応永7 140002A 古画備考(土佐広周の項) |
「道場寺縁起異本」、上巻立生庄藤井村、下巻紀州名草郡日方村で写される。 |
一本同[道成寺]縁起二巻、図ハ右之通リナリ、古物ナルモノ、上巻奥書、応永七年〈庚辰〉二月日、於立生庄藤井村書写、下巻奥書、応永七年〈庚辰〉二月日、紀州名草郡於日方村書写畢、 |
0001 |
応永7 140003A 考古画譜 |
「道場寺縁起異本」、上巻立生庄藤井村、下巻紀州名草郡日方村で写される。 |
日高川双紙(補)上巻巻尾云、応永七年庚辰二月日、於土生庄藤井村書写、/(補)下巻巻尾云、応永七年庚辰二月日、於紀州名草郡日方村書写畢、 |
0002 |
応永7 140006A27 二所太神官例文 |
伊勢内宮、外宮遷宮。 |
応永七年〈庚辰〉六月廿七日。内宮一宿仮殿遷宮。〈東宝殿盗人推参。依奉汚御装束等也。〉 同年□外宮遷宮。〈称光院御宇。〉 |
0003 |
応永8 1401 善隣国宝記 |
足利義満、明国に使者肥富、祖阿を派遣。金、馬、薄様、扇、屏風、鎧、剣、刀、硯筥、文台を贈る。 |
応永八年/日本准三后某/上書/大明皇帝陛下。日本国開闢以来。無不通聘問於上邦。某幸秉国釣。海内無虞。特遵往古之規法。而使肥富相副祖阿通好献方物。金千両馬十匹。薄様千帖。扇百本。屏風三双。鎧一領。剣十腰。刀一柄。硯筥一合。同文台一箇捜尋海嶋漂寄者幾許人還之焉。某惶誠恐。頓首頓首。謹言。 |
0004 |
応永8 140102A29 大乗院日記目録 |
内裏が焼失、室町殿へ行幸。 |
内裏焼失、行幸室町殿 |
0005 |
応永8 140102A30 黄梅院文書 |
二月に黄梅院華厳塔内の二尊釈迦、多宝焼失の記事。 |
瑞鹿山円覚禅寺黄梅院華厳塔重造釈迦・多宝二尊勧縁小偈〈并叙〉/円覚華厳宝塔、在於瑞鹿峰頂黄梅之院、乃天龍開山夢窓国師塔頭也、今応永八年歳次辛巳春二月晦日、罹欝■之厄、則塔中二尊釈迦、多宝亦燼、烏乎悲哉、越后数月、…国師門派老少僧衆、随分助縁、重新造塔、蓋一時盛事也、…/応永十一年甲申冬 [心翁]中樹菫[謹]識/幹縁比丘中伝 |
0006 |
応永8 140105A13 鹿苑略記 |
二月に鹿苑院で火事の記事。 |
応永八年辛巳二月晦日。諸伽藍、悉罹欝■之厄、雖然、当時諸老、或勧府君、或募衆縁、諸伽藍復旧制之事、儼然干古記、 |
0007 |
応永8 140105A13 康富記 |
足利義満、明国に使者肥富、祖阿を派遣。金、馬、薄様、扇、屏風、鎧、剣、刀、硯筥、文台を贈る。 |
日本准三后道義書上/大明皇帝陛下、日本国開闢以来、無不通聘問於上邦、道義幸秉国釣、海内無虞、特遵往古之規法、而使肥富、相副祖阿通好献方物…/応永八年五月十三日 |
0008 |
応永8 140107A04 椿葉記 |
伏見御所、焼失。累代の御記、文書、楽器など失われる。 |
ふしみ殿をば准后の山庄になさるべしとて。人もなくいたづらにをかる。さるほどに同六年十一月大内左京大夫入道義弘謀反おこして。天下みだれたるおりふし。ふしみの御所をばかへし申さる。そのしはすにくはんぎよなりぬ。かくて二三年はふしみに御ざあるほどに。同八年七月四日の夜御所回禄しぬ。累代の御記文書楽器ども大略なかば過は焼ぬ。 |
0009 |
応永9 1402 善隣国宝記 |
足利義満、僧圭密、梵雲、明空、通事徐本元を明国に派遣。生馬、硫■、馬腦、屏風、槍、太刀、鎧、匣硯、匣扇を贈る。 |
同九年/日本国王〈臣〉源/表。〈臣〉聞。太陽升天。無幽不燭。時雨霑地。無物不滋。矧大聖人。明並曜英。恩均天沢。万方嚮化。四海帰仁。欽惟大明皇帝陛下。詔尭聖神。邁湯智勇。■定弊乱。甚[コホスヨリモ]於建■整頓乾坤。易於返掌。啓/中興之洪業。当太平之昌期。雖垂旒深居/北闕之尊。而/皇威遠暢東浜之外。是以謹使僧圭密梵雲明空通事徐本元。仰観/清光。伏献方物。生馬貳拾匹。硫■壹万斤。馬腦?脳大小参拾貳塊。計貳百斤。金屏風三副。槍壹千柄。太刀壹佰杷。鎧壹領。匣硯一面。并匣扇壹佰杷。為此謹具。/表/聞〈臣〉源/ 年号 日 日本国王〈臣〉源 |
0010 |
応永9 140208A01 如是院年代記 |
明国派遣の僧天倫一菴が兵庫に到着。 |
大明国使僧天倫一菴至兵庫 |
0011 |
応永9 140211A14 兼宣公記 |
北山小御所を移し、女院御所として立柱、上棟。 |
□御所小後生被立、女院御所立柱□□[上棟カ]也、 |
0012 |
応永9 140211A19 兼宣公記 |
土御門新御所に還幸。 |
抑今日□土御門新皇居 |
0013 |
応永9 140211A19 大乗院日記目録 |
土御門新御所に還幸。 |
遷[還]幸土御門殿 |
0014 |
応永10 1403 如是院年代記 |
相国寺大塔、炎上。 |
〈癸未〉十 相国寺大塔炎上。 |
0015 |
応永10 140303A04 在先録 |
存先希譲没。六十九歳。 |
六十二、存先、諱希譲、…〈応永十三月四日寂、/塔干霊源菴〉 |
0016 |
応永10 1403A0603 兼宣公記 |
相国寺大塔、勝定院、炎上。 |
入夜甚雨、雷鳴、雨脚聊休止世時分、相国寺大鐘頻有声之間、乍驚立出寝所、欲相尋子細之処、相国寺大塔炎上〈云々〉、…則参御共、入御相国寺、此時分御塔已倒了、依余勝場[定、下同ジ]院已焼亡、 |
0017 |
応永10 140306A03 大乗院日記目録 |
相国寺大塔、炎上。 |
相国寺炎上 |
0018 |
応永11 140404A 翰林葫蘆集 |
北山に相国寺七重塔を立柱。 |
鹿苑院殿百年忌陞座/…同十一年四月、復於北山建七層大塔 |
0019 |
応永11 140404A03 大乗院日記目録 |
北山に相国寺七重塔を立柱。 |
北山大塔立柱 |
0020 |
応永12 1405 三教図・罕■叟題 |
如拙の号の由来。 |
…能画者其名曰拙広照師所命取大巧如拙之義也… |
0021 |
応永12 1405 法隆寺大講堂東北飛■隅木墨書 |
応永十二年六月か、修造終わる。 |
修造応永十二年〈乙酉〉六□ |
0022 |
応永12 1405 翊聖国師年譜 |
絶海中津没。七十歳。 |
十二年乙酉。辞世頌曰。虚空落地。火星乱飛。倒打筋斗。抹過鉄囲。平日所常課者也。円覚。首楞厳。師自謂。我嘗閲首楞厳有失咲之分也。 |
0023 |
応永12 140504A05 扶桑五山記 |
絶海中津没。七十歳。 |
第六、特賜仏智広照浄印翊聖国師、諱中津、号絶海、…応永十二年乙酉四月五日入滅、寿七十、 |
0024 |
応永12 140507A16 教言卿記 |
泉涌寺の塔頭炎上。 |
今夜泉涌寺御塔頭回禄〈云々〉、 |
0025 |
応永12 140508A30 教言卿記 |
絵所土佐光益、禁裏御八講屏風を描く。 |
絵所[土佐]光益入道来、先日禁裏御八講ヲ屏風之絵可書之旨、御賀殿〈ヨリ〉奉之間、其様事尋来、 |
0026 |
応永12 140511A13 教言卿記 |
法定寺為盛朝臣は哥道家で似絵もかく。広橋兼宣の知人。 |
□為盛朝臣以絵書、哥道家、号法性寺来、□広橋[兼宣]連々参会之人〈云々〉、薑酒勧之、 |
0027 |
応永13 140601A15 教言卿記 |
日吉二宮、十禅師社で火事。 |
日吉〈大宮二宮・十禅師、/々々〉回禄〈云々〉 |
0028 |
応永13 140604A03 扶桑五山記 |
観中中諦没。六十三歳。 |
第九、観中■上、諱中諦、…同十三年丙戌四月三日入滅、寿六十三、 |
0029 |
応永13 140604A21 教言卿記 |
墨絵の遁世者金阿弥、一条烏丸に住む。 |
墨絵ノ遁世者金阿弥在所一条烏丸〈云々〉 |
0030 |
応永13 140608A02 教言卿記 |
日野重光より、仙人女絵二幅贈られる。 |
裏松[日野重光]返し、仙人女絵二番[幅]送賜、自愛々々、秘蔵々々 |
0031 |
応永13 140608A05 教言卿記 |
金阿、仙女絵を近年の日本製と鑑定。 |
仙女絵金阿ニ尋意見之処、日本近日書タル絵〈云々〉、 |
0032 |
応永13 140609A12 大乗院日記目録 |
清水寺西門、炎上。 |
清水寺西門炎上 |
0033 |
応永13 140609A12 教言卿記 |
清水寺塔、将軍堂、西門、炎上。 |
焼亡、清水塔以下[田村]将軍堂・西門、〈丑刻〉 |
0034 |
応永13 140610A12 教言卿記 |
扇地紙を金阿ミに渡す。 |
扇地紙二枚金阿ミ許へ遣之、〈一ハ墨絵、/一ハ色ツリ、〉百文下行也、 |
0035 |
応永13 140610A29 教言卿記 |
教言室の肖像を土佐将監行広に描かせる。 |
女中影内々土左[佐]将監[行広]ヲ召寄書之、目出、但面ニ不似〈云々〉、次文車絵様書之、 |
0036 |
応永13 140611A13 教言卿記 |
泰阿ミの子に、教豊少将の直垂姿の肖像を注文。 |
泰阿ミ子来、少将直垂絵誂之、 |
0037 |
応永13 140612A18 教言卿記 |
教豊の肖像完成。絵師は泰阿の息子。 |
教豊直垂[出来]、絵師泰阿子男、七百文領状、乃先日ハ五百文下行了、今日不足分二百文下行了、 |
0038 |
応永14 1407 妙法寺記 |
円覚寺で火事。 |
同極月円覚寺炎上。 |
0039 |
応永14 140701A05 常光国師行実 |
地震。十六日、空谷明応没。 |
丁亥正月五日地大震。…十六日薄暮師索浴。浄髪更衣跏跌。侍僧以遺偈為請。師揶揄曰。■作何用請勤。乃執筆書曰。…緇白駿奔哀動。朝野門人遵治命。奉全躯。■于仏慈率堵西偏。俗寿八十。坐夏六十二。 |
0040 |
応永14 140701A16 扶桑五山記 |
空谷明応没。 |
第三、特賜仏日常光国師、諱明応、号空谷、…応永十四年丁亥正月十六日入滅、世寿八十 |
0041 |
応永14 140701A16 教言卿記 |
常光国師没。 |
国師御入滅、戌刻、辞世頌、/倒騎木馬、踏破虚空、欲■蹤跡、結網繋風、/応永丁亥正月十六日/珍重 明応 |
0042 |
応永14 140702A05 教言卿記 |
後光厳院御笙譜見返に正親町忠季筆の陵王図があったという記事。 |
自禁裏後光厳院御笙譜事被尋仰下之間、如此申入也、…表帋ハ紅薄様、内ニハ権大納言忠季卿[正親町]陵王ヲ唐絵具ニテ画図之、 |
0043 |
応永14 140702A10 教言卿記 |
宗阿筆、扇面墨絵唐松梅。 |
宗阿〈右兵衛督許〉[山科教冬]、遁世者、扇墨絵唐松梅画之、神妙也、 |
0044 |
応永14 140704A22 教言卿記 |
金阿弥筆、扇三本完成。十疋。 |
扇三本金阿ミ絵誂了、十疋下行、 |
0045 |
応永14 140705A03 教言卿記 |
土佐行広筆、両面扇完成。ニ本百疋。骨十七本。 |
扇絵事、〈両面土左将監[佐][行広]〉ニ誂之、二本百疋也、骨ハ此方用意、可為十七骨者也、 |
0046 |
応永14 140705A11 教言卿記 |
扇屋六角烏丸善阿弥の記事。 |
扇屋六角烏丸[西頬]、善阿弥可尋云々、 |
0047 |
応永14 140705A16 教言卿記 |
六角善阿弥筆、五本扇五つ買う。 |
五本扇五買、六角善阿ミ也、 |
0048 |
応永14 140705A27 教言卿記 |
扇屋三条東洞院の記事。 |
[扇屋]三条東洞院[通玄寺]、西頬云々、 |
0049 |
応永14 140706A02 教言卿記 |
西園寺家妙音堂秘蔵の本尊妙音天図を土佐行広に写させよとの命。 |
一、孝継朝臣妙音天、土左[佐]将監行広可沙汰之由、以資興仰遣之処、先領状、此間違例、絹美乃フシモ無可給<云々>、是ハ西園寺妙音堂本尊<云々> |
0050 |
応永14 140706A06 教言卿記 |
西園寺家の妙音天図を土佐将監行広に命じる。 |
妙音天本尊事、土佐将監行広ニ申付、 |
0051 |
応永14 140706A14 教言卿記 |
明日より安鎮法。 |
明日ヨリ御修法被行、…安鎮法云々 |
0052 |
応永14 140706A17 教言卿記 |
土佐行広筆の扇ニ本、昌盛都聞に与える。 |
両面扇二本盛[昌盛]都聞許ヘ下之、■[承■]副寺寮ヘ付也、筆土佐将監行広、 |
0053 |
応永14 140706A18 教言卿記 |
金阿弥筆、墨絵瀟湘八景両面扇一本完成。銭百文。 |
墨絵扇Ⅰ本金阿誂之、瀟湘八景両面也、銭百文、 |
0054 |
応永14 140706A18 教言卿記 |
土佐行広筆、扇一本制作。 |
両面扇一本行広将監ニ五連ニテ誂之、石墻為遣也、 |
0055 |
応永14 140706A19 教言卿記 |
妙音天図、行広によって完成。 |
妙音天絵所行広書整進之、殊勝ゝゝ、 |
0056 |
応永14 140706A21 教言卿記 |
相国寺山門落慶、十六羅漢の法要に義満御成。 |
相国寺山門十六羅漢初而有懺法云々、北山殿御成云々、 |
0057 |
応永14 140708A18 教言卿記 |
土佐行広、松・竹・鶴の直垂絵様を制作。 |
賀安[山科嗣教]直垂絵、単物等染出、珍重ゝゝ、地ハ張絹、絵師ハ土佐将監行広、松竹鶴等也、単物同風情也、 |
0058 |
応永14 140708A30 教言卿記 |
妙音天図、表装完成。 |
妙音天〈ヘウホヘ出来〉、珍重ゝゝ、 |
0059 |
応永14 140709A02 教言卿記 |
西園寺家妙音堂の妙音天図をみる。 |
孝継朝臣来、妙音天拝見、殊勝之由、此本尊絵ハ西園寺妙音堂秘本也、而今出川入道写置之、其ヲ故孝重三位写之本ヲ、孝継朝臣書之間、絵所土佐将監行広写書之、可秘蔵者也 |
0060 |
応永14 140711A06 喜連川判鑑 |
円覚寺で火事。 |
十一月六日。円覚寺炎上。 |
0061 |
応永14 140712A02 一庵禅師行状 |
一庵一麟没。 |
応永十四年十二月二日午之[マゝ]字。閣筆曰。開一穴於祖塔之後。我将伴祖師於那伽定中。■如遵命。世寿七十九。僧臘六十七。 |
0062 |
応永14 140712A02 扶桑五山記 |
一庵一麟没。 |
六十七、一菴禾上、諱一麟、…応永十四年丁亥十二月二日寂、寿七十九、 |
0063 |
応永15 140801A29 教言卿記 |
絵所尭光法師筆、扇帋二枚。 |
予扇帋〈二枚〉、絵所尭光法師ニ誂之、 |
0064 |
応永15 140803A08 翰林葫蘆集 |
鹿苑院殿の百年陞座。北山殿に行幸。十日後、還幸。 |
鹿苑院殿百年陞座/…同十五年戊子三月八日、天皇幸北山之第、経十日而還幸 |
0065 |
応永15 140803A08 大乗院日記目録 |
北山殿行幸。 |
北山殿行幸 |
0066 |
応永15 140803A08 教言卿記 |
北山殿行幸。 |
行幸北山殿、公卿、… |
0067 |
応永15 140803A08 椿葉記 |
足利義満、北山に山荘を建てる。三月行幸。 |
さてもじゆこうはきた山にさんさうをたてらる。このところは西園寺[実永]の居所にてあるを申うけられて。むかし常盤井の相国[実氏]の造営せられしにも猶たちこえて。玉をみがきこがねをちりばめてつくりたてられて。応永十五年三月行幸を申さる。 |
0068 |
応永15 140803A08 北山殿行幸記 |
北山御所行幸。 |
このとゝせばかりより。北山の御所にうつりすませ給ひて。将軍右大将殿をば。おほやけの御かため。ちかきまもりにと。都にをき申されたるも。いとどかしこき御をきてとぞおぼえ侍る。さても行幸は応永十五年やよひのはじめの八日なり。 |
0069 |
応永15 140805A06 教言卿記 |
北山殿没。五十一才。 |
北山殿御円寂、〈五十一才、歳霜也、〉 |
0070 |
応永15 140805A06 鹿苑院殿薨葬記 |
北山殿没。五十一才。 |
一薨逝等事/応永十五年〈戊子〉五月六日、〈酉刻〉、薨、〈御歳五十一〉、 |
0071 |
応永15 140805A06 東院毎日雑々記 |
足利義満没。五十一歳。 |
今夕、〈戌刻〉、北山殿薨御、 |
0072 |
応永15 140805A06 足利家官位記 |
足利義満没。五十一歳。 |
鹿苑院殿 義満…同五月六日御円寂、〈五十一歳〉、号鹿苑院殿 |
0073 |
応永15 140805A06 公卿補任 |
足利義満没。五十一歳。 |
応永二年〈乙亥〉/源義満〈三十八〉…〈法名道有。後改道義。/応永十五年五月六日薨(五十一才)。〉 |
0074 |
応永15 140807A02 教言卿記 |
鹿苑院で焼香。土佐行広筆の義満御影。 |
予為焼香参詣鹿苑院、此御影ハ土左〈佐〉将監行広奉書、 |
0075 |
応永15 140807A02 武家年代記裏書 |
熊野本宮炎上。 |
七二、熊野本宮火、 |
0076 |
応永15 140807A02 和漢合符 |
熊野本宮炎上。 |
七月二日、熊野本宮炎上、 |
0077 |
応永15 140807A04 教言卿記 |
土佐行広筆、還城楽扇、採桑老扇を制作。 |
還城楽扇、〈土左[佐]将監/行広筆也、〉神妙々々、又採桑老扇誂之、 |
0078 |
応永15 140807A13 教言卿記 |
土佐行広筆、採桑老扇に書す。 |
採桑老扇ニ書之、〈行広/絵師、〉 |
0079 |
応永15 140810A15 東寺百合文書 |
大師の御絵借出に関する記事。 |
廿一口方評定引付応永十五年戊子十月十七日 一大師御絵可借出由申間事/御絵実相寺法印、難去一見申度之由、有所望仁、被借渡者可為本望之由、被申之間、披露之処、可然門跡様有所望者、以別儀可借出之、只尋常様之仁於所望者、不可出之、為向後傍例難儀之間、不借進之由可申云々、 |
0080 |
応永15 140810A16 教言卿記 |
栂尾宮、舞絵三巻を借りる。 |
栂尾宮[義仁親王]舞絵〈三巻、上/中下〉借給也、■々可写也、 |
0081 |
応永15 140811A08 応永古楽図巻模本奧書 |
教言、書写の奥書。 |
応永十五〈戊子〉年十一月八日以秘本写之(花押)[教言] |
0082 |
応永15 140811A08 教言卿記 |
安部季英筆、舞絵、完成。 |
舞絵写了、季英、神妙々々、 |
0083 |
応永16 1409 大乗院日記目録 |
浄花院四条道場、炎上。 |
月 日、浄花院四条道場炎上 |
0084 |
応永16 140902A10 教言卿記 |
北山殿京御所小御所、台屋、取り壊し。 |
京御所小御所并台屋、北山殿被壊渡云々、 |
0085 |
応永16 140903A19 教言卿記 |
正親町ゝ、清浄花院で火事。 |
又今夜焼亡正親町ゝ、次浄花院等云々、 |
0086 |
応永16 140903A22 東寺王代記 |
浄花院・四条道場で火事。 |
三月廿二日、夜丑剋浄化[花]院回禄、三月廿二日、四条道場廻[回]禄、白中[昼]、 |
0087 |
応永16 140906A05 東大寺大湯屋風呂屋形掲額裏面墨書 |
浴室修理終了。 |
応永十五年二月十四日加浴室/修理畢 同十六年六月五日/書比宝号焉 沙門惣深(花押) |
0088 |
応永16 140910A26 大乗院日記目録 |
足利義持、三条御所に遷住。 |
将軍三条御所遷住 |
0089 |
応永16 140910A26 武家年代記 |
三条坊門御所に移る。 |
十廿六、移徙三条坊門御所、 |
0090 |
応永16 140911A06 教言卿記 |
三条坊門殿、造営。 |
新御所下御所[三条坊門第]ニ被新造、京上棟云々、 |
0091 |
応永16 140912A08 教言卿記 |
新御所に移る。 |
新御所移徙[金吾御太刀進上也]、 |
0092 |
応永17 141001A26 東寺執行日記 |
上醍醐寺青龍宮で火事。 |
同廿六日、辰刻、上酉酉[醍醐]寺青龍[清瀧]宮回禄、 |
0093 |
応永17 141001A26 東寺王代記 |
上醍醐寺青龍宮で火事。 |
正月廿六日、巳初刻、上酉酉清龍[瀧]巳や炎上、 |
0094 |
応永17 141003A27 毎日雑々記 |
蔵王堂供養を行う。 |
蔵王堂供養儀無為無事、 |
0095 |
応永17 141008A21 法隆寺西院廻廊東北角鬼瓦銘 |
瓦を葺く。 |
【ヲ】ウエイ十七[カノエ]子八月廿一日/【ヒ】コ次郎トシ[トライノトシ]三十三/八月一日ノヲウカセノトキ/フキヲトシタルカワラナリ |
0096 |
応永18 141110U11 東寺執行日記 |
興福寺三基塔并びに東金堂・大湯屋など炎上。 |
閏十月十一[五]日、興福寺三基塔并東金堂・大湯屋已下炎上、依雷火也、 |
0097 |
応永18 141110U15 大乗院日記目録 |
興福寺東金堂、三基塔、大湯屋など、炎上。 |
春日二基塔・東金堂・五重塔・大湯屋・四足等焼失了 |
0098 |
応永18 141110U15 東院毎日雑々記 |
興福寺東金堂、三基塔、大湯屋など、炎上。 |
東金堂・塔婆・惣宮・大湯屋・馬場東西御塔為雷火大炎上、 |
0099 |
応永18 141110U15 東寺王代記 |
興福寺東金堂、三基塔、大湯屋など、炎上。 |
閏十月十五日、白中[昼]南都興福寺東金堂并塔三基・湯屋、依雷火炎上、 |
0100 |
応永18 141110U15 興福寺仏頭台座嵌板墨書 |
興福寺東金堂で火事。本尊のみ焼失。 |
応永十八年〈辛卯〉閏十月十五日未刻。依院御塔之類火東金堂廻禄。一寺一宗周章別者満堂悲歎也。爰諸尊秘仏并文書等悉雖奉取出之。無大阿綱而御本仏不得奉出之事。… |
0101 |
応永18 141112A 二所太神宮例文 |
内宮遷宮。 |
応永十八年〈辛卯〉十二月、内宮遷宮、自明徳二年及二十一年、 |
0102 |
応永18 141112A 皇太神宮遷宮次第記 |
内宮遷宮。 |
応永十八年〈辛卯〉十二月日、内宮正遷宮、自明徳二年至今年二十一年、 |
0103 |
応永20 141308A15 扶桑五山記 |
仲方円伊没。 |
八十一、仲方禾上、諱円伊、…応永廿年癸巳八月十五日示寂、寿六十、 |
0104 |
応永20 141310A10 扶桑五山記 |
履仲元礼没。 |
五十、履仲禾上、諱元礼、…〈応永二十癸巳十月十日寂〉、 |
0105 |
応永20 141311A24 満済准后日記 |
金剛輪院護摩堂立柱上棟。 |
金剛輪院護摩堂立柱上棟 |
0106 |
応永21 141403A08 満済准后日記 |
山上清滝宮立柱上棟。 |
山上清滝宮立柱上棟。〈午時〉。 |
0107 |
応永21 141409A11 興福寺東金堂肘木銘 |
興福寺金堂肘木に銘あり。 |
応永廿一年九月十一日 |
0108 |
応永21 141412A28 喜連川判鑑 |
建長寺炎上。 |
十二月二十八日。建長寺炎上。 |
0109 |
応永22 141501A16 寺門事条々聞書 |
東金堂の造営開始本尊制作。 |
正月十六日東金堂造営始之。/下田鋳師召上。本尊事談合。…/下田鋳師僅鍋釜等学也。不審相残上者。河内丹南鋳師相交有其沙汰者。尤可然之由評定了。丹南鋳師八郎兵衛上洛畢。/三月五日。彼鋳形自今日可作之由申。 |
0110 |
応永22 141501A18 満済准后日記 |
昨冬、建長寺炎上の記事。 |
建長寺旧冬廿八日炎上云々 |
0111 |
応永22 141504A07 光暁記 |
東金堂の諸尊が食堂より渡される。本尊は制作中。 |
今日東金堂諸尊。自食堂奉渡之云々。於本仏者未令出来給云々。 |
0112 |
応永22 141504A13 光暁記 |
東金堂本尊の御頭を鋳す。 |
東金堂本尊御頭奉鋳之。無為無事。珍重■。 |
0113 |
応永22 141504A25 光暁記 |
東金堂本尊の御身を鋳す。 |
今日東金堂本尊御身奉鋳之。大都無為。 |
0114 |
応永22 141505A 大乗院日記目録 |
東金堂本尊を鋳す。 |
五月 日、東金堂本尊奉鋳之 |
0115 |
応永22 141505A13 光暁記 |
東金堂本尊の金銅像の御頭を御身に載せる。食堂細徒に奉入。 |
東金堂本尊金銅像。奉居御頭於御身。今日祝着儀在之。…事訖奉引本尊於食堂細殿。 |
0116 |
応永22 141505A13 寺門事条々聞書 |
東金堂の本尊仕上げのため、食堂細徒に奉入。 |
東金堂本尊御身為奉瑩。食堂細徒西隔奉入。 |
0117 |
応永22 141504A25 光暁記 |
東金堂本尊、御堂に奉入。 |
東金堂本尊今日奉渡御堂。 |
0118 |
応永22 141506A26 寺門事条々聞書 |
東金堂本尊、御堂に奉入。 |
廿六日。東金堂本尊奉入了。 |
0119 |
応永22 141508A22 扶桑五山記 |
太白真玄没。 |
九十世、太白禾上、諱真玄、…応永廿二年乙未八月廿二日寂、 |
0120 |
応永23 1416 臥雲日件録 |
足利義持が如拙に命じて碑石を求めた記事。 |
文安五年三月十五日条 今日問古邦、開山碑銘、今在何処、古邦曰、在勝定院云々、応永十二年、此銘自大明来、将刻以建之崇寿院祖塔云、々主観中和尚、先命中頴侍者写之、頴因循不果、後鄂隠居鹿苑時、咨于勝定院殿[足利義持]、欲刻之於石、因命如拙[大巧]、行四判[州]求碑石、々難致、勝定相公、問其費、則拙曰、不役万人、則不可得、勝定相公、恐煩国民而止矣、 |
0121 |
応永23 141601A09 如是院年代記 |
北山大塔、炎上。 |
戌刻北山大塔雷火。 |
0122 |
応永23 141601A09 看聞御記 |
北山大塔、炎上。 |
戌刻雷電防風以外也。此時分赤気耀蒼天。若焼亡歟之由不審之処。北山大塔〈七重〉。為雷火炎上云々。雷三度落懸。僧俗番匠等捨身命雖打消。遂以焼失。併天魔所為勿論也。去応永七年相国寺大塔〈七重〉。為雷火炎上。其後北山ニ被遷之。造営未終功之処又焼失。 |
0123 |
応永23 141601A09 満済准后日記 |
北山大塔、炎上。 |
戌刻雷鳴頗消肝畢。亥初刻北山大塔為雷火焼失。一両度落懸云々。初ハ奉行僧打消云々。 <>BR> |
0124 |
応永23 141601A09 大乗院日記目録 |
北山大塔、炎上。 |
夜北山大塔炎上雷火、未述供養 |
0125 |
応永23 141603A01 看聞御記 |
茶会会所の餝りに、屏風絵、三幅(本尊観音、脇猿)を懸ける。 |
先日順事有茶会。…会所聊被餝之。立屏風絵三幅〈本尊観音。/脇猿。〉懸之。茶■瓶一対〈立花〉。卓二居。伏見院宸筆一巻懸之。 |
0126 |
応永23 141603A06 看聞御記 |
五条万里小路より出火して京都で大火事。 |
京都有大焼亡。自五条万里小路火出来。数十町焼云々。 |
0127 |
応永23 141606A01 如是院年代記 |
仙洞火事。 |
仙洞火。 |
0128 |
応永23 141606A13 看聞御記 |
絵巻二巻を借りる。大覚寺殿筆の物語。 |
自椎野絵二巻借賜。一口物語也。以外古物殊勝絵也。後聞。大覚寺殿御絵云々。宝蔵絵部類也。 |
0129 |
応永23 141607A01 看聞御記 |
仙洞御所炎上。 |
抑晩景人々告申云。昼程仙洞〈東洞院日野一位禅門私宅也。/御脱履以後被成皇居了。〉焼失云々。 |
0130 |
応永23 141607A01 満済准后日記 |
仙洞御所炎上。 |
申初刻焼亡。仙洞焼失畢。院御所御幸此坊。室町殿様御参。内裏無為。珍重々々。 |
0131 |
応永23 141608A19 満済准后日記 |
東大寺大仏、箔押しの為、祈祷。 |
東大寺大仏薄可被押申云々。仍御祈事被仰出了。 |
0132 |
応永23 141609A04 看聞御記 |
東大寺大仏の彩色修理。相国寺にて金薄を打つ。 |
将亦東大寺大仏彩色旧損野間可被修理云々。金数百両薄師ニ賜野。於相国寺金薄ニ打之。僧令奉行云々。 |
0133 |
応永23 141611A01 看聞御記 |
伝本頼寿法橋筆の小野道風像、脇絵山水一対を写させる。 |
絵書僧在此辺之間。小野道風影〈本頼寿法橋筆云々。〉令写之。脇絵〈山水〉一対同令書。馳筆書之。無相違筆者也。 |
0134 |
応永23 141612A30 看聞御記 |
寺の長老が栄書記筆梅花図、鸚鵡盃、杉原紙十帖を持参する。 |
寺長老参。唐絵一幅。〈栄書記筆梅花。〉鸚鵡盃。椙原十帖持参。御代始御礼進之云々。 |
0135 |
応永24 141701A14 看聞御記 |
雪窓筆蘭図、杉原紙十帖を賜る。 |
近衛局被祇候。御引物唐絵一対。〈雪窓蘭。〉杉原十帖賜之。 |
0136 |
応永24 141706A19 看聞御記 |
新仙洞御所に御移徒、御幸。 |
今日新仙洞〈東洞院。〉御移徙[徙歟]御幸也。 |
0137 |
応永24 141708A 大乗院日記目録 |
東大寺大仏を黄金で研ぐ。願主は足利義持と細川道観。 |
八月大仏御身以黄金奉研之、願主将軍、細川京兆禅門道観御共 |
0138 |
応永24 141708A24 大乗院日記目録 |
足利義持、奈良御参詣。 |
九[八]月廿四日、将軍南都下[板輿]向、廿九春日社[■山御成]参、 |
0139 |
応永24 141708A24 康富記 |
足利義持、奈良御参詣。 |
今朝卯終剋、室町殿奈良御参詣云々。 |
0140 |
応永24 141708A28 康富記 |
足利義持、春日社参詣。 |
今日室町殿春日御参社云々 |
0141 |
応永24 141708A29 満済准后日記 |
東大寺八幡、参詣。帰路、大仏に関する記事。 |
東大寺八幡同御参詣。御帰路大仏御□□*薄押□□反初今□小川殿東大寺執金□□[剛カ]戸被開之。 |
0142 |
応永25 141806A27 看聞御記 |
常御所萩原殿の障子。絵は花園院宸筆、裏辻忠季卿筆等、色紙形の詩は青蓮院尊円法親王筆。 |
常御所与廂相合中柱撒之。立三枚障子。此障子者萩原殿御障子也。絵花園院宸筆。又裏辻忠季卿筆等相交。色紙形詩青蓮院尊円法親王御筆。彼是重宝秘蔵之障子也。〈絵鶴鶏鵝鴻等有之。〉但破損了可修理者也。 |
0143 |
応永25 141808A18 康富記 |
清水寺塔、柱立は二十四日。法勝寺五大堂、造営。去年冬より新仏依頼。 |
清水寺塔下クミ造立記、柱立来廿四日云々、法勝寺五大堂被造営…自去年冬新仏皆被仰付仏師云々 |
0144 |
応永25 141809A01 康富記 |
五条西洞院大夫入道絵師没。 |
今日五条西洞院大夫入道〈絵師〉、卒、五十歳云々、中風也 |
0145 |
応永25 141809A17 満済准后日記 |
畠山兄弟の奉行で大塔心柱木引。 |
大塔心柱木引。今度畠山兄弟美業。今日二本被引之。 |
0146 |
応永26 141902A01 看聞御記 |
玉阿筆、唐絵山水図障子絵の記事。 |
玄超新造菴一覧。…此間障子画図書之。当世絵師玉阿書之。唐絵山水也。殊勝也。客殿以下奇麗荘厳驚目了。 |
0147 |
応永26 141905A26 看聞御記 |
六条導場、火事。仏殿、鎮守社は残る。他は皆焼失。 |
今夜有焼亡。後聞。六条導場也。仏殿并鎮守社相残。自余皆焼失云々。 |
0148 |
応永26 141907A24 扶桑五山記 |
大周周■没。 |
十七、大周禾上、…応永廿六年己亥七月廿四日入滅、寿七十二、 |
0149 |
応永26 141907A26 看聞御記 |
二十日、仙洞にて箏弾の妙音天を写す。土佐行広筆。 |
抑去廿日仙洞有御楽。妙音天被奉新写。〈箏弾絵像。土/佐将監書之。〉 |
0150 |
応永26 141912A12 看聞御記 |
北山殿北之御所宸殿を解体し、南禅寺、建仁寺等に寄進。南之御所も同様に解体。 |
抑聞。北山北之御所宸殿破壊了。南禅寺。建仁寺等御寄進云々。南之御所同破壊。 |
0151 |
応永27 142002A09 看聞御記 |
宝幢寺供養。 |
今日宝幢寺供養也。 |
0152 |
応永27 142002A09 大乗院日記目録 |
宝幢寺供養。 |
法幢寺供養 |
0153 |
応永27 142002A09 満済准后日記 |
宝幢寺供養。 |
今月九日嵯峨宝幢寺供養。 |
0154 |
応永27 142010A22 扶桑五山記 |
明寂玄晴没。 |
九十一、明寂、諱玄晴、…〈応永廿七十月廿二日滅、/塔龍雲菴、龍吟派、〉 |
0155 |
応永28 142108A11 看聞御記 |
客殿に屏風、玉阿筆唐絵を懸ける。 |
又客殿立廻屏風。懸唐絵。〈玉阿筆。〉 |
0156 |
応永28 142109A21 扶桑五山記 |
謙岩原冲没。 |
五十一、謙岩禾上、諱原冲、…〈応永二十八辛丑/九月二十一日寂、〉 |
0157 |
応永28 142110A28 看聞御記 |
内野御経結願。清水寺にて塔造営供養。 |
抑内野御経結願畢。衆僧三百■三人於清水寺三箇日御経奉読。是御塔造営供養云々。 |
0158 |
応永28 142110A29 看聞御記 |
清水寺塔供養。 |
今日清水寺塔供養有舞童云々。 |
0159 |
応永28 142111A 如是院年代記 |
円覚寺、炎上。 |
十一月円覚寺炎上。 |
0160 |
応永28 142111A12 喜連川判鑑 |
円覚寺、炎上。 |
円覚寺炎上。 |
0161 |
応永29 142204A25 看聞御記 |
二十九日に清水寺上棟の記事。 |
此間清水毎日以三百五十口僧法華経真読。是来廿九日御堂可有上棟云々。去貞和年中廻禄以後造営周備。雖然干今無上棟。仍興行。来秋ハ可有供養之儀云々。 |
0162 |
応永29 142206A17 兼宣公記 |
明日、仙洞泉殿、御造作事始の記事。 |
抑仙洞泉殿御造作事始、可為明日也、 |
0163 |
応永29 142206A18 兼宣公記 |
泉殿御事始。 |
早旦参室町殿、就今日御事始事、三个度為室町殿御使参院、 |
0164 |
応永29 142206A25 看聞御記 |
妙法院宮筆天神名号、玉阿筆脇絵松梅二幅を新調して懸ける。 |
月次連歌。・・・天神名号脇絵二幅。<玉阿筆。松梅。>新調懸之。名号妙法院宮御筆也。 |
0165 |
応永29 142208A19 看聞御記 |
仙洞御会所泉殿立柱上棟。 |
抑仙洞御会所泉殿今日立柱云々。自室町殿被造進。 |
0166 |
応永29 142208A19 満済准后日記 |
仙洞御会所泉殿立柱棟上。 |
今日院御所御会所立柱棟上。 |
0167 |
応永29 142210A08 南禅寺記 |
帰雲院、火事。 |
此御製等。皆収蔵帰雲院。毎新住持入寺。視篆証明。応永二十九年壬寅十月八日。院倶火。 |
0168 |
応永29 142211A05 扶桑五山記 |
西胤俊承没。 |
廿三、西胤禾上、諱俊承、・・・応永廿九年壬寅十一月五日入滅、寿六十五、 |
0169 |
応永29 142211A20 看聞御記 |
仙洞新造御会所泉殿に移徙。 |
抑聞。今日仙洞新造御会所泉殿御移云々。 |
0170 |
応永30 142302A05 看聞御記 |
行俊卿の銘ある賢聖障子図、唐書等が書かれる手本数巻を行豊朝臣持参。還礼として所持する伏見院宸筆、三賢等を見せる。 |
行豊朝臣相伝手本数巻持参入見参。賢聖障子絵図<中書>。銘行俊卿書之。今在内裏殊勝也。又巨文字<唐書>。等披見養眼。此還礼所持本<伏見院宸筆。三賢等。> 取出令見之。 |
0171 |
応永30 142305A 東大寺華嚴海会善知識曼荼羅図裏書 |
東大寺華厳海会善知識曼陀羅図、修復。 |
去応永四七暦仲夏上旬之候不慮之外令感得此一鋪、此内第廿八之知識観音菩薩者是年来信仰之如意輪観音尊也、広尋自他之図絵普弁路余之霊像未見此尊在此内、実是機感之純熟宿縁之開発在干此時者或、仍凝謁仰之思増添歸依之味、因茲重令修複訖/応永卅年五月 日 大法師澄賢/東大寺如意輪院 |
0172 |
応永30 142307A05 看聞御記 |
蔵光菴にて大光明寺住長老弟子という僧が屏風を描く。 |
其後蔵光菴ニ行。有絵書僧<大光明寺住長老弟子云々。>書屏風。暫見之殊勝也。 |
0173 |
応永30 142307A19 看聞御記 |
頓書記筆、大道院御所間四間障子に梅花を描く。 |
昼大道院ニ参。御所間障子絵頓[長老弟子]書記書之。為一見参。梅花<大木>。四問[間歟]障子ニ書渡。其勢殊勝也。 |
0174 |
応永30 142309A14 扶桑五山記 |
太岳周崇没。 |
第十、太岳禾上、諱周崇、・・・応永三十年癸卯九月[十]四か日入滅、寿七十九、 |
0175 |
応永30 142311A23 李朝実録 |
二十日に回礼使船、日本国王使臣船十八隻、到着。 |
奎尚道監司報、回礼使船、同日本国王使臣船十八隻、今月二十日到泊乃而浦 |
0176 |
応永30 142311A28 看聞御記 |
大光明寺住僧頓書記筆、阿茶丸絵二幅を賜う。 |
行豊朝臣帰参。阿茶丸絵二幅<大光明寺住僧頓書記筆>。賜之。 |
0177 |
応永30 142312A25 李朝実録 |
日本国王使臣圭籌梵齢都船主久俊等一百三十五人、闕献土宜に詣でる。 |
世宗五年癸卯十二月壬申 日本国王使臣圭籌梵齢都船主久俊等一百三十五人詣闕献土宜 |
0178 |
応永31 142401A20 喜連川判鑑 |
浄妙寺、火事。 |
正月二十日。浄妙寺炎上。 |
0179 |
応永31 142401A22 李朝実録 |
圭籌梵齢等、加賀を訊問。周文に関する記事。 |
圭籌梵齢等、拘■加賀、訊問、・・・・・・曰者画僧周文者、妄発言曰、・・・ |
0180 |
応永31 142401A26 李朝実録 |
日本国王使副官に緜紬各三匹、周■、周文、都船主に緜紬二匹を賜う。 |
世宗六年甲辰正月癸卯 賜日本国王使送上副官人緜紬各三匹・・・僧鞋禅和子周■周文都船主客緜紬二匹・・・ |
0181 |
応永31 142402A03 扶桑五山記 |
岐陽方秀没。 |
六十四、岐陽禾上、諱方秀、・・・<応永三十一甲辰二月三日寂、> |
0182 |
応永31 142402A03 満済准后日記 |
絵所寂済入道没。 |
絵所寂済入道死去云々。<七十七歳歟。> |
0183 |
応永31 142402A04 李朝実録 |
日本国王使臣圭籌等出発。 |
日本国王使臣圭籌等発行・・・■干漢江 |
0184 |
応永31 142407A17 看聞御記 |
絵所預秀行筆、牛図を明盛が持参。 |
明盛参。世事語之。牛一枚<板切両方ニ二頭書。>持参。当絵所預秀行筆云々。雨降之時牛ヲ逆ニ釣。然者雨晴云々。其為絵所ニ可令書之由兼仰付了。仍持参神妙也。 |
0185 |
応永31 142408A10 看聞御記 |
四条導場、火事。 |
抑今夜<丑時。>四条導場炎上云々。 |
0186 |
応永31 142408A10 満済准后日記 |
四条道塲、全焼。時衆の放火。 |
今夜々半四条道塲悉焼失。一宇不残。頗[二]時衆共自放火云々。 |
0187 |
応永31 142411A21 看聞御記 |
内裏庭園造営。植木の献上を命ずる。 |
内裏此間御前水御興行云々。仍当所寺庵植木可被召進之由。以持経被仰下。河原者三人為検知被召下。則寺菴ヘ仰之旨申遣。 |
0188 |
応永32 142502A18 扶桑五山記 |
鄂隠恵■没。 |
十九、鄂隠禾上、諱恵■、・・・応永卅二年乙巳二月十八日入滅、寿六十五、 |
0189 |
応永32 142502A24 喜連川判鑑 |
極楽寺、火事。 |
二月二十四日夜。極楽寺炎上。 |
0190 |
応永32 142502A28 看聞御記 |
十八日、鄂隠慧■没。 |
又聞、鹿苑院前住鄂隠和尚今月十八日円寂云々。 |
0191 |
応永32 142508A14 看聞御記 |
相国寺の鹿苑院など、関東武将亭、信濃善光寺、火事。 |
抑未剋京有焼亡。一時許焼了。在所不審之処及晩風聞。相国寺鹿苑院以下塔頭々々悉炎上云々。法界門衣服[ヱミ]寺同焼失。・・・後聞。関東武将亭此日焼失云々。信濃善光寺も焼失云々。但巷説不審也。 |
0192 |
応永32 142508A14 満済准后日記 |
相国寺で火事。 |
未初刻相国寺ノ塔頭乾徳院焼失。其余炎ニ常徳院雲頂院鹿苑院並寺内七堂以下方丈文庫鐘楼一宇モ不残悉焼失。纔塔頭六ヶ所相残計也。崇寿院勝定院大徳院大智院恵林院大幢院等也。 |
0193 |
応永32 142508A14 如是院年代記 |
相国寺で火事 |
相国寺炎上。 |
0194 |
応永32 142508A28 扶桑五山記 |
慶仲周賀没。 |
廿五、慶仲禾上、諱周賀、・・・応永三十二乙巳八月二十八日寂、寿六十三、 |
0195 |
応永32 142509A14 看聞御記 |
大道院から瀧湫周沢筆の不動明王図、胡銅の花瓶が盗まれる。 |
早旦大道院盗人入。不動一補[ママ]。<瀧湫筆。>花瓶一。<胡銅。> 取之。 |
0196 |
応永32 142509A15 看聞御記 |
崇光院の本尊の瀧湫周沢筆不動明王図三幅を大道院に寄進。 |
用健来臨盗人事不尋出之間。不動紛失無念之由被語。仍崇光院御本尊不動三幅。<瀧湫筆。>大道院ニ可寄進之由進愚状。但預置他所□□□可進之由令申。 |
0197 |
応永32 142510A07 満済准后日記 |
足利義持、相国寺に渡御。仏殿等事始。 |
御所様今日渡御相国寺ニ。今暁仏殿等事始云々。 |
0198 |
応永32 142510A14 看聞御記 |
仙洞御持仏堂立柱。 |
仙洞御持仏堂今日立柱。 |
0199 |
応永32 142510A14 満済准后日記 |
仙洞御会所御立柱。 |
仙洞御会所御立柱。 |
0200 |
応永32 142511A03 満済准后日記 |
相国寺仏殿立柱。 |
相国寺仏殿立柱。 |
0201 |
応永32 142511A04 看聞御記 |
真乗寺殿所蔵の常磐絵二篇を賜る。詞は白河三位経朝卿筆。 |
玄忠参。一樽持参。抑真乗寺殿常磐絵二篇賜之。殊勝絵也。詞筆跡白河三位経朝卿云々。行豊見之彼卿筆跡之由申。此絵真乗寺所持云々。 |
0202 |
応永33 142601A11 満済准后日記 |
御所の引物。福禄寿松竹鶴等の屏風一双、練貫五重。 |
仍自昼程院御所ニ御室祗候云々。御引物等毎事如年々佳例。御屏風一双。絵福禄寿松竹鶴等也。御練貫五重。以上。 |
0203 |
応永33 142601A15 満済准后日記 |
京都で大火事。 |
今日巳半許ヨリ中京焼亡。上ハ自姉小路下至高辻。其間八町歟。西ハ室町ノ東頬。東ハ富小路西頬ニ至テ悉焼失。其中ニ六角堂ノ本堂因幡堂六角家等相残云々。 |
0204 |
応永33 142604A26 法隆寺上御堂正面上欄間格子墨書 |
重祐大法師、法隆寺上御堂を施入。 |
奉施入法隆寺上御堂大施主重祐大法師夏一応永三十三年<丙午>卯月廿六日之間皆新造也。 |
0205 |
応永33 142611A22 満済准后日記 |
相国寺方丈開堂。 |
今日相国寺方丈開云々。 |
0206 |
応永34 142707A26 満済准后日記 |
相国寺の山門、鹿苑院、佛殿立柱。 |
今日相国山門並鹿苑院佛殿立柱云々。 |
0207 |
正長1 142801A18 満済准后日記 |
今日巳半計(歟)。御事切了。御年四十三也。 |
今日巳半計(歟)。御事切了。御年四十三也。 |
0208 |
正長1 142801A23 建内記 |
足利義持の葬儀。御影は土佐行広筆。 |
勝定院贈太相国御葬礼也、・・・懸御影於龕前、件御影土左守行広俄奉図云々、 |
0209 |
正長1 142801A24 満済准后日記 |
等持院に安置する御影(木像)。奈良仏師に申付ける。 |
次御影<木像。>事。於被安置等持院御影ハ御俗体可宜歟。又可為御法体歟云々。・・・予申云。是ハ又御法体可宜歟由申了。管領同心。仍此分治定。於即座奈良仏師ニ当院院主申付了。 |
0210 |
正長1 142804A05 東福寺誌 |
東福禅寺法堂上棟。 |
(梁銘)上棟、大日本国山城州恵日山東福禅寺法堂 応永三十五戊申年四月初五日 住持(高明)法揚修造 奉行一承、大工肥前守源弘友等敬白、 |
0211 |
正長1 142806A26 扶桑五山記 |
厳中周■没。 |
廿二、厳中禾上、諱周■、・・・正長元年戊申六月廿六日入滅、寿七十、 |
0212 |
正長1 142810A07 扶桑五山記 |
在中中淹没。 |
十三、在中禾上、諱中淹、・・・正長元年戊申十月七日入滅、寿八十七、 |
0213 |
永享1 142901A11 満済准后日記 |
大館入道方へ。御引物御屏風一双。御練貫十重。堆朱盆一枚。香合。小高檀紙一束。 |
今朝以使者〈経祐法眼〉。申遣大館入道方。早々可有渡御之由可申沙汰云々。…申初歟渡御。…御引物御屏風一双。〈絵万歳楽地久。〉御練貫十重。盆〈二重。堆紅。〉一枚。香合。〈削紅。文竹観音。〉小高檀紙一束。 |
0214 |
永享1 142901A30 喜連川判鑑 |
浄妙寺炎上。 |
正月三十日。浄妙寺炎上。 |
0215 |
永享1 142904A17 満済准后日記 |
清滝御遷宮。 |
今日清滝御遷宮。 |
0216 |
永享1 142906A21 建内記 |
故厳中周■和尚に禅師号。 |
禅師号事有御執 奏、是前住南禅厳中周■和尚去年六月廿六日円寂、而門中出所望之間 |
0217 |
永享1 142907A10 建内記 |
浄華院仏殿棟上。 |
浄華院仏殿棟上也。 |
0218 |
永享1 142908A16 満済准后日記 |
室町殿御会所棟上。 |
今日室町殿御会所御棟上云々。 |
0219 |
永享1 142908A16 建内記 |
室町殿立柱上棟。 |
室町殿御造作、立柱上棟也、 |
0220 |
永享1 142908A29 椿葉記 |
正長二年八月廿九日本内裏に遷幸。 |
さて正長二年八月廿九日本内裏に遷幸なる。 |
0221 |
永享1 142908A29 大乗院日記目録 |
黒戸御所新造。 |
遷[還]幸土御門殿、黒戸御所新造、自余如本 |
0222 |
永享1 142908A29 看聞御記 |
日本内裏遷幸。 |
今日本内裏遷幸也。 |
0223 |
永享1 142908A29 満済准后日記 |
高倉仮内裡から上御門旧内裡へ遷幸。 |
自高倉仮内裡。上御門旧内裡へ遷幸。 |
0224 |
永享1 142909A24 満済准后日記 |
東大寺巡礼。西室の宝蔵の霊宝。霊宝内の碁石三を召す。沈二切も同様に召す。 |
次東大寺御巡礼。…次西室へ渡御。於彼所宝蔵。霊宝等拝見。…霊宝内御碁石〈黒二。/赤一。〉以上三被召之。沈二切〈二寸許歟。〉同被召之了。 |
0225 |
永享1 142909A25 扶桑五山記 |
惟忠通恕没。 |
惟忠和尚、諱通恕、・・・永享元年巳酉九月廿五日示寂、寿八十二[一]、 |
0226 |
永享1 142911A13 満済准后日記 |
公方様新造御会所に移徒。 |
公方様新造御会所御移徙也。 |
0227 |
