涼庭頭可被栽葉樹之由被仰出也。善阿承尊命而来也。 0624
長禄2  145802A28  蔭涼軒日録 庭に嘉樹を栽培。阿が奉る。 当軒御庭嘉樹栽培成也。蓋阿奉之。 0625
長禄2  145803A07  尋尊大僧正記 鑑真和尚絵五巻、東征伝を見る。 招提寺ノ湯屋坊賢如房ヨリ、鑒真和尚絵五巻并東征伝進之、被見了 0626
長禄2  145803A09  尋尊大僧正記 三蔵絵を見る。 依龍光院所望三蔵絵開之了 0627
長禄2  145803A17  尋尊大僧正記 七仏薬師図絵、極楽寺尊林房に遣わして供養。 七仏薬師図絵、仍極楽坊尊林房ニ遣之テ供養 0628
長禄2  145803A27  尋尊大僧正記 先月四日室町殿新造の押板の記事。 去月四日柚留木方ヨリ申下、室町殿御新造之御用二間槻押板〈七尺間定、ヒロサ一尺八寸、〉可尋進云々 0629
長禄2  145803A29  尋尊大僧正記 押板到来の記事。 自京都被仰出押板事、内山仏光院ニ令所望、今日到来了 0630
長禄2  145804A19  尋尊大僧正記 龍光院より鋤、阿弥三体が昨日届く。 自龍光院鋤〈一〉、阿弥三体〈安作也〉、昨日送給了 0631
長禄2  145806A27  宗恵大照禅師行状 宗恵大照禅師没。八十三歳。 師一日病床染筆書偈云。喝。末後一喝。具眼者弁取。連喝両喝。輙擲筆坐化。于時長禄二年六月廿七日也。閲世八十三。僧臘六十一。 0632
長禄2  145807A17  蔭涼軒日録 能阿弥、二十四孝の絵を持参。 能阿弥。依二十四孝之絵来而有評義也。 0633
長禄2  145810A05  北野社家日記 御成御座之間の荘厳に関して、能阿と相談。 次就 御成御座之間荘厳之事、如先々宗匠能阿〈法師〉被仰談之了、 0634
長禄2  145811A10  蔭涼軒日録 来月十五日に祥雲院に御成。 来十五日祥雲院御成。可有御引之由被仰出也。蓋御所新造之小庭。被引水之故如此也。 0635
長禄2  145811A12  蔭涼軒日録 祥雲院御成、十五日から二十日に変更。 来十五日。祥雲院御成。被成廿日。但新造御泉水被引水之謂也。南燭可献之由以千秋被仰出也。 0636
長禄2  145812A05  蔭涼軒日録 室町御所に移るべく、辰刻に御覧始まる。 可被移御所〈【傍】此二字/衍字カ〉于室町御所也。今晨辰刻始御覧其地。 0637
長禄2  145812A05  尋尊大僧正記 上御所の作事始まる。 今日上御所御作事始也。 0638
長禄3  1459  公卿補任 花亭立柱、上棟。 花亭立柱上棟。 0639
長禄3  145901A05  大乗院日記目録 室町殿事始。 室町殿事始、烏丸御所被引之、 0640
長禄3  145901A14  尋尊大僧正記 薬師呪八万四千反、結願。薬師図絵を絵所重有法眼に命ずる。 薬師呪八万四千反今日結願之了、并薬師図絵事、絵所重有法眼ニ仰付了 0641
長禄3  145901A22  扶桑五山記 雪心等柏没。七十歳。 [廿]九、雪心、諱等柏、…〈長禄三己卯正月廿/ニ日寂、寿七十〉 0642
長禄3  145901A22  扶桑五山記 雪心等柏没。七十歳。 六十三、雪心禾上、諱等柏、…〈長禄三己卯正月廿ニ日寂、寿七十〉 0643
長禄3  145902A07  尋尊大僧正記 持仏堂本尊薬師・地藏・観音・文殊を造立する由、仏所に命ずる。 持仏堂本尊薬師・地藏・観音・文殊事可造立之由、仏所ニ仰了 0644
長禄3  145902A20  尋尊大僧正記 明日室町殿立柱、上棟。 明日室町殿柱立并上棟云々 0645
長禄3  145902A21  尋尊大僧正記 薬師図絵、完成。極楽坊にて供養。 薬師図絵出来、於極楽坊奉供養 0646
長禄3  145902A22  蔭涼軒日録 上御所立柱、上棟。 上御所立柱。上棟。参賀之御礼。御相伴諸老被参。 0647
長禄3  145903A05  尋尊大僧正記 謄写験記絵二十巻を見る。 当社験記絵廿巻事、以東北院書状社家師淳ニ仰テ召寄之拝見了 0648
長禄3  145903A18  尋尊大僧正記 昨日、持仏堂の四天王修理おわる。今日塗師に遣わす。 持仏堂之四天王修理昨日出来之間、今日塗師方ニ遣之了 0649
長禄3  145904A09  尋尊大僧正記 越昇寺にて火事。 越[超]昇寺ノ坊自焼云々 0650
長禄3  145904A18  蔭涼軒日録 観音殿、上御所に移る。 観音殿被移于上御所。 0651
長禄3  145905A15  蔭涼軒日録 新造南面東床の額字に関する記事。 御新造南面東床。額字可被付進之由。於院主瑞溪和尚被仰出也。 0652
長禄3  145905A17  蔭涼軒日録 額字に関する記事。 院主瑞溪和尚。被献額名之書立折帋。其十名之内。以濯月被用。雖然改濯作洗則可為可。 0653
長禄3  145908A07  尋尊大僧正記 高間仏師弁才天女を進ずる。 高間仏師弁才天女進之、返報紙五束給之了 0654
長禄3  145908A19  臥雲日件録 九淵、花鳥双屏を見せる。大明の諸賢の賛あり。 前尅知足九淵開座上花鳥双屏示之。皆大明諸賢賛也。 0655
長禄3  145909A10  尋尊大僧正記 大風にて当院破損。大安寺金堂廻廊、崩壊。 卯剋ヨリ大風、当院破損、…大安寺金堂ノ廻廊〈東西〉吹タヲシ了 0656
長禄3  145909A25  尋尊大僧正記 十七日、室生寺にて火事。 室生寺僧堂・クリ・愛染院・不動院・護摩堂以下去十七日炎上云々 0657
長禄3  145911A09  古画備考(土佐広周の項) 丹州大芋庄、泉州神谷、江州金勝寺定光坊は絵所領。義政公書状。 丹州大芋庄、泉州神谷、江州金勝寺定光坊跡者、皆絵所料也/義政公御袖判/御花押/近江国金勝寺定光坊跡事、為料所預土佐弾正忠広周者也、早守先例、可致沙汰之状如件/長禄三年十一月九日 0658
長禄3  145911A16  蔭涼軒日録 細川邸より上御所に移徒。 今日亥刻。自細川右馬頭殿御移徒上御所也。 0659
長禄3  145911A16  大乗院日記目録 室町殿遷住。 室町殿御遷住〈普光院殿御所室町殿先年被引烏丸、今度又/−自烏丸如元被遷之了、少々御所造在之云々、〉 0660
寛正1  146002A05  蔭涼軒日録 会所上棟。 今日申刻御会所上棟。 0661
寛正1  146003A04  経覚私要鈔 東南院に東大寺縁起、験記詞を返却。 東南院ニ令借用東大寺縁起并験記詞、先返遣了、 0662
寛正1  146004A28  蔭涼軒日録 泉殿、俗方御礼。 御泉殿之事。始今晨俗方御礼。 0663
寛正1  146005A29  尋尊大僧正記 椿井仏所、東金堂四天王の修理に関して申入れあり。 椿井仏所申入東金堂四天王修理事、学侶之儀不可有子細、仍明日ヨリ可召加之 旨申入之、珍重也、高間・椿井両人沙汰也、依為大仏師、椿井ハ毎事寺門之儀不可見所之由、立申入故也 0664
寛正1  146007A02  尋尊大僧正記 東金堂仏修理の事、絵所重有法眼に命ずる。 東金堂仏修理事、絵所重有法眼ニ申付之云々 0665
寛正1  146007A02  尋尊大僧正記 長谷寺縁起絵三巻、安位寺に進ずる。禁裏よりの命。 長谷寺縁起絵三巻安位寺殿ニ進之了、自禁裏被仰出云々 0666
寛正1  146007A03  尋尊大僧正記 絵所参上。東金堂本尊修理に関する事。 絵所参ス、東金堂本尊修理ニ座衆指合之間、彼修理以後、持仏堂事可致其沙汰云々 0667
寛正1  146007A18  興福寺維摩居士像台座天板内面墨書銘 東金堂四天王の内多聞天、十二神の戌が彩色おわる。絵所人数は七人、一乗院方。因幡法眼尊恵。 惣座一乗院方/長禄四年〈庚辰〉七月十八日/東金堂浄名四天/内多門天十二神之内/戌綵色沙汰畢。絵所人数七人/一臈因幡法眼尊恵… 0668
寛正1  146007A26  碧山日録 柏子庭筆菖蒲之図、図絵宝鑑を見る。 二十六日庚子、…余熟視春公之所儲柏子庭菖蒲之図、筆法洒脱失之精緻、是日、借正宗之所蔵図絵宝鑑観之、其記日、僧明雪窓画蘭、柏子庭画枯木石菖蒲、止可施之僧房、不足為文房清玩、興余之先視之諍之之意其 論不一差也 0669
寛正1  146008A07  尋尊大僧正記?? 東金堂本尊修理に八千疋。 東金堂本尊共今度修理分八千疋計入之由、了乗申入之 0670
寛正1  146008A16  尋尊大僧正記 東金堂の塔南の釈迦三尊を三座の塗師が塗る。 東金堂之塔南向ノ尺迦三尊被塗之、於唐院テ三座ノ塗師〈一乗院座新本、/大乗院座〉召仰之、毎日結番云々 0671
寛正1  146008A28  尋尊大僧正記 東金堂塔本尊の色、吐田絵所と芝絵所が論ずる。 東金堂御塔本尊色取事、吐田絵所与芝絵所相論之 0672
寛正1  146009U19  尋尊大僧正記 日野大納言より室町殿泉殿の古押板に関して尋ねがある。 自日野大納言方、以使者松浪九郎左衛門令申、為室町殿泉殿、古押板相尋可進上云々 0673
寛正1  146009U20  尋尊大僧正記 京都大工、諸院家、諸坊を検査。伝法院、常善院の杉障子を召す。 京都大工ニ相副使者、諸院家・諸坊検知之、…伝法院・常善院之杉障子可被召之云々 0674
寛正1  146012A03  尋尊大僧正記 矢田寺にて火事。 今夜矢田寺炎上、於地藏堂者無為云々、 0675
寛正1  146012A05  蔭涼軒日録 御成。移徒。 今日戌刻御成。殿御移徒之事有之。 0676
寛正1  146012A06  蔭涼軒日録 泉殿に参賀したが披露せずに退散。 依御泉殿之参賀而今晨又不致披露而退参也。 0677
寛正1  146012A07  蔭涼軒日録 泉殿賛詩は十二人。 御泉殿詩之賛。書立器用十二員可申之由。以結城勘解由左衛門被仰出也。 0678
寛正1  146012A09  尋尊大僧正記 安位殿上洛。馬絵三帖借用。 然之間今夜安位寺殿御上洛、御舟云々、馬絵三帖令借用進入了 0679
寛正1  146012A12  蔭涼軒日録 泉殿賛詩、等持院竺雲和尚。興徳寺春林和尚。宝渚庵雲章和尚。鹿苑院東岳和尚。正即庵存耕和尚。寿徳院瑞溪和尚。栖芳軒東沼和尚。林光院春溪和尚。崇寿院龍崗和尚。雲門庵大圭和尚。霊泉院九淵和尚。常喜庵華蕚和尚に命ずる。 御泉殿賛詩之人数伺之。等持院竺雲和尚。興徳寺春林和尚。宝渚庵雲章和尚。鹿苑院東岳和尚。正即庵存耕和尚。寿徳院瑞溪和尚。栖芳軒東沼和尚。林光院春溪和尚。崇寿院龍崗和尚。雲門庵大圭和尚。霊泉院九淵和尚。常喜庵華蕚和尚伺之此衆賛詩之事可申之由被仰出也。 0680
寛正2  146101A23  尋尊大僧正記 昨日持仏堂本尊地藏、? 昨日持仏堂本尊地藏造改進之 0681
寛正2  146101A24  尋尊大僧正記 太子伝絵、京都より取り寄せる。 太子伝絵自京都召下之 0682
寛正2  146101A25  尋尊大僧正記 持仏堂本尊文・観二体、富士山春賀に作る?。 持仏堂本尊文・観二体、仰富士山春賀丸可作進之由仰了、昨日仰之了 0683
寛正2  146103A16  蔭涼軒日録 今月五日、真如寺にて火事。 真如寺依炎上之事正脉院崇西堂。再住之事。書立之。大館兵庫殿白之。仍今月五日炎上之事披露之。 0684
寛正2  146104A08  尋尊大僧正記 持仏堂本尊の内、観音一体、富士山春賀に造立?。 持仏堂本尊之内観音一体、布[富]士山春賀造立之 0685
寛正2  146104A23  尋尊大僧正記 三蔵絵本尊、御影を図絵すべきの由、重有法眼に命ずる。 為三蔵会本尊可図絵御影之由、仰付重有法眼了 0686
寛正2  146106A13  蔭涼軒日録 南禅寺北条に御成との知らせあり。 奉報南禅寺方丈御成之事并仏殿奉安置本尊以後始御成有之。 0687
寛正2  146112A04  尋尊大僧正記 河原善阿ミ来る。当院の木を調べ、石榴一本柏真一本進ずる。 河原善阿ミ来、当院木共検知、柘榴一本、柏真一本可進云々 0688
寛正3  146201A02  臥雲日件録 東沼周厳没。 東沼周厳示寂/…関東沼示寂賜曰、今月二日暁也、 0689
寛正3  146201A29  尋尊大僧正記 薬師図絵供養。絵所松南院因幡公に命ずる。 予当年太一定分祈祷薬師図絵供養、絵所松南院因幡公ニ仰付了 0690
寛正3  146202A04  尋尊大僧正記 薬師図絵完成、供養。絵所松坊代百疋。 薬師図絵出来、延供養了、絵所松坊代百疋、 0691
寛正3  146202A05  蔭涼軒日録 鹿苑院龍崗和尚入院。 鹿苑院龍崗和尚。当院入院。 0692
寛正3  146202A09  蔭涼軒日録 高倉御所に御成。泉水の普請始まる。 直御成于高倉御所。被始御泉水之普請也。 0693
寛正3  146203A14  蔭涼軒日録 松泉軒御成。小栗宗湛筆八景絵を御覧になる。 松泉軒御成。…又於四間被御覧小栗八景絵。…小栗出家為僧。法名曰宗湛也。 0694
寛正3  146203A28  尋尊大僧正記 昨夜、元興寺にて火事。 昨夜南都元興寺二王〈西〉、焼亡 0695
寛正3  146204A02  尋尊大僧正記 法花寺供養、雨により延期。 今日法花寺供養、…依雨下延引云々、 0696
寛正3  146204A03  尋尊大僧正記 塔供養あり 今日塔供養在之、 0697
寛正3  146204A05  蔭涼軒日録 金山天寧寺にて祈祷、安堵。 金山天寧寺御祈祷寺并安堵御判。…可被成御判也。 0698
寛正3  146204A08  蔭涼軒日録 能阿弥の子周健喝食、掛塔の事に関して伺う。 能阿弥子周健喝食掛塔之事伺之。即命于方丈也。 0699
寛正3  146204A11  尋尊大僧正記 中院郷に元興寺の古釜あり。 中院郷ニ元興寺之古釜在之、堀出為吉祥堂修理成代銭云々、郷民等所行也、四五十人シテ引出了、元興寺竃殿釜歟云々、 0700
寛正3  146206A09  蔭涼軒日録 高倉御所泉水完成。 高倉御所泉水成。今晨始被引水也。 0701
寛正3  146206A21  蔭涼軒日録 宗湛、当軒にて高倉御所障子を描く。 宗湛自今日於当軒画高倉御所障子也 0702
寛正3  146207A05  大乗院日記目録 元興寺金堂立柱、上棟。 元興寺金堂立柱上棟 0703
寛正3  146207A05  尋尊大僧正記 元興寺金堂立柱、上棟。 元興寺金堂立柱上棟今日未時之由大工注進之。 0704
寛正3  146207A19  蔭涼軒日録 讃岐国根香寺勧進帳に御判。寺は太平年中建立。絲織浄土曼陀羅あり。 讃岐国根香寺勧進帳。御判之事。…此寺太平年中建立之在所之天人以絲織浄土曼陀羅。尤奇異之物也。為奉懸于御目賜之。 0705
寛正3  146207A21  蔭涼軒日録 讃岐国根香寺浄土曼陀羅を御目に懸ける。 讃岐国根香寺浄土曼陀羅。奉懸于御目。尤為奇也。 0706
寛正3  146207A25  尋尊大僧正記 二日に吐田重有没。 去廿二日吐田重有〈筑前法/眼絵所〉他界了 0707
寛正3  146209A25  蔭涼軒日録 攬秀之額を御目に掛ける。彩色は土蔵に命ずる。 攬秀之額。小削字之面上。而以杉原奉懸于御目。即彩色之事。被仰付于土蔵也。 0708
寛正3  146209A28  蔭涼軒日録 玉之額、彩色は土蔵が承る。 玉之額重鐫而献之。尤為可有彩色之由。被仰付也。画師土蔵承之。 0709
寛正3  146211A22  尋尊大僧正記 銅細工座者二人を召す。仏壇等金物を為す。 銅細工座者二人自今日召仕之、為仏壇等金物也、 0710
寛正4  146301A06  尋尊大僧正記 御堂十一面観音、修理おわる。絵所春松丸。仏師に五百疋下行。 御堂十一面観音自今日奉修理之、絵所春松丸参仕了、仏師下行且五百疋給之了 0711
寛正4  146301A06  扶桑五山記 春林周藤没。 一百、春林禾上、諱周藤、…〈癸未正月六日寂〉 0712
寛正4  146301A06  扶桑五山記 春林周藤没。 四十三、春林禾上、諱周藤、…〈寛正四癸未正月六日寂〉 0713
寛正4  146301A09  臥雲日件録抜尤 春林没。 智隨剃髪之次、及春林示寂之事、 0714
寛正4  146301A13  尋尊大僧正記 十一面観音の修理、椿井舜覚に沙汰あり。 十一面観音修理事、椿井舜覚自今日沙汰之 0715
寛正4  146302A06  蔭涼軒日録 画師に宗湛、自牧と号す。 有画師宗湛僧。就于愚老。索菴号。仍名曰自牧。 0716
寛正4  146302A25  蔭涼軒日録 鹿苑院殿の代に、江湖尊宿并公家和漢御会屏風、雲頂院にあり。記録の有無を春阿が確認。 鹿苑院殿御代。江湖尊宿并公家和漢御会屏風。雲頂院曾有之。有記録否之事。以春阿被尋下。無記録之由披露之。尚可相尋之由申之。 0717
寛正4  146302A25  臥雲日件録 遊覧の様子を図した屏風が雲頂院にあったが、行方不明。 又聞図遊覧之形為屏風。在雲頂院実否云々。屏風曾有之。然大変時失之。 0718
寛正4  146302A30  尋尊大僧正記 椿井仏師春慶、法橋に叙せらる。 椿井仏師春慶〈舜覚房〉、叙法橋了、予申沙汰、口宣今日給之了 0719
寛正4  146303A28  蔭涼軒日録 画師宗湛、周文と同様の捧禄を受ける。 画師宗湛上坐受上意。雖云何処。可作画之由被仰出也。俸禄如周文上坐所受。自当院并常住。可御免許之由。被仰出也。但以春阿重可伺之旨披露之。即御領掌也。 0720
寛正4  146304A15  蔭涼軒日録 天王寺太子堂供養。 天王寺太子供養。択今日。 0721
寛正4  146304A15  大乗院日記目録 天王寺太子堂供養。 天王寺太子堂供養 0722
寛正4  146305A19  尋尊大僧正記 昨日、子守社、新宮完成。 子守社昨日至ニ一社召寄之、為新宮也 0723
寛正4  146305A20  ? 昨夜、子守社上棟、遷宮。 子守社上棟并遷宮昨夜在之云々 0724
寛正4  146306A15  蔭涼軒日録 雲沢軒障子絵、宗湛に命ずる。 雲沢軒障子図画之事。可命于宗湛之事。被仰出也。 0725
寛正4  146306U12  蔭涼軒日録 平家屏風を御覧になる。 当院平家屏風為御覧被召寄也。 0726
寛正4  146307A08  蔭涼軒日録 雲頂院昭堂後門壁画の観音、羅漢を安置する。画師は鹿野性玄(狩野正信)。 雲頂院昭堂後門壁画観音并羅漢。今晨安置之。画師鹿野性玄。 0727
寛正4  146307U 李朝実録 源教直の使者が霊彩筆白衣観音図を持参。 閏七月庚辰 源教直使者霊彩画白衣観音以進伝曰世子書筵依 文宗朝居士賓客進講日則台諌入参 0728
寛正4  146309A23  蔭涼軒日録 高倉の旧殿、転用に関する記事。 高倉之旧殿。可被寄于諸寺院之記録。以伊勢守奉懸于御目也。被寄于勝智院以後。有其余殿則。可被寄于侘之由。被仰出也。以高倉御所被成寺。則為願望之由。頻々平日逍遥被仰也。然則致披露。而可達彼素意之趣。堀河殿局召愚老兼洪蔵主。懇々被申之。仍今晨語于伊勢守云々。曰。于今此説尤遅晩也。以彼殿宇。移于持地院。而被成追修之塲。是不違于素望之由申之。故愚老閣之。愚老且不聞此説也。 0729
寛正4  146310A14  蔭涼軒日録 勝智院の位牌金泥をつけるよう、画師土蔵に命ずる。 勝智院殿御位牌。可着金泥之由。以春阿被仰出。仍召画師土蔵命之。 0730
寛正4  146311A16  尋尊大僧正記 大黒を造立。七寸。仏師は椿井春慶法橋。極楽坊にて供養する。 当院大里[黒カ]奉新造、長七寸、仏師椿井春慶法橋、…於極楽坊成供養了、 0731
寛正4  146312A08  蔭涼軒日録 播磨国書写山講堂造営勧進奉加帳。御判被遊也。 播磨国書写山講堂造営勧進奉加帳。御判被遊也。 0732
寛正5  1464* 竹居西遊集 雪舟等楊に関する記事。 寄揚知客  <并序>/揚雲谷。・・・児童走卒咸知西周有揚知客。予偶以事届此間。一日扣其蝸房。頗説前十年握手者。不能無故人之意。仍揮毫。 0733
寛正5  1464* 竹居清事 如拙画の跋後、雪舟等楊に関する記事。 跋如拙画後/雲谷名等揚。・・・而以越江之文公為師。文乃以如拙為師焉。拙之於雲谷也。三世之祖也。・・・可謂二妙併帰於雲谷之屋裏。 0734
寛正5  146402A05,07,10  多田須河原申楽記 糺河原にて勧進申楽観世大夫(三十六歳)、勧進聖青松院善盛法印(九十八歳)、鞍馬寺勧進聖。 於糺河原。勧進申楽観世大夫。<歳三十六。>勧進聖青松院善盛法印。<歳九十八。>鞍馬寺勧進聖也。/于時寛正五年<甲申>卯月五日七日十日。 0735
寛正5  146403A16  蔭涼軒日録 御泉西之御座、移徒。 今日午時御泉西之御座移徒。 0736
寛正5  146404A05  大乗院日記目録 四月五日、七日、十日に多田簀河原勧進猿楽がある。 四月五日・七日・十日、多田簀河原勧進猿楽在之 0737
寛正5  146404A15  蔭涼軒日録 河原勧進申楽がある。観世。 河原勧進。申楽。観世。 0738
寛正5  146404A23  尋尊大僧正記 不退寺炎上。 今夜不退寺炎上了 0739
寛正5  146404A23  尋尊大僧正記 不退寺炎上。 今夜不退寺炎上了、 0740
寛正5  146406A09  尋尊大僧正記 六日より仙洞御所の作事始まる。十六日に伏見殿、高倉御所に移住。 去六日より仙洞御作事始云々、来十六日ニ伏見殿<当今御弟>、御移住高倉御所<勝智院殿御所也>、云々 0741
寛正5  146407A19  蔭涼軒日録 大唐の諸器を求めて、その模様を図す。 被求于大唐之諸器其模様図而被渡于両居座妙僧都聞并紹本都寺及能副寺也。但千阿奉之。 0742
寛正5  146407A29  尋尊大僧正記 長谷寺縁起、三年を経て京都より返却。 長谷寺縁起自京都被返下、及両三年被召置之了 0743
寛正5  146408A01  尋尊大僧正記 索餅一折・筒一、長谷寺より進上。縁起絵は次に遣わす。 索餅一折・筒一自長谷寺進之、縁起絵次ニ遣之了 0744
寛正6  1465  竹居西遊集 竹居西遊集序 細川氏の命により関西に使いする途中著述したもの。 ・・・之以文名鳴世者。四十年矣。寛正甲申冬。以細川氏右京兆源君之寵命。奉使関西。其途中著述。若干篇。悉以編集。端月下浣。葵斎野釈龍撰。 0745
寛正6  146503A15  蔭涼軒日録 高倉を改めて今出川殿とする。 改高倉作今出川殿也。 0746
寛正6  146504A25  蔭涼軒日録 仏心寺十方院(院主は龍崗和尚)檀那、土岐氏が難渋。 就仏心寺十方院之事。檀那土岐方難渋。仍自院主龍崗和尚懇々以証状被申之。仍悉披露之。以布施下野守并飯尾左衛門大夫。可説破千土岐方之由被仰出。 0747
寛正6  146506A02  親元日記 明日進上する御盃台は絵様は能阿、親元が調進。土佐弾正画の下地は番匠に申し付ける。 明日御一献ニ為御進上御盃台<絵様能阿>事自先日被仰付親元調進之二星堀川百首公実詠/ みな月に岩もる水をむすはすは扇の風を忘ましやハ/此歌心也土佐弾正画之下地ハ番匠ニ申付焉 0748
寛正6  146506A15  親元日記 栂尾客坊光臨巻絵(明恵上人行成記)三巻持参。 栂尾客坊光臨巻絵<明恵上人行成記>三巻持参也、被預置之 0749
寛正6  146506A21  尋尊大僧正記 栂尾明恵上人絵、松林院が借用、京都に到来。元は龍花院宝月坊英光絵という。 梅[栂]尾明恵上人絵字松林院借給之、自京都到来云々、本ハ龍花院宝月坊英光絵也云々 0750
寛正6  146508A15  尋尊大僧正記 兵部九間絵を描く。 兵部自今日九間絵書之 0751
寛正6  146509A03  尋尊大僧正記 昨日河原善阿弥下向。作庭が始まる。 昨日河原善阿ミ下向、今日より脇一人参申、庭始之、自余一乗院ニ候云々 0752
寛正6  146509A03  尋尊大僧正記 昨日河原善阿弥下向。庭を始める。 昨日河原善阿ミ下向、今日より脇一人参申、庭始之、 0753
寛正6  146509A12  尋尊大僧正記 河原善阿弥上洛。千疋を給う。 河原善阿ミ上洛、千疋給之、 0754
寛正6  146509A24  蔭涼軒日録 御巡礼、大仏殿にて披露し、戒壇院にて受戒。西室に御成。東大寺宝物を御覧になる。 披露今日御巡礼於大仏殿。・・・御巡礼以後。戒壇院御受戒。又於西室御成<云々>。開東大寺宝物被御覧也。 0755
寛正6  146510A10  蔭涼軒日録 十七日に石山を御参詣。宿坊は岩坊。座敷の障子画は宗湛に命ずる。 来十七日石山御参詣。御宿坊即岩坊成。御座敷障子画。可借宗湛手之由。飯尾左衛門大夫申之。即参殿中。以伊勢七郎右衛門尉伺之。御免許之由。被仰出也。即召宗湛命之。 0756
寛正6  146510A26  尋尊大僧正記 権少僧都泰承、法印に叙せらると二十三日に宣下。絵師長有、同日法橋に叙せらる。 権少僧都泰承叙法印廿三日宣下、絵師長有<筑前公>、叙法橋同日宣下 0757
寛正5  146512A20  斎藤親基日記 大徳寺、勝定院炎上。 同夜自伊勢守許還御已後。大徳寺。勝定院等炎上。 0758
文正1  1466**12  見聞雑記 祇園社炎上。 同十二日<寅刻>祇薗ノ社炎上了。 0759
文正1  146601A16  尋尊大僧正記 椿井仏所法橋沙門一体が完成、進上。 椿井仏所法橋沙門一体造進上 0760
文正1  146601A18  蔭涼軒日録 仙洞御庭の御亭の額を彫らせる。 仙洞御庭御亭之額。可鑿之由。以結城下野守被仰出。即<一本無即字>命之。板二枚有之。 0761
文正1  146601A18  蔭涼軒日録 仙洞御庭遊仙橋の額字、工師与次郎に命じて彫らせる。 仙洞御庭遊仙橋額字。命工可鑿之由。結城下野守奉之。仍召工師与次郎也。 0762
文正1  146601A25  蔭涼軒日録 御会所本尊は観音。脇は猿鶴。 御会所本尊<一本有曰字>大観音。脇猿鶴。人皆曰奇也。 0763
文正1  146602A23  蔭涼軒日録 飯尾肥前守の所に二十五日に御成。御座の間は宗湛画。 飯尾肥前守所。来廿五日御成。仍御座之間宗湛上座図之。往而見之。 0764
文正1  146602A25  尋尊大僧正記 元興寺金堂の新造丈六弥勒仏、椿井仏師春慶法橋より届き入堂。 元興寺金堂新造弥勒仏、自椿井仏師春慶法橋所奉入今[金]堂丈六仏也、 0765
文正1  146602A25  大乗院日記目録 元興寺本尊弥勒、奉入。 元興寺本尊弥勒奉入之 0766
文正1  146602U09  大乗院日記目録 忍辱山焼失。本尊は取り出す。。 夜忍辱山悉以焼失畢、本尊奉出之、 0767
文正1  146602U09  興福寺略年代記 忍辱山炎上。本尊は無事。 閏二月九日夜忍辱山寺炎上。自真言堂令出火。本堂并塔婆此[以カ]下悉焼失畢。但本尊無為云々。 0768
文正1  146602U10  尋尊大僧正記 忍辱山寺炎上。本尊は取り出す。 夜前忍辱山寺寺本堂塔以下悉皆炎上於本尊者奉取出了 0769
文正1  146602U11  蔭涼軒日録 自牧筆藤花、躑躅、小鳥画の扇面。 使自牧画扇面図画様子也。画藤花并躑躅并小鳥也。 0770
文正1  146602U17  蔭涼軒日録 自牧、阿弥陀堂前岸にて山中境界を写す。 自牧於阿弥陀堂前岸写山中境界。 0771
文正1  146606A15  後法興院記 家門殿の指図、武家に与える。 家門殿之指図<炎上以前之指図也>今日付広橋中納言被進武家、先日以彼黄門自武家有所望、是東山辺ニ可被立山荘云々 0772
文正1  146607A11  蔭涼軒日録 前日、一条窪堂塔上に落雷。 前日雨急。雷奔。于時。於一条窪堂塔上忽堕落云。 0773
文正1  146607A14  ? 祇園塔に落雷。前日に報慈院に落雷。 暴雨疾雷。于時落墮于祇園塔。・・・前夕於報慈院疾雷堕落<云々>。 0774
文正1  146608A06  親長卿記 絵所預、六角絵所治定が切符。 次絵所預事、六角絵所治定、可給切符云々、絵所預来、<六角益継、>遣悠紀標山五千疋分「切符了、 0775
文正1  146609A18  尋尊大僧正記 馬借福智院、松谷辺来、放火 馬借福智院、松谷辺来、放火 0776
文正1  146612A12  大乗院日記目録 祇園塔炎上。 祇薗塔炎上。 0777
文正1  146612A20  見聞雑記 河崎観音堂相国寺鹿苑院の塔婆など炎上。 同廿日。日昼河崎ノ観音堂相国寺鹿苑院ノ塔婆等炎上了。類火云々。 0778
文正1  146612A20  尋尊大僧正記 十二日に祇園社炎上。 去十二日夜祇薗社悉以炎上、坂本馬借閇篭処、如此火事出来、不知子細云々 0779
文正1  146612A25  年代記残編 畠山右衛門佐上洛。二十七日大嘗会。祇園社焼失。等持寺、河崎観音堂炎上。 十二月廿五日畠山右衛門佐上洛。同廿七日大嘗会。祇園社依山門訴訟焼失、等持寺炎上。河崎観音堂炎上。 0780
