屋外彫刻調査保存研究会の活動について

田中修二
大分大学
主著等: 『海を渡り世紀を超えた竹内栖鳳とその弟子たち』(共著、思文閣出版、2002年)
『彫刻家・新海竹太郎論』(東北出版企画、2002年)
「福田平八郎の「装飾画」」『大分大学教育福祉科学部研究紀要』26巻1号(2004年4月)
「近代日本彫刻と第一次世界大戦」『大正期美術展覧会の研究』(東京文化財研究所編、中央公論美術出版、2005年)
「戦前の文献にもとづく作品台帳制作と所在調査(全国調査)についての報告と考察」『屋外彫刻調査保存研究会会報』4号(2008年7月)

 屋外彫刻調査保存研究会は1997年6月、彫刻家や保存修復家、保存科学者、自治体関係者、美術史研究者などによって結成された。その第一の目的は、メンテナンスフリーなものとして多くが放置された現状にある、日本各地の屋外彫刻作品が適切に管理されていくように、それらを所有する自治体などへ働きかけていくことにあった。
 日本において、不特定多数の人びとが集まる屋外の公共空間に彫刻作品を設置することは、明治時代に西洋からモニュメントの概念が移入されたときに始まり、それ以前にはほとんど例がない。その後数多く設置された屋外彫刻作品は、現在にいたるまでに3度の深刻な受難を経験した。1第二次世界大戦中の金属供出、2敗戦直後の軍国主義的と見なされた作品の撤去、3そして現在もつづいている大気汚染の影響によるダメージの進行とそれに対する人びとの無関心である。
 現在の日本における屋外彫刻作品の保存のあり方とは、こうした歴史をふまえねば考えることはできない。つまり屋外彫刻に対する人びとの見方、作品を生み出す技術や表現、それを取り巻く社会や自然の環境といったさまざまな要因の歴史的な変遷のうえに、現在の屋外彫刻作品の状況は成り立っているのである。
 以上のような考えから、研究会ではこれまで主に次のような活動を行なってきた。
(1) 屋外彫刻作品の個別調査:大熊氏廣による明治期の《大村益次郎銅像》(東京・靖国神社、1893年)と《有栖川宮熾仁親王銅像》(東京・有栖川宮記念公園、1903年)、保田龍門による昭和前期のセメント像《吉田松陰形像》(静岡県下田市、1942年)を調査した。
(2) 明治期から昭和初期に日本各地に設置された屋外彫刻作品の現状調査:1928年に刊行された銅像写真集『偉人の俤』を基本文献として、主に同書に掲載された銅像計630体を対象に、戦時中の金属供出やその後の撤去・移設などについて調査した。
(3) 戦後の屋外彫刻についての調査:美術評論家で本研究会の初代会長であった故・柳生不二雄の活動を追いながら、実際に屋外彫刻作品を制作してきた彫刻家たちへのインタビューも行ない、戦後における屋外彫刻の動向を調査した。
 今回の発表では(2)を中心にこれらの活動を紹介し、日本における屋外彫刻の歴史と価値、その保存のあり方などについて、発表者が大分市と連携して現在実施している屋外彫刻メンテナンス活動にも触れながら考察したい。それは彫刻作品が「ある」、あるいは「ない」とはどういうことなのかを、人びとの記憶や、その作品を伝えていくことの意欲などをふまえつつ、とらえようとする試みでもある。