永享1 142911A21 満済准后日記 |
金剛輪院常御所、立柱上棟。 |
今日金剛輪院常御所〈会所相兼〉。立柱上棟。 |
0228 |
永享2 1430 古画備考(藤原行秀の項) |
大嘗会悠紀方御屏風を調進。 |
系図云、…永享二年、大嘗会悠紀方御屏風、及標、調進之 |
0229 |
永享2 1430 古画備考(土左光弘の項) |
大嘗会悠紀方御屏風を調進。 |
系図云、…永享二年、画大嘗会主基方御屏風、及標山調進 |
0230 |
永享2 143001A11 満済准后日記 |
御引物屏風一双。 |
御引物恒例儀也。御屏風一双〈絵馬牧体也〉 |
0231 |
永享2 143010A 達磨像銘 |
達磨像完成。征夷大将軍源相公鈞命。仏工椿井法眼集慶。彩色は周文。 |
永享二季庚戌四月奉/征夷大将軍源相公鈞命雕造至/十月終功/左辺眉眼鼻口并両手旧像不壊者也/仏工椿井法眼集慶/綵粧僧 周文/勧縁遠孫比丘祖能謹志 |
0232 |
永享3 1431 古画備考(仲安和尚の項) |
不動尊像、絹本竪軸、八十六歳仲安筆、梵師焼香拝賛。 |
不動尊像、絹本竪軸、落款云、八十六歳仲安叟図焉、《松屋》画上之賛云、如々不動、処々随縁、一奉持者、出六種纏、永享辛亥夏五、梵師焼香拝賛、〈真蹟〉 |
0233 |
永享3 143103A09 満済准后日記 |
六日、天王寺で火事。 |
去六日自天王寺発向新開庄。堂塔在家一宇不残之悉放火了。 |
0234 |
永享3 143103A23 看聞御記 |
抑自禁裏絵可尋進之由被仰下。仍勧修寺門跡絵以善首座申出。十二年合戦絵五巻。後三年合戦絵六巻。弥益大領絵三巻〈勧修寺縁起〉。已上四巻借給為悦也。則禁裏備叡覧了。 |
抑自禁裏絵可尋進之由被仰下。仍勧修寺門跡絵以善首座申出。十二年合戦絵五巻。後三年合戦絵六巻。弥益大領絵三巻〈勧修寺縁起〉。已上四巻借給為悦也。則禁裏備叡覧了。 |
0235 |
永享3 143104A07 看聞御記 |
霊峯和尚が仲安筆不動像三幅を献ず。 |
霊峯和尚参来。用達遺物不動像三幅〈金加羅。勢多/加。仲安筆。〉献之。 |
0236 |
永享3 143104A17 看聞御記 |
内裏から天狗絵七巻を下さる。 |
自内裏七天狗絵七巻被下云々。 |
0237 |
永享3 143105A02 看聞御記 |
禁裏から長谷寺縁起絵三巻借りる。 |
自禁裏長谷寺縁起絵三巻被借下。 |
0238 |
永享3 143106A03 看聞御記 |
摂州勝尾寺縁起絵四巻を法安寺持参。内裏の為。 |
摂州勝尾寺縁起絵四巻法安寺持参。彼寺西坊絵云々。内裏為入見参伝借之。 |
0239 |
永享3 143106A06 看聞御記 |
障子絵鷺一番絵所に書かせる。 |
抑障子絵鷺一番絵所ニ令書。定直知人也。安芸守定久〈今入/道也〉。崇光院被召仕被下院宣云々。旧好之間可致奉公之由申。無子細筆也。向後可仰付之由仰之。 |
0240 |
永享3 143106A29 看聞御記 |
禁裏より勝尾寺縁起、返却。 |
禁裏有勅書。絵一合被返下[勝尾寺縁起]。 |
0241 |
永享3 143107A01 看聞御記 |
内裏へ絵四巻(八幡縁起絵二巻。宝篋印陀羅尼絵二局)を献上。 |
内裏へ絵四巻〈八幡縁起絵二巻。宝/篋印陀羅尼絵二局。〉進之。 |
0242 |
永享3 143108A20 兆殿司傳 |
吉山明兆没。 |
永享三年八月二十日寂、世壽八十歳、 |
0243 |
永享3 143108A20 画工譜略 |
明兆没。 |
兆殿主[後小松院御時] 文和元年壬辰誕生、…永享三年辛亥八月廿日行年八十歳シテ卒、時ニ贈兆公禅師 |
0244 |
永享3 143108A20 扶桑画人伝 |
吉山明兆没。 |
兆殿司…永享三年八月廿日没ス八十歳 |
0245 |
永享3 143108A22 看聞御記 |
上御所、事始。 |
上御所〈室町/旧跡〉。今日事始也。 |
0246 |
永享3 143108A22 満済准后日記 |
上御所、事始。 |
早旦辰終上御所辺ヘ先参儲(了)。…予今日御事始儀見物事依時宣也。 |
0247 |
永享3 143108A22 大乗院日記目録 |
将軍御所室町亭新造事始まる。 |
将軍御所室町亭新造事始。 |
0248 |
永享3 143109A09 聖衆来迎寺蔵十界図 軸木墨書銘 |
叡山横川霊山院の六道絵十五幅、三条富小路にて修覆終了。願主欣求浄土沙門忍阿弥。能阿弥修復に加わる。 |
六道之絵像拾五幅叡山横川霊山院之霊宝也/永享三年九月九日於三条富小路修覆之丐/願主欣求浄土沙門忍阿弥敬白/世の中をうき身におくることはりの/さてもむくはぬはてぞかなしき/能阿弥生年三十五才 |
0249 |
永享3 143110A13 看聞御記 |
室町殿立柱上棟。 |
室町殿立柱上棟也。 |
0250 |
永享3 143110A13 満済准后日記 |
今日巳時上御所立柱上棟同時。 |
今日巳時上御所立柱上棟同時。 |
0251 |
永享3 143110A13 大乗院日記目録 |
室町殿立柱上棟 |
室町殿立柱上棟 |
0252 |
永享3 143110A23 看聞御記 |
石山参詣。弘法大師御影、石山内供淳祐御影等拝見。障子に石山縁起あり。 |
辰一点石山参。…一堂ニ弘法大師御影。石山内供淳祐御影等拝見。障子ニ石山縁起図之。殊勝也。 |
0253 |
永享3 143111A03 看聞御記 |
相国寺仏殿上棟。法界門立柱。 |
今日相国寺仏殿上棟。法界門立柱云々。 |
0254 |
永享3 143111A15 看聞御記 |
禁裏より正安朝覲行幸絵一巻を下さる。 |
自禁裏正安朝覲行幸絵一巻被下。殊勝画図也。拝見畏悦。 |
0255 |
永享3 143112A03 満済准后日記 |
将軍新造御所にて鎮宅修法始まる。 |
自今日於将軍新造御所。〈号室町殿。/一条以北。〉鎮宅修法始行之。 |
0256 |
永享3 143112A05 看聞御記 |
内裏より小絵一巻下さる。洞院前内府入道筆。禁中公事等十二月之事を書いたもの。 |
抑自内裏小絵一巻被下。洞院前内府入道筆也。禁中公事等十二月之事書之。依勅定書進云々。彼卿筆跡未見之間申出了。 |
0257 |
永享3 143112A11 看聞御記 |
室町殿御移徒。 |
今夜室町殿御移徙也。 |
0258 |
永享3 143112A11 満済准后日記 |
将軍新造上御所に移る。 |
今日亥刻将軍御移新造上御所。 |
0259 |
永享3 143112A11 大乗院日記目録 |
室町殿御移住。 |
室町殿御移住 |
0260 |
永享3 143112A18 看聞御記 |
内裏より摂政所持の五節絵三巻下さる。高倉院承安元年五節絵形。 |
自内裏五節絵三巻被下。高倉院承安元年五節絵形。摂政所持絵也。 |
0261 |
永享4 143201A11 満済准后日記 |
上御所御造作事始。 |
今日上御所御造作事始。於寝殿前有其沙汰云々。 |
0262 |
永享4 143201A28 看聞御記 |
椎野より玉阿筆唐絵二幅を給う。 |
自椎野唐絵二幅給之為悦。玉阿筆云々。 |
0263 |
永享4 143201A29 看聞御記 |
禁裏に五節絵を返す。 |
禁裏有勅書五節絵返進。 |
0264 |
永享4 143202A24 看聞御記 |
室町殿御会所上棟。 |
今日室町殿御会所上棟云々。…御会所之外棟共あまた上棟云々。 |
0265 |
永享4 143202A24 満済准后日記 |
上御所御会所、御車宿、随身所、月次壇所等、立柱上棟。 |
上御所御会所并御車宿。随身所。月次壇所等。立柱上棟云々。 |
0266 |
永享4 143204A02 看聞御記 |
ある田舎人、妙音天絵造一幅を寄進。 |
六僧坊事執申。或田舎人妙音天絵造一幅進之。 |
0267 |
永享4 143204A19 満済准后日記 |
因幡堂縁起絵三巻、一遍上人絵十二巻に関する記事。 |
因幡堂縁起絵三巻。一遍上人絵十二巻。時御前可令一見由被仰出了。銘今度被染御筆云々。 |
0268 |
永享4 143204A22 満済准后日記 |
因幡堂絵、一遍上人絵を返上。 |
因幡堂絵并一遍上人絵返上了。 |
0269 |
永享4 143204A26 看聞御記 |
室町殿奥御会所に御移徒。 |
室町殿奥御会所に今日御移徙也。 |
0270 |
永享4 143204A26 満済准后日記 |
新造御会所御移徒。 |
新造御会所今夜可有御移徙之儀。先可拝見申旨被仰。御引導間。御座敷一見申了。美麗難尽短筆。驚目外無他。千秋万歳珍重由申了。 |
0271 |
永享4 143206A01 看聞御記 |
御乳人内裏に参る。先日御絵返上。唐使図御賀絵両巻を見せる。 |
御乳人内裏参。先日御絵返献之。唐使図御賀絵両巻入見参。 |
0272 |
永享4 143207A06 看聞御記 |
七夕餝具足に四季松図金屏風一双、絵三幅(中幅観音)を借用。座席室礼の為、屏風一双借用の請求あり。 |
七夕餝具足住心院僧正屏風一双。〈金瑩付/松四季。〉絵三幅〈本尊観/音。〉借用。法輪院律師〈行資舎/弟。〉屏風一双〈海船/松。〉借請。座席室礼。 |
0273 |
永享4 143208A11 看聞御記 |
持経祇候、囲碁双六をする。持経持参の茶■呉器、南御方へ進上。 |
持経祇候囲碁双六張行申。懸物等持参。…懸物胡銅香炉一予出之。持経勝取之。…持経持参。茶■呉器一雖非勝負南御方へ進之。 |
0274 |
永享4 143209A 古画備考(中橋系図) |
将軍義教、駿河国今川範政亭にて、富士を見て景信に命じて写す事を命じる。 |
伝云、永享四年九月、将軍義教公、於駿河国今川範政亭、望観富士之時、有命景信於御前、使写于士峯、景信日来嗜画、故有此命云、 |
0275 |
永享4 143209A 狩野五家譜 |
将軍義教、駿河国今川範政亭にて、富士を見て景信に命じて写す事を命じる。 |
伝曰、永享四壬子年九月、将軍義教公東遊之砌、駿河国今川範政亭において、富士山を観玉ふ時、義教公御前において景信に被仰付、富士山の正図を写させ玉ふ、景信日頃画を嗜候故、蒙命と申伝。 |
0276 |
永享4 143209A06 看聞御記 |
年中行事絵。書写の記事。 |
抑年中行事絵。自去年内裏申出令書写。于今不終功。今日書出了。承仕清賢有絵骨之間令写了。 |
0277 |
永享4 143209A08 看聞御記 |
年中行事絵を内裏に返進。 |
年中行事絵内裏返進申。 |
0278 |
永享4 143210A15 満済准后日記 |
室町殿御持仏堂棟上。 |
室町殿御持仏堂棟上也。 |
0279 |
永享4 143210A29 看聞御記 |
仙洞対屋を男女別に建てるとの記事。 |
仙洞男女混合不可然之由被申。対屋各別。室山殿可造進之由被申云々。 |
0280 |
永享4 143211A10 満済准后日記 |
真言院立柱上棟。 |
真言院立柱上棟。 |
0281 |
永享4 143211A10 大乗院日記目録 |
内野真言院立柱上棟 |
内野真言院立柱上棟 |
0282 |
永享4 143211A10 看聞御記 |
仙洞対屋上棟。 |
仙洞対屋〈男祇候/所。〉今日上棟云々。 |
0283 |
永享5 1433 観音善財詢礼図識語 |
周文筆大悲尊像并善財詢礼之変相についての記事。 |
仲方和尚嘗有一童子自十齢至十八載周旋于左右不■労役厥進退挙措殆乎仙陀婆也靖退閑居之時殊克服勤竟無憚也奄息之頃自書小簡附以周文公之画■紙而奉于座下盖旌長別之悃恋い者也仍愍彼意致之無一便与薙染俾□僧儀遂重命文公図大悲尊像并善財詢礼之変相於其上而装為幀軸由以前所奉之小簡而乎其背仗此賭之則慈救之切悲愍之深不可測其涯焉余禀 厳命不得去辞猥以蕪穢誌其始卒云/永享五年癸丑冬節後鷲峰愚極礼才焚香拝書 |
0284 |
永享5 1433 善隣国宝記 |
同年 大明書/皇帝勅諭日本国王源義教。(普光院)/…茲遣正使内官雷春。…齎勅往諭。并賜王綵幣等物。以示嘉悦之意。/宣徳八年六月十一日 |
同年 大明書/皇帝勅諭日本国王源義教。(普光院)/…茲遣正使内官雷春。…齎勅往諭。并賜王綵幣等物。以示嘉悦之意。/宣徳八年六月十一日 |
0285 |
永享5 143301A20 満済准后日記 |
南禅寺塔頭炎上。 |
今暁南禅寺塔頭炎上[両所]云々。 |
0286 |
永享5 143302A15 満済准后日記 |
御前の御山水向観音殿以下を見る。 |
予先参御前。御山水向観音殿以下被見了。新造綵色未出来。 |
0287 |
永享5 143302A16 看聞御記 |
室町殿泉殿上棟。 |
聞。室町殿今日泉殿上棟云々。 |
0288 |
永享5 143306A02 看聞御記 |
祇薗社塔供養の勧進。 |
抑聞。此間祇薗社為塔供養有勧人。 |
0289 |
永享5 143306A12 看聞御記 |
内裏より絵一合下さる。弘法大師絵十巻。智証大師絵五巻を拝見。 |
自内裏絵一合被下。弘法大師絵[金剛手院絵也]十巻。智証大師絵[聖護院絵也]五巻拝見。殊勝也。 |
0290 |
永享5 143306A14 看聞御記 |
内裏より御絵返上。又一合下さる。太神宮法楽寺絵五巻。泊瀬寺縁起三巻。 |
内裏御絵返上。又一合被下。太神宮法楽寺絵五巻。泊瀬寺縁起三巻。皆殊勝也。 |
0291 |
永享5 143306A16 看聞御記 |
内裏御絵返上。又一合下さる。八坂法観寺塔縁起絵三■。聖廟御絵六巻。義湘大師絵四■。青丘大師絵二巻下さる。 |
内裏御絵返上。又一合被下。八坂法観寺塔縁起絵三■。聖廟御絵六巻。義湘大師絵四■。青丘大師絵二巻被下為悦。八坂絵殊勝画図也。 |
0292 |
永享5 143306A20 看聞御記 |
内裏より新善光寺絵三巻を下さる。 |
自内裏新善光寺絵三巻又被下。 |
0293 |
永享5 143307A03 看聞御記 |
内裏より玄荘三蔵絵三巻を下さる。 |
自内裏玄荘三蔵絵且三巻被下。殊勝画図也。 |
0294 |
永享5 143307A04 看聞御記 |
玄荘絵残り十二巻を下さる。大乗院の絵。 |
玄荘絵残被下。有十二巻。[南部] 大乗院絵也。殊勝々々絵也。 |
0295 |
永享5 143307A14 大乗院日記目録 |
高野炎上、大塔以東滅亡。 |
高野炎上、大塔以東滅亡云々。 |
0296 |
永享5 143307A20 満済准后日記 |
高野火事の記事。 |
高野事先無為。…高野諸坊過半ハ焼失也。二千坊許ハ焼歟云々。大塔。金堂以下簡要在所無為事。 |
0297 |
永享5 143309A03 看聞御記 |
絵解の記事。 |
絵解参。未聞之間召令解。更無感気。甚比興事也。 |
0298 |
永享5 143309A16 看聞御記 |
大地震あり。 |
今夜大地震両度。 |
0299 |
永享5 143309A16 満済准后日記 |
子刻に地震。 |
今夜子刻地動。〈小動。〉 |
0300 |
永享5 143310A26 看聞御記 |
大地震で堂舍が倒れ多くの人が死ぬ。去年夏秋の間の事。 |
抑関東有不思議之恠異。先大地震堂舍顛倒人多死。…去夏秋之間事也。 |
0301 |
永享5 143310A30 看聞御記 |
室町殿前水作事、廿七日より始まる。 |
室町殿前水作事。自廿七日被始云々。 |
0302 |
永享5 143311A01 看聞御記 |
明日室町殿に進上する松を大光明寺、石を円鑑和尚が寄進。 |
明日室町殿可進之間。大光明寺松召寄五本被進。…海石三〈円鑑和尚被進。/秘蔵之石也。〉被進。地下侍共皆参令普請。 |
0303 |
永享5 143311A02 看聞御記 |
室町殿へ小松五本、海石三を進上。 |
室町殿へ小松五本。海石三被進。 |
0304 |
永享5 143311A05 看聞御記 |
■三番歌合、御香宮稲田奉納。 |
抑聞。■三番歌合〈絵哥一枚ニ/六人書。〉御香宮[赤松]稲田奉納云々。 |
0305 |
永享5 143311A24 満済准后日記 |
足利義教、廿一日に室町殿へ移徙。 |
早旦出京。室町殿音会所泉殿云々。廿一日御移徙御礼。 |
0306 |
永享6 1434 画工譜略 |
狩野祐盛伯信永享六年に生る。 |
狩野祐盛伯信…後花園御時永享六年に生る、生国は伊豆なり |
0307 |
永享6 143401A11 満済准后日記 |
御評定始。御引物三献度進之。御屏風一双を立置。 |
御評定始如例式云々。…御引物三献度進之。御屏風一双。〈絵唐/船。〉兼立置御座敷。 |
0308 |
永享6 143402A11 如是院年代記 |
因幡堂万寿寺炎上。 |
因幡堂万寿寺炎上。 |
0309 |
永享6 143402A14 看聞御記 |
京都で大火。 |
京方有焼亡。未知在所。不審也。自午之末至酉初焼。以外大焼亡也。…其中因幡堂〈本尊ハ不焼。/取出云々。〉万寿寺。〈寺内悉焼失。草創/以来不焼云々。〉六条道場。聖天[河原院]。大内屋形。正七土蔵等也。 |
0310 |
永享6 143402A14 満済准后日記 |
京都で大火。 |
自午末京中炎上。…因幡堂焼失。於本尊者取出云々。十二神少々取出云々。万寿寺焼失。大内宿所等凡其数数千云々。希代事也。 |
0311 |
永享6 143402A14 大乗院日記目録 |
因幡堂万寿寺等焼亡。 |
因幡堂万寿寺等焼亡 |
0312 |
永享6 143403A11 満済准后日記 |
土佐将監入道に影像を写させる。 |
土佐将監入道召寄。影像写之了。 |
0313 |
永享6 143403A19 満済准后日記 |
六角堂炎上。南北七町。東西四町焼失。 |
戌半歟六角堂炎上。六角亭焼失。南北七町。東西四町焼失云々。 |
0314 |
永享6 143403A19 如是院年代記 |
六角堂炎上。 |
六角堂炎上。 |
0315 |
永享6 143403A24 看聞御記 |
宝蔵絵三巻を見参に入る。此絵は軒外不出の品。 |
又宝蔵絵三巻〈粉河観音絵。書写上/人絵。犬頭糸絵。〉入見参。此絵有子細不出軒外。雖然依召進之。 |
0316 |
永享6 143404A20 満済准后日記 |
土佐将監入道、祖師影の内、龍智。惠果を持参。 |
土佐将監入道祖師影内。龍智。惠果。尊師図画持参。 |
0317 |
永享6 143405A25 看聞御記 |
内裏より粉河観音縁起絵三■下さる。室町殿より進上されたもの。 |
自内裏粉河観音縁起絵三■且被下。畏悦殊勝之絵也。自室町殿被進云々。 |
0318 |
永享6 143405A26 看聞御記 |
内裏より御絵之残四■給う。粉河縁起七巻有■三段。 |
自内裏御絵之残四■給。粉河縁起七巻有■三段。利生掲焉殊勝也。 |
0319 |
永享6 143407A06 看聞御記 |
七夕餝座敷室礼。内裏御屏風一双(扇流源氏絵)。 |
七夕餝如例座敷室礼。明盛参。内裏御屏風一双〈旧院御屏風/扇流源氏絵〉申出了。 |
0320 |
永享6 143407A18 満済准后日記 |
福岡箱崎社炎上。 |
九州筥崎社頭炎上。神体同前。…炎上事。去月十六日歟云々。 |
0321 |
永享6 143408A21 看聞御記 |
京都火事。 |
夜前京焼亡。〈南禅寺塔/頭云々。〉抑去比宇佐宮炎上云々。天下恠異歟。驚入者也。 |
0322 |
永享6 143409A12 看聞御記 |
来る十五日、伊勢外宮遷宮。 |
来十五日伊勢外宮遷宮云々。上卿勧修寺中納言也。 |
0323 |
永享6 143410A25 看聞御記 |
内裏より絵六巻下さる。行幸賀茂祭、検非違使検断等絵。 |
自内裏絵六巻被下[御室被進云々]行幸賀茂祭。検非違使検断等絵也。 |
0324 |
永享6 143411A06 看聞御記? |
内裏物語御用之由、仰下さる。史漢物語六巻、武蔵坊弁慶物語二巻を献上。 |
内裏物語御用之由被仰下之間。史漢物語六巻。武蔵坊弁慶物語二巻献之。 |
0325 |
永享6 143411A08 看聞御記 |
内裏御絵五巻下さる。悪源太絵上下。鎮西追討絵三巻。是御室宝蔵絵也。 |
内裏御絵五巻被下。先日絵之類也。悪源太絵上下。鎮西追討絵三巻。是御室宝蔵絵也。 |
0326 |
永享6 143411A27 満済准后日記 |
山上清滝拝殿立柱。 |
山上清滝拝殿立柱。 |
0327 |
永享7 1435 一休和尚年譜 |
一休朱太刀像の記事。 |
七年乙卯…瑞子絵師像。曲録?牀角靠長剣。以代烏藤。賛有吹毛三尺発動煙塵之句。 |
0328 |
永享7 143501A11 太子伝玉林抄 |
南大門焼ける。同十一年新造。 |
次当時南大門三間也。无二王也。承暦年中堀川院之時。/私云。永享七年正月十一日暁。禅学諍。南大門焼畢。同十一年新造。 |
0329 |
永享7 143502A03 大乗院日記目録 |
延暦寺根本中堂炎上、本尊薬師三体焼ける。 |
延暦寺根本中堂悉皆炎上、本尊薬師三体焼了、希代珍事 |
0330 |
永享7 143502A04 満済准后日記 |
山門惣持院炎上。 |
今夜山門惣持院炎上云々。 |
0331 |
永享7 143502A05 看聞御記 |
山門中堂炎上。 |
(頭書)今日山門中堂炎上。 |
0332 |
永享7 143502A05 如是院年代記 |
根本中堂及び心持院放火。衆徒等自殺。 |
根本中堂及心持院放火。衆徒等自殺。 |
0333 |
永享7 143502A06 満済准后日記 |
山門根本中堂昨日炎上。 |
山門根本中堂昨日〈午刻〉。炎上。 |
0334 |
永享7 143502A06 看聞御記 |
昨日山門社頭中堂、大講堂以下炎上。 |
抑聞。昨日山門「社頭中堂「大講堂以下為灰燼。…相残「座禅院等」悪党共放火。忽一時山上滅亡云々。 |
0335 |
永享7 143505A06 看聞御記 |
関白の進上した御所は小御所。 |
関白被進御所ハ小御所〈大方殿御方。〉也。非寝殿云々。来月可被引渡之由有沙汰。寝殿ニ可被作之由被申云々。毎事未定之由親豊語。 |
0336 |
永享7 143505A09 看聞御記 |
源氏絵上下巻進上。写す為。 |
殿大納言被申出之間。源氏絵上下巻供進。為被写云々。 |
0337 |
永享7 143506A29 看聞御記 |
内裏御絵七巻。大嘗会御禊行幸絵下さる。 |
内裏御絵七巻。大嘗会御禊行幸絵被下。以外破損。然而殊勝絵也。甘露寺相伝之絵云々。而禁裏へ沽却申間被召置云々。 |
0338 |
永享7 143507A07 看聞御記 |
座敷錺屏風二双。唐絵廿三幅。人々の進上した具足等目録。禁裏唐絵龍眠筆三幅。御屏風二双。 |
早旦座敷錺屏風二双。唐絵廿三幅。…並花所進人々具足等目録。/禁裏唐絵三幅〈文殊人形。/龍眠筆。〉御屏風二双〈扇〉。 |
0339 |
永享7 143507A08 看聞御記 |
内裏旧院筆八幡縁起御絵、申出持参。 |
内裏八幡縁起御絵〈二■。納筥。詞/旧院御筆。〉申出持参。後小松院在位之時被書云々。殊勝御絵也。 |
0340 |
永享7 143507A28 看聞御記 |
違棚の後ろの障子絵。法性寺之絵所に書かせる。 |
チカヰ棚後障子絵。法性寺之絵所ニ令書出来。唐人京入之体也。 |
0341 |
永享7 143508A03 看聞御記 |
山門中堂建立事始まる。 |
抑今日山門中堂建立事始云々。 |
0342 |
永享7 143508A03 如是院年代記 |
根本中堂の事の始めは申刻。 |
根本中堂事始申刻也。 |
0343 |
永享7 143508A07 看聞御記 |
仙洞御会所ハ鷹司殿、進ずる。御持仏堂。 |
仙洞御会所ハ鷹司殿[内府]ヘ被進。御持仏堂。 今御所ハ泉涌寺被寄。寝殿。対屋。台所等ハ此御所ヘ可被進之由有沙汰云々。 |
0344 |
永享7 143508A15 蔭凉軒日録 |
当寺僧堂立柱。 |
当寺僧堂立柱。 |
0345 |
永享7 143508A27 蔭凉軒日録 |
出羽国崇禅寺。十刹となる。新命周悟西堂、出発。 |
出羽国崇禅寺。以有先例始為十刹列。新命周悟西堂。御判即出矣。 |
0346 |
永享7 143508A29 看聞御記 |
関白新造亭室町殿入る。 |
聞。今日関白新造亭室町殿被入申。 |
0347 |
永享7 143509A20 蔭凉軒日録 |
仏殿左右両尊彫造の為、周文、建仁寺仏像を見る。仏工を選ぶため。 |
当寺仏殿左右両尊可彫造之故。使院主与周文見建仁寺仏像。蓋択仏工故。 |
0348 |
永享7 143510A02 看聞御記 |
大通院御筆天神名号并に啓釈筆唐絵等新調出来。 |
大通院御筆天神名号并啓釈筆唐絵等表ほう?新調出来了。 |
0349 |
永享7 143510A26 蔭凉軒日録 |
当寺山門立柱。 |
当寺山門立柱。 |
0350 |
永享7 143511A07 蔭凉軒日録 |
画師景阿弥、唐扇を命ぜられる |
画師景阿弥。為明年所作之扇。可唐扇。以院主命伺之。可作唐扇之旨被仰出。 |
0351 |
永享7 143511A09 蔭凉軒日録 |
諸老宿諸貴俗。写真冊子四巻。臆阿に召さしむ。 |
諸老宿諸貴俗。写真冊子四巻。以臆阿被召之。写真一枚以臆阿被預置。 |
0352 |
永享7 143511A13 如是院年代記 |
因幡堂立柱。 |
因幡堂立柱。 |
0353 |
永享7 143511A29 看聞御記 |
建仁寺炎上。 |
牛未之時建仁寺炎上。自風呂出火云々。驚入者也。追聞。塔頭共炎上。寺中仏殿以下無為也。 |
0354 |
永享7 143511A29 蔭凉軒日録 |
建仁寺炎上。 |
建仁寺諸塔頭有火。 |
0355 |
永享7 143512A08 看聞御記 |
御禊行幸絵六巻内裏進上。 |
御禊行幸絵六巻内裏進之。表補新調畢。 |
0356 |
永享7 143512A19 看聞御記 |
新亭に渡らせられる。 |
酉刻新亭渡御。 |
0357 |
永享8 143601A13 看聞御記 |
法性寺絵所参る。御剣持参。御扇を下さる。この絵所父は崇光院御代に奉公。 |
法性寺絵所〈法師〉。参。御剣持参。被下御扇。比絵所父ハ崇光院御代奉公云々。旧好之由申参。 |
0358 |
永享8 143603A12 蔭凉軒日録 |
当寺脇士安置。仏殿に御成。 |
当寺脇士安置之。…先御成於仏殿。乃安置脇士之故也。 |
0359 |
永享8 143605A19 看聞御記 |
其便路参る。絵一合持参(善光寺利生絵二■修験道絵一巻)。 |
其便路参。絵一合持参[善光寺利生絵二■修験道絵一巻]。聖護院之絵也。先年予詞染筆。其後未一覧之間所望申。仍借給。 |
0360 |
永享8 143605A30 看聞御記 |
保元絵一合、重仲持参。たくまか筆。 |
保元絵一合〈上五/巻〉重仲持参。件絵銘事申。再三雖令故障。中山宰相執申。就貴所望申之由懇切申之間。心弱領状了。仍絵入見参。殊勝絵也。西塔北谷ニ有之。たくまか筆云々。山上秘蔵絵云々。 |
0361 |
永享8 143605U04 看聞御記 |
保元絵銘染筆遣之。上■先返遣。 |
保元絵銘染筆遣之。上■先返遣。中山中納言以重仲難去申之間。乍比興書遣。山門秘蔵之絵云々。 |
0362 |
永享8 143605U09 看聞御記 |
会所障子八景詩。諸長老達に所望する。色紙ハ■書記。 |
仰会所障子八景詩。諸長老達ニ所望申。光侍者為使。不可有子細云々。色紙ハ■書記致奉行了。 |
0363 |
永享8 143605U14 看聞御記 |
住心院二尊利生絵返す。発心集を遣わす。 |
住心院二尊利生絵返遣。発心集遣之。 |
0364 |
永享8 143606A05 看聞御記 |
八景詩障子に唐紙師参りて押す。 |
八景詩障子ニ唐紙師参押之。 |
0365 |
永享8 143606A14 看聞御記 |
東寺塔に落雷。 |
昼夕立降。雷鳴東寺塔ニ落。水雷之間無殊事。二三重蹴破云々。 |
0366 |
永享8 143606A22 看聞御記 |
内裏より人麿影像一幅下さる。旧院御絵。信実卿筆か。 |
自内裏人麿影像一幅被下。御乳人持参。不所持之由被聞食及被下。殊畏悦也。是旧院御絵也。若信実卿筆歟。古本殊勝也。 |
0367 |
永享8 143606A25 看聞御記 |
山門足引絵一合、定直持参。粟田口民部筆の新写。 |
仰山門足引絵一合〈五巻。納/手筥。〉定直持参。自山門以事書申。第四巻一■之詞可被染御筆之由載事書所望申。定直有所縁執申。件絵新写〈粟田口民/部筆也。〉甚殊勝也。 |
0368 |
永享8 143606A26 蔭凉軒日録 |
当寺開堂。。 |
当寺開堂。度僧〈并〉梵種喝食。度僧之事伺之。 |
0369 |
永享8 143606A27 蔭凉軒日録 |
開堂の為御成。 |
為開堂御成。…次開同諷経。 |
0370 |
永享8 143606A27 看聞御記 |
相国寺僧堂開く。因幡堂ゝゝ六角堂立柱。 |
相国寺僧堂開因幡堂ゝゝ六角堂立柱云々。 |
0371 |
永享8 143606A27 看聞御記 |
内裏御絵牧谿筆観音、蘆、雁三幅。永基朝臣持参。咸陽宮御絵返上。 |
仰内裏御絵三幅。〈観音。蘆。雁。/牧谿和尚筆。〉永基朝臣持参申出了。咸陽宮御絵返進了。 |
0372 |
永享8 143607A04 看聞御記 |
行豊朝臣狭衣絵五巻見参のため入る。清朝臣上。 |
行豊朝臣狭衣絵五巻入見参。殊勝絵也。為清朝臣進之。是之絵申出之間。高大夫絵等両三巻遣之。 |
0373 |
永享8 143607A07 看聞御記 |
会所室礼。内裏より御絵牧谿和尚筆観音、蘆雁三幅。紫檀の卓一、屏風一双。瓶盆等南御方より申出さる。 |
早旦会所室礼。…自内裏御絵三幅。〈牧谿和尚観音。芦雁大/絵。金鑽ヘウホウ。〉卓一〈紫檀。〉屏風一双。比外瓶盆等自南御方被申出。 |
0374 |
永享8 143608A27 如是院年代記 |
中堂立柱。同十月十一日上棟。 |
中堂立柱。同十月十一日上棟。 |
0375 |
永享8 143609A05 看聞御記 |
足引絵詞書初む。 |
足引絵詞書初。 |
0376 |
永享8 143609A28 蔭凉軒日録 |
御会所、御障子画賛諸老宿に命ず。十二人。 |
御会所。御障子画賛可命諸老宿之旨奉之。乃十二員也。 |
0377 |
永享8 143610A11 看聞御記 |
中堂立柱之儀厳重。 |
中堂立柱之儀厳重云々。 |
0378 |
永享8 143610A11 大乗院日記目録 |
延暦寺根本中堂立柱。 |
延暦寺根本中堂立柱 |
0379 |
永享8 143610A15 看聞御記 |
伏見殿障子色紙絵を召寄す。常御所障子五間に押す。絵は花薗院宸筆。忠季卿筆等。色紙は青蓮院ニ品親王御筆。萩原殿御障子色紙は秘蔵。 |
仰伏見殿障子色紙絵召寄。常御所障子五間ニ押之。絵ハ花薗院宸筆。忠季卿[裏辻大納言]筆等也。色紙ハ青蓮院ニ品親王[尊円]御筆。萩原殿御障子色紙秘蔵々々者也。 |
0380 |
永享8 143611A02 蔭凉軒日録 |
御障子諸老賛を御目に懸ける。能阿父散忌之後に能阿に糊付けさせる。 |
御障子諸老賛懸之 御目。能阿父散忌之後。可令能阿糊也。 |
0381 |
永享8 143611A19 経覚私要看聞鈔 |
不動一鋪新写。絵師吐田筑前房重、代百五十疋。 |
不動一鋪新写了、絵師吐田筑前房重有書之、代百五十疋云々、随分沙汰出了 |
0382 |
永享8 143611A29 如是院年代記 |
八坂塔雲居寺両所炎上。 |
八坂塔雲居寺両所炎上。 |
0383 |
永享8 143611A29 看聞御記 |
雲狐寺八坂塔双林寺炎上。 |
夜〈丑時。〉雲狐寺八坂塔双林寺炎上。 |
0384 |
永享8 143611A30 蔭凉軒日録 |
法観寺災あり。 |
法観寺有災。被尋。…以伊勢上総殿披露其旨矣。 |
0385 |
永享8 143611A30 蔭凉軒日録 |
法観寺災あり。 |
法観寺有災。被尋。 |
0386 |
永享8 143611A30 大乗院日記目録 |
雲居寺八丈阿弥陀并びに八坂塔焼失。 |
雲居寺八丈阿弥陀并八坂塔焼失了 |
0387 |
永享9 1437 京城万寿禅寺記 |
大殿山門丈室新成。 |
同九年丁巳捨播之安田東九条田園。■罪譴籍没之財。而大殿山門丈室新成矣。法堂僧堂庫司浴室溷厠琴台諸寮等。次第備矣。 |
0388 |
永享9 1437 扶桑五山記 |
惟肖得岩没。 |
六十九、惟肖禾上、諱得岩、…〈応永[マゝ]四月/月[衍?]廿日寂、〉 |
0389 |
永享9 143701A27 看聞御記 |
内裏にて源氏絵二■入見参。 |
自内裏被召之間。源氏絵二■入見参。 |
0390 |
永享9 143701A28 蔭凉軒日録 |
蓮華王院仏像并びに天蓋に関する記事。 |
蓮華王院仏像并天蓋。尽成功之旨被言之。 |
0391 |
永享9 143702A25 看聞御記 |
足引絵詞、禁裏に召置いていたが、今日返却。五巻皆写す。 |
仰足引絵詞難去申之間染禿筆了。而禁裏被召置。絵有御写。〈勅筆。〉自去年于今被召置之間。自山門切々申。今日指而有所用事云々。仍被出之間今日返遣了。五巻皆被写了。 |
0392 |
永享9 143703A25 扶桑五山記 |
古標大秀没。 |
百廿一、古標、諱大秀、〈永享九三月廿五日寂、〉 |
0393 |
永享9 143704A19 看聞御記 |
室町殿新造小御所御移住并びに御厩新造御祝。 |
室町殿新造小御所御移住并御厩新造御祝云々。 |
0394 |
永享9 143704A19 看聞御記 |
相国寺法堂立柱云々。 |
相国寺法堂立柱云々。 |
0395 |
永享9 143704A20 蔭凉軒日録 |
当寺法堂立柱。諷経。 |
当寺法堂立柱。諷経。 |
0396 |
永享9 143705A09 看聞御記 |
禁裏へ内裏より御扇十本進ずる。絵面にはしゃれ事とも種々書く。裏ハ普通の絵。 |
仰禁裏へ内裏より御扇十本被進。其絵面ニハ。しゃれ事とも種々書。裏ハ普通之絵結構也。 |
0397 |
永享9 143705A15 看聞御記 |
内裏より融通念仏絵両三■給う。 |
内裏より融通念仏絵両三■給。〈鞍馬■沙門/勧進融通念/仏絵/也。〉 |
0398 |
永享9 143706A08 看聞御記 |
内裏愚童記御絵。宮御方申出さる。詞旧院宸筆。 |
内裏愚童記御絵。宮御方被申出。詞旧院宸筆也。 |
0399 |
永享9 143706A26 看聞御記 |
持経絵二巻入見参。定智真筆。 |
持経絵二巻入見参。其形勢殊勝也。定智真筆云々。則欲写。 |
0400 |
永享9 143706A27 扶桑五山記 |
与可心交没。 |
百廿ニ、与可、諱心交、〈永享九六月/廿七日寂〉 |
0401 |
永享9 143708A13 看聞御記 |
法輪にて雑談。吉祥天女絵彩色の事、絵所民部法眼隆光に相談。 |
法輪てら参雑談。吉祥天女絵綵色事。絵所民部法眼隆光知人之由申間。可被尋試之由申談。 |
0402 |
永享9 143708A14 看聞御記 |
内裏より因果絵五巻下さる。詞行俊卿筆。 |
内裏より因果絵五巻被下。殊勝也。詞故行俊卿筆也。 |
0403 |
永享9 143708A18 看聞御記 |
法輪院慈恵大師御絵三巻持参。青蓮院御絵也。 |
法輪院慈恵大師御絵三巻持参。青蓮院御絵也。自第四詞紛失不被出云々。 |
0404 |
永享9 143708A29 看聞御記 |
禁裏より地藏絵六■給う。 |
自禁裏地藏絵六■給。拝見殊勝也。 |
0405 |
永享9 143710A08 看聞御記 |
絵一■持経朝臣持参。 |
絵一■持経朝臣持参。先度入見参定智筆之類也〈関白出/仕絵。〉 |
0406 |
永享9 143710A10 蔭凉軒日録 |
万寿寺仏殿立柱。 |
万寿寺仏殿立柱。 |
0407 |
永享9 143710A12 看聞御記 |
典主殿御盃台進ず。龍頭鷁首二艘。台ハ池之風情也。南都より造進。彩色民部。 |
典主殿御盃台進之。龍頭鷁首二艘。台ハ池之風情也。南都より造進云々。綵色事民部ニ仰。 |
0408 |
永享9 143712A25 蔭凉軒日録 |
水亭之名。鹿苑院主と考えるよう、誉阿に命ず。 |
水亭之名。可与鹿苑院主相謀之由。以誉阿被命。 |
0409 |
永享9 143712A26 蔭凉軒日録 |
新亭名御目に懸ける。 |
新亭名奉懸 御目。可重書献之旨有命。 |
0410 |
永享9 143712A29 蔭凉軒日録 |
南殿前新亭扁釣■書文字を献ず。 |
南殿前新亭扁釣■書文字献之。 |
0411 |
永享10 143802A13 看聞御記 |
持経朝臣所望。民部筆十六羅漢像一鋪。銘天神講式銘等。 |
仰上長講堂坊主以持経朝臣所望申。十六羅漢像一鋪。〈民部/筆。〉銘天神講式銘等申。雖比興書進。 |
0412 |
永享10 143802A27 看聞御記 |
鳴滝殿御絵春日御縁起一合二十巻借り給う。萩原殿御物。正本は春日社に奉納。 |
仰鳴滝殿御絵春日御縁起中諸一合〈廿巻。〉借給。拝見殊勝也。件御絵萩原殿御物也。…此絵正本春日社被奉納。…其中書也〈隆兼同筆。〉萩原殿相伝歟。仍鳴滝被預申也。 |
0413 |
永享10 143802A27 看聞御記 |
内裏より御屏風一双(絵松/鶴)預かる。 |
自内裏御屏風一双〈絵松/鶴〉被預下。 |
0414 |
永享10 143803A02 看聞御記 |
唐絵屏風一双。玉阿筆。召留める。 |
唐絵屏風一双。或人沽却。玉阿筆云々。不分明。然而神妙之筆也。仍召留了。 |
0415 |
永享10 143804A02 看聞御記 |
相国寺法堂開。 |
相国寺法堂開云々。 |
0416 |
永享10 143804A02 蔭凉軒日録 |
方丈御成。新法堂を開いた為。 |
方丈御成。〈煎点。〉蓋為開新法堂也。 |
0417 |
永享10 143804A09 看聞御記 |
周文参る。周文筆障子絵を見る。 |
周文参。障子絵見之〈比僧筆/也。〉瑛蔵主真■同道参。雖自筆猶無覚束歟。 |
0418 |
永享10 143804A12 看聞御記 |
光侍者参る。唐絵屏風筆者不審。多智筆か。多智は粟田口民部弟子。 |
光侍者参。感得唐絵屏風筆者不審之間令見。是ハ多智筆云々。…多智ハ粟田口民部弟子云々。民部ニ可被見之由申。可相尋也。 |
0419 |
永享10 143804A16 看聞御記 |
唐絵屏風粟田口民部に見せる。多智筆。 |
仰唐絵屏風粟田口民部ニ令見。多智筆也云々。 |
0420 |
永享10 143804A29 看聞御記 |
内裏御屏風栂尾殿御筆源氏并びに舞絵二双拝見。又絵所筆舞絵一双申出す。 |
内裏御屏風栂尾殿御筆源氏并舞絵[二双]申出拝見。殊勝無極。又舞絵一双〈絵所筆。〉申出。是も殊勝也。則返進。 |
0421 |
永享10 143805A13 看聞御記 |
盛賢書写絵採色は土佐将監。 |
仰盛賢書写絵採色事。[絵所]土佐将監申試了。 |
0422 |
永享10 143805A16 看聞御記 |
禁裏源氏絵民部に書かせるとの事。 |
禁裏源氏絵〈オソクツ絵〉民部ニ令書之由被仰下。可相尋之由先申入。 |
0423 |
永享10 143805A24 看聞御記 |
時代不同歌合絵中巻、上下欠。盛賢に書写させる。 |
時代不同歌合絵。或人沽却。披見中巻也。上下欠。然而召留了。絵乱次散々也。為校合証本相尋。源中納言。法性寺侍臣為季ニ借用。一巻進之。好本也。校合乱次直之。感得本無上下之間。以此本盛賢ニ令書写。 |
0424 |
永享10 143805A26 看聞御記 |
山門足引絵。先度宸筆にて写したが、彩色の為、今一度借用。 |
仰山門足引絵事。先度以宸筆被写置了。為採色今一度可被借召条如何。 |
0425 |
永享10 143806A07 看聞御記 |
内裏より地藏験記絵一合給う。室町殿御絵。奧書藤原朝臣行光、但大進法眼善祐書、貞治孟秋。 |
仰内裏より地藏験記 |
0426 |
永享10 143806A08 看聞御記 |
地藏御絵返上。十二神絵下さる。又九郎判官義経奥州泰衡等被討代絵十巻給う。詞参議拾遺行忠卿。絵所従四位藤原朝臣行光筆。 |
地藏御絵返献。又十二神絵[畜類歌合]被下。電覧則返進。又九郎判官義経奥州泰衡等被討代絵十巻給。室町殿被進絵也。殊更殊勝握翫無極。詞参議拾遺行忠卿。絵所従四位藤原朝臣行光筆也。 |
0427 |
永享10 143806A10 看聞御記 |
内裏より長官前大蔵筆目連尊者絵三■を給う。和田左衛門尉平義盛絵七■を給う。 |
内裏より又目連尊者絵三■。〈奧書云/筆者長官前大蔵/権小輔従五位下/藤原光益。嘉慶/二年六月日。〉給之。…又和田左衛門尉平義盛絵七■〈浅井三郎義秀幕/府住所門破事。〉同給。是等自室町殿被進云々。 |
0428 |
永享10 143806A13 看聞御記 |
内裏より平家絵十巻給う。 |
内裏より平家絵十巻給。是も自公方被進云々。 |
0429 |
永享10 143806A17 看聞御記 |
重賢参る。法輪院絵四巻進上。内裏献上。 |
重賢参。法輪院絵四巻進之。〈東大寺絵。二月/堂絵。児方芸絵ニ■。〉則内裏献之。 |
0430 |
永享10 143806A18 蔭凉軒日録 |
重都寺家財石山絵を召置く。 |
重都寺家財石山絵被召置。 |
0431 |
永享10 143806A20 看聞御記 |
時代不同歌合絵書写終わる。詞行豊朝臣可令書。写本法性寺侍従為季返す。 |
時代不同歌合絵書写了。詞行豊朝臣可令書也。写本法性寺侍従為季返遣。 |
0432 |
永享10 143806A24 看聞御記 |
入江殿より花山院筆法然上人絵四巻給う。禁裏入見の為。 |
自入江殿法然上人絵〈四巻。〉給。花山院之絵也。禁裏為入見参伝借申。 |
0433 |
永享10 143807A22 看聞御記 |
足引絵第二巻採色出来る。禁裏より下さる。民部小輔採色。 |
仰足引絵第二巻採色出来。禁裏より被下。如本殊勝也。民部小輔[蔵人次益父也]以盛採色之。頗不恥絵所能筆。珍重也。 |
0434 |
永享10 143808A09 看聞御記 |
民部源氏絵書出進上。内裏へ献上。詞勅筆。 |
民部源氏絵[上下]書出進之。殊勝也。則内裏へ献之。詞勅筆可被遊云々。 |
0435 |
永享10 143808A26 看聞御記 |
山臥綱絵。絵所土佐将監彩色出来る。絵は清賢写す。 |
(頭書)山臥綱絵。絵所土佐将監綵色出来。今日進之。殊勝也。絵ハ清賢写了。 |
0436 |
永享10 143808A29 看聞御記 |
多武峯火事。 |
多武峯昨日責落云々。…堂舍仏閣為灰燼。本堂。大織冠御影堂無為ニ残云々。 |
0437 |
永享10 143808A29 大乗院日記目録 |
多武峯炎上。 |
多武峯発向、堂社、坊舍払地炎上、大職[織]冠御影奉入橘寺 |
0438 |
永享10 143810A20 看聞御記 |
足引絵第一彩色出来る。 |
足引絵第一綵色出来。 |
0439 |
永享10 143811A11 看聞御記 |
秋夜長物語絵二巻。内裏より下さる。 |
秋夜長物語絵二巻。自内裏被下。一覧。 |
0440 |
永享10 143811A13 看聞御記 |
鳴滝殿御絵、巻物六七巻給う。ういのせう絵上下巻。絵所預隆兼筆香助絵二巻、萩原殿御絵先度給う。 |
鳴滝殿御絵〈強力女絵一■。〉巻物六七巻給。ういのせう絵上下巻。香助絵二巻先度給了。〈絵所預/隆兼筆/写之。〉萩原殿御絵共也。名筆之間申預了。 |
0441 |
永享10 143811A13 蔭凉軒日録 |
北堂華経王堂本尊、大仏師に命ずる。 |
北堂華経王堂本尊。命大仏師作之。 |
0442 |
永享10 143811A14 蔭凉軒日録 |
経王堂本尊可十九日に始める。 |
経王堂本尊可始彫刻之吉。以来十九日被命。 |
0443 |
永享10 143812A03 看聞御記 |
室町殿より詞伏見院宸筆御絵二巻給う。清少納言枕双子絵。 |
仰自室町殿御絵二巻給。此詞伏見院宸筆云々。実否御不審定可存知歟。見て可申之由。女中より内々承。清少納言枕双子絵也。[墨絵也]殊勝也。宸筆雖相似不分明。慥御筆とハ不存。源中納言同前申。若萩原殿進子内親王御筆歟。絵も同前歟。其も不分明之間。宸筆とハ慥不拝見之由御返事申。御絵軈返進了。禁裏より御絵一巻給。むくさい房絵也。新写也。是も室町殿被入見参云々。 |
0444 |
永享10 143812A11 蔭凉軒日録 |
牛剋八坂塔立柱諷経。 |
牛剋八坂塔立柱諷経。 |
0445 |
永享11 1439 本朝画史 |
藤原広周、絵所となる。 |
藤原広周…永享十一年為絵所 |
0446 |
永享11 143904A23 扶桑五山記 |
竹菴大縁没。 |
七十三、竹菴禾上、諱大縁、…〈永享十一己未四月廿三日寂、〉 |
0447 |
永享11 143904A23 扶桑五山記 |
竹菴大縁没。 |
百十四、竹菴、諱大縁、…〈永享十一四月廿三日寂、〉 |
0448 |
永享11 143906A06 蔭凉軒日録 |
雲狐寺大像面貌、本房客殿にて彫刻始まる。 |
雲狐寺大像面貌於本房客殿始彫刻。仍眼口所在各被着一刀。 |
0449 |
永享11 143906A12 建内記 |
雲居寺本尊、去六日鹿苑院にて刻み始まる。仏師去九日造り始める。 |
伝聞 雲居寺[先年炎上之後]本尊〈阿弥陀、〉事御衣木、去六日[室町殿]於鹿苑院令刻始給、只被下御小刀許也、其後仏師去九日歟造始之、 |
0450 |
永享11 143906A30 扶桑五山記 |
大愚性智没。 |
八十九、大愚、諱性智、…〈永享十一六/月■日寂、〉 |
0451 |
永享11 143907A05 蔭凉軒日録 |
大愚和尚行脚事を披露。 |
大愚和尚行脚事披露之。 |
0452 |
永享11 143908A28 蔭凉軒日録 |
当院本房にて雲狐寺大像彫刻始まる。 |
午刻於当院本房。雲狐寺大像始彫刻也。 |
0453 |
永享11 143909A08 蔭凉軒日録 |
七月十六日。大風起きて清見寺殿堂倒れる。 |
七月十六日。大風起而倒清見寺殿堂之事披露之。 |
0454 |
永享11 143910A25 土佐家文書 |
土佐広周に丹波国三ヶ北庄から給分として五百疋を出す。 |
二品親王庁下 丹波国三ヶ北庄御庄司等/応早以当庄内伍百疋土佐弾正忠広周給分事右以彼人可為給人之状如件、庄家宜承知、敢勿違失、故以下/永享十一年十月廿五日 公文大法師(花押)/別当法橋(花押) |
0455 |
永享11 143912A20 蔭凉軒日録 |
蔭涼南庭小山水を御覧。 |
蔭涼南庭小山水始具御覧。 |
0456 |
永享12 1440 善隣国宝記 |
同十二年二月十九日、足利義教、彩画扇壹佰把、金銅装飾大刀者拾把、大紅漆木車椀大小計■拾事、大紅漆浅方盆大小計貳拾事を朝鮮国王殿下へ。 |
同十二年 答朝鮮書/日本国源 義教。〈(普広院殿)〉奉復/朝鮮国王殿下。/…菲薄方物。見于別録。聊表謝悃耳。伏希采納。…/龍集庚申春二月十九日/日本国源 義教/彩画扇壹佰把。/金銅装飾大刀者拾把。/大紅漆木車椀大小計■拾事。/大紅漆浅方盆大小計貳拾事。/紅漆黒漆雑色木桶貳箇。/整 |
0457 |