文正1  146612A27  斎藤親基記 等持寺炎上。 等持寺炎上。<類火也。> 0781
文正1  146612A28  尋尊大僧正記 十九日細川内藤三郎左衛門家より出火。鹿苑院塔、相国寺の東司、門、脇門、湯屋、法住院、河崎観音堂、天神など焼失。二十七日堪解少由路富小路の味噌屋に放火。近所が焼失。秋野道場、林光院、等持寺焼失との書状到来。 自京都書状到来、・・・去十九日細川内藤三郎左衛門家より火出テ、鹿薗院塔、相国寺之東司・門・脇門・湯屋・法住院以下モ火、河崎観音堂・天神等焼失了、・・・昨日廿七日堪解少[由脱カ]路富小路之未[味]曾屋ニ火ヲ放之間、近所悉以焼失、秋野道場・林光院・等持寺焼失了 0782
応仁1  1467  徐送別詩并叙 雪舟等楊に関する記事。 日東雲谷長老沖淡人也、能詩能画、而性無所嗜、成化丁亥陪貢至 0783
応仁1  1467  竺堂雑抄 雪舟等楊に関する記事。 純拙魯庵贈詩/日本僧楊雪舟者、…自去歳遊四明、陞天童山第一座、…/大明成化戊子季夏、大興隆住山純拙老人魯庵識 0784
応仁1  1467  了庵桂悟・天開図画楼記 雪舟等楊に関する記事。 四明天童首座雲谷老人諱等楊号雪舟…成化四年入大明歴試名家筆法名山大川… 0785
応仁1  1467  京都五山 存耕祖黙没。 百八十六 存耕祖黙、…長禄元年七十二才ト賛ニ見ル 0786
応仁1  146702A14  扶桑五山記 存耕祖黙没。 百卅四、存耕、諱祖黙、…〈応仁元二月十四日寂〉 0787
応仁1  146702A14  京都五山 存耕祖黙没。 百卅四、存耕、諱祖黙、…応仁元年〈丁亥〉二月廿二日寂 0788
応仁1  146703A12  尋尊大僧正記 忍辱山本尊、奉入。 忍褥[辱]山本仏今日奉入本堂、諸人群集、去年炎上之処草々建立 0789
応仁1  146706A22  尋尊大僧正記 北山鹿苑寺成陣。金堂破壊。 北山鹿薗寺成陣、金堂以下破【却以外不】法也、一宇不無為云々、小金堂先年炎上、取立之処、又破却畢、北や式中々無是非、西方陣也、 0790
応仁1  146708A15  大乗院日記目録 誓願寺炎上。本尊は取り出す。 誓願寺炎上、於本尊者奉取出云々、 0791
応仁1  146709A18  大乗院日記目録 春日下遷宮。 春日下遷宮 0792
応仁1  146711A12  大乗院日記目録 春日立柱上棟。 春日立柱上棟 0793
応仁1  146711A18  大乗院日記目録 春日正遷宮。 春日正遷宮 0794
応仁1  146711A18? 興福寺略年代記 春日御造宮。九月十八日下遷宮。十一月十二日上棟。十八日正遷宮。 春日御造宮。九月十八日下遷宮。十一月十二日上棟。同十八日正遷宮。 0795
応仁1  146712A12  如是院年代記 祇園社炎上。 子刻祇園社炎上。 0796
応仁2  1468  呆夫良心・天開図画楼記 雪舟等楊、北京礼部院中堂の壁に描く。 …向者大明国北京礼部院於中堂之壁尚書姚公命公令画之 0797
応仁2  1468  本朝画史 雪舟等楊、中国礼部院の壁に画す。 僧雪舟…大明君臣共称其美遂奉勅画礼部院之壁 0798
応仁2  146802A17  山科家礼記 御庵より勧修寺八幡絵、宝陀羅尼絵上下返却。 御庵ヨリ勧修寺八幡絵并宝陀羅尼絵上下返まいり候て、本所御覧調部よミ候也、 0799
応仁2  146807A04  大乗院日記目録 吉田神社炎上。 吉田神社炎上払地、西方所為、 0800
応仁2  146808A04  大乗院日記目録 東山諸門跡、焼失。 東山諸門跡悉以焼亡了、 0801
応仁2  146808A07  大乗院日記目録 長谷寺堂供養。 長谷寺堂供養 0802
応仁2  146808A07  尋尊大僧正記 去年十月十八日に長谷寺観音堂供養。 応仁二年八【月】長谷寺*/一観音堂事貞治供養以後破破損之間、自詩*成弁畢、為延供養去年十月十八日奉/開帳*予導師懃仕事、…/七日/一早旦七僧請書成之、…/次導師表白・神分・勧請・経尺・願文・諷誦進之 0803
応仁2  146808A26  大乗院日記目録 泉涌寺炎上。舍利は取り出す。 泉涌寺炎上、舍利奉取出云々、座主坊炎上、〈妙法院登山云々、/於山拝堂云々、〉 0804
応仁2  146811A01  尋尊大僧正記 法勝寺五大堂、炎上。 法勝寺五大堂、為西方破却焼之云々、顕宗滅亡不能左右者也、本尊以下皆以焼之云々、 0805
応仁2  146812A16  尋尊大僧正記 大職冠図絵を筑前法橋に命ずる。 自幡多被下百疋、為絵具代可令大職冠図絵之由、仰付筑前法橋了、 0806
文明1  1469  徐送別詩并叙 送別の詩。 日東雲谷長老沖淡人也、…予獲与之交、情傾意洽、歓若平生、居無何言旋言帰、懐不能舍、遂賦拙五十八字、以道別意、…/成化五年歳次丑仲夏下澣、四明徐希賢書 0807
文明1  1469  東海一休和尚年譜 一休、墨渓筆松源祖師像に賛を寄す。 文明元年己丑。師年七十六歳。夏讃松源祖師像。画者墨谿絵霊霊[マゝ]見桃。香厳撃竹千仏龕障子。師一見絶倒題偈。…〈賛松和尚。…応仁三年孟夏/曰。東海純一休拝賛。〉… 0808
文明1  146902A26  興福寺略年代記 多武峯炎上。大職冠御影像は取り出す。 二月廿六日多武峯煙上。依寺中霍執一宇不残悉焼失了。於大職冠御影像者。無相違忽然シテ出「玉」畢。 0809
文明1  146902A27,28  大乗院日記目録 二十七日、二十八日、多武峯焼失。御影は取り出す。 廿七八日、多武峯悉以焼亡、院内確執事故云々、自滅也、於御影者奉取出之、 0810
文明1  146902A28  尋尊大僧正記 多武峯炎上。 多武峯今日大焼亡、 0811
文明1  146904A22  見聞雑記 谷の城落城。西方の軍勢西芳寺峯堂、西副寺などに放火。 同廿二日。谷ノ城落了。仍西方ノ軍勢西芳寺峯堂。西福寺等悉放火了。 0812
文明1  146907A10  興福寺略年代記 清水寺炎上。本尊は取り出す。 七月十日清水寺炎上。本尊御出也。 0813
文明1  146907A10  見聞雑記 清水寺本堂、塔婆雲居寺、泉涌寺、建武の動乱の時にも焼失しなかった。 同十日。清水寺ノ本堂并塔婆雲居寺。泉涌寺。已前建武ノ動乱ニモ不焼失云々。 0814
文明1  146907A10  大乗院日記目録 清水寺・珍王寺焼失。 清水寺・珍王寺悉以焼亡了、 0815
文明1  146907A10  如是院年代記 清水寺炎上。 清水寺火。 0816
文明1  146907A12  尋尊大僧正記 十日、清水本尊・大塔、六道・建仁寺焼失。 一昨日〈十日〉、清水本尊・大塔以下并六道・建仁寺各悉以焼亡【云々】、 0817
文明1  146907A16  尋尊大僧正記 去夏描いた大職冠御影、開眼。 去夏奉図絵大職冠御影、今日開眼 0818
文明1  146908A02  大乗院日記目録 長谷寺本堂以下焼失。観音堂は無事。 長谷寺本堂以下焼亡、於観音堂無為、希有事也、 0819
文明1  146908A03  興福寺略年代記 長谷寺焼失。 八月三日長谷寺大焼亡。二王堂登廊中門堂念仏堂十三堂三重塔婆其外人屋坊舍等数十ヶ処焼失了。雖然於観音堂者無為也。 0820
文明1  146908A03  尋尊大僧正記 長谷寺焼失。観音堂・十三重塔・新宮等は無事。 夜部長谷寺焼失之由、執行注進状到来、但観音堂・十三重塔・新宮等無為、…焼失所々事、/本長谷寺 同三重塔 舟倉 一切経蔵 松金剛院 ニ王堂 吉祥院 釜節 食堂 客坊 此外在家・諸坊等悉以焼了、火本ハ共絵坊云々、忽堂舍廿四宇、坊・在家百二十間云々、 0821
文明1  146908A22  尋尊大僧正記 成就院に参り、仏舎利等を拝見。 令参成就院、自其西大寺光明真言ニ御共申了、…大番事畢後長老・予・松殿自丁聞所出礼堂拝見仏舍利等、西室御影・同鉄塔塔等御拝見了、 0822
文明1  146910A09  土佐文書 足利義政、絵所預を土佐右近将監光信に任ずる。 (花押)[足利義政]/絵所預事、早任 勅裁之旨、右近将監光信、領掌不可有相違之状如件、/文明元年十月九日 0823
文明2  147002A22  扶桑五山記 華岳建冑没。 百四十二、華岳、諱建冑、…〈文明二二月/廿二日−〉 0824
文明2  147007A20  尋尊大僧正記 下醍醐、山科焼失。 昨日下醍醐并山科焼失、 0825
文明2  147009A02  親長卿記 七月十九日、勧修寺旅店、炎上。 七月十九日勧修寺旅店為敵火破了、仍醍醐勧修寺等衆散在所々 0826
文明2  147010A03  親長卿記 相国寺塔婆に落雷焼失。 亥刻許雷鳴大雨下、暫相国寺塔婆時残了[去々年寺中悉焼亡云々]、為雷火焼失、 0827
文明2  147010A03  大乗院日記目録 相国寺塔、雷火で焼失。 相国寺塔焼亡、雷火 0828
文明2  147010A05  尋尊大僧正記 三日相国寺大塔焼失。 去三日夜相国寺大塔焼失歟云々、 0829
文明3  1471  東大寺法花堂要録 作庭始まる。 去月始ヨリ中院[エタ?善アミ]ニ庭ヲスル、元興寺楚[マゝ]ヲ引アツメテ立石ニセラル、六万衆サタナリ、 0830
文明3  147101A25  親長卿記 禁裏より旧院宸筆地藏絵、御持蓮花之内弥陀三尊の供養が仰せらる。 今日自禁裏、旧院宸筆地藏絵像并御持蓮花之内弥陀三尊〈被造送[衍カ]篭/水精之内〉等供養事、被仰恵忍上人、 0831
文明3  147102A27  尋尊大僧正記 慈恩院の片岡絵を借用する。 慈恩院之片岡絵事、以松林院借用之処、悉以修南院ニ在之云々、可借給云々、 0832
文明3  147103A20  親長卿記 旧院百ケ日本尊は普賢菩薩像。 旧院百ヶ日聖忌御法事条、/日継ぎ事、/仰、如風記可為初日四月三日、結願九日矣、…御本尊祈[新カ]召由事、/仰、任例可為普賢菩薩像、 0833
文明3  147104A03  親長卿記 土佐弾正入道筆、本尊の普賢像完成。 御本尊〈普賢像、〉出来之由、土左弾正入道申之、仍百疋下行了、 0834
文明3  147104A06  親長卿記 後花園院百ケ日法事行われる。 語花薗院御百ヶ日御法事下行事、…御本尊新図 百疋、 0835
文明3  147104A21  大乗院日記目録 木津地藏堂、西方足軽により焼打ち。地藏は日本一、丈六の石像徳治三年九月上棟。 西方足軽寄来、木津地藏堂焼払之、(此地藏ハ日本一石像云々、丈六也、三年正月廿四日奉切始而、徳治三年九月八日御堂上棟、九日供養、十日蜜供養) 0836
文明3  147107A04  大乗院日記目録 中院山水沙汰之、善阿ミ沙汰、 0837
文明3  147108A11  ? 雪舟等楊、夏珪山水小軸を写す。 写夏珪山水小軸以為画法者於茲有年今付之于小子 文明三〈壬辰〉八月初十一日 等楊 0838
文明3  147108A21  尋尊大僧正記 琳賢房、新図絵薬師を完成。 新図絵薬師今日琳賢房書出了、 0839
文明3  147108U05  尋尊大僧正記 先月、能阿弥没。 公方奉公能阿弥於長谷寺去月入滅了、 0840
文明3  147110A22  慈恩会記(尋尊大僧正記) 慈恩大師図絵、松坊に下行。 一貫文慈恩大師図絵方、松坊ニ下行之了、いかにも能々可図之由仰付了、 0841
文明3  147112A03  慈恩会記(尋尊大僧正記) 慈恩大師御影新図絵、筑前法橋息が持参。 慈恩大師御影新図絵、筑前法橋息持参之、 0842
文明3  147112A03  尋尊大僧正記 慈恩大師御影新図絵、筑前法橋息が持参。 慈恩大師御影新図絵、筑前法橋息持参之、 0843
文明4  147207A21  大乗院日記目録 一言主社、拝殿大杉、元興寺新金堂、龍蓋寺塔婆、大風の為倒れる。元興寺金堂本尊破損。 夜前大風、一言主社并拝殿大杉顛倒之間打破之、…元興寺新金堂顛倒、本尊打破之、/龍蓋寺塔婆贔[顛]倒云々、為寺務不吉事也、但久女以下所々塔婆贔倒云々、不限一所歟、 0844
文明4  147207A21  尋尊大僧正記 一言主社、拝殿、元興寺新金堂、転倒。。元興寺金堂の新仏破損。 前夜大風以外事也、…一言主社并拝殿破損無形云々、…元興寺之新金堂顛倒、新仏破損了、 0845
文明4  147207A21  善隣国宝記 義政書状。金屏風、長刀、椀、盆、硯、鏡台、酒壷、銚子などほ朝鮮国王に献上。 文明四年壬辰遣陶潜国書  横川製之/日本国義政 奉書/朝鮮国王殿下/…/龍集壬辰冬十月三日/日本国源 【義政】(印也)/…/別幅/装金屏風貳伯把/長刀壹拾把/大紅漆木車椀大小計七十事/大紅漆浅方盆大小計貳十事/蒔絵硯匣壹箇/鏡台 壹箇/酒壷 壹隻/銚子提子壹具 0846
文明4  147207A23  尋尊大僧正記 高野山東塔供養。 今日高野山東塔供養、 0847
文明4  147209A10  尋尊大僧正記 鳥羽法皇から醍醐院までを描いた絵一巻を得る。 自鳥羽法皇至醍醐院帝王写絵一巻得之、 0848
文明4  147212A23  尋尊大僧正記 巨勢金岡を祖とする筑前法眼の家の系図。 巨勢朝臣金岡・…・重有[筑前法眼/大乗院家]・・長有[筑前法橋] ・・有尊[円勝?房労分] ・・正有[林賢房] 0849
文明5  1473  安世永全像賛 雪舟等楊に関する記事。 … 文名癸巳之春、西大内左京兆公於防城、…楊雪舟以能画名於世、嚮入明九に、天子奇其能、今在防城、為全肖其客以寄、 0850
??文明5  1473  蔭涼軒日録 文明十七年五月八日、瑞溪和尚十三回忌。 文明17・5・8 瑞溪和尚十三回忌 0851
文明5  147305A08  翰林葫蘆集 興宗明教禅師没。八十三歳。 興宗明教禅師行状/…癸巳年、…師曰、今年八十三、命在旦暮、況忌辰有余月乎、且待之五月四日、示微、行道不怠、七日召諸徒在城中者、使作冷伴食、曰、是訣別也、汝等去矣、八日早晨、談咲自若、據座逝矣、 0852
文明5  147306A12  親元日記 元応寺恵忍、聴松院の遺物、詫摩筆弥陀絵像を贈る。 元応寺恵忍御状同披露之聴松院殿御遺物〈絵像弥陀/詫摩筆〉被贈進候御返事也 0853
文明5  147306A14  大乗院日記目録 快弘法師絵所琳賢、常陸公等没。 此外快弘法師絵所琳賢・常陸公等円寂了、 0854
文明5  147306A15  尋尊大僧正記 絵所琳賢房、宇多にて没。 絵所琳賢房於宇多入滅云々、 0855
文明5  147306A16  尋尊大僧正記 元興寺前絵師、常陸房没。 元興寺前絵師常陸房円寂了、 0856
文明5  147310A  補庵京華前集 横川景三賛、宗湛筆達磨像。 達磨讃〈宗湛[天翁]筆〉/…/文明五年十月初祖忌、不肖孫景三、焚香拝讃 0857
文明5  147310A16  尋尊大僧正記 多武峯大講堂本尊阿弥陀三尊、造立開始。椿井舜覚房法橋と京都仏師。 多武峯大講堂本尊阿ミタ三尊今日事始也、椿井舜覚房法橋小仏事等召具下向、今度京都之仏師与令相論子細在之云々、主上御力[刀]始去月廿八日云々、 0858
文明5  147311A01  尋尊大僧正記 絵書兵部、勢州にて没。 絵書兵部於勢州円寂云々、 0859
文明6  147402A09  実隆公記 小絵詞を御前にて書す。 小絵詞於御前書之、 0860
文明6  147402A15  親長卿記 大徳寺住持職を任ず。 大徳寺住持職事〈順蔵主/一休〉奏聞、勅許、 0861
文明6  147402A16  親長卿記 大徳寺綸旨を書す。 大徳寺綸旨令書元長、遣寺家了、 0862
文明6  147402A22  東海一休和尚年譜 一休和尚、広徳寺に参る。 六年甲午。師年八十一歳。二月二十二日広徳寺〈摂州/尼崎〉。桑中隆和尚捧勅黄来。致大徳住持之請。不可辞也。師作二偈。且謝且警。柔中和尚寓本色[マゝ]住み山祖教中興之祝。且求入寺法語。卒書而応之。 0863
文明6  147403A03  言国卿記 足利義政、上御書に参る。 室町殿[足利義政]、上ノ御所へ御ワタシマシナリ 0864
文明6  147403A27  言国卿記 御前にて「チサウノ御絵ノ詞」を読む。 夜於御前、チサウノ御絵ノ詞、按察使ニヨマセラル也、 0865
文明6  147406A03  大乗院日記目録 善光寺如来堂、焼失。 善光寺如来堂以下焼失 0866
文明6  147406A19  尋尊大僧正記 四日、信濃国善光寺如来堂、炎上。 去四日信乃国善光寺如来堂等焼失了、 0867
文明6  147408A13  尋尊大僧正記 七日、有尊(円勝房)没。吐田絵所の舎弟。 去七日、有尊〈円勝房、〉入滅、吐田絵所舎弟、労分也、 0868
文明6  147409A02  永和本四聖御影背墨書銘 四聖御影の修理終了。 奉修補四聖御影。/文明二年〈庚寅〉五月十八日卯剋。新堂宝蔵院/大雨之間。山崩一時顛倒。其時及破壊間。修補之畢。/文明六年〈甲午〉九月二日。/住持隆賢〈表背ころも専舜房。/知事。文海。〉 0869
文明6  147409A05  尋尊大僧正記 峯殿金舍利塔一基、随心院殿極楽房が寄進。 峯殿金舍利塔一基事、自随心院殿極楽坊御寄進了、予取継遣之者也、 0870
文明6  147410A29  実隆公記 小絵小詞を御前にて書す。 小絵小詞於御前御前草之、 0871
文明6  147411A05  実隆公記 夢物語絵小詩、御前にて書写する。 夢語絵小詞於御前書写之、 0872
文明6  147411A12  実隆公記 三日間、小絵詞を進上。 自今日両三日之間、小絵詞〈号高野雲〉草進之、与中院亜槐討論之了、 0873
文明6  147412A26  言国卿記 二十二月の御会を描く。 以量二十二月ノ御会ヲカゝセラレ了 0874
文明7  1475  善隣国宝記 足利義政、明に別幅、馬、散金鞘柄太刀、硫黄、馬脳、貼金屏風、黒漆鞘柄太刀、槍、長刀、鎧、硯、匣、扇などを献上。 文明七年乙未遺大明表  横川製之/日本国王臣源 義政〈慈照院殿也〉上表/大明皇帝陛下/…/成化拾壹年乙未秋捌月廿八日/日本国王臣源 義政〈日本国王印〉/…/別幅 自別幅両字到咎一字同幅書之/馬肆疋  散金鞘柄太刀貳把/硫黄壹万斤  馬脳大小貳拾塊/貼金屏風参副 黒漆鞘柄太刀壹佰把/槍壹佰把 長刀壹佰柄/鎧壹領 硯壹面并匣/扇壹佰把 0875
文明7  147501A23  実隆公記 御前に参り、土佐将監筆小絵を拝見。 則参御前、小絵〈高野雲〉下画土佐将監書進之可拝見之由也、 0876
文明7  147502A20  長興宿袮記 安楽光院、焼失。九品阿弥陀像焼失。 無程安楽光院焼失、九品阿弥陀像〈本尊天照太神御作云々〉焼亡了、 0877
文明7  147503A19  実隆公記 禁裏御絵詞を書写。 今日禁裏御絵詞〈山寺法師/絵〉書写之令進上了、 0878
文明7  147504A04  言国卿記 絵を書く。 以量ニ御絵ヲ被書了 0879
文明7  147504A12  言国卿記 佐門左衛門佐陣屋へ来て「御ウヘハカマノ絵様」を描く。 早朝ニ佐門左衛門[橘以量]佐陣屋へ来、御ウヘハカマノ絵様ヲカゝせヲク也、 0880
文明7  147507A17  実隆公記 善光寺縁起絵三巻を一覧。 善光寺縁起絵三巻〈嵯[峨]三宝/常住也〉一覧之、 0881
文明7  147507A18  尋尊大僧正記 極楽房参詣。 極楽房参詣了、万ラ堂仏壇金物到来、 0882
文明7  147507A18  実隆公記 参内して善光寺絵の詞を読む。 則参内、善光寺絵之詞読申了、 0883
文明7  147508A08  尋尊大僧正記 東大寺内の筒井方に五師子如意の事を申し伝える。 自東大寺内々筒井方ニ申遣之、五師子如意事、東南院門主取之遂電云々、寺門ニ今披露可糺明云々、筒井返事、可思案云々、 0884
文明7  147510A29  実隆公記 本願寺曼陀羅を御覧。 本願寺曼陀羅〈来迎曼陀羅熊谷蓮生曼陀羅、法然上人自筆也云々、新曼陀羅絵所有久筆也、法然上人消[息カ]二通(自筆)蓮生法師持蓮花等有之〉被備叡覧、 0885
文明7  147511A23  文明七年維摩会講師方条々(尋尊大僧正記) 吐田絵所、講堂曼陀羅、文殊・淨名、大職冠御影を仰付らる。 吐田絵所図絵事伺申、講堂万ラ一[幅]・文殊・浄名・大職冠御影各一仰付之、畏入云々、 0886
文明7  147512A02  文明七年維摩会講師方条々(尋尊大僧正記) 講堂曼陀羅・大職冠・淨名・文殊、絵所松房に命ずる。 一貫九百 図絵、〈講堂万タラ・大職冠・浄名・文殊方、絵所松房下行、〉 0887
文明8  1476  画工譜略 狩野永仙元信、出生。 狩野永仙元信…文明八年に生る、 0888
文明8  147602A03  実隆公記 御前に参り、石山寺縁起絵四巻を読む。 昼間参御前、石山寺縁起絵四巻詞読申之、 0889
文明8  147603A03  呆夫良心・天開図画楼記 雪舟等楊に関する記事。 画師 楊公雪舟相[ミテトコロノ]攸勝地豊府西北之隅剏作一小楼題榜曰天開図画…/文明丙申三年初三日/杏塢呆夫良心誌之 0890
文明8  147603A12  群書類従本君大観左右帳記奧書 能阿弥、君台観左右帳記奧書を書く。 此一巻頻依御懇望注進之候。閑被成御覧。御不審之事候者。可承候。口伝可申候。努々不可有御他見候也。/文明八年三月十二日 能阿弥在判 大内左京大夫殿 0891
文明8  147603A29  実隆公記 参内し、善光寺縁起絵を写す。 昼間依召参内、善光寺縁起絵可被写之、詞絵等宜令用捨之由也、 0892
文明8  147605A16  実隆公記 早旦絵銘書之、〈宰相中将殿去夜[被]下小野宮大臣[会]絵也、詞故権大納言公澄卿筆跡也〉、遣頭蘭令進上大樹了、 0893
文明8  147605A22  実隆公記 参内し、善光寺絵の詞を直す。 依召著束帯参内、善[光]寺御絵詞直付之、 0894
文明8  147606A05  言国卿記 御前にてホウネンノ絵を見る。 此間以量於御前会[絵カ]ヲ被書了、…ヨイノ程、御前ニテ予・以量ニ会[絵]ヲミせラレ了、ホウネンノ会[絵]也、 0895
文明8  147606A07  実隆公記 大徳寺、炎上。 楽邦来話、今暁大徳寺等炎上、其白屋以下数間成灰燼云々、 0896
文明8  147606A11  実隆公記 御前に参り、法然上人絵四巻を拝見。 則参御前、法然上人絵四巻拝見之、 0897
文明8  147608A  如是院年代記 (文明7の条に誤記)八月賀茂社、兵火。 (文明7の条に誤記)八月賀茂社兵火。 0898
文明8  147608A09  狩野五家譜 狩野元信、出生。 〈二代〉元信…文明八丙申年八月九日山城国において出生。 0899
文明8  147608A09  狩野祐清邦信書上系譜(扶桑名画伝) 狩野元信、出生。 …文明八丙申年八月九日、於山城国出生仕候、 0900
文明8  147608A23  実隆公記 賀茂社炎上。 仰今日賀茂社炎上、氏人卅余人死云々、 0901
文明8  147608A23  親長卿記 賀茂社放火。 仏暁軍勢等徘徊、尋子細之処、発向賀茂、在京社司氏人等張行云々、/午剋許社頭放火、氏人数十人被害、 0902
文明8  147608A24  大乗院日記目録 (七月二十四日の条に誤記)賀茂社、焼失。 (七月二十四日の条に誤記)賀茂社悉焼失、社司与氏人確執故云々、 0903
文明8  147611A13  実隆公記 裏辻小家より出火。宮中炎に包まれる。 今夜亥下刻自裏辻小家〈土倉〉、失火出余焔懸宮中、大厦高墻悉成灰燼、 0904
文明8  147611A13  親長卿記 室町殿御方に行幸。宮中火事。 亥剋許称有梶、…出走参内、已有行幸室町殿御方〈十二間〉、…余焔懸宮中、 0905
文明8  147611A13  大乗院日記目録 室町殿、焼失。 夜室町殿悉以焼失、 0906
文明8  147611A13  如是院年代記  但し、文明7年の記事 花御所、炎上。 花御所炎上。 0907
文明9  147701U04  実隆公記 善恵上人真影に賛を寄す。 自禁裏善恵上人真影讃〈色紙形、〉可書進上之由有勅定、則染筆…令変異御〒返上了、 0908
文明9  147702A11  実隆公記 知恩院、移徒。 今日三時知恩院御移徒云々、 0909
文明9  147704A05  親元日記 新造御所に移徒。 御新造〈上様御座所〉、御移徒御祝、 0910
文明9  147704A05  実隆公記 新造御所に移徒。 [今]夜子刻小河新造御移徒云々、 0911
文明9  147706A27  親長卿記 誓願寺立柱。 伝聞、誓願寺立柱云々、自去年勧十方檀那助縁、可令造営云々、 0912
文明9  147708A14  実隆公記 誓願寺縁起を御覧。 誓願寺縁起絵有叡覧、縁起一巻読申之、 0913
文明9  147711A11  御湯殿上日記 敵陣、炎上。大内は陣払。御所炎上。 こよひてきともおちうせてちんはらゐともする。おゝうちかうしはこなたへまいるよしきこゆる。院の御所もるゐ火のよしきこしめして。おとろきおほしめす。御るすの御所無ゐにてめてたし。 0914
文明9  147711A11  実隆公記 敵陣、炎上。大内多々良政弘朝臣以下、陣払。御所炎上。土御門皇后は無事。 戌刻許敵陣有回禄、今日大内多々良政弘朝臣以下陣払云々[水牛今夜今夜遣此方云々]、子刻許参内、大略終夜炎上、故院仙洞、二条亭等焼失云々、土御門皇后無為無事、 0915
文明9  147712A13  尋尊大僧正記 清水寺、四日より五条東洞院から東山に遷る。 清水寺自去四日東山ニ自五条東洞院引遷之、如形令立之、 0916
文明9  147712A30  尋尊大僧正記 窪田、狩野、粟田口、溝杭、天下絵所、冷泉東洞院、田倉、六条高倉、四条堀川、土佐将監、粟口民部。 …/窪田〈三内、/在柳原、〉/狩野〈土佐弟子、/在押上、〉/粟田口ヲキ〈北国越中ニ/在国云々、〉溝杭〈粟口之弟子、/在奈良、/次郎左衛門〉/天下絵所/冷泉東洞院/田倉/六角高倉/四条堀川/土佐将監〈大炊氏、高倉〉/粟口民部 0917
文明10  147803A26  実隆公記 参内し片岡絵を拝見。 晩頭有召之間参候、[片カ]岡絵、〈奈良霊物、以大般若経料紙、依宣六百巻写画図[者]、殊勝之由有勅語、当時、纔卅巻斗相残云々、〉[拝]之、人間病苦之体、鬼界飢渇之憂、地獄苦痛之趣等、感涙銘肝、更驚無常者也、 0918
文明10  147803A26  尋尊大僧正記 禁裏は念仏、善道・一遍などの影を懸ける。 禁裏ニハ悉以念仏也、善道・一遍等影共被懸之、 0919
文明10  147804A13  尋尊大僧正記 金堂の橋木法師金物祓殿金風呂水屋腰障子などが紛失。 金堂之橋木法師[擬宝珠]金物祓殿金燈呂水屋腰障子等先日粉[紛]失了、 0920
文明10  147808A06  言国卿記 新宰相中将、絵を持参。 新宰相中将御絵詞書持参、色々御物語畢、以量ニ御絵カゝセラルゝ也、 0921
文明10  147809A05  尋尊大僧正記 五師子如意に関する書状。 六方書状到来、先年大会之時、五師子如意事、東南院前門主令随身遂電之間、無力之由九条前内府仰之間、御音信不通上者、云寺門云門跡、不及了簡之処、近日御出子細在之歟、借下相論云々、仍六方申之、/…其後此如意事、不知在処候間、…依九条殿之御計略、御上洛之間旨承及候、仍於彼如意者、先門主御随身之上者、草々被尋出、暫於御門跡御案[安]置候者可為珍重候、…御門跡又可為御同心之御儀候者、就其無力付御候人等、可任評儀之旨、集会評定候旨、可有洩御披露候、恐々謹言、/五月四日  六方衆等/因幡寺主御房 0922
文明10  147809A11  尋尊大僧正記 九条殿如意の事に返事。 九条殿如意事ニ御返事到来、如意事可被渡之云々、則御書遣六方了、 0923
文明10  147810A23  言国卿記 明恵上人絵詞を写す。 今日予ニ明恵上人之絵詞予ニウツサセラルゝ也、 0924
文明10  147810A27  言国卿記 御絵下巻詞書を修理。 彼御絵下巻詞書修進上畢、 0925
??文明10  1478年 観瀑図横川景三跋 祥啓の持つ芸阿弥筆「観瀑図」に横川景三、賛を寄せる。。 相陽啓上人、遊於絵事者也、戊戌歳観光上国、就国手芸阿、(後半部は文明12年にあり) 0926
文明11  1479  補庵京華後集 天章周文筆墨竹図に横川景三、賛を寄せる。 題文都管[天章周文]墨竹小幅〈有跋〉/…己亥[文明十一年]之夏熱甚、寺之綱維春溪記室、出[此]軸求詩、経数日而不得一句、…已而時秋雨霽、所謂△[快哉]忽為悲哉矣、綱維督詩屡来、如問平安者、無感於乎、書此巻還云、持景三、 0927
文明11  147901A01  大乗院日記目録 吉野上社に落雷。 電光吉野上社ニ落給、…〈書写大塔雷火焼了、元日事也〉、 0928
