更新のオーセンティシティ
― 木造建築におけるオリジナル ―
清水重敦
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永続しえないモノにおけるオリジナル 建築は、風雨にさらされながら大地に屹立している。当然ながら、その一部は必ず崩れていき、オリジナルの部分は徐々に失われていく。石造建築ならば、廃墟として、かたちは崩れながらもモノは残り続けることがあろう。けれども木造建築の場合、放置すればたちまち床が落ち、屋根が崩れ、50年もすれば跡形もなくなる。放置された状態で存在し続ける廃墟は、木造建築においてはありえず、ある一定の間隔で修理の必要が生じる。 法隆寺金堂をみれば、組物や軒廻の部材が多数、新しい部材に更新されていることにすぐ気付く。部分が更新される代わりに、全体は構造の完全性をもって保たれている。そこに、西洋でいうところのラクーナ(欠損)は、存在しない。日光東照宮に代表される近世の社寺建築では、外部に露出する箇所にまで漆塗や彩色が施されるが、これらは幾度となく塗り替えられていることが多い。ただ、仕様は継承されることがある。剥落止めによる現状維持修理が試みられたのはそれほど遠い昔からではない。 修理という行為は、厳然として存在するモノとしてのオリジナルへの干渉を最小限に止めるものでなければならない、という考え方は、西洋あるいは石造文化に出自を持つ。木造建築におけるオリジナルは、モノそれ自体には限定しえない。それは構造的完結性であり、かたちであり、技法であり、仕様である。 「保存」ではなく「伝世」―木造建築におけるモノの伝え方 木造建築において、モノとしてのオリジナルを後世に伝えようとする意識は、近代になって芽生えたものである。対して、近世までの建築伝承方法に、式年造替と解体修理がある。式年造替は、その初源である伊勢神宮では本殿の創生時にプログラムされたもので、式年造替あってはじめて伊勢神宮は成立するという、根源的なものである。一方、解体修理による建築の延命は、近世においてはオリジナル部分に深く踏み込んだ改造的刷新であることがほとんどである。 これらの行為を近代の「保存」という語で括ると、極端な事例としての扱いか、否定の対象にしかならない。これらの方法は、建築の「伝世」と呼ぶのが相応しく思える。モノとしてのオリジナルだけでなく、モノの更新を許容しながら、建築におけるオリジナル的なものが後の世に伝えられてきたのだった。 更新のオーセンティシティ 建築が自己自身であり続けることを保障するオーセンティシティのあり方を、木造建築においては再定義する必要がありそうだ。木造建築の「伝世」とは、意図してかたち、技法、仕様を残す「保存」行為ではなく、意図せずともそれらが継承されるあり方といえないか。「保存」はむしろ「伝世」の近代的あり方と位置付けるべきかもしれない。更新されてもなお保たれるオーセンティシティ。木造建築におけるオリジナル概念は、こうしたあり方へと思いを至らせる。 |