永享12 144001A18 蔭凉軒日録 |
山門造営十一日に始まる。 |
当寺山門造営始于十一日。 |
0458 |
永享12 144002A19 蔭凉軒日録 |
朝鮮官人、帰国の為、参上。御会所にて対面。御返章として、書并びに箱を贈る。扇子百本。太刀十振。朱椀一具。奈良桶二箇。 |
朝鮮官人。為帰国参于殿中而請暇去。於御会所御対面。御返章被遣。書并箱如彼報而被贈戴者。扇子百本。太刀十振。朱椀一具。奈良桶二箇。以僧遣之。 |
0459 |
永享12 144004A16 如是院年代記 |
八坂塔供養。 |
八坂塔供養 |
0460 |
永享12 144004A16 蔭凉軒日録 |
法観寺塔供養。 |
法観寺塔供養。 |
0461 |
永享12 144004A16 基恒日記 |
八坂塔供養 |
八坂塔供養 |
0462 |
永享12 144004A16 大乗院日記目録 |
八坂塔供養 |
八坂塔供養 |
0463 |
永享12 144004A19 蔭凉軒日録 |
雲狐寺本尊彫刻。奈良新仏師と周文と相共に彫刻。 |
雲狐寺本尊彫刻。奈良新仏師与周文相共可彫刻之由被仰出。 |
0464 |
永享12 144004A23 蔭凉軒日録 |
鹿苑院殿伺う。赤段子三端。青段子二端。ヒワ色段子一段出される。能阿弥これを弁ずる。 |
鹿苑院殿真前帳伺之。 赤段子三端。青段子二端。ヒワ色段子一段被出。令能阿弥弁之。 |
0465 |
永享12 144005A10 蔭凉軒日録 |
山門彩色、洛中絵師が註進。 |
就山門彩色洛中絵師悉可註進也。 |
0466 |
永享12 144005A14 蔭凉軒日録 |
千手観音厨子。脇士馬祖仙人功徳天。写すよう土蔵に命ず。 |
千手観音厨子。脇士馬祖仙人功徳天。可写之由於土蔵命之。 |
0467 |
永享12 144005A25 蔭凉軒日録 |
土蔵。加賀。将監。安芸。この絵師各御扇子一柄献上。土蔵一人山門彩色をつとめる。 |
土蔵。加賀。将監。安芸。此絵師各御扇子一柄献之。土蔵一人可勤山門彩色之由。以伊勢備後守仰出。扇絵為被試其妙不妙。 |
0468 |
永享12 144005A30 蔭凉軒日録 |
山門彩色、土蔵ほか絵師相共に描く。 |
山門彩色土蔵其外絵師相共可画之由被仰出。 |
0469 |
永享12 144006A11 蔭凉軒日録 |
雲狐寺本尊御刀始。 |
雲狐寺本尊御刀始。 |
0470 |
永享12 144006A17 如是院年代記 |
因幡堂成る。本尊御堂に移る。 |
因幡堂成。本尊遷御堂。 |
0471 |
永享12 144007A28 蔭凉軒日録 |
雲狐寺本尊光仏。洛中諸仏師配分して作る。 |
雲狐寺本尊光仏。洛中諸仏師配分而可被作之由伺之。 |
0472 |
永享12 144008A28 蔭凉軒日録 |
仏師弁法橋并びに絵師土蔵二人。千疋下行。千手観音厨子。 |
仏師弁法橋并絵師土蔵二人。千疋下行之事。於正実坊被仰出。即命之。蓋千手観音厨子也。 |
0473 |
永享12 144011A06 蔭凉軒日録 |
雲狐寺二王周文が造る。 |
雲狐寺二王周文可造之由被仰出。 |
0474 |
永享12 144011A27 蔭凉軒日録 |
雲狐寺二王御刀始まる。等持寺方丈にて。 |
雲狐寺二王御刀始。於等持寺方丈在之。 |
0475 |
永享12 144012A05 蔭凉軒日録 |
山門開方丈御成。 |
山門開方丈御成。 |
0476 |
嘉吉1 144104A04 看聞御記 |
内裏より十二神絵給う。 |
自内裏十二神絵給。室町殿被進云々。 |
0477 |
嘉吉1 144104A05 看聞御記 |
智証大師御絵一合[五■]禁裏下さる。 |
智証大師御絵一合[五■]禁裏被下。 |
0478 |
嘉吉1 144104A06 看聞御記 |
三寺談話絵五巻内裏下さる。室町殿新調絵。窪田筆。 |
三寺談話絵五巻内裏被下。室町殿被新調絵云々。太殊勝也[くぼ田筆也]。 |
0479 |
嘉吉1 144104A14 看聞御記 |
狂言絵一巻菊弟持参。 |
狂言絵一巻菊弟持参。逸興絵也。欲書写。 |
0480 |
嘉吉1 144104A14 蔭凉軒日録 |
清見寺造営披露。 |
清見寺造営披露之。 |
0481 |
嘉吉1 144104A15 看聞御記 |
絵五巻下さる。 |
絵五巻被下。〈大仏絵上下慈恩院。平家/八嶋絵三■喜多院。〉南都絵也。〈以資任朝臣/被召云々。〉詞持経朝臣読之。狂言絵盛賢写之。 |
0482 |
嘉吉1 144104A17 看聞御記 |
禁裏より玄弉三藏絵一合下さる。 |
自禁裏玄弉三藏絵一合〈十二/■〉被下。是も南都絵也。殊勝々々。…三蔵絵詞。面々馳筆写之。 |
0483 |
嘉吉1 144104A21 看聞御記 |
玄弉三藏絵返上。詞、写し終わる。 |
玄弉三藏絵返進。詞悉写了。 |
0484 |
嘉吉1 144104A26 看聞御記 |
仰若州松永庄新八幡宮の絵、到来。四巻。彦火々出見尊絵二巻。吉備大臣絵一巻。金岡筆伴大納言絵一■。 |
仰若州松永庄新八幡宮ニ有絵云々。浄喜申之間。社家へ被仰て被借召。今日到来。有四巻。彦火々出見尊絵二巻。吉備大臣絵一巻。伴大納言絵一■金岡筆云々。詞之端破損不見。古弊絵也。然而殊勝也。禁裏為入見参有召上了。 |
0485 |
嘉吉1 144104A28 建内記 |
中山西照中将送使「云」[補入]、何にても絵可進覧、雖狂絵可進之由被仰所々之由也、仍是害房絵、不顧比興左道之物付使送之、 |
中山西照中将送使「云」[補入]、何にても絵可進覧、雖狂絵可進之由被仰所々之由也、仍是害房絵、不顧比興左道之物付使送之、 |
0486 |
嘉吉1 144105A06 基恒日記 |
相国寺修造事終わる。 |
相国寺修造事終也。 |
0487 |
嘉吉1 144105A09 看聞御記 |
持経朝臣六道絵二合十一巻を見る。 |
持経朝臣六道絵二合〈十一巻〉入見参。片時電覧。則返遣。是西園寺絵也。 |
0488 |
嘉吉1 144105A22 建内記 |
善恵上人絵を見る。 |
善恵上人絵申出、面々一見了、 |
0489 |
嘉吉1 144105A26 看聞御記 |
内裏粉河縁起絵一合下さる。 |
内裏粉河縁起絵一合[七■]〈沈金/筥〉被下。殊勝也。公方被進彼御絵歟。 |
0490 |
嘉吉1 144105A27 看聞御記 |
御絵返上。又太神宮法楽寺絵下さる。内裏より貞任宗任討伐絵三巻下さる。 |
御絵返進。又太神宮法楽寺絵〈五■〉。被下。自室町殿被進云々。…又自内裏貞任宗任討伐絵三巻被下。 |
0491 |
嘉吉1 144106A05 看聞御記 |
狂言絵盛賢写し終わる。 |
狂言絵盛賢今日書写了。 |
0492 |
嘉吉1 144106A14 蔭凉軒日録 |
雲狐寺本尊造終わり、披露。 |
雲狐寺本尊造畢之由披露之。 |
0493 |
嘉吉2 1442 古画備考(霊彩の項) |
霊彩筆渡唐天神像、著色清潤淡、嘉吉壬戌孟夏元承の賛詞あり。 |
按嘗閲其所画渡唐天神像、著色清潤淡有古色、画上有嘉吉壬戌孟夏元承之賛詞 |
0494 |
嘉吉2 144202A04 東福寺誌 |
二月四日 東福寺の塔婆材木を美濃より運上す |
二月四日 東福寺之塔婆材木を美濃より運上す/(東福寺塔婆材木自美濃運送注文)/一、下筏 二百乗 四十綱/一、駄別 六千駄〈陸路/分〉/一、船 百五十艘/一、車三百輌〈已上〉/嘉吉二年二月四日 都聞啓福(華押) |
0495 |
嘉吉2 144206A11 康富記 |
伊勢兵庫助方にて諏訪将監持参諏訪明神縁起(絵十二巻)を読む。 |
次向伊勢兵庫助方、折節諏訪将監持参諏訪明神縁起〈絵十二巻、〉読時分也、自六至十二聴聞拝見了。 |
0496 |
嘉吉2 144212A03 康富記 |
諏訪縁起絵を借りる。去夏伊勢兵庫助にて拝見したもの。 |
諏訪縁起絵〈十二/巻〉可借進之由、自伏見殿被仰諏訪将監之間、其由予令伝仰了、今日持来之間、則同道参伏見殿、件縁起納幸櫃借進上之、…予去夏比、於伊勢兵庫助拝見了 |
0497 |
嘉吉2 144212A03 康富記 |
伏見殿に参上。文治頼朝幕下被責奥州泰衡御絵十巻を召出し、一より五まで拝見。 |
参伏見殿御読、…文治頼朝幕下被責奥州泰衡御絵十巻有之、被召出、自一至五拝見之、読申詞了、 |
0498 |
嘉吉3 144301A12 大乗院日記目録 |
天王寺炎上。 |
天王寺炎上、禅額相論事云々 |
0499 |
嘉吉3 144301A23 看聞御記 |
去る正月十二日天王寺炎上。 |
仰去正月十二日天王寺炎上云々。…中方諸堂ニ楯篭自焼。太子堂。御影堂。[鎮守]十五社。廻廊。三昧堂等灰燼。自余堂々無為也。 |
0500 |
嘉吉3 144302A16 看聞御記 |
新三位。和漢婚姻絵詞清書終わる。 |
新三位。和漢婚姻絵詞清書了進之。 |
0501 |
嘉吉3 144302A18 看聞御記 |
和漢婚姻絵見参に入る。 |
和漢婚姻絵入見参。 |
0502 |
嘉吉3 144302A18 看聞御記 |
因果絵九巻。寂静院進上。 |
因果絵〈九巻。/第五欠。〉寂静院進之。聞及之間伝借了。 |
0503 |
嘉吉3 144304A01 看聞御記 |
中山法師絵の彩色の事。窪田に命ずる。 |
中山法師絵採色事。窪田ニ仰。照善知人之間申付。絵本返遣。 |
0504 |
嘉吉3 144304A08 看聞御記 |
新善光寺絵五■進上。 |
自或方善光寺。新善光寺絵五■進之。殊勝絵也。 |
0505 |
嘉吉3 144304A09 看聞御記 |
室町殿御絵三合(稲荷縁起絵八巻。鹿苑院殿東大寺受戒/絵五■。赤松円心合戦絵十一巻)出さる。内裏に見参。山寺法師絵、採色の事、土佐将監に命ずる。 |
室町殿御絵三合。〈稲荷縁起絵八巻。鹿苑院殿東大寺受戒/絵五■。赤松円心合戦絵十一巻。〉被出。宮御方内々依被申借給。〈上臈申/次。〉為悦。則内裏入見参。山寺法師絵〈二■〉。 採色事。以清賢土佐将監ニ仰。夏中出来之様ニ申付。領状了。 |
0506 |
嘉吉3 144304A11 看聞御記 |
室町殿へ絵一合(香助絵上下■。鐘撞法師一■。楚波丞絵上下巻。)を見る。 |
室町殿へ絵一合〈香助絵上下■。鐘撞法師/一■。楚波丞絵上下巻。〉入見参。 |
0507 |
嘉吉3 144304A19 看聞御記 |
太子堂造営(周文の記事) |
太子堂造営。太子ハ未奉作。〈僧周文与仏師相/論。於本尊前取/鬮。仏師鬮ニ下。内裏奏聞。鬮被/開。如然云々。仏師方へ被付。〉 |
0508 |
嘉吉3 144304A20 看聞御記 |
室町殿御絵三合返上。今春新写、二巻給う。土佐将監筆。 |
室町殿御絵三合返進。高大夫絵申出。今春被新写之由。奉及之間内々申。二巻給。土佐将監筆。殊勝也。 |
0509 |
嘉吉3 144304A23 看聞御記 |
室町殿絵一合を見る。(天狗鬼類絵。是容房絵。蝦蟆蟇上下。狂言絵等五巻。) |
室町殿絵一合入見参。〈天狗鬼類絵。是容房絵。蝦/蟆蟇上下。狂言絵等五巻。〉 |
0510 |
嘉吉3 144305A25 看聞御記 |
諸家以絵一巻。有俊朝臣持参。 |
諸家以絵一巻。有俊朝臣持参。中院大納言感得云々。此絵持明院殿宝蔵絵。伏見殿御絵と奧書ニあり。 |
0511 |
嘉吉3 144306A09 土佐家文書 |
絵所預領丹波国大芋社に関する記事。 |
絵所預領丹波国大芋社事/早任下知状之旨、可被沙汰付中務丞光弘之由、所被仰下也、仍執達如件、/畠山殿御施行御判/嘉吉三年六月九日 沙弥/細川九郎殿 |
0512 |
嘉吉3 144306A17 古画備考(土佐光弘の項) |
嘉吉三年六月十七日、土佐光弘、画所預。 |
系図云、…嘉吉三年六月十七日、画所預 |
0513 |
嘉吉3 144308A03 看聞御記 |
鷹絵(住心院)、能阿によれば唐絵。筆者不詳。 |
鷹絵住心院申出之間遣之。而軈返進。欲書写之処。更不写得。能阿ニ令見。唐絵勿論。筆者不知云々。 |
0514 |
嘉吉3 144309A02 看聞御記 |
窪田筆強力女絵彩色完成。 |
仰強力女絵。窪田採色出来。照善執進。神妙ニ採色了自愛。自去年誂之。 |
0515 |
嘉吉3 144309A19 看聞御記 |
照善中山法師絵、窪田彩色出来て持参。 |
照善中山法師絵窪田採色出来持参。不思様之間又返。能々可採色之由仰。 |
0516 |
嘉吉3 144309A19 看聞御記 |
中山法師絵彩色完成。 |
仰中山法師絵採色出来。照善執進。窪田採殊勝之間令自愛。依数奇絵数巻出来。可秘蔵者也。 |
0517 |
嘉吉3 144309A22 看聞御記 |
屏風召寄す。源氏絵扇。栂尾殿御筆。 |
屏風召寄一覧。源氏絵扇流也。栂尾殿御筆勿論。 |
0518 |
嘉吉3 144309A23 看聞御記 |
内裏炎上。 |
夜半許猥雑焼亡云々。…内裏殿々悉炎上。 |
0519 |
嘉吉3 144309A23 康富記 |
内裏炎上。 |
今夜子剋内裏焼亡、…紫宸殿、清涼殿、常御所、小御所、泉殿、内侍所已下、至四方門々払地焼畢 |
0520 |
嘉吉3 144309A23 基恒日記 |
内裏炎上。 |
内裏炎上、管領并侍所同前 |
0521 |
嘉吉3 144309A23 如是院年代記 |
内裡炎上。 |
内裡炎上。 |
0522 |
嘉吉3 144309A23 公卿補任 |
九月廿三日内裏焼亡。十二月十三日造内裏事始。 |
九月廿三日内裏焼亡。十二月十三日造内裏事始。 |
0523 |
嘉吉3 144309A24 大乗院日記目録 |
内裏炎上。 |
夜内裏炎上、悪党所為也 |
0524 |
嘉吉3 144310A23 看聞御記 |
内裏へ烏丸殿より御屏風一双(松竹/鶴)などを進上。 |
内裏へ烏丸殿より御重宝殿被進。目六。…御屏風一双〈松竹/鶴〉 |
0525 |
嘉吉3 144311A18 李朝実録 |
日本国使僧光巖等二十九日来。別幅大刀十把長刀十柄槍十条塗金彩花屏風一双諸色密絹二十段彩花扇一百把塗禁銚子并提子各十箇。 |
世宗二十五年癸亥十一月己巳 日本国使僧光巖等二十九日来…別幅大刀十把長刀十柄槍十条塗金彩花屏風一双諸色密絹二十段彩花扇一百把塗禁銚子并提子各十箇 |
0526 |
嘉吉3 144312A13 看聞御記 |
造内裏記録一合を献上。今日事始。 |
仰造内裏記録一合〈閑院富小路内裏/被造部類記。〉内裏献之。…只今造内裏時節之間進之。…今日事始。 |
0527 |
嘉吉3 144312A13 康富記 |
土御門殿事始。 |
是日造土御門殿事始也。 |
0528 |
嘉吉3 144312A13 如是院年代記 |
内裡立柱。 |
内裡立柱。 |
0529 |
嘉吉3 144312A22 康富記 |
天王寺聖徳太子御尊像一尊、周文都管完成。 |
或語云、天王寺聖徳太子御尊像一尊〈四十九/御影、〉周文都管終造立之功、如元被安置之間、周文上洛也云々、為彼御影造立、自公方被下遣之僧也、太子十六之御影ハ明春又可造立安置也云々 |
0530 |
文安1 144404A13 康富記 |
北野天満宮社頭炎上。 |
是日辰剋許、北野天満宮社頭払地炎上。 |
0531 |
文安1 144404A13 大乗院日記目録 |
北野社悉以回禄、神人篭居故云々 |
北野社悉以回禄、神人篭居故云々 |
0532 |
文安1 144404A13 基恒日記 |
北野宮寺炎上。六月廿五日御事始。 |
北野宮寺炎上、〈六月廿五日御事始、/肥加布参上〉 |
0533 |
文安1 144404A13 如是院年代記 |
北野神廟に放火。同九月八日立柱上棟。 |
北野神廟四郷住人放火。同九月八日立柱上棟。 |
0534 |
文安1 144406U10 康富記 |
法然上人絵四十八巻(知恩院)を見る。 |
次向伊勢兵庫助亭、法然上人絵四十八巻、知恩院在之、二十巻許在之、予披見了、建武元年九月廿一日八幡行幸、同月十七日賀茂行幸度、等持院贈左大臣殿、于時為参議左兵衛督、令供奉給候、件行幸之絵御屏風被書之、有所望者可令見之由語之、 |
0535 |
文安1 144406U11 康富記 |
建武両社行幸之御屏風(絵師民部丞)、鹿苑院殿春日御社参の絵五巻、石山之本地之絵四巻などを見る。 |
昨依約束向伊勢兵庫亭、建武両社行幸之御屏風、自御倉取寄、予具見之、言語道断也美麗之御物也、絵師民部丞書之云々、又鹿苑院殿[大相国]御出家之後、於南都有受戒、有春日御社参、其絵五巻在之、同自御倉被取寄、拝見了、昨日之残法然上人之縁起、今日具又見了、西山上人之分四十七ノ巻ニアタル、彼等之分今日并拝見了、昨日又石山之本地之絵四巻在之、同拝見了、 |
0536 |
文安1 144406U23 康富記 |
仁和寺宝蔵の後三年絵を御覧。 |
但自御室〈仁和/寺宮〉、御宝蔵被召寄後三年絵被御覧云々、被取出、可拝見之由、各被仰之間、其詞処々令転読了、此絵四巻在之、承安元年月日、依院宣、静賢法印其時ハ上座にて、承仰、令絵師明実図也云々、 |
0537 |
文安1 144409A03 康富記 |
尚歯会御絵一巻(四条中納言隆盛卿本)の詩を読む。 |
参伏見殿候御読書、次安和二年粟田左大臣〈在/衡〉、申沙汰之尚歯会御絵一巻〈四条中納言隆盛卿本/也、被借召歟云々、〉被取出、彼詩可読申之由被仰下、即於御前読之、序者菅三品御作也、 |
0538 |
文安2 144501A02 東大寺堂方々年中行事記 |
東大寺で火事。 |
正月二日卯刻。戒壇院焼失ス。一堂ヨリ火出テ長老坊ヲ始。三方僧坊□□講堂・戒壇堂・鐘篭・経蔵・南中門・僧堂・浄頭マテ悉焼畢。此内ニ□□□始テ兼照院・坤徳院上坊□刹以下残畢。 |
0539 |
文安2 144501A02 東大寺雑集録 |
東大寺で火事。 |
文安三年〈丙寅〉正月二日。戒壇院炎上。受戒・講堂・長老坊・僧堂・談議所・廻廊悉焼ク。同暁ヨリ大雪フル。仍火消畢。 |
0540 |
文安2 144501A02 大乗院日記目録 |
東大寺で火事。 |
東大寺戴内戒壇院悉以回禄、但所残分南門?、同千手堂也 |
0541 |
文安2 144505A28 基恒日記 |
花御所御寝殿以下を高倉御所に移す。 |
花御所御寝殿以下、被曳移高倉御所[元烏丸家亭也] |
0542 |
文安2 144506A02 大乗院日記目録 |
大風で薬師寺金堂以下倒れる。 |
大風、薬師寺金堂以下■[顛]倒、在々所々破損 |
0543 |
文安3 144604A15 扶桑五山記 |
一華心林没。 |
一華禾上、諱心林、…文安三年四月十五日寂 |
0544 |
文安3 144607A25 如是院年代記 |
内裏事始。十二月十一日、清涼殿上棟。 |
内裏事始。十二月十一日内裡 先清涼殿上棟。 |
0545 |
文安3 144608A05 京都五山 |
江西龍派没。 |
百五十四 江西龍派…文安三年八月五日遷寂 |
0546 |
文安4 144704A02 康富記 |
南禅寺炎上。 |
是日申剋南禅寺焼亡、自龍興庵失火出、仏殿并法堂僧堂山門庫裏酒城方丈等同時炎上 |
0547 |
文安4 144704A02 大乗院日記目録 |
南禅寺炎上。 |
南禅寺悉以炎上 |
0548 |
文安4 144704A02 如是院年代記 |
南禅寺炎上 |
南禅寺炎上 |
0549 |
文安4 144704A13 康富記 |
等持寺僧堂立柱上棟。 |
等持寺僧堂立柱上棟也 |
0550 |
文安4 144705A03 経覚私要鈔 |
三蔵絵を見る。 |
三蔵絵召寄、貞兼僧正[松林院]正預置者也、仍面々一見了 |
0551 |
文安4 144705A09 康富記 |
六角堂の聖徳太子之絵六幅を見る。 |
今日予参花山院、自六角堂進入之聖徳太子之絵六幅在之、予披見了 |
0552 |
文安4 144706A05 如是院年代記 |
天龍寺炎上。 |
夜天龍寺炎上 |
0553 |
文安4 144706A18 康富記 |
六角堂本尊遷座。 |
是日暁〈寅/剋〉、六角堂〈号頂法寺〉、本尊遷座也 |
0554 |
文安4 144706A18 如是院年代記 |
六角堂本尊遷座。。 |
卯刻六角堂本尊遷御堂。 |
0555 |
文安4 144707A 西大寺大智律師画像軸裏墨書銘 |
西大寺大智律師画像の修理おわる。 |
文安四年〈丁/卯〉七月日。奉修覆之。綱維秀□[如]。 |
0556 |
文安4 144707A05 康富記 |
天龍寺焼亡。 |
今夜嵯峨天龍寺焼亡、〈亥剋〉、都聞寮付火也云々、七道皆焼了 |
0557 |
文安4 144707A05 大乗院日記目録 |
天龍寺焼亡。 |
天龍寺悉以回禄 |
0558 |
文安4 144707A05 建内記 |
天龍寺炎上。 |
今夜天龍寺回禄云々、…雲居庵之外、不残一宇云々、 |
0559 |
文安4 144707A10 臥雲日件録抜尤 |
天龍寺火災の記事。 |
天龍季照[中明]来、盖以既前日再住也、因曰、徃時天龍炎上、普明国師[春屋妙葩]、力致再興、…応安五年癸丑九月廿八日夜、又炎上、/尓来七十五年、又逢此厄、…今文庫不全、文書皆焼、而雲居无恙、大抵与庚申厄相同、唯所恨七堂西廊尽燼、可太息哉 |
0560 |
文安4 144708A 西大寺礼盤天板裏面墨書 |
西大寺礼盤の修理おわる。 |
奉修理白毫寺□□/文安四年〈壬寅〉[マゝ]八月日〈奉行/定尊〉/白毫寺常任(別筆)本堂公用也/【ヒ】ヤクカウシ |
0561 |
文安4 144710A21 経覚私要鈔 |
春日上棟。 |
今日春日上棟也 |
0562 |
文安4 144710A21 建内記 |
春日社立柱上棟。 |
春日社立柱上棟日也 |
0563 |
文安4 144711A05 建内記 |
東南院珍覚に詞華囿九巻、東大寺絵上下巻を返す。 |
又東南院[珍覚]先日所進詞華囿[九巻]・并東大寺絵「上下」巻被返下之 |
0564 |
文安4 144711A16 経覚私要鈔 |
春日社遷宮。 |
春日社上遷宮也、 |
0565 |
文安4 144711A16 康富記 |
春日社遷宮。 |
春日社正遷宮也 |
0566 |
文安5 144802A25 康富記 |
相模国藤沢道場焼亡。 |
後聞、相模国藤沢道場今日焼亡、依自寺中失火出来、寺内悉炎上云々 |
0567 |
文安5 144804A05 如是院年代記 |
六道塔で火事。 |
夜六道塔火。 |
0568 |
文安5 144807A10 康富記 |
山門の保元絵十五巻を座主から借りる。 |
山門之保元絵〈十五/巻〉自座主〈■沙/門堂〉、被申成綸旨被借寄、近日可被返遣山門也、…予読絵詞了、 |
0569 |
宝徳1 144903A11 康富記 |
室町殿寝殿移徙。 |
是日室町殿有御移徙寝殿、〈寝殿御門等、自/花御所被引之〉 |
0570 |
宝徳1 144903A14 康富記 |
室町殿常御所事始。 |
今日室町殿常御所御事始也 |
0571 |
宝徳1 144904A10 如是院年代記 |
四月十日から六月二十五日まで大地震。 |
自四月十日至六月二十五日大地震。処々築地破。 |
0572 |
宝徳1 144904A12 公卿補任 |
大地震。 |
四月十二日大地震。 |
0573 |
宝徳1 144904A12 年代記残篇 |
地震続き、八幡山裂ける。 |
卯月不断夏中大地震動。洛中大家堂塔築地多倒傾落。是依八幡山裂。 |
0574 |
宝徳1 144904A12 康富記 |
大地震。 |
辰剋大地震 |
0575 |
宝徳1 144904A12 大乗院日記目録 |
大地震。 |
大地振、■北悉以崩、東寺大門柱破損 |
0576 |
宝徳1 144906A22 康富記 |
東山浄土寺殿焼亡。 |
今夜及暁東山浄土寺殿焼亡、自護摩堂出火、出慈恵大師御影、々々堂免炎云々、御本坊又無為云々 |
0577 |
宝徳1 144907A11 臥雲日件録 |
中正蔵主、将軍邸の障子絵の詩について語り、観瀑図の画本を見せる。 |
中正蔵主来。因曰。公府構一室。命諸老作尽障詩。便出示画本。盖観瀑図也。 |
0578 |
宝徳1 144908A09 康富記 |
多武峯、大織冠御廟の造営おわり、御影像遷座。 |
多武峯、先年依大和国兵乱焼亡大職[織]冠御廟被造営、此間造了、仍聖廟御影像如元奉遷座 |
0579 |
宝徳1 144908A10 大乗院日記目録 |
多武峯御影遷宮。 |
多武峯御影遷宮、自橘寺也 |
0580 |
宝徳1 144910A26 康富記 |
室町殿御会所立柱上棟。 |
[卯剋]室町殿御会所之立柱上棟也 |
0581 |
宝徳1 144911A22 康富記 |
室町殿御会所移徒。 |
是夜室町殿御会所御移徙也 |
0582 |
宝徳2 145012A29 薬師寺吉祥天画像裏書 |
薬師寺吉祥天画像の修復おわる。 |
宝徳二年〈庚午〉十二月二十九日修覆之。奉行少学/頭澄英[年四十二/常光院]代物五百文為之 |
0583 |
宝徳3 145107A06 画記 |
能阿弥筆、中幅観音、左呂洞賓、右李皐の三幅対。観音は月壷の筆意、呂洞賓李皐は牧谿の筆意にて描く。 |
東山建仁寺什物画記…/同三幅対〈中観音左黄龍呂洞/賓右薬山李皐〉 能阿弥/右箱之蓋有記曰此三幅円通大士像月壺筆意/薬山李■黄龍呂洞賓牧溪筆意依澄頴都聞所/望奉図画者也願令為未来永々常住而已真能/阿弥/御衣絹之北絹一端同又半金紗正等宝徳三年/辛未七夕前一日仍備上覧之 |
0584 |
宝徳3 145108A 本朝画史 |
益継筆「十二支獣作人間之事業図」を制作。 |
益継…有十二支獣作人間之事業図、誠為戯画也、画後曰、宝徳三年八月日益継筆 |
0585 |
宝徳3 145110A13 康富記 |
仁和寺、本願寺蔵の法然上人自筆の往生絵、仙洞御所、内裏にて叡覧。 |
今日仁和寺、本願寺〈律院〉、相伝之法然上人自筆之往生之絵被持参仙洞、有叡覧、又持参内裏 |
0586 |
宝徳3 145110A14 尋尊大僧正記 |
元興寺で火事。 |
自小塔院火元興寺金堂悉以炎上了、…依余炎当坊禅定院炎上了、弥勒御堂并西門三者相残者也、就中極楽坊之智光法師之西方万■羅於禅定院焼亡了、…火事号徳政土民蜂起故也 |
0587 |
宝徳3 145110A14 康富記 |
元興寺で火事。 |
後聞、是日南都元興寺金堂〈弥勒〉、炎上〈寺中残所/在之云々、〉余煙及大乗院御門跡、院家内炎上云々。 |
0588 |
宝徳3 145110A14 大乗院日記目録 |
土民蜂起にて元興寺、火事。 |
依土民蜂起小塔院坊・堂塔悉以炎上、其火元興寺金堂焼之、依余炎禅定院廻禄所残弥勒御堂・西門三也、大乗院得業遷住成就院畢、智光法師西方万■ラ於禅定院焼失了 |
0589 |
宝徳3 145112A08 経覚私要鈔 |
三蔵絵を松林院より取り寄せる。 |
三蔵絵自松林院召寄了、依預置也 |
0590 |
宝徳3 145112A17 経覚私要鈔 |
三蔵絵十二巻、貞兼僧正に預かり遣わす。 |
三蔵絵一合〈十二巻〉、貞兼僧正所へ預遣了 |
0591 |
宝徳3 145112A30 康富記 |
四条道場にて火事。 |
今夜四条道場焼亡〈本堂并寮等悉以焼失〉 |
0592 |
享徳1 145206A06 臥雲日件録 |
愚極霊彩没。 |
愚極今月六日入滅 |
0593 |
享徳1 145206A06 古画備考 |
愚極霊彩没。九十歳。 |
愚極礼才和尚、…宝徳四年六月六日化、寿垂九十、 |
0594 |
享徳1 145206A06 蔗軒日録 |
文明十六年六月六日は愚極霊彩の三年忌。 |
文明十六・六・六 赴一乗寺斎請、蓋愚極[礼才]和尚■三年忌也 |
0595 |
享徳2 145308A02 如是院年代記 |
大徳寺にて火事。 |
紫野大徳寺火。 |
0596 |
享徳2 145308A04 康富記 |
大徳寺にて火事。 |
今夜紫野大徳寺炎上矣、寺中皆焼亡、塔頭残云々 |
0597 |
享徳3 1454 古画備考(周文の項) |
周文筆「秋江落雁図」、江月宗玩賛文。「秋江暮景図」(藤田美術館)と同文。 |
周文画秋江落雁図〈紙本真跡、在黒田侯〉/霜葉欲零南雁飛、不堪斯道日陵遅、一身帰去渡頭笠、預被新図写我姿(「秋江暮景図」藤田美術館と同文)/甲戌歳夏之仲、江山寓意一篇、 漁菴〈宗玩〉 |
0598 |
享徳3 145401A09 善隣国宝記 |
大明皇帝よりの書簡。 |
享徳三年 大明書/皇帝勅諭日本国王源義成惟王聡明賢達敬/天事大以福一国之人良用爾嘉朕恭承/天命嗣登大宝主宰華夷王又差正副使允澎等/齎捧表文并以方物来貢 見王之勤誠茲因/使回特令齎勅諭王并賜王及妃銀両綵幣/王共体朕至懐故諭/景恭五年正月初九日 |
0599 |
享徳3 145406A14 尋尊大僧正記 |
禅定院に移住。 |
予禅定院ニ移住了 |
0600 |
享徳3 145406A14 大乗院日記目録 |
成就院より禅定院に移住。 |
禅定院遷住、自成就院也 |
0601 |
康正1 145504A07 康富記 |
長谷寺縁起絵三巻を招引。 |
招引之間、向浄南院、大和国長谷寺縁起絵三巻、自或方、可点進之由被仰之間、為談合所招引也云々 |
0602 |
康正2 145604A11 基恒日記 |
内裏立柱上棟。高倉御所常御所も立柱上棟。 |
造 内裏〈土御門/殿〉、立柱上棟、…同日、高倉御所、常御所、立柱上棟 |
0603 |
康正2 145604A11 大乗院日記目録 |
土御門殿、紫宸殿、立柱上棟。 |
土御門殿・紫震[宸]殿立柱上棟 |
0604 |
康正2 145607A20 興福寺略年代記 |
土御門内裏に遷幸。 |
七月(廿)日土御門内裏ニ遷幸。 |
0605 |
康正2 145607A20 皇年代略記 |
康正一年四月十一日に紫宸殿立柱上棟。同七月二十日に土御門殿遷幸。 |
康正一四十一内裏紫宸殿立柱上棟。同七廿日遷幸土御門殿。 |
0606 |
康正2 145607A20 尋尊大僧正記 |
土御門新内裏に遷幸。 |
遷幸土御門新内裏 |
0607 |
康正2 145607A20 大乗院日記目録 |
土御門殿遷幸。 |
土御門殿遷幸 |
0608 |
康正2 145607A20 如是院年代記 |
内裏落成。 |
落成内裡。 |
0609 |
康正2 145608A29 尋尊大僧正記 |
後崇光院没。 |
廿九日後崇光院崩御云々 |
0610 |
康正2 145608A29 大乗院日記目録 |
伏見法皇没。崇光院と号す。 |
伏見法皇崩、号後崇光院殿 |
0611 |
長禄1 145702A 唐招提寺行基菩薩画像紙背墨書銘 |
唐招提寺行基菩薩画像、修復おわる。 |
康正三年〈丁丑〉二月 日重奉修補之年預晃渕 |
0612 |
長禄1 145703A12 尋尊大僧正記 |
玄奘三藏絵を見る。住吉法眼、または詫間法眼の筆との伝承。大内家蔵。 |
玄奘三藏絵披見了、…此絵書手事或住吉法眼或大タクマノ法眼云々、両説ナリ、去享徳年中依勅定此絵大内ニ進上了、主上橘以量ヲ被召被仰云、此絵十二巻之内上六巻・下六巻筆師相替了、可拝見之由被仰出、誠令相違云々、是希代ノ仰也、以量ハ絵書也、然者彼絵所両人シテ書之歟 |
0613 |
長禄1 145705A02 扶桑五山記 |
子鞏全固没。六十五歳。 |
五十九、子鞏禾上、諱全固、…〈康正三丁丑五月二/日寂、寿六十五〉 |
0614 |
長禄1 145706A04 尋尊大僧正記 |
曼陀羅の絹本代三貫文。絵所重有法眼に与える。 |
■勝万■羅御衣絹代三貫文、絵所重有法眼ニ下行 |
0615 |
長禄1 145706A08 尋尊大僧正記 |
曼陀羅を金堂前にて供養。 |
■勝万■羅図絵於金堂前供養之 |
0616 |
長禄1 145706A12 尋尊大僧正記 |
当院大御堂、修復おわる。 |
当院大御堂修理加之、当方沙汰也 |
0617 |
長禄2 145801A14 尋尊大僧正記 |
七仏薬師図絵を吐田重有法眼に命じる。 |
七仏薬師図絵事、吐田重有法眼ニ仰付了、 |
0618 |
長禄2 145801U26 蔭涼軒日録 |
八景障子賛詩。竺雲和尚。雲章和尚。春林和尚。瑞岩和尚。東岳和尚。存耕和尚。瑞溪和尚。東沼和尚に命ずる。 |
八景御障子賛詩之人数。以書立可申之由被仰出。即書立竺雲和尚。雲章和尚。春林和尚。瑞岩和尚。東岳和尚。存耕和尚。瑞溪和尚。東沼和尚伺之。賛詩可申之由被仰出也。 |
0619 |
長禄2 145802A03 興福寺略年代記 |
鞍馬寺にて火事。 |
二月三日鞍馬寺炎上 |
0620 |
長禄2 145802A11 蔭涼軒日録 |
八景障子詩献上。 |
八景御障子詩献之。 |
0621 |
長禄2 145802A13 大乗院日記目録 |
鞍馬寺にて火事。 |
鞍馬寺炎上 |
0622 |
長禄2 145802A13 尋尊大僧正記 |
鞍馬寺にて火事。 |
鞍馬寺炎上云々 |
0623 |
長禄2 145802A24 蔭涼軒日録 |
善阿、庭に葉樹を栽培すると聞いて来る?? |
蔭涼庭頭可被栽葉樹之由被仰出也。善阿承尊命而来也。 |
0624 |
長禄2 145802A28 蔭涼軒日録 |
庭に嘉樹を栽培。阿が奉る。 |
当軒御庭嘉樹栽培成也。蓋阿奉之。 |
0625 |
長禄2 145803A07 尋尊大僧正記 |
鑑真和尚絵五巻、東征伝を見る。 |
招提寺ノ湯屋坊賢如房ヨリ、鑒真和尚絵五巻并東征伝進之、被見了 |
0626 |
長禄2 145803A09 尋尊大僧正記 |
三蔵絵を見る。 |
依龍光院所望三蔵絵開之了 |
0627 |
長禄2 145803A17 尋尊大僧正記 |
七仏薬師図絵、極楽寺尊林房に遣わして供養。 |
七仏薬師図絵、仍極楽坊尊林房ニ遣之テ供養 |
0628 |
長禄2 145803A27 尋尊大僧正記 |
先月四日室町殿新造の押板の記事。 |
去月四日柚留木方ヨリ申下、室町殿御新造之御用二間槻押板〈七尺間定、ヒロサ一尺八寸、〉可尋進云々 |
0629 |
長禄2 145803A29 尋尊大僧正記 |
押板到来の記事。 |
自京都被仰出押板事、内山仏光院ニ令所望、今日到来了 |
0630 |
長禄2 145804A19 尋尊大僧正記 |
龍光院より鋤、阿弥三体が昨日届く。 |
自龍光院鋤〈一〉、阿弥■三体〈安作也〉、昨日送給了 |
0631 |
長禄2 145806A27 宗恵大照禅師行状 |
宗恵大照禅師没。八十三歳。 |
師一日病床染筆書偈云。喝。末後一喝。具眼者弁取。連喝両喝。輙擲筆坐化。于時長禄二年六月廿七日也。閲世八十三。僧臘六十一。 |
0632 |
長禄2 145807A17 蔭涼軒日録 |
能阿弥、二十四孝の絵を持参。 |
能阿弥。依二十四孝之絵来而有評義也。 |
0633 |
長禄2 145810A05 北野社家日記 |
御成御座之間の荘厳に関して、能阿と相談。 |
次就 御成御座之間荘厳之事、如先々宗匠能阿〈法師〉被仰談之了、 |
0634 |
長禄2 145811A10 蔭涼軒日録 |
来月十五日に祥雲院に御成。 |
来十五日祥雲院御成。可有御引之由被仰出也。蓋御所新造之小庭。被引水之故如此也。 |
0635 |
長禄2 145811A12 蔭涼軒日録 |
祥雲院御成、十五日から二十日に変更。 |
来十五日。祥雲院御成。被成廿日。但新造御泉水被引水之謂也。南燭可献之由以千秋被仰出也。 |
0636 |
長禄2 145812A05 蔭涼軒日録 |
室町御所に移るべく、辰刻に御覧始まる。 |
可被移御所〈【傍】此二字/衍字カ〉于室町御所也。今晨辰刻始御覧其地。 |
0637 |
長禄2 145812A05 尋尊大僧正記 |
上御所の作事始まる。 |
今日上御所御作事始也。 |
0638 |
長禄3 1459 公卿補任 |
花亭立柱、上棟。 |
花亭立柱上棟。 |
0639 |
長禄3 145901A05 大乗院日記目録 |
室町殿事始。 |
室町殿事始、烏丸御所被引之、 |
0640 |
長禄3 145901A14 尋尊大僧正記 |
薬師呪八万四千反、結願。薬師図絵を絵所重有法眼に命ずる。 |
薬師呪八万四千反今日結願之了、并薬師図絵事、絵所重有法眼ニ仰付了 |
0641 |
長禄3 145901A22 扶桑五山記 |
雪心等柏没。七十歳。 |
百□[廿]九、雪心、諱等柏、…〈長禄三己卯正月廿/ニ日寂、寿七十〉 |
0642 |
長禄3 145901A22 扶桑五山記 |
雪心等柏没。七十歳。 |
六十三、雪心禾上、諱等柏、…〈長禄三己卯正月廿ニ日寂、寿七十〉 |
0643 |
長禄3 145902A07 尋尊大僧正記 |
持仏堂本尊薬師・地藏・観音・文殊を造立する由、仏所に命ずる。 |
持仏堂本尊薬師・地藏・観音・文殊事可造立之由、仏所ニ仰了 |
0644 |
長禄3 145902A20 尋尊大僧正記 |
明日室町殿立柱、上棟。 |
明日室町殿柱立并上棟云々 |
0645 |
長禄3 145902A21 尋尊大僧正記 |
薬師図絵、完成。極楽坊にて供養。 |
薬師図絵出来、於極楽坊奉供養 |
0646 |
長禄3 145902A22 蔭涼軒日録 |
上御所立柱、上棟。 |
上御所立柱。上棟。参賀之御礼。御相伴諸老被参。 |
0647 |
長禄3 145903A05 尋尊大僧正記 |
謄写験記絵二十巻を見る。 |
当社験記絵廿巻事、以東北院書状社家師淳ニ仰テ召寄之拝見了 |
0648 |
長禄3 145903A18 尋尊大僧正記 |
昨日、持仏堂の四天王修理おわる。今日塗師に遣わす。 |
持仏堂之四天王修理昨日出来之間、今日塗師方ニ遣之了 |
0649 |
長禄3 145904A09 尋尊大僧正記 |
越昇寺にて火事。 |
越[超]昇寺ノ坊自焼云々 |
0650 |
長禄3 145904A18 蔭涼軒日録 |
観音殿、上御所に移る。 |
観音殿被移于上御所。 |
0651 |
長禄3 145905A15 蔭涼軒日録 |
新造南面東床の額字に関する記事。 |
御新造南面東床。額字可被付進之由。於院主瑞溪和尚被仰出也。 |
0652 |
長禄3 145905A17 蔭涼軒日録 |
額字に関する記事。 |
院主瑞溪和尚。被献額名之書立折帋。其十名之内。以濯月被用。雖然改濯作洗則可為可。 |
0653 |
長禄3 145908A07 尋尊大僧正記 |
高間仏師弁才天女を進ずる。 |
高間仏師弁才天女進之、返報紙五束給之了 |
0654 |
長禄3 145908A19 臥雲日件録 |
九淵、花鳥双屏を見せる。大明の諸賢の賛あり。 |
前尅知足九淵開座上花鳥双屏示之。皆大明諸賢賛也。 |
0655 |
長禄3 145909A10 尋尊大僧正記 |
大風にて当院破損。大安寺金堂廻廊、崩壊。 |
卯剋ヨリ大風、当院破損、…大安寺金堂ノ廻廊〈東西〉吹タヲシ了 |
0656 |
長禄3 145909A25 尋尊大僧正記 |
十七日、室生寺にて火事。 |
室生寺僧堂・クリ・愛染院・不動院・護摩堂以下去十七日炎上云々 |
0657 |
長禄3 145911A09 古画備考(土佐広周の項) |
丹州大芋庄、泉州神谷、江州金勝寺定光坊は絵所領。義政公書状。 |
丹州大芋庄、泉州神谷、江州金勝寺定光坊跡者、皆絵所料也/義政公御袖判/御花押/近江国金勝寺定光坊跡事、為料所預土佐弾正忠広周者也、早守先例、可致沙汰之状如件/長禄三年十一月九日 |
0658 |
長禄3 145911A16 蔭涼軒日録 |
細川邸より上御所に移徒。 |
今日亥刻。自細川右馬頭殿御移徒上御所也。 |
0659 |
長禄3 145911A16 大乗院日記目録 |
室町殿遷住。 |
室町殿御遷住〈普光院殿御所室町殿先年被引烏丸、今度又/−自烏丸如元被遷之了、少々御所造在之云々、〉 |
0660 |
寛正1 146002A05 蔭涼軒日録 |
会所上棟。 |
今日申刻御会所上棟。 |
0661 |
寛正1 146003A04 経覚私要鈔 |
東南院に東大寺縁起、験記詞を返却。 |
東南院ニ令借用東大寺縁起并験記詞、先返遣了、 |
0662 |
寛正1 146004A28 蔭涼軒日録 |
泉殿、俗方御礼。 |
御泉殿之事。始今晨俗方御礼。 |
0663 |
寛正1 146005A29 尋尊大僧正記 |
椿井仏所、東金堂四天王の修理に関して申入れあり。 |
椿井仏所申入東金堂四天王修理事、学侶之儀不可有子細、仍明日ヨリ可召加之 旨申入之、珍重也、高間・椿井両人沙汰也、依為大仏師、椿井ハ毎事寺門之儀不可見所之由、立申入故也 |
0664 |
寛正1 146007A02 尋尊大僧正記 |
東金堂仏修理の事、絵所重有法眼に命ずる。 |
東金堂仏修理事、絵所重有法眼ニ申付之云々 |
0665 |
寛正1 146007A02 尋尊大僧正記 |
長谷寺縁起絵三巻、安位寺に進ずる。禁裏よりの命。 |
長谷寺縁起絵三巻安位寺殿ニ進之了、自禁裏被仰出云々 |
0666 |
寛正1 146007A03 尋尊大僧正記 |
絵所参上。東金堂本尊修理に関する事。 |
絵所参ス、東金堂本尊修理ニ座衆指合之間、彼修理以後、持仏堂事可致其沙汰云々 |
0667 |
寛正1 146007A18 興福寺維摩居士像台座天板内面墨書銘 |
東金堂四天王の内多聞天、十二神の戌が彩色おわる。絵所人数は七人、一乗院方。因幡法眼尊恵。 |
惣座一乗院方/長禄四年〈庚辰〉七月十八日/東金堂浄名四天/内多門天十二神之内/戌□綵色沙汰畢。絵所人数七人/一臈因幡法眼尊恵… |
0668 |
寛正1 146007A26 碧山日録 |
柏子庭筆菖蒲之図、図絵宝鑑を見る。 |
二十六日庚子、…余熟視春公之所儲柏子庭菖蒲之図、筆法洒脱失之精緻、是日、借正宗之所蔵図絵宝鑑観之、其記日、僧明雪窓画蘭、柏子庭画枯木石菖蒲、止可施之僧房、不足為文房清玩、興余之先視之諍之之意其 論不一差也 |
0669 |
寛正1 146008A07 尋尊大僧正記?? |
東金堂本尊修理に八千疋。 |
東金堂本尊共今度修理分八千疋計入之由、了乗申入之 |
0670 |
寛正1 146008A16 尋尊大僧正記 |
東金堂の塔南の釈迦三尊を三座の塗師が塗る。 |
東金堂之塔南向ノ尺迦三尊被塗之、於唐院テ三座ノ塗師〈一乗院座新本、/大乗院座〉召仰之、毎日結番云々 |
0671 |
寛正1 146008A28 尋尊大僧正記 |
東金堂塔本尊の色、吐田絵所と芝絵所が論ずる。 |
東金堂御塔本尊色取事、吐田絵所与芝絵所相論之 |
0672 |
寛正1 146009U19 尋尊大僧正記 |
日野大納言より室町殿泉殿の古押板に関して尋ねがある。 |
自日野大納言方、以使者松浪九郎左衛門令申、為室町殿泉殿、古押板相尋可進上云々 |
0673 |
寛正1 146009U20 尋尊大僧正記 |
京都大工、諸院家、諸坊を検査。伝法院、常善院の杉障子を召す。 |
京都大工ニ相副使者、諸院家・諸坊検知之、…伝法院・常善院之杉障子可被召之云々 |
0674 |
寛正1 146012A03 尋尊大僧正記 |
矢田寺にて火事。 |
今夜矢田寺炎上、於地藏堂者無為云々、 |
0675 |
寛正1 146012A05 蔭涼軒日録 |
御成。移徒。 |
今日戌刻御成。殿御移徒之事有之。 |
0676 |
寛正1 146012A06 蔭涼軒日録 |
泉殿に参賀したが披露せずに退散。 |
依御泉殿之参賀而今晨又不致披露而退参也。 |
0677 |
寛正1 146012A07 蔭涼軒日録 |
泉殿賛詩は十二人。 |
御泉殿詩之賛。書立器用十二員可申之由。以結城勘解由左衛門被仰出也。 |
0678 |
寛正1 146012A09 尋尊大僧正記 |
安位殿上洛。馬絵三帖借用。 |
然之間今夜安位寺殿御上洛、御舟云々、馬絵三帖令借用進入了 |
0679 |
寛正1 146012A12 蔭涼軒日録 |
泉殿賛詩、等持院竺雲和尚。興徳寺春林和尚。宝渚庵雲章和尚。鹿苑院東岳和尚。正即庵存耕和尚。寿徳院瑞溪和尚。栖芳軒東沼和尚。林光院春溪和尚。崇寿院龍崗和尚。雲門庵大圭和尚。霊泉院九淵和尚。常喜庵華蕚和尚に命ずる。 |
御泉殿賛詩之人数伺之。等持院竺雲和尚。興徳寺春林和尚。宝渚庵雲章和尚。鹿苑院東岳和尚。正即庵存耕和尚。寿徳院瑞溪和尚。栖芳軒東沼和尚。林光院春溪和尚。崇寿院龍崗和尚。雲門庵大圭和尚。霊泉院九淵和尚。常喜庵華蕚和尚伺之此衆賛詩之事可申之由被仰出也。 |
0680 |
寛正2 146101A23 尋尊大僧正記 |
昨日持仏堂本尊地藏、? |
昨日持仏堂本尊地藏■造改進之 |
0681 |
寛正2 146101A24 尋尊大僧正記 |
太子伝絵、京都より取り寄せる。 |
太子伝絵自京都召下之 |
0682 |
寛正2 146101A25 尋尊大僧正記 |
持仏堂本尊文・観二体、富士山春賀に作る?。 |
持仏堂本尊文・観二体、仰富士山春賀丸可作進之由仰了、昨日仰之了 |
0683 |
寛正2 146103A16 蔭涼軒日録 |
今月五日、真如寺にて火事。 |
真如寺依炎上之事正脉院崇■西堂。再住之事。書立之。大館兵庫殿白之。仍今月五日炎上之事披露之。 |
0684 |
寛正2 146104A08 尋尊大僧正記 |
持仏堂本尊の内、観音一体、富士山春賀に造立?。 |
持仏堂本尊之内観音一体、布[富]士山春賀造立之 |
0685 |
寛正2 146104A23 尋尊大僧正記 |
三蔵絵本尊、御影を図絵すべきの由、重有法眼に命ずる。 |
為三蔵会本尊可図絵御影之由、仰付重有法眼了 |
0686 |
寛正2 146106A13 蔭涼軒日録 |
南禅寺北条に御成との知らせあり。 |
奉報南禅寺方丈御成之事并仏殿奉安置本尊以後始御成有之。 |
0687 |
寛正2 146112A04 尋尊大僧正記 |
河原善阿ミ来る。当院の木を調べ、石榴一本柏真一本進ずる。 |
河原善阿ミ来、当院木共検知、柘榴一本、柏真一本可進云々 |
0688 |
寛正3 146201A02 臥雲日件録 |
東沼周厳没。 |
東沼周厳示寂/…関東沼示寂賜曰、今月二日暁也、 |
0689 |
寛正3 146201A29 尋尊大僧正記 |
薬師図絵供養。絵所松南院因幡公に命ずる。 |
予当年太一定分祈祷薬師図絵供養、絵所松南院因幡公ニ仰付了 |
0690 |
寛正3 146202A04 尋尊大僧正記 |
薬師図絵完成、供養。絵所松坊代百疋。 |
薬師図絵出来、延供養了、絵所松坊代百疋、 |
0691 |
寛正3 146202A05 蔭涼軒日録 |
鹿苑院龍崗和尚入院。 |
鹿苑院龍崗和尚。当院入院。 |
0692 |
寛正3 146202A09 蔭涼軒日録 |
高倉御所に御成。泉水の普請始まる。 |
直御成于高倉御所。被始御泉水之普請也。 |
0693 |
寛正3 146203A14 蔭涼軒日録 |
松泉軒御成。小栗宗湛筆八景絵を御覧になる。 |
松泉軒御成。…又於四間被御覧小栗八景絵。…小栗出家為僧。法名曰宗湛也。 |
0694 |