文明11  147901A16  実隆公記 明恵上人絵詞、進上。 今日明恵上人絵詞可進上之由被仰下之、御料紙、本等賜之、 0929
文明11  147901A29  実隆公記 高野雲絵詞を修理。 高野雲絵詞少々直之、中書沙汰之進上了、 0930
文明11  147902A08  実隆公記 高野雲絵の事を土佐将監に命ずる。 高野雲絵事召土佐将監申付之了、 0931
文明11  147902A13  尋尊大僧正記 播磨邦書写山大塔、元日に落雷炎上。 幡[播]磨国書写山大塔元日雷ニ炎上了、 0932
文明11  147902A13  親長卿記 室町殿、事始。 室町殿御事始也、 0933
文明11  147902A13  長興宿袮記 室町殿、造立事始。 今日室町殿[花御所]造立御事始也、[先年文明九年炎上] 0934
文明11  147902A13  ? 武家殿御亭、御造作事始。 聞、武家殿御亭御造作事始云々、 0935
文明11  147902A17  尋尊大僧正記 十三日、室町殿事始。 十三日…同日室町殿事始 0936
文明11  147903A28  建長本四聖御影背墨書銘 四聖御影像、修復終了。 文明十一年〈己亥〉三月廿八日。此影像破損之間。仰表背師三位奉修複畢。/大法師盛宗〈奉行之。〉 0937
文明11  147905A16  実隆公記 栂尾明恵上人絵を読む。上巻絵は右京亮藤原行定、詞は参議右中将藤原実隆、下巻絵は弾正入道経増(俗名藤原広周)。 栂尾明恵上人絵被読加周備、奧書依仰書之、上巻絵、右京亮藤原行定、〈但奥一段弾正入道経増〉、詞、参議右中将藤原実隆、下巻絵、弾正入道入道経増〈俗名藤原広周〉、詞、参木−如此書之、 0938
文明11  147905A18  実隆公記 明恵上人絵上下に銘する。 及黄昏明恵上人絵上下銘書之、 0939
文明11  147905A27  実隆公記 高野雲絵詞、修理終了、進上。 高野雲絵詞終功進上了、 0940
文明11  147906A07  十輪院内府記 西庵寮新造の為、入江殿に参る。 参入江殿[了山聖智尼]、柳二荷持参、是被立御堂之上、西庵[智周老・通秀姉]寮新造被下之故也、 0941
文明11  147906A29  大乗院日記目録 皇居、焼失。白雲庵に行幸。 夜皇居焼失了、仍行幸白雲庵云々、 0942
文明11  147907A01  実隆公記 皇居炎上。安禅寺宮に臨幸。 寅下刻火事出来、北小路皇居焼失、愚宅同炎上、主上臨幸[要輿]安禅寺宮、 0943
文明11  147907A02  如是院年代記 柳原仮内裏炎上。 柳原仮内裏炎上。 0944
文明11  147907A17  尋尊大僧正記 吉備大臣絵修復終了。上下二巻。 吉備大臣絵修複[復]了、上下二巻也、 0945
文明11  147908A14  御湯殿上日記 絵解きが来て説いていく。 ゑときまいりてとかせらるゝ。 0946
文明11  147909A29  御湯殿上日記 相国寺、炎上。 火ことあり。しやうこくしときこゆる。 0947
文明11  147909A29  実隆公記 相国寺、炎上。 仰亥刻許相国寺方丈炎上、此間新造未終功以外之踈屋也云々、余焔不及他所、 0948
文明11  147909A29  親長卿記 相国寺、火事。 子剋許有火事、驚見之処、相国寺方丈新造之在所也、 0949
文明11  147909U15  実隆公記 御前にて小絵等拝見。 入夜小絵等於御前拝見、 0950
文明11  147909U23  ? 小絵歌合わせ、歌三首を読む。 小絵哥合哥両三首詠之、三番書判詞進上之、是依去十九日之仰也、 0951
文明11  147912A12  尋尊大僧正記 松南院絵所出雲公尊順叙法橋、二日に宣旨を受ける。 松南院絵所出雲公尊順叙法橋、去二日宣旨仰遣之、当年四十八歳云々、 0952
文明11  147912A24  大乗院日記目録 東福寺塔、塔頭、焼失。 東福寺塔一碁[基]・塔中[頭]二所焼失了、 0953
文明12  1480  観瀑図横川景三跋 芸阿弥筆「観瀑図」横川景三跋文。 相陽上人遊於絵事者也,戊戌歳観光上国、就国手阿学画三年而業成矣,一日告別回里、芸自画於軸以餞, 0954
文明12  1480  島隠漁唱 雪舟等楊筆琴高列子図に関する記事。 総管府隈部閣下。前年之冬賜書曰。有客贈雲谷老禅所画琴高列子二墨人者。願得一詩而書其側。予素不能詩。況仙家者之流。怪跡異状。寔非以浅智可贅論者。是以拒之辞之。近亦寄詩。以見督焉。厳命之下。未遑寧処。蓋東遊之期在近矣。若有刻楮而成者。自持去而親受閣下刪潤耳。於是先次来詩韻。聊述其意。恕之下亦幸哉。 0955
文明12  148001A23  尋尊大僧正記 昨冬二十四日、東福寺塔、塔頭、焼失。 旧冬廿四日東福寺塔一基・塔中[頭]二所焼失了 0956
文明12  148003A05  御湯殿上日記 法然御影に関する記事。 ほうねん御ゑい[影]。きう院の御ふくにてへうほうゑなをしたるよし申さるゝ。新宰相中将よりまいりて御おかみあり。 0957
文明12  148003A15  御湯殿上日記 あんせん寺からこほう大しの絵が来る。 あんせん寺よりこほう大しの御ゑけさんに入らるゝ。 0958
文明12  148005A27  御湯殿上日記 しゃうれん院かせあしひきのゑが来る。。 しやうれん院よりあしひきのゑけさむ入らるゝ。 0959
文明12  148007A11  尋尊大僧正記 大安寺の墓に参詣。金堂内陣の厨子は修復した。 大安寺之墓ニ参詣、金堂内陣写[厨]子以下修複[復]見事也、 0960
文明12  148008A02  御湯殿上日記 絵解きが西向きの庭で語る。 ゑときにしむきの御庭にてかたらせらるゝ。 0961
文明12  148008A03  御湯殿上日記 絵解き、女房達に語る。 ゑときにけふは女はうたち申さたなり。 0962
文明12  148008A03  十輪院内府記 絵解きを見る。 見絵解, 0963
文明12  148008A03  実隆公記 禁裏にて絵解きが有るため参上。 今日於禁裏有絵解云々、内々可参[上]由雖有仰故障之間不参、 0964
文明12  148010A12  御湯殿上日記 あんせん寺、ちそうの御ゑを返却。 あんせん寺殿ちそうの御ゑ返まいる 0965
文明12  148010A20  尋尊大僧正記 随心院殿から書状到来。公方、山荘を造立。 随心院殿より書状到来、…公方為御山荘可被立之云々、嵯峨・岩蔵以下御見知、 0966
文明12  148011A19  大乗院日記目録 十三重塔等炎上。 今夜丑剋十三重塔以下炎上、 0967
文明12  148011A20  尋尊大僧正記 四恩院炎上。本尊、仏舎利は取り出す。 夜前丑剋四恩院悉以払地焼失了、土民所為也、…於本尊者仏舍利以下悉以奉取出了、但其内舍利殿一粉[紛]失、糺明最中云々、遣人令見之処、誠以悉焼了、所残分社一宇・倉一宇・辰巳坊如形相残、其余ハ一切不残之云々、 0968
文明12  148011A22  興福寺略年代記 興福寺十三重塔、院中、炎上。 十一月廿ニ「十九イ」日興福寺十三重塔并院中悉焼。馬借沙汰。 0969
文明13  1481  万里集九作品拾遺 雪舟等楊筆「金山図」に万里集九賛を寄せる。 雪舟為余作金山図并叙/雪舟翁、…辛丑之秋、解后于東濃之霊薬精舎、為余展南紙、作淳玉之図、 0970
文明13  1481  梅花無尽蔵 雲上人、雪舟筆東濃霊薬山を目撃する。 安芸之友雲上人、辛丑秋、目撃東濃霊薬山、儒鳥賛語、盖天童板首雪舟老人所描也、 0971
文明13  1481  春浦録 宗湛庵主下火。 翁宗湛庵主下火/不離当処、常自湛然、出生入死、何渉変、/伴惟某、妙画冠千古、全機蓋九、山川遠勢、曰郭煕拱手、雲水飛動独許摩詰交肩、加之勘破庵主挙頭之旨、恭徹先師向上之禅、権実兼備、大用現前、鉄壁銀山百千億却、電光石火六十九年、此是平生三昧即今津送行李一句作麼生道−花謝鳥啼時節子、一堆火裡酌清泉、 0972
文明13  1481  補庵京華続集 、翁宗湛上座の下炬。 預修天翁宗湛上坐@炬〈菴号自得〉/… 0973
文明13  148101A04  尋尊大僧正記 去年十一月十九日、十三重塔炎上。 件十三重塔ハ、…去年十一月十九日夜為土民所為、院内悉以焼失了、 0974
文明13  148103A28  宣胤卿記 鞍馬寺本堂供養。 今日鞍馬寺本堂供養也、 0975
文明13  148103A28  長興宿祢記 鞍馬寺御堂、造立供養。 今日、鞍馬寺御堂、造立供養也、…去長禄二年二月三日、炎上以後、以十方檀那造立、 0976
文明13  148103A28  実隆公記 鞍馬寺堂供養。 今日鞍馬寺堂供養、 0977
文明13  148104A02  宣胤卿記 一条兼良没。八十歳。 禅閤不例事同前、…御歳八十也、…次右衛門督来云、禅閤只今御事切云々、〈酉刻始也〉、 0978
文明13  148104A02  大乗院日記目録 一条兼良没。八十歳。九日東福寺にて葬送。 後成恩寺殿薨、〈八十〉、九日御送葬送、於東福寺也、 0979
文明13  148104A02  実隆公記 一条兼良没に関する記事。 仰[一条]禅閤今夜薨去給云々、此七八日不例、痰喇等相痛、老体〈満八十〉之間諸人雖思儲殊愁傷不浅、一朝之悲嘆併在之者乎、不堪勒筆端矣、 0980
文明13  148104A02  十輪院内府日記 一条兼良没。八十歳。 後聞、禅合[閤]此日薨逝、満八十、雖老年御事、日本無双之才人也、已失日月之明 0981
文明13  148104A03  親長卿記 一条兼良没。八十歳。 一条禅閤、〈俗名兼良公、〉去夕薨給云々、御歳八十歳云々、 0982
文明13  148106A05  長興宿祢記 祇園社立柱 今日祇園社立柱云々、 0983
文明13  148106A05  如是院年代記 祇園釿始 祇園釿始。 0984
文明13  148106A05  宣胤卿記 祇園社立柱。 今日祇園社立柱云々、 0985
文明13  148107A08  大乗院日記目録 十三重鐘を鋳造。 十三重鐘鋳也、 0986
文明13  148107A08  尋尊大僧正記 四恩院鐘を鋳造。 四恩院鐘鋳之、 0987
文明13  148108A28  御湯殿上日記 絵解きあり。 ゑときあり。 0988
文明13  148110A29  尋尊大僧正記 絵書平左衛門に絵事を命ずる。 絵書平左衛門参申、絵事仰付之、 0989
文明13  148111A01  尋尊大僧正記 平左衛門筆持仏堂に蓮を描く。 平左衛門画書之、持仏堂蓮ニ間計書之、 0990
文明13  148111A06  尋尊大僧正記 平左衛門、襖絵を描く。 平さ衛門来、至日中炬所分書立之、日中以後より北六間〈庇〉書之、 0991
文明13  148111A07  親元日記 二日、御所に金絵一巻以外、五巻を飯尾次郎左衛門方へ渡す。 去二日 御方御所様へまいる絵細兵部へ被返遣之六巻内金絵〈半切〉一巻被召置て相残五巻出〈昨夕〉飯尾次郎左衛門方へ渡遣之〈使渕田〉 0992
文明13  148111A12  尋尊大僧正記 平左衛門、書き上げる。 平さ衛門来、今日書上了、 0993
文明13  148111A15  尋尊大僧正記 平左衛門、東林院部屋の絵を描く。 平さ衛門来、東林院部屋画書之、 0994
文明13  148111A21  親元日記 一休和尚没。八十八歳。 一休和尚〈八十八歳〉於城州薪涅槃 0995
文明13  148111A21  東海一休和尚年譜 一休和尚没。十一月七日から病気。 十三年辛丑。…十一月七日疾病焉。…二十一日卯時。泊然如寐坐逝。 0996
文明13  148111A21  龍宝山誌 一休和尚没。八十八歳。 真珠菴…一休和尚 嗣華叟文明十三年十一月一日寂八十八 0997
文明13  148112A13  尋尊大僧正記 平左衛門、部屋絵も書き終わる。四十日程。 平さ衛門今日部屋絵共書立之畢、去月朔日より参申、四十余个日也、 0998
文明14  148202A04  大乗院日記目録 准后御隠居の在所、浄土寺殿、事始。 准后御隠居之在所浄土寺殿事初云々、 0999
文明14  148202A08  後法興院記 四日、武家浄土寺山山荘、事始。 [自カ]去四日武家浄土寺山々荘事始云々、 1000
文明14  148202A11  尋尊大僧正記 三日、四日、岩倉准后御所、浄土寺殿事始。 今月三日…同四日岩倉准后御所被立浄土寺殿事始也、 1001
文明14  148204A01〜17  十輪院内府日記 本覚大師御影を土佐将監写す。 本覚[益信]大師御影、真光院[守鑁]諸方猶被相尋候之処、自或方被尋出候、返々目出度候、仍被仰絵師、先可被写帋形候ハん、土佐将監[光信]得其名候物候、可有御談合候哉、 1002
文明14  148204A18  大乗院日記目録 横川中堂焼失。 横川中堂焼失、 1003
文明14  148204A19  親長卿記 昨日横川中堂勧請。 或人云、昨日横河中堂炎上、 1004
文明14  148204A29  大乗院日記目録 天川塔供養。 天川塔供養、 1005
文明14  148205A01  尋尊大僧正記 先月十八日、山根本中堂炎上。 去月十八日山根本中堂焼了、 1006
文明14  148205A01  尋尊大僧正記 去二十九日に天川塔供養。 天川之塔供養去廿九日、 1007
文明14  148205A09  御湯殿上日記 六角堂縁起が来る。 六かくたうのゑんきかち井殿よりまいる。 1008
文明14  148207U05  御湯殿上日記 侍従中納言、諏訪縁起を持ち来る。御覧。 侍従中納言すは[諏訪]のゑんきもちてしこうにて御らんせらるゝ。 1009
文明14  148207U18  如是院年代記 清水寺釿始。 清水寺釿始。 1010
文明14  148208A18  長興宿袮記 東山清水寺、造立事始。 今日東山清水寺造立事始也、 1011
文明14  148208A22  長興宿袮記 清水寺本堂、立柱上棟。 今日清水寺本堂、立柱上棟也、 1012
文明14  148209A13  親長卿記 清水寺造営の勅許が出る。 願阿申清水寺造営神妙之由、可被下勅裁之由奏聞、勅許、 1013
文明15  1483  雪舟筆山寺図模本・希世霊彦賛 雪舟等楊筆山寺図に希世霊彦、賛を寄せる。 右題揚知賓所画山寺図/村庵霊彦時年八十有一 1014
文明15  148301A28  大乗院日記目録 信貴山本堂集室。応永二年に炎上、未だ供養せず。 夜信貴山本堂焼失了、応永二年炎上、未延供養、 1015
文明15  148301A29  尋尊大僧正記 信貴山炎上。 今朝信貴山炎上云々、可尋戴、沙門堂并平坊共炎了云々、 1016
文明15  148306A27  御湯殿上日記 室町殿、東山へ渡る。 むろまち殿ひむかし山へ御わたしましのよしきこゆる。 1017
文明15  148306A27  親元日記 東山殿移徒。 東山殿御移徒〈戌時〉 1018
文明15  148306A27  後法興院記 武家東山山荘、移徒。 是日武家東山御山荘御移徒也、戌刻云々、 1019
文明15  148306A27  親長卿記 室町殿東山山床に移徒東山殿と号する。 今日室町殿移徒東山御山庄、即被号東山殿云々、〈自去年造営、如形周備〉 1020
文明15  148306A27  尋尊大僧正記 准后、浄土寺御所に移住。 准后今夜浄土寺御所ニ御移住、 1021
文明15  148306A27  大乗院日記目録 浄土寺に移住。東山殿と号す。大納言との室町殿と号する。 浄土寺貪御移住、号東山殿、大納言殿号室町殿、 1022
文明15  148306A27  補庵京華別集 足利義政、東山の新邸に移る。芸阿弥筆瀟湘八景障子あり。 洞庭秋月/…文明十五年癸卯六月廿七日、/准三宮大相公[足利義政]、初移東山新第[府]、…其殿中也、命芸阿[狩野大井助]、画瀟湘八景於障子、命吾徒能詩者、各賦一詩、張於其上、予百拙僧、最拙于詩、隨諸老之後、賦八景之詩、哉、而公命不可、書以献上、実七月十七日也、予備第五番編次、得洞庭秋月之題云、景三志、 1023
文明15  148306A27  大乗院日記目録 立柱上棟。正遷宮。 予守立柱上棟〈卯剋〉、正遷宮〈亥刻〉、 1024
文明15  148308A09  実隆公記 青蓮院新写の因幡堂縁起詞、進上。 因幡堂縁起詞〈青蓮院新写〉、可校合進上之由勅定之間、令校之返上了、 1025
文明15  148308A21  実隆公記 僧三十六人歌口書、絵、進上。 自柳営所被進置之絵、僧三十六人哥書、小序露其和哥之心於後素者也[貞和年中作之由作者不]件銘如何体可被書哉之由勅定間、予申入可被号緇林言葉絵哉云々、尤可然之由有勅定、則被染親王御方御筆了、 1026
文明15  148309A05  実隆公記 清少納言枕口小絵三巻、御前にて読む。墨絵。 入夜清少納言枕小絵〈三巻〉、於御前読詞、墨絵古人筆跡殊妙物也、 1027
文明15  148309A27  実隆公記 枕草子絵三巻、銘を書す 枕草子絵三巻依仰書銘、則推之、 1028
文明15  148311A24  実隆公記 真助法印筆、詞は弾正尹忠房親王筆、左良志奈日記絵拝見。 左良志奈日記絵〈墨絵、真助法印[妻]筆、詞弾正尹忠房親王筆〉拝見 1029
文明16  1484  常徳院殿御集 狩野正信作、足利義尚夢想の後京極良経の肖像に関する記事。 廿八日臨時会藤為松花/…右歌者。旧冬対後京極殿読和歌之時。摂政殿語云。春日山都能南志賀曾懐北濃藤浪葉流耳案辺登輪。是随分思給云々。奇特夢想也。然仰中納言入道彼御像令書写。〈狩野大炊入道〉色紙形之歌〈大納言入道〉書之畢。則於影前披講。 1030
文明16  148403A22  実隆公記 後京極良経の肖像の表装が遅れたため延期されていた歌会がある。 室町殿夢想御会可為今日之由、兼日雖有沙汰、後京極新図之処、表背絵不出来之間延引云々、 1031
文明16  148403A28  親長卿記 狩野正信作、足利義尚夢想の後京極良経の肖像に関する記事。 申剋予参室町殿、依御会也、〈去比(二月)御夢中、後京極摂政対談和歌事、…仍御努覚、就此事、今度被新図後京極摂政影像、(烏帽子直衣、)可有和歌御会之由被仰出、〉 1032
文明16  148405A15  蔗軒日録 季弘大叔、由為居士筆の鍾馗像をみる。 由為[]、讖喝老父、為予写鍾馗像、勢雄力、見而 1033
文明16  148405A24  蔗軒日録 雪舟筆、三皇(教)図の記事。 居士至、自写三皇像[雲谷所画也、(雲谷ハ雪舟等楊)]、太迫其真、妙哉、求予之賛語於其上、語乃村庵[希世霊彦]所製也、 1034
文明16  148406A08  蔗軒日録 季弘大叔、由為描く三教合面図に題を付す。 題由為[]所画三教合面云、 1035
文明16  148406A27  御湯殿上日記 新造の清水寺本堂へ本尊遷座。 きよ水*[新造カ]たうへ御うつりとて、ちよくしに頭弁さんかう。するするとあり。 1036
文明16  148406A27  親長卿記 新造の清水寺本堂へ本尊遷座。 今日清水寺遷座也、 1037
文明16  148406A27  大乗院日記目録 清水寺本堂へ本尊を奉入。 清水寺本尊奉入本堂、 1038
文明16  148406A27  如是院年代記 清水寺本堂へ観音奉入。 清水観音遷座于本堂。 1039
文明16  148406A28  尋尊大僧正記 清水寺本堂へ本尊奉入の記事。 昨日清水寺本尊奉入于本堂之内云々、 1040
文明16  148408A02  御湯殿上日記 宮中に絵解きが来る。 ゑときまいりてとかせらるゝ。 1041
文明16  148408A02  十輪院内府日記 宮中に絵解きが来る。 画解参入。 1042
文明16  148408A11  尋尊大僧正記 明恵上人自筆、自賛の栂尾御影奉入。 栂尾御影奉入厨子新造之了、明恵上人自筆、讃同自筆也、 1043
文明16  148409A29  蔗軒日録 由為、弘宗雲章像を描く。 由為居士写弘宗雲章禾上像而至、 1044
文明16  148411A05  実隆公記 天皇の命で一路遁世由来物語、滋野井物語が制作される。 当番之間晩頭参内、一路遁世由来之物語被図之、詞可書*[進上之由]一昨日被仰下之間、今日以滋野井物語之、大概草之持参、於御前清書読之、 1045
文明16  148411A08  実隆公記 実隆、宮中でいはねの松という絵をみる。 いはねの松と云絵於御前一見、 1046
文明16  148411A10  実隆公記 実隆、みしま江の制作を命じられる。 依当番参内、みしま江と云絵詞可書進上之由也、畏奉之由申入了、 1047
文明16  148411A14  蔭涼軒日録 狩野正信に東福寺の九条道家像を貸し出す。 自西府東福寺檀越光明峯寺殿尊像遣狩野助。可被写之。然者常楽庵江自予方相副一僧於狩野助。可遣之命有之。以二階堂被仰出。 1048
文明16  148411A15  蔭涼軒日録 狩野正信、九条道家像を写して返却。 相副柏蔵主於狩野助遣常楽庵。彼尊像二幅。柏蔵主持之来。乃奉献西府。御一覧後被返之。狩野助借之以写之。 1049
文明16  148412A09  御湯殿上日記 延暦寺?所蔵の葦引絵をみる。 山よりあしひきのゑ[絵]けさんにいるゝ。 1050
文明17  148501A03  尋尊大僧正記 鞍馬沙門図の記事。 鞍馬沙門図絵事、可仰付大輔之由仰専親了、 1051
文明17  148501A17  実隆公記 実隆、源夢発心絵を清書する事を命じられる。 [詞]〈源夢発心絵号夜嵐〉可清書進上之由被仰下之、畏之由言上了、 1052
文明17  148501A24  尋尊大僧正記 鞍馬沙門図完成。 沙門図絵出来、近比見事也、 1053
文明17  148501A26  実隆公記 実隆、源夢発心絵の清書を進上する。 今日源夢絵詞〈昨日終書功〉令進上禁裏了、 1054
文明17  148503A02  真如堂縁起 真如堂の本堂立柱。 同十七年三月二日本堂立柱畢。 1055
文明17  148503A16  御湯殿上日記 宮中で扇合わせ開催。 御あふきあはせあり。 1056
文明17  148503A16  親長卿記 宮中で扇合わせ開催。 今日於内裏有扇合。 1057
文明17  148504A10  蔭涼軒日録 義政、西指庵に移る。 是日未刻西指庵。 御移徒。 1058
文明17  148504A10  大乗院日記目録 興福寺十三重塔立柱。 十三重塔立柱、 1059
文明17  148504A11  興福寺略年代記 興福寺十三重塔立柱。 四月十一日興福寺十三重塔立。 1060
文明17  148507A02  蔭涼軒日録 肥後国清源寺が諸山の認定を希望してくる?。 肥後国高瀬山清源寺。可為甲刹列之望有之。 1061
文明17  148507A05  蔭涼軒日録 義政より清源寺甲刹の許可証を受け取る。 清源寺甲刹事。自鹿苑院賜一行。侍衣持来。 1062
文明17  148509A06  蔗軒日録 由為筆、大士蓮舟像の記事。 晩由為[]居士至、写大士蓮舟之像以付之可信可珎焉、 1063
文明17  148509A20  尋尊大僧正記 興福寺?舍利殿扉絵の記事。絵師は 絵所大輔。 舍利殿戸平二枚遣絵所大輔公方、〈法相方、〉 1064
文明17  148509A24  蔗軒日録 能阿弥、蓮葉布袋図を描く。 題蓮葉布袋、能阿[真能]作之、賛南江[宗玩]、 1065
文明17  148509A30  尋尊大僧正記 絵師平さ衛門没の記事。 絵書之平さ衛門去廿五日入滅云々、 1066
文明17  148510A09  尋尊大僧正記 舍利殿に真言八祖、十大論師を描く。 舍利殿之八祖十大論師絵所〈大輔公〉、書立之、神妙、 1067
文明17  148510A11  尋尊大僧正記 舍利殿扉に十王図描かれる。 舍利殿戸平〈十王方〉遣絵所了、 1068
文明17  148510A25  尋尊大僧正記 舍利殿扉絵十王図完成。 舍利殿十王出来、 1069
文明17  148510A29  蔭涼軒日録 狩野正信と西指庵書院の絵を馬遠様にすべきかどうか相談。 召鹿埜助以 台命談絵事。鹿埜助曰。馬遠様可歟。雖然西指庵御書院埜画様馬遠也。 1070
文明17  148510A29  蔭涼軒日録 狩野正信に??十大弟子?一人描けたら義政にみせるようにとの命。 仍有 台命曰。召鹿埜助於私第。先令図一人可供台覧。 1071
文明17  148511A02  蔭涼軒日録 相阿弥は父の喪中。 相公曰。相阿在父喪。 1072
文明17  148511A03  蔭涼軒日録 芸阿弥没の記事。 又往芸阿宅弔芸阿逝去。健蔵主同相阿以面弔之。 1073
文明17  148511A12  尋尊大僧正記 舍利殿の真言八祖像完成。 舍利講真言八祖之影絵所出来之、又一方[十六善神カ]遣之、 1074
文明18  148602A13  蔗軒日録 讚州大守細川成之が描いた山水画についての記事。 首座手道空居士[細川成之]所作之山水画一幅而至、要予題其上、道空者讃州大守也、 1075
文明18  148602A16  蔭涼軒日録 等持院?客殿の本尊は月潭筆の観音、脇は周文筆の松。 遂往等持…客殿本尊観音月潭筆。脇松文都管筆。 1076
文明18  148602A27  尋尊大僧正記 絵所法眼口宣給之、〈長宥、宗宥、〉 1077
文明18  148603A12  蔗軒日録 季弘大叔、雪舟筆蔗庵像をみる。 今旦池永新兵衛入道、通京師覚[競]秀軒之状、附以雲谷[雪舟等楊]所図軸一幅・同保寿之書状一通、披而視之、蔗庵画得精妙、可喜々々。 1078
文明18  148603A14  蔗軒日録 雪舟とその弟子等悦の作品についての記事。 金子西手其唐人所画之自像而至、張応麒作賛、画工者王氏之人也、予出雪舟所作之蔗庵軸而示之、…寧波府南門金家有日本等揚[楊]所画三咲図・商山四皓図、壁之左右掛之、…揚[楊]之弟子等悦[雲峰]ト云者之画、在唐裡、人皆美之云、賛云、…時丙午三月十四、竹谷道人大叔敬賛、 1079
文明18  148603A24  蔭涼軒日録 狩野正信が描いた十僧図を義政がみる。 十僧図十枚。猟野助持参。愚供 台覧。有御感也。 1080
文明18  148605A19  実隆公記 実隆、宮中で細川家所蔵の平家扇流図屏風をみる。 欲退出之処細川屏風〈平家絵扇流〉可一見之由被仰之、 1081
文明18  148605A29  蔗軒日録 岳翁蔵丘筆の杏林及び江山図をみる。 銷翁至、観杏林及江山画軸、々乃蔵丘[岳翁]所作 文[天章周文]弟子云、 1082
文明18  148607A08  蔗軒日録 由為、李龍眠筆の陶淵明図を写す。 由為[]至云、写[李]龍眠所画之閏図[陶淵カ]明像、付人求賛張仲暘、々々揩[楷]孫也、 1083
文明18  148608A06  蔗軒日録 季弘大叔、雪舟弟子が描いた扇子に賛を付す。 忍上人所持之扇子、雲谷[雪舟等楊]弟子所画、予題五言曰、… 1084
文明18  148608A15  小浜長源寺蔵位牌 丹没。 丹 文明十八年八月十五日 1085
文明18  148608A22  蔗軒日録 季弘大叔、由為が描いた羅漢図をみる。 由為[]居士、為長讖写第十三[五]阿私[氏]多尊者像、持而至、精妙也、 1086
文明18  148608A24  親長卿記 土一揆の記事。 土一揆出張、 1087
文明18  148608A24  十輪院内府日記 星光縁起絵巻の記事。 自[林小路]基綱卿許、送星光寺〈ヤ子フキ〉縁記[起]、 1088
文明18  148609A10  親長卿記 土一揆は龍頭寺に始まる?との記事。 伝聞、土一揆出頭篭東寺云々、 1089
文明18  148609A13  実隆公記 東寺で火事。 午後有火事、東寺云々、 1090
文明18  148609A13  親長卿記 細川氏の軍によって 土一揆鎮圧される。 今日被払土一揆、細川軍勢相向、仍聞其気勢放火寺中、仍自寺家追出一揆、少々打取云々、寺家焼亡、大師已来仏在所忽成亡所、…鎮守八幡同焼失云々、 1091
文明18  148609A13  十輪院内府日記 東寺で火事。 当巽方有火、東寺本堂・廻廊・南大門・鎮守八幡等一時之内成灰[燼]了、 1092
文明18  148609A13  大乗院日記目録 東寺で火事。 昼東寺悉以炎上了、塔相残、…金堂并廻廊・中門・南大門・八幡社・鐘楼・経蔵・講堂分也、五重塔・頂堂・食堂以下相残、本尊悉焼了、五大尊計取出、八幡神体同、 1093
文明18  148609A13  如是院年代記 東寺で火事。徳政一揆による。 東寺炎上。徳政一揆自火自滅。 1094
