肉筆浮世絵と浮世絵版画 ― 浮世絵研究者にとってのオリジナル ―

浅野秀剛
大和文華館
主著等: 『錦絵を読む』(日本史リブレット51、山川出版社、2002年)
「風流の造形、なぞらえる操作―「見立」と「やつし」とその周辺―」『講座日本美術史3 図像の意味』(東京大学出版会、2005年)
『浮世絵ギャラリー4 写楽の意気』(小学館、2006年)
『浮世絵ギャラリー6 歌麿の風流』(小学館、2006年)
「『名所江戸百景』―岩ア本を中心に」『秘蔵岩アコレクション 広重 名所江戸百景』(小学館、2007年)

 どうも、近世以前の美術史の中で、浮世絵というのは、少し特殊なものとして認識されているらしい。発表の題目は、発表者が考えたものではなく、主催者の例示である。美術史のいくつかの分野で同様の発表がなされるのであれば何ということもないが、浮世絵だけ、というのは、美術史の研究者の間にそのような認識があるという思いを強くする。はじめにお断りしておきたいのは、浮世絵、すなわち肉筆浮世絵と浮世絵版画が美術史の中で格別特殊な世界というのは誤解である。浮世絵にとってのオリジナルの問題は、美術史の他の分野にも共通するものである。しかし、特殊な要素が皆無というわけでもない。浮世絵に発現しやすい事象というものはある。発表者が主催者の例示をそのまま発表題としたのはそのような理由からである。以下の個別の事象は、浮世絵に特に発現しやすい“オリジナル”の問題かもしれない。
 肉筆浮世絵では、後世の模写と後世の偽作が問題となるであろう。それは、無落款の場合と有落款の場合がある。悪意があるか、それを入手した人が悪意をもって手を加えるかということも問題となる。重要なのは、いずれの場合も、制作年代の考定である。それによって、その作品が真筆であるのか、ある年代の作品群の中に置くことができるのかが決まる。ボストン美術館の肉筆浮世絵の調査(鹿島プロジェクト)では、それについて、調査者の見解が分かれたものもある。しかし、このことは、肉筆浮世絵特有の問題ではない。他の流派の絵画より肉筆浮世絵に出来することが多いと思われるのは、未知の絵師の落款の入った作品の取り扱いである。今まで紹介されたことのない(と思われる)落款が入った作品は、少なくとも偽作とはいえない。しかし、時代があるように装うとすれば問題である。近現代の作を江戸時代前期の作として扱うといった問題が生ずるからである。取引価格のこともあるので、その鑑別に研究者が無頓着であることは許されない。肉筆浮世絵には、本来無款であったものに落款を入れたもの、元の落款を改竄したものもある。これも浮世絵特有の事象とはいえないが、研究者を悩ませる問題である。
 工房作の問題は、制作現場の本質的な問題として、別に扱われるべきものと思うので、今回は触れない。
 浮世絵版画では、初版、再版と複製(コピー)の問題が、最も重要かつ難しい事象といえるであろう。浮世絵版画において、江戸時代に再版が作られているものはごく僅かである。現在は、再版のものも、それが初版に近い年代の制作で悪意のないものであれば初版と同様に扱っているが、初版と再版の年代がどの程度近ければ許容されるのか、されないのか、仕上がりのレベルは影響するのかといった微妙な問題がある。作品によっては、現存するものはすべて再版で、初版は伝存しないということもあるかもしれない。近年、色板の違う作品などいろいろなレベルの作品が存在するということがわかってきたが、それらのオリジナル度はどのくらいとすればよいのであろうか。近代の複製品の中にオリジナルの存在しない作品もあると思われるが、それを証明する方法はあるのであろうか。名品と言われる作品の中にも複数の類似作があるものがあり、それらの位置づけも大きな課題である。