寛正3 146203A28 尋尊大僧正記 |
昨夜、元興寺にて火事。 |
昨夜南都元興寺二王〈西〉、焼亡 |
0695 |
寛正3 146204A02 尋尊大僧正記 |
法花寺供養、雨により延期。 |
今日法花寺供養、…依雨下延引云々、 |
0696 |
寛正3 146204A03 尋尊大僧正記 |
塔供養あり |
今日塔供養在之、 |
0697 |
寛正3 146204A05 蔭涼軒日録 |
金山天寧寺にて祈祷、安堵。 |
金山天寧寺御祈祷寺并安堵御判。…可被成御判也。 |
0698 |
寛正3 146204A08 蔭涼軒日録 |
能阿弥の子周健喝食、掛塔の事に関して伺う。 |
能阿弥子周健喝食掛塔之事伺之。即命于方丈也。 |
0699 |
寛正3 146204A11 尋尊大僧正記 |
中院郷に元興寺の古釜あり。 |
中院郷ニ元興寺之古釜在之、堀出為吉祥堂修理成代銭云々、郷民等所行也、四五十人シテ引出了、元興寺竃殿釜歟云々、 |
0700 |
寛正3 146206A09 蔭涼軒日録 |
高倉御所泉水完成。 |
高倉御所泉水成。今晨始被引水也。 |
0701 |
寛正3 146206A21 蔭涼軒日録 |
宗湛、当軒にて高倉御所障子を描く。 |
宗湛自今日於当軒画高倉御所障子也 |
0702 |
寛正3 146207A05 大乗院日記目録 |
元興寺金堂立柱、上棟。 |
元興寺金堂立柱上棟 |
0703 |
寛正3 146207A05 尋尊大僧正記 |
元興寺金堂立柱、上棟。 |
元興寺金堂立柱上棟今日未時之由大工注進之。 |
0704 |
寛正3 146207A19 蔭涼軒日録 |
讃岐国根香寺勧進帳に御判。寺は太平年中建立。絲織浄土曼陀羅あり。 |
讃岐国根香寺勧進帳。御判之事。…此寺太平年中建立之在所之天人以■絲織浄土曼陀羅。尤奇異之物也。為奉懸于御目賜之。 |
0705 |
寛正3 146207A21 蔭涼軒日録 |
讃岐国根香寺浄土曼陀羅を御目に懸ける。 |
讃岐国根香寺浄土曼陀羅。奉懸于御目。尤為奇也。 |
0706 |
寛正3 146207A25 尋尊大僧正記 |
二日に吐田重有没。 |
去廿二日吐田重有〈筑前法/眼絵所〉他界了 |
0707 |
寛正3 146209A25 蔭涼軒日録 |
攬秀之額を御目に掛ける。彩色は土蔵に命ずる。 |
攬秀之額。小削字之面上。而以杉原奉懸于御目。即彩色之事。被仰付于土蔵也。 |
0708 |
寛正3 146209A28 蔭涼軒日録 |
■玉之額、彩色は土蔵が承る。 |
■玉之額重鐫而献之。尤為可有彩色之由。被仰付也。画師土蔵承之。 |
0709 |
寛正3 146211A22 尋尊大僧正記 |
銅細工座者二人を召す。仏壇等金物を為す。 |
銅細工座者二人自今日召仕之、為仏壇等金物也、 |
0710 |
寛正4 146301A06 尋尊大僧正記 |
御堂十一面観音、修理おわる。絵所春松丸。仏師に五百疋下行。 |
御堂十一面観音自今日奉修理之、絵所春松丸参仕了、仏師下行且五百疋給之了 |
0711 |
寛正4 146301A06 扶桑五山記 |
春林周藤没。 |
一百、春林禾上、諱周藤、…〈癸未正月六日寂〉 |
0712 |
寛正4 146301A06 扶桑五山記 |
春林周藤没。 |
四十三、春林禾上、諱周藤、…〈寛正四癸未正月六日寂〉 |
0713 |
寛正4 146301A09 臥雲日件録抜尤 |
春林没。 |
智隨剃髪之次、及春林示寂之事、 |
0714 |
寛正4 146301A13 尋尊大僧正記 |
十一面観音の修理、椿井舜覚に沙汰あり。 |
十一面観音修理事、椿井舜覚自今日沙汰之 |
0715 |
寛正4 146302A06 蔭涼軒日録 |
画師に宗湛、自牧と号す。 |
有画師宗湛僧。就于愚老。索菴号。仍名曰自牧。 |
0716 |
寛正4 146302A25 蔭涼軒日録 |
鹿苑院殿の代に、江湖尊宿并公家和漢御会屏風、雲頂院にあり。記録の有無を春阿が確認。 |
鹿苑院殿御代。江湖尊宿并公家和漢御会屏風。雲頂院曾有之。有記録否之事。以春阿被尋下。無記録之由披露之。尚可相尋之由申之。 |
0717 |
寛正4 146302A25 臥雲日件録 |
遊覧の様子を図した屏風が雲頂院にあったが、行方不明。 |
又聞図遊覧之形為屏風。在雲頂院実否云々。屏風曾有之。然大変時失之。 |
0718 |
寛正4 146302A30 尋尊大僧正記 |
椿井仏師春慶、法橋に叙せらる。 |
椿井仏師春慶〈舜覚房〉、叙法橋了、予申沙汰、口宣今日給之了 |
0719 |
寛正4 146303A28 蔭涼軒日録 |
画師宗湛、周文と同様の捧禄を受ける。 |
画師宗湛上坐受上意。雖云何処。可作画之由被仰出也。俸禄如周文上坐所受。自当院并常住。可御免許之由。被仰出也。但以春阿重可伺之旨披露之。即御領掌也。 |
0720 |
寛正4 146304A15 蔭涼軒日録 |
天王寺太子堂供養。 |
天王寺太子供養。択今日。 |
0721 |
寛正4 146304A15 大乗院日記目録 |
天王寺太子堂供養。 |
天王寺太子堂供養 |
0722 |
寛正4 146305A19 尋尊大僧正記 |
昨日、子守社、新宮完成。 |
子守社昨日至ニ一社召寄之、為新宮也 |
0723 |
寛正4 146305A20 ? |
昨夜、子守社上棟、遷宮。 |
子守社上棟并遷宮昨夜在之云々 |
0724 |
寛正4 146306A15 蔭涼軒日録 |
雲沢軒障子絵、宗湛に命ずる。 |
雲沢軒障子図画之事。可命于宗湛之事。被仰出也。 |
0725 |
寛正4 146306U12 蔭涼軒日録 |
平家屏風を御覧になる。 |
当院平家屏風為御覧被召寄也。 |
0726 |
寛正4 146307A08 蔭涼軒日録 |
雲頂院昭堂後門壁画の観音、羅漢を安置する。画師は鹿野性玄(狩野正信)。 |
雲頂院昭堂後門壁画観音并羅漢。今晨安置之。画師鹿野性玄。 |
0727 |
寛正4 146307U 李朝実録 |
源教直の使者が霊彩筆白衣観音図を持参。 |
閏七月庚辰 源教直使者霊彩画白衣観音以進伝曰世子書筵依 文宗朝居士賓客進講日則台諌入参 |
0728 |
寛正4 146309A23 蔭涼軒日録 |
高倉の旧殿、転用に関する記事。 |
高倉之旧殿。可被寄于諸寺院之記録。以伊勢守奉懸于御目也。被寄于勝智院以後。有其余殿則。可被寄于侘之由。被仰出也。以高倉御所被成寺。則為願望之由。頻々平日逍遥被仰也。然則致披露。而可達彼素意之趣。堀河殿局召愚老兼洪蔵主。懇々被申之。仍今晨語于伊勢守云々。曰。于今此説尤遅晩也。以彼殿宇。移于持地院。而被成追修之塲。是不違于素望之由申之。故愚老閣之。愚老且不聞此説也。 |
0729 |
寛正4 146310A14 蔭涼軒日録 |
勝智院の位牌金泥をつけるよう、画師土蔵に命ずる。 |
勝智院殿御位牌。可着金泥之由。以春阿被仰出。仍召画師土蔵命之。 |
0730 |
寛正4 146311A16 尋尊大僧正記 |
大黒を造立。七寸。仏師は椿井春慶法橋。極楽坊にて供養する。 |
当院大里[黒カ]奉新造、長七寸、仏師椿井春慶法橋、…於極楽坊成供養了、 |
0731 |
寛正4 146312A08 蔭涼軒日録 |
播磨国書写山講堂造営勧進奉加帳。御判被遊也。 |
播磨国書写山講堂造営勧進奉加帳。御判被遊也。 |
0732 |
寛正5 1464* 竹居西遊集 |
雪舟等楊に関する記事。 |
寄揚知客 <并序>/揚雲谷。・・・児童走卒咸知西周有揚知客。予偶以事届此間。一日扣其蝸房。頗説前十年握手者。不能無故人之意。仍揮毫。 |
0733 |
寛正5 1464* 竹居清事 |
如拙画の跋後、雪舟等楊に関する記事。 |
跋如拙画後/雲谷名等揚。・・・而以越江之文公為師。文乃以如拙為師焉。拙之於雲谷也。三世之祖也。・・・可謂二妙併帰於雲谷之屋裏。 |
0734 |
寛正5 146402A05,07,10 多田須河原申楽記 |
糺河原にて勧進申楽観世大夫(三十六歳)、勧進聖青松院善盛法印(九十八歳)、鞍馬寺勧進聖。 |
於糺河原。勧進申楽観世大夫。<歳三十六。>勧進聖青松院善盛法印。<歳九十八。>鞍馬寺勧進聖也。/于時寛正五年<甲申>卯月五日七日十日。 |
0735 |
寛正5 146403A16 蔭涼軒日録 |
御泉西之御座、移徒。 |
今日午時御泉西之御座移徒。 |
0736 |
寛正5 146404A05 大乗院日記目録 |
四月五日、七日、十日に多田簀河原勧進猿楽がある。 |
四月五日・七日・十日、多田簀河原勧進猿楽在之 |
0737 |
寛正5 146404A15 蔭涼軒日録 |
河原勧進申楽がある。観世。 |
河原勧進。申楽。観世。 |
0738 |
寛正5 146404A23 尋尊大僧正記 |
不退寺炎上。 |
今夜不退寺炎上了 |
0739 |
寛正5 146404A23 尋尊大僧正記 |
不退寺炎上。 |
今夜不退寺炎上了、 |
0740 |
寛正5 146406A09 尋尊大僧正記 |
六日より仙洞御所の作事始まる。十六日に伏見殿、高倉御所に移住。 |
去六日より仙洞御作事始云々、来十六日ニ伏見殿<当今御弟>、御移住高倉御所<勝智院殿御所也>、云々 |
0741 |
寛正5 146407A19 蔭涼軒日録 |
大唐の諸器を求めて、その模様を図す。 |
被求于大唐之諸器其模様図而被渡于両居座妙僧都聞并紹本都寺及能副寺也。但千阿奉之。 |
0742 |
寛正5 146407A29 尋尊大僧正記 |
長谷寺縁起、三年を経て京都より返却。 |
長谷寺縁起自京都被返下、及両三年被召置之了 |
0743 |
寛正5 146408A01 尋尊大僧正記 |
索餅一折・筒一、長谷寺より進上。縁起絵は次に遣わす。 |
索餅一折・筒一自長谷寺進之、縁起絵次ニ遣之了 |
0744 |
寛正6 1465 竹居西遊集 竹居西遊集序 |
細川氏の命により関西に使いする途中著述したもの。 |
・・・■之以文名鳴世者。四十年矣。寛正甲申冬。以細川氏右京兆源君之寵命。奉使関西。其途中著述。若干篇。悉以編集。端月下浣。葵斎野釈龍■撰。 |
0745 |
寛正6 146503A15 蔭涼軒日録 |
高倉を改めて今出川殿とする。 |
改高倉作今出川殿也。 |
0746 |
寛正6 146504A25 蔭涼軒日録 |
仏心寺十方院(院主は龍崗和尚)檀那、土岐氏が難渋。 |
就仏心寺十方院之事。檀那土岐方難渋。仍自院主龍崗和尚懇々以証状被申之。仍悉披露之。以布施下野守并飯尾左衛門大夫。可説破千土岐方之由被仰出。 |
0747 |
寛正6 146506A02 親元日記 |
明日進上する御盃台は絵様は能阿、親元が調進。土佐弾正画の下地は番匠に申し付ける。 |
明日御一献ニ為御進上御盃台<絵様能阿>事自先日被仰付親元調進之二星堀川百首公実詠/ みな月に岩もる水をむすはすは扇の風を忘ましやハ/此歌心也土佐弾正画之下地ハ番匠ニ申付焉 |
0748 |
寛正6 146506A15 親元日記 |
栂尾客坊光臨巻絵(明恵上人行成記)三巻持参。 |
栂尾客坊光臨巻絵<明恵上人行成記>三巻持参也、被預置之 |
0749 |
寛正6 146506A21 尋尊大僧正記 |
栂尾明恵上人絵、松林院が借用、京都に到来。元は龍花院宝月坊英光絵という。 |
梅[栂]尾明恵上人絵字松林院借給之、自京都到来云々、本ハ龍花院宝月坊英光絵也云々 |
0750 |
寛正6 146508A15 尋尊大僧正記 |
兵部九間絵を描く。 |
兵部自今日九間絵書之 |
0751 |
寛正6 146509A03 尋尊大僧正記 |
昨日河原善阿弥下向。作庭が始まる。 |
昨日河原善阿ミ下向、今日より脇一人参申、庭始之、自余一乗院ニ候云々 |
0752 |
寛正6 146509A03 尋尊大僧正記 |
昨日河原善阿弥下向。庭を始める。 |
昨日河原善阿ミ下向、今日より脇一人参申、庭始之、 |
0753 |
寛正6 146509A12 尋尊大僧正記 |
河原善阿弥上洛。千疋を給う。 |
河原善阿ミ上洛、千疋給之、 |
0754 |
寛正6 146509A24 蔭涼軒日録 |
御巡礼、大仏殿にて披露し、戒壇院にて受戒。西室に御成。東大寺宝物を御覧になる。 |
披露今日御巡礼於大仏殿。・・・御巡礼以後。戒壇院御受戒。又於西室御成<云々>。開東大寺宝物被御覧也。 |
0755 |
寛正6 146510A10 蔭涼軒日録 |
十七日に石山を御参詣。宿坊は岩坊。座敷の障子画は宗湛に命ずる。 |
来十七日石山御参詣。御宿坊即岩坊成。御座敷障子画。可借宗湛手之由。飯尾左衛門大夫申之。即参殿中。以伊勢七郎右衛門尉伺之。御免許之由。被仰出也。即召宗湛命之。 |
0756 |
寛正6 146510A26 尋尊大僧正記 |
権少僧都泰承、法印に叙せらると二十三日に宣下。絵師長有、同日法橋に叙せらる。 |
権少僧都泰承叙法印廿三日宣下、絵師長有<筑前公>、叙法橋同日宣下 |
0757 |
寛正5 146512A20 斎藤親基日記 |
大徳寺、勝定院炎上。 |
同夜自伊勢守許還御已後。大徳寺。勝定院等炎上。 |
0758 |
文正1 1466**12 見聞雑記 |
祇園社炎上。 |
同十二日<寅刻>祇薗ノ社炎上了。 |
0759 |
文正1 146601A16 尋尊大僧正記 |
椿井仏所法橋■沙門一体が完成、進上。 |
椿井仏所法橋■沙門一体造進上 |
0760 |
文正1 146601A18 蔭涼軒日録 |
仙洞御庭の御亭の額を彫らせる。 |
仙洞御庭御亭之額。可鑿之由。以結城下野守被仰出。即<■一本無即字>命之。板二枚有之。 |
0761 |
文正1 146601A18 蔭涼軒日録 |
仙洞御庭遊仙橋の額字、工師与次郎に命じて彫らせる。 |
仙洞御庭遊仙橋額字。命工可鑿之由。結城下野守奉之。仍召工師与次郎也。 |
0762 |
文正1 146601A25 蔭涼軒日録 |
御会所本尊は観音。脇は猿鶴。 |
御会所本尊<■一本有曰字>大観音。脇猿鶴。人皆曰奇也。 |
0763 |
文正1 146602A23 蔭涼軒日録 |
飯尾肥前守の所に二十五日に御成。御座の間は宗湛画。 |
飯尾肥前守所。来廿五日御成。仍御座之間宗湛上座図之。往而見之。 |
0764 |
文正1 146602A25 尋尊大僧正記 |
元興寺金堂の新造丈六弥勒仏、椿井仏師春慶法橋より届き入堂。 |
元興寺金堂新造弥勒仏、自椿井仏師春慶法橋所奉入今[金]堂丈六仏也、 |
0765 |
文正1 146602A25 大乗院日記目録 |
元興寺本尊弥勒、奉入。 |
元興寺本尊弥勒奉入之 |
0766 |
文正1 146602U09 大乗院日記目録 |
忍辱山焼失。本尊は取り出す。。 |
夜忍辱山悉以焼失畢、本尊奉出之、 |
0767 |
文正1 146602U09 興福寺略年代記 |
忍辱山炎上。本尊は無事。 |
閏二月九日夜忍辱山寺炎上。自真言堂令出火。本堂并塔婆此[以カ]下悉焼失畢。但本尊無為云々。 |
0768 |
文正1 146602U10 尋尊大僧正記 |
忍辱山寺炎上。本尊は取り出す。 |
夜前忍辱山寺寺本堂塔以下悉皆炎上於本尊者奉取出了 |
0769 |
文正1 146602U11 蔭涼軒日録 |
自牧筆藤花、躑躅、小鳥画の扇面。 |
使自牧画扇面図画様子也。画藤花并躑躅并小鳥也。 |
0770 |
文正1 146602U17 蔭涼軒日録 |
自牧、阿弥陀堂前岸にて山中境界を写す。 |
自牧於阿弥陀堂前岸写山中境界。 |
0771 |
文正1 146606A15 後法興院記 |
家門殿の指図、武家に与える。 |
家門殿之指図<炎上以前之指図也>今日付広橋中納言被進武家、先日以彼黄門自武家有所望、是東山辺ニ可被立山荘■云々 |
0772 |
文正1 146607A11 蔭涼軒日録 |
前日、一条窪堂塔上に落雷。 |
前日雨急。雷奔。于時。於一条窪堂塔上忽堕落云。 |
0773 |
文正1 146607A14 ? |
祇園塔に落雷。前日に報慈院に落雷。 |
暴雨疾雷。于時落墮于祇園塔。・・・前夕於報慈院疾雷堕落<云々>。 |
0774 |
文正1 146608A06 親長卿記 |
絵所預、六角絵所治定が切符。 |
次絵所預事、六角絵所治定、可給切符云々、絵所預来、<六角益継、>遣悠紀標山五千疋分「切符了、 |
0775 |
文正1 146609A18 尋尊大僧正記 |
馬借福智院、松谷辺来、放火 |
馬借福智院、松谷辺来、放火 |
0776 |
文正1 146612A12 大乗院日記目録 |
祇園塔炎上。 |
祇薗塔炎上。 |
0777 |
文正1 146612A20 見聞雑記 |
河崎観音堂相国寺鹿苑院の塔婆など炎上。 |
同廿日。日昼河崎ノ観音堂相国寺鹿苑院ノ塔婆等炎上了。類火云々。 |
0778 |
文正1 146612A20 尋尊大僧正記 |
十二日に祇園社炎上。 |
去十二日夜祇薗社悉以炎上、坂本馬借閇篭処、如此火事出来、不知子細云々 |
0779 |
文正1 146612A25 年代記残編 |
畠山右衛門佐上洛。二十七日大嘗会。祇園社焼失。等持寺、河崎観音堂炎上。 |
十二月廿五日畠山右衛門佐上洛。同廿七日大嘗会。祇園社依山門訴訟焼失、等持寺炎上。河崎観音堂炎上。 |
0780 |
文正1 146612A27 斎藤親基記 |
等持寺炎上。 |
等持寺炎上。<類火也。> |
0781 |
文正1 146612A28 尋尊大僧正記 |
十九日細川内藤三郎左衛門家より出火。鹿苑院塔、相国寺の東司、■門、脇門、湯屋、法住院、河崎観音堂、天神など焼失。二十七日堪解少由路富小路の味噌屋に放火。近所が焼失。秋野道場、林光院、等持寺焼失との書状到来。 |
自京都書状到来、・・・去十九日細川内藤三郎左衛門家より火出テ、鹿薗院塔、相国寺之東司・■門・脇門・湯屋・法住院以下モ火、河崎観音堂・天神等焼失了、・・・昨日廿七日堪解少[由脱カ]路富小路之未[味]曾屋ニ火ヲ放之間、近所悉以焼失、秋野道場・林光院・等持寺焼失了 |
0782 |
応仁1 1467 徐■送別詩并叙 |
雪舟等楊に関する記事。 |
日東雲谷長老沖淡人也、能詩能画、而性無所嗜、成化丁亥陪貢至■、 |
0783 |
応仁1 1467 竺堂雑抄 |
雪舟等楊に関する記事。 |
純拙魯庵贈詩/日本僧楊雪舟者、…自去歳遊四明、陞天童山第一座、…/大明成化戊子季夏、大興隆住山純拙老人魯庵識 |
0784 |
応仁1 1467 了庵桂悟・天開図画楼記 |
雪舟等楊に関する記事。 |
四明天童首座雲谷老人諱等楊号雪舟…成化四年入大明歴試名家筆法名山大川… |
0785 |
応仁1 1467 京都五山 |
存耕祖黙没。 |
百八十六 存耕祖黙、…長禄元年七十二才ト賛ニ見ル |
0786 |
応仁1 146702A14 扶桑五山記 |
存耕祖黙没。 |
百卅四、存耕、諱祖黙、…〈応仁元二月十四日寂〉 |
0787 |
応仁1 146702A14 京都五山 |
存耕祖黙没。 |
百卅四、存耕、諱祖黙、…応仁元年〈丁亥〉二月廿二日寂 |
0788 |
応仁1 146703A12 尋尊大僧正記 |
忍辱山本尊、奉入。 |
忍褥[辱]山本仏今日奉入本堂、諸人群集、去年炎上之処草々建立 |
0789 |
応仁1 146706A22 尋尊大僧正記 |
北山鹿苑寺成陣。金堂破壊。 |
北山鹿薗寺成陣、金堂以下破【却以外不】法也、一宇不無為云々、小金堂先年炎上、取立之処、又破却畢、北や式中々無是非、西方陣也、 |
0790 |
応仁1 146708A15 大乗院日記目録 |
誓願寺炎上。本尊は取り出す。 |
誓願寺炎上、於本尊者奉取出云々、 |
0791 |
応仁1 146709A18 大乗院日記目録 |
春日下遷宮。 |
春日下遷宮 |
0792 |
応仁1 146711A12 大乗院日記目録 |
春日立柱上棟。 |
春日立柱上棟 |
0793 |
応仁1 146711A18 大乗院日記目録 |
春日正遷宮。 |
春日正遷宮 |
0794 |
応仁1 146711A18? 興福寺略年代記 |
春日御造宮。九月十八日下遷宮。十一月十二日上棟。十八日正遷宮。 |
春日御造宮。九月十八日下遷宮。十一月十二日上棟。同十八日正遷宮。 |
0795 |
応仁1 146712A12 如是院年代記 |
祇園社炎上。 |
子刻祇園社炎上。 |
0796 |
応仁2 1468 呆夫良心・天開図画楼記 |
雪舟等楊、北京礼部院中堂の壁に描く。 |
…向者大明国北京礼部院於中堂之壁尚書姚公命公令画之 |
0797 |
応仁2 1468 本朝画史 |
雪舟等楊、中国礼部院の壁に画す。 |
僧雪舟…大明君臣共称其美遂奉勅画礼部院之壁 |
0798 |
応仁2 146802A17 山科家礼記 |
御庵より勧修寺八幡絵、宝陀羅尼絵上下返却。 |
御庵ヨリ勧修寺八幡絵并宝陀羅尼絵上下返まいり候て、本所御覧調部よミ候也、 |
0799 |
応仁2 146807A04 大乗院日記目録 |
吉田神社炎上。 |
吉田神社炎上払地、西方所為、 |
0800 |
応仁2 146808A04 大乗院日記目録 |
東山諸門跡、焼失。 |
東山諸門跡悉以焼亡了、 |
0801 |
応仁2 146808A07 大乗院日記目録 |
長谷寺堂供養。 |
長谷寺堂供養 |
0802 |
応仁2 146808A07 尋尊大僧正記 |
去年十月十八日に長谷寺観音堂供養。 |
応仁二年八【月】長谷寺□□*/一観音堂事貞治供養以後破破損之間、自詩□□*成弁畢、為延供養去年十月十八日奉/開帳□□*予導師懃仕事、…/七日/一早旦七僧請書成之、…/次導師表白・神分・勧請・経尺・願文・諷誦進之□□… |
0803 |
応仁2 146808A26 大乗院日記目録 |
泉涌寺炎上。舍利は取り出す。 |
泉涌寺炎上、舍利奉取出云々、座主坊炎上、〈妙法院登山云々、/於山拝堂云々、〉 |
0804 |
応仁2 146811A01 尋尊大僧正記 |
法勝寺五大堂、炎上。 |
法勝寺五大堂、為西方破却焼之云々、顕宗滅亡不能左右者也、本尊以下皆以焼之云々、 |
0805 |
応仁2 146812A16 尋尊大僧正記 |
大職冠図絵を筑前法橋に命ずる。 |
自幡多被下百疋、為絵具代可令大職冠図絵之由、仰付筑前法橋了、 |
0806 |
文明1 1469 徐■送別詩并叙 |
徐■送別の詩。 |
日東雲谷長老沖淡人也、…予獲与之交、情傾意洽、歓若平生、居無何言旋言帰、懐不能舍、遂賦拙五十八字、以道別意、…/成化五年歳次丑仲夏下澣、四明徐■希賢書 |
0807 |
文明1 1469 東海一休和尚年譜 |
一休、墨渓筆松源祖師像に賛を寄す。 |
文明元年己丑。師年七十六歳。夏讃松源祖師像。画者墨谿絵霊霊[マゝ]見桃。香厳撃竹千仏龕障子。師一見絶倒題偈。…〈賛松和尚。…応仁三年孟夏/曰。東海純一休拝賛。〉… |
0808 |
文明1 146902A26 興福寺略年代記 |
多武峯炎上。大職冠御影像は取り出す。 |
二月廿六日多武峯煙上。依寺中霍執一宇不残悉焼失了。於大職冠御影像者。無相違忽然シテ出「玉」畢。 |
0809 |
文明1 146902A27,28 大乗院日記目録 |
二十七日、二十八日、多武峯焼失。御影は取り出す。 |
廿七八日、多武峯悉以焼亡、院内確執事故云々、自滅也、於御影者奉取出之、 |
0810 |
文明1 146902A28 尋尊大僧正記 |
多武峯炎上。 |
多武峯今日大焼亡、 |
0811 |
文明1 146904A22 見聞雑記 |
谷の城落城。西方の軍勢西芳寺峯堂、西副寺などに放火。 |
同廿二日。谷ノ城落了。仍西方ノ軍勢西芳寺峯堂。西福寺等悉放火了。 |
0812 |
文明1 146907A10 興福寺略年代記 |
清水寺炎上。本尊は取り出す。 |
七月十日清水寺炎上。本尊御出也。 |
0813 |
文明1 146907A10 見聞雑記 |
清水寺本堂、塔婆雲居寺、泉涌寺、建武の動乱の時にも焼失しなかった。 |
同十日。清水寺ノ本堂并塔婆雲居寺。泉涌寺。已前建武ノ動乱ニモ不焼失云々。 |
0814 |
文明1 146907A10 大乗院日記目録 |
清水寺・珍王寺焼失。 |
清水寺・珍王寺悉以焼亡了、 |
0815 |
文明1 146907A10 如是院年代記 |
清水寺炎上。 |
清水寺火。 |
0816 |
文明1 146907A12 尋尊大僧正記 |
十日、清水本尊・大塔、六道・建仁寺焼失。 |
一昨日〈十日〉、清水本尊・大塔以下并六道・建仁寺各悉以焼亡【云々】、 |
0817 |
文明1 146907A16 尋尊大僧正記 |
去夏描いた大職冠御影、開眼。 |
去夏奉図絵大職冠御影、今日開眼 |
0818 |
文明1 146908A02 大乗院日記目録 |
長谷寺本堂以下焼失。観音堂は無事。 |
長谷寺本堂以下焼亡、於観音堂無為、希有事也、 |
0819 |
文明1 146908A03 興福寺略年代記 |
長谷寺焼失。 |
八月三日長谷寺大焼亡。二王堂登廊中門堂念仏堂十三堂三重塔婆其外人屋坊舍等数十ヶ処焼失了。雖然於観音堂者無為也。 |
0820 |
文明1 146908A03 尋尊大僧正記 |
長谷寺焼失。観音堂・十三重塔・新宮等は無事。 |
夜部長谷寺焼失之由、執行注進状到来、但観音堂・十三重塔・新宮等無為、…焼失所々事、/本長谷寺 同三重塔 舟倉 一切経蔵 松金剛院 ニ王堂 吉祥院 釜節 食堂 客坊 此外在家・諸坊等悉以焼了、火本ハ共絵坊云々、忽堂舍廿四宇、坊・在家百二十間云々、 |
0821 |
文明1 146908A22 尋尊大僧正記 |
成就院に参り、仏舎利等を拝見。 |
令参成就院、自其西大寺光明真言ニ御共申了、…大番事畢後長老・予・松殿自丁聞所出礼堂拝見仏舍利等、西室■御影・同鉄塔塔等御拝見了、 |
0822 |
文明1 146910A09 土佐文書 |
足利義政、絵所預を土佐右近将監光信に任ずる。 |
(花押)[足利義政]/絵所預事、早任 勅裁之旨、右近将監光信、領掌不可有相違之状如件、/文明元年十月九日 |
0823 |
文明2 147002A22 扶桑五山記 |
華岳建冑没。 |
百四十二、華岳、諱建冑、…〈文明二二月/廿二日−〉 |
0824 |
文明2 147007A20 尋尊大僧正記 |
下醍醐、山科焼失。 |
昨日下醍醐并山科焼失、 |
0825 |
文明2 147009A02 親長卿記 |
七月十九日、勧修寺旅店、炎上。 |
七月十九日勧修寺旅店為敵火破了、仍醍醐勧修寺等衆散在所々 |
0826 |
文明2 147010A03 親長卿記 |
相国寺塔婆に落雷焼失。 |
亥刻許雷鳴大雨下、暫相国寺塔婆時残了[去々年寺中悉焼亡云々]、為雷火焼失、 |
0827 |
文明2 147010A03 大乗院日記目録 |
相国寺塔、雷火で焼失。 |
相国寺塔焼亡、雷火 |
0828 |
文明2 147010A05 尋尊大僧正記 |
三日相国寺大塔焼失。 |
去三日夜相国寺大塔焼失歟云々、 |
0829 |
文明3 1471 東大寺法花堂要録 |
作庭始まる。 |
去月始ヨリ中院[エタ?善アミ]ニ庭ヲスル、元興寺楚[マゝ]ヲ引アツメテ立石ニセラル、六万衆サタナリ、 |
0830 |
文明3 147101A25 親長卿記 |
禁裏より旧院宸筆地藏絵、御持蓮花之内弥陀三尊の供養が仰せらる。 |
今日自禁裏、旧院宸筆地藏絵像并御持蓮花之内弥陀三尊〈被造送[衍カ]篭/水精之内〉等供養事、被仰恵忍上人、 |
0831 |
文明3 147102A27 尋尊大僧正記 |
慈恩院の片岡絵を借用する。 |
慈恩院之片岡絵事、以松林院借用之処、悉以修南院ニ在之云々、可借給云々、 |
0832 |
文明3 147103A20 親長卿記 |
旧院百ケ日本尊は普賢菩薩像。 |
旧院百ヶ日聖忌御法事条、/日継ぎ事、/仰、如風記可為初日四月三日、結願九日矣、…御本尊祈[新カ]召由事、/仰、任例可為普賢菩薩像、 |
0833 |
文明3 147104A03 親長卿記 |
土佐弾正入道筆、本尊の普賢像完成。 |
御本尊〈普賢像、〉出来之由、土左弾正入道申之、仍百疋下行了、 |
0834 |
文明3 147104A06 親長卿記 |
後花園院百ケ日法事行われる。 |
語花薗院御百ヶ日御法事下行事、…御本尊新図 百疋、 |
0835 |
文明3 147104A21 大乗院日記目録 |
木津地藏堂、西方足軽により焼打ち。地藏は日本一、丈六の石像徳治三年九月上棟。 |
西方足軽寄来、木津地藏堂焼払之、(此地藏ハ日本一石像云々、丈六也、□□三年正月廿四日奉切始而、徳治三年九月八日御堂上棟、九日供養、十日蜜供養) |
0836 |
文明3 147107A04 大乗院日記目録 |
|
中院山水沙汰之、善阿ミ沙汰、 |
0837 |
文明3 147108A11 ? |
雪舟等楊、夏珪山水小軸を写す。 |
■写夏珪山水小軸以為画法者於茲有年今付之于小子 文明三〈壬辰〉八月初十一日 等楊 |
0838 |
文明3 147108A21 尋尊大僧正記 |
琳賢房、新図絵薬師を完成。 |
新図絵薬師今日琳賢房書出了、 |
0839 |
文明3 147108U05 尋尊大僧正記 |
先月、能阿弥没。 |
公方奉公能阿弥於長谷寺去月入滅了、 |
0840 |
文明3 147110A22 慈恩会記(尋尊大僧正記) |
慈恩大師図絵、松坊に下行。 |
一貫文慈恩大師図絵方、松坊ニ下行之了、いかにも能々可図之由仰付了、 |
0841 |
文明3 147112A03 慈恩会記(尋尊大僧正記) |
慈恩大師御影新図絵、筑前法橋息が持参。 |
慈恩大師御影新図絵、筑前法橋息持参之、 |
0842 |
文明3 147112A03 尋尊大僧正記 |
慈恩大師御影新図絵、筑前法橋息が持参。 |
慈恩大師御影新図絵、筑前法橋息持参之、 |
0843 |
文明4 147207A21 大乗院日記目録 |
一言主社、拝殿大杉、元興寺新金堂、龍蓋寺塔婆、大風の為倒れる。元興寺金堂本尊破損。 |
夜前大風、一言主社并拝殿大杉顛倒之間打破之、…元興寺新金堂顛倒、本尊打破之、/龍蓋寺塔婆贔[顛]倒云々、為寺務不吉事也、但久女以下所々塔婆贔倒云々、不限一所歟、 |
0844 |
文明4 147207A21 尋尊大僧正記 |
一言主社、拝殿、元興寺新金堂、転倒。。元興寺金堂の新仏破損。 |
前夜大風以外事也、…一言主社并拝殿破損無形云々、…元興寺之新金堂顛倒、新仏破損了、 |
0845 |
文明4 147207A21 善隣国宝記 |
義政書状。金屏風、長刀、椀、盆、硯、鏡台、酒壷、銚子などほ朝鮮国王に献上。 |
文明四年壬辰遣陶潜国書 横川製之/日本国義政 奉書/朝鮮国王殿下/…/龍集壬辰冬十月三日/日本国源 【義政】(印也)/…/別幅/装金屏風貳伯把/長刀壹拾把/大紅漆木車椀大小計七十事/大紅漆浅方盆大小計貳十事/蒔絵硯匣壹箇/鏡台 壹箇/酒壷 壹隻/銚子提子壹具 |
0846 |
文明4 147207A23 尋尊大僧正記 |
高野山東塔供養。 |
今日高野山東塔供養、 |
0847 |
文明4 147209A10 尋尊大僧正記 |
鳥羽法皇から醍醐院までを描いた絵一巻を得る。 |
自鳥羽法皇至醍醐院帝王写絵一巻得之、 |
0848 |
文明4 147212A23 尋尊大僧正記 |
巨勢金岡を祖とする筑前法眼の家の系図。 |
巨勢朝臣金岡・…・重有[筑前法眼/大乗院家]・・長有[筑前法橋] ・・有尊[円勝?房労分] ・・正有[林賢房] |
0849 |
文明5 1473 安世永全像賛 |
雪舟等楊に関する記事。 |
… 文名癸巳之春、西■大内左京兆公於防城、…楊雪舟以能画名於世、嚮入明九に、天子奇其能、今在防城、為全肖其客以寄、 |
0850 |
??文明5 1473 蔭涼軒日録 |
文明十七年五月八日、瑞溪和尚十三回忌。 |
文明17・5・8 瑞溪和尚十三回忌 |
0851 |
文明5 147305A08 翰林葫蘆集 |
興宗明教禅師没。八十三歳。 |
興宗明教禅師行状/…癸巳年、…師曰、今年八十三、命在旦暮、況忌辰有余月乎、且待之五月四日、示微■、行道不怠、七日召諸徒在城中者、使作冷■伴食、曰、是訣別也、汝等去矣、八日早晨、談咲自若、據座逝矣、 |
0852 |
文明5 147306A12 親元日記 |
元応寺恵忍、聴松院の遺物、詫摩筆弥陀絵像を贈る。 |
元応寺恵忍御状同披露之聴松院殿御遺物〈絵像弥陀/詫摩筆〉被贈進候御返事也 |
0853 |
文明5 147306A14 大乗院日記目録 |
快弘法師絵所琳賢、常陸公等没。 |
此外快弘法師絵所琳賢・常陸公等円寂了、 |
0854 |
文明5 147306A15 尋尊大僧正記 |
絵所琳賢房、宇多にて没。 |
絵所琳賢房於宇多入滅云々、 |
0855 |
文明5 147306A16 尋尊大僧正記 |
元興寺前絵師、常陸房没。 |
元興寺前絵師常陸房円寂了、 |
0856 |
文明5 147310A 補庵京華前集 |
横川景三賛、宗湛筆達磨像。 |
達磨讃〈宗湛[天翁]筆〉/…/文明五年十月初祖忌、不肖孫景三、焚香拝讃 |
0857 |
文明5 147310A16 尋尊大僧正記 |
多武峯大講堂本尊阿弥陀三尊、造立開始。椿井舜覚房法橋と京都仏師。 |
多武峯大講堂本尊阿ミタ三尊今日事始也、椿井舜覚房法橋小仏事等召具下向、今度京都之仏師与令相論子細在之云々、主上御力[刀]始去月廿八日云々、 |
0858 |
文明5 147311A01 尋尊大僧正記 |
絵書兵部、勢州にて没。 |
絵書兵部於勢州円寂云々、 |
0859 |
文明6 147402A09 実隆公記 |
小絵詞を御前にて書す。 |
小絵詞於御前書之、 |
0860 |
文明6 147402A15 親長卿記 |
大徳寺住持職を任ず。 |
大徳寺住持職事〈順蔵主/一休〉奏聞、勅許、 |
0861 |
文明6 147402A16 親長卿記 |
大徳寺綸旨を書す。 |
大徳寺綸旨令書元長、遣寺家了、 |
0862 |
文明6 147402A22 東海一休和尚年譜 |
一休和尚、広徳寺に参る。 |
六年甲午。師年八十一歳。二月二十二日広徳寺〈摂州/尼崎〉。桑中隆和尚捧勅黄来。致大徳住持之請。不可辞也。師作二偈。且謝且警。柔中和尚寓本色[マゝ]住み山祖教中興之祝。且求入寺法語。卒書而応之。 |
0863 |
文明6 147403A03 言国卿記 |
足利義政、上御書に参る。 |
室町殿[足利義政]、上ノ御所へ御ワタシマシナリ |
0864 |
文明6 147403A27 言国卿記 |
御前にて「チサウノ御絵ノ詞」を読む。 |
夜於御前、チサウノ御絵ノ詞、按察使ニヨマセラル也、 |
0865 |
文明6 147406A03 大乗院日記目録 |
善光寺如来堂、焼失。 |
善光寺如来堂以下焼失 |
0866 |
文明6 147406A19 尋尊大僧正記 |
四日、信濃国善光寺如来堂、炎上。 |
去四日信乃国善光寺如来堂等焼失了、 |
0867 |
文明6 147408A13 尋尊大僧正記 |
七日、有尊(円勝房)没。吐田絵所の舎弟。 |
去七日、有尊〈円勝房、〉入滅、吐田絵所舎弟、労分也、 |
0868 |
文明6 147409A02 永和本四聖御影■背墨書銘 |
四聖御影の修理終了。 |
奉修補四聖御影。/文明二年〈庚寅〉五月十八日卯剋。新堂宝蔵院/大雨之間。山崩一時顛倒。其時及破壊間。修補之畢。/文明六年〈甲午〉九月二日。/住持隆賢〈表背ころも専舜房。/知事。文海。〉 |
0869 |
文明6 147409A05 尋尊大僧正記 |
峯殿金舍利塔一基、随心院殿極楽房が寄進。 |
峯殿金舍利塔一基事、自随心院殿極楽坊御寄進了、予取継遣之者也、 |
0870 |
文明6 147410A29 実隆公記 |
小絵小詞を御前にて書す。 |
小絵小詞於御前御前草之、 |
0871 |
文明6 147411A05 実隆公記 |
夢物語絵小詩、御前にて書写する。 |
夢語絵小詞於御前書写之、 |
0872 |
文明6 147411A12 実隆公記 |
三日間、小絵詞を進上。 |
自今日両三日之間、小絵詞〈号高野雲〉草進之、与中院亜槐討論之了、 |
0873 |
文明6 147412A26 言国卿記 |
二十二月の御会を描く。 |
以量二十二月ノ御会ヲカゝセラレ了 |
0874 |
文明7 1475 善隣国宝記 |
足利義政、明に別幅、馬、散金鞘柄太刀、硫黄、馬脳、貼金屏風、黒漆鞘柄太刀、槍、長刀、鎧、硯、匣、扇などを献上。 |
文明七年乙未遺大明表 横川製之/日本国王臣源 義政〈慈照院殿也〉上表/大明皇帝陛下/…/成化拾壹年乙未秋捌月廿八日/日本国王臣源 義政〈日本国王印〉/…/別幅 自別幅両字到咎一字同幅書之/馬肆疋 散金鞘柄太刀貳把/硫黄壹万斤 馬脳大小貳拾塊/貼金屏風参副 黒漆鞘柄太刀壹佰把/槍壹佰把 長刀壹佰柄/鎧壹領 硯壹面并匣/扇壹佰把 |
0875 |
文明7 147501A23 実隆公記 |
御前に参り、土佐将監筆小絵を拝見。 |
則参御前、小絵〈高野雲〉下画土佐将監書進之可拝見之由也、 |
0876 |
文明7 147502A20 長興宿袮記 |
安楽光院、焼失。九品阿弥陀像焼失。 |
無程安楽光院焼失、九品阿弥陀像〈本尊天照太神御作云々〉焼亡了、 |
0877 |
文明7 147503A19 実隆公記 |
禁裏御絵詞を書写。 |
今日禁裏御絵詞〈山寺法師/絵〉書写之令進上了、 |
0878 |
文明7 147504A04 言国卿記 |
絵を書く。 |
以量ニ御絵ヲ被書了 |
0879 |
文明7 147504A12 言国卿記 |
佐門左衛門佐陣屋へ来て「御ウヘハカマノ絵様」を描く。 |
早朝ニ佐門左衛門[橘以量]佐陣屋へ来、御ウヘハカマノ絵様ヲカゝせヲク也、 |
0880 |
文明7 147507A17 実隆公記 |
善光寺縁起絵三巻を一覧。 |
善光寺縁起絵三巻〈嵯□[峨]三宝/□常住也〉一覧之、 |
0881 |
文明7 147507A18 尋尊大僧正記 |
極楽房参詣。 |
極楽房参詣了、万■ラ堂仏壇金物到来、 |
0882 |
文明7 147507A18 実隆公記 |
参内して善光寺絵の詞を読む。 |
則参内、善光寺絵之詞読申了、 |
0883 |
文明7 147508A08 尋尊大僧正記 |
東大寺内の筒井方に五師子如意の事を申し伝える。 |
自東大寺内々筒井方ニ申遣之、五師子如意事、東南院門主取之遂電云々、寺門ニ今披露可糺明云々、筒井返事、可思案云々、 |
0884 |
文明7 147510A29 実隆公記 |
本願寺曼陀羅を御覧。 |
本願寺曼陀羅〈来迎曼陀羅□熊谷蓮生□曼陀羅、法然上人自筆也云々、新曼陀羅絵所有久筆也、法然上人消□[息カ]二通(自筆)蓮生法師持蓮花等有之〉被備叡覧、 |
0885 |
文明7 147511A23 文明七年維摩会講師方条々(尋尊大僧正記) |
吐田絵所、講堂曼陀羅、文殊・淨名、大職冠御影を仰付らる。 |
吐田絵所図絵事伺申、講堂万■ラ一■[幅]・文殊・浄名・大職冠御影各一■仰付之、畏入云々、 |
0886 |
文明7 147512A02 文明七年維摩会講師方条々(尋尊大僧正記) |
講堂曼陀羅・大職冠・淨名・文殊、絵所松房に命ずる。 |
一貫九百 図絵、〈講堂万タラ・大職冠・浄名・文殊方、絵所松房下行、〉 |
0887 |
文明8 1476 画工譜略 |
狩野永仙元信、出生。 |
狩野永仙元信…文明八年に生る、 |
0888 |
文明8 147602A03 実隆公記 |
御前に参り、石山寺縁起絵四巻を読む。 |
昼間参御前、石山寺縁起絵四巻詞読申之、 |
0889 |
文明8 147603A03 呆夫良心・天開図画楼記 |
雪舟等楊に関する記事。 |
画師 楊公雪舟相[ミテトコロノ]攸勝地豊府西北之隅剏作一小楼題榜曰天開図画…/文明丙申三年初三日/杏塢呆夫良心誌之 |
0890 |
文明8 147603A12 群書類従本君大観左右帳記奧書 |
能阿弥、君台観左右帳記奧書を書く。 |
此一巻頻依御懇望注進之候。閑被成御覧。御不審之事候者。可承候。口伝可申候。努々不可有御他見候也。/文明八年三月十二日 能阿弥在判 大内左京大夫殿 |
0891 |
文明8 147603A29 実隆公記 |
参内し、善光寺縁起絵を写す。 |
昼間依召参内、善光寺縁起絵可被写之、詞絵等宜令用捨之由也、 |
0892 |
文明8 147605A16 実隆公記 |
|
早旦絵銘書之、〈宰相中将殿去夜□[被]下小野宮大臣□[会]絵也、詞故権大納言公澄卿筆跡也〉、遣頭蘭令進上大樹了、 |
0893 |
文明8 147605A22 実隆公記 |
参内し、善光寺絵の詞を直す。 |
依召著束帯参内、善□[光]寺御絵詞直付之、 |
0894 |
文明8 147606A05 言国卿記 |
御前にてホウネンノ絵を見る。 |
此間以量於御前会[絵カ]ヲ被書了、…ヨイノ程、御前ニテ予・以量ニ会[絵]ヲミせラレ了、ホウネンノ会[絵]也、 |
0895 |
文明8 147606A07 実隆公記 |
大徳寺、炎上。 |
楽邦来話、今暁大徳寺等炎上、其白屋以下数間成灰燼云々、 |
0896 |
文明8 147606A11 実隆公記 |
御前に参り、法然上人絵四巻を拝見。 |
則参御前、法然上人絵四巻拝見之、 |
0897 |
文明8 147608A 如是院年代記 |
(文明7の条に誤記)八月賀茂社、兵火。 |
(文明7の条に誤記)八月賀茂社兵火。 |
0898 |
文明8 147608A09 狩野五家譜 |
狩野元信、出生。 |
〈二代〉元信…文明八丙申年八月九日山城国において出生。 |
0899 |
文明8 147608A09 狩野祐清邦信書上系譜(扶桑名画伝) |
狩野元信、出生。 |
…文明八丙申年八月九日、於山城国出生仕候、 |
0900 |
文明8 147608A23 実隆公記 |
賀茂社炎上。 |
仰今日賀茂社炎上、氏人卅余人死云々、 |
0901 |
文明8 147608A23 親長卿記 |
賀茂社放火。 |
仏暁軍勢等徘徊、尋子細之処、発向賀茂、在京社司氏人等張行云々、/午剋許社頭放火、氏人数十人被■害、 |
0902 |
文明8 147608A24 大乗院日記目録 |
(七月二十四日の条に誤記)賀茂社、焼失。 |
(七月二十四日の条に誤記)賀茂社悉焼失、社司与氏人確執故云々、 |
0903 |
文明8 147611A13 実隆公記 |
裏辻小家より出火。宮中炎に包まれる。 |
今夜亥下刻自裏辻小家〈土倉〉、失火出余焔懸宮中、大厦高墻悉成灰燼、 |
0904 |
文明8 147611A13 親長卿記 |
室町殿御方に行幸。宮中火事。 |
亥剋許称有梶、…出走参内、已有行幸室町殿御方〈十二間〉、…余焔懸宮中、 |
0905 |
文明8 147611A13 大乗院日記目録 |
室町殿、焼失。 |
夜室町殿悉以焼失、 |
0906 |
文明8 147611A13 如是院年代記 但し、文明7年の記事 |
花御所、炎上。 |
花御所炎上。 |
0907 |
文明9 147701U04 実隆公記 |
善恵上人真影に賛を寄す。 |
自禁裏善恵上人真影讃〈色紙形、〉可書進上之由有勅定、則染筆…令変異御〒返上了、 |
0908 |
文明9 147702A11 実隆公記 |
知恩院、移徒。 |
今日三時知恩院御移徒云々、 |
0909 |
文明9 147704A05 親元日記 |
新造御所に移徒。 |
御新造〈上様御座所〉、御移徒御祝、 |
0910 |
文明9 147704A05 実隆公記 |
新造御所に移徒。 |
□[今]夜子刻小河新造御移徒云々、 |
0911 |
文明9 147706A27 親長卿記 |
誓願寺立柱。 |
伝聞、誓願寺立柱云々、自去年勧十方檀那助縁、可令造営云々、 |
0912 |
文明9 147708A14 実隆公記 |
誓願寺縁起を御覧。 |
誓願寺縁起絵有叡覧、縁起一巻読申之、 |
0913 |
文明9 147711A11 御湯殿上日記 |
敵陣、炎上。大内は陣払。御所炎上。 |
こよひてきともおちうせてちんはらゐともする。おゝうちかうしはこなたへまいるよしきこゆる。院の御所もるゐ火のよしきこしめして。おとろきおほしめす。御るすの御所無ゐにてめてたし。 |
0914 |
文明9 147711A11 実隆公記 |
敵陣、炎上。大内多々良政弘朝臣以下、陣払。御所炎上。土御門皇后は無事。 |
戌刻許敵陣有回禄、今日大内多々良政弘朝臣以下陣払云々[水牛今夜今夜遣此方云々]、子刻許参内、大略終夜炎上、故院仙洞、二条亭等焼失云々、土御門皇后無為無事、 |
0915 |
文明9 147712A13 尋尊大僧正記 |
清水寺、四日より五条東洞院から東山に遷る。 |
清水寺自去四日東山ニ自五条東洞院引遷之、如形令立之、 |
0916 |
文明9 147712A30 尋尊大僧正記 |
窪田、狩野、粟田口、溝杭、天下絵所、冷泉東洞院、田倉、六条高倉、四条堀川、土佐将監、粟口民部。 |
…/窪田〈三□□内、/在柳原、〉/狩野〈土佐弟子、/在押上、〉/粟田口ヲキ〈北国越中ニ/在国云々、〉溝杭〈粟口之弟子、/在奈良、/次郎左衛門〉/天下絵所/冷泉東洞院/田倉/六角高倉/四条堀川/土佐将監〈大炊氏、高倉〉/粟口民部 |
0917 |
文明10 147803A26 実隆公記 |
参内し片岡絵を拝見。 |
晩頭有召之間参候、□□[片カ]岡絵、〈奈良霊物、以大般若経料紙、依■宣六百巻写画図□[者]、殊勝之由有勅語、当時、纔卅巻斗相残云々、〉□[拝]□之、人間病苦之体、鬼界飢渇之憂、地獄苦痛之趣等、感涙銘肝、更驚無常者也、 |
0918 |
文明10 147803A26 尋尊大僧正記 |
禁裏は念仏、善道・一遍などの影を懸ける。 |
禁裏ニハ悉以念仏也、善道・一遍等影共被懸之、 |
0919 |
文明10 147804A13 尋尊大僧正記 |
金堂の橋木法師金物祓殿金風呂水屋腰障子などが紛失。 |
金堂之橋木法師[擬宝珠]金物祓殿金燈呂水屋腰障子等先日粉[紛]失了、 |
0920 |
文明10 147808A06 言国卿記 |
新宰相中将、絵を持参。 |
新宰相中将御絵詞書持参、色々御物語畢、以量ニ御絵カゝセラルゝ也、 |
0921 |
文明10 147809A05 尋尊大僧正記 |
五師子如意に関する書状。 |
六方書状到来、先年大会之時、五師子如意事、東南院前門主令随身遂電之間、無力之由九条前内府仰之間、御音信不通上者、云寺門云門跡、不及了簡之処、近日御出子細在之歟、借下相論云々、仍六方申之、/…其後此如意事、不知在処候間、…依九条殿之御計略、御上洛之間旨承及候、仍於彼如意者、先門主御随身之上者、草々被尋出、暫於御門跡御案[安]置候者可為珍重候、…御門跡又可為御同心之御儀候者、就其無力付御候人等、可任評儀之旨、集会評定候旨、可有洩御披露候、恐々謹言、/五月四日 六方衆等/因幡寺主御房 |