文明18  148609A14  ? 東寺で火事。 京都馬借以外也、東寺ニ相篭責之間東寺炎上、昨日日中より事也、五重大塔計相残、南大門同焼失了、 1095
文明18  148609A14  蔗軒日録 季弘大叔、由為が描いた文殊竹杖図をみる。 由為[]居士手其所写之文殊竹杖像、付与于長讖、精妙也、 1096
文明18  148609A17  蔗軒日録 東寺で火事の記事。 大仙至、告曰、三五日以前、京師東寺回禄之災矣、…終日戦、堂宇作焦土、大塔・食堂不燼、 1097
文明18  148610A18  蔗軒日録 由為が馬遠筆の原画を小栗宗湛が写した南泉斬猫図をさらに写す。 由為[]写南泉[普願]斬猫児之像、馬[遠カ]之所画、[小栗]宗坦[丹]写之、今由為[]三写、予以為、此等可模写焉歟、 1098
文明18  148610A25  実隆公記 伏見寺般若三昧院上棟。 仰今日伏見寺御寺〈般舟三昧院〉、上棟云々、 1099
文明18  148611A06  蔭涼軒日録 狩野正信が亀泉集証の紙形を描く。 狩野大炊助来斎之。仍写愚陋質。先也所写太不相似。故又写之者十五六枚。遂不相似。及后帰矣。 1100
文明18  148612A10  大乗院日記目録 伊勢神宮外宮焼失。 大神宮下宮悉以炎上、人多以自害了、 1101
文明18  148612A13  実隆公記 表紙は以量朝臣の絵、裏紙は宸筆の法華経絵の記事。。 自禁裏小軸法花経被返、表紙以量朝臣施画図、裏紙被染宸筆、 1102
長享1  1487  如是院年代記 伊勢神宮外宮で火事。 伊勢外宮回禄。 1103
文明19  148701A  大乗院日記目録 伊勢神宮外宮焼失の記事。 去月十日、伊勢外宮悉以焼失、山田土民打死、 1104
文明19  148701A02  親長卿記 出雲大社で火事の記事。 或人云、出雲大社去年九月二日焼失云々、 1105
文明19  148701A02  親長卿記 伊勢神宮外宮焼失。 今日聞、伊勢外宮正殿焼失云々、子細可尋、 1106
文明19  148701A04  蔭涼軒日録 伊勢粟田で火事の記事。 坂東来云。伊勢粟田地下人。与国司衆有軍旅事。…粟田宿不遣一宇為焦土。自去月廿日至廿ニ日三日焼了云々。 1107
長享1  148702A15  尋尊大僧正記 元興寺の塔の一部が崩落する。 昨日元興寺塔二重目辰巳角崩落了、 1108
長享1  148702A15  大乗院日記目録 元興寺の塔の一部が崩落する。 今日元興寺塔二重目ノ辰巳角崩落、三月初加修理如元、 1109
長享1  148702A15  蔭涼軒日録 狩野正信筆の涅槃像を東求堂に掛ける。 東求堂新涅槃像。自十三日見掛野。…狩野大炊助筆之。 1110
長享1  148703A17  尋尊大僧正記 元興寺の塔の一部が崩落した記事。 元興寺塔二重目之辰巳角、去月崩落、近日古市申付云々、番匠勧進之加修理、 1111
長享1  148705A01  実隆公記 実隆、一遍絵をみる。 江南院来、一遍絵見之、 1112
長享1  148706A03  尋尊大僧正記 芸絵巻?についての記事。 柚留木民部卿公憲芸巻絵[絵巻]催促之、既以進上之由仰了、 1113
長享1  148707A08  蔭涼軒日録 狩野正信、将軍家位牌に金泥を施す。 御水向御位牌。先三ヶ剔出。乃為入泥。狩野助方江以昌子遣之。 1114
長享1  148707A12  蔭涼軒日録 狩野正信が、位牌に金泥を入れて持参する。 晩来自狩野大炊助宅。御位牌ハ箇入金泥以贈之。 1115
長享1  148707A13  蔭涼軒日録 将軍家の位牌八個を鹿苑院へ戻す。 御先祖御位牌八ヶ。以琳公供 台覧。皆契 台慮。…御位牌以能倫直遣鹿苑院。 1116
長享1  148708A11  蔭涼軒日録 季弘大叔没。 叔季弘今月七日遷化可怜。六十六歳。 1117
長享1  148709A10  尋尊大僧正記 長谷寺縁起絵巻三巻が室町殿より返却される。 長谷寺縁起絵三巻自室町殿被返下之 1118
長享1  148709A25  長享年後畿内兵乱記 東寺で火事。 同廿五日東寺火。 1119
長享1  148709A27  親長卿記 昨夏新調の霊山国阿上人縁起絵を進上する。 霊山国阿上人縁起絵〈去夏比新調、旧/本紛失云々、〉可有叡覧、可申遣了、即到来、〈十一巻、納筥、〉進上御御書了、 1120
長享1  148710A24  尋尊大僧正記 絵師法眼に赤童子図の制作を命じる。 赤童子図絵事、仰付絵師助法眼了、 1121
長享1  148711A02  後法興院記 東山殿会所へ移る日程の通知がくる。 自勧修寺亜相許示送云、来四日東山殿御会所御移徒也、六日可有御礼云々、 1122
長享1  148711A02  蔭涼軒日録 東山殿会所へ移る日程の通知がくる。 会所御移徒。六日之御礼有之者。禅家御相伴衆亦可参也。 1123
長享1  148711A03  十輪院内府記 東山殿会所へ移る日程の通知がくる。 人於伝奏[勧修寺教秀]明日東山殿御移徒也、可参賀云々、 1124
長享1  148711A04  御湯殿上日記 東山殿の会所へ義政が移ったお礼の使者がくる。 ひんかし山との御くわい所の御わたましの御れいに。しろ殿たちてんそう御つかひにてまいる。 1125
長享1  148711A04  尋尊大僧正記 東山殿会所新造の記事。 自難波方注進状共到来、東山殿新造御会所御屋渡云々、御礼共在之云々、 1126
長享1  148711A19  実隆公記 春日社正遷宮。 *正宮云々、 1127
長享1  148711A19  親長卿記 春日社正遷宮。 今日春日社正遷宮云々、 1128
長享1  148711A19  尋尊大僧正記 春日社正遷宮。 今夜上遷宮、勅使南曹左大弁光忠、毎事無為珍重々々、若宮殿ハ後夜時分奉遷之、小社共其後遷之云々、 1129
長享1  148712A23  尋尊大僧正記 天川弁才天図の制作を松南院大輔に命じる 天川弁才天図絵事、仰付松南院大輔公、代二貫文云々、十五童子等有之、 1130
長享2  148801A27  尋尊大僧正記 東北院で西薗寺之験記絵巻を拝見する。 昨日内々東北院ニ申、西薗寺之験記絵二十巻拝見申云々、 1131
長享2  148802A02  尋尊大僧正記 天川弁才天図完成。 天川弁才天図絵之今日出来、小南院大輔公筆也、 1132
長享2  148803A11  蔭涼軒日録 西芳寺に以前あった周文筆鯉間と無等周位筆の鯉図四幅について。 茶話云。昔於西芳寺有鯉間。文都官壁画鯉也。又伊侍者所筆鯉四幅在之。乱中失卻。近日彼鯉両幅自出羽国到来。 1133
長享2  148805A08  蔭涼軒日録 相阿弥と狩野正信が牧谿の観音図をはじめ中国画の表装?について相談する。 心月西堂。相阿。狩野大炊助斎之。…大唐御誂者之事相議。金襴画様五色。皆桐紋。獅子之紋亦有之。牧溪墨観音。此脇四幅見求之。月溪官女画。二幅之本尊見求之。牧溪赤二幅之本尊見求之。 1134
長享2  148805A11  蔭涼軒日録 狩野正信に土地祖師と亀泉集証私物の一山一寧の碑?に金泥を施すことを依頼する。 斎前弥次郎土地祖師之御位牌剔了持之来。愚一見而命之。改字之点画。午後出来。以昌子贈狩野大炊助宅命泥之事。又一山国師書之剔之。又贈助宅云。此是愚私物也。入泥給之為幸。 1135
長享2  148805A18  御湯殿上日記 土佐広周、地藏を描く。 女ゐんの御方の御たけうつされてをかれしに、地さと[う]をとう[さカ]のたむしやう[土佐広周]にかゝせらるゝ。 1136
長享2  148806A17  御湯殿上日記 土佐広周筆の地藏図完成。 女ゐんの御かたの御たけうつしおかれしにての御ちさういてきて、あすの御きやうくようの御たうし[法輪院公範]にくやうさせらるゝ、 1137
長享2  148806A26  蔭涼軒日録 希世霊彦没。 四鼓刻彦希聖遷化。 1138
長享2  148806A26  鹿苑日録 希世霊彦没。 長享貳年戊申六月廿六日。聴松庵希世彦和尚入滅。〈八十六歳。〉 1139
長享2  148807A05  尋尊大僧正記 絵所助法眼筆の赤童子図完成。 絵所助法眼赤童子絵図仰付之、今日書出、代百疋、 1140
長享2  148808A10  尋尊大僧正記 玄奘三藏絵巻を叡覧のため京都に運ぶ。 玄奘三藏絵京上、…自禁裏被仰出之、勅書在之、 1141
長享2  148808A13  実隆公記 高階隆兼筆の玄奘三藏絵巻を叡覧。 玄奘三藏三蔵絵〈隆兼筆、南都大乗院絵、/…都合十二巻在之、〉可令拝見之由勅定、詞読申之、 1142
長享2  148808A15  御湯殿上日記 玄奘三藏絵巻を叡覧。 けんさうのゑかくしつかはさるゝ。 1143
長享2  148808A16  御湯殿上日記 聖徳太子像叡覧。 あんせん寺殿よりたいしの御ゑまいる。 1144
長享2  148808A20  尋尊大僧正記 玄奘三藏絵巻が返却される。 去十日依召進上玄奘三藏絵今日被返下了、 1145
長享2  148809A03  実隆公記 実隆、延朗上人絵を朗読する。 入夜依召参御前、延朗上人絵〈六巻、但三巻乱裏紛失、今只三巻也、一三六也、〉読申之、 1146
長享2  148809A16  親長卿記 宮中に賢聖障子をたてること。 早旦行事官氏興来、賢聖障子今日可立申、仍申勧修寺大納言処、就明日節会之儀有取乱事、…予令参仕可見計之由被申云々、仍着直衣参内、兼*障子押入許也、通障子沙汰終之後退出、 1147
長享2  148810A08  尋尊大僧正記 龍花院の瓦を葺くために西方院の鎚を使う。 龍花院門上葺き瓦用西方院山土所望云々、此間停止也、雖然許可了、但瓦ニハよくも無之由仰遣之、 1148
長享2  148812A15  実隆公記 土佐光信、日野富子注文の盃の図柄について実隆に相談する。 海阿来、対面之処、来十九日御台御方渡御江州御陣、御盃台被仰付之処、画師申趣不叶上意、所詮土佐将監令同道於予所、可然之様申談可沙汰進上之由仰也云々、…将又土佐将監以折帋同御盃台事有相談子細、 1149
長享2  148812A28  尋尊大僧正記 大輔に吉野曼陀羅の制作を命じる。 大輔吉野万タラ事仰付之、 1150
延徳1  1489  般舟三昧院記 土佐光信筆、後土御門天皇の寿像の記事。 伏見般舟三昧院は後土御門院御草創なり。…然則後土御門院継体の君として位をつぎ給へり。…御齢四十八の年。鸞鏡にむかはせ給ひて御手づから龍顔を模写せられ。画所預光信に仰られて尊形をうつさしめ。御製の和歌一篇を題せられ。この院にのこされけり。 1151
延徳1  148902A21  耕作養蚕図巻模本奧書 相阿弥、梁楷筆の耕作養蚕図を写したことを記す奧書。 此畊織両巻以梁楷正筆 絵具筆無相違写物也家中不出可秘々々/延徳元年二月一日 鑑岳真相 1152
延徳1  148902A28  尋尊大僧正記 吉野曼陀羅完成。 吉野万ラ図絵出来、小南院大輔筆也、 1153
延徳1  148904A08  蔭涼軒日録 狩野正信、?像を持参する。 晩来狩野大炊助持御影来。愚云。明日入輿可度等持云々。 1154
延徳1  148905A04  蔭涼軒日録 狩野正信が足利義尚の出陣姿の下絵を持参する。赤松政則の発注。 狩野大炊助持常徳院殿御出陣之像下絵来。…約政則公之所請画像之事。今月中可出来云々。 1155
延徳1  148905A06  御湯殿上日記 十三部の懸絵叡覧。 二そん院より十三部のかけゑ[十くわん]まいりて御おかみあり。 1156
延徳1  148905A07  実隆公記 実隆、宮中にて土佐行光筆の十王図をみる。 於黒戸十王図拝見、〈十補(鋪)、懸絵也、〉筆跡殊勝〈春日絵所行光、百四五十年以前者云々〉驚目者也、 1157
延徳1  148905A28  蔭涼軒日録 狩野正信に崇寿桃源の紙形制作を命じる。 依崇寿桃源不例。可写帋形之由自景徐翁有命。乃遣昌子於狩野助宅。必可参云々。薄晩助来云。写桃源紙形。 1158
延徳1  148905A29  蔭涼軒日録 播磨国安国寺で火事のため公帖が叶わず、摂津国善住寺の入寺を望む。 永明之観清来云。先也東英首座。播之安国寺公帖事雖望之。此十日以前彼安国罹欝悠不残一宇。以故不可入寺之儀叶。摂津国善住寺公帖事。可有白沙汰宇。書立持之来。 1159
延徳1  148905A29  半陶藁 雪舟筆の四景間に関する記事。 四景間  一景一幅、楊知客筆 1160
延徳1  148907A04  蔭涼軒日録 足利義尚御影完成。 赤松所誂常徳院殿画像。自狩野助方来。 1161
延徳1  148909A09  蔭涼軒日録 夏珪様の瀑布図をみる。 月船坊上洛持軸画来恵之。蓋瀑布也。夏珪様也。画本在公方云々。 1162
延徳1  148911A12  蔭涼軒日録 越前国善応寺が諸山に列されたことに関する書状。 堀曰。此書立者重可白。先已前奉之越前善応寺諸山列事。可白之。乃披露。無子細御免之由有御返答。…状云。/善応寺諸山之事今日披露申処無子細御免之由被仰出候即其分鹿苑院江申遣候定可為御祝著候此由可得御意候恐惺敬白/十一月十二日  名判/洞春院侍衣禅師 1163
延徳1  148912A12  実隆公記 実隆、細川氏新調の源氏扇流図屏風をみる。 仰源氏扇流画屏〈細川讃岐守新調物〉、拝見、絶代之壮観、驚目者也、 1164
延徳1  148912A23  御湯殿上日記 後土御門天皇寿像、般若三昧院で供養。 御しゆそう[寿像]のくやうに。ふしみの御寺にてまんたらくあり。 1165
延徳1  148912A23  実隆公記 後土御門天皇寿像、般若三昧院で供養。 今日於城南般舟院有曼羅、…是御寿像供養云々、 1166
延徳2  1490  雪舟自画像模本賛 雪舟、自画像を秋月に与えた。 自筆写寿像、付与等観蔵主、四明天童第一座雪舟七十一歳之冬、徳力善雪模自画像 雪舟七十一歳自筆之以寿像 善雪写之、 1167
延徳2  1490  梅花無尽蔵 雪舟筆画貼付屏風の跋。 屏風雪舟揚[等楊]公所画跋/…及今延徳庚戌、凡一百三十余歳也、本邦有楊公知賓者、号雪舟、…今屏上所貼之小画、十有二片、遷[廼]雪舟東遊在岐陽之霊薬山[正弦寺]、応小蓬莱旧知之需所描、… 1168
延徳2  149001A08  御湯殿上日記 天皇夢想の毘沙門、大黒を土佐光信が描く。 御ゆめにより、ひさもん。たいこく。とさのしやうけんにおほせつけられてかゝせらるゝ。 1169
延徳2  149001A11  蔭涼軒日録 狩野元信が義政法体像の紙形を持参する。 時狩野大炊助持相公御法体之帋形七八枚来。与堀河殿見之択其似者一番置之。 1170
延徳2  149002A23  蔭涼軒日録 東府とする寺の選定をめぐる記事。 大館礼部云。東府事可為御寺。 1171
延徳2  149002A24  蔭涼軒日録 義政、法体像の画家を尋ねる。 相公問曰。…御法体御影誰取写。云。狩野助所筆也。 1172
延徳2  149002A24  蔭涼軒日録 義政の命で慈照院が東府となる。 相公曰。東府為慈照院。 1173
延徳2  149003A10  蔭涼軒日録 等持寺仏殿立柱。 今日等持寺仏殿立柱上棟也。 1174
延徳2  149003A21  実隆公記 北野社に篭もっていた一揆勢鎮圧のため北野社焼失。 仰今日諸軍勢発向、北野土一揆敗北之間、彼社壇以下悉化灰燼、〈未刻計也、〉経蔵、一夜松、両門等相遣、 1175
延徳2  149003A21  御湯殿上日記 北野社にこもっていた一揆勢の争乱。 八の時分に北野ゑんしやうのよしきこゆる。おどろきおほしめす。この程こもる物とものわさなり。 1176
延徳2  149003A21  蔭涼軒日録 北野社に一揆勢が篭もり炎上。 時諸家衆為払土一揆囲北野。…一揆衆不叶而焼社頭。 1177
延徳2  149003A21  北野社家日記 北野社に一揆勢が篭もり炎上。 安富勢申剋東門打詰扉落、令乱入合戦在之間、則一揆等拝殿ニ奉放火間炎上云々、 1178
延徳2  149003A21  大乗院日記目録 北野社に一揆勢が篭もり炎上。 北野社悉焼失、土民閇篭之故也、 1179
延徳2  149003A21  如是院年代記 北野社に一揆勢が篭もり炎上。 北野神炎上。土一揆自火自滅。 1180
延徳2  149003A22  蔭涼軒日録 北野社に一揆勢が篭もり炎上。 話云。社頭悉焼失。経蔵許残。神体者在松梅院。 1181
延徳2  149004A18  実隆公記 実隆、後小松天皇あるいは称光天皇宸筆の御八講屏風を宮中で拝見。 応永[禁中]宸筆御八講屏風画図尤妙也、自山上被召寄之云々、於黒戸拝見、 1182
延徳2  149005A02  蔭涼軒日録 土佐?、亀泉集証?の紙形を描く。 午後自小補有使云。土佐右京亮来造帋形。可同途中否。又可有来臨否。返答云。乃可謁。々小補面右京。写帋形二枚。 1183
延徳2  149005A18  蔭涼軒日録 小河御所取り壊される。 此日小河御所俄被毀之。 1184
延徳2  149005A18  実隆公記 小河御所取り壊し。 今日小河御亭被破却云々。 1185
延徳2  149005A21  蔭涼軒日録 等持寺仏殿立柱。 今晨等持寺仏殿立柱諷経。 1186
延徳2  149006A27  蔭涼軒日録 ?邸の障子絵の制作開始。 北房自今晨四宮方。私宅障子画始之。 1187
延徳2  149007A03  尋尊大僧正記 勝曼陀羅戴制作を大輔二命じる。 勝万ラ図絵事、召大輔法橋仰付之、 1188
延徳2  149007A04  実隆公記 実隆、宮中で貞治年間の中殿御会屏風をみる。 其後依召参議定所、屏風可拝見之由也、貞治中殿宴屏風也、詩哥為重卿筆歟、 1189
延徳2  149007A19  御湯殿上日記 春日験記絵巻届く。 てそうにておほせらるゝ。春日の御ゑとうふく院よりとてまいる。 1190
延徳2  149007A20  御湯殿上日記 春日験記絵巻叡覧。? 昨日の御ゑ御はゐの御すへくろとにて御らんせらるゝ。 1191
延徳2  149007A21  実隆公記 実隆、宮中で春日験記絵巻拝見の予定。 明日春日霊験絵〈在春日社〉、可拝見之、自今夜始神事、可祇候之由昨日勅語也、仍存其旨者也、 1192
延徳2  149007A22  御湯殿上日記 春日験記絵巻叡覧。 春日のゑんき御らんせらるゝ。ないない。… 1193
延徳2  149007A22  実隆公記 実隆、春日験記の詞を朗読。 於黒戸件絵詞読申之、 1194
延徳2  149007A25  実隆公記 実隆、春日験記絵巻の写本を賜る。 春日霊験絵詞〈自西園寺進上云々、〉写本加一見可直進上之由被仰下之間、賜之退出、 1195
延徳2  149007A26  実隆公記 春日験記絵巻を勧修寺?が拝見する。写本の校合ほぼ完了。 春日霊験絵今日被出勧修寺拝見之由聞及之間、青女令神事罷向、…昨日写本大概校合了、 1196
延徳2  149008A06  御湯殿上日記 たけだ法印が諏訪?の絵を見参に入れる。 たけたほうゐんすわの御ゑけさむにいるゝ。すはもたせてまいる。 1197
延徳2  149008A29  蔭涼軒日録 等持寺仏殿完成。 等持寺仏殿再造成其功。 1198
延徳2  149008U17  実隆公記 実隆、宮中で長谷寺縁起絵巻、高陽院行幸競馬絵巻等の詞を朗読する。 入夜参内、長谷寺縁起、高陽院行幸競馬絵等詞於常御所庇読申之、 1199
延徳2  149008U17  御湯殿上日記 長谷寺縁起絵巻の詞、朗読のこと。 はつせの御ゑのこと葉侍従大納言よみまいらせらるゝ。 1200
延徳2  149008U18  蔭涼軒日録 相阿弥、馬公権筆の鉄拐図を持参し、自筆の貼画屏風の賛を請う。 午後相阿持鉄拐像来。馬公権筆。…今午相阿屏風貼画之賛之事請之。 1201
延徳2  149009A23  実隆公記 実隆、壬生地藏縁起絵巻をみる。 壬生地藏縁起絵〈宝幢金剛三昧院〉貳巻〈未猶在之云々〉披見、 1202
延徳2  149009A28  尋尊大僧正記 大輔に祖師像を部分的に描き直させる、補筆? 絵師大輔法眼召之、祖師之内聖徳太子大略書継之、州大師座具以下書継之、恵潅僧正以下ハシハシ*書加之、 1203
延徳2  149010A24  興福寺略年代記 般若寺で火事。 十月廿四日夜般若寺炎上。長老坊ヨリ出火云々。文殊堂地藏堂釈迦堂鐘楼堂僧堂本尊悉焼了。 1204
延徳2  149010A24  大乗院日記目録 般若寺で火事。 夜般若寺自長老坊火出之、僧坊・地藏堂・文殊堂以下悉以焼失了、 1205
延徳2  149011A08  実隆公記 般若寺で火事。 仰般若寺文殊去月廿四日回禄、凡如天火云々、 1206
延徳2  149012A28  実隆公記 実隆、りょうたくが描いた不動明王像に賛をする。 (端裏書)「仰 延徳二、十二、廿八」/文のやうひろうして候、れうたくふとうかきてまいらせ候、よろこひおほしめし候、ことにおほしめし候よりもなをよくいてき候て、御ひさう候へく候、とてもの事にさんをかきて、名をくハへ候てまいらせ候やうにおほせられ候へく候 1207
延徳3  149102A08  実隆公記 実隆、宮中で窪田筆の三壇の本尊六臂如意輪観音像をみる。 入夜依召参黒戸、三壇御本尊代始山門無沙汰 于今無新図、仍今度被新図、〈画師窪田云々、〉可拝見之由也、六臂如意輪像也、 1208
延徳3  149102A08  御湯殿上日記 三壇の本尊を窪田にかかせる。 三たんのほんそんくほう[た]にかゝせられてまいる。 1209
延徳3  149103A21  北野社家日記 東寺立柱。 今日東寺立柱在之云々、 1210
延徳3  149103A24  実隆公記 実隆、宗祇庵で原本は藤原信実筆で土佐光信筆の柿本人麿像をみる。 早朝向宗祇庵、是兼日招引也、人丸像新図〈土佐刑部少輔光信書之、本信実真跡也、…〉供養卅首哥講之、 1211
延徳3  149104A08  御湯殿上日記 因幡堂縁起絵巻の記事。 宮の御かたいなはたうのゑんきあそはす。 1212
延徳3  149105A14  実隆公記 実隆、因幡堂縁起絵巻をみる。 因幡堂縁起絵〈古物也〉、帥卿借送之、拝見殊勝々々、 1213
延徳3  149105A27  御湯殿上日記 因幡堂縁起絵巻が宮中に運ばれる。 いなはたうのゑんきあんせん寺殿よりまいる。 1214
延徳3  149106A03  蔭涼軒日録 小栗宗継、松泉軒の障子絵を孫君沢様で描き始める。 北房自今晨松泉軒客殿障子下画画之。君沢様也。 1215
延徳3  149106A03  蔭涼軒日録 興彦龍易没の記事。 或人云。今日巳刻興彦龍易簀。未識其実。 1216
延徳3  149106A08  実隆公記 周興蔵主没の記事。 相国寺周興蔵主去三日歟入滅云々、 1217
延徳3  149106A09  尋尊大僧正記 大輔筆の阿弥陀如来像完成。 去三月六日より松南院大輔法眼ニ仰付処之阿ミタ仏今日出来、皆金色〈細金〉、 1218
延徳3  149106A09  蔭涼軒日録 狩野正信筆、游初軒の座敷絵の記事。 游初軒座敷画狩野法橋所筆一見之。 1219
延徳3  149106A26  実隆公記 足利義材が牧谿筆の寒山拾得、猿図を献上する。 卿室町殿御参内始也、…牧溪絵〈三幅、本尊寒山十徳、脇猿猴、(帋絵也、)被居盆、七献被進之歟、〉等也云々、 1220
延徳3  149106A29  蔭涼軒日録 小栗宗継、客殿の障子絵を完成。 北房今日訖客殿七間半之画功。 1221
延徳3  149107A08  蔭涼軒日録 小栗宗継、松泉軒書院の障子絵瀟湘八景図を描き始める。 北房画障子八景也。自今日始之。 1222
延徳3  149107A21  蔭涼軒日録 小栗宗継筆、瀟湘八景図完成。夏珪様。 松泉軒書院障子八景画。今日畢其功。夏珪様真本也。 1223
延徳3  149107A26  蔭涼軒日録 小栗宗継、松泉軒書院の障子絵琴碁図を描き始める。 北房画書院障子。自今日始之。琴碁書画也。 1224
延徳3  149107A26  尋尊大僧正記 唐招提寺の東征伝絵巻が京に運ばれる。 招題[提]寺東征伝絵五巻京都ニ被上之、中御門奉行、昨日京上、 1225
延徳3  149107A28  尋尊大僧正記 木津地藏縁起絵巻が到来する。 木津地藏縁起絵三巻到来、自慈恩院、 1226
延徳3  149108A03  蔭涼軒日録 小栗宗継筆、琴碁図完成。 琴碁書画訖功。 1227
延徳3  149108A10  尋尊大僧正記 東大寺の執金剛神縁起絵巻、狛地藏絵巻が宮中へ運ばれる。 東大寺執金剛神縁三巻、狛地藏絵三巻今日京上、被進禁裏、 1228
延徳3  149108A10  蔭涼軒日録 周文筆花鳥図屏風を玉澗軒より借りる。 遣昌子於玉澗軒。文都官所筆花鳥屏風暫借。 1229
延徳3  149108A11  蔭涼軒日録 小栗宗継、松泉御所間の障子絵花鳥図を描き始める。 松泉御所間障子花鳥画北房筆之。自今晨始之。 1230
延徳3  149108A11  実隆公記? 実隆、東大寺の執金剛神縁起絵巻、狛地藏絵巻戴詞を拝読する。 入夜於議定所東大寺執金剛神絵〈二巻〉、石地藏絵〈一巻〉、詞読申之、 1231
延徳3  149108A27  御湯殿上日記 巨勢かたおか筆ということか、前にでてきた絵巻のどれかを返却する。 かたおかのゑ返しつかはさるゝ。 1232
延徳3  149109A01  実隆公記 宮中より三十日絵巻をかり出す。 自禁裏墨絵二巻〈卅日絵也〉、被借下之、 1233
延徳3  149109A12  蔭涼軒日録 窪田藤兵衛筆、扇面の記事。 窪田藤兵衛持扇子一本来。 1234
延徳3  149109A13  蔭涼軒日録 亀泉集証の帋形を窪田藤兵衛が描く。 晩来窪田写予帋形者両三枚。 1235
延徳3  149109A14  蔭涼軒日録 窪田筆の亀泉集証の帋形を小栗宗継がみる。 斎前窪田写予帋形。北房加意見。 1236
延徳3  149109A27  蔭涼軒日録 窪田藤兵衛が亀泉集証像の下絵を持参する。 窪田藤兵衛尉。予労陋質書下画持来。…窪田写予陋質者両三。 1237
延徳3  149110A  大乗院日記目録 当麻新曼陀羅を宮中に召し上げた記事。 十月、当麻新万ラ、依勅京上、〈建保三年六月廿三日書立之云々、〉 1238
延徳3  149110A05  蔭涼軒日録 窪田藤兵衛筆の竹生島図扇面の記事。 予面之与画扇一柄。窪田藤兵衛先也所贈之扇子也。画竹浮鳥也。 1239
延徳3  149110A08  御湯殿上日記 当麻新曼陀羅が宮中に運ばれる。 たいまのしんまんたらまいる。 1240
延徳3  149110A09  尋尊大僧正記 当麻新曼陀羅召し上げた記事。 当麻新万タラ為勅被召上之、昨日京上云々、 1241
延徳3  149110A09  後法興院記 当麻新曼陀羅を明日宮中で拝見する予定。 自勧修寺以折紙申送云、明日御会次当麻新曼陀羅可有御拝見歟、然者被致御精進可御参内之由仰出云々、 1242
延徳3  149110A10  御湯殿上日記 当麻新曼陀羅を清涼殿にかけて諸人拝見する。 まんたら御をかみともあり。 1243
延徳3  149110A10  実隆公記 当麻新曼陀羅を拝見。度間法眼の筆。 先当麻新曼陀羅〈度間法眼筆云々〉、雖不出之物依勅定進之、被懸清涼殿庇〈昼御座前〉、諸人拝見、昨日可参入之由被仰下、仍拝見戴、 1244
延徳3  149110A10  後法興院記 当麻新曼陀羅を拝見。度間法眼の筆。 御会以前令拝見曼陀羅、度間筆云々、 1245
延徳3  149110A11  御湯殿上日記 当麻新曼陀羅を青蓮院殿画拝見? まんたらいまた御入ありて。しやうれん院殿御くわとうにて御おかみあり。 1246
延徳3  149110A12  御湯殿上日記 当麻新曼陀羅を返却する。 まんたら返しつかはさるゝ。 1247
延徳3  149110A13  後法興院記 当麻新曼陀羅は足利義材?拝見のため鷹司亭?邸?へ運ばれる。 当麻新曼陀羅鷹司亭に被申出云々、右府為拝見向彼亭、 1248
延徳3  149110A18  尋尊大僧正記 当麻新曼陀羅についての記事。 当麻新万羅自一乗院殿給之、開見了、縁起絵二福[幅]并一寺之縁起、万タラノ縁起後五大院殿筆一巻在之、当寺号万法蔵院、又号禅林寺、本万タラノウツシ也、号新万ラ、… 今度自禁裏依仰京上了、則被返下之次也、 1249
延徳3  149110A24  蔭涼軒日録 小栗宗継が持参した売物の牧谿筆江山図の賛を写す。 晩来来九峯北房来。有商人売画軸。自牧翁所筆之江山画也。二老与予三人写其讃詩。返軸。 1250
延徳3  149111A02  蔭涼軒日録 小栗宗継に座敷画の折帋を贈る。 調二千疋折帋贈北房。蓋謝座敷画也。 1251
延徳3  149112A27  尋尊大僧正記 大輔筆、十三仏図についての記事。 十三仏大輔法眼書出之、 1252
