雪舟というオリジナルな存在− 作家論の功罪 −

綿田稔
東京文化財研究所
主著等: 「雪舟入明−ひとりの画僧におこった特殊な事件−」『美術研究』381号(2004年3月)
「雪舟系花鳥図屏風の研究−一仮説として−」『天開圖畫』5号(2005年)
「雪舟筆山水長巻の移動−「名品の」価値形成−」『モノ・宝物・美術品・文化財の移動に関する研究−価値観の変容と社会−』(科研費報告書、2006年)
「雪舟自序を読む」『雪舟等楊−「雪舟への旅」展 研究図録』(中央公論美術出版 2006年)
「自牧宗湛(上・中・下)」『美術研究』393〜395号(2008年1・3・8月)

 美術史研究者はかたちあるモノにこだわる。しかし、実際にはかたちのない「価値」を帯びたモノのことを考えているので、価値を付与する「人」という要素を度外視することはできない。その「人」といういたって主観的で変幻自在な、そして保存されない存在をどうやって分析すれば実証的な研究たりえるのだろうか。
 本発表では、往々にして美術史研究者がモノの分析を通じてたどり着くところの作家イメージをとりあげる。発表者が研究対象としている雪舟(1420―1502/06頃)の場合、作品も史料も比較的豊富にのこされていて、風貌を含めてその人物像についてはわかることが多い。しかしながら、自省を含めて言えば、雪舟という「人」に研究者の関心が集まる一方で、個々の「モノ」研究は思うように進まないので、先行して形成される作家イメージが作品の見方や史料の読み方に逆作用し、それによって本来は根拠薄弱だったその作家イメージが補強されるという「悪循環」にはまりこんでしまっている。
 たとえば「玉澗様山水」(通称「破墨山水図」、東京国立博物館蔵)がある。この作品は従来さまざまに「解釈」されてきた。しかしそれぞれの解釈は、そう解釈する人の雪舟イメージを前提としている。逆に言えば前提抜きには成立しがたい。しかも、諸説のいずれがより妥当な雪舟イメージに基づいているのかを学術的に議論することは困難で、所詮はわずかに伝わる断片的な情報を分析することしかできないのである。その議論を有効なものにするためには、争点となる作家イメージについては白紙に近いものを用意し、個別の事例について恣意的になることを極力避けた基本的な解釈を研究者が共有する必要がある。それは細かな事実確認に基づく常識的な判断の積み重ねであるから、決して特殊な作業ではない。しかしすでに肥大化した雪舟イメージが、なにが常識的判断なのかをしばしばわからなくさせるから、事はなかなか厄介である。
 本図の場合少なくとも、雪舟が宗淵に絵手本として与えた明応4年(1495)、宗淵が京都で賛詩をえて自身の履歴書となした明応6年(1497)、作家のことばとともに巨匠の代表的な作風と認識されたであろう江戸時代、日本を代表する芸術家のことばを伴うために国宝に指定されている近現代という4つの画期が想定される。その500年をこえる諸般の事情を雪舟というひとりの作家イメージのなかで処理する、あるいはそれらを一律に天才作家オリジナルの功績として顕彰するべきではないだろう。
 人は他人との関わりのなかで生き、モノも人との関わりのなかで価値づけられ、伝えられる。したがって、作家イメージの構造はもっと複雑なはずである。見果てぬ全体像を目指して、細かな事実確認と、周辺の状況から「記憶」を掘り起こすような作業を積み重ねる必要がある。それはひとりの作家のことを追求するだけでは済まされないだろう。さらに言えば、日本美術史における雪舟の重要性はおそらく雪舟本人の意向を超えたところにこそあるのであって、それは個別の名品論や個別の作家論という枠組みでは捉えきれないことなのである。