0922 |
文明10 147809A11 尋尊大僧正記 |
九条殿如意の事に返事。 |
九条殿如意事ニ御返事到来、如意事可被渡之云々、則御書遣六方了、 |
0923 |
文明10 147810A23 言国卿記 |
明恵上人絵詞を写す。 |
今日予ニ明恵上人之絵詞予ニウツサセラルゝ也、 |
0924 |
文明10 147810A27 言国卿記 |
御絵下巻詞書を修理。 |
彼御絵下巻詞書修進上畢、 |
0925 |
??文明10 1478年 観瀑図横川景三跋 |
祥啓の持つ芸阿弥筆「観瀑図」に横川景三、賛を寄せる。。 |
相陽啓上人、遊於絵事者也、戊戌歳観光上国、就国手芸阿、(後半部は文明12年にあり) |
0926 |
文明11 1479 補庵京華後集 |
天章周文筆墨竹図に横川景三、賛を寄せる。 |
題文都管[天章周文]墨竹小幅〈有跋〉/…己亥[文明十一年]之夏熱甚、寺之綱維春溪記室、出[此]軸求詩、経数日而不得一句、…已而時秋雨霽、所謂△[快哉]忽為悲哉矣、綱維督詩屡来、如問平安者、無感於■乎、書此巻還云、■持景三、 |
0927 |
文明11 147901A01 大乗院日記目録 |
吉野上社に落雷。 |
電光吉野上社ニ落給、…〈書写大塔雷火焼了、元日事也〉、 |
0928 |
文明11 147901A16 実隆公記 |
明恵上人絵詞、進上。 |
今日明恵上人絵詞可進上之由被仰下之、御料紙、本等賜之、 |
0929 |
文明11 147901A29 実隆公記 |
高野雲絵詞を修理。 |
高野雲絵詞少々直之、中書沙汰之進上了、 |
0930 |
文明11 147902A08 実隆公記 |
高野雲絵の事を土佐将監に命ずる。 |
高野雲絵事召土佐将監申付之了、 |
0931 |
文明11 147902A13 尋尊大僧正記 |
播磨邦書写山大塔、元日に落雷炎上。 |
幡[播]磨国書写山大塔元日雷ニ炎上了、 |
0932 |
文明11 147902A13 親長卿記 |
室町殿、事始。 |
室町殿御事始也、 |
0933 |
文明11 147902A13 長興宿袮記 |
室町殿、造立事始。 |
今日室町殿[花御所]造立御事始也、[先年文明九年炎上] |
0934 |
文明11 147902A13 ? |
武家殿御亭、御造作事始。 |
□聞、武家殿御亭御造作事始云々、 |
0935 |
文明11 147902A17 尋尊大僧正記 |
十三日、室町殿事始。 |
十三日…同日室町殿事始 |
0936 |
文明11 147903A28 建長本四聖御影■背墨書銘 |
四聖御影像、修復終了。 |
文明十一年〈己亥〉三月廿八日。此影像破損之間。仰表背師三位奉修複畢。/大法師盛宗〈奉行之。〉 |
0937 |
文明11 147905A16 実隆公記 |
栂尾明恵上人絵を読む。上巻絵は右京亮藤原行定、詞は参議右中将藤原実隆、下巻絵は弾正入道経増(俗名藤原広周)。 |
栂尾明恵上人絵被読加周備、奧書依仰書之、上巻絵、右京亮藤原行定、〈但奥一段弾正入道経増〉、詞、参議右中将藤原実隆、下巻絵、弾正入道入道経増〈俗名藤原広周〉、詞、参木−如此書之、 |
0938 |
文明11 147905A18 実隆公記 |
明恵上人絵上下に銘する。 |
及黄昏明恵上人絵上下銘書之、 |
0939 |
文明11 147905A27 実隆公記 |
高野雲絵詞、修理終了、進上。 |
高野雲絵詞終功進上了、 |
0940 |
文明11 147906A07 十輪院内府記 |
西庵寮新造の為、入江殿に参る。 |
参入江殿[了山聖智尼]、柳二荷持参、是被立御堂之上、西庵[智周老・通秀姉]寮新造被下之故也、 |
0941 |
文明11 147906A29 大乗院日記目録 |
皇居、焼失。白雲庵に行幸。 |
夜皇居焼失了、仍行幸白雲庵云々、 |
0942 |
文明11 147907A01 実隆公記 |
皇居炎上。安禅寺宮に臨幸。 |
寅下刻火事出来、北小路皇居焼失、愚宅同炎上、主上臨幸[要輿]安禅寺宮、 |
0943 |
文明11 147907A02 如是院年代記 |
柳原仮内裏炎上。 |
柳原仮内裏炎上。 |
0944 |
文明11 147907A17 尋尊大僧正記 |
吉備大臣絵修復終了。上下二巻。 |
吉備大臣絵修複[復]了、上下二巻也、 |
0945 |
文明11 147908A14 御湯殿上日記 |
絵解きが来て説いていく。 |
ゑときまいりてとかせらるゝ。 |
0946 |
文明11 147909A29 御湯殿上日記 |
相国寺、炎上。 |
火ことあり。しやうこくしときこゆる。 |
0947 |
文明11 147909A29 実隆公記 |
相国寺、炎上。 |
仰亥刻許相国寺方丈炎上、此間新造未終功以外之踈屋也云々、余焔不及他所、 |
0948 |
文明11 147909A29 親長卿記 |
相国寺、火事。 |
子剋許有火事、驚見之処、相国寺方丈新造之在所也、 |
0949 |
文明11 147909U15 実隆公記 |
御前にて小絵等拝見。 |
入夜小絵等於御前拝見、 |
0950 |
文明11 147909U23 ? |
小絵歌合わせ、歌三首を読む。 |
小絵哥合哥両三首詠之、三番書判詞進上之、是依去十九日之仰也、 |
0951 |
文明11 147912A12 尋尊大僧正記 |
松南院絵所出雲公尊順叙法橋、二日に宣旨を受ける。 |
松南院絵所出雲公尊順叙法橋、去二日宣旨仰遣之、当年四十八歳云々、 |
0952 |
文明11 147912A24 大乗院日記目録 |
東福寺塔、塔頭、焼失。 |
東福寺塔一碁[基]・塔中[頭]二所焼失了、 |
0953 |
文明12 1480 観瀑図横川景三跋 |
芸阿弥筆「観瀑図」横川景三跋文。 |
相陽上人遊於絵事者也,戊戌歳観光上国、就国手阿学画三年而業成矣,一日告別回里、芸自画於軸以餞, |
0954 |
文明12 1480 島隠漁唱 |
雪舟等楊筆琴高列子図に関する記事。 |
総管府隈部閣下。前年之冬賜書曰。有客贈雲谷老禅所画琴高列子二墨人者。願得一詩而書其側。予素不能詩。況仙家者之流。怪跡異状。寔非以浅智可贅論者。是以拒之辞之。近亦寄詩。以見督焉。厳命之下。未遑寧処。蓋東遊之期在近矣。若有刻楮而成者。自持去而親受閣下刪潤耳。於是先次来詩韻。聊述其意。恕之下亦幸哉。 |
0955 |
文明12 148001A23 尋尊大僧正記 |
昨冬二十四日、東福寺塔、塔頭、焼失。 |
旧冬廿四日東福寺塔一基・塔中[頭]二所焼失了 |
0956 |
文明12 148003A05 御湯殿上日記 |
法然御影に関する記事。 |
ほうねん御ゑい[影]。きう院の御ふくにてへうほうゑなをしたるよし申さるゝ。新宰相中将よりまいりて御おかみあり。 |
0957 |
文明12 148003A15 御湯殿上日記 |
あんせん寺からこほう大しの絵が来る。 |
あんせん寺よりこほう大しの御ゑけさんに入らるゝ。 |
0958 |
文明12 148005A27 御湯殿上日記 |
しゃうれん院かせあしひきのゑが来る。。 |
しやうれん院よりあしひきのゑけさむ入らるゝ。 |
0959 |
文明12 148007A11 尋尊大僧正記 |
大安寺の墓に参詣。金堂内陣の厨子は修復した。 |
大安寺之墓ニ参詣、金堂内陣写[厨]子以下修複[復]見事也、 |
0960 |
文明12 148008A02 御湯殿上日記 |
絵解きが西向きの庭で語る。 |
ゑときにしむきの御庭にてかたらせらるゝ。 |
0961 |
文明12 148008A03 御湯殿上日記 |
絵解き、女房達に語る。 |
ゑときにけふは女はうたち申さたなり。 |
0962 |
文明12 148008A03 十輪院内府記 |
絵解きを見る。 |
見絵解, |
0963 |
文明12 148008A03 実隆公記 |
禁裏にて絵解きが有るため参上。 |
今日於禁裏有絵解云々、内々可参□[上]由雖有仰故障之間不参、 |
0964 |
文明12 148010A12 御湯殿上日記 |
あんせん寺、ちそうの御ゑを返却。 |
あんせん寺殿ちそうの御ゑ返まいる |
0965 |
文明12 148010A20 尋尊大僧正記 |
随心院殿から書状到来。公方、山荘を造立。 |
随心院殿より書状到来、…公方為御山荘可被立之云々、嵯峨・岩蔵以下御見知、 |
0966 |
文明12 148011A19 大乗院日記目録 |
十三重塔等炎上。 |
今夜丑剋十三重塔以下炎上、 |
0967 |
文明12 148011A20 尋尊大僧正記 |
四恩院炎上。本尊、仏舎利は取り出す。 |
夜前丑剋四恩院悉以払地焼失了、土民所為也、…於本尊者仏舍利以下悉以奉取出了、但其内舍利殿一粉[紛]失、糺明最中云々、遣人令見之処、誠以悉焼了、所残分社一宇・倉一宇・辰巳坊如形相残、其余ハ一切不残之云々、 |
0968 |
文明12 148011A22 興福寺略年代記 |
興福寺十三重塔、院中、炎上。 |
十一月廿ニ「十九イ」日興福寺十三重塔并院中悉焼。馬借沙汰。 |
0969 |
文明13 1481 万里集九作品拾遺 |
雪舟等楊筆「金山図」に万里集九賛を寄せる。 |
雪舟為余作金山図并叙/雪舟翁、…辛丑之秋、解后于東濃之霊薬精舎、為余展南紙、作淳玉之図、 |
0970 |
文明13 1481 梅花無尽蔵 |
雲上人、雪舟筆東濃霊薬山を目撃する。 |
安芸之友雲上人、辛丑秋、目撃東濃霊薬山、儒鳥■賛語、盖天童板首雪舟老人所描也、 |
0971 |
文明13 1481 春浦録 |
宗湛庵主下火。 |
■翁宗湛庵主下火/不離当処、常自湛然、出生入死、何渉変■、/伴惟某、妙画冠千古、全機蓋九■、山川遠勢■、曰郭煕拱手、雲水飛動独許摩詰交肩、加之勘破庵主挙頭之旨、恭徹先師向上之禅、権実兼備、大用現前、鉄壁銀山百千億却、電光石火六十九年、此是平生三昧即今津送行李一句作麼生道■−花謝鳥啼時節子、一堆火裡酌清泉、 |
0972 |
文明13 1481 補庵京華続集 |
、翁宗湛上座の下炬。 |
預修天翁宗湛上坐@炬〈菴号自得〉/… |
0973 |
文明13 148101A04 尋尊大僧正記 |
去年十一月十九日、十三重塔炎上。 |
件十三重塔ハ、…去年十一月十九日夜為土民所為、院内悉以焼失了、 |
0974 |
文明13 148103A28 宣胤卿記 |
鞍馬寺本堂供養。 |
今日鞍馬寺本堂供養也、 |
0975 |
文明13 148103A28 長興宿祢記 |
鞍馬寺御堂、造立供養。 |
今日、鞍馬寺御堂、造立供養也、…去長禄二年二月三日、炎上以後、以十方檀那造立、 |
0976 |
文明13 148103A28 実隆公記 |
鞍馬寺堂供養。 |
今日鞍馬寺堂供養、 |
0977 |
文明13 148104A02 宣胤卿記 |
一条兼良没。八十歳。 |
禅閤不例事同前、…御歳八十也、…次右衛門督来云、禅閤只今御事切云々、〈酉刻始也〉、 |
0978 |
文明13 148104A02 大乗院日記目録 |
一条兼良没。八十歳。九日東福寺にて葬送。 |
後成恩寺殿薨、〈八十〉、九日御送葬送、於東福寺也、 |
0979 |
文明13 148104A02 実隆公記 |
一条兼良没に関する記事。 |
仰[一条]禅閤今夜薨去給云々、此七八日不例、痰喇等相痛、老体〈満八十〉之間諸人雖思儲殊愁傷不浅、一朝之悲嘆併在之者乎、不堪勒筆端矣、 |
0980 |
文明13 148104A02 十輪院内府日記 |
一条兼良没。八十歳。 |
後聞、禅合[閤]此日薨逝、満八十、雖老年御事、日本無双之才人也、已失日月之明■、 |
0981 |
文明13 148104A03 親長卿記 |
一条兼良没。八十歳。 |
一条禅閤、〈俗名兼良公、〉去夕薨給云々、御歳八十歳云々、 |
0982 |
文明13 148106A05 長興宿祢記 |
祇園社立柱 |
今日祇園社立柱云々、 |
0983 |
文明13 148106A05 如是院年代記 |
祇園釿始 |
祇園釿始。 |
0984 |
文明13 148106A05 宣胤卿記 |
祇園社立柱。 |
今日祇園社立柱云々、 |
0985 |
文明13 148107A08 大乗院日記目録 |
十三重鐘を鋳造。 |
十三重鐘鋳也、 |
0986 |
文明13 148107A08 尋尊大僧正記 |
四恩院鐘を鋳造。 |
四恩院鐘鋳之、 |
0987 |
文明13 148108A28 御湯殿上日記 |
絵解きあり。 |
ゑときあり。 |
0988 |
文明13 148110A29 尋尊大僧正記 |
絵書平左衛門に絵事を命ずる。 |
絵書平左衛門参申、絵事仰付之、 |
0989 |
文明13 148111A01 尋尊大僧正記 |
平左衛門筆持仏堂に蓮を描く。 |
平左衛門画書之、持仏堂蓮ニ間計書之、 |
0990 |
文明13 148111A06 尋尊大僧正記 |
平左衛門、襖絵を描く。 |
平さ衛門来、至日中炬所分書立之、日中以後より北六間〈庇〉書之、 |
0991 |
文明13 148111A07 親元日記 |
二日、御所に■金絵一巻以外、五巻を飯尾次郎左衛門方へ渡す。 |
去二日 御方御所様へまいる絵細兵部へ被返遣之■六巻内■金絵〈半切〉一巻被召置て相残■五巻出〈昨夕〉飯尾次郎左衛門方へ渡遣之〈使渕田〉 |
0992 |
文明13 148111A12 尋尊大僧正記 |
平左衛門、書き上げる。 |
平さ衛門来、今日書上了、 |
0993 |
文明13 148111A15 尋尊大僧正記 |
平左衛門、東林院部屋の絵を描く。 |
平さ衛門来、東林院部屋画書之、 |
0994 |
文明13 148111A21 親元日記 |
一休和尚没。八十八歳。 |
一休和尚〈八十八歳〉於城州薪涅槃 |
0995 |
文明13 148111A21 東海一休和尚年譜 |
一休和尚没。十一月七日から病気。 |
十三年辛丑。…十一月七日疾病焉。…二十一日卯時。泊然如寐坐逝。 |
0996 |
文明13 148111A21 龍宝山誌 |
一休和尚没。八十八歳。 |
真珠菴…一休和尚 嗣華叟文明十三年十一月■一日寂八十八 |
0997 |
文明13 148112A13 尋尊大僧正記 |
平左衛門、部屋絵も書き終わる。四十日程。 |
平さ衛門今日部屋絵共書立之畢、去月朔日より参申、四十余个日也、 |
0998 |
文明14 148202A04 大乗院日記目録 |
准后御隠居の在所、浄土寺殿、事始。 |
准后御隠居之在所浄土寺殿事初云々、 |
0999 |
文明14 148202A08 後法興院記 |
四日、武家浄土寺山山荘、事始。 |
□[自カ]去四日武家浄土寺山々荘事始云々、 |
1000 |
文明14 148202A11 尋尊大僧正記 |
三日、四日、岩倉准后御所、浄土寺殿事始。 |
今月三日…同四日岩倉准后御所被立浄土寺殿事始也、 |
1001 |
文明14 148204A01〜17 十輪院内府日記 |
本覚大師御影を土佐将監写す。 |
本覚[益信]大師御影、真光院[守鑁]諸方猶被相尋候之処、自或方被尋出候、返々目出度候、仍被仰絵師、先可被写帋形候ハん、土佐将監[光信]得其名候物候、可有御談合候哉、 |
1002 |
文明14 148204A18 大乗院日記目録 |
横川中堂焼失。 |
横川中堂焼失、 |
1003 |
文明14 148204A19 親長卿記 |
昨日横川中堂勧請。 |
或人云、昨日横河中堂炎上、 |
1004 |
文明14 148204A29 大乗院日記目録 |
天川塔供養。 |
天川塔供養、 |
1005 |
文明14 148205A01 尋尊大僧正記 |
先月十八日、山根本中堂炎上。 |
去月十八日山根本中堂焼了、 |
1006 |
文明14 148205A01 尋尊大僧正記 |
去二十九日に天川塔供養。 |
天川之塔供養去廿九日、 |
1007 |
文明14 148205A09 御湯殿上日記 |
六角堂縁起が来る。 |
六かくたうのゑんきかち井殿よりまいる。 |
1008 |
文明14 148207U05 御湯殿上日記 |
侍従中納言、諏訪縁起を持ち来る。御覧。 |
侍従中納言すは[諏訪]のゑんきもちてしこうにて御らんせらるゝ。 |
1009 |
文明14 148207U18 如是院年代記 |
清水寺釿始。 |
清水寺釿始。 |
1010 |
文明14 148208A18 長興宿袮記 |
東山清水寺、造立事始。 |
今日東山清水寺造立事始也、 |
1011 |
文明14 148208A22 長興宿袮記 |
清水寺本堂、立柱上棟。 |
今日清水寺本堂、立柱上棟也、 |
1012 |
文明14 148209A13 親長卿記 |
清水寺造営の勅許が出る。 |
願阿申清水寺造営神妙之由、可被下勅裁之由奏聞、勅許、 |
1013 |
文明15 1483 雪舟筆山寺図模本・希世霊彦賛 |
雪舟等楊筆山寺図に希世霊彦、賛を寄せる。 |
右題揚知賓所画山寺図/村庵霊彦時年八十有一 |
1014 |
文明15 148301A28 大乗院日記目録 |
信貴山本堂集室。応永二年に炎上、未だ供養せず。 |
夜信貴山本堂焼失了、応永二年炎上、未延供養、 |
1015 |
文明15 148301A29 尋尊大僧正記 |
信貴山炎上。 |
今朝信貴山炎上云々、可尋戴、■沙門堂并平坊共炎了云々、 |
1016 |
文明15 148306A27 御湯殿上日記 |
室町殿、東山へ渡る。 |
むろまち殿ひむかし山へ御わたしましのよしきこゆる。 |
1017 |
文明15 148306A27 親元日記 |
東山殿移徒。 |
東山殿御移徒〈戌時〉 |
1018 |
文明15 148306A27 後法興院記 |
武家東山山荘、移徒。 |
是日武家東山御山荘御移徒也、戌刻云々、 |
1019 |
文明15 148306A27 親長卿記 |
室町殿東山山床に移徒東山殿と号する。 |
今日室町殿移徒東山御山庄、即被号東山殿云々、〈自去年造営、如形周備〉 |
1020 |
文明15 148306A27 尋尊大僧正記 |
准后、浄土寺御所に移住。 |
准后今夜浄土寺御所ニ御移住、 |
1021 |
文明15 148306A27 大乗院日記目録 |
浄土寺に移住。東山殿と号す。大納言との室町殿と号する。 |
浄土寺貪御移住、号東山殿、大納言殿号室町殿、 |
1022 |
文明15 148306A27 補庵京華別集 |
足利義政、東山の新邸に移る。芸阿弥筆瀟湘八景障子あり。 |
洞庭秋月/…文明十五年癸卯六月廿七日、/准三宮大相公[足利義政]、初移東山新第[府]、…其殿中也、命芸阿[狩野大井助]、画瀟湘八景於障子、命吾徒能詩者、各賦一詩、張於其上、予百拙僧、最拙于詩、隨諸老之後、賦八景之詩、■弗■其■哉、而公命不可■、書以献上、実七月十七日也、予備第五番編次、得洞庭秋月之題云、景三志、 |
1023 |
文明15 148306A27 大乗院日記目録 |
立柱上棟。正遷宮。 |
予守立柱上棟〈卯剋〉、正遷宮〈亥刻〉、 |
1024 |
文明15 148308A09 実隆公記 |
青蓮院新写の因幡堂縁起詞、進上。 |
因幡堂縁起詞〈青蓮院新写〉、可校合進上之由勅定之間、令校之返上了、 |
1025 |
文明15 148308A21 実隆公記 |
僧三十六人歌口書、絵、進上。 |
自柳営所被進置之絵、僧三十六人哥□書、小序露其和哥之心於後素者也[貞和年中作之由□作者不□]件銘如何体可被書哉之由勅定間、予申入□可被号緇林言葉絵哉云々、尤可然之由有勅定、則被染親王御方御筆了、 |
1026 |
文明15 148309A05 実隆公記 |
清少納言枕口小絵三巻、御前にて読む。墨絵。 |
入夜清少納言枕□小絵〈三巻〉、於御前読詞、墨絵古人筆跡殊妙□物也、 |
1027 |
文明15 148309A27 実隆公記 |
枕草子絵三巻、銘を書す |
枕草子絵三巻依仰書銘、則推之、 |
1028 |
文明15 148311A24 実隆公記 |
真助法印□筆、詞は弾正尹忠房親王筆、左良志奈日記絵拝見。 |
左良志奈日記絵〈墨絵、真助法印□[妻]筆、詞弾正尹忠房親王筆〉拝見 |
1029 |
文明16 1484 常徳院殿御集 |
狩野正信作、足利義尚夢想の後京極良経の肖像に関する記事。 |
廿八日臨時会藤為松花/…右歌者。旧冬対後京極殿読和歌之時。摂政殿語云。春日山都能南志賀曾懐北濃藤浪葉流耳案辺登輪。是随分思給云々。奇特夢想也。然仰中納言入道彼御像令書写。〈狩野大炊入道〉色紙形之歌〈大納言入道〉書之畢。則於影前披講。 |
1030 |
文明16 148403A22 実隆公記 |
後京極良経の肖像の表装が遅れたため延期されていた歌会がある。 |
室町殿夢想御会可為今日之由、兼日雖有沙汰、後京極□新図之処、表背絵不出来之間延引云々、 |
1031 |
文明16 148403A28 親長卿記 |
狩野正信作、足利義尚夢想の後京極良経の肖像に関する記事。 |
申剋予参室町殿、依御会也、〈去比(二月)御夢中、後京極摂政対談和歌事、…仍御努覚、就此事、今度被新図後京極摂政影像、(烏帽子直衣、)可有和歌御会之由被仰出、〉 |
1032 |
文明16 148405A15 蔗軒日録 |
季弘大叔、由為居士筆の鍾馗像をみる。 |
由為[■]、讖喝老父、為予写鍾馗像、■勢雄力、見而■、 |
1033 |
文明16 148405A24 蔗軒日録 |
雪舟筆、三皇(教)図の記事。 |
由■居士至、自写三皇像[雲谷所画也、(雲谷ハ雪舟等楊)]、太迫其真、妙哉、求予之賛語於其上、語乃村庵[希世霊彦]所製也、 |
1034 |
文明16 148406A08 蔗軒日録 |
季弘大叔、由為描く三教合面図に題を付す。 |
題由為[■]所画三教合面云、 |
1035 |
文明16 148406A27 御湯殿上日記 |
新造の清水寺本堂へ本尊遷座。 |
きよ水□□*[新造カ]たうへ御うつりとて、ちよくしに頭弁さんかう。するするとあり。 |
1036 |
文明16 148406A27 親長卿記 |
新造の清水寺本堂へ本尊遷座。 |
今日清水寺遷座也、 |
1037 |
文明16 148406A27 大乗院日記目録 |
清水寺本堂へ本尊を奉入。 |
清水寺本尊奉入本堂、 |
1038 |
文明16 148406A27 如是院年代記 |
清水寺本堂へ観音奉入。 |
清水観音遷座于本堂。 |
1039 |
文明16 148406A28 尋尊大僧正記 |
清水寺本堂へ本尊奉入の記事。 |
昨日清水寺本尊奉入于本堂之内云々、 |
1040 |
文明16 148408A02 御湯殿上日記 |
宮中に絵解きが来る。 |
ゑときまいりてとかせらるゝ。 |
1041 |
文明16 148408A02 十輪院内府日記 |
宮中に絵解きが来る。 |
画解参入。 |
1042 |
文明16 148408A11 尋尊大僧正記 |
明恵上人自筆、自賛の栂尾御影奉入。 |
栂尾御影奉入厨子新造之了、明恵上人自筆、讃同自筆也、 |
1043 |
文明16 148409A29 蔗軒日録 |
由為、弘宗雲章像を描く。 |
由為居士写弘宗雲章禾上像而至、 |
1044 |
文明16 148411A05 実隆公記 |
天皇の命で一路遁世由来物語、滋野井物語が制作される。 |
当番之間晩頭参内、一路遁世由来之物語被図之、詞可書□□*[進上之由]一昨日被仰下之間、今日以滋野井物語之□、大概草之持参、於御前清書読之、 |
1045 |
文明16 148411A08 実隆公記 |
実隆、宮中でいはねの松という絵をみる。 |
いはねの松と云絵於御前一見、 |
1046 |
文明16 148411A10 実隆公記 |
実隆、みしま江の制作を命じられる。 |
依当番参内、みしま江と云絵詞可書進上之由也、畏奉之由申入了、 |
1047 |
文明16 148411A14 蔭涼軒日録 |
狩野正信に東福寺の九条道家像を貸し出す。 |
自西府東福寺檀越光明峯寺殿尊像遣狩野助。可被写之。然者常楽庵江自予方相副一僧於狩野助。可遣之命有之。以二階堂被仰出。 |
1048 |
文明16 148411A15 蔭涼軒日録 |
狩野正信、九条道家像を写して返却。 |
相副柏蔵主於狩野助遣常楽庵。彼尊像二幅。柏蔵主持之来。乃奉献西府。御一覧後被返之。狩野助借之以写之。 |
1049 |
文明16 148412A09 御湯殿上日記 |
延暦寺?所蔵の葦引絵をみる。 |
山よりあしひきのゑ[絵]けさんにいるゝ。 |
1050 |
文明17 148501A03 尋尊大僧正記 |
鞍馬■沙門図の記事。 |
鞍馬■沙門図絵事、可仰付大輔之由仰専親了、 |
1051 |
文明17 148501A17 実隆公記 |
実隆、源夢発心絵を清書する事を命じられる。 |
絵■[詞]〈源夢発心絵号夜嵐〉可清書進上之由被仰下之、畏□之由言上了、 |
1052 |
文明17 148501A24 尋尊大僧正記 |
鞍馬沙門図完成。 |
■沙門図絵出来、近比見事也、 |
1053 |
文明17 148501A26 実隆公記 |
実隆、源夢発心絵の清書を進上する。 |
今日源夢絵詞〈昨日終書功〉令進上禁裏了、 |
1054 |
文明17 148503A02 真如堂縁起 |
真如堂の本堂立柱。 |
同十七年三月二日本堂立柱畢。 |
1055 |
文明17 148503A16 御湯殿上日記 |
宮中で扇合わせ開催。 |
御あふきあはせあり。 |
1056 |
文明17 148503A16 親長卿記 |
宮中で扇合わせ開催。 |
今日於内裏有扇合。 |
1057 |
文明17 148504A10 蔭涼軒日録 |
義政、西指庵に移る。 |
是日未刻西指庵。 御移徒。 |
1058 |
文明17 148504A10 大乗院日記目録 |
興福寺十三重塔立柱。 |
十三重塔立柱、 |
1059 |
文明17 148504A11 興福寺略年代記 |
興福寺十三重塔立柱。 |
四月十一日興福寺十三重塔立。 |
1060 |
文明17 148507A02 蔭涼軒日録 |
肥後国清源寺が諸山の認定を希望してくる?。 |
肥後国高瀬山清源寺。可為甲刹列之望有之。 |
1061 |
文明17 148507A05 蔭涼軒日録 |
義政より清源寺甲刹の許可証を受け取る。 |
清源寺甲刹事。自鹿苑院賜一行。侍衣持来。 |
1062 |
文明17 148509A06 蔗軒日録 |
由為筆、大士蓮舟像の記事。 |
晩由為[■]居士至、写大士蓮舟之像以付之可信可珎焉、 |
1063 |
文明17 148509A20 尋尊大僧正記 |
興福寺?舍利殿扉絵の記事。絵師は 絵所大輔。 |
舍利殿戸平二枚遣絵所大輔公方、〈法相方、〉 |
1064 |
文明17 148509A24 蔗軒日録 |
能阿弥、蓮葉布袋図を描く。 |
題蓮葉布袋、能阿[真能]作之、賛南江[宗玩]、 |
1065 |
文明17 148509A30 尋尊大僧正記 |
絵師平さ衛門没の記事。 |
絵書之平さ衛門去廿五日入滅云々、 |
1066 |
文明17 148510A09 尋尊大僧正記 |
舍利殿に真言八祖、十大論師を描く。 |
舍利殿之八祖十大論師絵所〈大輔公〉、書立之、神妙、 |
1067 |
文明17 148510A11 尋尊大僧正記 |
舍利殿扉に十王図描かれる。 |
舍利殿戸平〈十王方〉遣絵所了、 |
1068 |
文明17 148510A25 尋尊大僧正記 |
舍利殿扉絵十王図完成。 |
舍利殿十王出来、 |
1069 |
文明17 148510A29 蔭涼軒日録 |
狩野正信と西指庵書院の絵を馬遠様にすべきかどうか相談。 |
召鹿埜助以 台命談絵事。鹿埜助曰。馬遠様可歟。雖然西指庵御書院埜画様馬遠也。 |
1070 |
文明17 148510A29 蔭涼軒日録 |
狩野正信に??十大弟子?一人描けたら義政にみせるようにとの命。 |
仍有 台命曰。召鹿埜助於私第。先令図一人可供台覧。 |
1071 |
文明17 148511A02 蔭涼軒日録 |
相阿弥は父の喪中。 |
相公曰。相阿在父喪。 |
1072 |
文明17 148511A03 蔭涼軒日録 |
芸阿弥没の記事。 |
又往芸阿宅弔芸阿逝去。健蔵主同相阿以面弔之。 |
1073 |
文明17 148511A12 尋尊大僧正記 |
舍利殿の真言八祖像完成。 |
舍利講真言八祖之影絵所出来之、又一方[十六善神カ]遣之、 |
1074 |
文明18 148602A13 蔗軒日録 |
讚州大守細川成之が描いた山水画についての記事。 |
■首座手道空居士[細川成之]所作之山水画一幅而至、要予題其上、道空者讃州大守也、 |
1075 |
文明18 148602A16 蔭涼軒日録 |
等持院?客殿の本尊は月潭筆の観音、脇は周文筆の松。 |
遂往等持…客殿本尊観音月潭筆。脇松文都管筆。 |
1076 |
文明18 148602A27 尋尊大僧正記 |
? |
絵所法眼口宣給之、〈長宥、宗宥、〉 |
1077 |
文明18 148603A12 蔗軒日録 |
季弘大叔、雪舟筆蔗庵像をみる。 |
今旦池永新兵衛入道、通京師覚[競]秀軒之状、附以雲谷[雪舟等楊]所図軸一幅・同保寿之書状一通、披而視之、蔗庵画得精妙、可喜々々。 |
1078 |
文明18 148603A14 蔗軒日録 |
雪舟とその弟子等悦の作品についての記事。 |
金子西手其唐人所画之自像而至、張応麒作賛、画工者王氏之人也、予出雪舟所作之蔗庵軸而示之、…寧波府南門金■家有日本等揚[楊]所画三咲図・商山四皓図、壁之左右掛之、…揚[楊]之弟子等悦[雲峰]ト云者之画、在唐裡、人皆美之云、賛云、…時丙午三月十四、竹谷道人大叔敬賛、 |
1079 |
文明18 148603A24 蔭涼軒日録 |
狩野正信が描いた十僧図を義政がみる。 |
十僧図十枚。猟野助持参。愚供 台覧。有御感也。 |
1080 |
文明18 148605A19 実隆公記 |
実隆、宮中で細川家所蔵の平家扇流図屏風をみる。 |
欲退出之処細川屏風〈平家絵扇流〉可一見之由被仰之、 |
1081 |
文明18 148605A29 蔗軒日録 |
岳翁蔵丘筆の杏林及び江山図をみる。 |
銷翁至、観杏林及江山画軸、々乃蔵丘[岳翁]所作 文[天章周文]弟子云、 |
1082 |
文明18 148607A08 蔗軒日録 |
由為、李龍眠筆の陶淵明図を写す。 |
由為[■]至云、写[李]龍眠所画之閏図[陶淵カ]明像、付人求賛張仲暘、々々揩[楷]孫也、 |
1083 |
文明18 148608A06 蔗軒日録 |
季弘大叔、雪舟弟子が描いた扇子に賛を付す。 |
忍上人所持之扇子、雲谷[雪舟等楊]弟子所画、予題五言曰、… |
1084 |
文明18 148608A15 小浜長源寺蔵位牌 |
丹没。 |
丹 文明十八年八月十五日 |
1085 |
文明18 148608A22 蔗軒日録 |
季弘大叔、由為が描いた羅漢図をみる。 |
由為[■]居士、為長讖写第十三[五]阿私[氏]多尊者像、持而至、精妙也、 |
1086 |
文明18 148608A24 親長卿記 |
土一揆の記事。 |
土一揆出張、 |
1087 |
文明18 148608A24 十輪院内府日記 |
星光縁起絵巻の記事。 |
自[林小路]基綱卿許、送星光寺〈ヤ子フキ〉縁記[起]、 |
1088 |
文明18 148609A10 親長卿記 |
土一揆は龍頭寺に始まる?との記事。 |
伝聞、土一揆出頭篭東寺云々、 |
1089 |
文明18 148609A13 実隆公記 |
東寺で火事。 |
午後有火事、東寺云々、 |
1090 |
文明18 148609A13 親長卿記 |
細川氏の軍によって 土一揆鎮圧される。 |
今日被払土一揆、細川軍勢相向、仍聞其気勢放火寺中、仍自寺家追出一揆、少々打取云々、寺家焼亡、大師已来仏在所忽成亡所、…鎮守八幡同焼失云々、 |
1091 |
文明18 148609A13 十輪院内府日記 |
東寺で火事。 |
当巽方有火、東寺本堂・廻廊・南大門・鎮守八幡等一時之内成灰■[燼]了、 |
1092 |
文明18 148609A13 大乗院日記目録 |
東寺で火事。 |
昼東寺悉以炎上了、塔相残、…金堂并廻廊・中門・南大門・八幡社・鐘楼・経蔵・講堂分也、五重塔・■頂堂・食堂以下相残、本尊悉焼了、五大尊計取出、八幡神体同、 |
1093 |
文明18 148609A13 如是院年代記 |
東寺で火事。徳政一揆による。 |
東寺炎上。徳政一揆自火自滅。 |
1094 |
文明18 148609A14 ? |
東寺で火事。 |
京都馬借以外也、東寺ニ相篭責之間東寺炎上、昨日日中より事也、五重大塔計相残、南大門同焼失了、 |
1095 |
文明18 148609A14 蔗軒日録 |
季弘大叔、由為が描いた文殊竹杖図をみる。 |
由為[■]居士手其所写之文殊竹杖像、付与于長讖、精妙也、 |
1096 |
文明18 148609A17 蔗軒日録 |
東寺で火事の記事。 |
大仙至、告曰、三五日以前、京師東寺回禄之災矣、…終日戦、堂宇作焦土、大塔・食堂不燼、 |
1097 |
文明18 148610A18 蔗軒日録 |
由為が馬遠筆の原画を小栗宗湛が写した南泉斬猫図をさらに写す。 |
由為[■]写南泉[普願]斬猫児之像、馬[遠カ]之所画、[小栗]宗坦[丹]写之、今由為[■]三写、予以為、此等可模写焉歟、 |
1098 |
文明18 148610A25 実隆公記 |
伏見寺般若三昧院上棟。 |
仰今日伏見寺御寺〈般舟三昧院〉、上棟云々、 |
1099 |
文明18 148611A06 蔭涼軒日録 |
狩野正信が亀泉集証の紙形を描く。 |
狩野大炊助来斎之。仍写愚陋質。先也所写太不相似。故又写之者十五六枚。遂不相似。及■后帰矣。 |
1100 |
文明18 148612A10 大乗院日記目録 |
伊勢神宮外宮焼失。 |
大神宮下宮悉以炎上、人多以自害了、 |
1101 |
文明18 148612A13 実隆公記 |
表紙は以量朝臣の絵、裏紙は宸筆の法華経絵の記事。。 |
自禁裏小軸法花経被返□、表紙以量朝臣施画図、裏紙被染宸筆、 |
1102 |
長享1 1487 如是院年代記 |
伊勢神宮外宮で火事。 |
伊勢外宮回禄。 |
1103 |
文明19 148701A 大乗院日記目録 |
伊勢神宮外宮焼失の記事。 |
去月十日、伊勢外宮悉以焼失、山田土民打死、 |
1104 |
文明19 148701A02 親長卿記 |
出雲大社で火事の記事。 |
或人云、出雲大社去年九月二日焼失云々、 |
1105 |
文明19 148701A02 親長卿記 |
伊勢神宮外宮焼失。 |
今日聞、伊勢外宮正殿焼失云々、子細可尋、 |
1106 |
文明19 148701A04 蔭涼軒日録 |
伊勢粟田で火事の記事。 |
坂東来云。伊勢粟田地下人。与国司衆有軍旅事。…粟田宿不遣一宇為焦土。自去月廿日至廿ニ日三日焼了云々。 |
1107 |
長享1 148702A15 尋尊大僧正記 |
元興寺の塔の一部が崩落する。 |
昨日元興寺塔二重目辰巳角崩落了、 |
1108 |
長享1 148702A15 大乗院日記目録 |
元興寺の塔の一部が崩落する。 |
今日元興寺塔二重目ノ辰巳角崩落、三月初加修理如元、 |
1109 |
長享1 148702A15 蔭涼軒日録 |
狩野正信筆の涅槃像を東求堂に掛ける。 |
東求堂新涅槃像。自十三日見掛野。…狩野大炊助筆之。 |
1110 |
長享1 148703A17 尋尊大僧正記 |
元興寺の塔の一部が崩落した記事。 |
元興寺塔二重目之辰巳角、去月崩落、近日古市申付云々、番匠勧進之加修理、 |
1111 |
長享1 148705A01 実隆公記 |
実隆、一遍□□絵をみる。 |
江南院来、一遍□□絵見之、 |
1112 |
長享1 148706A03 尋尊大僧正記 |
芸絵巻?についての記事。 |
柚留木民部卿公憲芸巻絵[絵巻]催促之、既以進上之由仰了、 |
1113 |
長享1 148707A08 蔭涼軒日録 |
狩野正信、将軍家位牌に金泥を施す。 |
御水向御位牌。先三ヶ剔出。乃為入泥。狩野助方江以昌子遣之。 |
1114 |
長享1 148707A12 蔭涼軒日録 |
狩野正信が、位牌に金泥を入れて持参する。 |
晩来自狩野大炊助宅。御位牌ハ箇入金泥以贈之。 |
1115 |
長享1 148707A13 蔭涼軒日録 |
将軍家の位牌八個を鹿苑院へ戻す。 |
御先祖御位牌八ヶ。以琳公供 台覧。皆契 台慮。…御位牌以能倫直遣鹿苑院。 |
1116 |
長享1 148708A11 蔭涼軒日録 |
季弘大叔没。 |
叔季弘今月七日遷化可怜。六十六歳。 |
1117 |
長享1 148709A10 尋尊大僧正記 |
長谷寺縁起絵巻三巻が室町殿より返却される。 |
長谷寺縁起絵三巻自室町殿被返下之 |
1118 |
長享1 148709A25 長享年後畿内兵乱記 |
東寺で火事。 |
同廿五日東寺火。 |
1119 |
長享1 148709A27 親長卿記 |
昨夏新調の霊山国阿上人縁起絵を進上する。 |
霊山国阿上人縁起絵〈去夏比新調、旧/本紛失云々、〉可有叡覧、可申遣了、即到来、〈十一巻、納筥、〉進上御御書了、 |
1120 |
長享1 148710A24 尋尊大僧正記 |
絵師法眼に赤童子図の制作を命じる。 |
赤童子図絵事、仰付絵師助法眼了、 |
1121 |
長享1 148711A02 後法興院記 |
東山殿会所へ移る日程の通知がくる。 |
自勧修寺亜相許示送云、来四日東山殿御会所御移徒也、六日可有御礼云々、 |
1122 |
長享1 148711A02 蔭涼軒日録 |
東山殿会所へ移る日程の通知がくる。 |
会所御移徒。六日■之御礼有之者。禅家御相伴衆亦可参也。 |
1123 |
長享1 148711A03 十輪院内府記 |
東山殿会所へ移る日程の通知がくる。 |
人於伝奏[勧修寺教秀]明日東山殿御移徒也、可参賀云々、 |
1124 |
長享1 148711A04 御湯殿上日記 |
東山殿の会所へ義政が移ったお礼の使者がくる。 |
ひんかし山との御くわい所の御わたましの御れいに。しろ殿たちてんそう御つかひにてまいる。 |
1125 |
長享1 148711A04 尋尊大僧正記 |
東山殿会所新造の記事。 |
自難波方注進状共到来、東山殿新造御会所御屋渡云々、御礼共在之云々、 |
1126 |
長享1 148711A19 実隆公記 |
春日社正遷宮。 |
□□*正■宮云々、 |
1127 |
長享1 148711A19 親長卿記 |
春日社正遷宮。 |
今日春日社正遷宮云々、 |
1128 |
長享1 148711A19 尋尊大僧正記 |
春日社正遷宮。 |
今夜上遷宮、勅使南曹左大弁光忠、毎事無為珍重々々、若宮殿ハ後夜時分奉遷之、小社共其後遷之云々、 |
1129 |
長享1 148712A23 尋尊大僧正記 |
天川弁才天図の制作を松南院大輔に命じる |
天川弁才天図絵事、仰付松南院大輔公、代二貫文云々、十五童子等有之、 |
1130 |
長享2 148801A27 尋尊大僧正記 |
東北院で西薗寺之験記絵巻を拝見する。 |
昨日内々東北院ニ申、西薗寺之験記絵二十巻拝見申云々、 |
1131 |
長享2 148802A02 尋尊大僧正記 |
天川弁才天図完成。 |
天川弁才天図絵之今日出来、小南院大輔公筆也、 |
1132 |
長享2 148803A11 蔭涼軒日録 |
西芳寺に以前あった周文筆鯉間と無等周位筆の鯉図四幅について。 |
茶話云。昔於西芳寺有鯉間。文都官壁画鯉也。又伊侍者所筆鯉四幅在之。乱中失卻。近日彼鯉両幅自出羽国到来。 |
1133 |
長享2 148805A08 蔭涼軒日録 |
相阿弥と狩野正信が牧谿の観音図をはじめ中国画の表装?について相談する。 |
心月西堂。相阿。狩野大炊助斎之。…大唐御誂者之事相議。金襴画様五色。皆桐紋。獅子之紋亦有之。牧溪墨観音。此脇四幅見求之。月溪官女画。二幅之本尊見求之。牧溪赤■白■二幅之本尊見求之。 |
1134 |
長享2 148805A11 蔭涼軒日録 |
狩野正信に土地祖師と亀泉集証私物の一山一寧の碑?に金泥を施すことを依頼する。 |
斎前弥次郎土地祖師之御位牌剔了持之来。愚一見而命之。改字之点画。午後出来。以昌子贈狩野大炊助宅命泥之事。又一山国師書之剔之。又贈助宅云。此是愚私物也。入泥給之為幸。 |
1135 |
長享2 148805A18 御湯殿上日記 |
土佐広周、地藏を描く。 |
女ゐんの御方の御たけうつされてをかれしに、地さと[う]をとう[さカ]のたむしやう[土佐広周]にかゝせらるゝ。 |
1136 |
長享2 148806A17 御湯殿上日記 |
土佐広周筆の地藏図完成。 |
女ゐんの御かたの御たけうつしおかれしにての御ちさういてきて、あすの御きやうくようの御たうし[法輪院公範]にくやうさせらるゝ、 |
1137 |
長享2 148806A26 蔭涼軒日録 |
希世霊彦没。 |
四鼓刻彦希聖遷化。 |
1138 |
長享2 148806A26 鹿苑日録 |
希世霊彦没。 |
長享貳年戊申六月廿六日。聴松庵希世彦和尚入滅。〈八十六歳。〉 |
1139 |
長享2 148807A05 尋尊大僧正記 |
絵所助法眼筆の赤童子図完成。 |
絵所助法眼赤童子絵図仰付之、今日書出、代百疋、 |
1140 |
長享2 148808A10 尋尊大僧正記 |
玄奘三藏絵巻を叡覧のため京都に運ぶ。 |
玄奘三藏絵京上、…自禁裏被仰出之、勅書在之、 |
1141 |
長享2 148808A13 実隆公記 |
高階隆兼筆の玄奘三藏絵巻を叡覧。 |
玄奘三藏三蔵絵〈隆兼筆、南都大乗院絵、/…都合十二巻在之、〉可令拝見之由勅定、詞読申之、 |
1142 |
長享2 148808A15 御湯殿上日記 |
玄奘三藏絵巻を叡覧。 |
けんさうのゑかくしつかはさるゝ。 |
1143 |
長享2 148808A16 御湯殿上日記 |
聖徳太子像叡覧。 |
あんせん寺殿よりたいしの御ゑまいる。 |
1144 |
長享2 148808A20 尋尊大僧正記 |
玄奘三藏絵巻が返却される。 |
去十日依召進上玄奘三藏絵今日被返下了、 |
1145 |
長享2 148809A03 実隆公記 |
実隆、延朗上人絵を朗読する。 |
入夜依召参御前、延朗上人絵〈六巻、但三巻乱裏紛失、今只三巻也、一三六也、〉読申之、 |
1146 |
長享2 148809A16 親長卿記 |
宮中に賢聖障子をたてること。 |
早旦行事官氏興来、賢聖障子今日可立申、仍申勧修寺大納言処、就明日節会之儀有取乱事、…予令参仕可見計之由被申云々、仍着直衣参内、兼□□*障子押入許也、通障子沙汰終之後退出、 |
1147 |
長享2 148810A08 尋尊大僧正記 |
龍花院の瓦を葺くために西方院の鎚を使う。 |
龍花院門上葺き瓦用西方院山土所望云々、此間停止也、雖然許可了、但瓦ニハよくも無之由仰遣之、 |
1148 |
長享2 148812A15 実隆公記 |
土佐光信、日野富子注文の盃の図柄について実隆に相談する。 |
海阿来、対面之処、来十九日御台御方渡御江州御陣、御盃台被仰付之処、画師申趣不叶上意、所詮土佐将監令同道於予所、可然之様申談可沙汰進上之由仰也云々、…将又土佐将監以折帋同御盃台事有相談子細、 |
1149 |
長享2 148812A28 尋尊大僧正記 |
大輔に吉野曼陀羅の制作を命じる。 |
大輔吉野万タラ事仰付之、 |
1150 |
延徳1 1489 般舟三昧院記 |
土佐光信筆、後土御門天皇の寿像の記事。 |
伏見般舟三昧院は後土御門院御草創なり。…然則後土御門院継体の君として位をつぎ給へり。…御齢四十八の年。鸞鏡にむかはせ給ひて御手づから龍顔を模写せられ。画所預光信に仰られて尊形をうつさしめ。御製の和歌一篇を題せられ。この院にのこされけり。 |
1151 |
延徳1 148902A21 耕作養蚕図巻模本奧書 |
相阿弥、梁楷筆の耕作養蚕図を写したことを記す奧書。 |
此畊織両巻以梁楷正筆 絵具筆無相違写物也家中不出可秘々々/延徳元年二月■一日 鑑岳真相 |
1152 |
延徳1 148902A28 尋尊大僧正記 |
吉野曼陀羅完成。 |
吉野万■ラ図絵出来、小南院大輔筆也、 |
1153 |
延徳1 148904A08 蔭涼軒日録 |
狩野正信、?像を持参する。 |
晩来狩野大炊助持御影来。愚云。明日入輿可度等持云々。 |
1154 |
延徳1 148905A04 蔭涼軒日録 |
狩野正信が足利義尚の出陣姿の下絵を持参する。赤松政則の発注。 |
狩野大炊助持常徳院殿御出陣之像下絵来。…約政則公之所請画像之事。今月中可出来云々。 |
1155 |
延徳1 148905A06 御湯殿上日記 |
十三部の懸絵叡覧。 |
二そん院より十三部のかけゑ[十くわん]まいりて御おかみあり。 |
1156 |
延徳1 148905A07 実隆公記 |
実隆、宮中にて土佐行光筆の十王図をみる。 |
於黒戸十王図拝見、〈十補(鋪)、懸絵也、〉筆跡殊勝〈春日絵所行光、百四五十年以前者云々〉驚目者也、 |
1157 |
延徳1 148905A28 蔭涼軒日録 |
狩野正信に崇寿桃源の紙形制作を命じる。 |
依崇寿桃源不例。可写帋形之由自景徐翁有命。乃遣昌子於狩野助宅。必可参云々。薄晩助来云。写桃源紙形。 |
1158 |
延徳1 148905A29 蔭涼軒日録 |
播磨国安国寺で火事のため公帖が叶わず、摂津国善住寺の入寺を望む。 |
永明之観清来云。先也東英首座。播之安国寺公帖事雖望之。此十日以前彼安国罹欝悠不残一宇。以故不可入寺之儀叶。摂津国善住寺公帖事。可有白沙汰宇。書立持之来。 |
1159 |
延徳1 148905A29 半陶藁 |
雪舟筆の四景間に関する記事。 |
四景間 一景一幅、楊知客筆 |
1160 |
延徳1 148907A04 蔭涼軒日録 |
足利義尚御影完成。 |
赤松所誂常徳院殿画像。自狩野助方来。 |
1161 |
延徳1 148909A09 蔭涼軒日録 |
夏珪様の瀑布図をみる。 |
月船坊上洛持軸画来恵之。蓋瀑布也。夏珪様也。画本在公方云々。 |
1162 |
延徳1 148911A12 蔭涼軒日録 |
越前国善応寺が諸山に列されたことに関する書状。 |
堀曰。此書立者重可白。先已前奉之越前善応寺諸山列事。可白之。乃披露。無子細御免之由有御返答。…状云。/善応寺諸山之事今日披露申処無子細御免之由被仰出候即其分鹿苑院江申遣候定可為御祝著候此由可得御意候恐惺敬白/十一月十二日 名判/洞春院侍衣禅師 |
1163 |
延徳1 148912A12 実隆公記 |