明応1  1492  島隠漁唱 秋月等観、故郷薩摩へ帰る。 秋月緇郎。薩之産。而遊芸于中州。年既久矣。専師雲谷翁。画工究其妙焉。壬子之秋。錦旋以為栄。 1253
明応1  149201A21  親長卿記 土佐広周が昇級を願う。 今日以勾当内侍仰云、絵所土佐弾正去々年申一級、去年又申間、被仰早速之由之処、当年又望申、彼等事、一向沙汰外歟如何、予申云、余早速歟、羽林府役四ヶ年、或六ヶ年野間、於彼等余不可然之由申了、 1254
明応1  149201A23  御湯殿上日記 三壇の本尊を窪田が描く。 三たんの御ほそんくほたかきいたしてまいる。 1255
明応1  149202A27  蔭涼軒日録 書写山円教寺で火事。 四郎話云。今月 書写本堂炎上。其外房々五六ヶ所為焦地。 1256
明応1  149203A20  蔭涼軒日録 窪田筆の亀泉像の制作が思わしくない。 窪田予陋質絵之以来太不可也。…於丹寮窪田書帋形猶未十分。 1257
明応1  149204A02  蔭涼軒日録 東福寺の仏母が?仏母像の?書を書き損じ窪田になおさせる。 東福寺仏母書之。誤倒書之。遣窪田方改之。明日可出来。 1258
明応1  149205A02  蔭涼軒日録 狩野正信、春陽景泉の帋形を描く。 旭公云。春陽不例少有験。…又狩野法橋写帋形。則坐而一咲云。添鬚云々。 1259
明応1  149206A01  後法興院記 松蔵主筆の人麿像についての記事。 松蔵主、寿宮等来、松蔵主筆人丸新図影持来之、件本信実筆云々、古本讃余可染筆由頻命之間令許諾了、 1260
明応1  149206A07  尋尊大僧正記 吐田筑前法眼没の記事。 去五日吐田絵師筑前法眼入滅、 1261
明応1  149206A08  蔭涼軒日録 亀泉、岩栖院で狩野正信筆の座敷画をみる。 往岩栖院、…予請之云。座敷画一見如何。侍者延予見之。狩野法橋所附で?。種々筆勢尽之。実可観者也。 1262
明応1  149210A04  蔭涼軒日録 小栗宗継筆、夏珪様の障壁画の記事。 晩来藤寮看喜多坊画障壁。夏珪様也。 1263
明応1  149210A12  尋尊大僧正記 薬師寺八幡宮の簾につていの記事。 薬師寺八幡講簾寸法昨日進之、/本社三間、…/合九間分云々、代二貫文分仰付之、 1264
明応1  149211A10  尋尊大僧正記 薬師寺八幡宮に屏風を送る記事。 八幡宮御簾九間入屏風箱送彼寺沙汰人方了、 1265
明応1  149211A18  蔭涼軒日録 祇園社遷宮。 今日祇園遷宮傾群詣之云々。 1266
明応1  149211A28  尋尊大僧正記 薬師寺八幡宮遷宮。 今日薬師寺八幡宮遷宮也云々、 1267
明応2  1493  三教図・正宗龍統賛 三教図・正宗龍統賛 明応二歳龍集昭陽赤奮若黄鐘上澣日東釈氏正宗龍統焚 1268
明応2  1493  貧楽斎記(古画備考) 月翁周鏡が祥啓のために貧楽斎記をかく。 貧也者、不可楽焉、…建長啓賢江、敏而多芸、以画為業、…是誠顔氏箪瓢之比歟、六合之内、朝東暮西、桂海氷天、厥所留滞、必貧楽扁僑居之室、亦如魯直退聴堂之例也、…明応歳舍癸丑[二年也]、春三月下休、三蘆野人江介周鏡叙、 1269
明応2  14930*A09  蔭涼軒日録 宗湛庵主年忌。 今日宗湛庵主年忌。 1270
明応2  149303A10  蔭涼軒日録 小栗宗継が蔭涼軒書院押板脇絵を描く。 喜多坊来伸茶之礼。書院押板脇画筆之。 1271
明応2  149303A11  蔭涼軒日録 小栗宗継、蔭涼軒書院押板脇絵を描く。 喜多坊亦筆押板脇。 1272
明応2  149303A13  蔭涼軒日録 小栗宗継が金屏風の箔を補う。 喜多坊来補金屏薄。 1273
明応2  149303A15  蔭涼軒日録 小栗宗継、金屏風を修理する? 喜多坊補金屏。 1274
明応2  149303A26  北野社家日記 相阿弥に北野社御所間の違棚、障子を 相阿方へ御所間違棚・障子遣之、 1275
明応2  149304A19  北野社家日記 相阿弥に押板置物について相談する。 相阿方へ押板置物事相尋様、…自筆返事事在之、為後証注之、 1276
明応2  149304A21  後法興院日記 宗祇進上の人麿像についての記事。 是日有続歌興、〈五十首〉人丸法楽也、此影宗祇進置了、 1277
明応2  149304A21  北野社家日記 宗祇所有、土佐光信筆の人麿像についての記事。 今朝陽明五十首御会在之、子細者宗祇人丸進上仕、絵者土左[佐]将監[光信]、替[賛カ]者定家也、但替[賛カ]計今度新調之人丸ニ押而進上申也、色紙一枚角ニ押也、 1278
明応2  149304A23  御湯殿上日記 三宝院、通玄寺など焼失。 三ほう院はん[う]かうするおとなゐ[猶カ]さりならぬ事なり。夕かた程よりかゝる。…夜に入て又あたりのさいけともまてことこと*く火のふせゐなり。ことのはなし。つうけん寺もはつかうときこへてあさましきことなり。 1279
明応2  149304A23  言国卿記 細川、畠山邸など焼失。 今日早々自細川、畠山尾張[尚順]屋形ヲ焼払畢、…曇花寺殿ウチ破、御比丘尼共ハク云々、是又曲事々々、然間、禁裏御近所三宝院殿同打破物由間、 1280
明応2  149304A23  蔭涼軒日録 畠山、尾張守邸などで火事。 今朝畠山尾張守殿屋形。足軽打入毀取之。…其後曇花院破却。尽乱妨。其後三宝破却。剰入火。尽為焦土也。其後慈照寺江乱入。 1281
明応2  149304A23  親長卿記 三宝院、通玄寺、慈従院、妙法院など火事。 今日滅却所々、/三宝院〈将軍御連枝〉、通玄寺〈同〉、慈従院〈同、但於出/寺無事〉、新大納言光忠宿所、妙法院坊、畠山尾張守宿所、被官等家々也、 1282
明応2  149308A15  親長卿記 真正極楽寺本堂遷座。 今暁真如堂阿弥陀遷座新造本堂云々、 1283
明応2  149309A15  蔭涼軒日録 狩野正信、亀泉集証の帋形を描く。 晩来狩野法橋携松蕈一盆。柳樽一双来。写予陋質。 1284
明応2  149309A21  蔭涼軒日録 狩野正信が亀泉集証の帋形を持参する。 晩来狩野法橋持余陋質紙形数枚来。以一ヶ衆心定之。 1285
明応2  149309A23  蔭涼軒日録 狩野正信筆の季瓊真蕊像と亀泉集証像の記事。 斎罷遣丹首座於狩野法橋宅云。雲沢季瓊和尚肖像并予陋質督之。不可有如在云々。 1286
明応2  149309A27  扶桑五山記 亀泉集証没。 百五十一、亀泉、諱集証、…〈明応二年水野と丑九月廿七日寂、寿七十、〉 1287
明応2  149310A13  御湯殿上日記 小御所造作?開始。 小御所の御さうさくはしまる。 1288
明応2  149311A15  言国卿記 坂本日吉大社に一揆勢が篭もり火事。 坂本社頭土一揆篭云々、山門ヨリ払之、山王焼云々、今夜由也、 1289
明応2  149311A15  大乗院日記目録 日吉大社、十禅寺の火事についての記事。 十禅寺并二宮・三宮悉以炎上、馬借沙汰、二百人計死、 1290
明応2  149311A16  言国卿記 日吉大社の火事についての記事。 坂本社頭[日枝]山王コトコト*ク土一キ篭之間山門ヨリせメ焼云々、大宮八王子計御残在之云々、 1291
明応2  149311A16  親長卿記 日吉大社で一揆のために火事。 今日聞、土一揆為徳政篭日吉社、自山門衆徒等発向、大宮社以下灰燼云々、 1292
明応2  149311A17  親長卿記 日吉大社での火事の様子。 或仁云、大宮社不焼、大宮八王子等令残給云々、実説猶可尋、 1293
明応2  149311A17  横川和尚伝 横川景三没。 実明応二年癸丑六十五歳。十一月十七日示寂于小補正寝。 1294
明応2  149311A18  尋尊大僧正記 日吉大社、十禅寺の火事についての記事。 去十五日馬借共閇篭之間、十禅寺・二宮・三宮悉以山王焼失了、 1295
明応2  149311A18  親長卿記 十禅寺など火事の記事。 或仁云、十禅師、并二宮、同小社許炎上云々、 1296
明応2  149312A26  尋尊大僧正記 大輔筆、観音厨子扉絵完成。 観音厨子戸平絵書出之、大輔法眼、 1297
明応3  149405A19  御湯殿上日記 歌合絵巻を将軍足利義材に返却。 むろまちとのへ哥あわせの御ゑ三くわん返まいる。 1298
明応3  149406A17  尋尊大僧正記 吐田筑前法眼の子息松坊(長有)没の記事。 吐田松坊一昨日入滅之由、助法眼参申、故筑前法眼子息也、 1299
明応3  149406A18  親長卿記 八幡護国寺で火事の記事。 冷泉前大納言参会、語云、八幡護国寺去十五日暁炎上之由、一昨日注進云々、 1300
明応3  149407A27  御湯殿上日記 後土御門天皇?受戒絵巻見参に入れる。 御しゆかゐ。…しゆかゐの御ゑ一くわんまいる。ゑんまんゐんより御ゑともけさんに入らるゝ。 1301
**明応4  1495  破墨山水図自跋 雪舟七十六歳の自跋。 相陽宗渕蔵主従余学画有年筆已有典刑游意於芸勉励尤深也今春告帰謂曰願獲翁一図以欲為我家箕裘青氈数日於余責之雖余眼昏心耄不知所以製干其志輙拈禿筆洒淡墨与之日/明応乙卯季春中澣 日/四明天童第一座老境七十六翁雪舟書 1302
明応4  149501A23  実隆公記 ?の寿像制作についての記事。 及昏自親王御方女房消息到来、按察所労危急也、一品事存命之間可有御沙汰之由所思食候也、但可為如何哉、依申状可有御執奏<云々、>則献愚報云、極位事御執奏尤可然也、是不可背理之由存之故也、仍彼卿病体心苦之間秉燭罷向、兵部卿、相公羽林同道罷向了、今日以外窮屈之式也、今日召画所令写寿像、其間不草臥之間殊以余屈無正体、不謁之由被命、 1303
明応4  149504A09  実隆公記 実隆、宗祇像に着賛。 宗祇法師肖像讃染筆了、 1304
明応4  149505A21  実隆公記 実隆、楞厳大師伝記絵巻を借りる。 楞厳大師伝記絵三巻帥借送之、 1305
明応4  149506A08  御湯殿上日記 土佐光信筆の普賢延命菩薩像完成。 ふけんゑんめいの御ゑしやうけんにしんつ[新図]うさせらるゝいてきて。けふまいる。 1306
明応4  149510A02  尋尊大僧正記 長谷寺の天神縁起絵巻についての記事。 良鎮法橋此間在長谷寺了、天神御一期之伝記在之、以之巻絵六巻書之、東照印并当公文沙汰也、又一巻与喜祭礼様与喜之縁起当所影向様同明之、如檢[験]記也、合七巻書立之云々、両人共於絵在故実云々、 1307
明応4  149510A11  尋尊大僧正記 絵所助法眼円寂没の記事。 昨日絵所助法眼円寂了、 1308
明応4  149510A19  尋尊大僧正記 牛図絵巻についての記事。 先日牛絵二巻ハ芝絵所及五代所持本也云々、所望申間遣之、畏入了、此一両日以前之、 1309
明応4  149511A21  如是院年代記 長谷寺で火事。 長谷寺炎上。 1310
明応4  149511A22  尋尊大僧正記 長谷寺焼失。 子時公坊之下井坊ヨリ火出之、公坊焼、則観音堂并本尊悉以焼失、時剋到来也、十三重塔・鐘楼・愛染堂・新宮三所・長楽寺・潅頂堂・不動堂・弥勒堂・炎魔堂・一切経蔵・本長谷寺・三重塔・来迎院・登廊・<土分相残>、横田坊東中院・中坊、以上、二王堂一宇相残、其余堂社悉以廻禄了、 1311
明応4  149511A22  実隆公記 長谷寺の火事の記事。 後聞、長谷寺炎上、頂上仏、古帳等纔相残於灰燼之中、頗有奇異之端<云々>、其外諸堂、坊舎悉焼失<云々、> 1312
明応4  149511A22  大乗院日記目録 長谷寺で火事。 長谷寺炎上、観音堂・同本尊・十三重塔・新宮鐘楼愛染堂・登廊・潅頂堂・本堂・三重塔・一切経蔵・炎魔堂・公坊以下也、二王堂・食堂・客坊相残了、神社悉焼了、 1313
明応4  149512A02  親長卿記 長谷寺で火事。 或仁云、初瀬観音堂炎上云々、御体不取出云々、 1314
明応4  149512A02  尋尊大僧正記 長谷寺仏師舜覚法眼と絵所大輔の要求について。 長谷寺仏師事舜覚法眼望之、絵所人数事大輔法眼望之、可相尋之旨返事了 1315
**明応5  1496  藤田美術館蔵雪舟自画像模本賛 雪舟自画像模本賛。 説破空花、本無色相、/弘治丙辰歳再季春念八日/天府第一名儒士秀才青/霞沐手賛 1316
明応5  149601A14  正続大宗禅師行状 春浦宗煕没。 明応五年丙辰正月十四日順寂。・・・師世寿八十一。 1317
明応5  149601A14  紫野前住籍 春浦宗煕没。 四十世春浦和尚 諱宗煕・・・ 明応五丙辰正月十四日示寂、世寿八十八、 1318
明応5  149601A14  龍宝山誌 春浦宗煕没。 松源院・・・/ 春浦和尚・・・明応五年正月十四日寂八十八 1319
明応5  149602A03  実隆公記 大徳寺より花夕絵、月夜絵、雪朝絵を送られる。 自徳大寺絵三巻<花夕絵、月夜絵、雪朝絵、<銘如此>> 納被送之 1320
明応5  149602A18  尋尊大僧正記 大輔法眼清賢に長谷寺観音像制作のための指図を命じる。 長谷寺観音指図今日ヨリ沙汰之、大輔法眼清賢筆師也、 1321
明応5  149602A25  尋尊大僧正記 大輔法眼清賢が長谷寺観音指図を制作中。 長谷寺観音指図自十八日初之、大輔法眼清賢至今日図之、 1322
明応5  149604A20  実隆公記 実隆、高瀬寺縁起絵巻をみる。 師富朝臣高瀬寺縁起絵三巻<上行俊卿、中実冬公、下尭仁親王被書詞、>送之一見了、 1323
明応5  149605A18  考古画譜 西行物語絵巻修復。 (補)同[西行物語] 四巻/ [補]巻二奥書云、以外破損候間、加修復訖、諸方借用舒巻、無故実候所以歟、向後堅可為禁制矣、明応<丙辰>年五月十八日出来了、奉行孝心<六十五才>、(補)真頼曰、此の絵、伝へて後土御門院勾配当内侍の筆なりといふ、白描の絵なり、方今、青木信寅所蔵せり、 1324
明応5  149605A22  実隆日記 日野富子肖像制作にあたって衣裳などのことを広福院に尋ねる。 御台御肖像被写之、御衣裳、几帳以下事可為如何哉之由、万松軒以消息広福院被尋之、 1325
明応5  149605A26  実隆日記 実隆、日野富子像について狩野正信と相談する。 彼御影事猶以自万松軒重々有示承之旨、絵師狩野入道来、則相謁、愚存分大概雖申含、猶不得其意之間、所詮伏見御安置之女院御影拝見尤可然之由名之、 1326
明応5  149605A28  実隆日記 狩野正信が日野富子像の衣裳などについて重ねて尋ねる。 及晩狩野入道来、昨日参伏見彼御影拝見写取之、御装束色目等事、几帳惟等之事巨細示仰之、 1327
明応5  149607A04  尋尊大僧正記 長谷寺復興のため仏師を春慶に決める。 長谷寺使者両人参申、見参了、御返事、両条指示給之、/一仏師事、両三人棟梁之内、春慶法眼事仰付之事、 1328
明応5  149607A18  実隆公記 讃州滝宮三十六歌仙板絵についての記事。 讃州滝宮卅六人哥仙<源公忠朝臣、忠峯、平兼盛、中務、>四人<板也、>哥依細川被官人所望染筆了。 1329
明応5  149607A21  尋尊大僧正記 長谷寺復興のための計画。 自長谷寺来廿四日可御衣木合也、其以前仏師春慶可参向旨、可有御下知云々、 1330
明応5  149608A05  実隆日記 実隆、飜邪帰正絵巻の詞を書写中。 飜邪帰正絵<自山上座主宮被進云々>、可被新写也、件詞可書進上之由一昨日被仰下、今日四五段書之了、 1331
明応5  149608A06  実隆日記 実隆、飜邪帰正絵巻の詞を写し終える。 絵詞終写功、<上下十四段也、> 1332
明応5  149608A07  実隆日記 実隆、書写し終えた飜邪帰正絵巻の詞を宮中に持参する。 絵詞今日令持参了、 1333
明応6  149610A15  実隆公記 滋野井絵巻二巻(一巻は足利義尚御物という狐絵巻、もう一巻は八幡臨幸。) 中山中納言来談、滋野井絵二巻令見之、一巻狐絵、<常徳院殿御物也、>一巻八幡臨幸絵等也、 1334
**明応5  149611A  古画備考 陳所翁筆の虎図を相阿弥が写す。 真相・・・/虎陳所翁筆/明応五年丙辰/十一月真相写之 1335
明応5  149612A05  土佐文書 土佐光信が刑部大輔になる。 口宣案/上卿小倉中納言/明応五年十二月五日宣旨/刑部少輔藤原光信/宣転任刑部大輔/蔵人左少弁藤原冬光<奉> 1336
明応5  149612A11  大乗院日記目録 長谷寺の観音が完成師、仏師は帰る。 長谷寺仏師共退散、自七日至昨日今日御光立之、悉以仏師方成弁、 1337
明応5  149612A13  尋尊大僧正記 長谷寺の観音が完成する。 一昨日長谷寺仏師共罷上了、観音悉以造立之、 1338
明応6  149704A07  実隆公記 真光院より石山絵巻を送られる。 自真光院石山絵一巻被送之、可所詞之由也、先預置之者也、 1339
明応6  149707A09  尋尊大僧正記 楞厳院像完成。 楞厳院先徳御影図之出来、 1340
明応6  149707A11  尋尊大僧正記 大輔筆、熊野三山曼陀羅をみる。 熊野三山万タラ清賢持来、一見了、 1341
明応6  149707A12  尋尊大僧正記 絵師大輔法橋になる。 絵師大輔公清賢法橋宣下、今日自中御門送給之、六日宣也、 1342
明応6  149708A03  尋尊大僧正記 太郎左衛門筆、小塔院像完成。 小塔院先徳図絵出来、太郎左衛門筆、 1343
明応6  149708A04  尋尊大僧正記 大輔法橋筆、報恩院の木像を写した大慈三昧院殿像完成。 大慈三昧院殿御影図絵大輔法橋筆、報恩院木像写之、 1344
明応6  149708A17  実隆公記 経師が石山縁起絵巻の料紙が不足という。 経師来、石山縁起絵詞料帋不足分事申付之了、 1345
明応6  149708A28  実隆公記 実隆、宮中で夏珪筆の絵をみる。 及晩参内、・・・夏圭筆画図拝見之、 1346
明応6  149709A06  尋尊大僧正記 大輔筆、智光曼陀羅完成。 智光万タラ筆立了、大輔法橋、 1347
明応6  149709A13  尋尊大僧正記 大輔筆、僧正像を? 贈僧正御影書立之進之、大輔法橋、 1348
明応6  149710A15  実隆公記 実隆、諸絵巻の字句を照らしあわせる? 内外万物縁起被新写、不審之字可見合進上由被仰之、則加一見、愚存分申入之、件書元興寺願曉法師所述殊勝物也、 1349
明応6  149710A27  実隆公記 実隆、宮中で介錯仏子絵の詞を朗読する。 於御前介錯仏子絵詞読申之、 1350
明応6  149711A15  尋尊大僧正記 白毫寺で火事。 卯剋より白毫寺本堂・炎魔堂・多宝塔・一切経蔵・鐘楼・僧坊・クリ・僧堂此外長老坊・奥坊・寂生院・尺迦院・花蔵院・ハタ板坊・地藏院・谷坊等悉以炎上了、 1351
明応6  149711A15  大乗院日記目録 白毫寺で火事。 白毫寺悉以炎上了、 1352
明応6  149711A17  実隆公記 実隆、宮中で介錯仏子絵の詞を朗読する。 入夜於御前介錯仏子絵詞読申之、 1353
明応7  149801A27  御湯殿上日記 宮中で東福寺所有の五百羅漢図をみる。 御しゆかゐいつものことし。とうふく寺の五百らかんまいりて御おかみあり。 1354
明応7  149801A27  ? 東福寺の五百羅漢は明兆筆のこと。 東福寺五百羅漢<明兆殿主[吉山、淡路国人]筆、本在鎌倉建長寺云々、殿主卅二歳筆歟、性海長> 1355
明応7  149801A27? 実隆公記 実隆、宮中で東福寺所有、明兆筆の五百羅漢図をみる。 <老住持也、>五十幅被掛議定所有御拝見、 1356
明応7  149804A26  実隆公記 牧谿筆、簡翁賛の百貫布袋、腹摩布袋図についての記事。 半身布袋<牧谿筆、簡翁賛>武家累代重宝、号百貫布袋<俗号腹摩布袋>、三幅対之本尊也、土蔵<志乃>、者可沽却之由申之、内々申入処、被召置之、<代者貳千貳百疋、>玄清媒之間再住問答了、 1357
明応7  149805A15  尋尊大僧正記 大輔、禅師御房像を完成。 禅師御房御影清賢法橋図絵書出之、 1358
明応7  149806A28  尋尊大僧正記 智光曼陀羅図を大輔が持参。 智光万多ラ奉図絵大輔法橋清賢持参 1359
明応7  149807A23  実隆公記 実隆、宮中で源為憲作、三宝絵詞を朗読する。 於議定所御言談、三宝物語<源為憲作、>上読申、 1360
明応7  149808A03  実隆公記 三宝絵詞を補修する。 夜前三宝絵<源為憲作、>上被加修補、朽損之所々可書入之由被仰下、仍所々書入之進上退出了、 1361
明応7  149809A24  実隆公記 往生伝小絵の詞を書すよう命じられる。 絵詞<往生伝小絵也、> 可書進上之由禁裏被仰下之、 1362
明応7  149809A27  実隆公記 往生伝小絵は盛雲新作である。 自禁裏絵詞<盛雲新作往生伝也、> 1363
明応7  149809A28  実隆公記 実隆、往生伝小絵の詞を書写し終える。 絵詞今日令進上之、奥之一段料帋薄之間、書改可進上之由被仰下之、 1364
明応7  149810U28  実隆公記 実隆は惟肖得厳作の瀟湘八景の詩を相阿弥筆の屏風に書す。 及晩宗祇法師来、瀟湘八景[惟肖作]詩先日予染筆之処、画屏<画相阿所書也、>之画経師推違之間、両枚可書改之由命之、即刻書之了、然間又色紙其色予書違之、仍翌日又書改了、 1365
明応8  149903A29  尋尊大僧正記 大輔に青面金剛図の制作を命じた記事。 青面金剛図絵事、一昨日仰大輔法橋、 1366
明応8  149906A26  実隆公記 龍安寺方丈上棟。 今日龍安寺方丈上棟<云々>、 1367
明応8  149907A19  御湯殿上日記 延暦寺根本中堂の火事。 中たうにへいろ[閉篭]あり。このあか月よりほそ川はらはせ候とて。中たうはしめて九か所やけて。くひともとるよしきこへて。あさましきのみおほせことあり。 1368
明応8  149907A20  大乗院日記目録 延暦寺で火事。 早朝山根本中堂大講堂・延命院・四王堂御経蔵・鐘楼・*常行堂・法花堂炎上了、 1369
明応8  149907A21  尋尊大僧正記 延暦寺で火事の記事。 昨日早朝根本中堂炎上、…三上書状ニハ諸堂炎上云々、常行堂・法花堂・神輿・三社炎上云々、 1370
明応8  149907A23  尋尊大僧正記 延暦寺で火事の記事。 自京都注進、山門炎上所々廿日辰剋/根本中堂并御動座之神輿/大講堂 常行堂 法花堂/延命院 四王堂 大黒堂/御経蔵 鐘楼 政所等也/以上悉以廻禄、相残分戒壇院一ウ 1371
明応8  149908A06  尋尊大僧正記 仏師舜覚法眼没。 椿井仏師春慶<舜覚法眼>、入滅了、 1372
明応8  149910A06  鹿苑日記 鹿苑院の鶴、扇、杉雪の屏風など奪われる。 福枝申乙人所奪取者。常住鶴屏風隻。扇之屏風一双。杉雪屏風双。其余天山具器。托子。文台皆失矣。予之什物尽奪取焉。 1373
明応8  149910A08  鹿苑日記 先に奪われた屏風のうち扇の屏風が戻る。 扇屏風一隻還于院。 1374
明応8  149910A09  鹿苑日記 先に奪われた屏風のうち扇の屏風が戻る。 早晨扇屏風一隻復還矣。可喜也。 1375
明応8  149910A10  鹿苑日記 金屏風が到来する。 早晨金屏風隻。周僧自賀茂持来。諸僧看之。喜者太矣。予嘆息曰。天所護而還也。 1376
明応8  149911A08  大乗院日記目録 信貴山本堂立柱。 信貴山本堂立柱云々、 1377
明応8  149912A19  尋尊大僧正記 越昇寺、秋篠寺、法花寺、西大寺に兵火。 昨日申剋合戦、宗益手切勝了、越[超]昇寺・秋篠・宝来打負了、法花寺自夜前物取乱入、堂塔・僧房破向、・・・西大寺如法花寺云々、菅原寺ハ悉以夜前焼払了、負[角]寺打破了、 1378
明応9  150011A18  後法興院記 般若三昧院で後土御門天皇像に焼香する。 早旦参伏見御山庄奉拝先皇御影被焼香、…仰此御影最皇四十八歳御年御自筆云々、同被載御詠、以上宸筆云々、彩色以量筆云々、 1379
文亀2  150203A06  大乗院日記目録 長谷寺本尊観音像を仏師舜(春)慶が開眼する。 長谷寺本尊仏師法橋舜慶開眼沙汰、去卯年十一月廿二日炎上、辰年八月十五日御衣木加治、十二月廿一日造畢、仏師両人棟梁也、今日悉以出来、 1380
?  ?  日次紀章 正月始九日 小栗宗湛忌。 正月初九日 画工小栗宗丹忌 1381
明応9  150009A23  京都五山 天隠龍沢没。 二百卅一 天隱龍沢・・・明応九<庚辛>九月廿三日寂 1382
明応9  150009A23  京都五山 天隠龍沢没。 二百十八 天隱龍沢・・・明応九<庚申>九月廿三日寂 1383
明応9  150010A20  御湯殿上日記 小御所の造作始まる。 小御所の御さうさくはしまる。 1384
文亀1  1501  歴名土代 土佐光信、従四位下に任ぜされる。 従四位下/藤光信[土左刑部大輔] 明応一二九 1385
文亀1  150102A28  京都五山 蘭坡景没。 二百廿六 蘭坡景・・・文亀元年<酉>二月廿八日寂 1386
文亀1  150104A08  実隆公記 雲龍院修営についての記事。 抑雲龍院申請勅裁事頭右中弁書送之内々備叡覧、可然之由被仰下之、/当院修営事、今度被寄黒戸御殿了、早可被致其造功、殊来六月開山竹岩和尚百年遠忌<云々>、三朝之戒師、一宗之碩徳也、尤励彼追修之懇誠、弥可被致令法久住之精祈者、天気如此、仍執達如件、/二月廿八日   頭右中弁賢房 / 雲龍院住持上人御房 1387
文亀1  150106A17  実隆公記 実隆、弘法大師絵巻の詞を朗読。 自入江殿有召之間参入、弘法大師絵十二巻読詞 1388
文亀1  150106A24  実隆公記 延暦寺根本中堂上棟。 抑今日根本中堂地鎮、立柱、上棟等<云々>、 1389
文亀1  150108A16  大乗院日記目録 般若寺立柱。 般若寺立柱、 1390
文亀1  150108A20  実隆公記 実隆、広田社の板絵三十六歌仙絵の色紙形を書く。 伯二位入来、広田社内一社哥仙<卅六人、>就伊丹某所願令新図、其色紙形可染愚筆之由願主所望也、仍携来之由被命、板五枚、図卅六人、悪筆雖有憚不可有子細之由領状了、 1391
文亀1  150108A21  実隆公記 実隆、三十六歌仙絵の色紙形を書き損じ、絵所に色紙の塗り直しを注文。 昨日之色紙形書之、一首書違之間、仰画所色紙令彩色改、 1392
文亀1  150108A22  実隆公記 三十六歌仙絵完成。 哥仙色紙今朝遣之、 1393
文亀1  150108A26  実隆公記 実隆、新調の北野天神縁起の詞を書くことに決まる。 玄清来、波々伯部兵庫申送之旨、北野縁[記脱カ]可新調之、詞事可染愚筆歟事也、斟酌雖無極依事体可書試之由報之、 1394
文亀1  150109A18  実隆公記 実隆、新調の北野天神縁起を描く土佐光信と打ち合わせ。  画所預土左刑部少輔光信来、北野社本地絵先年紛失、今度可新図、件墨書大底出現、彼詞事予可令清書由、松梅院先日以波々伯部所望、領状之間委細絵事可相談之由也、 1395
文亀1  150109A23  実隆公記 宸筆の紺紙金泥阿弥陀経を進上する。 抑宸筆紺紙金泥阿弥陀経可校合進上之由被仰下之、 1396
文亀1  150110A04  実隆公記 実隆、光信と打ち合わせ。 土左刑部少輔来、北野縁起絵事相談之、 1397
文亀1  150110A04  実隆公記 土佐光信が実隆の帋形W写す。 土左刑部少輔来、・・・又愚拙肖像帋形令写之、十分不似比興也、 1398
文亀2  1502  雲谷庵誌 雪舟の伝記。 釈雪舟伝/周南 山県孝孺/雪舟本姓小田氏。・・・後去山口。居石州益田乙吉村大喜菴。<或曰梅木村。或曰梅月村。>文亀二年壬戌遷化。寿八十三歳。墓在大木菴云。 1399
文亀2  150202A06  大乗院日記目録 般若寺の文殊刀奉納について。 般若寺文殊刀初、高矢仏師大貳、丑寅方沙汰足、三日原戒蔵院五百貫奉加云々、 1400
文亀2  150203A05  宣胤卿記 三壇院本尊を絵所が制作。 勧進黄門状到来、座主宮被申三壇御本尊事、被仰付絵所、可被渡、儀式事、号三壇子細事等尋之、 1401
文亀2  150204A03  宣胤卿記 宣胤、誓願寺縁起絵二幅をみる。 先考月忌、・・・、参詣真如堂并墳墓、・・・次誓願寺縁起絵、彼寺僧持来被懸之、<二幅、>読縁起絵一巻、 1402
文亀2  150205A07  尋尊大僧正記 西大寺で火事。 今夜西大寺焼失、相残分四王堂之中門・石塔院・地蔵院・東大門、其余一切不残、 1403
