「おじいさんの斧」 日本文化史におけるオーセンティシティと再生 ― 宇治橋を例に ―

タイモン・スクリーチ
ロンドン大学アジア・アフリカ研究所
主著等: 『江戸の思考空間』(村山和裕訳、青土社、1999年)
『定信お見通し―寛政視覚改革の治世学』(高山宏訳、青土社、2003年)
『江戸の英吉利熱―ロンドン橋とロンドン時計』(村山和裕訳、講談社、2006年)
『江戸の大普請―徳川都市計画の詩学』(森下正昭訳、講談社、2007年)
『大江戸異人往来』(高山宏訳、筑摩書房、2008年)

 本発表では、日本において、文化の持続性がいかに作用しているかを考察する。英語には「おじいさんの斧」という言葉がある。これは、過去から存在しているということになっているが実際にはそうではない、あるいは物理的にではなく観念的に継続して存在しているものを意味する。この言葉を略さずに記せば、「これは私のおじいさんの斧です。私の父が柄を取り替えて、私が刃を替えました。」となる。ということは、もちろん、おじいさんが実際に使っていた斧は全く残っていないことになる。しかし「おじいさんの」斧は観念として残っているのである。より固い言い方をすれば、同様の考え方は「使徒継承」という言葉で表すことができる。この概念は教会がいかにして権威を維持してきたかということを説明するのに用いられるもので、まずキリストが12人の使徒を指名し、それらの使徒がその後継者を、それらの後継者がそのまた後継者をというように順々に指名していくことを示す。かくて各世代において、手を後継者の頭上に置くことにより、その後継者は正統化されていくのである。これは現在も主教らによって続けられており、キリストの時代から継続している「按手」という儀礼が存在する。このように、「使徒継承」とは観念的なものなので、「おじいさんの斧」はそれと同様の意味を持つ親しみやすい表現ということになる。
 私は、この概念が、日本のことを考える上で有効であると以前からしばしば感じていた。古来日本では、度々の地震・火事・戦争などによって、あるいは単純にやがては朽ちて失われる木材が多用されているが故に、記念物や建造物がしばしば再建を余儀なくされていたということは、周知の事実であろう。私はこの問題を宇治橋という具体的な例を中心に論じることにしたい。宇治橋の歴史ははるか古代にまで遡り、そして橋は現在でも同じ場所に架かっている。しかし、正確に言うところの宇治橋とは一体何であろうか。それは歌枕にもなっている。しかし、後世の宇治橋を目の前にしながら、いにしえの歌人たちが見た宇治橋の姿を思い起こすことが出来たというのは、いかなることなのか。そして絵画において、宇治橋はどのように描写されるべきだったのだろうか。
 本発表では、日本における文化的記念物の継続性についての考察を、特に江戸時代に着目して試みたい。
(森下正昭 訳)