実隆、細川氏新調の源氏扇流図屏風をみる。 |
仰源氏扇流画屏〈細川讃岐守新調物〉、拝見、絶代之壮観、驚目者也、 |
1164 |
延徳1 148912A23 御湯殿上日記 |
後土御門天皇寿像、般若三昧院で供養。 |
御しゆそう[寿像]のくやうに。ふしみの御寺にてまんたらくあり。 |
1165 |
延徳1 148912A23 実隆公記 |
後土御門天皇寿像、般若三昧院で供養。 |
今日於城南般舟院有曼■羅、…是御寿像供養云々、 |
1166 |
延徳2 1490 雪舟自画像模本賛 |
雪舟、自画像を秋月に与えた。 |
自筆写寿像、付与等観蔵主、四明天童第一座雪舟七十一歳之冬、徳力善雪模自画像 雪舟七十一歳自筆之以寿像 善雪写之、 |
1167 |
延徳2 1490 梅花無尽蔵 |
雪舟筆画貼付屏風の跋。 |
屏風雪舟揚[等楊]公所画跋/…及今延徳庚戌、凡一百三十余歳也、本邦有楊公知賓者、号雪舟、…今屏上所貼之小画、十有二片、遷[廼]雪舟東遊在岐陽之霊薬山[正弦寺]、応小蓬莱旧知之需所描、… |
1168 |
延徳2 149001A08 御湯殿上日記 |
天皇夢想の毘沙門、大黒を土佐光信が描く。 |
御ゆめにより、ひさもん。たいこく。とさのしやうけんにおほせつけられてかゝせらるゝ。 |
1169 |
延徳2 149001A11 蔭涼軒日録 |
狩野元信が義政法体像の紙形を持参する。 |
時狩野大炊助持相公御法体之帋形七八枚来。与堀河殿見之択其似者一番置之。 |
1170 |
延徳2 149002A23 蔭涼軒日録 |
東府とする寺の選定をめぐる記事。 |
大館礼部云。東府事可為御寺。 |
1171 |
延徳2 149002A24 蔭涼軒日録 |
義政、法体像の画家を尋ねる。 |
相公問曰。…御法体御影誰取写。云。狩野助所筆也。 |
1172 |
延徳2 149002A24 蔭涼軒日録 |
義政の命で慈照院が東府となる。 |
相公曰。東府為慈照院。 |
1173 |
延徳2 149003A10 蔭涼軒日録 |
等持寺仏殿立柱。 |
今日等持寺仏殿立柱上棟也。 |
1174 |
延徳2 149003A21 実隆公記 |
北野社に篭もっていた一揆勢鎮圧のため北野社焼失。 |
仰今日諸軍勢発向、北野土一揆敗北之間、彼社壇以下悉化灰燼、〈未刻計也、〉経蔵、一夜松、両門等相遣、 |
1175 |
延徳2 149003A21 御湯殿上日記 |
北野社にこもっていた一揆勢の争乱。 |
八の時分に北野ゑんしやうのよしきこゆる。おどろきおほしめす。この程こもる物とものわさなり。 |
1176 |
延徳2 149003A21 蔭涼軒日録 |
北野社に一揆勢が篭もり炎上。 |
時諸家衆為払土一揆囲北野■。…一揆衆不叶而焼社頭。 |
1177 |
延徳2 149003A21 北野社家日記 |
北野社に一揆勢が篭もり炎上。 |
安富勢申剋東門打詰扉落、令乱入合戦在之間、則一揆等拝殿ニ奉放火間炎上云々、 |
1178 |
延徳2 149003A21 大乗院日記目録 |
北野社に一揆勢が篭もり炎上。 |
北野社悉焼失、土民閇篭之故也、 |
1179 |
延徳2 149003A21 如是院年代記 |
北野社に一揆勢が篭もり炎上。 |
北野神■炎上。土一揆自火自滅。 |
1180 |
延徳2 149003A22 蔭涼軒日録 |
北野社に一揆勢が篭もり炎上。 |
話云。社頭悉焼失。経蔵許残。神体者在松梅院。 |
1181 |
延徳2 149004A18 実隆公記 |
実隆、後小松天皇あるいは称光天皇宸筆の御八講屏風を宮中で拝見。 |
応永[禁中]宸筆御八講屏風画図尤妙也、自山上被召寄之云々、於黒戸拝見、 |
1182 |
延徳2 149005A02 蔭涼軒日録 |
土佐?、亀泉集証?の紙形を描く。 |
午後自小補有使云。土佐右京亮来造帋形。可同途中否。又可有来臨否。返答云。乃可謁。々小補面右京。写帋形二枚。 |
1183 |
延徳2 149005A18 蔭涼軒日録 |
小河御所取り壊される。 |
此日小河御所俄被毀之。 |
1184 |
延徳2 149005A18 実隆公記 |
小河御所取り壊し。 |
今日小河御亭被破却云々。 |
1185 |
延徳2 149005A21 蔭涼軒日録 |
等持寺仏殿立柱。 |
今晨等持寺仏殿立柱諷経。 |
1186 |
延徳2 149006A27 蔭涼軒日録 |
?邸の障子絵の制作開始。 |
北房自今晨四宮方。私宅障子画始之。 |
1187 |
延徳2 149007A03 尋尊大僧正記 |
■勝曼陀羅戴制作を大輔二命じる。 |
■勝万■ラ図絵事、召大輔法橋仰付之、 |
1188 |
延徳2 149007A04 実隆公記 |
実隆、宮中で貞治年間の中殿御会屏風をみる。 |
其後依召参議定所、屏風可拝見之由也、貞治中殿宴屏風也、詩哥為重卿筆歟、 |
1189 |
延徳2 149007A19 御湯殿上日記 |
春日験記絵巻届く。 |
てそうにておほせらるゝ。春日の御ゑとうふく院よりとてまいる。 |
1190 |
延徳2 149007A20 御湯殿上日記 |
春日験記絵巻叡覧。? |
昨日の御ゑ御はゐの御すへくろとにて御らんせらるゝ。 |
1191 |
延徳2 149007A21 実隆公記 |
実隆、宮中で春日験記絵巻拝見の予定。 |
明日春日霊験絵〈在春日社〉、可拝見之、自今夜始神事、可祇候之由昨日勅語也、仍存其旨者也、 |
1192 |
延徳2 149007A22 御湯殿上日記 |
春日験記絵巻叡覧。 |
春日のゑんき御らんせらるゝ。ないない。… |
1193 |
延徳2 149007A22 実隆公記 |
実隆、春日験記の詞を朗読。 |
於黒戸件絵詞読申之、 |
1194 |
延徳2 149007A25 実隆公記 |
実隆、春日験記絵巻の写本を賜る。 |
春日霊験絵詞〈自西園寺進上云々、〉写本加一見可直進上之由被仰下之間、賜之退出、 |
1195 |
延徳2 149007A26 実隆公記 |
春日験記絵巻を勧修寺?が拝見する。写本の校合ほぼ完了。 |
春日霊験絵今日被出勧修寺拝見之由聞及之間、青女令神事罷向、…昨日写本大概校合了、 |
1196 |
延徳2 149008A06 御湯殿上日記 |
たけだ法印が諏訪?の絵を見参に入れる。 |
たけたほうゐんすわの御ゑけさむにいるゝ。すはもたせてまいる。 |
1197 |
延徳2 149008A29 蔭涼軒日録 |
等持寺仏殿完成。 |
等持寺仏殿再造成其功。 |
1198 |
延徳2 149008U17 実隆公記 |
実隆、宮中で長谷寺縁起絵巻、高陽院行幸競馬絵巻等の詞を朗読する。 |
入夜参内、長谷寺縁起、高陽院行幸競馬絵等詞於常御所庇読申之、 |
1199 |
延徳2 149008U17 御湯殿上日記 |
長谷寺縁起絵巻の詞、朗読のこと。 |
はつせの御ゑのこと葉侍従大納言よみまいらせらるゝ。 |
1200 |
延徳2 149008U18 蔭涼軒日録 |
相阿弥、馬公権筆の鉄拐図を持参し、自筆の貼画屏風の賛を請う。 |
午後相阿持鉄拐像来。馬公権筆。…今午相阿屏風貼画之賛之事請之。 |
1201 |
延徳2 149009A23 実隆公記 |
実隆、壬生地藏縁起絵巻をみる。 |
壬生地藏縁起絵〈宝幢金剛三昧院〉貳巻〈未猶在之云々〉披見、 |
1202 |
延徳2 149009A28 尋尊大僧正記 |
大輔に祖師像を部分的に描き直させる、補筆? |
絵師大輔法眼召之、祖師之内聖徳太子大略書継之、■州大師座具以下書継之、恵潅僧正以下ハシハシ*書加之、 |
1203 |
延徳2 149010A24 興福寺略年代記 |
般若寺で火事。 |
十月廿四日夜般若寺炎上。長老坊ヨリ出火云々。文殊堂地藏堂釈迦堂鐘楼堂僧堂本尊悉焼了。 |
1204 |
延徳2 149010A24 大乗院日記目録 |
般若寺で火事。 |
夜般若寺自長老坊火出之、僧坊・地藏堂・文殊堂以下悉以焼失了、 |
1205 |
延徳2 149011A08 実隆公記 |
般若寺で火事。 |
仰般若寺文殊去月廿四日回禄、凡如天火云々、 |
1206 |
延徳2 149012A28 実隆公記 |
実隆、りょうたくが描いた不動明王像に賛をする。 |
(端裏書)「仰 延徳二、十二、廿八」/文のやうひろうして候、れうたくふとうかきてまいらせ候、よろこひおほしめし候、ことにおほしめし候よりもなをよくいてき候て、御ひさう候へく候、とてもの事にさんをかきて、名をくハへ候てまいらせ候やうにおほせられ候へく候 |
1207 |
延徳3 149102A08 実隆公記 |
実隆、宮中で窪田筆の三壇の本尊六臂如意輪観音像をみる。 |
入夜依召参黒戸、三壇御本尊代始山門無沙汰 于今無新図、仍今度被新図、〈画師窪田云々、〉可拝見之由也、六臂如意輪像也、 |
1208 |
延徳3 149102A08 御湯殿上日記 |
三壇の本尊を窪田にかかせる。 |
三たんのほんそんくほう[た]にかゝせられてまいる。 |
1209 |
延徳3 149103A21 北野社家日記 |
東寺立柱。 |
今日東寺立柱在之云々、 |
1210 |
延徳3 149103A24 実隆公記 |
実隆、宗祇庵で原本は藤原信実筆で土佐光信筆の柿本人麿像をみる。 |
早朝向宗祇庵、是兼日招引也、人丸像新図〈土佐刑部少輔光信書之、本信実真跡也、…〉供養卅首哥講之、 |
1211 |
延徳3 149104A08 御湯殿上日記 |
因幡堂縁起絵巻の記事。 |
宮の御かたいなはたうのゑんきあそはす。 |
1212 |
延徳3 149105A14 実隆公記 |
実隆、因幡堂縁起絵巻をみる。 |
因幡堂縁起絵〈古物也〉、帥卿借送之、拝見殊勝々々、 |
1213 |
延徳3 149105A27 御湯殿上日記 |
因幡堂縁起絵巻が宮中に運ばれる。 |
いなはたうのゑんきあんせん寺殿よりまいる。 |
1214 |
延徳3 149106A03 蔭涼軒日録 |
小栗宗継、松泉軒の障子絵を孫君沢様で描き始める。 |
北房自今晨松泉軒客殿障子下画画之。君沢様也。 |
1215 |
延徳3 149106A03 蔭涼軒日録 |
興彦龍易没の記事。 |
或人云。今日巳刻興彦龍易簀。未識其実。 |
1216 |
延徳3 149106A08 実隆公記 |
周興蔵主没の記事。 |
相国寺周興蔵主去三日歟入滅云々、 |
1217 |
延徳3 149106A09 尋尊大僧正記 |
大輔筆の阿弥陀如来像完成。 |
去三月六日より松南院大輔法眼ニ仰付処之阿ミタ仏今日出来、皆金色〈細金〉、 |
1218 |
延徳3 149106A09 蔭涼軒日録 |
狩野正信筆、游初軒の座敷絵の記事。 |
游初軒座敷画狩野法橋所筆一見之。 |
1219 |
延徳3 149106A26 実隆公記 |
足利義材が牧谿筆の寒山拾得、猿図を献上する。 |
卿室町殿御参内始也、…牧溪絵〈三幅、本尊寒山十徳、脇猿猴、(帋絵也、)被居盆、七献被進之歟、〉等也云々、 |
1220 |
延徳3 149106A29 蔭涼軒日録 |
小栗宗継、客殿の障子絵を完成。 |
北房今日訖客殿七間半之画功。 |
1221 |
延徳3 149107A08 蔭涼軒日録 |
小栗宗継、松泉軒書院の障子絵瀟湘八景図を描き始める。 |
北房画障子八景也。自今日始之。 |
1222 |
延徳3 149107A21 蔭涼軒日録 |
小栗宗継筆、瀟湘八景図完成。夏珪様。 |
松泉軒書院障子八景画。今日畢其功。夏珪様真本也。 |
1223 |
延徳3 149107A26 蔭涼軒日録 |
小栗宗継、松泉軒書院の障子絵琴碁図を描き始める。 |
北房画書院障子。自今日始之。琴碁書画也。 |
1224 |
延徳3 149107A26 尋尊大僧正記 |
唐招提寺の東征伝絵巻が京に運ばれる。 |
招題[提]寺東征伝絵五巻京都ニ被上之、中御門奉行、昨日京上、 |
1225 |
延徳3 149107A28 尋尊大僧正記 |
木津地藏縁起絵巻が到来する。 |
木津地藏縁起絵三巻到来、自慈恩院、 |
1226 |
延徳3 149108A03 蔭涼軒日録 |
小栗宗継筆、琴碁図完成。 |
琴碁書画訖功。 |
1227 |
延徳3 149108A10 尋尊大僧正記 |
東大寺の執金剛神縁起絵巻、狛地藏絵巻が宮中へ運ばれる。 |
東大寺執金剛神縁三巻、狛地藏絵三巻今日京上、被進禁裏、 |
1228 |
延徳3 149108A10 蔭涼軒日録 |
周文筆花鳥図屏風を玉澗軒より借りる。 |
遣昌子於玉澗軒。文都官所筆花鳥屏風暫借。 |
1229 |
延徳3 149108A11 蔭涼軒日録 |
小栗宗継、松泉御所間の障子絵花鳥図を描き始める。 |
松泉御所間障子花鳥画北房筆之。自今晨始之。 |
1230 |
延徳3 149108A11 実隆公記? |
実隆、東大寺の執金剛神縁起絵巻、狛地藏絵巻戴詞を拝読する。 |
入夜於議定所東大寺執金剛神絵〈二巻〉、石地藏絵〈一巻〉、詞読申之、 |
1231 |
延徳3 149108A27 御湯殿上日記 |
巨勢かたおか筆ということか、前にでてきた絵巻のどれかを返却する。 |
かたおかのゑ返しつかはさるゝ。 |
1232 |
延徳3 149109A01 実隆公記 |
宮中より三十日絵巻をかり出す。 |
自禁裏墨絵二巻〈卅日絵也〉、被借下之、 |
1233 |
延徳3 149109A12 蔭涼軒日録 |
窪田藤兵衛筆、扇面の記事。 |
窪田藤兵衛持扇子一本来。 |
1234 |
延徳3 149109A13 蔭涼軒日録 |
亀泉集証の帋形を窪田藤兵衛が描く。 |
晩来窪田写予帋形者両三枚。 |
1235 |
延徳3 149109A14 蔭涼軒日録 |
窪田筆の亀泉集証の帋形を小栗宗継がみる。 |
斎前窪田写予帋形。北房加意見。 |
1236 |
延徳3 149109A27 蔭涼軒日録 |
窪田藤兵衛が亀泉集証像の下絵を持参する。 |
窪田藤兵衛尉。予労陋質書下画持来。…窪田写予陋質者両三。 |
1237 |
延徳3 149110A 大乗院日記目録 |
当麻新曼陀羅を宮中に召し上げた記事。 |
十月、当麻新万■ラ、依勅京上、〈建保三年六月廿三日書立之云々、〉 |
1238 |
延徳3 149110A05 蔭涼軒日録 |
窪田藤兵衛筆の竹生島図扇面の記事。 |
予面之与画扇一柄。窪田藤兵衛先也所贈之扇子也。画竹浮鳥也。 |
1239 |
延徳3 149110A08 御湯殿上日記 |
当麻新曼陀羅が宮中に運ばれる。 |
たいまのしんまんたらまいる。 |
1240 |
延徳3 149110A09 尋尊大僧正記 |
当麻新曼陀羅召し上げた記事。 |
当麻新万タラ為勅被召上之、昨日京上云々、 |
1241 |
延徳3 149110A09 後法興院記 |
当麻新曼陀羅を明日宮中で拝見する予定。 |
自勧修寺以折紙申送云、明日御会次当麻新曼陀羅可有御拝見歟、然者被致御精進可御参内之由仰出云々、 |
1242 |
延徳3 149110A10 御湯殿上日記 |
当麻新曼陀羅を清涼殿にかけて諸人拝見する。 |
まんたら御をかみともあり。 |
1243 |
延徳3 149110A10 実隆公記 |
当麻新曼陀羅を拝見。度間法眼の筆。 |
先当麻新曼陀羅〈度間法眼筆云々〉、雖不出之物依勅定進之、被懸清涼殿庇〈昼御座前〉、諸人拝見、昨日可参入之由被仰下、仍拝見戴、 |
1244 |
延徳3 149110A10 後法興院記 |
当麻新曼陀羅を拝見。度間法眼の筆。 |
御会以前令拝見曼陀羅、度間筆云々、 |
1245 |
延徳3 149110A11 御湯殿上日記 |
当麻新曼陀羅を青蓮院殿画拝見? |
まんたらいまた御入ありて。しやうれん院殿御くわとうにて御おかみあり。 |
1246 |
延徳3 149110A12 御湯殿上日記 |
当麻新曼陀羅を返却する。 |
まんたら返しつかはさるゝ。 |
1247 |
延徳3 149110A13 後法興院記 |
当麻新曼陀羅は足利義材?拝見のため鷹司亭?邸?へ運ばれる。 |
当麻新曼陀羅鷹司亭に被申出云々、右府為拝見向彼亭、 |
1248 |
延徳3 149110A18 尋尊大僧正記 |
当麻新曼陀羅についての記事。 |
当麻新万■羅自一乗院殿給之、開見了、縁起絵二福[幅]并一寺之縁起、万タラノ縁起後五大院殿筆一巻在之、当寺号万法蔵院、又号禅林寺、本万タラノウツシ也、号新万■ラ、… 今度自禁裏依仰京上了、則被返下之次也、 |
1249 |
延徳3 149110A24 蔭涼軒日録 |
小栗宗継が持参した売物の牧谿筆江山図の賛を写す。 |
晩来来九峯北房来。有商人売画軸。自牧翁所筆之江山画也。二老与予三人写其讃詩。返軸。 |
1250 |
延徳3 149111A02 蔭涼軒日録 |
小栗宗継に座敷画の折帋を贈る。 |
調二千疋折帋贈北房。蓋謝座敷画也。 |
1251 |
延徳3 149112A27 尋尊大僧正記 |
大輔筆、十三仏図についての記事。 |
十三仏大輔法眼書出之、 |
1252 |
明応1 1492 島隠漁唱 |
秋月等観、故郷薩摩へ帰る。 |
秋月緇郎。薩之産。而遊芸于中州。年既久矣。専師雲谷翁。画工究其妙焉。壬子之秋。錦旋以為栄。 |
1253 |
明応1 149201A21 親長卿記 |
土佐広周が昇級を願う。 |
今日以勾当内侍仰云、絵所土佐弾正去々年申一級、去年又申間、被仰早速之由之処、当年又望申、彼等事、一向沙汰外歟如何、予申云、余早速歟、羽林府役四ヶ年、或六ヶ年野間、於彼等余不可然之由申了、 |
1254 |
明応1 149201A23 御湯殿上日記 |
三壇の本尊を窪田が描く。 |
三たんの御ほそんくほたかきいたしてまいる。 |
1255 |
明応1 149202A27 蔭涼軒日録 |
書写山円教寺で火事。 |
四郎話云。今月 書写本堂炎上。其外房々五六ヶ所為焦地。 |
1256 |
明応1 149203A20 蔭涼軒日録 |
窪田筆の亀泉像の制作が思わしくない。 |
窪田予陋質絵之以来太不可也。…於丹寮窪田書帋形猶未十分。 |
1257 |
明応1 149204A02 蔭涼軒日録 |
東福寺の仏母が?仏母像の?書を書き損じ窪田になおさせる。 |
東福寺仏母書之。誤倒書之。遣窪田方改之。明日可出来。 |
1258 |
明応1 149205A02 蔭涼軒日録 |
狩野正信、春陽景泉の帋形を描く。 |
旭公云。春陽不例少有験。…又狩野法橋写帋形。則坐而一咲云。添鬚云々。 |
1259 |
明応1 149206A01 後法興院記 |
松蔵主筆の人麿像についての記事。 |
松蔵主、寿宮等来、松蔵主筆人丸新図影持来之、件本信実筆云々、古本讃余可染筆由頻命之間令許諾了、 |
1260 |
明応1 149206A07 尋尊大僧正記 |
吐田筑前法眼没の記事。 |
去五日吐田絵師筑前法眼入滅、 |
1261 |
明応1 149206A08 蔭涼軒日録 |
亀泉、岩栖院で狩野正信筆の座敷画をみる。 |
往岩栖院、…予請之云。座敷画一見如何。侍者延予見之。狩野法橋所附で?。種々筆勢尽之。実可観者也。 |
1262 |
明応1 149210A04 蔭涼軒日録 |
小栗宗継筆、夏珪様の障壁画の記事。 |
晩来■藤寮看喜多坊画障壁。夏珪様也。 |
1263 |
明応1 149210A12 尋尊大僧正記 |
薬師寺八幡宮の簾につていの記事。 |
薬師寺八幡講簾寸法昨日進之、/本社三間、…/合九間分云々、代二貫文分仰付之、 |
1264 |
明応1 149211A10 尋尊大僧正記 |
薬師寺八幡宮に屏風を送る記事。 |
八幡宮御簾九間入屏風箱送彼寺沙汰人方了、 |
1265 |
明応1 149211A18 蔭涼軒日録 |
祇園社遷宮。 |
今日祇園遷宮傾群詣之云々。 |
1266 |
明応1 149211A28 尋尊大僧正記 |
薬師寺八幡宮遷宮。 |
今日薬師寺八幡宮遷宮也云々、 |
1267 |
明応2 1493 三教図・正宗龍統賛 |
三教図・正宗龍統賛 |
明応二歳龍集昭陽赤奮若黄鐘上澣日東釈氏正宗龍統焚■■賛 |
1268 |
明応2 1493 貧楽斎記(古画備考) |
月翁周鏡が祥啓のために貧楽斎記をかく。 |
貧也者、不可楽焉、…建長啓賢江、敏而多芸、以画為業、…是誠顔氏箪瓢之比歟、六合之内、朝東暮西、桂海氷天、厥所留滞、必貧楽扁僑居之室、亦如魯直退聴堂之例也、…明応歳舍癸丑[二年也]、春三月下休、三蘆野人江介周鏡叙、 |
1269 |
明応2 14930*A09 蔭涼軒日録 |
宗湛庵主年忌。 |
今日宗湛庵主年忌。 |
1270 |
明応2 149303A10 蔭涼軒日録 |
小栗宗継が蔭涼軒書院押板脇絵を描く。 |
喜多坊来伸茶之礼。書院押板脇画筆之。 |
1271 |
明応2 149303A11 蔭涼軒日録 |
小栗宗継、蔭涼軒書院押板脇絵を描く。 |
喜多坊亦筆押板脇。 |
1272 |
明応2 149303A13 蔭涼軒日録 |
小栗宗継が金屏風の箔を補う。 |
喜多坊来補金屏薄。 |
1273 |
明応2 149303A15 蔭涼軒日録 |
小栗宗継、金屏風を修理する? |
喜多坊補金屏。 |
1274 |
明応2 149303A26 北野社家日記 |
相阿弥に北野社御所間の違棚、障子を |
相阿方へ御所間違棚・障子遣之、 |
1275 |
明応2 149304A19 北野社家日記 |
相阿弥に押板置物について相談する。 |
相阿方へ押板置物事相尋様、…自筆返事事在之、為後証注之、 |
1276 |
明応2 149304A21 後法興院日記 |
宗祇進上の人麿像についての記事。 |
是日有続歌興、〈五十首〉人丸法楽也、此影宗祇進置了、 |
1277 |
明応2 149304A21 北野社家日記 |
宗祇所有、土佐光信筆の人麿像についての記事。 |
今朝陽明五十首御会在之、子細者宗祇人丸進上仕、絵者土左[佐]将監[光信]、替[賛カ]者定家也、但替[賛カ]計今度新調之人丸ニ押而進上申也、色紙一枚角ニ押也、 |
1278 |
明応2 149304A23 御湯殿上日記 |
三宝院、通玄寺など焼失。 |
三ほう院はん[う]かうするおとなゐ□[猶カ]さりならぬ事なり。夕かた程よりかゝる。…夜に入て又あたりのさいけともまてことこと*く火のふせゐなり。ことのはなし。つうけん寺もはつかうときこへてあさましきことなり。 |
1279 |
明応2 149304A23 言国卿記 |
細川、畠山邸など焼失。 |
今日早々自細川、畠山尾張[尚順]屋形ヲ焼払畢、…曇花寺殿ウチ破、御比丘尼共ハク云々、是又曲事々々、然間、禁裏御近所三宝院殿同打破物■由間、 |
1280 |
明応2 149304A23 蔭涼軒日録 |
畠山、尾張守邸などで火事。 |
今朝畠山尾張守殿屋形。足軽打入毀取之。…其後曇花院破却。尽乱妨。其後三宝破却。剰入火。尽為焦土也。其後慈照寺江乱入。 |
1281 |
明応2 149304A23 親長卿記 |
三宝院、通玄寺、慈従院、妙法院など火事。 |
今日滅却所々、/三宝院〈将軍御連枝〉、通玄寺〈同〉、慈従院〈同、但於出/寺無事〉、新大納言光忠宿所、妙法院坊、畠山尾張守宿所、被官等家々也、 |
1282 |
明応2 149308A15 親長卿記 |
真正極楽寺本堂遷座。 |
今暁真如堂阿弥陀遷座新造本堂云々、 |
1283 |
明応2 149309A15 蔭涼軒日録 |
狩野正信、亀泉集証の帋形を描く。 |
晩来狩野法橋携松蕈一盆。柳樽一双来。写予陋質。 |
1284 |
明応2 149309A21 蔭涼軒日録 |
狩野正信が亀泉集証の帋形を持参する。 |
晩来狩野法橋持余陋質紙形数枚来。以一ヶ■衆心定之。 |
1285 |
明応2 149309A23 蔭涼軒日録 |
狩野正信筆の季瓊真蕊像と亀泉集証像の記事。 |
斎罷遣丹首座於狩野法橋宅云。雲沢季瓊和尚肖像并予陋質督之。不可有如在云々。 |
1286 |
明応2 149309A27 扶桑五山記 |
亀泉集証没。 |
百五十一、亀泉、諱集証、…〈明応二年水野と丑九月廿七日寂、寿七十、〉 |
1287 |
明応2 149310A13 御湯殿上日記 |
小御所造作?開始。 |
小御所の御さうさくはしまる。 |
1288 |
明応2 149311A15 言国卿記 |
坂本日吉大社に一揆勢が篭もり火事。 |
坂本社頭土一揆篭云々、山門ヨリ払之、山王焼云々、今夜由也、 |
1289 |
明応2 149311A15 大乗院日記目録 |
日吉大社、十禅寺の火事についての記事。 |
十禅寺并二宮・三宮悉以炎上、馬借沙汰、二百人計死、 |
1290 |
明応2 149311A16 言国卿記 |
日吉大社の火事についての記事。 |
坂本社頭[日枝]山王コトコト*ク土一キ篭之間山門ヨリせメ焼云々、大宮八王子計御残在之云々、 |
1291 |
明応2 149311A16 親長卿記 |
日吉大社で一揆のために火事。 |
今日聞、土一揆為徳政篭日吉社、自山門衆徒等発向、大宮社以下灰燼云々、 |
1292 |
明応2 149311A17 親長卿記 |
日吉大社での火事の様子。 |
或仁云、大宮社不焼、大宮八王子等令残給云々、実説猶可尋、 |
1293 |
明応2 149311A17 横川和尚伝 |
横川景三没。 |
実明応二年癸丑六十五歳。十一月十七日示寂于小補正寝。 |
1294 |
明応2 149311A18 尋尊大僧正記 |
日吉大社、十禅寺の火事についての記事。 |
去十五日馬借共閇篭之間、十禅寺・二宮・三宮悉以山王焼失了、 |
1295 |
明応2 149311A18 親長卿記 |
十禅寺など火事の記事。 |
或仁云、十禅師、并二宮、同小社許炎上云々、 |
1296 |
明応2 149312A26 尋尊大僧正記 |
大輔筆、観音厨子扉絵完成。 |
観音厨子戸平絵書出之、大輔法眼、 |
1297 |
明応3 149405A19 御湯殿上日記 |
歌合絵巻を将軍足利義材に返却。 |
むろまちとのへ哥あわせの御ゑ三くわん返まいる。 |
1298 |
明応3 149406A17 尋尊大僧正記 |
吐田筑前法眼の子息松坊(長有)没の記事。 |
吐田松坊一昨日入滅之由、助法眼参申、故筑前法眼子息也、 |
1299 |
明応3 149406A18 親長卿記 |
八幡護国寺で火事の記事。 |
冷泉前大納言参会、語云、八幡護国寺去十五日暁炎上之由、一昨日注進云々、 |
1300 |
明応3 149407A27 御湯殿上日記 |
後土御門天皇?受戒絵巻見参に入れる。 |
御しゆかゐ。…しゆかゐの御ゑ一くわんまいる。ゑんまんゐんより御ゑともけさんに入らるゝ。 |
1301 |
**明応4 1495 破墨山水図自跋 |
雪舟七十六歳の自跋。 |
相陽宗渕蔵主従余学画有年筆已有典刑游意於■芸勉励尤深也今春告帰謂曰願獲翁一図以欲為我家箕裘青氈数日於余責之雖余眼昏心耄不知所以製■干其志輙拈禿筆洒淡墨与之日/明応乙卯季春中澣 日/四明天童第一座老境七十六翁雪舟書 |
1302 |
明応4 149501A23 実隆公記 |
?の寿像制作についての記事。 |
及昏自親王御方女房消息到来、按察所労危急也、一品事存命之間可有御沙汰之由所思食候也、但可為如何哉、依申状可有御執奏<云々、>則献愚報云、極位事御執奏尤可然也、是不可背理之由存之故也、仍彼卿病体心苦之間秉燭罷向、兵部卿、相公羽林同道罷向了、今日以外窮屈之式也、今日召画所令写寿像、其間不草臥之間殊以余屈無正体、不謁之由被命、 |
1303 |
明応4 149504A09 実隆公記 |
実隆、宗祇像に着賛。 |
宗祇法師肖像讃染筆了、 |
1304 |
明応4 149505A21 実隆公記 |
実隆、楞厳大師伝記絵巻を借りる。 |
楞厳大師伝記絵三巻帥借送之、 |
1305 |
明応4 149506A08 御湯殿上日記 |
土佐光信筆の普賢延命菩薩像完成。 |
ふけんゑんめいの御ゑしやうけんにしんつ[新図]うさせらるゝいてきて。けふまいる。 |
1306 |
明応4 149510A02 尋尊大僧正記 |
長谷寺の天神縁起絵巻についての記事。 |
良鎮法橋此間在長谷寺了、天神御一期之伝記在之、以之巻絵六巻書之、東照印并当公文沙汰也、又一巻与喜祭礼様与喜之縁起当所影向様同明之、如檢[験]記也、合七巻書立之云々、両人共於絵在故実云々、 |
1307 |
明応4 149510A11 尋尊大僧正記 |
絵所助法眼円寂没の記事。 |
昨日絵所助法眼円寂了、 |
1308 |
明応4 149510A19 尋尊大僧正記 |
牛図絵巻についての記事。 |
先日牛絵二巻ハ芝絵所及五代所持本也云々、所望申間遣之、畏入了、此一両日以前之、 |
1309 |
明応4 149511A21 如是院年代記 |
長谷寺で火事。 |
長谷寺炎上。 |
1310 |
明応4 149511A22 尋尊大僧正記 |
長谷寺焼失。 |
子時公坊之下井坊ヨリ火出之、公坊焼、則観音堂并本尊悉以焼失、時剋到来也、十三重塔・鐘楼・愛染堂・新宮三所・長楽寺・潅頂堂・不動堂・弥勒堂・炎魔堂・一切経蔵・本長谷寺・三重塔・来迎院・登廊・<土分相残>、横田坊東中院・中坊、以上、二王堂一宇相残、其余堂社悉以廻禄了、 |
1311 |
明応4 149511A22 実隆公記 |
長谷寺の火事の記事。 |
後聞、長谷寺炎上、頂上仏、古帳等纔相残於灰燼之中、頗有奇異之端<云々>、其外諸堂、坊舎悉焼失<云々、> |
1312 |
明応4 149511A22 大乗院日記目録 |
長谷寺で火事。 |
長谷寺炎上、観音堂・同本尊・十三重塔・新宮鐘楼愛染堂・登廊・潅頂堂・本堂・三重塔・一切経蔵・炎魔堂・公坊以下也、二王堂・食堂・客坊相残了、神社悉焼了、 |
1313 |
明応4 149512A02 親長卿記 |
長谷寺で火事。 |
或仁云、初瀬観音堂炎上云々、御体不取出云々、 |
1314 |
明応4 149512A02 尋尊大僧正記 |
長谷寺仏師舜覚法眼と絵所大輔の要求について。 |
長谷寺仏師事舜覚法眼望之、絵所人数事大輔法眼望之、可相尋之旨返事了 |
1315 |
**明応5 1496 藤田美術館蔵雪舟自画像模本賛 |
雪舟自画像模本賛。 |
説破空花、本無色相、/弘治丙辰歳再季春念八日/天府第一名儒士秀才青/霞沐手賛 |
1316 |
明応5 149601A14 正続大宗禅師行状 |
春浦宗煕没。 |
明応五年丙辰正月十四日順寂。・・・師世寿八十一。 |
1317 |
明応5 149601A14 紫野前住籍 |
春浦宗煕没。 |
四十世春浦和尚 諱宗煕・・・ 明応五丙辰正月十四日示寂、世寿八十八、 |
1318 |
明応5 149601A14 龍宝山誌 |
春浦宗煕没。 |
松源院・・・/ 春浦和尚・・・明応五年正月十四日寂八十八 |
1319 |
明応5 149602A03 実隆公記 |
大徳寺より花夕絵、月夜絵、雪朝絵を送られる。 |
自徳大寺絵三巻<花夕絵、月夜絵、雪朝絵、<銘如此>> 納■被送之 |
1320 |
明応5 149602A18 尋尊大僧正記 |
大輔法眼清賢に長谷寺観音像制作のための指図を命じる。 |
長谷寺観音指図今日ヨリ沙汰之、大輔法眼清賢筆師也、 |
1321 |
明応5 149602A25 尋尊大僧正記 |
大輔法眼清賢が長谷寺観音指図を制作中。 |
長谷寺観音指図自十八日初之、大輔法眼清賢至今日図之、 |
1322 |
明応5 149604A20 実隆公記 |
実隆、高瀬寺縁起絵巻をみる。 |
師富朝臣高瀬寺縁起絵三巻<上行俊卿、中実冬公、下尭仁親王被書詞、>送之一見了、 |
1323 |
明応5 149605A18 考古画譜 |
西行物語絵巻修復。 |
(補)同[西行物語] 四巻/ [補]巻二奥書云、以外破損候間、加修復訖、諸方借用舒巻、無故実候所以歟、向後堅可為禁制矣、明応<丙辰>年五月十八日出来了、奉行孝心<六十五才>、(補)真頼曰、此の絵、伝へて後土御門院勾配当内侍の筆なりといふ、白描の絵なり、方今、青木信寅所蔵せり、 |
1324 |
明応5 149605A22 実隆日記 |
日野富子肖像制作にあたって衣裳などのことを広福院に尋ねる。 |
御台御肖像被写之、御衣裳、几帳以下事可為如何哉之由、万松軒以消息広福院被尋之、 |
1325 |
明応5 149605A26 実隆日記 |
実隆、日野富子像について狩野正信と相談する。 |
彼御影事猶以自万松軒重々有示承之旨、絵師狩野入道来、則相謁、愚存分大概雖申含、猶不得其意之間、所詮伏見御安置之女院御影拝見尤可然之由名之、 |
1326 |
明応5 149605A28 実隆日記 |
狩野正信が日野富子像の衣裳などについて重ねて尋ねる。 |
及晩狩野入道来、昨日参伏見彼御影拝見写取之、御装束色目等事、几帳惟等之事巨細示仰之、 |
1327 |
明応5 149607A04 尋尊大僧正記 |
長谷寺復興のため仏師を春慶に決める。 |
長谷寺使者両人参申、見参了、御返事、両条指示給之、/一仏師事、両三人棟梁之内、春慶法眼事仰付之事、 |
1328 |
明応5 149607A18 実隆公記 |
讃州滝宮三十六歌仙板絵についての記事。 |
讃州滝宮卅六人哥仙<源公忠朝臣、忠峯、平兼盛、中務、>四人<板也、>哥依細川被官人所望染筆了。 |
1329 |
明応5 149607A21 尋尊大僧正記 |
長谷寺復興のための計画。 |
自長谷寺来廿四日可御衣木■合也、其以前仏師春慶可参向旨、可有御下知云々、 |
1330 |
明応5 149608A05 実隆日記 |
実隆、飜邪帰正絵巻の詞を書写中。 |
飜邪帰正絵<自山上座主宮被進云々>、可被新写也、件詞可書進上之由一昨日被仰下、今日四五段書之了、 |
1331 |
明応5 149608A06 実隆日記 |
実隆、飜邪帰正絵巻の詞を写し終える。 |
絵詞終写功、<上下十四段也、> |
1332 |
明応5 149608A07 実隆日記 |
実隆、書写し終えた飜邪帰正絵巻の詞を宮中に持参する。 |
絵詞今日令持参了、 |
1333 |
明応6 149610A15 実隆公記 |
滋野井絵巻二巻(一巻は足利義尚御物という狐絵巻、もう一巻は八幡臨幸。) |
中山中納言来談、滋野井絵二巻令見之、一巻狐絵、<常徳院殿御物也、>一巻八幡臨幸絵等也、 |
1334 |
**明応5 149611A 古画備考 |
陳所翁筆の虎図を相阿弥が写す。 |
真相・・・/虎陳所翁筆/明応五年丙辰/十一月真相写之 |
1335 |
明応5 149612A05 土佐文書 |
土佐光信が刑部大輔になる。 |
口宣案/上卿小倉中納言/明応五年十二月五日宣旨/刑部少輔藤原光信/宣転任刑部大輔/蔵人左少弁藤原冬光<奉> |
1336 |
明応5 149612A11 大乗院日記目録 |
長谷寺の観音が完成師、仏師は帰る。 |
長谷寺仏師共退散、自七日至昨日今日御光立之、悉以仏師方成弁、 |
1337 |
明応5 149612A13 尋尊大僧正記 |
長谷寺の観音が完成する。 |
一昨日長谷寺仏師共罷上了、観音悉以造立之、 |
1338 |
明応6 149704A07 実隆公記 |
真光院より石山絵巻を送られる。 |
自真光院石山絵一巻被送之、可所詞之由也、先預置之者也、 |
1339 |
明応6 149707A09 尋尊大僧正記 |
楞厳院像完成。 |
楞厳院先徳御影図之出来、 |
1340 |
明応6 149707A11 尋尊大僧正記 |
大輔筆、熊野三山曼陀羅をみる。 |
熊野三山万タラ清賢持来、一見了、 |
1341 |
明応6 149707A12 尋尊大僧正記 |
絵師大輔法橋になる。 |
絵師大輔公清賢法橋宣下、今日自中御門送給之、六日宣也、 |
1342 |
明応6 149708A03 尋尊大僧正記 |
太郎左衛門筆、小塔院像完成。 |
小塔院先徳図絵出来、太郎左衛門筆、 |
1343 |
明応6 149708A04 尋尊大僧正記 |
大輔法橋筆、報恩院の木像を写した大慈三昧院殿像完成。 |
大慈三昧院殿御影図絵大輔法橋筆、報恩院木像写之、 |
1344 |
明応6 149708A17 実隆公記 |
経師が石山縁起絵巻の料紙が不足という。 |
経師来、石山縁起絵詞料帋不足分事申付之了、 |
1345 |
明応6 149708A28 実隆公記 |
実隆、宮中で夏珪筆の絵をみる。 |
及晩参内、・・・夏圭筆画図拝見之、 |
1346 |
明応6 149709A06 尋尊大僧正記 |
大輔筆、智光曼陀羅完成。 |
智光万タラ筆立了、大輔法橋、 |
1347 |
明応6 149709A13 尋尊大僧正記 |
大輔筆、僧正像を? |
贈僧正御影書立之進之、大輔法橋、 |
1348 |
明応6 149710A15 実隆公記 |
実隆、諸絵巻の字句を照らしあわせる? |
内外万物縁起被新写、不審之字可見合進上由被仰之、則加一見、愚存分申入之、件書元興寺願曉法師所述殊勝物也、 |
1349 |
明応6 149710A27 実隆公記 |
実隆、宮中で介錯仏子絵の詞を朗読する。 |
於御前介錯仏子絵詞読申之、 |
1350 |
明応6 149711A15 尋尊大僧正記 |
白毫寺で火事。 |
卯剋より白毫寺本堂・炎魔堂・多宝塔・一切経蔵・鐘楼・僧坊・クリ・僧堂此外長老坊・奥坊・寂生院・尺迦院・花蔵院・ハタ板坊・地藏院・谷坊等悉以炎上了、 |
1351 |
明応6 149711A15 大乗院日記目録 |
白毫寺で火事。 |
白毫寺悉以炎上了、 |
1352 |
明応6 149711A17 実隆公記 |
実隆、宮中で介錯仏子絵の詞を朗読する。 |
入夜於御前介錯仏子絵詞読申之、 |
1353 |
明応7 149801A27 御湯殿上日記 |
宮中で東福寺所有の五百羅漢図をみる。 |
御しゆかゐいつものことし。とうふく寺の五百らかんまいりて御おかみあり。 |
1354 |
明応7 149801A27 ? |
東福寺の五百羅漢は明兆筆のこと。 |
東福寺五百羅漢<明兆殿主[吉山、淡路国人]筆、本在鎌倉建長寺云々、殿主卅二歳筆歟、性海長> |
1355 |
明応7 149801A27? 実隆公記 |
実隆、宮中で東福寺所有、明兆筆の五百羅漢図をみる。 |
<老住持也、>五十幅被掛議定所有御拝見、 |
1356 |
明応7 149804A26 実隆公記 |
牧谿筆、簡翁賛の百貫布袋、腹摩布袋図についての記事。 |
半身布袋<牧谿筆、簡翁賛>武家累代重宝、号百貫布袋<俗号腹摩布袋>、三幅対之本尊也、土蔵<志乃>、者可沽却之由申之、内々申入処、被召置之、<代者貳千貳百疋、>玄清媒■之間再住問答了、 |
1357 |
明応7 149805A15 尋尊大僧正記 |
大輔、禅師御房像を完成。 |
禅師御房御影清賢法橋図絵書出之、 |
1358 |
明応7 149806A28 尋尊大僧正記 |
智光曼陀羅図を大輔が持参。 |
智光万多ラ奉図絵大輔法橋清賢持参 |
1359 |
明応7 149807A23 実隆公記 |
実隆、宮中で源為憲作、三宝絵詞を朗読する。 |
於議定所御言談、三宝物語<源為憲作、>上読申、 |
1360 |
明応7 149808A03 実隆公記 |
三宝絵詞を補修する。 |
夜前三宝絵<源為憲作、>上被加修補、朽損之所々可書入之由被仰下、仍所々書入之進上退出了、 |
1361 |
明応7 149809A24 実隆公記 |
往生伝小絵の詞を書すよう命じられる。 |
絵詞<往生伝小絵也、> 可書進上之由禁裏被仰下之、 |
1362 |
明応7 149809A27 実隆公記 |
往生伝小絵は盛雲新作である。 |
自禁裏絵詞<盛雲新作往生伝也、> |
1363 |
明応7 149809A28 実隆公記 |
実隆、往生伝小絵の詞を書写し終える。 |
絵詞今日令進上之、奥之一段料帋薄之間、書改可進上之由被仰下之、 |
1364 |
明応7 149810U28 実隆公記 |
実隆は惟肖得厳作の瀟湘八景の詩を相阿弥筆の屏風に書す。 |
及晩宗祇法師来、瀟湘八景[惟肖作]詩先日予染筆之処、画屏<画相阿所書也、>之画経師推違之間、両枚可書改之由命之、即刻書之了、然間又色紙其色予書違之、仍翌日又書改了、 |
1365 |
明応8 149903A29 尋尊大僧正記 |
大輔に青面金剛図の制作を命じた記事。 |
青面金剛図絵事、一昨日仰大輔法橋、 |
1366 |
明応8 149906A26 実隆公記 |
龍安寺方丈上棟。 |
今日龍安寺方丈上棟<云々>、 |
1367 |
明応8 149907A19 御湯殿上日記 |
延暦寺根本中堂の火事。 |
中たうにへいろ[閉篭]あり。このあか月よりほそ川はらはせ候とて。中たうはしめて九か所やけて。くひともとるよしきこへて。あさましきのみおほせことあり。 |
1368 |
明応8 149907A20 大乗院日記目録 |
延暦寺で火事。 |
早朝山根本中堂大講堂・延命院・四王堂御経蔵・鐘楼・□□*常行堂・法花堂炎上了、 |
1369 |
明応8 149907A21 尋尊大僧正記 |
延暦寺で火事の記事。 |
昨日早朝根本中堂炎上、…三上書状ニハ諸堂炎上云々、常行堂・法花堂・神輿・三社炎上云々、 |
1370 |
明応8 149907A23 尋尊大僧正記 |
延暦寺で火事の記事。 |
自京都注進、山門炎上所々廿日辰剋/根本中堂并御動座之神輿/大講堂 常行堂 法花堂/延命院 四王堂 大黒堂/御経蔵 鐘楼 政所等也/以上悉以廻禄、相残分戒壇院一ウ |
1371 |
明応8 149908A06 尋尊大僧正記 |
仏師舜覚法眼没。 |
椿井仏師春慶<舜覚法眼>、入滅了、 |
1372 |
明応8 149910A06 鹿苑日記 |
鹿苑院の鶴、扇、杉雪の屏風など奪われる。 |
福枝申乙人所奪取者。常住鶴屏風隻。扇之屏風一双。杉雪屏風双。其余天山具器。托子。文台皆失矣。予之什物尽奪取焉。 |
1373 |
明応8 149910A08 鹿苑日記 |
先に奪われた屏風のうち扇の屏風が戻る。 |
扇屏風一隻還于院。 |
1374 |
明応8 149910A09 鹿苑日記 |
先に奪われた屏風のうち扇の屏風が戻る。 |
早晨扇屏風一隻復還矣。可喜也。 |
1375 |
明応8 149910A10 鹿苑日記 |
金屏風が到来する。 |
早晨金屏風隻。周■僧自賀茂持来。諸僧看之。喜者太矣。予嘆息曰。天所護而還也。 |
1376 |
明応8 149911A08 大乗院日記目録 |
信貴山本堂立柱。 |
信貴山本堂立柱云々、 |
1377 |
明応8 149912A19 尋尊大僧正記 |
越昇寺、秋篠寺、法花寺、西大寺に兵火。 |
昨日申剋合戦、宗益手切勝了、越[超]昇寺・秋篠・宝来打負了、法花寺自夜前物取乱入、堂塔・僧房破向、・・・西大寺如法花寺云々、菅原寺ハ悉以夜前焼払了、負[角]寺打破了、 |
1378 |
明応9 150011A18 後法興院記 |
般若三昧院で後土御門天皇像に焼香する。 |
早旦参伏見御山庄奉拝先皇御影被焼香、…仰此御影最皇四十八歳御年御自筆云々、同被載御詠、以上宸筆云々、彩色以量筆云々、 |
1379 |
文亀2 150203A06 大乗院日記目録 |
長谷寺本尊観音像を仏師舜(春)慶が開眼する。 |
長谷寺本尊仏師法橋舜慶開眼沙汰、去卯年十一月廿二日炎上、辰年八月十五日御衣木加治、十二月廿一日造畢、仏師両人棟梁也、今日悉以出来、 |
1380 |
? ? 日次紀章 |
正月始九日 小栗宗湛忌。 |
正月初九日 画工小栗宗丹忌 |
1381 |
明応9 150009A23 京都五山 |
天隠龍沢没。 |
二百卅一 天隱龍沢・・・明応九<庚辛>九月廿三日寂 |
1382 |
明応9 150009A23 京都五山 |
天隠龍沢没。 |
二百十八 天隱龍沢・・・明応九<庚申>九月廿三日寂 |
1383 |
明応9 150010A20 御湯殿上日記 |
小御所の造作始まる。 |
小御所の御さうさくはしまる。 |
1384 |
文亀1 1501 歴名土代 |
土佐光信、従四位下に任ぜされる。 |
従四位下/藤光信[土左刑部大輔] 明応一二九 |
1385 |
文亀1 150102A28 京都五山 |
蘭坡景■没。 |
二百廿六 蘭坡景■・・・文亀元年<酉>二月廿八日寂 |
1386 |
文亀1 150104A08 実隆公記 |
雲龍院修営についての記事。 |
抑雲龍院申請勅裁事頭右中弁書送之内々備叡覧、可然之由被仰下之、/当院修営事、今度被寄黒戸御殿了、早可被致其造功、殊来六月開山竹岩和尚百年遠忌<云々>、三朝之戒師、一宗之碩徳也、尤励彼追修之懇誠、弥可被致令法久住之精祈者、天気如此、仍執達如件、/二月廿八日 頭右中弁賢房 / 雲龍院住持上人御房 |
1387 |
文亀1 150106A17 実隆公記 |
実隆、弘法大師絵巻の詞を朗読。 |
自入江殿有召之間参入、弘法大師絵十二巻読詞 |
1388 |
文亀1 150106A24 実隆公記 |
延暦寺根本中堂上棟。 |
抑今日根本中堂地鎮、立柱、上棟等<云々>、 |
1389 |
文亀1 150108A16 大乗院日記目録 |
般若寺立柱。 |
般若寺立柱、 |
1390 |
文亀1 150108A20 実隆公記 |
実隆、広田社の板絵三十六歌仙絵の色紙形を書く。 |
伯二位入来、広田社内一社哥仙<卅六人、>就伊丹某所願令新図、其色紙形可染愚筆之由願主所望也、仍携来之由被命、板五枚、図卅六人、悪筆雖有憚不可有子細之由領状了、 |
1391 |
文亀1 150108A21 実隆公記 |
実隆、三十六歌仙絵の色紙形を書き損じ、絵所に色紙の塗り直しを注文。 |
昨日之色紙形書之、一首書違之間、仰画所色紙令彩色改、 |
1392 |
文亀1 150108A22 実隆公記 |
三十六歌仙絵完成。 |
哥仙色紙今朝遣之、 |
1393 |
文亀1 150108A26 実隆公記 |
実隆、新調の北野天神縁起の詞を書くことに決まる。 |
玄清来、波々伯部兵庫申送之旨、北野縁[記脱カ]可新調之、詞事可染愚筆歟事也、斟酌雖無極依事体可書試之由報之、 |
1394 |
文亀1 150109A18 実隆公記 |
実隆、新調の北野天神縁起を描く土佐光信と打ち合わせ。 |
画所預土左刑部少輔光信来、北野社本地絵先年紛失、今度可新図、件墨書大底出現、彼詞事予可令清書由、松梅院先日以波々伯部所望、領状之間委細絵事可相談之由也、 |
1395 |
文亀1 150109A23 実隆公記 |
宸筆の紺紙金泥阿弥陀経を進上する。 |
抑宸筆紺紙金泥阿弥陀経可校合進上之由被仰下之、 |
1396 |
文亀1 150110A04 実隆公記 |
実隆、光信と打ち合わせ。 |
土左刑部少輔来、北野縁起絵事相談之、 |
1397 |
文亀1 150110A04 実隆公記 |
土佐光信が実隆の帋形W写す。 |
土左刑部少輔来、・・・又愚拙肖像帋形令写之、十分不似比興也、 |