文亀2  150205A07  大乗院日記目録 西大寺で火事。 夜西大寺焼失、不残一宇、 1404
文亀2  150205A19  宣胤卿記 西大寺で火事の記事。 勧黄門状到来、去七日西大寺焼失事注進、<案在左、>先遣返事了、 1405
文亀2  150209A02  実隆公記 実隆、明兆筆の十六羅漢像をみる。 自東福寺有使者、・・・又先皇御遺物十六羅漢<晁殿主筆、>加表背絵被見之、尤美麗也、 1406
文亀2  150209A13  実隆公記 実隆、保元城南寺競馬絵詞を写す。 保元城南寺競馬詞写之、 1407
文亀2  150212A17  実隆公記 実隆、宮中で禅師君絵をみる。 之後参内、・・・於常御所庇傾一盞、禅師君絵沽却、詞後光厳院宸筆由其主称之<云々>、可拝見之由被仰之、模様頗相違、但御若年間宸筆歟、慥不存知之由申入了、 1408
文亀3  1503  翰林葫蘆集 李伯時筆黄山谷図を相阿弥が写す。 山谷画像賛、此乃国工相阿描伯時画本者/也、伯時係辞因用其意/ 翁草走相追、正是東坡野歩時、不笠不蓑天乍雨、沾衣欲湿為催詩 1409
文亀3  150301A18  実隆公記 実隆、狭衣絵をみる。 統秋来話、狭衣絵令見之、近比之筆跡画図也、 1410
文亀3  150302A17  大乗院日記目録 妙音寺火元の火事。 釜口仏閣以下払地炎上、自火、申剋妙音寺火本、 1411
文亀3  150303A02  実隆公記 実隆、瀟湘八景図屏風に押す色紙形に書く詩歌十二首を撰ぶ。 八景詩事為被押御屏風有被仰談之子細、又色帋形詩哥十二首可撰進之由被仰之、当座引朗詠四季詩哥書進上之、 1412
文亀3  150304A24  実隆公記 詫間栄賀?筆の阿弥陀像を買う。 阿弥像<詫間法眼筆、>[代物二百疋[五月四日遣之]]良秀被持来之、 1413
文亀3  150305A16  実隆公記 実隆、禁裏の瀟湘八景図屏風の色紙形に詩をかく。 禁裏御屏風瀟湘八景賛色帋形詩<日本人、故人詩也、>、依仰今日染筆進上之、 1414
文亀3  150305A17  実隆公記 実隆、禁裏の瀟湘八景図屏風に色紙形を押すことについて相談される。 八景御屏風画図、色帋等可被押之、寸法等被仰談、愚存分申入之、 1415
文亀3  150305A18  実隆公記 禁裏の瀟湘八景図屏風に色紙形押される。 八景御屏風画図、色帋等悉被押之、 1416
文亀3  150307A09  後法興院記 当麻寺新曼陀羅の文字を旧例にならい当代の染筆とする。 当麻寺新曼荼羅依畠山両家乱焼失云々、仍此間企新図、然間以前新曼荼羅文字後鳥羽院被染勅筆間、今度新図文字事 当今被染 宸筆者可畏入之由、寺家懇望之趣自家門可執申之由、従一乗院有挙達之状、以内々今日申入処、若宮御生見玉御申沙汰御取乱云々、及晩飛鳥井宰相、遣迎院等来、令拝見曼荼羅、 1417
文亀3  150307A14  実隆公記 実隆、旧例にならい当院宸筆の当麻寺新曼陀羅をみる。 [抑]当麻寺曼羅新図<七ヶ年終功云々、>件文字可被染宸筆之由寺家所望、一乗院被執申之間、自陽明大閤被申入<云々、>以前新曼羅者建保年中図之、被染御鳥羽院宸筆<云々、>今度新図当代可被貽勅筆之条誠希代之事也、比趣夜前勅語、今朝可拝見之由被仰之間、早朝於小御所拝見、 1418
文亀3  150307A22  実隆公記 当麻寺新曼陀羅を今日、返却。 新曼陀[ママ]羅文字被染 勅筆今日被返下、 1419
永正1  150402A10  元長卿記 元長、窪田に盃台の絵様を描かせる。 召寄窪田、盃台絵様事事読[談歟]合令書之、二月中旬已進瓜[ママ]心也、 1420
永正1  150403A23  実隆公記 実隆、土佐光信に十三仏図新図を注文する。 十三仏新図事申付土佐刑部大輔了、代物少分今日遣之、 1421
永正1  150405A15  実隆公記 十三仏図完成。 十三仏新図像出現、土左刑部大輔令持送之、美麗殊勝自愛此事也、是為来十月之追善也、 1422
永正1  150408A07  宣胤卿記 宣胤、知恩院で法然上人絵についても法談をきく。 詣知恩院聴聞法談、<法然上人絵詞、>西塔念仏番帳書之、 1423
永正1  150410A14  実隆公記 先に制作した十三仏図を誰の?三十三回忌に使う。 先妣卅三回忌也、・・・/追善目録/奉新図十三仏尊像一鋪、・・・ 1424
永正2  1505  古画備考 鍛冶橋狩野家伝来の唐絵印譜集成巻物(雲溪永奧書の写しあり)についての記事。 ○梶橋家ニテ其祖先、写シ置レタル唐絵ノ印譜ヲ見、古写ノ巻物ニテ有シヲ、一人ヅゝ切テ張タル也、奧書ノ所アリ、是モ原本ノマゝ、写タル也、左ノ通有之、/右三巻之内、紙数七十枚、雲老写也、右従師匠譲得之、廿八巻之内、/永正二年月日  雲溪/コレニテ、数年ノ考ノ通リ、画家ニテ、時代ト云、慥ノ証ヲ得テ悦ナリ、<坦斎筆記> 1425
永正2  150510A28  尋尊大僧正記 大輔が仁王講曼陀羅を描く。 尭順仰仁王講万タラ一福[幅]大輔法眼ニ仰之、 1426
永正3  1506  本法寺過去帳 雪舟没の記事。 十日/備陽雪舟。<入唐四明天堂山第一座。雲谷庵。十月。> 1427
永正3  1506  宝山誌鈔 龍源院の障壁画についての記事。 龍源院・・/仏慧大円禅師東溪和尚開基/永正年中建之今及二百十四年能州畠山修理大夫某建之/絵中ノ間墨絵列仙等周礼ノ間薄彩色山水/同那ノ間墨絵猿猴同筆 1428
永正3  1506  丹青若木集・画家系 雪舟についての記事。 雪舟・・・永正三年丙寅八十七歳而遷化、寛文十一年迄凡二百三十余年 1429
永正3  150604A30  実隆公記 実隆、春日本地仏図をみる。 春日本地五尊<一幅、>絵所画之、今日令持進、殊勝出現自愛々々、 1430
永正3  150608A08  古画備考 雪舟についての記事。 雪舟等楊禅師、・・・/○雪舟覃老、属住芸州御許山仏通寺、而後移住備中国後月郡大月山重源寺、永正三年<丙寅>年八十七歳而於此寺、遷化、・・・/○雪舟、永正三年八月八日化、歳八十七、寺ヲ創三ヶ寺、相ノ了義寺、石ノイコウ寺、今一寺失念、各所ニ塔廟アリ、・・・ 1431
永正3  150609A05  多聞院日記 多武峯で火事。 今暁多武峯没落則焼了、 1432
永正3  150609A06  宣胤卿記 多武峯で火事の記事。 聞、昨日宗益責落多武峰、社頭諸堂坊舍悉焼失云々、大職冠尊像奉取出云々、 1433
永正3  150611A11  実隆公記 後三年絵についての記事。 頭中将参内、後三年絵令披見<云々、> 1434
永正3  150611A12  実隆公記 実隆、宮中で後三年絵をみる。 自禁裏後三年[武衡家衡対治事]合戦絵可披見之由被仰之、 1435
永正3  150611U01  実隆公記 実隆、常徳院御物の深夢絵をみる。 入夜見深夢絵、<乗徳院殿御物也、> 1436
永正3  150612A18  実隆公記 廬山寺で火事。 廬山寺方丈今朝回禄、失火<云々>、 1437
永正3  150612A22  実隆公記 実隆、朝倉貞景新調の京中屏風の噂を聞く。 甘露寺中納言来、越前朝倉屏風新調、一双画京中、土左刑部大輔新図、尤珍重之物也、一見有興、 1438
永正4  1507  尋尊大僧正記 長谷寺本尊観音供養。 *二日長谷寺本尊可有供養云々、・・・/十日/一長谷寺下向、・・・/十一日/*無之、/*物雨下故也、/*申、/*/*例毎事無為/十三日 1439
永正4  150702A28  実隆公記 先公(誰?)の月忌と廬山寺方丈立柱。 先公月忌、宝寿来、良秀依蘆山寺方丈立柱不来臨、 1440
永正4  150704A12  興福寺略年代記 長谷寺観音を供養。 四月十二日長谷寺供養。 1441
永正4  150704A23  宣胤卿記 賀茂社周辺で火事。 早旦賀茂社辺社人家等悉、香西発向焼払、・・・社頭許残云々、 1442
永正4  150705A13  実隆公記 実隆、宗碩より宗祇像の賛を頼まれる。 宗碩下向濃州、為暇請来、書状等言伝之、宗祇影像賛事可申宜竹之由示之、預置帰了、 1443
永正4  150706A13  実隆公記 実隆、宗祇像に景徐周麟の賛を請う。 寿首座来、聯句点到来、又宗祇影賛宜竹被草之持来、尤珍重也、早被清書可賜之由報了、 1444
永正4  150707A19  実隆公記 実隆、宮中で伊勢物語絵、行俊卿筆の詩歌などをみる。 色帋形伊勢物語絵并哥等卅六枚、詩哥卅六枚可被見之由有勅定、近来殊勝物也、詩哥者行俊卿筆也、 1445
永正5  150801A24  元長卿記 延暦寺根本中堂に金銅の七仏薬師を安置する。 進座主宮御教書、注左、/山門根本中堂七仏薬師金銅七躯、依先例為勅願可造立者也、任日時勘文、可被金懃行之由天気祇[候]也、為此旨可令申入座主宮給、仍執啓如件、/正月廿四日  左少弁伊長/以上 大納言法印之[御カ]房 1446
永正5  150802A23  如是院年代記 石清水八幡宮で火事の記事。 八幡宮火。 1447
永正5  150802A24  実隆公記 石清水八幡宮炎上の記事。 去夜石清水八幡宮炎上<云々>、 1448
永正5  150802A24  宣胤卿記 石清水八幡宮で火事の記事。 去夜戌剋、石清水八幡宮回禄、従燈明火出云々、言語道断事也、於御神体者奉出云々、 1449
永正5  150803A20  宣胤公記 東大寺で火事の記事。 右大丞折紙到来、東大寺講堂炎上事、/十八日夜亥剋[驚存候]東大寺講堂三面僧房悉以焼失之由、・・・社頭大仏殿等無為之儀候、 1450
永正5  150803A20  実隆公記 東大寺で火事の記事。 南都東大寺三面室并講堂一昨夜<十八日、>回禄<云々、> 1451
永正5  150803A21  実隆公記 誉田八幡宮炎上の記事。 覚城法師来、誉田八幡宮去十五日炎上云々、 1452
永正5  150806A15  京都五山 桂菴玄樹没。 二百四十 桂菴玄樹・・・永正五年<壬辰>六月十五日寂 1453
永正5  150808A29  実隆公記 桂陽筆の十三仏図が完成する。  桂陽所望之十三仏出現、自絵所送之、自愛也、 1454
永正6  150903A03  実隆公記 実隆所持の阿弥陀三尊を光信が写したものをみる。 中御門亜相新図阿弥三尊<光信朝臣画之、本尊以予所持本写之、>可拝見之由示送之、誠殊勝尊容也、 1455
永正6  150903A08  実隆公記 実隆、雲谷筆三条公敦法体像に焼香し、一首を賛す。 自内府故龍翔院右府禅門影像<雲谷筆、自賛有哥、>今日忌日可一見之由被命、則焼香念誦、及晩返遣之、副一首和哥了、 1456
永正6  150908A03  実隆公記 実隆、源氏絵色紙をみる。 陶三郎源氏絵色帋携来之、 1457
永正6  150908A11  実隆公記 実隆、雲谷筆の聖廟尊像に賛をする。 聖廟尊像<雲谷筆、>賛詩哥染筆、 1458
永正6  150908U12  実隆公記 芸阿弥、実隆に瀟湘八景押絵を送る。 今日留守之間芸阿来、八景押絵持来、秘蔵自愛々々、短冊和哥所望之也、 1459
永正6  150908U12  実隆公記 実隆、平家物語屋島絵の詞を朗読。 則参入江殿、心静御雑談、平家物語八嶋絵詞読申之、 1460
永正6  150908U17  実隆公記 実隆、相阿弥が八景図に所望していた短冊和歌を遣る。 [阿]所望短冊書遣之了、 1461
永正6  150908U20  実隆公記 実隆所持の妙音天像、瀟湘八景押絵などを叡覧に供す。 予所持之妙音天像、八景押画等備叡覧了、 1462
永正6  150909A06  実隆公記 実隆、頼まれていた源氏絵色紙に書す。 陶三郎所望之色帋書之、 1463
永正6  150910A15  実隆公記 実隆、比叡山安楽谷本尊の阿弥陀廿五菩薩来迎図をみる。 安楽谷本尊恵心僧都筆来迎阿弥廿五菩薩像三幅自御所可拝見之由被仰下之、結縁随喜者也、 1464
永正6  150910A30  実隆公記 実隆、明恵上人絵詞を写す。 明恵上人絵詞被写之、本愚筆也、不審字可直付之由上意<云々、>直進了、 1465
永正6  150911A19  実隆公記 源氏絵色紙についての記事。 陶三郎来、勧一盞、源氏色紙悉出現、一見之次第重遣之、 1466
永正6  150911A19  実隆公記 実隆、源氏絵色紙が双紙に押されているのをみる。 陶三郎来、・・・先度源氏色紙双紙押之令見、殊勝物也、抑留可一見之由命了、 1467
永正6  150912A21  公卿補任 春日社遷宮。 同(十二月)廿一日春日社正遷宮。 1468
永正7  1510  鄭沢尺牘・鉄山模本 狩野元信、鄭沢より称讃の書状をもらう。 吾看先生画採験若趙昌亦如馬遠筆跡甚可観也若進貢舟来時得游我国者必作先生門下弟子焉伏希伝達為幸 起居/拝知城鄭沢/狩野四郎次郎先生座下/正徳五年仲春 奉書/ 1469
永正7  151002A10  実隆公記 山国一宮、如意輪堂及び横川迎講之堂で火事の記事。 抑去朔日山国一宮<神体鏡云々、>并如意輪堂等焼亡、本尊者桓武天皇御作、伝教大師供養<云々、>・・・又聞、同夜山上横川迎講之堂焼失、自天所降之十大弟子等焼亡<云々、> 1470
永正7  151002A17  実隆公記 実隆、相阿弥筆の孔子像帋形をみる。 相阿来、先聖影帋形令見之、神妙也、則以此趣可書送之由報之、 1471
永正7  151003A02  実隆公記 相阿弥筆孔子、老子図完成。 夢庵有書状、遣青侍於相阿許、一昨日先聖并老子肖像染筆持来之間、謝其事了、 1472
永正7  151004A12  実隆公記 実隆、相阿弥筆孔子、老子図を叡覧に供す。 相公羽林当番参候、先聖并老子肖像備叡覧、 1473
永正7  151007A16  実隆公記 実隆、高野大塔修理勧進帳清書について相談し、高野験記絵をみる。 自照禅院有於使、大蔵卿<云々、>高野大塔[修理]勧進帳事御所望也、於清書者如形可沙汰進上之、草事可被仰別人之由申之処、猶草共可致了簡之由被仰之、木食聖高野験記絵携之来、先可加思案之由申了、 1474
永正7  151008A05  実隆公記 実隆、融通念仏縁起絵巻をみる。 [大原]良淵来、融通念仏縁起絵持来之、 1475
永正8  151108A19  宣胤卿記 風で内裏の年中行事障子が吹き破られる。 去暁風荒、内裏年中行事障子吹破云々、故行高卿手跡也、去長禄造内裏之時新調也、当時行季難書、可歎云[々カ]々、 1476
永正8  151110A16  東北大学本君台観左右帳記奧書 相阿弥『君台観左右帳記』を撰述する。 右此条々不実候へ共依所望思出次第ニしるし候不可有外見候也/永正八年<辛未>十月十六日 真相(花押) 1477
永正9  151202A  漁樵斎図 雪舟筆漁樵斎図に玉隠英賛を寄せる。(根津美術館蔵) 題漁樵齋/畫師雪舟游方于大唐、國裏之風烟/潤色其筆分天童第一座日域弓楮/写山水州某山某水四百州与?十州山/何無?碍光明ゝ通或作斎軸請?/??漁樵而題一詩云/捨異釣奇開此千山影落一江湖畫詩/肝肺吐雲水真落漁樵何無/永正壬申春二月 日/相鎌府沙門英九ゝ歳書于玉潤下 1478
永正9  151204A05  実隆公記 東大寺講堂刀始め。 講堂本尊刻彫御刀始事申之、泊瀬勧進聖行順上洛<云々、>其次第々且申入了、 1479
永正9  151204A07  実隆公記 東大寺講堂刀始め。 早朝有女房奉書、御刀始可為今日<云々、> 1480
永正9  151204U17  実隆公記 実隆、音一の頼みで伊勢物語絵詞を書く。 音一来、近日可下向能登<云々、>彼所望伊勢物語絵詞昨日立筆、今日終功了、 1481
永正9  151205A04  元長卿記 土佐光信筆、勧修寺縁起絵巻完成。 勧條[修カ]寺縁起之絵出来、光信[土佐]持来、祝着、 1482
永正10  151306A  鞍馬蓋寺縁起奧書 狩野元信筆、青蓮院尊応詞執筆の鞍馬寺縁起絵巻完成。 詞 青蓮院准后前天台座主尊応八十三歳。/絵 狩野大炊助藤原元信。/右鞍馬寺縁起者依子細任 尊天御新開画図奉寄附当寺/永正十年癸酉六月日/右京大夫源朝臣高国<御判> 1483
永正10  151306A25  東大寺梵鐘釣手座金銘 東大寺梵鐘完成。 大工延吉/永正十年<癸酉>六月廿五日造之/奉行大法師英憲 1484
永正11  151409A15  京都五山 了庵桂悟没。 百七十一 了菴桂悟・・・永正十一年<甲戌>九月十五日寂九十才 1485
永正12  151503A  厳島絵馬鑑 狩野元信、厳島大明神奉納三十六歌仙図絵馬を描く。 ○三十六歌僊之図[かせんのづ]・・・/為堺南北諸商人祈也/[うら書うつし]一厳島大明神/永正拾二年<乙亥>三月吉日 元信画之 1486
永正12  151512A02  公卿補任 足利義稙、三条高倉新邸に移る。 十二月二日将軍家三条亭新造移徙。 1487
永正13  151601A04  殿中申次記 相阿弥、元信、光信、粟田口らが朝廷に扇を進上した記録。 [正月]四日。/一芸阿。相阿。御扇二本進上之。御太刀被下之。先々ハ御練貫拝領之。/九日。/例日。/一[永正十三年]御扇。 一本。<為御嘉例進上。仍御太刀被下之。>狩野大炊助。/晦日。/一御扇一本。<自永正十三到十八年。>土佐刑部少輔。/一同。同前。 粟田口民部丞。/[六月]晦日。/一御扇 一本。<例年進上之。> 土佐刑部少輔。/一同  同。<例年進上之。> 粟田口民部丞。/[七月]卅日。/一御扇 。一本。 粟田口民部丞。/一同 一本。 土佐刑部少輔。 1488
永正14  151702A12  宣胤卿記 宣胤、誓願寺縁起絵巻の詞を書す。 誓願寺縁起絵詞一段書之。 1489
永正14  151703A01  元長卿記 宣胤、誓願寺縁起絵巻の別の段を書す。 誓願寺縁起詞一段書之、上東門院段也 1490
永正14  151704A15  厳助大僧正記 醍醐清滝宮上棟。 下清滝宮棟上有之。午刻大工右衛門千疋棟被懸之云々。 1491
永正14  151708A28  宣胤卿記 知恩院で火事の記事。 早旦東山知恩院焼失、 1492
永正14  151711A27  宣胤卿記 光信が先祖行光筆と極めた中殿御会絵屏風についての記事。 又今所持之屏風和哥并御遊等絵、其年号不審之処、太平記第四十巻貞治六年三月廿九日中殿御会人数等分明也、此屏風其時節物歟、古物也、絵ハ当時[先年御山門感得之、]絵所光信朝臣先祖行光書之由、光信朝臣先年称之、詩哥者為秀卿手跡歟之由、為広卿演説之、 1493
永正15  151804A04  厳助大僧正記 延暦寺根本中堂供養。 叡山根本中堂供養有之。 1494
永正15  151804A04  長享年後畿内兵乱記 延暦寺根本中堂供養。 山門中堂供養。 1495
永正15  151804A04  公卿補任 延暦寺根本中堂供養。 四月四日叡山一乗止観院(根本中堂)供養。 1496
永正15  151806A06  宣胤卿記 室町殿寿像の装束についての記事。 自殿下御使[大納言方]、室町殿御寄[寿イ]像被書御装束、御装束并御直衣分両様可被注申之由有御使<永家朝臣、>、無御調法、可注進<云々、>則注申了<可有御清書分也、>、 1497
永正15  151808A  法隆寺地藏堂須弥壇後方壁墨書 法隆寺地藏堂瓦吹き変えの銘。 永正十五年<戊寅>二月四日瓦葺初。同十八日・・・右者是迄雖桧皮葺為後代長弘法大師瓦葺奉修理。・・・/時文正五年<壬午>八月 日・・・ 1498
永正15  151810A06  益永文書 宇佐八幡宮第二殿上棟。 為当社貳御殿立柱上棟之祝物、杉伯[重輔]耆守方進宮御神馬壹疋、所令送進如件、/永正拾五年十月八日 [政所惣]道高(花押)/[宇佐宮結使]示現/大々工殿/・・・/−−小山田文書/就当宮貳御殿竪[柱上棟カ]/安社鎮護法入目等*/一檀銭三百疋請一檀引*/・・・/右前自御両所慥所*/永正拾五年十月六日  [宇佐宮*]*/政所惣[道高]殿/示現上人御房/ 1499
永正15  151812A02  公卿補任 足利義稙、常御所へ移る。 十二月二日武家常御所御移徙。 1500
永正15  151812A13  長享年後畿内兵乱記 石清水八幡宮?棟上。 十二月十三日。八幡棟上。 1501
永正16  151904A28  北島文書 出雲大社仮遷宮。 両国造ニ相分リ造営方北嶋執行之覚/一 永正十五年<戌寅>ひのえ[ママ]四月八日、かのとう、御遷宮、/以上/右へ壹所ニ集書写之、 1502
永正16  151904A30  千家文書 出雲大社仮遷宮。 永正年中大社御遷宮覚次第/・・・/一御棟上之事、永正十六年<己卯、>三月十四日<戊申、>午之剋、・・・/御遷宮之事/永正十六年四月廿八日、<かのとのう、>亥の時、・・・/永正十六年四月晦日出雲[千家]豊俊 1503
永正16  151905A09  宣胤卿記 恵心僧都由来の像の書写を光信に命じる。 書写事仰遣光信朝臣、此本ハ天王寺西門腋壁恵心僧都図像写之<云々、> 1504
永正16  151905A28  宣胤卿記 光信筆の衝立障子(表は阿弥陀、裏は不動明王)完成。 衝立障子之阿弥陀出来、光信[絵所土佐]朝臣書[「画」]之、今日五十疋<先日三十疋遣之、>遣之、臨終之時可立枕料也、裏ハ令書[「画」]不動明王、為令降伏臨終の[之]魔障也、 1505
永正17  1520  日下一木集 画僧崇因が仏鑑禅師像を写す。 勝雲<崇因画僧号。>/崇因上人者。京華人也。頃日将南遊。且西泊矣。庚辰之夏。奇遇乎志府之龍山。可謂風雲際会也。予於日南之西光古刹。拝 仏鑑祖之尊像。予告上人。願謄写以与之。帰程後三日。遠来就于僑居。写其真。無堪感戴。何以謝之哉。上人曰。字予可也。迺以 勝雲称之。以為涓之報而已矣。頌曰。/陽台々上謁王。自是和愁易断腸。飄々片々無定止。被風ふく吹去出扶桑。 1506
永正17  1520  厳島絵馬鑑 厳島神社に和歌を実隆筆、光信画の三十六歌仙絵馬が奉納される。 ○三十六歌僊之図[かせんのづ]・・・/[うら書写し]永正十七暦<願主道本>  僊哥右筆実隆公/光信図之 1507
永正17  152004A24  実隆公記 実隆、清水寺縁起絵巻の詞書を執筆する。 清水縁起絵詞端五段今日染筆、遣甘露寺了、 1508
永正17  152006A13  実隆公記 二尊院仏殿立柱。 今日二尊院仏殿立柱<云々、>珍重、 1509
永正17  152006U29  永正十七年記 東寺の大絵師絵巻叡覧。 自東寺大絵師<十二巻>懸御目之間令登山。可拝見歟之由。自水本被示候。依僧正御房。予令登山。於御前拝見之。詞水本被読了。 1510
永正17  152006U29  厳助大僧正記 東寺の大絵師絵巻叡覧。 東寺御絵自門跡御競望候間進之。御拝見了。 1511
永正17  152011A03  談山神社文書 多武峯談山神社遷宮戴記事。 当社正遷宮来十日之間、被聞食畢、任先例所被立使也者、長者宣如此、悉之、以状、/永正十七年十一月三日 右衛門佐宣綱[中御門]/多武峯寺衆徒中 1512
永正17  152011A06  実隆公記 実隆、宮中で弘法大師筆の仁王経と絵をみる。 向中御門、大師御筆仁王経并同絵拝見、 1513
永正17  152011A09  宣胤卿記抜書 多武峯談山神社遷宮の記事。 明日多武峯社遷宮、関白[二条尹房]家使右衛門佐<十歳、>宣綱、今日至南都下向、 1514
永正17  152011A10  公卿補任 多武峯談山神社遷宮。 十一月十日多武峯遷宮。 1515
永正17  152011A10  華頂要略 多武峯談山神社遷宮。 同[永正]十七年庚辰十一月十日多武峯遷宮、 1516
永正17  152011A10  実隆公記 多武峯談山神社遷宮。 今日多武峯遷座<云々、> 1517
永正17  152012A07  実隆公記 実隆、誓願寺縁起絵巻新図をみる。 誓願寺絵新図自四条送之、一見了、 1518
永正18 大永1  152102A12  永正十八年高野山焼失記 高野山で火事。 永正十八年二月十二日午刻之時。西院[ヨリ]不慮[ニ]火出[デ]。壇場[ノ]伽藍一宇[モ]不残。院々[ノ]坊舎堂塔経蔵数尽[ス]。往生院迄焼畢。 1519
大永1  152102A12  公卿補任 高野山で火事。 二月[十二]日高野炎上。 1520
永正18 大永1  152102A12  高野山文書・続宝簡集 高野山で火事。 紀伊国伊都郡高野山金剛峯寺堂塔建立来由/一根本大塔・・・/後柏原御宇、永正十八年二月十二日、従西院之小坊失火、起魔風吹来、壇場之諸伽藍悉回禄了、・・・ 1521
大永1  152102A12  厳助大僧上記 高野山で火事。 高野炎上。自西院福智院出火。大塔。金堂已下寺家伽藍三百余宇。塔婆十九基。衆徒行人等坊三千九百余宇。仏像経巻顕密正[聖カ]教焼失。 1522
大永1  152102A17  春日社司祐維記 高野山で火事の記事。 伝説云、去十二日夜、高野寺十カ八九者焼失之[四十九院内也、此内四十七院内焼失ト云々]、四所明神并金堂、・大塔始而、塔分九キ焼失之ト云々、西院ヨリ出火之ト云々、奥院者残ルト云々、 1523
大永1  152102A26  永正十三年八月日次記 高野山で火事の記事。 伝聞、去十二日、高野山大塔・金堂以下諸房悉以為火災焼失云々、愁傷之至無極、但奥院等無其苦云々、 1524
永正18 大永1  152108A29  真正極楽寺文書 真如堂供養。 為真如堂々供養、御太刀一腰<持>、御馬一疋<鹿毛、印雀目結、>可牽進之由、所被仰下也、仍執達如件、/永正十八年八月廿九日  伊勢守[伊勢貞?忠]/真如堂別当御坊 1525
大永1  152108A29  実隆公記 真如堂供養。 真如堂[真正極楽寺]堂供養、 1526
大永1  152108A29  二水記 真如堂供養。 伝聞、今日真如堂供養有之、 1527
大永1  152108A29  華頂要略 真如堂供養。 大永元年八月廿九日、真如堂供養勤導師、<有舞楽、>勅使柳原蔵人右中弁藤原資定、 1528
大永3  152302A  君台観左右帳記(東博本)奧書 相阿弥が君台観左右帳記を過剋斎に与える。 此一巻書大略致存知分。慥注申候。御不審之事候者尋可承候。就口伝可申候。不可有外見者也。/大永三二月吉日 松雪斎鑑岳真相在判 1529
大永3  152304A  法隆寺中門金剛力士像(吽形)納入妙法蓮華経巻第三奥書 法隆寺中門金剛力士像(吽形)を修理する。 去大永三年四月日。当時中門二王之西金剛大力士一体衰損之間。奉刻直之。大施主順行法師。大仏師定見房。同弟子童子随逐之。釜口山之住侶也。同五年<乙酉>秋九月日。又奉彩色之。絵師乗春房為棟梁。願明房。願舜房等為同心。仍法華一部胎内仁可奉納之由。本願順行法師勧進之間。愚僧住随喜之意。此一巻奉書写畢。冀及利益於慈尊之出世/大法師頼憲五師。<生年五十七歳。戒四十二矣。> 1530
大永3  152304A25  実隆公記 実隆、勝尾寺縁起絵巻をみる。 勝尾寺縁起絵被送之、一見有興、 1531
大永3  152306A20  実隆公記 西山縁起絵巻についての記事。 西山絵詞自前左府返給、 1532
大永3  152306A24  実隆公記 実隆、西山縁起絵巻の詞を書き終える。 西山縁起絵詞終書功、 1533
大永3  152308A16  実隆公記 実隆、足利義澄筆の観音図をみる。 将軍[足利義澄]御筆観音自法住院被召寄、拝見、 1534
大永3  152310A07  実隆公記 春日験記絵巻の詞についての記事。 春日霊験絵詞自徳大寺被送之、 1535
大永3  152310A11  実隆公記 足利義澄筆の観音図は自賛で叡覧に供す。 将軍御筆観音、右京大夫所望賛同御自筆自徳大寺被送之、拝見、驚目、備叡覧、則返遣之、 1536
大永3  152311A03  実隆公記 春日験記絵巻の詞についての記事。 春日験記絵詞校合、返遣徳大寺了、 1537
大永3  152312A03  土佐文書 土佐光茂、左近将監と呼ばれる。 丹州多紀郡、大芋本所分代官職事、端阿為下代、宮林致存知上者、任御下知旨、為守護使不入之地、荒木大蔵大夫令領*如先々可取沙汰*不畢、宜被存知之由候也。仍執達如件。/大永三/十二月三日  秀綱/土佐左近将監殿 1538
大永4  152402A12  法隆寺綱封蔵鳥衾銘 法隆寺綱封蔵の瓦を葺く。 コノクラハキタヨリ六ケンノフンタツ/人数七人/大永四年〈甲申〉二月十二日ヨリハシムル/瓦数一万/施主十宝院舜清法師敬白/瓦ツクル衆 四郎次郎 新三郎 小太郎 コ三郎 次郎九郎 新三郎 1539
大永4  152403A11  法隆寺西堂丸瓦銘 法隆寺西堂の瓦を制作する。 大永四年三月十一日 1540
