京都周辺でつくられ、京都で使用される土師器(以下、京都産土師器)の模倣品(以下、京都系土師器)が、12〜13世紀と15〜16世紀にかけて各地で出現することは、中世考古学ではよく知られている事実である。土師器とは釉薬を用いない素焼きの皿で、日常的な食器をはじめ、灯明器や儀器などさまざまな用途にひろく用いられた生活道具であるが、京都系土師器は京都の土師器を模倣しているがゆえに、モノにまつわる価値形成にかかわってくる資料である。本報告ではこの京都系土師器を手がかりに、モノの価値形成におけるダイナミズムを素描してみたい。
断片的な史料から知るかぎりでは、土師器工人(生産者)は、領主から免田を給付され、対価として土師器を貢納していた。製品としての分布圏の狭さをみても、かれらが土地に根ざした存在であったことはまちがいない。さらに、各地の京都系土師器の形態を微細に検討してゆくと、京都産土師器のもつ属性とのズレが顕著に確認でき、京都の工人たちが各地を移動して生産したとは考えられない。京都系土師器は、京都産土師器の形態や技術に関する情報を受容した在地の工人たちによってつくられていたのである。人やモノ自体が動くのではなく、モノの情報のみが動いていたのだ。このモノ情報は、工人たちの在地性の強さからすれば、受容者(領主層と思われる)側の意向にもとづいていたとみるべきである。しかも、模倣品としての京都系土師器と京都産土師器とのズレを考えたとき、モノ情報の実体とは、体系的な技術や知識というよりは、視覚的イメージのような不完全なものであったと考えられる。
とするならば、京都系土師器に付加される価値の実体を考える手がかりは、土器の用途や使用する場の検討から得ることができる。地域内での分布状況や出土量などをみると、在地の伝統的な土師器を駆逐しつつ限定的に出土する地域や、遺跡の性格(城館など)によって偏向する地域、遺跡の性格を問わず広範に出土する地域など、さまざまなあり方がみられる。価値の実体は地域によって異なるものの、ひとしく共通するのは、使用における在地の土師器との差異化によって価値が生まれるというプロセスだ。京都系土師器は在地の土師器の存在を前提として、つまり在地の「文脈」のなかへおきなおして消費されることで、その価値が形成されていたのである。
大半の地域では、京都系土師器の生産は50〜100年程度存続するが、同時期の京都産土師器の変遷過程とは一致せず、京都産土師器との相違は次第に顕著になってゆく。モノ情報が導入されるのは生産開始時点の一度だけなのである。つまり、生産者・受容者ともに、模倣品としての精巧さには価値をみいだしてはいなかったのだ。京都系土師器は、忠実な模倣ではなくむしろ、地方の人々がもっていた「京都風」の土師器のイメージを具現化した産物としてたちあらわれ、各地の生活文化の「文脈」に即して領有された。オリジナルとの近さを希求する模倣本来の価値観はそこにはない。模倣の契機が京都(の文化)への憧憬にあったとしても、京都系土師器はオリジナルがもつ文化的価値観とは切り離され、使われるなかで受容者によってあらたな価値が付与されていたのであった。
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