1398 |
文亀2 1502 雲谷庵誌 |
雪舟の伝記。 |
釈雪舟伝/周南 山県孝孺/雪舟本姓小田氏。・・・後去山口。居石州益田乙吉村大喜菴。<或曰梅木村。或曰梅月村。>文亀二年壬戌遷化。寿八十三歳。墓在大木菴云。 |
1399 |
文亀2 150202A06 大乗院日記目録 |
般若寺の文殊刀奉納について。 |
般若寺文殊刀初、高矢仏師大貳、丑寅方沙汰■足、三日原戒蔵院五百貫奉加云々、 |
1400 |
文亀2 150203A05 宣胤卿記 |
三壇院本尊を絵所が制作。 |
勧進黄門状到来、座主宮被申三壇御本尊事、被仰付絵所、可被渡、儀式事、号三壇子細事等尋之、 |
1401 |
文亀2 150204A03 宣胤卿記 |
宣胤、誓願寺縁起絵二幅をみる。 |
先考月忌、・・・、参詣真如堂并墳墓、・・・次誓願寺縁起絵、彼寺僧持来被懸之、<二幅、>読縁起絵一巻、 |
1402 |
文亀2 150205A07 尋尊大僧正記 |
西大寺で火事。 |
今夜西大寺焼失、相残分四王堂之中門・石塔院・地蔵院・東大門、其余一切不残、 |
1403 |
文亀2 150205A07 大乗院日記目録 |
西大寺で火事。 |
夜西大寺焼失、不残一宇、 |
1404 |
文亀2 150205A19 宣胤卿記 |
西大寺で火事の記事。 |
勧黄門状到来、去七日西大寺焼失事注進、<案在左、>先遣返事了、 |
1405 |
文亀2 150209A02 実隆公記 |
実隆、明兆筆の十六羅漢像をみる。 |
自東福寺有使者、・・・又先皇御遺物十六羅漢<晁殿主筆、>加表背絵被見之、尤美麗也、 |
1406 |
文亀2 150209A13 実隆公記 |
実隆、保元城南寺競馬絵詞を写す。 |
保元城南寺競馬詞写之、 |
1407 |
文亀2 150212A17 実隆公記 |
実隆、宮中で禅師君絵をみる。 |
朝■之後参内、・・・於常御所庇傾一盞、禅師君絵沽却、詞後光厳院宸筆由其主称之<云々>、可拝見之由被仰之、模様頗相違、但御若年間宸筆歟、慥不存知之由申入了、 |
1408 |
文亀3 1503 翰林葫蘆集 |
李伯時筆黄山谷図を相阿弥が写す。 |
山谷画像賛、此乃国工相阿描伯時画本者/也、伯時係辞因用其意/ ■翁草■走相追、正是東坡野歩時、不笠不蓑天乍雨、沾衣欲湿為催詩 |
1409 |
文亀3 150301A18 実隆公記 |
実隆、狭衣絵をみる。 |
統秋来話、狭衣絵令見之、近比之筆跡画図也、 |
1410 |
文亀3 150302A17 大乗院日記目録 |
妙音寺火元の火事。 |
釜口仏閣以下払地炎上、自火、申剋妙音寺火本、 |
1411 |
文亀3 150303A02 実隆公記 |
実隆、瀟湘八景図屏風に押す色紙形に書く詩歌十二首を撰ぶ。 |
八景詩事為被押御屏風有被仰談之子細、又色帋形詩哥十二首可撰進之由被仰之、当座引朗詠四季詩哥書進上之、 |
1412 |
文亀3 150304A24 実隆公記 |
詫間栄賀?筆の阿弥陀像を買う。 |
阿弥■像<詫間法眼筆、>[代物二百疋[五月四日遣之]]良秀被持来之、 |
1413 |
文亀3 150305A16 実隆公記 |
実隆、禁裏の瀟湘八景図屏風の色紙形に詩をかく。 |
禁裏御屏風瀟湘八景賛色帋形詩<日本人、故人詩也、>、依仰今日染筆進上之、 |
1414 |
文亀3 150305A17 実隆公記 |
実隆、禁裏の瀟湘八景図屏風に色紙形を押すことについて相談される。 |
八景御屏風画図、色帋等可被押之、寸法等被仰談、愚存分申入之、 |
1415 |
文亀3 150305A18 実隆公記 |
禁裏の瀟湘八景図屏風に色紙形押される。 |
八景御屏風画図、色帋等悉被押之、 |
1416 |
文亀3 150307A09 後法興院記 |
当麻寺新曼陀羅の文字を旧例にならい当代の染筆とする。 |
当麻寺新曼荼羅依畠山両家乱焼失云々、仍此間企新図、然間以前新曼荼羅文字後鳥羽院被染勅筆間、今度新図文字事 当今被染 宸筆者可畏入之由、寺家懇望之趣自家門可執申之由、従一乗院有挙達之状、以内々今日申入処、若宮御生見玉御申沙汰御取乱云々、及晩飛鳥井宰相、遣迎院等来、令拝見曼荼羅、 |
1417 |
文亀3 150307A14 実隆公記 |
実隆、旧例にならい当院宸筆の当麻寺新曼陀羅をみる。 |
[抑]当麻寺曼■羅新図<七ヶ年終功云々、>件文字可被染宸筆之由寺家所望、一乗院被執申之間、自陽明大閤被申入<云々、>以前新曼■羅者建保年中図之、被染御鳥羽院宸筆<云々、>今度新図当代可被貽勅筆之条誠希代之事也、比趣夜前勅語、今朝可拝見之由被仰之間、早朝於小御所拝見、 |
1418 |
文亀3 150307A22 実隆公記 |
当麻寺新曼陀羅を今日、返却。 |
新曼陀[ママ]羅文字被染 勅筆今日被返下、 |
1419 |
永正1 150402A10 元長卿記 |
元長、窪田に盃台の絵様を描かせる。 |
召寄窪田、盃台絵様事事読[談歟]合令書之、二月中旬已進瓜[ママ]心也、 |
1420 |
永正1 150403A23 実隆公記 |
実隆、土佐光信に十三仏図新図を注文する。 |
十三仏新図事申付土佐刑部大輔了、代物少分今日遣之、 |
1421 |
永正1 150405A15 実隆公記 |
十三仏図完成。 |
十三仏新図像出現、土左刑部大輔令持送之、美麗殊勝自愛此事也、是為来十月之追善也、 |
1422 |
永正1 150408A07 宣胤卿記 |
宣胤、知恩院で法然上人絵についても法談をきく。 |
詣知恩院聴聞法談、<法然上人絵詞、>西塔念仏番帳書之、 |
1423 |
永正1 150410A14 実隆公記 |
先に制作した十三仏図を誰の?三十三回忌に使う。 |
先妣卅三回忌也、・・・/追善目録/奉新図十三仏尊像一鋪、・・・ |
1424 |
永正2 1505 古画備考 |
鍛冶橋狩野家伝来の唐絵印譜集成巻物(雲溪永■奧書の写しあり)についての記事。 |
○梶橋家ニテ其祖先、写シ置レタル唐絵ノ印譜ヲ見、古写ノ巻物ニテ有シヲ、一人ヅゝ切テ張タル也、奧書ノ所アリ、是モ原本ノマゝ、写タル也、左ノ通有之、/右三巻之内、紙数七十枚、雲老写也、右従師匠譲得之、廿八巻之内、/永正二年月日 雲溪/コレニテ、数年ノ考ノ通リ、画家ニテ、時代ト云、慥ノ証ヲ得テ悦ナリ、<坦斎筆記> |
1425 |
永正2 150510A28 尋尊大僧正記 |
大輔が仁王講曼陀羅を描く。 |
尭順仰仁王講万タラ一福[幅]大輔法眼ニ仰之、 |
1426 |
永正3 1506 本法寺過去帳 |
雪舟没の記事。 |
十日/備陽雪舟。<入唐四明天堂山第一座。雲谷庵。十月。> |
1427 |
永正3 1506 宝山誌鈔 |
龍源院の障壁画についての記事。 |
龍源院・・/仏慧大円禅師東溪和尚開基/永正年中建之今及二百十四年能州畠山修理大夫某建之/絵中ノ間墨絵列仙等周礼ノ間薄彩色山水/同■那ノ間墨絵猿猴同筆 |
1428 |
永正3 1506 丹青若木集・画家系 |
雪舟についての記事。 |
雪舟・・・永正三年丙寅八十七歳而遷化、寛文十一年迄凡二百三十余年 |
1429 |
永正3 150604A30 実隆公記 |
実隆、春日本地仏図をみる。 |
春日本地五尊<一幅、>絵所画之、今日令持進、殊勝出現自愛々々、 |
1430 |
永正3 150608A08 古画備考 |
雪舟についての記事。 |
雪舟等楊禅師、・・・/○雪舟覃老、属住芸州御許山仏通寺、而後移住備中国後月郡大月山重源寺、永正三年<丙寅>年八十七歳而於此寺、遷化、・・・/○雪舟、永正三年八月八日化、歳八十七、寺ヲ創■三ヶ寺、相ノ了義寺、石ノイコウ寺、今一寺失念、各所ニ塔廟アリ、・・・ |
1431 |
永正3 150609A05 多聞院日記 |
多武峯で火事。 |
今暁多武峯没落則焼了、 |
1432 |
永正3 150609A06 宣胤卿記 |
多武峯で火事の記事。 |
聞、昨日宗益責落多武峰、社頭諸堂坊舍悉焼失云々、大職冠尊像奉取出云々、 |
1433 |
永正3 150611A11 実隆公記 |
後三年絵についての記事。 |
頭中将参内、後三年絵令披見<云々、> |
1434 |
永正3 150611A12 実隆公記 |
実隆、宮中で後三年絵をみる。 |
自禁裏後三年[武衡家衡対治事]合戦絵可披見之由被仰之、 |
1435 |
永正3 150611U01 実隆公記 |
実隆、常徳院御物の深夢絵をみる。 |
入夜見深夢絵、<乗徳院殿御物也、> |
1436 |
永正3 150612A18 実隆公記 |
廬山寺で火事。 |
廬山寺方丈今朝回禄、失火<云々>、 |
1437 |
永正3 150612A22 実隆公記 |
実隆、朝倉貞景新調の京中屏風の噂を聞く。 |
甘露寺中納言来、越前朝倉屏風新調、一双画京中、土左刑部大輔新図、尤珍重之物也、一見有興、 |
1438 |
永正4 1507 尋尊大僧正記 |
長谷寺本尊観音供養。 |
□□*二日長谷寺本尊可有供養云々、・・・/十日/一長谷寺下向、・・・/十一日/□□*無之、/□□*物雨下故也、/□□*申、/□□*/□□*例毎事無為/十三日 |
1439 |
永正4 150702A28 実隆公記 |
先公(誰?)の月忌と廬山寺方丈立柱。 |
先公月忌、宝寿来、良秀依蘆山寺方丈立柱不来臨、 |
1440 |
永正4 150704A12 興福寺略年代記 |
長谷寺観音を供養。 |
四月十二日長谷寺供養。 |
1441 |
永正4 150704A23 宣胤卿記 |
賀茂社周辺で火事。 |
早旦賀茂社辺社人家等悉、香西発向焼払、・・・社頭許残云々、 |
1442 |
永正4 150705A13 実隆公記 |
実隆、宗碩より宗祇像の賛を頼まれる。 |
宗碩下向濃州、為暇請来、書状等言伝之、宗祇影像賛事可申宜竹之由示之、預置帰了、 |
1443 |
永正4 150706A13 実隆公記 |
実隆、宗祇像に景徐周麟の賛を請う。 |
寿首座来、聯句点到来、又宗祇影賛宜竹被草之持来、尤珍重也、早被清書可賜之由報了、 |
1444 |
永正4 150707A19 実隆公記 |
実隆、宮中で伊勢物語絵、行俊卿筆の詩歌などをみる。 |
色帋形伊勢物語絵并哥等卅六枚、詩哥卅六枚可被見之由有勅定、近来殊勝物也、詩哥者行俊卿筆也、 |
1445 |
永正5 150801A24 元長卿記 |
延暦寺根本中堂に金銅の七仏薬師を安置する。 |
進座主宮御教書、注左、/山門根本中堂七仏薬師金銅七躯、依先例為勅願可造立者也、任日時勘文、可被金懃行之由天気祇[候]也、為此旨可令申入座主宮給、仍執啓如件、/正月廿四日 左少弁伊長/以上 大納言法印之[御カ]房 |
1446 |
永正5 150802A23 如是院年代記 |
石清水八幡宮で火事の記事。 |
八幡宮火。 |
1447 |
永正5 150802A24 実隆公記 |
石清水八幡宮炎上の記事。 |
去夜石清水八幡宮炎上<云々>、 |
1448 |
永正5 150802A24 宣胤卿記 |
石清水八幡宮で火事の記事。 |
去夜戌剋、石清水八幡宮回禄、従燈明火出云々、言語道断事也、於御神体者奉出云々、 |
1449 |
永正5 150803A20 宣胤公記 |
東大寺で火事の記事。 |
右大丞折紙到来、東大寺講堂炎上事、/十八日夜亥剋[驚存候]東大寺講堂三面僧房悉以焼失之由、・・・社頭大仏殿等無為之儀候、 |
1450 |
永正5 150803A20 実隆公記 |
東大寺で火事の記事。 |
南都東大寺三面室并講堂一昨夜<十八日、>回禄<云々、> |
1451 |
永正5 150803A21 実隆公記 |
誉田八幡宮炎上の記事。 |
覚城法師来、誉田八幡宮去十五日炎上云々、 |
1452 |
永正5 150806A15 京都五山 |
桂菴玄樹没。 |
二百四十 桂菴玄樹・・・永正五年<壬辰>六月十五日寂 |
1453 |
永正5 150808A29 実隆公記 |
桂陽筆の十三仏図が完成する。 |
桂陽所望之十三仏出現、自絵所送之、自愛也、 |
1454 |
永正6 150903A03 実隆公記 |
実隆所持の阿弥陀三尊を光信が写したものをみる。 |
中御門亜相新図阿弥■三尊<光信朝臣画之、本尊以予所持本写之、>可拝見之由示送之、誠殊勝尊容也、 |
1455 |
永正6 150903A08 実隆公記 |
実隆、雲谷筆三条公敦法体像に焼香し、一首を賛す。 |
自内府故龍翔院右府禅門影像<雲谷筆、自賛有哥、>今日忌日可一見之由被命、則焼香念誦、及晩返遣之、副一首和哥了、 |
1456 |
永正6 150908A03 実隆公記 |
実隆、源氏絵色紙をみる。 |
陶三郎源氏絵色帋携来之、 |
1457 |
永正6 150908A11 実隆公記 |
実隆、雲谷筆の聖廟尊像に賛をする。 |
聖廟尊像<雲谷筆、>賛詩哥染筆、 |
1458 |
永正6 150908U12 実隆公記 |
芸阿弥、実隆に瀟湘八景押絵を送る。 |
今日留守之間芸阿来、八景押絵持来、秘蔵自愛々々、短冊和哥所望之也、 |
1459 |
永正6 150908U12 実隆公記 |
実隆、平家物語屋島絵の詞を朗読。 |
則参入江殿、心静御雑談、平家物語八嶋絵詞読申之、 |
1460 |
永正6 150908U17 実隆公記 |
実隆、相阿弥が八景図に所望していた短冊和歌を遣る。 |
相□[阿]所望短冊書遣之了、 |
1461 |
永正6 150908U20 実隆公記 |
実隆所持の妙音天像、瀟湘八景押絵などを叡覧に供す。 |
予所持之妙音天像、八景押画等備叡覧了、 |
1462 |
永正6 150909A06 実隆公記 |
実隆、頼まれていた源氏絵色紙に書す。 |
陶三郎所望之色帋書之、 |
1463 |
永正6 150910A15 実隆公記 |
実隆、比叡山安楽谷本尊の阿弥陀廿五菩薩来迎図をみる。 |
安楽谷本尊恵心僧都筆来迎阿弥■廿五菩薩像三幅自御所可拝見之由被仰下之、結縁随喜者也、 |
1464 |
永正6 150910A30 実隆公記 |
実隆、明恵上人絵詞を写す。 |
明恵上人絵詞被写之、本愚筆也、不審字可直付之由上意<云々、>直進了、 |
1465 |
永正6 150911A19 実隆公記 |
源氏絵色紙についての記事。 |
陶三郎来、勧一盞、源氏色紙悉出現、一見之次第重遣之、 |
1466 |
永正6 150911A19 実隆公記 |
実隆、源氏絵色紙が双紙に押されているのをみる。 |
陶三郎来、・・・先度源氏色紙双紙押之令見、殊勝物也、抑留可一見之由命了、 |
1467 |
永正6 150912A21 公卿補任 |
春日社遷宮。 |
同(十二月)廿一日春日社正遷宮。 |
1468 |
永正7 1510 鄭沢尺牘・鉄山模本 |
狩野元信、鄭沢より称讃の書状をもらう。 |
吾看先生画採験若趙昌亦如馬遠筆跡甚可観也若進貢舟来時得游我国者必作先生門下弟子焉伏希伝達為幸 起居/拝知■城鄭沢/狩野四郎次郎先生座下/正徳五年仲春 奉書/ |
1469 |
永正7 151002A10 実隆公記 |
山国一宮、如意輪堂及び横川迎講之堂で火事の記事。 |
抑去朔日山国一宮<神体鏡云々、>并如意輪堂等焼亡、本尊者桓武天皇御作、伝教大師供養<云々、>・・・又聞、同夜山上横川迎講之堂焼失、自天所降之十大弟子等焼亡<云々、> |
1470 |
永正7 151002A17 実隆公記 |
実隆、相阿弥筆の孔子像帋形をみる。 |
相阿来、先聖影帋形令見之、神妙也、則以此趣可書送之由報之、 |
1471 |
永正7 151003A02 実隆公記 |
相阿弥筆孔子、老子図完成。 |
夢庵有書状、遣青侍於相阿許、一昨日先聖并老子肖像染筆持来之間、謝其事了、 |
1472 |
永正7 151004A12 実隆公記 |
実隆、相阿弥筆孔子、老子図を叡覧に供す。 |
相公羽林当番参候、先聖并老子肖像備叡覧、 |
1473 |
永正7 151007A16 実隆公記 |
実隆、高野大塔修理勧進帳清書について相談し、高野験記絵をみる。 |
自照禅院有於使、大蔵卿<云々、>高野大塔[修理]勧進帳事御所望也、於清書者如形可沙汰進上之、草事可被仰別人之由申之処、猶草共可致了簡之由被仰之、木食聖高野験記絵携之来、先可加思案之由申了、 |
1474 |
永正7 151008A05 実隆公記 |
実隆、融通念仏縁起絵巻をみる。 |
[大原]良淵来、融通念仏縁起絵持来之、 |
1475 |
永正8 151108A19 宣胤卿記 |
風で内裏の年中行事障子が吹き破られる。 |
去暁風荒、内裏年中行事障子吹破云々、故行高卿手跡也、去長禄造内裏之時新調也、当時行季難書、可歎云[々カ]々、 |
1476 |
永正8 151110A16 東北大学本君台観左右帳記奧書 |
相阿弥『君台観左右帳記』を撰述する。 |
右此条々不実候へ共依所望思出次第ニしるし候不可有外見候也/永正八年<辛未>十月十六日 真相(花押) |
1477 |
永正9 151202A 漁樵斎図 |
雪舟筆漁樵斎図に玉隠英■賛を寄せる。(根津美術館蔵) |
題漁樵齋/畫師雪舟游方于大唐、國裏之風烟/潤色其筆■分天童第一座■日域弓楮/写山水州某山某水四百州与?十州山/何無?碍光明■ゝ通或作斎軸請?/??漁樵而題一詩云/捨異釣奇開此■千山影落一江湖畫詩/肝肺吐雲水真落漁樵何■無/永正壬申春二月 日/相鎌府沙門英■九ゝ歳書于玉潤下 |
1478 |
永正9 151204A05 実隆公記 |
東大寺講堂刀始め。 |
講堂本尊刻彫御刀始事申之、泊瀬勧進聖行順上洛<云々、>其次第々且申入了、 |
1479 |
永正9 151204A07 実隆公記 |
東大寺講堂刀始め。 |
早朝有女房奉書、御刀始可為今日<云々、> |
1480 |
永正9 151204U17 実隆公記 |
実隆、音一の頼みで伊勢物語絵詞を書く。 |
音一来、近日可下向能登<云々、>彼所望伊勢物語絵詞昨日立筆、今日終功了、 |
1481 |
永正9 151205A04 元長卿記 |
土佐光信筆、勧修寺縁起絵巻完成。 |
勧條[修カ]寺縁起之絵出来、光信[土佐]持来、祝着、 |
1482 |
永正10 151306A 鞍馬蓋寺縁起奧書 |
狩野元信筆、青蓮院尊応詞執筆の鞍馬寺縁起絵巻完成。 |
詞 青蓮院准后前天台座主尊応八十三歳。/絵 狩野大炊助藤原元信。/右鞍馬寺縁起者依子細任 尊天御■新開画図奉寄附当寺/永正十年癸酉六月日/右京大夫源朝臣高国<御判> |
1483 |
永正10 151306A25 東大寺梵鐘釣手座金銘 |
東大寺梵鐘完成。 |
大工延吉/永正十年<癸酉>六月廿五日造之/奉行大法師英憲 |
1484 |
永正11 151409A15 京都五山 |
了庵桂悟没。 |
百七十一 了菴桂悟・・・永正十一年<甲戌>九月十五日寂九十才 |
1485 |
永正12 151503A 厳島絵馬鑑 |
狩野元信、厳島大明神奉納三十六歌仙図絵馬を描く。 |
○三十六歌僊之図[かせんのづ]・・・/為堺南北諸商人祈也/[うら書うつし]一厳島大明神/永正拾二年<乙亥>三月吉日 元信画之 |
1486 |
永正12 151512A02 公卿補任 |
足利義稙、三条高倉新邸に移る。 |
十二月二日将軍家三条亭新造移徙。 |
1487 |
永正13 151601A04 殿中申次記 |
相阿弥、元信、光信、粟田口らが朝廷に扇を進上した記録。 |
[正月]四日。/一芸阿。相阿。御扇二本進上之。御太刀被下之。先々ハ御練貫拝領之。/九日。/例日。/一[永正十三年]御扇。 一本。<為御嘉例進上。仍御太刀被下之。>狩野大炊助。/晦日。/一御扇一本。<自永正十三到十八年。>土佐刑部少輔。/一同。同前。 粟田口民部丞。/[六月]晦日。/一御扇 一本。<例年進上之。> 土佐刑部少輔。/一同 同。<例年進上之。> 粟田口民部丞。/[七月]卅日。/一御扇 。一本。 粟田口民部丞。/一同 一本。 土佐刑部少輔。 |
1488 |
永正14 151702A12 宣胤卿記 |
宣胤、誓願寺縁起絵巻の詞を書す。 |
誓願寺縁起絵詞一段書之。 |
1489 |
永正14 151703A01 元長卿記 |
宣胤、誓願寺縁起絵巻の別の段を書す。 |
誓願寺縁起詞一段書之、上東門院段也 |
1490 |
永正14 151704A15 厳助大僧正記 |
醍醐清滝宮上棟。 |
下清滝宮棟上有之。午刻大工右衛門千疋棟被懸之云々。 |
1491 |
永正14 151708A28 宣胤卿記 |
知恩院で火事の記事。 |
早旦東山知恩院焼失、 |
1492 |
永正14 151711A27 宣胤卿記 |
光信が先祖行光筆と極めた中殿御会絵屏風についての記事。 |
又今所持之屏風和哥并御遊等絵、其年号不審之処、太平記第四十巻貞治六年三月廿九日中殿御会人数等分明也、此屏風其時節物歟、古物也、絵ハ当時[先年御山門感得之、]絵所光信朝臣先祖行光書之由、光信朝臣先年称之、詩哥者為秀卿手跡歟之由、為広卿演説之、 |
1493 |
永正15 151804A04 厳助大僧正記 |
延暦寺根本中堂供養。 |
叡山根本中堂供養有之。 |
1494 |
永正15 151804A04 長享年後畿内兵乱記 |
延暦寺根本中堂供養。 |
山門中堂供養。 |
1495 |
永正15 151804A04 公卿補任 |
延暦寺根本中堂供養。 |
四月四日叡山一乗止観院(根本中堂)供養。 |
1496 |
永正15 151806A06 宣胤卿記 |
室町殿寿像の装束についての記事。 |
自殿下御使[大納言方]、室町殿御寄[寿イ]像被書御装束、御装束并御直衣分両様可被注申之由有御使<永家朝臣、>、無御調法、可注進<云々、>則注申了<可有御清書分也、>、 |
1497 |
永正15 151808A 法隆寺地藏堂須弥壇後方壁墨書 |
法隆寺地藏堂瓦吹き変えの銘。 |
永正十五年<戊寅>二月四日瓦葺初。同十八日・・・右者是迄雖桧皮葺為後代長弘法大師瓦葺奉修理。・・・/時文正五年<壬午>八月 日・・・ |
1498 |
永正15 151810A06 益永文書 |
宇佐八幡宮第二殿上棟。 |
為当社貳御殿立柱上棟之祝物、杉伯[重輔]耆守方進宮御神馬壹疋、所令送進如件、/永正拾五年十月八日 [政所惣■■]道高(花押)/[宇佐宮結使]示現/大々工殿/・・・/−−小山田文書/就当宮貳御殿竪□□□[柱上棟カ]/安社鎮護法入目等□□*/一檀銭三百疋請一檀引□□*/・・・/右前自御両所慥所□□*/永正拾五年十月六日 [宇佐宮□□*]□□*/政所惣■[道高]■殿/示現上人御房/ |
1499 |
永正15 151812A02 公卿補任 |
足利義稙、常御所へ移る。 |
十二月二日武家常御所御移徙。 |
1500 |
永正15 151812A13 長享年後畿内兵乱記 |
石清水八幡宮?棟上。 |
十二月十三日。八幡棟上。 |
1501 |
永正16 151904A28 北島文書 |
出雲大社仮遷宮。 |
両国造ニ相分リ造営方北嶋執行之覚/一 永正十五年<戌寅>ひのえ[ママ]■四月八日、かのとう、御遷宮、/以上/右へ壹所ニ集書写之、 |
1502 |
永正16 151904A30 千家文書 |
出雲大社仮遷宮。 |
永正年中大社御遷宮覚次第/・・・/一御棟上之事、永正十六年<己卯、>三月十四日<戊申、>午之剋、・・・/御遷宮之事/永正十六年四月廿八日、<かのとのう、>亥の時、・・・/永正十六年四月晦日出雲[千家]豊俊 |
1503 |
永正16 151905A09 宣胤卿記 |
恵心僧都由来の像の書写を光信に命じる。 |
書写事仰遣光信朝臣、此本ハ天王寺西門腋壁恵心僧都図像写之<云々、> |
1504 |
永正16 151905A28 宣胤卿記 |
光信筆の衝立障子(表は阿弥陀、裏は不動明王)完成。 |
衝立障子之阿弥陀出来、光信[絵所土佐]朝臣書[「画」]之、今日五十疋<先日三十疋遣之、>遣之、臨終之時可立枕料也、裏ハ令書[「画」]不動明王、為令降伏臨終の[之]魔障也、 |
1505 |
永正17 1520 日下一木集 |
画僧崇因が仏鑑禅師像を写す。 |
勝雲<崇因画僧号。>/崇因上人者。京華人也。頃日将南遊。且西泊矣。庚辰之夏。奇遇乎志府之龍山。可謂風雲際会也。予於日南之西光古刹。拝 仏鑑祖之尊像。予告上人。願謄写以与之。帰程後三日。遠来就于僑居。写其真。無堪感戴。何以謝之哉。上人曰。字予可也。迺以 勝雲称之。以為涓■之報而已矣。頌曰。/陽台々上謁■王。自是和愁易断腸。飄々片々無定止。被風ふく吹去出扶桑。 |
1506 |
永正17 1520 厳島絵馬鑑 |
厳島神社に和歌を実隆筆、光信画の三十六歌仙絵馬が奉納される。 |
○三十六歌僊之図[かせんのづ]・・・/[うら書写し]永正十七暦<願主道本> 僊哥右筆実隆公/光信図之 |
1507 |
永正17 152004A24 実隆公記 |
実隆、清水寺縁起絵巻の詞書を執筆する。 |
清水縁起絵詞端五段今日染筆、遣甘露寺了、 |
1508 |
永正17 152006A13 実隆公記 |
二尊院仏殿立柱。 |
今日二尊院仏殿立柱<云々、>珍重、 |
1509 |
永正17 152006U29 永正十七年記 |
東寺の大絵師絵巻叡覧。 |
自東寺大絵師<十二巻>懸御目之間令登山。可拝見歟之由。自水本被示候。依僧正御房。予令登山。於御前拝見之。詞水本被読了。 |
1510 |
永正17 152006U29 厳助大僧正記 |
東寺の大絵師絵巻叡覧。 |
東寺御絵自門跡御競望候間進之。御拝見了。 |
1511 |
永正17 152011A03 談山神社文書 |
多武峯談山神社遷宮戴記事。 |
当社正遷宮来十日之間、被聞食畢、任先例所被立使也者、長者宣如此、悉之、以状、/永正十七年十一月三日 右衛門佐宣綱[中御門]/多武峯寺衆徒中 |
1512 |
永正17 152011A06 実隆公記 |
実隆、宮中で弘法大師筆の仁王経と絵をみる。 |
向中御門、大師御筆仁王経并同絵拝見、 |
1513 |
永正17 152011A09 宣胤卿記抜書 |
多武峯談山神社遷宮の記事。 |
明日多武峯社遷宮、関白[二条尹房]家使右衛門佐<十歳、>宣綱、今日至南都下向、 |
1514 |
永正17 152011A10 公卿補任 |
多武峯談山神社遷宮。 |
十一月十日多武峯遷宮。 |
1515 |
永正17 152011A10 華頂要略 |
多武峯談山神社遷宮。 |
同[永正]十七年庚辰十一月十日多武峯遷宮、 |
1516 |
永正17 152011A10 実隆公記 |
多武峯談山神社遷宮。 |
今日多武峯遷座<云々、> |
1517 |
永正17 152012A07 実隆公記 |
実隆、誓願寺縁起絵巻新図をみる。 |
誓願寺絵新図自四条送之、一見了、 |
1518 |
永正18 大永1 152102A12 永正十八年高野山焼失記 |
高野山で火事。 |
永正十八年二月十二日午刻之時。西院[ヨリ]不慮[ニ]火出[デ]。壇場[ノ]伽藍一宇[モ]不残。院々[ノ]坊舎堂塔経蔵数尽[ス]。往生院迄焼畢。 |
1519 |
大永1 152102A12 公卿補任 |
高野山で火事。 |
二月[十二]日高野炎上。 |
1520 |
永正18 大永1 152102A12 高野山文書・続宝簡集 |
高野山で火事。 |
紀伊国伊都郡高野山金剛峯寺堂塔建立来由/一根本大塔・・・/後柏原御宇、永正十八年二月十二日、従西院之小坊失火、起魔風吹来、壇場之諸伽藍悉回禄了、・・・ |
1521 |
大永1 152102A12 厳助大僧上記 |
高野山で火事。 |
高野炎上。自西院福智院出火。大塔。金堂已下寺家伽藍三百余宇。塔婆十九基。衆徒行人等坊三千九百余宇。仏像経巻顕密正[聖カ]教焼失。 |
1522 |
大永1 152102A17 春日社司祐維記 |
高野山で火事の記事。 |
伝説云、去十二日夜、高野寺十カ八九者焼失之[四十九院内也、此内四十七院内焼失ト云々]、四所明神并金堂、・大塔始而、塔分九キ焼失之ト云々、西院ヨリ出火之ト云々、奥院者残ルト云々、 |
1523 |
大永1 152102A26 永正十三年八月日次記 |
高野山で火事の記事。 |
伝聞、去十二日、高野山大塔・金堂以下諸房悉以為火災焼失云々、愁傷之至無極、但奥院等無其苦云々、 |
1524 |
永正18 大永1 152108A29 真正極楽寺文書 |
真如堂供養。 |
為真如堂々供養、御太刀一腰<持>、御馬一疋<鹿毛、印雀目結、>可牽進之由、所被仰下也、仍執達如件、/永正十八年八月廿九日 伊勢守[伊勢貞?忠]/真如堂別当御坊 |
1525 |
大永1 152108A29 実隆公記 |
真如堂供養。 |
真如堂[真正極楽寺]堂供養、 |
1526 |
大永1 152108A29 二水記 |
真如堂供養。 |
伝聞、今日真如堂供養有之、 |
1527 |
大永1 152108A29 華頂要略 |
真如堂供養。 |
大永元年八月廿九日、真如堂供養勤導師、<有舞楽、>勅使柳原蔵人右中弁藤原資定、 |
1528 |
大永3 152302A 君台観左右帳記(東博本)奧書 |
相阿弥が君台観左右帳記を過剋斎に与える。 |
此一巻書大略致存知分。慥注申候。御不審之事候者尋可承候。就口伝可申候。不可有外見者也。/大永三■二月吉日 松雪斎鑑岳真相在判 |
1529 |
大永3 152304A 法隆寺中門金剛力士像(吽形)納入妙法蓮華経巻第三奥書 |
法隆寺中門金剛力士像(吽形)を修理する。 |
去大永三年四月日。当時中門二王之西金剛大力士一体衰損之間。奉刻直之。大施主順行法師。大仏師定見房。同弟子童子随逐之。釜口山之住侶也。同五年<乙酉>秋九月日。又奉彩色之。絵師乗春房為棟梁。願明房。願舜房等為同心。仍法華一部胎内仁可奉納之由。本願順行法師勧進之間。愚僧住随喜之意。此一巻奉書写畢。冀及利益於慈尊之出世/大法師頼憲五師。<生年五十七歳。戒■四十二矣。> |
1530 |
大永3 152304A25 実隆公記 |
実隆、勝尾寺縁起絵巻をみる。 |
勝尾寺縁起絵被送之、一見有興、 |
1531 |
大永3 152306A20 実隆公記 |
西山縁起絵巻についての記事。 |
西山絵詞自前左府返給、 |
1532 |
大永3 152306A24 実隆公記 |
実隆、西山縁起絵巻の詞を書き終える。 |
西山縁起絵詞終書功、 |
1533 |
大永3 152308A16 実隆公記 |
実隆、足利義澄筆の観音図をみる。 |
将軍[足利義澄]御筆観音自法住院被召寄、拝見、 |
1534 |
大永3 152310A07 実隆公記 |
春日験記絵巻の詞についての記事。 |
春日霊験絵詞自徳大寺被送之、 |
1535 |
大永3 152310A11 実隆公記 |
足利義澄筆の観音図は自賛で叡覧に供す。 |
将軍御筆観音、右京大夫所望賛同御自筆自徳大寺被送之、拝見、驚目、備叡覧、則返遣之、 |
1536 |
大永3 152311A03 実隆公記 |
春日験記絵巻の詞についての記事。 |
春日験記絵詞校合、返遣徳大寺了、 |
1537 |
大永3 152312A03 土佐文書 |
土佐光茂、左近将監と呼ばれる。 |
丹州多紀郡、大芋本所分代官職事、端阿為下代、宮林致存知上者、任御下知旨、為守護使不入之地、荒木大蔵大夫令領□□*如先々可取沙汰□□*不畢、宜被存知之由候也。仍執達如件。/大永三/十二月三日 秀綱/土佐左近将監殿 |
1538 |
大永4 152402A12 法隆寺綱封蔵鳥衾銘 |
法隆寺綱封蔵の瓦を葺く。 |
コノクラハキタヨリ六ケンノフンタツ/人数七人/大永四年〈甲申〉二月十二日ヨリハシムル/瓦数一万/施主十宝院舜清法師敬白/瓦ツクル衆 四郎次郎 新三郎 小太郎 コ三郎 次郎九郎 新三郎 |
1539 |
大永4 152403A11 法隆寺西堂丸瓦銘 |
法隆寺西堂の瓦を制作する。 |
大永四年三月十一日 |
1540 |
大永4 152404A07 幻雲文集 |
寿■蔵主、夢中にみた千光大士(榮西)と観音の図を狩野元信に描かせる。 |
■弟夢拝千光大士記/法弟寿■蔵主。大永四年四月七日之夜。詣吾東山護国塔下。拝開山千光大士。時有観音。従龕中出。慈容赫々。而後千光大士立龕之側。手■一篋。有舍利塔。使■頂礼。大士把府で、展紙書者数行。且曰。曾所記事。今年期満。今当改書。■曰。願賜其筆跡。為他日証。大士轍書其次者又四五行。末題名与花判。賜■。於是五皷既鳴。夢亦覚矣。惘然■■。翌夜詣塔下。焼香三拝。以原其夢。適有龕前点百灯者。霊光如昼。玄関自然開而不及敲焉。■弥生信心。走尋画師狩野氏元信。語其夢図其境。絵事既成。竊呈山野。需記顛末。… |
1541 |
大永4 152408A12 実隆公記 |
京で火事。 |
午後乾方有火、自柳原辺出云々、猛風頻吹、数百間焼失、此辺風下也、禁中両所・新大典侍局里屏中門上等已燃上、雖然各打滅、昏鐘後大略火静、 |
1542 |
大永4 152410A18 実隆公記 |
禁裏?の瓦を葺き始める。 |
御殿上之瓦今日置之、珍重々々、 |
1543 |
大永4 152410A19 実隆公記 |
禁裏の瓦葺き、修理始まる。 |
広橋[守光]有使者、昨日御殿瓦等置之、周備珍重、於彼大工賜御太刀云々、且御修理尤珍重之由有命、 |
1544 |
大永5 152505A20 土佐家系図 |
土佐光信没。 |
○光信[号土佐 光弘男]…大永五年五月廿日卒九十二歳。 |
1545 |
大永5 152505A20 画家墳墓記 |
土佐光信没。 |
大永五年五月二十日/土佐刑部大輔光信 (寺町)芦山寺 |
1546 |
大永5 152507A16 実隆公記 |
実隆、熊野三山絵図を宮中でみる。 |
熊野三山絵図〈懸絵〉、住心院送之、内々備叡覧了、 |
1547 |
大永5 152508A27 二水記 |
将軍邸常御所、上棟。 |
室町殿常御所今日御上棟云々、 |
1548 |
大永5 152510A27 実隆公記 |
相阿弥没。 |
(補書)「相阿[真相]逝去云々、廿九日葬礼云々、」 |
1549 |
大永5 152511A12 二水記 |
狩野元信、三条西公条邸で松竹梅の屏風を描く。 |
午時向帥卿亭狩野画屏風〈松竹梅〉即時圍[周]備事[了]早速筆勢絶妙也見物衆各悦目了、 |
1550 |
大永5 152511A12 実隆公記 |
狩野元信、三条西公条邸で松竹梅の屏風を描く。 |
帥二枚屏風招鹿[狩]野令書之、則出現、珍重、 |
1551 |
大永5 152511U27 実隆公記 |
実隆親子、孫とともに円満院で三井寺絵をみる。 |
及晩帥父子・裏辻少将[公教]等向円満院、三井寺絵一見、 |
1552 |
大永5 152512A13 二水記 |
足利義晴、三条殿に移る。 |
室町殿今夜〈戌剋〉御移徙也 |
1553 |
大永5 152512A13 公卿補任 |
足利義晴、三条殿に移る。 |
十二月十三日将軍移徙。 |
1554 |
大永5 152512A13 実隆公記 |
足利義晴、三条殿に移る。 |
室町殿御移徙戌剋云々、 |
1555 |
大永6 152601A20 実隆公記 |
実隆、源氏絵様草子をみる。 |
源氏絵様草子五帖甘露寺所持本左五局借用、伝借遣飯河了、 |
1556 |
大永6 152602A16 公卿補任 |
石清水八幡宮遷宮。 |
二月十六日八幡宮遷宮。 |
1557 |
大永6 152602A16 実隆公記 |
石清水八幡宮遷宮。 |
今日八幡■宮、 |
1558 |
大永6 152604A28 宗長手記 |
大徳寺山門立柱の記事。 |
同廿八日。紫野龍宝山大徳寺山門。去正月廿六日立柱拝見。 |
1559 |
大永6 152611A13 実隆公記 |
実隆、屏風貼付用の源氏絵扇面をみる。 |
三亜相在此亭、扇面図被持来、源氏絵也、神妙物共也、為押屏風云々、 |
1560 |
大永6 152612A 相州兵乱記 |
安房の里見義弘、鎌倉鶴岡八幡宮などを破却する。 |
大永六年十二月ノ比安房ノ守護人里見左馬頭義弘。小弓ノ義明ノ下知ニ随ヒテ。数百艘ノ兵船ヲ用意シテ竊ニ相州鎌倉エ押渡リ。在家ヘ乱入。宮寺ノ神宝ヲ奪ヒトリ。仏閣ヲ破リ。鶴岡ノ宝蔵ヲ破却スト聞ヘケレバ。 |
1561 |
大永7 152702A24 言継卿記 |
相国寺で火事。 |
夜八時分相国寺、鹿苑院焼候了、仏殿計残皆焼了、 |
1562 |
大永7 152703A15 二水記(内閣文庫本) |
仏師永賀、観音小像三十三体を宮中に納める。 |
佛師永賀僧都〈近年従坂東上洛/尤神妙上手也〉奉作観音小贈三十三躰禁裏御物之令見物了 |
1563 |
大永7 152703A18 御湯殿上日記 |
知恩院の法然上人絵巻を叡覧。 |
ちおん院より法然上人絵御覧之間、詞自一至五読之、 |
1564 |
大永7 152705A03 実隆公記 |
通元寺で火事。 |
通元[玄]寺回禄、仏殿外悉焼失云々、 |
1565 |
大永7 152711A01 実隆公記 |
貴船神社で火事。 |
(補書)貴布■本社夜半後焼亡、但神体無恙云々、 |
1566 |
大永7 152711A02 御湯殿上日記 |
貴船神社で火事。 |
きふねのはしの社ゑんしやうのよし。社務てんそうして申。 |
1567 |
大永7 152712A04 実隆公記 |
新善光寺で火事。 |
抑御影堂[新善光寺/下京]焼亡、下京有小合戦云々、 |
1568 |
享禄1 152803A16 実隆公記 |
実隆、天平・年奧書、聖武天皇宸筆とされる過去現在絵因果経をみる。 |
聖武天皇宸筆過去因品[果カ]経〈有絵〉、拝見殊勝者也、天平七年勅筆也、三嶋治部所令見也、則返遣之、 |
1569 |
享禄1 152805A08 公卿補任 |
春日大社遷宮についての記事。 |
五月八日春日社正遷宮日時定。堂十四日正遷宮。 |
1570 |
享禄1 152805A14 実隆公記 |
春日大社遷宮。 |
今日春日社正■宮也、 |
1571 |
享禄1 152810A27 実隆公記 |
実隆、十二時絵をみる。 |
十二時絵被見之、 |
1572 |
享禄2 152901A07 実隆公記 |
実隆、新調の小屏風に源氏物語の詞をかく。 |
勾当小屏風新調、源氏詞〈梅枝〉、直書之、 |
1573 |
享禄2 152902A 皇朝名画拾彙 |
熱田神宮縁起絵巻制作される。 |
如野和泉 能画、享禄二年二月、描画重修尾州熱田社絵巻、詞書僧賢信也、当今社家蔵焉。 |
1574 |
享禄2 152902A30 御湯殿上日記 |
春日験記絵巻叡覧。 |
かすかのけんき昨日まいりて。けさとく御らんせらるゝ。 |
1575 |
享禄2 152903A01 実隆公記 |
三条西公条、実世、宮中で春日験記絵巻をみる。 |
晩頭帥父子[公条・実世]御祝祇候、春日絵拝見云々、 |
1576 |
享禄2 152903A01 言継卿記 |
言継、宮中で春日験記絵巻をみる。 |
春日社験記〈二十巻在之、〉可拝見之由、昨日被仰間、八過時分参内、…帥卿被読候了、 |
1577 |
享禄2 152904A09 実隆公記 |
実隆、先年執筆の真如堂縁起絵巻の詞を書き改める。 |
公助僧正有状、真如堂絵詞〈下巻先年予所書也、〉有可改正之事、可染筆之由也、得其意之由返答、則書写了、 |
1578 |
享禄2 152904A12 御湯殿上日記 |
春日験記絵巻、宮中より春日大社に返却される。 |
かすかのけんき。なんとより昨日とりにまいりて。こんゑとのゝ物にわたさせられて。まてのこうち。にわた。ひろはし物ともそひてうちまて御くたしありて。うちよりなんとの物うけとりて。するする*と御かへり。めてたしめてたし*。 |
1579 |
享禄2 152904A14 御湯殿上日記 |
栂尾の縁起、宮中に運ばれる。 |
とかのおのゑんき色色*まいる。 |
1580 |
享禄2 152906A18 実隆公記 |
実隆、窪田筆の三十六歌仙絵の歌をかく。 |
本覚寺所望卅六哥仙哥〈故窪田画云々、〉和泉境経王寺之所望云々、今日染筆了、 |
1581 |
享禄2 152906A29 御湯殿上日記 |
融通念仏縁起絵巻の銘を天皇がかく。 |
妙法ゐん殿より詞とあさはしたるとて。ゆつう念仏のゑんきの絵まいりて銘を勅筆を申さるゝ。あそはしていたさるゝ。 |
1582 |
享禄2 152908A02 実隆公記 |
実隆、土佐光茂、狩野元信に扇絵を注文。 |
可遣大内之扇十本土左[佐]・狩野両人申付之、各五十疋手付遣之、 |
1583 |
享禄2 152908A12 実隆公記 |
土佐光茂、狩野元信制作の扇完成。 |
狩野扇・絵所[土佐光茂]扇等各出来、則代物遣之、 |
1584 |
享禄2 152910A03 御湯殿上日記 |
狩野元信が宮中で屏風を描くのを叡覧。 |
かのに御ひやうふかゝせられて御らんせらるゝ。たけのうち殿。おとこたちなとまいりてみまいらせらるゝ。 |
1585 |
享禄2 152910A04 御湯殿上日記 |
狩野元信、宮中で屏風制作中。 |
かのけふもまいりてかきまいらせて、御たちたふ。 |
1586 |
享禄2 152912A04 実隆公記 |
実隆、西山で法然上人、善恵上人の御影をみる。 |
西山相承三衣・法然上人・善恵上人御影等西山霊宝祐全令見之、御影暫抑留、欲写之、 |
1587 |
享禄2 152912A06 実隆公記 |
実隆、土佐光茂に法然上人、善恵上人の肖像画の制作を命じる。 |
土左[佐]将監[光茂]来、昨日所召也、召出前賜盃、法然上人・善恵上人肖像事申付之、 |
1588 |
享禄2 152912A09 実隆公記 |
実隆、善恵上人像の像容について土佐光茂より相談を受ける。 |
両上人御影将監光茂書進之、善恵上人御影数珠可為木色之由申之、其分可書之由仰了、則書来、 |
1589 |
享禄3 1530 画工譜略 |
狩野正信没。 |
狩野祐盛伯信…行年九十七歳にして享禄庚寅三年に卒。 |
1590 |
享禄3 153002A26 実隆公記 |
実隆、慈鎮和尚らの似絵に和歌をかく。? |
慈鎮和尚人々似像[絵]被書、其和哥為昨日類筆、可被見之由青門承之、勧首座為御使持来、暫先可申預由申之、 |
1591 |
享禄3 153012A07 実隆公記 |
実隆、朝倉孝景所藏の屏風のため詩歌十二枚をかく。 |
朝倉右衛門[孝景]大夫屏風而詩哥十二枚今日書之、 |
1592 |
享禄3 153012A11 実隆公記 |
東福寺で火事。 |
東福寺悉破却云々、 |
1593 |
享禄3 153012A13 実隆公記 |
東福寺の火事の報告。 |
東福寺塔頭廿余ヶ所相残、海蔵院其外所焼失、言語同断也、遣仰院焼亡、歎息無比類、万陀羅者兼日遣他所云々、 |
1594 |
享禄4 153104A08 実隆公記 |
実隆、参鈷寺縁起絵巻(善恵上人絵巻)の詞をかく。 |
抑光明院有状、宗仲墨一延送之、参鈷寺縁起絵新写六巻、〈全〉、詞可染愚筆之由也、 |
1595 |
享禄4 153104A24 実隆公記 |
源氏表紙についての記事。 |
(補書)「源氏表帋到来、六十図■帋出現、代裏辻十疋下行」 |
1596 |
享禄4 153104A27 実隆公記 |
金沢文庫所藏、夢窓国師詞執筆の十牛図についての記事。 |
常庵和尚入来、紙十帖・十牛図〈頌以下夢窓国師筆、画図絶妙物也、金沢文庫物云々、〉被進上禁裏、 |
1597 |
享禄4 153104A27 御湯殿上日記 |
十牛図、叡覧。 |
しやうあんするかへくたりて。御みやけにするかかみ十てう。十こしのつのゑことははむさうかゝれたるしん上申さるゝ。み事なりゑなり。 |
1598 |
享禄4 153105A10 実隆公記 |
参鈷寺縁起絵巻の詞完成。 |
参鈷寺絵詞終書功、歓喜々々、銘事申青門、 |
1599 |
享禄4 153105A13 実隆公記 |
実隆、?を禁裏に進上する。 |
絵〈両本、〉進上禁裏、 |
1600 |
享禄4 153105U10 実隆公記 |
実隆、足利義晴筆の観音像をみる。 |
大樹[足利義晴]御筆、観音像被見、尤神妙殊勝無極者也、 |
1601 |
享禄4 153105U28 実隆公記 |
実隆、酒呑童子絵巻の奧書などをかく。 |
酒伝童子絵銘、奧書等三巻書之、 |
1602 |
享禄4 153106A22 実隆公記 |
北藤絵奧書についての記事。 |
外郎被官卯野来、北藤絵奧書〈三枚〉、住心院返事等渡之、 |
1603 |
天文1 153201A05 言継卿記 |
禁裏四枚屏風に貼り付ける色紙を分担する。 |
禁裏四枚屏風御沙汰、色紙十六枚有之、貞観政要之文を帥大納言、〈四枚〉、四辻前大納言、〈三枚〉、鷲尾前中納言、〈三枚〉、三条大納言、〈三枚〉、源中納言等被書候、其御屏風と御本と被出、両三人可校合之由被仰候了、 |
1604 |
天文1 153202A12 実隆公記 |
実隆、本誓寺本尊阿弥陀二十五菩薩来迎図、法然上人像をみる。 |
本誓寺本尊恵心筆阿弥陀廿五菩薩*在之、近来見事本尊也、法然上人自筆影□□□[乗三日カ]月□[号]三日月御影云々、同名号等宗善持来、拝見殊勝々々、 |
1605 |
天文1 153206A06 御湯殿上日記 |
土佐光茂、刑部大輔に任じられる。 |
とさの将けん刑部大夫の事。正五位下の事。一くわん一きう左中弁ひろう。御心之のよしおほせらるゝ。 |
1606 |
天文1 153206A06 実隆公記 |
土佐光茂が実隆を訪問。 |
光茂[土佐]来、飯川返事遣之、但称無便宜之由翌日返之、 |
1607 |
天文1 153206A09 土佐文書 |
土佐光茂、刑部大輔に任じられる。 |
口宣案/享禄五年六月九日宣旨/左近衛将監藤原光茂/宣任刑部大輔/蔵人頭左中弁藤原兼秀〈奉〉 |
1608 |
天文1 153206A09 歴代土代 |
土佐光茂、刑部大輔に任じられる。 |
藤光茂[土佐絵所] 享禄五六九 同日形[刑歟]部大輔 |
1609 |
天文1 153211A11 実隆公記 |
実隆、飯川の書状を狩野元信にやる。 |
飯川遣書状、持遣狩野許、 |
1610 |
天文1 153211A20 実隆公記 |
実隆、飯川の書状を狩野元信に再びやる。 |
飯川方書状今日又遣狩野了、 |
1611 |
天文1 153212A15 実隆公記 |
宸筆賛、土佐光茂筆の人麿像の記事。 |
人丸影〈賛宸筆、梅花多、光茂筆、信実筆写之、〉雖無表帋居圭章盆〈室町殿所賜也、〉遣之了、 |
1612 |
天文2 153312A08 京都五山 |
月舟寿圭 |
二百四十七、月舟寿圭…天文二年〈癸巳〉十二月八日寂 |
1613 |
天文3 153401U16 言継卿記 |
三国、粟津弥三郎が描く双紙の記事。 |
従早々中御門へ罷向、双紙書候了、…絵者三国と云物、粟津弥三郎両人して写候、 |
1614 |
天文3 153402A09 御湯殿上日記 |
