オリジナルとその保存 ― 文化財アーカイブの可能性と限界 ―

加藤哲弘
関西学院大学
主著等: 『明治期日本の美学と芸術研究』(科研費報告書、2002年)
「複製の復権―オリジナリティ神話を越えて」『西洋美術研究』11号(2004年)
「ハンブルクのファクシミリ論争とパノフスキー―美術史研究と複製技術」『西洋美術研究』11号(2004年)
『美学における啓蒙と未開―現代的視点からの美学史の再構築のために―』(科研費報告書、2006年)
「リーグルにおける記念物の芸術性―理論形成の背景をめぐって―」(科研費報告論文、2007年)

 「オリジナル」とは何か? われわれは「オリジナル」をなぜ、そしてどのように保存すべきなのか? このやっかいな問いへの答えを探ることがここでの課題である。
 本論では最初に「オリジナル」ないしは「オリジナリティ」の語義を確認する。この語が指す意味は多様であるが、大きく分ければ少なくとも「当初」「真正」「独創」「唯一」という4つの意味が一般には通用している。
 このうち現在のわれわれが「オリジナル」であることに固執することの背景となっているのは、「当初」と「独創」という2つの語義である。「当初」の状況に遡ることを強調したのは、シュライアマッハーやディルタイらが基礎を確立した19世紀の歴史解釈学であった。また「独創」的であることの至高の価値を人々の心に植えつけたのは、芸術家の「天才」的創造行為を高く評価した近代の美学理論であった。
 ところが、20世紀の後半から末期にかけて、「近代」の見直しという大きな趨勢の中で、「オリジナル」の優越性を当然視してきたそれまでの常識が揺らぎはじめた。またテクノロジーの進化は、オリジナルの「唯一」性にも再考を促しはじめている。かつてわたしは、美術研究における「複製の復権」と「オリジナル神話の崩壊」について指摘したことがある(『西洋美術研究』11号、2004年、三元社)。西洋に限ったことではないが、たとえば作品成立以後の「再利用」や「収集」に注目する受容史的研究、西欧の美的価値観から距離を置いてアジアやいわゆる第三世界の美術の固有価値を探る研究、あるいは従来の価値観から見れば劣るものとされてきた複製芸術やサブカルチャーにおける視覚文化の実践に目を向ける研究は今日では珍しくない。  それでは、今日では「オリジナル」であることは、もはや問題にならなくなったのだろうか? そうではない。パラダイムの転換が進行する現在の状況の中で、それでもわれわれに求められているのは、受容し解釈する者の1人として過去を主体的に引き受け、その美化や誇張ではなく「真正さ」を明らかにしつづけることである。また受容行為における淘汰や遺棄の不可避性、作品の物質的魅力の相対化不可能性、複製技術に内在する本質的限界など、簡単に結論を出すことのできない問題も多く残されている。
 このような状況のもとで、アーカイブには多くのことが期待されている。しかし高度なテクノロジーによる鮮明な画像や臨場感の演出がアーカイブの本来の使命なのではない。語源に遡れば明らかなように、アーカイブは本来公共的なものである。アーカイブは、たんなる記録であることを越えて、歴史を主体的に編集するわれわれが紡ぎだす記憶の公共性を支えている。アーカイブに求められるのは、そのような意味での「オリジナル」を保存するための正確で公正かつ有効な資料を提供しつづけることに他ならない。