大永4  152404A07  幻雲文集 寿蔵主、夢中にみた千光大士(榮西)と観音の図を狩野元信に描かせる。 弟夢拝千光大士記/法弟寿蔵主。大永四年四月七日之夜。詣吾東山護国塔下。拝開山千光大士。時有観音。従龕中出。慈容赫々。而後千光大士立龕之側。手一篋。有舍利塔。使頂礼。大士把府で、展紙書者数行。且曰。曾所記事。今年期満。今当改書。曰。願賜其筆跡。為他日証。大士轍書其次者又四五行。末題名与花判。賜。於是五皷既鳴。夢亦覚矣。惘然。翌夜詣塔下。焼香三拝。以原其夢。適有龕前点百灯者。霊光如昼。玄関自然開而不及敲焉。弥生信心。走尋画師狩野氏元信。語其夢図其境。絵事既成。竊呈山野。需記顛末。… 1541
大永4  152408A12  実隆公記 京で火事。 午後乾方有火、自柳原辺出云々、猛風頻吹、数百間焼失、此辺風下也、禁中両所・新大典侍局里屏中門上等已燃上、雖然各打滅、昏鐘後大略火静、 1542
大永4  152410A18  実隆公記 禁裏?の瓦を葺き始める。 御殿上之瓦今日置之、珍重々々、 1543
大永4  152410A19  実隆公記 禁裏の瓦葺き、修理始まる。 広橋[守光]有使者、昨日御殿瓦等置之、周備珍重、於彼大工賜御太刀云々、且御修理尤珍重之由有命、 1544
大永5  152505A20  土佐家系図 土佐光信没。 ○光信[号土佐 光弘男]…大永五年五月廿日卒九十二歳。 1545
大永5  152505A20  画家墳墓記 土佐光信没。 大永五年五月二十日/土佐刑部大輔光信  (寺町)芦山寺 1546
大永5  152507A16  実隆公記 実隆、熊野三山絵図を宮中でみる。 熊野三山絵図〈懸絵〉、住心院送之、内々備叡覧了、 1547
大永5  152508A27  二水記 将軍邸常御所、上棟。 室町殿常御所今日御上棟云々、 1548
大永5  152510A27  実隆公記 相阿弥没。 (補書)「相阿[真相]逝去云々、廿九日葬礼云々、」 1549
大永5  152511A12  二水記 狩野元信、三条西公条邸で松竹梅の屏風を描く。 午時向帥卿亭狩野画屏風〈松竹梅〉即時圍[周]備事[了]早速筆勢絶妙也見物衆各悦目了、 1550
大永5  152511A12  実隆公記 狩野元信、三条西公条邸で松竹梅の屏風を描く。 帥二枚屏風招鹿[狩]野令書之、則出現、珍重、 1551
大永5  152511U27  実隆公記 実隆親子、孫とともに円満院で三井寺絵をみる。 及晩帥父子・裏辻少将[公教]等向円満院、三井寺絵一見、 1552
大永5  152512A13  二水記 足利義晴、三条殿に移る。 室町殿今夜〈戌剋〉御移徙也 1553
大永5  152512A13  公卿補任 足利義晴、三条殿に移る。 十二月十三日将軍移徙。 1554
大永5  152512A13  実隆公記 足利義晴、三条殿に移る。 室町殿御移徙戌剋云々、 1555
大永6  152601A20  実隆公記 実隆、源氏絵様草子をみる。 源氏絵様草子五帖甘露寺所持本左五局借用、伝借遣飯河了、 1556
大永6  152602A16  公卿補任 石清水八幡宮遷宮。 二月十六日八幡宮遷宮。 1557
大永6  152602A16  実隆公記 石清水八幡宮遷宮。 今日八幡宮、 1558
大永6  152604A28  宗長手記 大徳寺山門立柱の記事。 同廿八日。紫野龍宝山大徳寺山門。去正月廿六日立柱拝見。 1559
大永6  152611A13  実隆公記 実隆、屏風貼付用の源氏絵扇面をみる。 三亜相在此亭、扇面図被持来、源氏絵也、神妙物共也、為押屏風云々、 1560
大永6  152612A  相州兵乱記 安房の里見義弘、鎌倉鶴岡八幡宮などを破却する。 大永六年十二月ノ比安房ノ守護人里見左馬頭義弘。小弓ノ義明ノ下知ニ随ヒテ。数百艘ノ兵船ヲ用意シテ竊ニ相州鎌倉エ押渡リ。在家ヘ乱入。宮寺ノ神宝ヲ奪ヒトリ。仏閣ヲ破リ。鶴岡ノ宝蔵ヲ破却スト聞ヘケレバ。 1561
大永7  152702A24  言継卿記 相国寺で火事。 夜八時分相国寺、鹿苑院焼候了、仏殿計残皆焼了、 1562
大永7  152703A15  二水記(内閣文庫本) 仏師永賀、観音小像三十三体を宮中に納める。 佛師永賀僧都〈近年従坂東上洛/尤神妙上手也〉奉作観音小贈三十三躰禁裏御物之令見物了 1563
大永7  152703A18  御湯殿上日記 知恩院の法然上人絵巻を叡覧。 ちおん院より法然上人絵御覧之間、詞自一至五読之、 1564
大永7  152705A03  実隆公記 通元寺で火事。 通元[玄]寺回禄、仏殿外悉焼失云々、 1565
大永7  152711A01  実隆公記 貴船神社で火事。 (補書)貴布本社夜半後焼亡、但神体無恙云々、 1566
大永7  152711A02  御湯殿上日記 貴船神社で火事。 きふねのはしの社ゑんしやうのよし。社務てんそうして申。 1567
大永7  152712A04  実隆公記 新善光寺で火事。 抑御影堂[新善光寺/下京]焼亡、下京有小合戦云々、 1568
享禄1  152803A16  実隆公記 実隆、天平・年奧書、聖武天皇宸筆とされる過去現在絵因果経をみる。 聖武天皇宸筆過去因品[果カ]経〈有絵〉、拝見殊勝者也、天平七年勅筆也、三嶋治部所令見也、則返遣之、 1569
享禄1  152805A08  公卿補任 春日大社遷宮についての記事。 五月八日春日社正遷宮日時定。堂十四日正遷宮。 1570
享禄1  152805A14  実隆公記 春日大社遷宮。 今日春日社正宮也、 1571
享禄1  152810A27  実隆公記 実隆、十二時絵をみる。 十二時絵被見之、 1572
享禄2  152901A07  実隆公記 実隆、新調の小屏風に源氏物語の詞をかく。 勾当小屏風新調、源氏詞〈梅枝〉、直書之、 1573
享禄2  152902A  皇朝名画拾彙 熱田神宮縁起絵巻制作される。 如野和泉 能画、享禄二年二月、描画重修尾州熱田社絵巻、詞書僧賢信也、当今社家蔵焉。 1574
享禄2  152902A30  御湯殿上日記 春日験記絵巻叡覧。 かすかのけんき昨日まいりて。けさとく御らんせらるゝ。 1575
享禄2  152903A01  実隆公記 三条西公条、実世、宮中で春日験記絵巻をみる。 晩頭帥父子[公条・実世]御祝祇候、春日絵拝見云々、 1576
享禄2  152903A01  言継卿記 言継、宮中で春日験記絵巻をみる。 春日社験記〈二十巻在之、〉可拝見之由、昨日被仰間、八過時分参内、…帥卿被読候了、 1577
享禄2  152904A09  実隆公記 実隆、先年執筆の真如堂縁起絵巻の詞を書き改める。 公助僧正有状、真如堂絵詞〈下巻先年予所書也、〉有可改正之事、可染筆之由也、得其意之由返答、則書写了、 1578
享禄2  152904A12  御湯殿上日記 春日験記絵巻、宮中より春日大社に返却される。 かすかのけんき。なんとより昨日とりにまいりて。こんゑとのゝ物にわたさせられて。まてのこうち。にわた。ひろはし物ともそひてうちまて御くたしありて。うちよりなんとの物うけとりて。するする*と御かへり。めてたしめてたし*。 1579
享禄2  152904A14  御湯殿上日記 栂尾の縁起、宮中に運ばれる。 とかのおのゑんき色色*まいる。 1580
享禄2  152906A18  実隆公記 実隆、窪田筆の三十六歌仙絵の歌をかく。 本覚寺所望卅六哥仙哥〈故窪田画云々、〉和泉境経王寺之所望云々、今日染筆了、 1581
享禄2  152906A29  御湯殿上日記 融通念仏縁起絵巻の銘を天皇がかく。 妙法ゐん殿より詞とあさはしたるとて。ゆつう念仏のゑんきの絵まいりて銘を勅筆を申さるゝ。あそはしていたさるゝ。 1582
享禄2  152908A02  実隆公記 実隆、土佐光茂、狩野元信に扇絵を注文。 可遣大内之扇十本土左[佐]・狩野両人申付之、各五十疋手付遣之、 1583
享禄2  152908A12  実隆公記 土佐光茂、狩野元信制作の扇完成。 狩野扇・絵所[土佐光茂]扇等各出来、則代物遣之、 1584
享禄2  152910A03  御湯殿上日記 狩野元信が宮中で屏風を描くのを叡覧。 かのに御ひやうふかゝせられて御らんせらるゝ。たけのうち殿。おとこたちなとまいりてみまいらせらるゝ。 1585
享禄2  152910A04  御湯殿上日記 狩野元信、宮中で屏風制作中。 かのけふもまいりてかきまいらせて、御たちたふ。 1586
享禄2  152912A04  実隆公記 実隆、西山で法然上人、善恵上人の御影をみる。 西山相承三衣・法然上人・善恵上人御影等西山霊宝祐全令見之、御影暫抑留、欲写之、 1587
享禄2  152912A06  実隆公記 実隆、土佐光茂に法然上人、善恵上人の肖像画の制作を命じる。 土左[佐]将監[光茂]来、昨日所召也、召出前賜盃、法然上人・善恵上人肖像事申付之、 1588
享禄2  152912A09  実隆公記 実隆、善恵上人像の像容について土佐光茂より相談を受ける。 両上人御影将監光茂書進之、善恵上人御影数珠可為木色之由申之、其分可書之由仰了、則書来、 1589
享禄3  1530  画工譜略 狩野正信没。 狩野祐盛伯信…行年九十七歳にして享禄庚寅三年に卒。 1590
享禄3  153002A26  実隆公記 実隆、慈鎮和尚らの似絵に和歌をかく。? 慈鎮和尚人々似像[絵]被書、其和哥為昨日類筆、可被見之由青門承之、勧首座為御使持来、暫先可申預由申之、 1591
享禄3  153012A07  実隆公記 実隆、朝倉孝景所藏の屏風のため詩歌十二枚をかく。 朝倉右衛門[孝景]大夫屏風而詩哥十二枚今日書之、 1592
享禄3  153012A11  実隆公記 東福寺で火事。 東福寺悉破却云々、 1593
享禄3  153012A13  実隆公記 東福寺の火事の報告。 東福寺塔頭廿余ヶ所相残、海蔵院其外所焼失、言語同断也、遣仰院焼亡、歎息無比類、万陀羅者兼日遣他所云々、 1594
享禄4  153104A08  実隆公記 実隆、参鈷寺縁起絵巻(善恵上人絵巻)の詞をかく。 抑光明院有状、宗仲墨一延送之、参鈷寺縁起絵新写六巻、〈全〉、詞可染愚筆之由也、 1595
享禄4  153104A24  実隆公記 源氏表紙についての記事。 (補書)「源氏表帋到来、六十図帋出現、代裏辻十疋下行」 1596
享禄4  153104A27  実隆公記 金沢文庫所藏、夢窓国師詞執筆の十牛図についての記事。 常庵和尚入来、紙十帖・十牛図〈頌以下夢窓国師筆、画図絶妙物也、金沢文庫物云々、〉被進上禁裏、 1597
享禄4  153104A27  御湯殿上日記 十牛図、叡覧。 しやうあんするかへくたりて。御みやけにするかかみ十てう。十こしのつのゑことははむさうかゝれたるしん上申さるゝ。み事なりゑなり。 1598
享禄4  153105A10  実隆公記 参鈷寺縁起絵巻の詞完成。 参鈷寺絵詞終書功、歓喜々々、銘事申青門、 1599
享禄4  153105A13  実隆公記 実隆、?を禁裏に進上する。 絵〈両本、〉進上禁裏、 1600
享禄4  153105U10  実隆公記 実隆、足利義晴筆の観音像をみる。 大樹[足利義晴]御筆、観音像被見、尤神妙殊勝無極者也、 1601
享禄4  153105U28  実隆公記 実隆、酒呑童子絵巻の奧書などをかく。 酒伝童子絵銘、奧書等三巻書之、 1602
享禄4  153106A22  実隆公記 北藤絵奧書についての記事。 外郎被官卯野来、北藤絵奧書〈三枚〉、住心院返事等渡之、 1603
天文1  153201A05  言継卿記 禁裏四枚屏風に貼り付ける色紙を分担する。 禁裏四枚屏風御沙汰、色紙十六枚有之、貞観政要之文を帥大納言、〈四枚〉、四辻前大納言、〈三枚〉、鷲尾前中納言、〈三枚〉、三条大納言、〈三枚〉、源中納言等被書候、其御屏風と御本と被出、両三人可校合之由被仰候了、 1604
天文1  153202A12  実隆公記 実隆、本誓寺本尊阿弥陀二十五菩薩来迎図、法然上人像をみる。 本誓寺本尊恵心筆阿弥陀廿五菩薩*在之、近来見事本尊也、法然上人自筆影[乗三日カ]月[号]三日月御影云々、同名号等宗善持来、拝見殊勝々々、 1605
天文1  153206A06  御湯殿上日記 土佐光茂、刑部大輔に任じられる。 とさの将けん刑部大夫の事。正五位下の事。一くわん一きう左中弁ひろう。御心之のよしおほせらるゝ。 1606
天文1  153206A06  実隆公記 土佐光茂が実隆を訪問。 光茂[土佐]来、飯川返事遣之、但称無便宜之由翌日返之、 1607
天文1  153206A09  土佐文書 土佐光茂、刑部大輔に任じられる。 口宣案/享禄五年六月九日宣旨/左近衛将監藤原光茂/宣任刑部大輔/蔵人頭左中弁藤原兼秀〈奉〉 1608
天文1  153206A09  歴代土代 土佐光茂、刑部大輔に任じられる。 藤光茂[土佐絵所] 享禄五六九 同日形[刑歟]部大輔 1609
天文1  153211A11  実隆公記 実隆、飯川の書状を狩野元信にやる。 飯川遣書状、持遣狩野許、 1610
天文1  153211A20  実隆公記 実隆、飯川の書状を狩野元信に再びやる。 飯川方書状今日又遣狩野了、 1611
天文1  153212A15  実隆公記 宸筆賛、土佐光茂筆の人麿像の記事。 人丸影〈賛宸筆、梅花多、光茂筆、信実筆写之、〉雖無表帋居圭章盆〈室町殿所賜也、〉遣之了、 1612
天文2  153312A08  京都五山 月舟寿圭 二百四十七、月舟寿圭…天文二年〈癸巳〉十二月八日寂 1613
天文3  153401U16  言継卿記 三国、粟津弥三郎が描く双紙の記事。 従早々中御門へ罷向、双紙書候了、…絵者三国と云物、粟津弥三郎両人して写候、 1614
天文3  153402A09  御湯殿上日記 仏師叶円、朝廷の命で阿弥陀本尊をつくり始める。 叶円にあみたのほんそんつくらせられて、御いてきあり。四十八たいの御くわんにつきてつくらせらるゝ。ほんそんにそと御かたなめいれらるゝ。 1615
天文3  153402A14  快元僧都記 鶴岡八幡宮の楼門、蟇股に奈良大工が唐草を彫る。 奈良大工楼門階隠桁蟇俣ニ蓮唐草彫了。今日仕付者也。 1616
天文3  153403A04  御湯殿上日記 土佐光茂筆の長谷寺観音像開眼供養についての記事。 はせのくわんおんのそん像とさのきやうふ大輔にかゝせられて。定法寺公助僧正に開眼くやうの事おほせられてまいる。 1617
天文3  153403A15  言継卿記 言継、舞絵を貸す。 又景雄来候、舞絵見度由申候間、二巻遣候、取て帰候了、 1618
天文3  153409A19  快元僧都記 鶴岡八幡宮の楼門、蟇股に絵書森村が彩色する。 階隠彫物可被彩色由。絵書森村上倉ス。絵具相調彩色了。 1619
天文3  153410A01  快元僧都記 蟇股の彩色完了。 蟇俣之彫物彩色了。森村帰宅。 1620
天文4  153502A22  法隆寺北室院本堂仏壇壇板裏墨書 法隆寺北室院阿弥陀堂仏壇制作される。 番匠衆大工〈来円太郎太夫 次郎太夫/多聞太郎太夫 三郎次郎〉/奉造立法隆寺上宮王院阿弥陀堂仏壇 住侍〈持〉比丘秀海/代官春賢法師/堂僧衆〈宥如房/春明房〉禅明房/天文年〈乙未〉二月廿二日 1621
天文4  153504A03  後奈良院宸記 足利義晴、葦曳絵巻を借りてみる。 武家へ葦曳絵五巻借之、 1622
天文4  153505A16  法隆寺西室軒平瓦銘 法隆寺西室瓦に銘が刻まれる。 天文四年五月十六日 1623
天文4  153506A19  後奈良院宸記 足利義晴、自筆の観音像を献上する。 自武家観音尊像自筆被進上、喜悦之由以勅書謝之、 1624
天文4  153509A11  後奈良院宸記 三条西公条、宮中で東大寺八幡縁起絵巻をみる。 帥大納言八幡縁起絵二巻〈上下〉見参ニ入、 1625
天文4  153509A12  後奈良院宸記 東大寺八幡縁起絵巻についての記事。 東大寺八幡縁起、絵言葉今日書之、帥卿ニ遣 上巻許也、絵者大和国絵師也、 1626
天文4  153511A07  後奈良院宸記 狩野(元信)宮中で唐絵屏風を描く。 可野ニ唐絵屏風、今日書進近頃見事也、 1627
天文4  153512A23  後奈良院宸記 祇園精舎図(狩野の筆か)を叡覧。 故清法印令図天竺之祇園精舎之画、同見之懸画也、可野筆歟、 1628
天文5  153606A02  御湯殿上日記 法然上人縁起叡覧。 竹のうち殿御まいり。ほうねんのゑんきあそはせまいらるゝ。 1629
天文5  153606A29  厳助大僧正記 長谷寺で火事。 泊瀬炎上。不残一宇悉焼失云々。不奉出也云々。 1630
天文5  153612A  厳助大僧正記 土佐光茂、太元明王八臂像を描く。 十二月。太元明王八臂像新図也。土佐将監誂也。手間三百疋也。遣之。 1631
天文6  153701A27  御湯殿上日記 源氏絵扇面献上される。 なかはしうつくしく御あふきにけんしをかゝせて御しん上あり。 1632
天文6  153710A03  御湯殿上日記 三条西実隆没。 けふひるすきにせうようゐんこうせらるゝ。 1633
天文6  153710A19  厳助大僧正記 三条西実隆没。 同日。逍遥院他界。於嵯峨二尊院後事有之。 1634
天文7  153805A30  厳助大僧正記 狩野筆の屏風完成。 屏風新調。狩野絵出来也。 1635
天文7  153812A02  親俊日記 源氏物語扇面流図屏風についての記事。 源氏屏風扇流アリ拝見 1636
天文8  1539  本朝画史 小島亮仙についての記事。 ●小島亮僊…自書画中、有曰天文八土のと亥中夏越溪小島亮仙筆者 1637
天文8  153904A26  親俊日記 公方様御殿上棟。 公方様御殿棟上 御成在之〈午刻〉/貴殿棟上〈同刻〉 1638
天文8  153905A27  古画備考 狩野元信、扇座の権利を幕府に申請。 狩野元信…/○ 天文八年五月廿七日、永明院并扇庫中申当職事、相続人数之外号[別]細工於非分族者、御停止所重而可被成下、御下知旨、捧請文申候、/請文 永明院光信/蓮池平左衛門尉/加判 秀明/狩野大炊助/元信 1639
天文8  153907A13  公卿補任 誓願寺遷宮。 七月十三日誓願寺遷座。 1640
天文8  153910A15  証如上人日記 狩野元信、石山本願寺で描く。 金台寺狩野大炊助昨夕下候。自此方喚たる也。 1641
天文8  153911A10  厳助大僧正記 誓願寺立柱。 誓願寺立柱上棟。 1642
天文8  153911A11  証如上人日記 狩野元信は石山本願寺での仕事をヰ終える・ 狩野大炊助ニ為筆功千疋、綿十把遣之。明日以舟可上洛分也。 1643
天文8  153911A28  御湯殿上日記 北野社遷宮。 こよひきた野のせんくうにて。ちよくし左中弁せんみやうのけさんに入らるゝ。 1644
天文9  154007A26  快元僧都記 絵書珠牧、鎌倉の八幡宮内陣の障子絵を描く。 絵書珠牧上倉。本生↓伊勢山田住人也。諸国廻令小田原参。以不計御縁御内陣御障子等絵。可被書之由下知云々。 1645
天文9  154007A27  快元僧都記 八幡宮の障子絵の板彫に彩色する。 珠牧象辞之板。彫物彩色有之。 1646
天文9  154008A26  御湯殿上日記 嵯峨の縁起絵巻を叡覧。 大かく寺殿よりさかのゑんきのゑ。けさんに入らるゝ。 1647
天文9  154009A01  快元僧都記 絵書珠牧筆の障子完成。 絵書珠牧御殿御障子中絵被書畢。以夜続日被 1648
天文9  154011A22  快元僧都記 舞楽が行われる。 天晴風静。上宮転経舞楽等有之。導師某快元。… 1649
天文10  154102A02  土佐文書 土佐光元、左近将監に任じられる。 口宣案/上卿三条中納言/天文十年二月二日宣旨/藤原朝臣光元/宣任左近将監/蔵人頭左中弁藤原資将〈奉〉 1650
天文15  154105A  丹青若木集 雪村、会津城主葦名守氏に画軸巻舒法を授ける。 周継雪村…会津之城主葦名守氏授画軸巻舒法,有一軸、此奥書為天文十五年五月日、 1651
天文10  154111A03  至大唐御進物別幅分 大内義隆、狩野元信に大唐進物用の屏風、扇の制作を命じる。 一 御屏風〈金〉三双事/…/一 天文十年十一月三日可能大炊助被仰付之。…天文拾二之六ニ至山口到来了。/…/御扇百本事/…/一 右狩野大炊助仰付之。子細右同前。 1652
天文11  154202A  文晃画談 雪村、説門弟資を述す。 説門弟資云/…/天文十一壬寅如月 常州辺垂寓住雪村誌之、 1653
天文11  154202A  古画備考 雪村、常州辺垂に住む。 雪村…/○天文十一壬寅年如月、常州辺垂寓住雪村誌之、〈常野ノ境、鳥ノ子山麓尾形〉 1654
天文11  154203U27  多聞院日記 戒壇院の受戒堂の瓦を葺き替えについての記事。 祐金上人被来、戒段院受戒堂瓦フキノ勧進之間少入了、一枚六文ツゝ也云々、 1655
天文11  154204A02  親俊日記 足利義晴、室町殿造営開始。 公方様御普請初之 1656
天文11  154204A03  久政茶会記 武野紹鴎所持の道具についての記事。 [壬寅卯月三日]一堺紹鴎へ/…/円座カタツキ[肩衝]、方盆二、袋カントウ[間道]、 1657
天文11  154205A22  親俊日記 親俊、狩野の画事を見物する。 狩野所ニて絵見物之、 1658
天文11  154206A17  御湯殿上日記 近衛邸で扇合わせが行われる。 けふやうめいにて右京大夫なとみなみな*あふきあはせあるよしきこゆ。いかなる風流そやとそ。 1659
天文11  154207A21  証如上人日記 石山本願寺阿弥陀堂立柱。 辰刻、阿弥陀堂之立柱有之。 1660
天文11  154207A26  証如上人日記 石山本願寺阿弥陀上棟。 巳剋阿弥陀堂上棟有之。 1661
天文11  154211A05  証如上人日記 狩野元信、石山本願寺に召し出される。 狩野越前守就今度召下、令礼度之由雖申之、此間取乱之条、唯今召出之、 1662
天文11  154211A19  証如上人日記 石山本願寺阿弥陀堂へ本尊を安置する。 阿弥陀堂へ今日奉安置本尊〈新造也〉 1663
天文11  154211A19  私心記 石山本願寺阿弥陀堂へ本尊を安置する。 早朝ヨリ阿弥陀堂御誘候、各々参候。本尊ウツシ被申候、打敷下卓ニアリ。 1664
天文12  154302A15  紫野前住籍 千林宗桂没。 八十五世千林和尚諱宗桂…天文十二癸卯二月十五日寂 1665
天文12  154303A13  御湯殿上日記 根来の絵の詞を天皇がかく。 ねころのゑのことは御ふてをそめていたさるゝ。 1666
天文12  154306A19  御湯殿上日記 狩野(元信)宮中小御所で描き、舞を披露する。 かのに小御所にて御ゑをかき候つゐてに一ふしまわせらるゝ。 1667
天文12  154310A02  御湯殿上日記 内裏紫宸殿、小御所上棟。 しゝてん。小御所のむねあけ。 1668
天文13  154402A08  御湯殿上日記 宮中で大学寮の像?影供が行われる。 大かくれうの御ゑいかけさせられて。御かんきん御さらあり。はうしやうまいりて。かけまいらせらるゝ。 1669
天文13  154402A27  久政茶会記 千利休所持の道具についての記録。 [二月廿七日]一堺千宗易へ/…/珠光茶碗 1670
天文13  154405A12  証如上人日記 石山本願寺?寝殿、立柱。 寝殿立柱、辰刻半時計有之。 1671
天文13  154406A02  多聞院日記 多聞院英俊、かんていに屏風を誂える。 春覚房へ参シ、カンテヰヰ〈マゝ〉ニ屏風ノ絵誂之了、 1672
天文13  154406A03  証如上人日記 寝殿、上棟。 寝殿上棟無為遂行之〈巳刻過也〉 1673
天文13  154410A  厳助大僧正記 内裏記録所完成する。 同月[十月]、禁中記録所御造作。悉皆御座敷被搆也。 1674
天文13  154411A05  御湯殿上日記 内裏記録所完成する。 けふよりきろく所させらるゝ。 1675
天文13  154411A08  証如上人日記 石山本願寺綱所立柱。 今日綱所之立柱也。 1676
天文13  154412A07  言継卿記 土佐光茂、宮中記録所の襖絵を描く。 土左刑部大輔光茂記録所之御絵書之、 1677
天文14  154501A13  私心記 内裏紫宸殿書院押板棚に置物をおく。 宸殿書院押板棚等ニ置物ヲカレ候。 1678
天文14  154504A14  言継卿記 狩野元信の嫡子死す。 絵師狩野嫡子も今日死、云々、 1679
天文14  154507A14  私心記 石山本願寺寝殿?の狩野元信筆の襖絵についての記事。 朝勤以前ヨリ御戸開候。終日開也。夜燈爐[マゝ]御覧候、後収候。中山殿狩野(絵)見物候以前、収候。 1680
天文14  154508A12  言継卿記 土佐光茂、内裏記録所の襖絵を描き終える。 土佐刑部大輔参上,記録所之絵書了、 1681
天文15  154604A27  御湯殿上日記 狩野(元信)、内裏記録所の障子絵を描く。 かのに。きろく所の御しやうしの御ゑかゝせらるゝ。 1682
天文15  154612A22  光源院殿御元服記 足利義輝、佐々木定頼邸に御成。雪舟筆の作品などを贈られる。 同[十二月]廿二日御成次第。/弾正少弼定頼旅館江御成有之。…五献之時。御絵二幅。雪舟筆。/御盆〈堆朱。〉進上新将軍へ。 1683
天文16  154703A24  証如上人日記 石山本願寺新邸、立柱、上棟。 新亭立柱辰刻以前有之。巳刻過棟桁上之。 1684
天文16  154707U05  厳助大僧正記 神護寺で火事。 玄蕃頭高尾城落居。其勢五百計。丹波口郡ニ内藤彦五郎在陣之間。相如其手云々。神護寺金堂。講堂。塔婆。御影堂。潅頂堂已下一宇不残悉以放火。大門ハ夜叉神迄焼失云々。〈或説。於夜叉者。江州江行云々。〉 1685
天文16  154711A  法隆寺東院鐘楼大棟北鬼瓦銘 法隆寺東院鐘楼鬼瓦葺き替え。 施主〈知足坊律師/尭誉〉/天文十七年〈戊申〉十一月 日/作者兵衛三郎 1686
天文16  154711A  法隆寺東院鐘楼大棟南鳥衾銘 法隆寺東院鐘楼大棟南鳥衾修理。 天文十七年〈戊申〉十一月 日/大工兵衛三郎 1687
天文16  154712A26  証如上人日記 狩野新介、石山本願寺の屏風を描く。 狩野新介此間屏風絵書之〈自九月五日至今日也〉明日令上洛間、千疋、綿五把以源八遣之。仕事ハ百四日也。 1688
天文16  154712A26  証如上人日記 石山本願寺の襖絵完成。狩野元信ら払われた賃金の記事。 狩野越前へ、為此間之筆功百貫文。遣之。百廿日之内也。雖然今度者三所座敷書之間、如此。…新介ニ廿貫梅染三端、綿五把遣之。仕事之日者百八十日計也。 1689
天文17  154801A20  御湯殿上日記 内裏記録所の造成始まる。 けふよりきろく所の御さくしはしめらるゝ。 1690
天文17  154804A05  言継卿記 言継、西行絵巻中巻の詞をかく。 自長橋局昨日西行絵中巻、詞計可写与之由有之間、自今朝立筆、七時分出来之間遣之、 1691
天文17  154804A19  長享年後畿内兵乱記 清水寺塔を供養。 同十七〈戊申〉四月十九日。清水寺塔供養・ 1692
天文17  154808A03  証如上人日記 石山本願寺、立柱。 御上立柱、卯刻半時計有之。…番匠共棟木上之。 1693
天文17  154808A25  証如上人日記 狩野元信ら、石山本願寺の襖絵を描き始める。 狩野自今晩以焼筆地取也。 1694
天文17  154809A20  策彦和尚入明再渡集 入明した策彦、雪舟、元信が描く扇などを豊解元に贈る。 斎罷謁豊解元。…/謹奉献薄贄。/小画参方等楊写・両面金扇壹柄・隻面金扇壹柄・元信写・濃紙八十張・小刀子一個〈計〉又以両金扇一柄贈豊大人令子。 1695
天文18  154909A02  証如上人日記 狩野元信についての記事。 狩野法眼今朝令下向条、昼令対面飲盃。 1696
天文18  154909A11  言継卿記 土佐光茂、阿弥陀如来像の制作を命じられる。言継、年中行事絵巻をみる。 [絵書]土佐刑部大輔、為禁裏薄所へ費召寄、阿弥陀可被書之由被仰付候、次年中行事之絵三巻被見之間、罷向一覧、以外之古物也。奧書天平元年とあり、光長、秀能、言ゝ等筆也、 1697
天文18  154912A12  宗達茶湯日記他会記 宗理の会で使われた道具についての記録。 同十二月十二日  宗[椋]理会/…/一水指 水こほし ひせん[備前]物/一かうらい[高麗]茶碗、茶たツ 1698
天文18  154912A25  証如上人日記 狩野元信筆の絵完成。 狩野法眼絵卿出来候。日数者ハ十七日仕[カ]候。 1699