仏師叶円、朝廷の命で阿弥陀本尊をつくり始める。 |
叶円にあみたのほんそんつくらせられて、御いてきあり。四十八たいの御くわんにつきてつくらせらるゝ。ほんそんにそと御かたなめいれらるゝ。 |
1615 |
天文3 153402A14 快元僧都記 |
鶴岡八幡宮の楼門、蟇股に奈良大工が唐草を彫る。 |
奈良大工楼門階隠桁蟇俣ニ蓮唐草彫了。今日仕付者也。 |
1616 |
天文3 153403A04 御湯殿上日記 |
土佐光茂筆の長谷寺観音像開眼供養についての記事。 |
はせのくわんおんのそん像とさのきやうふ大輔にかゝせられて。定法寺公助僧正に開眼くやうの事おほせられてまいる。 |
1617 |
天文3 153403A15 言継卿記 |
言継、舞絵を貸す。 |
又景雄来候、舞絵見度由申候間、二巻遣候、取て帰候了、 |
1618 |
天文3 153409A19 快元僧都記 |
鶴岡八幡宮の楼門、蟇股に絵書森村が彩色する。 |
階隠彫物可被彩色由。絵書森村上倉ス。絵具相調彩色了。 |
1619 |
天文3 153410A01 快元僧都記 |
蟇股の彩色完了。 |
蟇俣之彫物彩色了。森村帰宅。 |
1620 |
天文4 153502A22 法隆寺北室院本堂仏壇壇板裏墨書 |
法隆寺北室院阿弥陀堂仏壇制作される。 |
番匠衆大工〈来円太郎太夫 次郎太夫/多聞太郎太夫 三郎次郎〉/奉造立法隆寺上宮王院阿弥陀堂仏壇 住侍〈持〉比丘秀海/代官春賢法師/堂僧衆〈宥如房/春明房〉禅明房/天文■年〈乙未〉二月廿二日 |
1621 |
天文4 153504A03 後奈良院宸記 |
足利義晴、葦曳絵巻を借りてみる。 |
武家へ葦曳絵五巻借之、 |
1622 |
天文4 153505A16 法隆寺西室軒平瓦銘 |
法隆寺西室瓦に銘が刻まれる。 |
天文四年五月十六日 |
1623 |
天文4 153506A19 後奈良院宸記 |
足利義晴、自筆の観音像を献上する。 |
自武家観音尊像自筆被進上、喜悦之由以勅書謝之、 |
1624 |
天文4 153509A11 後奈良院宸記 |
三条西公条、宮中で東大寺八幡縁起絵巻をみる。 |
帥大納言八幡縁起絵二巻〈上下〉見参ニ入、 |
1625 |
天文4 153509A12 後奈良院宸記 |
東大寺八幡縁起絵巻についての記事。 |
東大寺八幡縁起、絵言葉今日書之、帥卿ニ遣 上巻許也、絵者大和国絵師也、 |
1626 |
天文4 153511A07 後奈良院宸記 |
狩野(元信)宮中で唐絵屏風を描く。 |
可野ニ唐絵屏風、今日書進近頃見事也、 |
1627 |
天文4 153512A23 後奈良院宸記 |
祇園精舎図(狩野の筆か)を叡覧。 |
故清法印令図天竺之祇園精舎之画、同見之懸画也、可野筆歟、 |
1628 |
天文5 153606A02 御湯殿上日記 |
法然上人縁起叡覧。 |
竹のうち殿御まいり。ほうねんのゑんきあそはせまいらるゝ。 |
1629 |
天文5 153606A29 厳助大僧正記 |
長谷寺で火事。 |
泊瀬炎上。不残一宇悉焼失云々。不奉出也云々。 |
1630 |
天文5 153612A 厳助大僧正記 |
土佐光茂、太元明王八臂像を描く。 |
十二月。太元明王八臂像新図也。土佐将監誂也。手間三百疋也。遣之。 |
1631 |
天文6 153701A27 御湯殿上日記 |
源氏絵扇面献上される。 |
なかはしうつくしく御あふきにけんしをかゝせて御しん上あり。 |
1632 |
天文6 153710A03 御湯殿上日記 |
三条西実隆没。 |
けふひるすきにせうようゐんこうせらるゝ。 |
1633 |
天文6 153710A19 厳助大僧正記 |
三条西実隆没。 |
同日。逍遥院他界。於嵯峨二尊院後事有之。 |
1634 |
天文7 153805A30 厳助大僧正記 |
狩野筆の屏風完成。 |
屏風新調。狩野絵出来也。 |
1635 |
天文7 153812A02 親俊日記 |
源氏物語扇面流図屏風についての記事。 |
源氏屏風扇流アリ拝見 |
1636 |
天文8 1539 本朝画史 |
小島亮仙についての記事。 |
●小島亮僊…自書画中、有曰天文八土のと亥中夏越溪小島亮仙筆者 |
1637 |
天文8 153904A26 親俊日記 |
公方様御殿上棟。 |
公方様御殿棟上 御成在之〈午刻〉/貴殿棟上〈同刻〉 |
1638 |
天文8 153905A27 古画備考 |
狩野元信、扇座の権利を幕府に申請。 |
狩野元信…/○ 天文八年五月廿七日、永明院并扇庫中申当職事、相続人数之外号[別]細工於非分族者、御停止所重而可被成下、御下知旨、捧請文申候、/請文 永明院光信/蓮池平左衛門尉/加判 秀明/狩野大炊助/元信 |
1639 |
天文8 153907A13 公卿補任 |
誓願寺遷宮。 |
七月十三日誓願寺遷座。 |
1640 |
天文8 153910A15 証如上人日記 |
狩野元信、石山本願寺で描く。 |
金台寺狩野大炊助昨夕下候。自此方喚たる也。 |
1641 |
天文8 153911A10 厳助大僧正記 |
誓願寺立柱。 |
誓願寺立柱上棟。 |
1642 |
天文8 153911A11 証如上人日記 |
狩野元信は石山本願寺での仕事をヰ終える・ |
狩野大炊助ニ為筆功千疋、綿十把遣之。明日以舟可上洛分也。 |
1643 |
天文8 153911A28 御湯殿上日記 |
北野社遷宮。 |
こよひきた野のせんくうにて。ちよくし左中弁せんみやうのけさんに入らるゝ。 |
1644 |
天文9 154007A26 快元僧都記 |
絵書珠牧、鎌倉の八幡宮内陣の障子絵を描く。 |
絵書珠牧上倉。本生↓伊勢山田住人也。諸国廻令小田原参。以不計御縁御内陣御障子等絵。可被書之由下知云々。 |
1645 |
天文9 154007A27 快元僧都記 |
八幡宮の障子絵の板彫に彩色する。 |
珠牧象辞之板。彫物彩色有之。 |
1646 |
天文9 154008A26 御湯殿上日記 |
嵯峨の縁起絵巻を叡覧。 |
大かく寺殿よりさかのゑんきのゑ。けさんに入らるゝ。 |
1647 |
天文9 154009A01 快元僧都記 |
絵書珠牧筆の障子完成。 |
絵書珠牧御殿御障子■中絵被書畢。以夜続日被■。 |
1648 |
天文9 154011A22 快元僧都記 |
舞楽が行われる。 |
天晴風静。上宮転経舞楽等有之。導師某快元。… |
1649 |
天文10 154102A02 土佐文書 |
土佐光元、左近将監に任じられる。 |
口宣案/上卿三条中納言/天文十年二月二日宣旨/藤原朝臣光元/宣任左近将監/蔵人頭左中弁藤原資将〈奉〉 |
1650 |
天文15 154105A 丹青若木集 |
雪村、会津城主葦名守氏に画軸巻舒法を授ける。 |
周継雪村…会津之城主葦名守氏授画軸巻舒法,有一軸、此奥書為天文十五年五月日、 |
1651 |
天文10 154111A03 至大唐御進物別幅分 |
大内義隆、狩野元信に大唐進物用の屏風、扇の制作を命じる。 |
一 御屏風〈金〉三双事/…/一 天文十年十一月三日可能大炊助被仰付之。…天文拾二之六ニ至山口到来了。/…/御扇百本事/…/一 右狩野大炊助仰付之。子細右同前。 |
1652 |
天文11 154202A 文晃画談 |
雪村、説門弟資を述す。 |
説門弟資云/…/天文十一壬寅如月 常州辺垂寓住雪村誌之、 |
1653 |
天文11 154202A 古画備考 |
雪村、常州辺垂に住む。 |
雪村…/○天文十一壬寅年如月、常州辺垂寓住雪村誌之、〈常野ノ境、鳥ノ子山麓尾形〉 |
1654 |
天文11 154203U27 多聞院日記 |
戒壇院の受戒堂の瓦を葺き替えについての記事。 |
祐金上人被来、戒段院受戒堂瓦フキノ勧進之間少入了、一枚六文ツゝ也云々、 |
1655 |
天文11 154204A02 親俊日記 |
足利義晴、室町殿造営開始。 |
公方様御普請初之 |
1656 |
天文11 154204A03 久政茶会記 |
武野紹鴎所持の道具についての記事。 |
[壬寅卯月三日]一堺紹鴎へ/…/円座カタツキ[肩衝]、方盆二、袋カントウ[間道]、 |
1657 |
天文11 154205A22 親俊日記 |
親俊、狩野の画事を見物する。 |
狩野所ニて絵見物之、 |
1658 |
天文11 154206A17 御湯殿上日記 |
近衛邸で扇合わせが行われる。 |
けふやうめいにて右京大夫なとみなみな*あふきあはせあるよしきこゆ。いかなる風流そやとそ。 |
1659 |
天文11 154207A21 証如上人日記 |
石山本願寺阿弥陀堂立柱。 |
辰刻、阿弥陀堂之立柱有之。 |
1660 |
天文11 154207A26 証如上人日記 |
石山本願寺阿弥陀上棟。 |
巳剋阿弥陀堂上棟有之。 |
1661 |
天文11 154211A05 証如上人日記 |
狩野元信、石山本願寺に召し出される。 |
狩野越前守就今度召下、令礼度之由雖申之、此間取乱之条、唯今召出之、 |
1662 |
天文11 154211A19 証如上人日記 |
石山本願寺阿弥陀堂へ本尊を安置する。 |
阿弥陀堂へ今日奉安置本尊〈新造也〉 |
1663 |
天文11 154211A19 私心記 |
石山本願寺阿弥陀堂へ本尊を安置する。 |
早朝ヨリ阿弥陀堂御誘候、各々参候。本尊ウツシ被申候、打敷下卓ニアリ。 |
1664 |
天文12 154302A15 紫野前住籍 |
千林宗桂没。 |
八十五世千林和尚諱宗桂…天文十二癸卯二月十五日寂 |
1665 |
天文12 154303A13 御湯殿上日記 |
根来の絵の詞を天皇がかく。 |
ねころのゑのことは御ふてをそめていたさるゝ。 |
1666 |
天文12 154306A19 御湯殿上日記 |
狩野(元信)宮中小御所で描き、舞を披露する。 |
かのに小御所にて御ゑをかき候つゐてに一ふしまわせらるゝ。 |
1667 |
天文12 154310A02 御湯殿上日記 |
内裏紫宸殿、小御所上棟。 |
しゝてん。小御所のむねあけ。 |
1668 |
天文13 154402A08 御湯殿上日記 |
宮中で大学寮の像?影供が行われる。 |
大かくれうの御ゑいかけさせられて。御かんきん御さらあり。はうしやうまいりて。かけまいらせらるゝ。 |
1669 |
天文13 154402A27 久政茶会記 |
千利休所持の道具についての記録。 |
[二月廿七日]一堺千宗易へ/…/珠光茶碗 |
1670 |
天文13 154405A12 証如上人日記 |
石山本願寺?寝殿、立柱。 |
寝殿立柱、辰刻半時計有之。 |
1671 |
天文13 154406A02 多聞院日記 |
多聞院英俊、かんていに屏風を誂える。 |
春覚房へ参シ、カンテヰヰ〈マゝ〉ニ屏風ノ絵誂之了、 |
1672 |
天文13 154406A03 証如上人日記 |
寝殿、上棟。 |
寝殿上棟無為遂行之〈巳刻過也〉 |
1673 |
天文13 154410A 厳助大僧正記 |
内裏記録所完成する。 |
同月[十月]、禁中記録所御造作。悉皆御座敷被搆也。 |
1674 |
天文13 154411A05 御湯殿上日記 |
内裏記録所完成する。 |
けふよりきろく所させらるゝ。 |
1675 |
天文13 154411A08 証如上人日記 |
石山本願寺綱所立柱。 |
今日綱所之立柱也。 |
1676 |
天文13 154412A07 言継卿記 |
土佐光茂、宮中記録所の襖絵を描く。 |
土左刑部大輔光茂記録所之御絵書之、 |
1677 |
天文14 154501A13 私心記 |
内裏紫宸殿書院押板棚に置物をおく。 |
宸殿書院押板棚等ニ置物ヲカレ候。 |
1678 |
天文14 154504A14 言継卿記 |
狩野元信の嫡子死す。 |
絵師狩野嫡子も今日死、云々、 |
1679 |
天文14 154507A14 私心記 |
石山本願寺寝殿?の狩野元信筆の襖絵についての記事。 |
朝勤以前ヨリ御戸開候。終日開也。夜燈爐[マゝ]御覧候、後収候。中山殿狩野(絵)見物候以前、収候。 |
1680 |
天文14 154508A12 言継卿記 |
土佐光茂、内裏記録所の襖絵を描き終える。 |
土佐刑部大輔参上,記録所之絵書了、 |
1681 |
天文15 154604A27 御湯殿上日記 |
狩野(元信)、内裏記録所の障子絵を描く。 |
かのに。きろく所の御しやうしの御ゑかゝせらるゝ。 |
1682 |
天文15 154612A22 光源院殿御元服記 |
足利義輝、佐々木定頼邸に御成。雪舟筆の作品などを贈られる。 |
同[十二月]廿二日御成次第。/弾正少弼定頼旅館江御成有之。…五献之時。御絵二幅。雪舟筆。/御盆〈堆朱。〉進上新将軍へ。 |
1683 |
天文16 154703A24 証如上人日記 |
石山本願寺新邸、立柱、上棟。 |
新亭立柱辰刻以前有之。巳刻過棟桁上之。 |
1684 |
天文16 154707U05 厳助大僧正記 |
神護寺で火事。 |
玄蕃頭高尾城落居。其勢五百計。丹波口郡ニ内藤彦五郎在陣之間。相如其手云々。神護寺金堂。講堂。塔婆。御影堂。潅頂堂已下一宇不残悉以放火。大門ハ夜叉神迄焼失云々。〈或説。於夜叉者。江州江行云々。〉 |
1685 |
天文16 154711A 法隆寺東院鐘楼大棟北鬼瓦銘 |
法隆寺東院鐘楼鬼瓦葺き替え。 |
施主〈知足坊律師/尭誉〉/天文十七年〈戊申〉十一月 日/作者兵衛三郎 |
1686 |
天文16 154711A 法隆寺東院鐘楼大棟南鳥衾銘 |
法隆寺東院鐘楼大棟南鳥衾修理。 |
天文十七年〈戊申〉十一月 日/大工兵衛三郎 |
1687 |
天文16 154712A26 証如上人日記 |
狩野新介、石山本願寺の屏風を描く。 |
狩野新介此間屏風絵書之〈自九月五日至今日也〉明日令上洛間、千疋、綿五把以源八遣之。仕事ハ百四日也。 |
1688 |
天文16 154712A26 証如上人日記 |
石山本願寺の襖絵完成。狩野元信ら払われた賃金の記事。 |
狩野越前へ、為此間之筆功百貫文。遣之。百廿日之内也。雖然今度者三所座敷書之間、如此。…新介ニ廿貫梅染三端、綿五把遣之。仕事之日者百八十日計也。 |
1689 |
天文17 154801A20 御湯殿上日記 |
内裏記録所の造成始まる。 |
けふよりきろく所の御さくしはしめらるゝ。 |
1690 |
天文17 154804A05 言継卿記 |
言継、西行絵巻中巻の詞をかく。 |
自長橋局昨日西行絵中巻、詞計可写与之由有之間、自今朝立筆、七時分出来之間遣之、 |
1691 |
天文17 154804A19 長享年後畿内兵乱記 |
清水寺塔を供養。 |
同十七〈戊申〉四月十九日。清水寺塔供養・ |
1692 |
天文17 154808A03 証如上人日記 |
石山本願寺、立柱。 |
御上立柱、卯刻半時計有之。…番匠共棟木上之。 |
1693 |
天文17 154808A25 証如上人日記 |
狩野元信ら、石山本願寺の襖絵を描き始める。 |
狩野自今晩以焼筆地取也。 |
1694 |
天文17 154809A20 策彦和尚入明再渡集 |
入明した策彦、雪舟、元信が描く扇などを豊解元に贈る。 |
斎罷謁豊解元。…/謹奉献薄贄。/小画参方等楊写・両面金扇壹柄・隻面金扇壹柄・元信写・濃紙八十張・小刀子一個〈計〉又以両金扇一柄贈豊大人令子。 |
1695 |
天文18 154909A02 証如上人日記 |
狩野元信についての記事。 |
狩野法眼今朝令下向条、昼令対面飲盃。 |
1696 |
天文18 154909A11 言継卿記 |
土佐光茂、阿弥陀如来像の制作を命じられる。言継、年中行事絵巻をみる。 |
[絵書]土佐刑部大輔、為禁裏薄所へ費召寄、阿弥陀可被書之由被仰付候、次年中行事之絵三巻被見之間、罷向一覧、以外之古物也。奧書天平元年とあり、光長、秀能、言ゝ等筆也、 |
1697 |
天文18 154912A12 宗達茶湯日記他会記 |
宗理の会で使われた道具についての記録。 |
同十二月十二日 宗[椋]理会/…/一水指 水こほし ひせん[備前]物/一かうらい[高麗]茶碗、茶たツ |
1698 |
天文18 154912A25 証如上人日記 |
狩野元信筆の絵完成。 |
狩野法眼絵卿出来候。日数者ハ十七日仕[カ]候。 |
1699 |
天文19 1550 万松院殿穴太記 |
足利義晴、土佐光茂に寿像の制作を命じる。 |
三日には土佐刑部少輔光茂を召て御じゆぞうを模させらる。 |
1700 |
天文19 1550 考古画譜 |
土佐光茂筆足利義晴像についての記事。 |
(補)同義晴公像/(補)万松院殿穴太記云、…/(補)真頼曰、衣冠帯剣の坐像なり、天文十九年五月三日、刑部少輔藤原光茂と名書あり、但、所蔵詳ならず、■本浅草文庫にあり、 |
1701 |
天文19 155005A 犬追物図模本奧書 |
土佐光茂、観音寺城本丸に犬追物図を描く。 |
天文十九年五月大屋形義秀郷依貴命/土佐刑部少輔光茂於江州観音寺城御城本丸/画之蒙仰之御記録蔵入。 |
1702 |
天文19 155005A 孝古画譜 |
土佐光茂、観音寺城に犬追物図を描く。 |
犬追物図 一巻/本云、天文十九年五月、六角屋形義秀依命、土佐刑部大輔光茂、於江州観音寺城画之、 |
1703 |
天文19 155005A04 続応仁後記 |
足利義晴葬儀に狩野元信筆の扇尽金屏風を表を外にしてたてる。 |
天文十九年庚戌五月四日戊辰卿辰の刻於江州穴太里新坊に前の征夷大将軍権大納言兼右近衛大将従三位源の義晴卿御逝去有り。…同き七日左大臣従一位を贈らる。…御帽子念珠袈裟御衣をまうゐらせ御棺に納め奉て、惣金の屏風一双表を外へ成し、是れにて囲て御棺を安置す。此屏風は清光院禅尼の許より進上有し扇の絵狩野法眼元信が筆也。 |
1704 |
天文19 155005A07 万松院穴太記 |
足利義晴葬儀に狩野元信筆の扇尽金屏風を表を外にしてたてる。 |
七日〈辛未〉寅の刻に穴太の新坊よりむなしき御からを東山慈照院に出し奉る。…其後御骸をうちにこめて。金屏〈清光院被進之。狩野/法眼書之。扇尽ナリ。〉一双を表をそとへなして立らる。 |
1705 |
天文19 155005U15 言継卿記 |
土佐光茂、足利義晴像の服制について言継に相談する。 |
土佐刑部大輔光茂来、万松院殿御影に、御直垂之腰古図に、或かひ、或かはす如何、又紐之色如何、又大口可重哉否之由尋之、予返答、直垂之腰は前こしは皆かう、後腰はかはさる者也、紐之色は浅黄茶之間可然歟、可重大口之由返答、 |
1706 |
天文19 155005U15 言継卿記 |
言継、山王縁起絵巻をみる。 |
叡山月蔵坊祐増法印、自禁裏被仰下、山王縁起十五巻持進了、…入江殿御所持之鏡壷被見之、奇特之物也、又山王縁起三巻被出之、各読之、 |
1707 |
天文19 155005U20 言継卿記 |
言継、鳴滝不動絵をみる。 |
次大所へ罷向一盞有之、鳴不動絵借用、老母以下下見之、 |
1708 |
天文19 155012A08 言継卿記 |
言継、養雪筆の絵をみる。 |
浄花院之うち松林院舜玉早旦来、絵〈越前国者養雪筆〉持来被見、 |
1709 |
天文20 155104A02 厳助大僧正記 |
上野安禅寺で火事。 |
従三井寺山科打入。上野安禅[祥カ]寺放火。 |
1710 |
天文20 155107A03 証如上人日記 |
狩野元信についての記事。 |
狩野越前法眼此暁令下国、申刻過令対面〈於亭也〉飲盃也。 |
1711 |
天文20 155107A14 公卿補任 |
相国寺で火事。 |
七月十四日相国寺放火乱妨等。細川右京大夫人数篭故。三好筑前守以下人数乱入。 |
1712 |
天文20 155107A14 厳助大僧正記 |
相国寺で火事。 |
晴元方人数出張。…相国寺至暁天取去云々。其跡ヲ懸火。諸塔頭伽藍悉一寺滅亡了、 |
1713 |
天文20 155107A14 長享年後畿内兵乱記 |
相国寺で細川、三好の戦いによる火事。 |
七月十四日早天。晴元諸兵楯篭于相国寺。則三好筑前将摂丹阿三ヶ国諸勢責之。其依る晴元諸勢敗北。于時相国寺悉炎上。 |
1714 |
天文20 155107A24 私心記 |
石山本願寺小殿で天神絵の詞を朗読する。 |
小殿ニテ天神絵ヨミ申候。 |
1715 |
天文20 155112A25 証如上人日記 |
狩野元信、石山本願寺での画事終了。 |
狩野法眼今日絵書果候。依之筆功遣分。… |
1716 |
天文21 155201A29 言継卿記 |
狩野元信、孫永徳とともに足利義輝に年賀に参上する。 |
武家へ今日内々御礼に可参、…[絵師]狩野法眼、同孫、…[奉行]伏せ奥太郎等御礼申、 |
1717 |
天文21 155209A05 証如上人日記 |
能阿弥が花山院のために描いた屏風についての記事。 |
為斎於興正寺蓮秀逝去之志、刑部卿調備也。…為遣物鞍一口〈金泉寺作〉長刀〈国俊〉小屏風一双〈能阿筆〉以使被出候間、此屏風者花園院へ書[マゝ]与旨記載之間、返遣之。 |
1718 |
天文21 155211A12 長享年後畿内兵乱記 |
建仁寺など火事。 |
十一月十二日三好筑前丹之城取退。同十三日夜建仁寺西門前自火。其火自西門至方丈寝堂法堂仏殿五頭首維那寮山門僧堂護国院並西来院。其外東塔頭等焼却。同二十八日于時冬至。晴元士卒自丹波小持山口将諸兵部西院城破却。公方御城霊山取懸。五条口放火。其火建仁寺之十如大龍南塔頭放火如此東払及夜陰勤之。 |
1719 |
天文21 155211A13 如是院年代記 |
建仁寺で火事。 |
建仁寺炎上。十一月十三日子刻。 |
1720 |
天文22 155301A26 私心記 |
本善寺実孝没。 |
今日七半時過、飯貝殿御[本善寺実孝]往生候。 |
1721 |
天文22 155301A27 私心記 |
本善寺実孝の肖像を少輔に写させる。 |
飯貝殿事申入候。飯貝殿今日沐浴シテ、御影ヲウツシサセ候。[絵師]少輔也。 |
1722 |
天文22 155301U27 御湯殿上日記 |
狩野元信、波、岸、客来一味の絵を献上。 |
かのほうけんなみきしきやくらい[マゝ]いちみのゑかきてしん上申。 |
1723 |
天文22 155302A22 私心記 |
飯川信隆ら、比曽世尊寺で太子伝絵、観音像をみる |
昼ヒソ寺[比曾世尊寺カ]へ行、太子伝見物候。法隆寺観音同作也。観音拝ス。 |
1724 |
天文22 155303A11 御湯殿上日記 |
法菩提院僧正、東寺縁起絵巻を朗読する。 |
ほうほたい院そう正まいりて。とうしのゑんきよませらるゝ。 |
1725 |
天文22 155304A19 証如上人日記 |
狩野元信、源七、二郎三郎、石山本願寺へ下向。 |
狩野法眼今朝令下向〈下部助衛門伴下也〉源七も二郎三郎も下也。 |
1726 |
天文22 155305A04 証如上人日記 |
狩野源七筆、墨屏風一双についての記事。 |
狩野源七ニ梅染三端〈代一貫六七百〉越中布五端〈代九百〉以中務遣之。是ハ墨屏風一双書之也。 |
1727 |
天文22 155312A09 宗達茶湯日記他全会記 |
武野紹鴎茶会の記録。 |
同十二月九日 大黒庵[紹鴎]会/…/一茶椀 志野茶椀也、 |
1728 |
天文23 155409A06 興福寺舍利厨子框座裏及基壇内裏面墨書 |
興福寺舍利厨子寄進される。 |
施主 成阿弥禅門 円明禅尼 蓮覚 賢宗 善殊 弘賢/天文二十三年〈甲寅〉九月六日寄進之 |
1729 |
弘治1 155510A20 御湯殿上日記 |
内裏内侍所の修理始まる。 |
けふないし所しゆりはしまる。 |
1730 |
弘治1 155510A29 今井宗久茶湯日記抜書 |
武野紹鴎没。 |
ゝ十月廿九日/紹鴎老遠行ノ段、子息新五郎[紹瓦]ヨリ申来、 |
1731 |
弘治2 155605A20 公卿補任 |
賀茂別雷社遷宮。 |
五月廿日賀茂社正遷宮日時定陣儀。同廿七日正遷宮。 |
1732 |
弘治2 155611A27 御湯殿上日記 |
八幡の絵叡覧。 |
八まんのゑいいきまいりて。御らんせらるゝ。 |
1733 |
弘治3 1557 京都府下画家墳墓記 |
狩野季頼の墓、泉涌寺にあるという記録。 |
狩野治部少輔季頼 泉涌寺後山 |
1734 |
弘治3 155701A 法隆寺聖徳太子勝鬘經講讃図裏面墨書 |
法隆寺聖徳太子図開眼供養行われる。 |
弘治三年〈丁巳〉正月日感得之太子像/表背并開眼供養〈同二月日□□之〉 |
1735 |
弘治3 155703A05 言継卿記 |
言継、地藏菩薩霊験記、沙石集外題を調えて進上する。 |
次自城地藏菩薩霊験記十二巻、〈五六巻上下〉沙石集十巻外題書事被申、則調遣了、 |
1736 |
永禄1 155804A09 言継卿記 |
相阿弥自筆の写本についての記事。 |
一[旨]、速水右近伝之、自大坂吉田治部少輔入道咲隠軒唐物〈天目之部類、絹綿類、盆香合類、〉見積之一巻、相阿弥自筆之写本送之、 |
1737 |
永禄1 155806U26 惟房公記 |
武田彦次郎筆の人丸像に天皇の賛を乞う。 |
兼右申云、武田彦次郎所新図之人丸賛之事、勅筆申入度由懇望也、 |
1738 |
永禄1 155809A09 今井宗久茶湯日記抜書 |
松永久秀?の茶会の記録。 |
同九月九日昼 松永殿御会…/一床ツクモ[作物]茄子、四方盆ニ、手水ノ間ニ取リテ、 |
1739 |
永禄2 1559012A05 御湯殿上日記 |
花の絵を写すよう、土佐に一枚、あんせん寺所のいや三郎に二枚、たけのうちに五枚命ぜらる。 |
しゆう日のあそひ。とさ一まい。あんせん寺所のいや三郎二まい。たけのうちに五まい花のゑのうつし事おほせらるゝ。 |
1740 |
永禄2 155909A19 御湯殿上日記 |
多武峯遷宮来二十九日との事。 |
くわんはく〈さきつく。〉よりあつみつして。たうのみねのせんくう来廿九日のよし申さるゝ。御心えのよし御かへり事あり。 |
1741 |
永禄2 155909A26 御湯殿上日記 |
多武峯遷宮のため勅使派遣される。 |
たうのみねへあつみつくたりの事。一てうゐんより申事ありて。まつとてなく。よりより人のほりたるよし柳原〈資定〉申。 |
1742 |
永禄2 155909A26 扶桑名画伝 |
狩野元信没。八十四才。 |
越前元信…永禄二年十月六日卒す、年八十四、〈或作八十三、又八十六、〉/(狩野祐清清邦信書上系譜云)…永禄二己未年十月六日、八十四歳ニ而、病死仕候、…/(専門画家譜云)…永禄二己未年十月六日卒、年八十四、…/(狩野家諸派系図云)…永禄二己未年十月六日卒、八十四歳 |
1743 |
永禄2 155909A27 言継卿記 |
多武峯遷宮のため勅使派遣される。 |
柳原弁今日多武峯江早旦下向云々、遷宮云々、 |
1744 |
永禄2 155910A02 言継卿記 |
多武峯より勅使戻る。 |
柳原弁淳光従多武峯戌刻上洛云々、 |
1745 |
永禄2 155910A06 御湯殿上日記 |
多武峯から遷宮御礼の千疋が来る。 |
たうのみねよりせんくうの御れい千疋まいりて。御くはりになる。 |
1746 |
永禄2 155910A06 画工譜略 |
狩野元信没。八十四才。 |
狩野永仙元信…行年八十四にして永禄二年己未十月六日卒、 |
1747 |
永禄2 155910A06 狩野五家譜 |
狩野元信没。八十四才。 |
二代元信…永禄二己未年十月六日卒す、寿八十四歳、 |
1748 |
永禄2 155910A12 御湯殿上日記 |
御かくもん所のたなの戸に土佐が絵を描き、引き手が打たれる。 |
御かくもん所のたなの戸。とさかきたるかたへ。ひきて打なをさせらるゝ。 |
1749 |
永禄2 155912A04 御湯殿上日記 |
上乗院から立花の様を写したものが来る。 |
上乗院より花のたて様ゑにうつしたる十七まいる。 |
1750 |
永禄2 155912A09 御湯殿上日記 |
土佐所から花の図が完成、届けられる。 |
とさ所より花の図うつしてまいる。 |
1751 |
永禄3 156003A05 御湯殿上日記 |
せう名院、二尊院の縁起を持ち来たる。小御所にて読む。 |
せう名院二そんゐんのゑんきもちてまいりて。小御所にてよみまいらせらるゝ。 |
1752 |
永禄3 156006A 厳助大僧正記 |
新御所移徒。 |
六月。新御所御移徙。 |
1753 |
永禄3 156006A19 御湯殿上日記 |
こよひふけにわたましな[あカ]り。 |
こよひふけにわたましな[あカ]り。 |
1754 |
永禄3 156007A22 御湯殿上日記 |
ふけ?から金磨付の屏風三双が届けられる。一双(四季の梅)は土佐。一双は狩野。四季の波。 |
ふけよりきみかきつけの御ひやうふ三さうまいる。一さう[しきの梅色々*]はとさ。一さうはかの。四季のなみ。うちつな[れカ]たるかも。 |
1755 |
永禄3 156007A29 御湯殿上日記 |
土佐筆、車争図屏風。下描きが届く? |
とさ御ひやうふの御ゑやう。くるまあらそひの所。下かきまてのこうちよりまいる。 |
1756 |
永禄3 156008A21 御湯殿上日記 |
常御所の屋根むねあけしまいらせて(?)仮葺する。 |
けふよりつねの御所の御やねむねあけしまいらせて。そとかりや[ふ]きしまいらせ候。 |
1757 |
永禄3 156009A05 御湯殿上日記 |
土佐光茂、屏風の下描きをのこうちとのにてする。 |
光茂けふより御ひやうふの下かきまてのこうちとのにてする。 |
1758 |
永禄3 156011A05 源氏物語竟宴記 |
源氏物語講が行われる。紫式部石山寺図を土佐将監に描かせる。 |
永禄三庚申年十一月癸酉。今日源氏物語講竟宴也。…八月廿九日に上洛して。暮秋の期に再興し。仲冬丁卯に功終ぬ。歓喜の心譬をとるに物なし。事なし。頽齢此巻ノ数に逢ふこと。是又過去の宿因あさからざるもの也。仍冥慮を感じ。石山寺を図して。紫式部此趣向を思ひめぐらすかたち。則如意輪観音の尊像を観して。絵所土佐将監に図さしむ。其讃云。…/爰九条入道博陸[稙通]殿下。耽翫此物語年久矣。[公条]予亦至七旬余之頽齢。猶手之不廃。似元凱之癖。頃詣殿下読申之。殿下不獲止。命尽工図之。維時永禄三仲冬五日。/仍覚 |
1759 |
永禄3 156011A12 御湯殿上日記 |
土佐が描いたけんしの掛幅、せうみやう院から届けられる。 |
とさかきたるけんしのかけゑせうみやう院よりまいる。みなみな*にも見せらるゝ。 |
1760 |
永禄3 156012A20 御湯殿上日記 |
土佐所から屏風が大体描いて届けられる。 |
とさ所より御ひやうふ大かたいてきてまいる。 |
1761 |
永禄4 156104A10 私心記 |
二尊院へ行き、法然足引御影、七ヶ条起請文等を拝見する。 |
二尊院へ行、法然足引御影、七ヶ条起請文等拝見候。 |
1762 |
永禄4 156107A11 御湯殿上日記 |
せうみやう院から越前のあきふちの大明神の縁起の解題を頼まれる。 |
せうみやう院よりゑちせんのあかふちの大みやうしんのゑんきの下代[解題]申さるゝ。 |
1763 |
永禄4 156107A12 御湯殿上日記 |
せうみやう院からのあかふちの縁起の解題に筆を染める。 |
きのふせうみやうゐんより申さるゝあかふちのゑんきの下代。御ふてをそめられていたさるゝ。 |
1764 |
永禄4 156109A12 御湯殿上日記 |
せうみやう院から紺地の心経?の料紙が届けられる。 |
せうみやう院よりこんしのしんきやうの御れうしいてきてまいる。 |
1765 |
永禄4 156109A20 御湯殿上日記 |
心経を書いてせうみやう院に届けられる。表紙の泥絵はいつものようになかはしから土佐卿部大輔に命ずる。 |
心きやうあそはして。せうみやうゐんへつかはさるゝ。御へうしのていゑ[泥絵]いつものことくなかはしよりとさのきやうふの大ゆふにおほせらるゝ。かしこまりたるよし申。 |
1766 |
永禄4 156109A22 御湯殿上日記 |
土佐所から預けていた心経の表紙の泥絵が届けられる。又来月三日の御用に阿弥陀経を経師に命ずる。 |
とさ所より御あづき。しんきやうの御へうしのていゑいてきて。又らい月三日の御ように。あみたきやうきやうしよりおほせつけらるゝ。 |
1767 |
永禄5 156202A14 宗達茶御湯殿上日記日記他会記 |
うるしや源三郎の茶会が朝行われる。平釜、小板、床には鷺絵。 |
同二月十四日朝 [うるしや]源三郎会/一平釜、小板ニ、…/一床 鷺絵、茶之前ニ、 |
1768 |
永禄5 156203A18 春日大社石燈篭刻銘 |
山田道安、春日社に石灯篭を寄進。 |
永禄五年〈壬戌〉 道安/春日社奉寄進 為現世安穩後世善処〈山田村人〉/三月十八日 重宗 |
1769 |
永禄5 156204A15 御湯殿上日記 |
せい和院のちさうのゑきのやうなるもの御しゆすまいりて??。せうみやう院に読ませる。 |
せい和院のちさうのゑきのやうなるもの御しゆすまいりて。せうみやう院によませらるゝ。 |
1770 |
永禄5 156207A20 狩野五家譜 |
狩野宗信没。四十九才。 |
三代宗信…同五壬戌七月廿日卒す、寿四十九歳、 |
1771 |
永禄5 156207A20 古画備考・中橋系図 |
狩野宗信没。四十九歳。 |
祐雪宗信…同五年壬戌七月廿日病死、年四十九、 |
1772 |
永禄5 156207A20 扶桑名画伝 |
狩野宗信没。四十九歳。 |
法眼宗信…永禄五年〈或作六月〉廿日〈或作十日〉歿す、年四十九〈或作三十一又三十七又四十二〉、…/専門画家譜云…永禄五年壬戌七月廿日卒年四十九…/狩野祐清邦信書上系譜云…同五壬戌七月廿日四捨九歳ニテ病死仕候 |
1773 |
永禄5 156208A21 朝倉始末記 |
一乗の阿波賀河原にて曲水宴を催す。曽我宗譽。 |
…遂ニ一乗ノ阿波賀河原ニシテ曲水ノ宴ヲソ催サレケル…/曾我宗譽 |
1774 |
永禄5 156208A21 永禄五年一乗谷曲水宴詩歌 |
宗譽旅人渡橋の一句。七月に越前へ行き、中秋下旬、空の景色が春と同じように見えたので、曲水宴を興行し詩歌を集めた一牧を称名院前右府に見せて・・・。 |
旅人渡橋 宗譽/たつねゆきさとちかくなる旅人の橋うちわたす駒そいはふる/…/文月のはしめつかた。越前へおもむき侍り。国のかみ心さしをはこひ。興をさかすへき思ひをめくらしけるにや。中秋下旬空のけしきも春にひとしく思ひよそへて。曲水宴を興行せし詩歌かきあつめたる一巻を。称名院前右府に見せたてまつりけるに。…/永禄五年八月廿一日 |
1775 |
永禄6 1563 住吉広行模本奧書 |
雪村周継、牧谿筆八景中軸を写し奉進。 |
法常牧溪和尚朝暮遠近万里江峯山/気生動八景中軸図之/奉進上/永禄六年初秋継雪村鶴船老(花押) |
1776 |
永禄6 1563 古画備考 |
雪村周継、牧谿筆八景中軸を写し奉進。 |
雪村…/○雪村、牧溪写八景巻物、甲子七月、大善子持参、口と奥に書付有、各八景題目に印を押、奧書/法常牧溪和尚朝暮遠近万里江峯/山気生動八景中軸図之/奉進上/永禄六年初秋継雪村鶴船老 |
1777 |
永禄6 156302A02 御湯殿上日記 |
卿部大夫から御かいのゑ十?が届けられる。又二は書く?。 |
きやうふのたゆふより御かいのゑ十いてま[き]てまいる。又二かゝせらるゝ。 |
1778 |
永禄6 156304A02 御湯殿上日記 |
東寺の塔、落雷により火事。 |
このあか月とう寺のたうかみなりあまりて。その□にてやけ候。 |
1779 |
永禄6 156308A12 御湯殿上日記 |
天文十七年、高雄が兵火にて焼けたので興隆の為の倫旨を出すよう、日野一位が前内府を通して言ってくる。 |
たかをてん文十七年にひやうくわにてやけたるとて。こうりうのためりんしの事。日のゝ一位。前内ふして申されて。御心のよしおほせらるゝ。 |
1780 |
永禄6 156309A23 公卿補任 |
伊勢外宮正遷宮。 |
九月廿三日伊勢外宮正遷宮。 |
1781 |
永禄7 156404A07 御湯殿上日記 |
やふ大納言が参上、衝立障子の絵を御前にて描く。 |
やふ大納言まいりてついたちしやうの[し脱カ]ゑ御まへにてかゝる。 |
1782 |
永禄7 156405A08 御湯殿上日記 |
やふ大納言、絵を描く。 |
やふ大納言ゑかゝるゝ。 |
1783 |
永禄7 156406A27 言継卿記 |
石山寺縁起五巻、禁裏に持参、鑑賞。 |
石山寺之縁起〈五巻〉禁裏へ被入見参、予持参、 |
1784 |
永禄7 156407A03 御湯殿上日記 |
小御所にて石山縁起、竹のうちとのがなさる。しん大すけ殿御まいり。 |
こ御所にていし山のゑんき竹のうちとのあそはして。しん大すけ殿御まいり。 |
1785 |
永禄7 156407A06 言継卿記 |
伏見殿に参る。六角堂の太子伝之絵五幅の事を書かせ読み終わる。 |
自伏見殿可参之由有之間則参、六角堂[頂法寺]之太子伝之絵五幅之事書被読了、 |
1786 |
永禄7 156412A28 御湯殿上日記 |
大阪が焼けて源中納言が来るとの事。 |
大さかにはかにやけて。源中納言くたるよし申。 |
1787 |
永禄8 156505A 東大寺南大門肘木刻銘 |
サシカワラ、チヤウイ(丁亥?)ノヒノハシメサシソロサイクフ行 |
永禄八年五月中旬サシカワラチヤウイノヒノハシメサシソロサイクフ行 |
1788 |
永禄8 156511A14 御湯殿上日記 |
山科からの誓願寺の本地絵を鑑賞なさる。 |
山しなよりせいくわんしのほんちのゑ御めにかけられ候。 |
1789 |
永禄8 156512A12 言継卿記 |
誓願寺から十念寺の縁起上下二巻が届く。長橋へ持参、叡覧に御す。次に誓願寺の縁起が届く。 |
自誓願寺誓忍来、近所十念寺之縁起上下ニ巻到、則長橋へ持参、備叡覧了、次誓願寺之縁起一巻到、 |
1790 |
永禄9 156602A22 永禄九年記 |
絵書源左衛門罷下也。 |
絵書源左衛門罷下也。 |
1791 |
永禄9 156603A06 君台観左帳記奧書 |
能阿弥自筆、君台観左帳記を成身院順盛法印が写す。 |
以上五枚半ハ能阿注置以自筆本故成身院順盛法印被写之/以上永禄九年〈丙寅〉三月六日片刻之間写之先年雖写置之奧書之趣証本歟之間亦写留之者也但於文字者不審之字弥以多之者也殊以片仮名付之様一段無覚束之事巨多也然而毎端任写本■写本賢聖院■〈学泉房律師〉聞書歟外題云雑集抄ト在之以外色々事書交者也写本者如正本也六行宛也仍五枚半在之/実暁〈五十歳〉 |
1792 |
永禄9 156604A01 永禄九年記 |
狩野府で屏風を新衛門が所持するとの事、借りて観るにシャクヤクシキと号する。 |
狩野筆屏風新衛門所持云々。借寄見之絵取。シャクヤクシキト号之云々。 |
1793 |
永禄9 156604A29 永禄九年記 |
矢野参上。屏風絵を始める。 |
矢野参。従今日屏風絵始之。 |
1794 |
永禄9 156607A16 御湯殿上日記 |
狩野けん七に扇を描かせる。 |
かのけん七に御あふきかかせらるゝ |
1795 |
永禄10 156705A18 多聞院日記 |
多聞山火事。妙舜院は残る。戒壇院授戒堂等焼失。 |
今日東山ヨリ多聞山へ取寄了、無殊儀引退了、多聞山より焼了、般若寺・文殊堂・仏餉屋・妙光院・観音院焼、文殊モ被焼了ト、妙舜院ハ残歟、戒壇院ノ授戒堂・松井安芸宿所、西院郷・北水門・南水門悉以焼払了、 |
1796 |
永禄10 156705A19 言継卿記 |
近衛殿へ参る。御座敷絵、狩野源二郎筆。 |
近衛殿へ参、…御座敷絵狩野源ニ郎書之、 |
1797 |
永禄10 156706A15 言継卿記 |
近衛殿へ参る。課の新四郎等と雑談。狩野御座敷絵を数日描く。 |
近衛殿へ参、…狩野新四郎等暫雑談了、狩野御座敷之絵数日書之、 |
1798 |
永禄10 156707A22 言継卿記 |
近衛殿へ参る。狩野源四郎以下三人御座敷絵を描くのを見物。 |
近衛殿へ参、…狩野源四郎以下三人御座敷之絵書之、見物了、 |
1799 |
永禄10 156707A23 多聞院日記 |
戒壇院千手堂火事。 |
今日午剋戒壇院千手堂焼了、三人衆調略故五人裏帰テ焼了、終ニ内ノ人数ハ不迦相拘了、 |
1800 |
永禄10 156710A10 東大寺諸伽藍略録 |
東大寺火事。 |
永禄十〈丁卯〉年十月十日。松永弾正。与三好修理太夫争戦之時。大殿〈并〉諸堂廊門悉回禄畢。大像。〈并〉南大門。鐘楼。法華堂。二月堂。転害門免煙焔。于今存之。 |
1801 |
永禄11 1568 東大寺諸伽藍略録 |
大仏殿焼失、大仏損傷を山田道安が銅板にて修復。 |
永禄年中大仏殿焼失之時。大像免煙焔。御頭墜地。其後当国山田道安。以銅板修之。仏之御身内。以洪材縦模[横]支之。 |
1802 |
永禄11 156802A10 御湯殿上日記 |
おかの御所に昨日より御逗留、たけのうち殿参上して奈良の大仏縁起を鑑賞。 |
おかの御所きのふ夕かたより御とまりありて。たけのうち殿御まいりにて。ならの大ふつのゑんきあそはさるゝ。 |
1803 |
永禄11 156802A24 言継卿記 |
近衛殿に久しぶりに参る。狩野源四郎御座敷絵を描くのを見物。 |
久不参之間近衛殿へ参…狩野源四郎御座敷之絵書之間暫見物了、 |
1804 |
永禄11 156803A27 御湯殿上日記 |
十月十日、奈良の大仏焼失。倫旨を出す。 |
ならの大ふつこその十月十日ひようくわにつきて。りんしのこと。こんねとの。ニてう殿。すいしんいん文まいりて。ならよりもしそうのほりて。くわんしゆ寺中納言申されて。りんし国ゝへいつる。 |
1805 |
永禄11 156805A29 言継卿記 |
近衛殿へ先日のお礼に参る。狩野源四郎御葛袴絵を描く。 |
次近衛殿ヘ先日之御礼に参、…狩野源四郎御葛袴絵書之、 |
1806 |
永禄11 156810A 東大寺仏餉鉢陰刻銘 |
吉久、仏殿仏餉鉢を制作。 |
仏殿仏餉鉢/永禄十一十月日/吉久作 |
1807 |
永禄11 156810A10 多聞院日記 |
多聞山にて合戦、法花堂、大仏殿焼失。 |
今夜子初点より、大仏ノ陣ヘ多聞山より打入合戦及数度、兵火の余煙ニ穀屋ヨリ法花堂ヘ火付、ソレヨリ大仏ノ廻廊ヘ次第ニ火付テ、丑剋ニ大仏殿忽焼了、…尺迦像モ湯ニナラセ給了 |
1808 |
永禄11 156810A11 言継卿記 |
昨日、南都東大寺大仏殿、炎上。 |
去夜南都東大寺大仏殿炎上云々、 |
1809 |
元亀1 1570 付属文書 |
信玄、座主就任御拝任に絵一幅(猿)を献上。 |
就座主御拝任 令旨謹而頂戴殊 綸言拝見先以目出度奉存候 向後者田舎相当之御用に被仰付候之様可預御取合候 仍絵一幅〈猿〉令献之候之趣宣令洩申賜候 恐々謹言/七月十九日 信玄(花押)/丁務法眼御房 |
1810 |
元亀1 157001A28 多聞院日記 |
元興寺弥勒堂跡から石櫃発掘。金多数。人夫が三人で取って逃げたとの事、実否は知らず。嘘である。 |
元興寺弥勒堂ノ跡ヨリ、石ノ櫃ホリ出、金数多在之、人夫三人シテ取逃了ト、実否ハ不知、ウソ也、 |
1811 |
元亀1 157010A04 御湯殿上日記 |
やまやけた。 |
こよひやまやけ候。 |
1812 |
元亀2 1571 日親上人筆法華本尊幅裏面銘 |
長谷川等伯父母供養に日親上人法華本尊を寄進。 |
此開山親師聖人之御本尊者、長谷川等伯法名日妙、為父道浄母妙相三十三年追幅、致寄進、則当寺之什物而奉御宝蔵納之者也、所以加愚筆而已/慶長八〈太才癸卯〉七月十七日/当住沙門日通(花押) |
1813 |
元亀2 157104A11 言継卿記 |
真如堂仏殿、近日、取立の作事終わる。 |
真如堂仏殿近日取立之作事■向見之 |
1814 |
元亀2 157104A23 多聞院日記 |
大仏へ詣でる。本尊は柱を立て替えて、下地を作るとの事。 |
大仏ヘ詣了、本尊柱ヲ立カヘテ下地ニテ可作之用意、昔モ本尊ノ腹中ニ心柱在之、 |
1815 |
元亀2 157105A17 言継卿記 |
真如堂本尊(弥陀)、遷座。 |
今朝真如堂之本尊〈弥陀〉、遷座、 |
1816 |
元亀2 157109A12 公卿補任 |
織田信長、比叡山に放火。 |
九月十二日叡山中堂日吉社三院一宇不残放火。織田弾正忠信長発向。 |
1817 |
元亀2 157109A12 御湯殿上日記 |
信長、比叡山、坂本などに放火。山王、八王子などまで焼く。 |
のふなかのほりて。ひゑの山。さかもとみなみなのこらすはうくわする。そのほか山王。八王寺[子]なとまてやく。 |
1818 |
元亀2 157109A12 多聞院日記 |
信長、比叡山・ワニ・カタタ・坂本に放火。 |
比叡山・ワニ・カタゝ・坂本悉以信長ヨリ放火了ト云々、実否不知、 |
1819 |
元亀3 1572 画乗要略 |
雪村周継、常陸に流寓。 |
僧雪村…梅泉曰、…按雪舟永正三年寂、元亀三年雪村流寓常陸、自永正三年至元亀三年其間相距六十余年、 |
1820 |
元亀3 157203A28 御湯殿上日記 |
狩野民部の屏風、完成して届けられる。 |
もせいたうして。かのみんふにせ給し御ひやうふいてきてまいる。み事にきさんしなり。 |
1821 |
元亀3 157204A29 東大寺絵所日記 |
大仏殿の沙汰、山田道安を大勧進とする。絵所、法橋を助け、四月二十八日、大殿出、釈迦如来は薄を挿し、本尊は蓮花一本をかくよう命ずる。 |
大仏殿其沙汰大勧進[山田房]道安法師、絵所助法橋、同四月廿八日大殿出、同尺迦如来可挿薄事、并蓮花一花本尊カキ可申事候、 |
1822 |
元亀3 157207A25 御湯殿上日記 |
狩野民部に命じていた八景絵完成、届けられる。 |
かのみんふにおほせらるゝ八けいの御ゑ。いてきてまいる。 |
1823 |
元亀3 157208A21 御湯殿上日記 |
相国寺のきゃうちゃうらうに八景詩を書く。 |
しやうこく寺のきやうちやうらうに。もせ(い脱カ)たうしておほせらるゝ八けいの詩つくりてかきてまいる。 |
1824 |
元亀3 157208A25 御湯殿上日記 |
さくけんから八景の詩が届けられる。 |
さくけんより八けいのしつくりてかきてまいる。 |
1825 |
元亀3 157210A18 兼見卿記 |
狩野民部直信を呼び、家君寿像を命ずる。公家装束、常之儀、帯剣にて描くよう伝える。 |
被召寄狩野民部[直信]、家君御寿像之事被仰付、令下書帰京了、重而申来、装束之事如何、常之儀也、公家装束也、可為帯剣也、猶一書申遣了、 |
1826 |