文化財情報資料部 >過去のオープンレクチャー >第37回オープンレクチャー 日本における外来美術の受容
第37回オープンレクチャー
日本における外来美術の受容
 

2003年10月17日(金)・ 10月18日(土)
いずれも午後1時30分~午後4時30分
東京文化財研究所・地下セミナー室

東京文化財研究所美術部では、毎年秋に研究成果を一般に公開するために講座を開いています。
今年は下記テーマのもと、 2 日連続で 4 人の講師による講演会を行いました。(チラシ:PDF/374 KB)

2003年10月17日(金)
午後1時30分~午後4時30分 於 東京文化財研究所・地下セミナー室
古代日本における極楽イメージの受容
勝木 言一郎(東京文化財研究所美術部主任研究官)
法隆寺金堂壁画第6号壁や当麻曼荼羅はこれまで日本古代の浄土教美術を代表する作例として総括され、そして「法隆寺金堂壁画から当麻曼荼羅へ」という史的展開が語られてきました。しかし中国において類似作例に関する情報がしだいに明らかにされ、こうした関連図像の展開について考察が可能になったことで、それらに対する位置づけも見直す時期に着たと思われます。そこで今回の講演ではそれぞれの作品解釈を踏まえた上で、浄土図の展開に対する見方、日本における浄土教美術研究形成のメカニズム、そして阿弥陀三尊五十菩薩図・阿弥陀浄土変相に関する中国での展開、日本での受容、そして中国と日本におけるその後の展開について解説していきたいとおもいます。


日本に請来された宋時代の版画
内田 啓一(昭和女子大学助教授)
平安時代には我が国に絵画・彫刻・工芸・書など種々の品々が入宋僧によって中国から請来されました。従来あまり注目されませんでしたが、版画も請来されています。それは作例が遺されていないことも一因と思われますが、版画は請来されると、図像に写され、寺院の宝蔵に納められました。密教図像のなかには原本が版画と思われるものが少なからず伝来します。中国では十世紀中頃より木版画が盛行し、それ以降に入宋したちょう然や成尋が版画を日本に請来しています。ここでは、中国で制作された版画に注目し、それがどのようにして入手され、請来され、そして我が国でどのような姿となって活用され、また、伝来したかを考えてみます。

 
2003年10月18日(土)
午後1時30分~午後4時30分 於 東京文化財研究所・地下セミナー室
雪舟入明を考える
綿田 稔 (東京文化財研究所情報調整室研究員)
雪舟が一四六七年に渡明したことは美術史上、非常に有名な出来事です。しかし雪舟のような経験をしたのは雪舟しかいません。また日本美術史上に雪舟のような中国理解が一大潮流を形成したともいえません。したがって、雪舟入明を東京美術学校で学んだ若い画学生たちが西欧へ留学するのと同様に考えてはいけないといえます。また、伝記研究が他の室町時代の画家と比較して飛び抜けて進んでいる雪舟ですが、彼をめぐる言説には種々の伝説がまとわりついており、逆に事実が見えにくくなっている場合もあります。本発表では、一度「どこまでしかわからないのか」に立ち戻り、そこから現時点でどのような語りが再度組み立てられるのかを問うことを試みます。


「物はやりする」画家たち -江戸時代絵画の中の唐絵-
成澤 勝嗣 (神戸市立博物館学芸員)
江戸時代のはじめ、隠元禅師が中国から黄檗禅を伝えたとき、そこに集まってきたのは多く「物はやりする若者たち」であったといいます。黄檗は、流行に敏感な若者たちに、物珍しい文化を提供したのです。好奇心いっぱいの日本の画家たちにとっても、黄檗は新しい絵画情報の宝庫であり、創作の飛躍をうながす契機を与えてくれました。唐絵とは、その中から生れてきたあらたな絵画スタイルです。一般にはあまりなじみのない名前でしょうが、唐絵はまず長崎で発生し、のちには伊藤若冲のような個性的な画家にも影響を与えていると思われます。河村若芝、鶴亭といった、最近ようやく注目されつつある唐絵の画家を紹介しながら、江戸時代絵画と唐絵のかかわりを探ります。

page top
東京文化財研究所