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第35回オープンレクチャー
日本における外来美術の受容
 

2001年10月20日(土)・ 10月27日(土)・ 11月3日(土)
いずれも午後2時00分~午後3時30分
東京文化財研究所・地下セミナー室

美術部では、毎年秋に美術史研究の成果を一般に公表するための講座を開催し、本年で35回目を迎えました。当オープンレクチャーは従来、公開学術講座の名で親しまれてきましたが、当研究所の新庁舎と美術部の活動を外部に知ってもらうために、美術部オープンレクチャーと名称を改め、当研究所のセミナー室において開催するとともに、聴講者の要望に応えて開催日時を従来の水曜日の午後から土曜日の午後に変更しました。
また、ひとつのテーマのもとに3回の連続講座の形態をとることを試みました。すなわち、今年度は美術部の研究プロジェクトのひとつである「日本における外来の美術の受容に関する調査研究」をとりあげ、連続講演のかたちをとりながら多角的に標記のテーマについて考えてみました。

2001年10月20日(土)
午後2時00分~午後3時30分 於 東京文化財研究所・地下セミナー室
着装する仏像 -仏像と人形のあいだ-
奥 健夫(文化庁文化財部美術学芸課調査官)
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、仏像を裸形もしくは下着のみをつけた姿に造り、これに実際に布で作った装束を着せることがしばしば行われました。こうしたいわゆる着装像は、仏像の「人形」化などと評され、時代性としての現実主義が過度にはたらいた結果、彫刻の本質からの逸脱をもたらした例として語られるのが常であり、しかも、多くの鎌倉彫刻史の記述において着装像のことは最後に短く言及されるにとどまるのが実情です。しかしながら、仏像という存在について当時の人々がどのような意識を抱いていたかを考えようとするとき、仏像に着装させるという行為は大きな手がかりとなり得るものとみられます。本発表ではこの問題を着装像を法会とのかかわり、中国受容、さらには人形との関係などの点から多角的に考察を試みました。

 
2001年10月27日(土)
午後2時00分~午後3時30分 於 東京文化財研究所・地下セミナー室
明治絵画再考 -青木繁を中心に-
田中 淳 (美術部黒田記念近代現代美術研究室長)
明治中期の美術界に彗星のごとく登場し、また不遇のうちに夭折した画家・青木繁(1882-1911) は「海の幸」などの作品によって、現在もなお広く親しまれています。そうした青木の生涯と作品によって、彼とその作品を取り囲んだ「明治」の絵画の本質を逆に照らしだすことを目的に発表を行いました。

 
2001年11月3日(土)
午後2時00分~午後3時30分 於 東京文化財研究所・地下セミナー室
エドワード・モースと蜷川式胤 -明治初期の美術研究と交流-
鈴木 廣之 (美術部日本東洋美術研究室長)
大森貝塚の発掘でよく知られているエドワード・モース( Edward S. Morse, 1838-1925 )は明治10年(1877)に来日し、東京大学理学部で動物学を教えました。一方、にながわ蜷川のりたね式胤(1835-1882 )はモースほど有名ではありませんが、明治初期の文化財保護行政の中心におり、明治5年(1872)の正倉院宝物調査はよく知られています。この立場の違う二人は、古い物、とくに陶磁器の収集と研究に共通の関心がありました。そして、モースの日記『日本その日その日』は同世代の蜷川との友情をよく伝えており、蜷川は体系的な収集と研究の方法をモースから学び、モースは収集に欠かせない鑑識の方法を蜷川から手ほどきを受けていました。開国後2~30年を経た時期に江戸時代からつづく学問は大きく変貌します。その様子をこの二人の活躍から辿ってみました。


聴講者は153名に及びました。なお、この美術部オープンレクチャーは台東区と共催の形態をとり「上野の山文化ゾーンフェステイバル」の一環として開催しました。
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