天文19  1550  万松院殿穴太記 足利義晴、土佐光茂に寿像の制作を命じる。 三日には土佐刑部少輔光茂を召て御じゆぞうを模させらる。 1700
天文19  1550  考古画譜 土佐光茂筆足利義晴像についての記事。 (補)同義晴公像/(補)万松院殿穴太記云、…/(補)真頼曰、衣冠帯剣の坐像なり、天文十九年五月三日、刑部少輔藤原光茂と名書あり、但、所蔵詳ならず、本浅草文庫にあり、 1701
天文19  155005A  犬追物図模本奧書 土佐光茂、観音寺城本丸に犬追物図を描く。 天文十九年五月大屋形義秀郷依貴命/土佐刑部少輔光茂於江州観音寺城御城本丸/画之蒙仰之御記録蔵入。 1702
天文19  155005A  孝古画譜 土佐光茂、観音寺城に犬追物図を描く。 犬追物図  一巻/本云、天文十九年五月、六角屋形義秀依命、土佐刑部大輔光茂、於江州観音寺城画之、 1703
天文19  155005A04  続応仁後記 足利義晴葬儀に狩野元信筆の扇尽金屏風を表を外にしてたてる。 天文十九年庚戌五月四日戊辰卿辰の刻於江州穴太里新坊に前の征夷大将軍権大納言兼右近衛大将従三位源の義晴卿御逝去有り。…同き七日左大臣従一位を贈らる。…御帽子念珠袈裟御衣をまうゐらせ御棺に納め奉て、惣金の屏風一双表を外へ成し、是れにて囲て御棺を安置す。此屏風は清光院禅尼の許より進上有し扇の絵狩野法眼元信が筆也。 1704
天文19  155005A07  万松院穴太記 足利義晴葬儀に狩野元信筆の扇尽金屏風を表を外にしてたてる。 七日〈辛未〉寅の刻に穴太の新坊よりむなしき御からを東山慈照院に出し奉る。…其後御骸をうちにこめて。金屏〈清光院被進之。狩野/法眼書之。扇尽ナリ。〉一双を表をそとへなして立らる。 1705
天文19  155005U15  言継卿記 土佐光茂、足利義晴像の服制について言継に相談する。 土佐刑部大輔光茂来、万松院殿御影に、御直垂之腰古図に、或かひ、或かはす如何、又紐之色如何、又大口可重哉否之由尋之、予返答、直垂之腰は前こしは皆かう、後腰はかはさる者也、紐之色は浅黄茶之間可然歟、可重大口之由返答、 1706
天文19  155005U15  言継卿記 言継、山王縁起絵巻をみる。 叡山月蔵坊祐増法印、自禁裏被仰下、山王縁起十五巻持進了、…入江殿御所持之鏡壷被見之、奇特之物也、又山王縁起三巻被出之、各読之、 1707
天文19  155005U20  言継卿記 言継、鳴滝不動絵をみる。 次大所へ罷向一盞有之、鳴不動絵借用、老母以下下見之、 1708
天文19  155012A08  言継卿記 言継、養雪筆の絵をみる。 浄花院之うち松林院舜玉早旦来、絵〈越前国者養雪筆〉持来被見、 1709
天文20  155104A02  厳助大僧正記 上野安禅寺で火事。 従三井寺山科打入。上野安禅[祥カ]寺放火。 1710
天文20  155107A03  証如上人日記 狩野元信についての記事。 狩野越前法眼此暁令下国、申刻過令対面〈於亭也〉飲盃也。 1711
天文20  155107A14  公卿補任 相国寺で火事。 七月十四日相国寺放火乱妨等。細川右京大夫人数篭故。三好筑前守以下人数乱入。 1712
天文20  155107A14  厳助大僧正記 相国寺で火事。 晴元方人数出張。…相国寺至暁天取去云々。其跡ヲ懸火。諸塔頭伽藍悉一寺滅亡了、 1713
天文20  155107A14  長享年後畿内兵乱記 相国寺で細川、三好の戦いによる火事。 七月十四日早天。晴元諸兵楯篭于相国寺。則三好筑前将摂丹阿三ヶ国諸勢責之。其依る晴元諸勢敗北。于時相国寺悉炎上。 1714
天文20  155107A24  私心記 石山本願寺小殿で天神絵の詞を朗読する。 小殿ニテ天神絵ヨミ申候。 1715
天文20  155112A25  証如上人日記 狩野元信、石山本願寺での画事終了。 狩野法眼今日絵書果候。依之筆功遣分。… 1716
天文21  155201A29  言継卿記 狩野元信、孫永徳とともに足利義輝に年賀に参上する。 武家へ今日内々御礼に可参、…[絵師]狩野法眼、同孫、…[奉行]伏せ奥太郎等御礼申、 1717
天文21  155209A05  証如上人日記 能阿弥が花山院のために描いた屏風についての記事。 為斎於興正寺蓮秀逝去之志、刑部卿調備也。…為遣物鞍一口〈金泉寺作〉長刀〈国俊〉小屏風一双〈能阿筆〉以使被出候間、此屏風者花園院へ書[マゝ]与旨記載之間、返遣之。 1718
天文21  155211A12  長享年後畿内兵乱記 建仁寺など火事。 十一月十二日三好筑前丹之城取退。同十三日夜建仁寺西門前自火。其火自西門至方丈寝堂法堂仏殿五頭首維那寮山門僧堂護国院並西来院。其外東塔頭等焼却。同二十八日于時冬至。晴元士卒自丹波小持山口将諸兵部西院城破却。公方御城霊山取懸。五条口放火。其火建仁寺之十如大龍南塔頭放火如此東払及夜陰勤之。 1719
天文21  155211A13  如是院年代記 建仁寺で火事。 建仁寺炎上。十一月十三日子刻。 1720
天文22  155301A26  私心記 本善寺実孝没。 今日七半時過、飯貝殿御[本善寺実孝]往生候。 1721
天文22  155301A27  私心記 本善寺実孝の肖像を少輔に写させる。 飯貝殿事申入候。飯貝殿今日沐浴シテ、御影ヲウツシサセ候。[絵師]少輔也。 1722
天文22  155301U27  御湯殿上日記 狩野元信、波、岸、客来一味の絵を献上。 かのほうけんなみきしきやくらい[マゝ]いちみのゑかきてしん上申。 1723
天文22  155302A22  私心記 飯川信隆ら、比曽世尊寺で太子伝絵、観音像をみる 昼ヒソ寺[比曾世尊寺カ]へ行、太子伝見物候。法隆寺観音同作也。観音拝ス。 1724
天文22  155303A11  御湯殿上日記 法菩提院僧正、東寺縁起絵巻を朗読する。 ほうほたい院そう正まいりて。とうしのゑんきよませらるゝ。 1725
天文22  155304A19  証如上人日記 狩野元信、源七、二郎三郎、石山本願寺へ下向。 狩野法眼今朝令下向〈下部助衛門伴下也〉源七も二郎三郎も下也。 1726
天文22  155305A04  証如上人日記 狩野源七筆、墨屏風一双についての記事。 狩野源七ニ梅染三端〈代一貫六七百〉越中布五端〈代九百〉以中務遣之。是ハ墨屏風一双書之也。 1727
天文22  155312A09  宗達茶湯日記他全会記 武野紹鴎茶会の記録。 同十二月九日 大黒庵[紹鴎]会/…/一茶椀 志野茶椀也、 1728
天文23  155409A06  興福寺舍利厨子框座裏及基壇内裏面墨書 興福寺舍利厨子寄進される。 施主 成阿弥禅門 円明禅尼 蓮覚 賢宗 善殊 弘賢/天文二十三年〈甲寅〉九月六日寄進之 1729
弘治1  155510A20  御湯殿上日記 内裏内侍所の修理始まる。 けふないし所しゆりはしまる。 1730
弘治1  155510A29  今井宗久茶湯日記抜書 武野紹鴎没。 ゝ十月廿九日/紹鴎老遠行ノ段、子息新五郎[紹瓦]ヨリ申来、 1731
弘治2  155605A20  公卿補任 賀茂別雷社遷宮。 五月廿日賀茂社正遷宮日時定陣儀。同廿七日正遷宮。 1732
弘治2  155611A27  御湯殿上日記 八幡の絵叡覧。 八まんのゑいいきまいりて。御らんせらるゝ。 1733
弘治3  1557  京都府下画家墳墓記 狩野季頼の墓、泉涌寺にあるという記録。 狩野治部少輔季頼  泉涌寺後山 1734
弘治3  155701A  法隆寺聖徳太子勝鬘經講讃図裏面墨書 法隆寺聖徳太子図開眼供養行われる。 弘治三年〈丁巳〉正月日感得之太子像/表背并開眼供養〈同二月日之〉 1735
弘治3  155703A05  言継卿記 言継、地藏菩薩霊験記、沙石集外題を調えて進上する。 次自城地藏菩薩霊験記十二巻、〈五六巻上下〉沙石集十巻外題書事被申、則調遣了、 1736
永禄1  155804A09  言継卿記 相阿弥自筆の写本についての記事。 一[旨]、速水右近伝之、自大坂吉田治部少輔入道咲隠軒唐物〈天目之部類、絹綿類、盆香合類、〉見積之一巻、相阿弥自筆之写本送之、 1737
永禄1  155806U26  惟房公記 武田彦次郎筆の人丸像に天皇の賛を乞う。 兼右申云、武田彦次郎所新図之人丸賛之事、勅筆申入度由懇望也、 1738
永禄1  155809A09  今井宗久茶湯日記抜書 松永久秀?の茶会の記録。 同九月九日昼 松永殿御会…/一床ツクモ[作物]茄子、四方盆ニ、手水ノ間ニ取リテ、 1739
永禄2  1559012A05  御湯殿上日記 花の絵を写すよう、土佐に一枚、あんせん寺所のいや三郎に二枚、たけのうちに五枚命ぜらる。 しゆう日のあそひ。とさ一まい。あんせん寺所のいや三郎二まい。たけのうちに五まい花のゑのうつし事おほせらるゝ。 1740
永禄2  155909A19  御湯殿上日記 多武峯遷宮来二十九日との事。 くわんはく〈さきつく。〉よりあつみつして。たうのみねのせんくう来廿九日のよし申さるゝ。御心えのよし御かへり事あり。 1741
永禄2  155909A26  御湯殿上日記 多武峯遷宮のため勅使派遣される。 たうのみねへあつみつくたりの事。一てうゐんより申事ありて。まつとてなく。よりより人のほりたるよし柳原〈資定〉申。 1742
永禄2  155909A26  扶桑名画伝 狩野元信没。八十四才。 越前元信…永禄二年十月六日卒す、年八十四、〈或作八十三、又八十六、〉/(狩野祐清清邦信書上系譜云)…永禄二己未年十月六日、八十四歳ニ而、病死仕候、…/(専門画家譜云)…永禄二己未年十月六日卒、年八十四、…/(狩野家諸派系図云)…永禄二己未年十月六日卒、八十四歳 1743
永禄2  155909A27  言継卿記 多武峯遷宮のため勅使派遣される。 柳原弁今日多武峯江早旦下向云々、遷宮云々、 1744
永禄2  155910A02  言継卿記 多武峯より勅使戻る。 柳原弁淳光従多武峯戌刻上洛云々、 1745
永禄2  155910A06  御湯殿上日記 多武峯から遷宮御礼の千疋が来る。 たうのみねよりせんくうの御れい千疋まいりて。御くはりになる。 1746
永禄2  155910A06  画工譜略 狩野元信没。八十四才。 狩野永仙元信…行年八十四にして永禄二年己未十月六日卒、 1747
永禄2  155910A06  狩野五家譜 狩野元信没。八十四才。 二代元信…永禄二己未年十月六日卒す、寿八十四歳、 1748
永禄2  155910A12  御湯殿上日記 御かくもん所のたなの戸に土佐が絵を描き、引き手が打たれる。 御かくもん所のたなの戸。とさかきたるかたへ。ひきて打なをさせらるゝ。 1749
永禄2  155912A04  御湯殿上日記 上乗院から立花の様を写したものが来る。 上乗院より花のたて様ゑにうつしたる十七まいる。 1750
永禄2  155912A09  御湯殿上日記 土佐所から花の図が完成、届けられる。 とさ所より花の図うつしてまいる。 1751
永禄3  156003A05  御湯殿上日記 せう名院、二尊院の縁起を持ち来たる。小御所にて読む。 せう名院二そんゐんのゑんきもちてまいりて。小御所にてよみまいらせらるゝ。 1752
永禄3  156006A  厳助大僧正記 新御所移徒。 六月。新御所御移徙。 1753
永禄3  156006A19  御湯殿上日記 こよひふけにわたましな[あカ]り。 こよひふけにわたましな[あカ]り。 1754
永禄3  156007A22  御湯殿上日記 ふけ?から金磨付の屏風三双が届けられる。一双(四季の梅)は土佐。一双は狩野。四季の波。 ふけよりきみかきつけの御ひやうふ三さうまいる。一さう[しきの梅色々*]はとさ。一さうはかの。四季のなみ。うちつな[れカ]たるかも。 1755
永禄3  156007A29  御湯殿上日記 土佐筆、車争図屏風。下描きが届く? とさ御ひやうふの御ゑやう。くるまあらそひの所。下かきまてのこうちよりまいる。 1756
永禄3  156008A21  御湯殿上日記 常御所の屋根むねあけしまいらせて(?)仮葺する。 けふよりつねの御所の御やねむねあけしまいらせて。そとかりや[ふ]きしまいらせ候。 1757
永禄3  156009A05  御湯殿上日記 土佐光茂、屏風の下描きをのこうちとのにてする。 光茂けふより御ひやうふの下かきまてのこうちとのにてする。 1758
永禄3  156011A05  源氏物語竟宴記 源氏物語講が行われる。紫式部石山寺図を土佐将監に描かせる。 永禄三庚申年十一月癸酉。今日源氏物語講竟宴也。…八月廿九日に上洛して。暮秋の期に再興し。仲冬丁卯に功終ぬ。歓喜の心譬をとるに物なし。事なし。頽齢此巻ノ数に逢ふこと。是又過去の宿因あさからざるもの也。仍冥慮を感じ。石山寺を図して。紫式部此趣向を思ひめぐらすかたち。則如意輪観音の尊像を観して。絵所土佐将監に図さしむ。其讃云。…/爰九条入道博陸[稙通]殿下。耽翫此物語年久矣。[公条]予亦至七旬余之頽齢。猶手之不廃。似元凱之癖。頃詣殿下読申之。殿下不獲止。命尽工図之。維時永禄三仲冬五日。/仍覚 1759
永禄3  156011A12  御湯殿上日記 土佐が描いたけんしの掛幅、せうみやう院から届けられる。 とさかきたるけんしのかけゑせうみやう院よりまいる。みなみな*にも見せらるゝ。 1760
永禄3  156012A20  御湯殿上日記 土佐所から屏風が大体描いて届けられる。 とさ所より御ひやうふ大かたいてきてまいる。 1761
永禄4  156104A10  私心記 二尊院へ行き、法然足引御影、七ヶ条起請文等を拝見する。 二尊院へ行、法然足引御影、七ヶ条起請文等拝見候。 1762
永禄4  156107A11  御湯殿上日記 せうみやう院から越前のあきふちの大明神の縁起の解題を頼まれる。 せうみやう院よりゑちせんのあかふちの大みやうしんのゑんきの下代[解題]申さるゝ。 1763
永禄4  156107A12  御湯殿上日記 せうみやう院からのあかふちの縁起の解題に筆を染める。 きのふせうみやうゐんより申さるゝあかふちのゑんきの下代。御ふてをそめられていたさるゝ。 1764
永禄4  156109A12  御湯殿上日記 せうみやう院から紺地の心経?の料紙が届けられる。 せうみやう院よりこんしのしんきやうの御れうしいてきてまいる。 1765
永禄4  156109A20  御湯殿上日記 心経を書いてせうみやう院に届けられる。表紙の泥絵はいつものようになかはしから土佐卿部大輔に命ずる。 心きやうあそはして。せうみやうゐんへつかはさるゝ。御へうしのていゑ[泥絵]いつものことくなかはしよりとさのきやうふの大ゆふにおほせらるゝ。かしこまりたるよし申。 1766
永禄4  156109A22  御湯殿上日記 土佐所から預けていた心経の表紙の泥絵が届けられる。又来月三日の御用に阿弥陀経を経師に命ずる。 とさ所より御あづき。しんきやうの御へうしのていゑいてきて。又らい月三日の御ように。あみたきやうきやうしよりおほせつけらるゝ。 1767
永禄5  156202A14  宗達茶御湯殿上日記日記他会記 うるしや源三郎の茶会が朝行われる。平釜、小板、床には鷺絵。 同二月十四日朝  [うるしや]源三郎会/一平釜、小板ニ、…/一床 鷺絵、茶之前ニ、 1768
永禄5  156203A18  春日大社石燈篭刻銘 山田道安、春日社に石灯篭を寄進。 永禄五年〈壬戌〉 道安/春日社奉寄進 為現世安穩後世善処〈山田村人〉/三月十八日 重宗 1769
永禄5  156204A15  御湯殿上日記 せい和院のちさうのゑきのやうなるもの御しゆすまいりて??。せうみやう院に読ませる。 せい和院のちさうのゑきのやうなるもの御しゆすまいりて。せうみやう院によませらるゝ。 1770
永禄5  156207A20  狩野五家譜 狩野宗信没。四十九才。 三代宗信…同五壬戌七月廿日卒す、寿四十九歳、 1771
永禄5  156207A20  古画備考・中橋系図 狩野宗信没。四十九歳。 祐雪宗信…同五年壬戌七月廿日病死、年四十九、 1772
永禄5  156207A20  扶桑名画伝 狩野宗信没。四十九歳。 法眼宗信…永禄五年〈或作六月〉廿日〈或作十日〉歿す、年四十九〈或作三十一又三十七又四十二〉、…/専門画家譜云…永禄五年壬戌七月廿日卒年四十九…/狩野祐清邦信書上系譜云…同五壬戌七月廿日四捨九歳ニテ病死仕候 1773
永禄5  156208A21  朝倉始末記 一乗の阿波賀河原にて曲水宴を催す。曽我宗譽。 …遂ニ一乗ノ阿波賀河原ニシテ曲水ノ宴ヲソ催サレケル…/曾我宗譽 1774
永禄5  156208A21  永禄五年一乗谷曲水宴詩歌 宗譽旅人渡橋の一句。七月に越前へ行き、中秋下旬、空の景色が春と同じように見えたので、曲水宴を興行し詩歌を集めた一牧を称名院前右府に見せて・・・。 旅人渡橋  宗譽/たつねゆきさとちかくなる旅人の橋うちわたす駒そいはふる/…/文月のはしめつかた。越前へおもむき侍り。国のかみ心さしをはこひ。興をさかすへき思ひをめくらしけるにや。中秋下旬空のけしきも春にひとしく思ひよそへて。曲水宴を興行せし詩歌かきあつめたる一巻を。称名院前右府に見せたてまつりけるに。…/永禄五年八月廿一日 1775
永禄6  1563  住吉広行模本奧書 雪村周継、牧谿筆八景中軸を写し奉進。 法常牧溪和尚朝暮遠近万里江峯山/気生動八景中軸図之/奉進上/永禄六年初秋継雪村鶴船老(花押) 1776
永禄6  1563  古画備考 雪村周継、牧谿筆八景中軸を写し奉進。 雪村…/○雪村、牧溪写八景巻物、甲子七月、大善子持参、口と奥に書付有、各八景題目に印を押、奧書/法常牧溪和尚朝暮遠近万里江峯/山気生動八景中軸図之/奉進上/永禄六年初秋継雪村鶴船老 1777
永禄6  156302A02  御湯殿上日記 卿部大夫から御かいのゑ十?が届けられる。又二は書く?。 きやうふのたゆふより御かいのゑ十いてま[き]てまいる。又二かゝせらるゝ。 1778
永禄6  156304A02  御湯殿上日記 東寺の塔、落雷により火事。 このあか月とう寺のたうかみなりあまりて。そのにてやけ候。 1779
永禄6  156308A12  御湯殿上日記 天文十七年、高雄が兵火にて焼けたので興隆の為の倫旨を出すよう、日野一位が前内府を通して言ってくる。 たかをてん文十七年にひやうくわにてやけたるとて。こうりうのためりんしの事。日のゝ一位。前内ふして申されて。御心のよしおほせらるゝ。 1780
永禄6  156309A23  公卿補任 伊勢外宮正遷宮。 九月廿三日伊勢外宮正遷宮。 1781
永禄7  156404A07  御湯殿上日記 やふ大納言が参上、衝立障子の絵を御前にて描く。 やふ大納言まいりてついたちしやうの[し脱カ]ゑ御まへにてかゝる。 1782
永禄7  156405A08  御湯殿上日記 やふ大納言、絵を描く。 やふ大納言ゑかゝるゝ。 1783
永禄7  156406A27  言継卿記 石山寺縁起五巻、禁裏に持参、鑑賞。 石山寺之縁起〈五巻〉禁裏へ被入見参、予持参、 1784
永禄7  156407A03  御湯殿上日記 小御所にて石山縁起、竹のうちとのがなさる。しん大すけ殿御まいり。 こ御所にていし山のゑんき竹のうちとのあそはして。しん大すけ殿御まいり。 1785
永禄7  156407A06  言継卿記 伏見殿に参る。六角堂の太子伝之絵五幅の事を書かせ読み終わる。 自伏見殿可参之由有之間則参、六角堂[頂法寺]之太子伝之絵五幅之事書被読了、 1786
永禄7  156412A28  御湯殿上日記 大阪が焼けて源中納言が来るとの事。 大さかにはかにやけて。源中納言くたるよし申。 1787
永禄8  156505A  東大寺南大門肘木刻銘 サシカワラ、チヤウイ(丁亥?)ノヒノハシメサシソロサイクフ行 永禄八年五月中旬サシカワラチヤウイノヒノハシメサシソロサイクフ行 1788
永禄8  156511A14  御湯殿上日記 山科からの誓願寺の本地絵を鑑賞なさる。 山しなよりせいくわんしのほんちのゑ御めにかけられ候。 1789
永禄8  156512A12  言継卿記 誓願寺から十念寺の縁起上下二巻が届く。長橋へ持参、叡覧に御す。次に誓願寺の縁起が届く。 自誓願寺誓忍来、近所十念寺之縁起上下ニ巻到、則長橋へ持参、備叡覧了、次誓願寺之縁起一巻到、 1790
永禄9  156602A22  永禄九年記 絵書源左衛門罷下也。 絵書源左衛門罷下也。 1791
永禄9  156603A06  君台観左帳記奧書 能阿弥自筆、君台観左帳記を成身院順盛法印が写す。 以上五枚半ハ能阿注置以自筆本故成身院順盛法印被写之/以上永禄九年〈丙寅〉三月六日片刻之間写之先年雖写置之奧書之趣証本歟之間亦写留之者也但於文字者不審之字弥以多之者也殊以片仮名付之様一段無覚束之事巨多也然而毎端任写本写本賢聖院〈学泉房律師〉聞書歟外題云雑集抄ト在之以外色々事書交者也写本者如正本也六行宛也仍五枚半在之/実暁〈五十歳〉 1792
永禄9  156604A01  永禄九年記 狩野府で屏風を新衛門が所持するとの事、借りて観るにシャクヤクシキと号する。 狩野筆屏風新衛門所持云々。借寄見之絵取。シャクヤクシキト号之云々。 1793
永禄9  156604A29  永禄九年記 矢野参上。屏風絵を始める。 矢野参。従今日屏風絵始之。 1794
永禄9  156607A16  御湯殿上日記 狩野けん七に扇を描かせる。 かのけん七に御あふきかかせらるゝ 1795
永禄10  156705A18  多聞院日記 多聞山火事。妙舜院は残る。戒壇院授戒堂等焼失。 今日東山ヨリ多聞山へ取寄了、無殊儀引退了、多聞山より焼了、般若寺・文殊堂・仏餉屋・妙光院・観音院焼、文殊モ被焼了ト、妙舜院ハ残歟、戒壇院ノ授戒堂・松井安芸宿所、西院郷・北水門・南水門悉以焼払了、 1796
永禄10  156705A19  言継卿記 近衛殿へ参る。御座敷絵、狩野源二郎筆。 近衛殿へ参、…御座敷絵狩野源ニ郎書之、 1797
永禄10  156706A15  言継卿記 近衛殿へ参る。課の新四郎等と雑談。狩野御座敷絵を数日描く。 近衛殿へ参、…狩野新四郎等暫雑談了、狩野御座敷之絵数日書之、 1798
永禄10  156707A22  言継卿記 近衛殿へ参る。狩野源四郎以下三人御座敷絵を描くのを見物。 近衛殿へ参、…狩野源四郎以下三人御座敷之絵書之、見物了、 1799
永禄10  156707A23  多聞院日記 戒壇院千手堂火事。 今日午剋戒壇院千手堂焼了、三人衆調略故五人裏帰テ焼了、終ニ内ノ人数ハ不迦相拘了、 1800
永禄10  156710A10  東大寺諸伽藍略録 東大寺火事。 永禄十〈丁卯〉年十月十日。松永弾正。与三好修理太夫争戦之時。大殿〈并〉諸堂廊門悉回禄畢。大像。〈并〉南大門。鐘楼。法華堂。二月堂。転害門免煙焔。于今存之。 1801
永禄11  1568  東大寺諸伽藍略録 大仏殿焼失、大仏損傷を山田道安が銅板にて修復。 永禄年中大仏殿焼失之時。大像免煙焔。御頭墜地。其後当国山田道安。以銅板修之。仏之御身内。以洪材縦模[横]支之。 1802
永禄11  156802A10  御湯殿上日記 おかの御所に昨日より御逗留、たけのうち殿参上して奈良の大仏縁起を鑑賞。 おかの御所きのふ夕かたより御とまりありて。たけのうち殿御まいりにて。ならの大ふつのゑんきあそはさるゝ。 1803
永禄11  156802A24  言継卿記 近衛殿に久しぶりに参る。狩野源四郎御座敷絵を描くのを見物。 久不参之間近衛殿へ参…狩野源四郎御座敷之絵書之間暫見物了、 1804
永禄11  156803A27  御湯殿上日記 十月十日、奈良の大仏焼失。倫旨を出す。 ならの大ふつこその十月十日ひようくわにつきて。りんしのこと。こんねとの。ニてう殿。すいしんいん文まいりて。ならよりもしそうのほりて。くわんしゆ寺中納言申されて。りんし国ゝへいつる。 1805
永禄11  156805A29  言継卿記 近衛殿へ先日のお礼に参る。狩野源四郎御葛袴絵を描く。 次近衛殿ヘ先日之御礼に参、…狩野源四郎御葛袴絵書之、 1806
永禄11  156810A  東大寺仏餉鉢陰刻銘 吉久、仏殿仏餉鉢を制作。 仏殿仏餉鉢/永禄十一十月日/吉久作 1807
永禄11  156810A10  多聞院日記 多聞山にて合戦、法花堂、大仏殿焼失。 今夜子初点より、大仏ノ陣ヘ多聞山より打入合戦及数度、兵火の余煙ニ穀屋ヨリ法花堂ヘ火付、ソレヨリ大仏ノ廻廊ヘ次第ニ火付テ、丑剋ニ大仏殿忽焼了、…尺迦像モ湯ニナラセ給了 1808
永禄11  156810A11  言継卿記 昨日、南都東大寺大仏殿、炎上。 去夜南都東大寺大仏殿炎上云々、 1809
元亀1  1570  付属文書 信玄、座主就任御拝任に絵一幅(猿)を献上。 就座主御拝任 令旨謹而頂戴殊 綸言拝見先以目出度奉存候 向後者田舎相当之御用に被仰付候之様可預御取合候 仍絵一幅〈猿〉令献之候之趣宣令洩申賜候 恐々謹言/七月十九日 信玄(花押)/丁務法眼御房 1810
元亀1  157001A28  多聞院日記 元興寺弥勒堂跡から石櫃発掘。金多数。人夫が三人で取って逃げたとの事、実否は知らず。嘘である。 元興寺弥勒堂ノ跡ヨリ、石ノ櫃ホリ出、金数多在之、人夫三人シテ取逃了ト、実否ハ不知、ウソ也、 1811
元亀1  157010A04  御湯殿上日記 やまやけた。 こよひやまやけ候。 1812
元亀2  1571  日親上人筆法華本尊幅裏面銘 長谷川等伯父母供養に日親上人法華本尊を寄進。 此開山親師聖人之御本尊者、長谷川等伯法名日妙、為父道浄母妙相三十三年追幅、致寄進、則当寺之什物而奉御宝蔵納之者也、所以加愚筆而已/慶長八〈太才癸卯〉七月十七日/当住沙門日通(花押) 1813
元亀2  157104A11  言継卿記 真如堂仏殿、近日、取立の作事終わる。 真如堂仏殿近日取立之作事向見之 1814
元亀2  157104A23  多聞院日記 大仏へ詣でる。本尊は柱を立て替えて、下地を作るとの事。 大仏ヘ詣了、本尊柱ヲ立カヘテ下地ニテ可作之用意、昔モ本尊ノ腹中ニ心柱在之、 1815
元亀2  157105A17  言継卿記 真如堂本尊(弥陀)、遷座。 今朝真如堂之本尊〈弥陀〉、遷座、 1816
元亀2  157109A12  公卿補任 織田信長、比叡山に放火。 九月十二日叡山中堂日吉社三院一宇不残放火。織田弾正忠信長発向。 1817
元亀2  157109A12  御湯殿上日記 信長、比叡山、坂本などに放火。山王、八王子などまで焼く。 のふなかのほりて。ひゑの山。さかもとみなみなのこらすはうくわする。そのほか山王。八王寺[子]なとまてやく。 1818
元亀2  157109A12  多聞院日記 信長、比叡山・ワニ・カタタ・坂本に放火。 比叡山・ワニ・カタゝ・坂本悉以信長ヨリ放火了ト云々、実否不知、 1819
元亀3  1572  画乗要略 雪村周継、常陸に流寓。 僧雪村…梅泉曰、…按雪舟永正三年寂、元亀三年雪村流寓常陸、自永正三年至元亀三年其間相距六十余年、 1820
元亀3  157203A28  御湯殿上日記 狩野民部の屏風、完成して届けられる。 もせいたうして。かのみんふにせ給し御ひやうふいてきてまいる。み事にきさんしなり。 1821
元亀3  157204A29  東大寺絵所日記 大仏殿の沙汰、山田道安を大勧進とする。絵所、法橋を助け、四月二十八日、大殿出、釈迦如来は薄を挿し、本尊は蓮花一本をかくよう命ずる。 大仏殿其沙汰大勧進[山田房]道安法師、絵所助法橋、同四月廿八日大殿出、同尺迦如来可挿薄事、并蓮花一花本尊カキ可申事候、 1822
元亀3  157207A25  御湯殿上日記 狩野民部に命じていた八景絵完成、届けられる。 かのみんふにおほせらるゝ八けいの御ゑ。いてきてまいる。 1823
元亀3  157208A21  御湯殿上日記 相国寺のきゃうちゃうらうに八景詩を書く。 しやうこく寺のきやうちやうらうに。もせ(い脱カ)たうしておほせらるゝ八けいの詩つくりてかきてまいる。 1824
元亀3  157208A25  御湯殿上日記 さくけんから八景の詩が届けられる。 さくけんより八けいのしつくりてかきてまいる。 1825
元亀3  157210A18  兼見卿記 狩野民部直信を呼び、家君寿像を命ずる。公家装束、常之儀、帯剣にて描くよう伝える。 被召寄狩野民部[直信]、家君御寿像之事被仰付、令下書帰京了、重而申来、装束之事如何、常之儀也、公家装束也、可為帯剣也、猶一書申遣了、 1826
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